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「出身国」(『出身国』より)ドミトリイ・バーキン、秋草俊一郎訳(群像社ライブラリー)

Zoom読書会 2022.10.29
【テキスト】「出身国」(『出身国』より)
      ドミトリイ・バーキン、秋草俊一郎訳(群像社ライブラリー)
【参加人数】出席7名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者H)>
◆私自身が知っていたわけではなく、たまたま知り合いからいただいた本。その知り合いも、読後に感じるものはあったが言語化できなかったそうで、私の感想を聞きたいとのことだった。しかし私も読んで内容を把握できなかった。今回読み返しても漠然としかわからなかったので、皆さんの感想や解釈を伺いたい。
◆著者はウクライナに生まれロシアに住んでいた。現在、ロシアのウクライナ侵攻が行われている中、文化や情勢を越えて、人間同士として知り合う機会にもなるかなと思う。

<参加者A>
◆一応、全作品読んだがかなり苦戦した。
読みながら、以前フォークナーで苦戦したことを思い出した。訳者あとがきに、著者が影響を受けた作家としてフォークナーの名前もあったので「お」と思ったのだが、影響を受けたからというより、「一文の息が長く(中略)関係詞節や副詞節の発達したロシア語の特性」(訳者あとがきより)が大きいのではと考え直した。言語の特性として一文が長くて、主語がわからなくなったりするのだろうか、と。文章の意味を噛み砕くのに気を取られてしまった。
「出身国」は、なぜマリヤが男を連れ帰ってきたのか、家が寒くなるというのは比喩か……など腑に落ちなかったが、受けていないはずの弾丸が男の体からでてきたところで、これは現実的な話ではないんだとわかった。マリヤは“聖母マリア”だろうか? 「測量技師」に出てくるマリヤとは別人だろう。
ほか、“死んだ画家パール”は、この短編集の他の作品にも出てくる(他の作品では死んでおらず、生きているとき、老いたときが描かれている)。繋がりがわからないけれど、同じ世界観なのだろうか。
「出身国」以外で印象に残ったのは「奈落に落ちて」の構成。同じ場面を異なる人物の視点で描いていて惹きつけられた。町の人たちが口々に言う台詞も面白い。何より、「おとりなさいな」と言う女性の存在が魅力的だった。
「根と的」「測量技師」は、テーマが掴みやすく(本当に掴めているかはわからないが)比較的読みやすかった。「根と的」は兄と弟の憎悪、「測量技師」は家族を支配しようとする父親の話だととったので、わかりやすかったのかも。この2作は、読み方によってはロシアと旧ソ連の国々の関係を表しているような気がした。
◆少し前、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』を読む機会があり独ソ戦の雰囲気をイメージしやすかった。

<参加者B>
◆今回、この作家のことを初めて知った。表題作「出身国」は歯が立たなかった。他の作品は物語として理解できて面白かった。
「測量技師」。“子供らみなの母”はウクライナだと思って読んだ。測量技師の男はロシア。ロシアがウクライナをみんなの母親、みんなに奉仕させるような扱いをした。そう読むと、現ロシア大統領が言ってもおかしくない言葉がたくさん出てくる。
・P166、後ろから4行目「国家とは人間の生活とは無縁で、ただ自然の力のようなものでしかなく(後略)」
書き手は、私たち(日本人)が国に守られている感覚とは違い、国家を当てにしていないのだと思った。
・P171の2行目「地球の崩壊だけが最終的な死を意味する」は、核兵器を連想させる。
著者が住んでいる世界、国と国との関係を、家庭に置き換えていると感じた。
ジョージ・オーウェル『動物農場』では社会主義世界を農園に例えている。「測量技師」ではロシアとウクライナを作品にしたのだと思った。
◆小説の作り方として新鮮。他の作品も、それぞれ作り方が違っていて才能を感じた。

<参加者C>
◆結構苦戦した。文体が支離滅裂で読みにくい。「ああ、文学だな」と思った。エンタメ性がない。私の中で「文学」とは「エンタメ性の欠如」なので。
◆ロシアらしいと感じた。私はそんなにロシア文学に触れていないが。
◆寓話なのかなと思った。寓意は何なのか、見えないしとっつきにくい。90年代のロシア社会に生きている人なら、ああこうだな、と受け入れられるのかな。
◆射撃が得意で、死の予感に怯え、死にそうになる男。そんな男と夫婦になる女。90年代のロシア人にはヒットするキャラ造形なのだろうか。
◆マッチョな雰囲気、破滅的な状況、最後に確信を得る=ソ連崩壊、冷戦終結で、このあとどう生きるか……と読めるが、実際はもっと込み入っている。
内的弱みを周りに見せないスラブ的ハードボイルド感が面白かった。
◆P14、死んだ男の服を着るときの台詞が面白かった。
「武器」。まともに読んだのは「出身国」「武器」で、「武器」のほうが好き。社会を受け入れがたい人の話。社会で生きると真綿で締められる、みたいなことを物理的なものとして描いている。コアな部分を守るところもわかる。同じような感覚を抱いている人を救うものになる。いい小説だった。

<参加者D>
◆こういう、改行がなく暗い雰囲気の作品は嫌いではない。
◆(ロシア文学の)ドストエフスキーは大学のころから好きで、わりと読んできた。ドストエフスキーの作品には闇の部分もあるが、宗教的な光や救いがある。しかし、今回のテキストには救いがない。この閉塞感やしんどさはどこから来るのだろう。ロシアウクライナに詳しくないが、戦争の歴史からだろうか。一読しただけではわからない。ことさら難解に考える必要はなく、苦悩はシンプルに戦争の歴史と捉えていいのでは。

<参加者E>
◆難解というかわかりにくい。読み進める中で「今の文はどういう意味?」と戻らなければならなかった。
私は、ストーリーラインを追って雰囲気を掴むという読書スタイルなのだが、この作品は雰囲気を掴めなかったので、一文一文咀嚼しなくてはならなかった。
◆でも感覚的に好き。閉塞感、圧迫感、非現実的なもの、暗さ、重さ、救いのなさ、希望のなさ……そういったものが私に合う。だから好き。
◆(「出身国」の)マリヤが好き。彼女は訳わからないんだけど。駅で男を拾ってきて、きれいな服を着せて……“結婚”が持つ一般的な意味とは違って、とにかく世話をする。猫を拾ってきて世話をするような母性を感じる。家に入れたら“家族”。原始的な、女性に備わった感情、と言ったら差別かもしれないが。だから“マリヤ”(聖母)なのかな。
◆戦争の経験を持つ男。生きた鼠を撃って生き甲斐を感じる。狂気じみたところが好き。異常な感覚がいい。
◆滅びゆく一族と発展していく一族の境にいると確信する。狂気的でいい。
◆心臓に弾丸……ファンタジーじゃないですよね。私は比喩やファンタジーだとは感じなかった。皆さん言語化しにくいと仰っていたが、私もそう思う。現実でもない、ファンタジーでもない、比喩でもない。自分の中に、そういう異物がエイリアンとして入っていても違和感がない。
◆冷え冷えとしている。寂れ感と、寒さと、変人と、狂気と、異常さと、ちょっと歪んだ母性と。醸し出すすべてが好み。難解だけれど好き。

<参加者F>
◆ありきたりの作品ではない。既視感がまったくない。それだけで特別なものがありそうと思わせる作り方。それがいいのかわからないけれど。
◆難解は難解。難解なのは構わないけれど、どれか一つにしてほしい(この作者の作品に慣れると難解でもないのかもしれないが)。
・まず文章が難解。翻訳は結構上手いと思う。慣れたら多少わかりやすくなるかもしれないが、取っ付きが難解。
・次に、ストーリーが難解。この人たちは何なんだ、と。何をしているのか? どういう展開になっているのか? それを“取っ付きにくい”という言葉にしておく。
・そして、登場人物の考え方が難解。ロシアやウクライナの人ならわかるかもしれないが。
カフカ『変身』やガルシア・マルケス百年の孤独』のように、身近になってくると難解さがなくなってくるが、身近になっていない段階で与えられたからわかりにくい。
◆中身は、文章を咀嚼しながら読んだらだめ。分析しながら読んだらわからなくなる。一気にさらっと読んでしまわないと。(一文が)長い文章は一気に読んだほうがいい。
◆ロシアやウクライナを念頭に置きがちだが、作品だけで考えたほうがいい。今起こっている戦争の状況に当てはめていいのか? それによって考え方が違うかも。
◆マリヤはなぜこの男を拾ってきたのか。P10「マリヤの母はわからずじまいだったが」……こう書いているということは駅で何かがあった(書いていないが)。同じP10に、やらかしかねないという意味の文章があったので、いきなり連れてきたと読んでしまいがちだが、理由がある。それは読者が考えなさい、ということ。その省略が、伝わってくるところと伝わってこないところがある。
◆ラスト、「うちに帰ります」とは、マリヤのもとへ帰るということ。マリヤは男を理解している。マリヤの母親は男を理解していないが、マリヤは理解している。
◆男は血統に執着してる。その血統書は本物なのか? 私は作為的な系図のように読んでしまう。七代前の祖先から弾丸を受け継いだというとファンタジーになるが、現実に弾丸を受けたのでは?
血統と思い込んでいるだけなのかも。「すべてがわかったよ」。自分の考えが妄想だとわかってマリヤのもとに帰る――とも読める。
◆作品との付き合い方に慣れれば読めるのでは。「兎眼」はわかりやすい。嫌っている軍隊の同僚を殴って懲罰房に入れられるが、その同僚が轢かれそうになったら助けてやる。文章も込み入っておらず、非常に読みやすい。
◆全部読めなかったが、全作品読めばこの作者にもうちょっと慣れていけたかも。もう少しチャレンジしてみたい。サボっていたのを反省している。

<参加者G(提出の感想)>
〈表題作について〉 
「過去に存在した人間」が時を越えてふたたび世にあらわれる、という筋書きは『ドグラ・マグラ』のようでおもしろかった。己の血統書を後生大事に持ち歩き、「じぶんとは何か」とつねに黙考している主人公は、神をうしなった現代人の根源的不安に深く通じるものがあり、人間の普遍性をするどく貫いていると感じた。作者のたましいの叫びがダイレクトに伝わってきて、好きな作品。住んでいる家を冷気で満たす、という主人公にはマジックレアリズムが感じられて高揚。結婚相手の娘は気づかず、その母は寒さに耐えきれず家を出る、という展開はシュールレアリスム性も宿し、暗喩としてもすばらしい。マリヤのあまりの視野狭窄と夢想傾向、病的な執着質と狂乱的な心の飢えは魅力的。七つの白い歯と「イデヤ」の髪の毛(失った本質)を持ち歩き、環境の秩序にきびしく、射撃が得意という主人公と合わせて、キャラクターははっきりしていてイメージしやすい。同居する娘にたいして何も言えない母親像も印象深く、彼女の夢「雌牛が死ぬ」と主人公の夢「黒馬が駆ける」の対比はみごとと思った。主人公を苛ませていた耳鳴りは、内側から湧き上がってくる、ことばにならない衝動の象徴だったのだろうか。主人公はそれを「心臓の呻り」と表現したが、その心臓に鉛の弾が食い込んでいたと明かされるラストは肌がふるえた。彼は「鉛玉を抱えて生きてきたもの」として、ようやくじぶんが誰かを知る。いや、そのための足掛かりを得た、というべきか。「じぶんとは何か」についての確信ではなく、その方向性はみえたということ。七代前の先祖のからだを持って生まれた彼からは、けっきょく、個というものに大した意味も価値もないのだ、という切ない命題が引き出されてしまう。霧がかったような曖昧な作品集だが、この作品と「武器」からは作者の鮮明な心の裡がのぞけた気がする。

〈全体について〉
 自閉的で奇異な文章表現が特徴的な短編集。神経症的でとにかくミクロな世界観。つめたく荒廃した作風および物語は、重たい霧に閉ざされていて輪郭がつかみにくい。全体に共通したテーマは自己不在ゆえの存在証明という印象。作者は作品を描くことで自己を模索しているのかもしれない。「どこにもいないじぶん」を対象に「じぶんとは何か」と問いかけつづけているイメージ。だからつかみにくいのだろうか。作者の自己不在感はもともとの気質、あるいは器質と、戦争という不安定で荒廃した環境が形成に大きく関与したものと考えられる。離人症ではあるかもしれないが境界性障害の色合いはうすいイメージ。自閉症気味ではあるかもしれないが、からだはきっと丈夫だろう。「戦争」から連想する作家アゴタ・クリストフのような危うさや硬質な透度は感じられなかったし、ビアスのように万人に読まれるような昇華力もない。一文あたりの文字量と魔術的な世界観の反映から『精霊たちの家』のイサベルを思い浮かべたが、彼女のような社会性もとぼしい。色彩や音楽も感じられなかった。灰色で無味乾燥の荒寥地帯、とのイメージが強い。作品はとにかく個人的で作者はとにかく渇いている。うるおいは一切感じられない。一部を除き、物語というよりは記録という印象。ただ、それをあらわす言葉が文学的なだけ、ともいえるかもしれない。魔術的な雰囲気も持つが、それは作者の好みが反映されただけ、という程度。作品全体に通底しているのはどこまでも現実的・剛直で荒々しい男性性。冷徹で厳格な分断が目立ち、視野や世界観はしごく狭い。まるで奥深い谷のようにどこまでも陰鬱で個人的。かといって、哲学や宗教など「共通した」認識や価値観をいしずえにしているわけでもなく、心理学的見地から客観視しているわけでもなく、正直、「どこ」に心をひっかけて読んでいいのか分からなくなる。その「不在感」こそが、おそらく作者の文学テーマであり、作品全体のテーマなのだろうが、それにしたって他者のいばしょが狭すぎる。人生の普遍的知恵や訓戒にもとぼしく、さらには物語としての立体性にも欠けたうえ寓意性も不完全、表題作とつづく二編はともかく、他の作品は私小説特有のたましいの叫びを宿しておらず、ただただ読者を迷子にしやすい本、と呼ぶことはできると思う。個人的に、作品集全体として共鳴できたのは、作者そのひとの自己不在感と詩人性の二点だけだった。感性のままに特異な文章を用いる作家は好き。奇をてらったり装飾に凝ろうとした印象はうすく、ただ、感じたものを感じたままに描いたのだろう。ムージルのように読んでいて無条件に心がおどる文章はまさに本ならではの楽しみのひとつ。閉塞的で狭量、やや独善的なきらいもあるが、この作家の場合、心の空白を表現しようとした結果、密な文章が生まれたのではないかと考えると胸が痛む。ノイズが多い文体との印象はぬぐい切れないが、だからこその滋味を感じることはできる。少なくとも、ひとりの人間が生きた記録にはなるだろう。ありのままの自分とその世界観を実直に、真摯に表現しようとした作家と呼べるだろうと思う。どこまでも「個人的な」短編集。

〈短編集として〉
 短編集の流れは整理ができているという印象を持った。
「出身国」→自己の存在を直線的にうったえる。(自己発露)
「葉」→自己認知欲求のようなものがうかがえる。自伝的な印象が強かった。(内省、回想)
タイトルの「葉」はじぶんという樹が宿したひとひらの記憶、という印象を持った。「葉が落ちる音さえひろえる聴力」「ずっと集めていた葉に火をつける」などの描写は作者の心情を語るものとして奥深い。ラスト、白煙となって空にのぼった「葉」たちからは虚無感や無常観のようなものがうかがえて印象的。
「武器」→心の最深部、もっとも傷つきやすいもの、守りたいものを言及。(自己沈潜)
「奈落におちて」「兎眼」→戦争関連。おそらく自身の体験談がわずかに反映。(自己の精神構造を解剖しようとした試みか)
「根と的」「測量技師」→作者自身からやや距離を置いた話、という印象。聞き語りか、習作か、自己表現の一環なのか。己の気質に共鳴する部分があったのだろう。(自己というものを外側から表現)「測量技師」のラストが表現しているもの(自分の両腕が銃を差し伸べる)は、なけなしの良心だったか諦観だったか、それとも不安だったのか。

〈その他〉
・孤独な少年と知恵者の老婆がたびたび登場するのは印象深い。両親の影はうすい。作者は愛に飢えていたのだろうか。それとも生来の器質として、愛を知ることができなかったのだろうか。
・夢、とりわけ動物の夢が作品を影から支えているところも興深かった。夢はまた、作者の心を支え、なぐさめているものなのかもしれない。作者の隠された欲求や内なるゆたかな感情表現を想像。
・「女」がほとんど前に出てこない作風は特徴的。活発に動きまわるのは表題作と「葉」くらい。戦争体験という男性社会が関係しているのだろうか。単にコミュニケーション障害なだけなのか。
・地の文に会話を織りこむ手法は好み。「他人との交流」も過去のもの(作品化)となってしまえば、作者の内なるカオスに内包されるということか。同じ意味の文章をやや表現を変えて二度つづけてくり返すのは心地いい倒錯感をいだけて好き。主人公の内的世界と外的世界が平行して混ざり合っている印象。(P94 これはあの女じゃない。これがあの女だ。(中略)今、女は言う――こっちに来て。女は言った。「こっちに来て」)
・奇異で独特の文体、あるいは世界観というのは創作者にとって絶大な武器となるだろうが、しかし用い方はひじょうにむずかしいと痛感。たましいがこもった私小説なら読者の胸にひびきやすいが、それを他人の話、聞き語り、客観視点の創作に用いてしまうとかなり味気なく、ただバランスが悪いだけのように感じてしまった。なんというか、不自然。機能とそれに見合った装飾が合っていない。物語も文章表現もどっちつかずでどちらも頭に入らない。せっかくのすてきな表現も靄がかって心に響きにくい。何か共通したテーマ、哲学なり宗教なり社会問題なり音楽なり、人生や人間としての普遍性を礎石にすれば読者にも読みどころはあるだろう、とは思う。もしくは寓意性を高めるか。物語の筋としても特に風変りなことはなく、悪くいえばよくある話で、「あるニュース」をただ独自の言語であらわしただけ、とも取れてしまう。奇異な文体を用いるのなら、じぶんのことか、魔術的なおはなしか、もしくは寓話か、とつめたく限定してしまう。じぶんの武器を殺すような後半の作品は個人的にかなり残念で仕方なかった。

A:いつも肯定的なGさんが今回厳しかったですね。
E:寓話的なところや観念的なところはGさんの作品にもある。理解できるからこそ厳しくなるのでは。

<参加者H(推薦者)>
◆総評として、破滅的な人物で統一された物語。傾向として、男はトラウマや破滅。女性は快楽、性……本来命を繋ぐ役割なのに破滅に向かっている。
◆皆さん、理解できない、ぴんとこないと仰ったが、私としては主観的で視野狭窄的な部分にぴんとくる。頑固というか、いじけてるというか、そこにシンパシーを感じる。

<フリートーク
【物語のつくりについて】
E:視野狭窄。この言葉なんだな、私が探していたの。一点しか見ていなくて、すごく近づいたらぼやける。ぼやけるところを観念的に捉えて表現している。それで視野狭窄になるんだなと、GさんとHさんの感想をお聞きして思った。
H:多くの作品では、人が別の人と関わって傾向が変わったというのがあるが、バーキンはそれがない。自分は自分。葛藤より拒絶が強い。
E:人同士が関わっているのではなく(人間ドラマではない)、お互い、冷たい氷に囲まれて孤立している。Gさんは自己不在感と仰っていた。
H:自己不在感――ぴんとくる。自分の意志ではなく、何かのトラウマに動かされている。
「武器」。武器が好きというより、(敵に)怯えている。そこに自己不在感を感じた。
E:「出身国」でも、自分の血統書を持ち歩いていた男が、心臓の弾丸が見つかってから初めて、自分が何なのかわかった。自分を探していた。
F:私の解釈は少し違う。男とマリヤは理解しあっている。孤立した状況を描いているのではない。駅で何かがあった。マリヤが男を理解していることは、彼女の母親との対比において表されている。マリヤは没交渉なのではなく、男を連れ帰っている。それを想像すれば難解ではない。
最後、すべてがわかって「うちに帰るんだ」。この場面を読んで、男は妄想していたんだと思った。七代前の祖先の受けた銃弾が体から出てくるなどありえない。(血統が)男の妄想だとしたら、それは男が受けた弾丸ということになる。血統は、男が考えた設定だと読み解くほうが自然か。
心臓の呻りは、体調の不安定さを表す。射撃場で働いて安定していたが倒れた……唐突ではなく、説明がつく流れ。
H:確かに、倒れたのも、くも膜下出血など脳の病気であるかのように読み取れる描写もあった。物語としてのセオリーを前提に置くと解釈が分かれる。男の走馬灯で、ずっと夢だという解釈もできる。
F:そういうふうなつくりが面白いといえば面白い。誰が読んでも同じように読めるより、解釈に幅があって読み応えがある感じがするのはそこなのかも。

【それぞれが象徴するものについて】
C:皆さん、陰鬱と仰っていたが、「出身国」の終わり方は希望があると思った。確信を得るためなら、ぶっ倒れてもいい。
E:「出身国」、いい終わり方ですよ。
D:爽やかな終わり方。自国のアイデンティティを取り戻す。
マリヤは聖母マリア=母なるもの、イデヤはプラトンイデア論で説いているイデア
この主人公は、マリヤも義母も目に入っていない。精神的な理念、真実が大切。あるいは、希望のない、光のないほうへ行ったほうが、主人公は幸せなのかなと思って。
E:この主人公、幸せなのか不幸なのか、どっちなのかな。幸せとか不幸とか考えてないように見える。
F:主人公はマリヤに連れて来られた。嫌々いるわけではなく。伝わるものがあったのでは。マリヤは主人公を結構理解している。母が巾着を取り上げなきゃと言ったとき、個人の自由だと反論した。ここだけ読んでも、マリヤが彼を理解していることがわかる。マリヤが自分を理解していると彼は気づいている。だから家に来て、結婚までしている。
E:マリヤの母は、男がバターを持つと固くなるのを見ている。マリヤは男が冷たいとは思っていない。
F:「冷たい」と感じるのは男を理解していないということ。母親との対比で、マリヤは男を理解しているのがわかる。
E:「出身国」は母性がテーマかな。私は10年以上前、息子を嫁にとられた女が、犬に母性を注ぐ作品を書いたことがある。母性はそんなに美しいものじゃない。母性は本能。私はマリヤから愛や理解は感じない。
H:マリヤの母性は「旦那の趣味がパチンコでもいい」みたいな感じか。
E:だから母性を注ぐ対象は犬でもいい。
H:母性というより受容かな。
F:私は母性というより理解だと思う。息子の生き方を理解してやるのは母性ではない。
歯を持っていてもいい。気にするのはおかしい、と母に言う。このように一場面、マリヤが男を理解しているシーンを書いておけば、読者がそこを読み解ける。
B:私も母性より理解だと感じた。マリヤは男を理解している。
でも、何を書いているのかわからなかった。何がテーマなのか、何を書こうとしているのか。
F:訳のわからない血統に執着していた男が、すべて(妄想だったと)わかって、そこから解放される。そう読めば意図がわかる。
B:男は巾着袋を持って「うちに帰ります」と言う。書き手は何を伝えたかったのか?
F:テレビドラマのように「マリヤのもとに帰ります」と書けないので、近いことを書いているのでは。自分を理解してくれる人が、少なくとも一人はいる。そこまで骨組みを言うとださいので、はっきり書けない—―意地の悪い見方だが。
D:私は「母性」で納得がいく。マリヤは母性の象徴。最後は胎内回帰願望。
F:そうかも。はっきり書いてしまうとださいので、こういう書き方になっている、と。
E:アイデンティティである髪や歯は守っているけど、心臓の弾丸ではっきりしたので、マリヤのもとへ帰るわけじゃないですよね。
B:帰るのは出身国。
F:出身国より、血統、出自とか、そんなイメージ。タイトルに出身国とあるから別のイメージをしてしまうが。タイトルに影響されすぎていませんか。男は血統を大事にしていたわけではない。滅びゆく一族に戻りたいとは思わない。
B:著者が生まれたウクライナについて調べた。領土を奪われて、一番多いときは13に分けられていた。「ウクライナ」とは「辺境」という意味。国がバラバラになった歴史を書き記す活動が行われていた。1991年にやっと独立した。そこに住んでいる人たちであれば、出自、出身国に強い想いを持っていて当たり前。奪ったり奪われたり、激しい歴史の中で、こういうものができるのか、と。
島国に住んでいる日本人にはわからない。日本人には書けないし、理解するのも難しい。そういう意味で新しかった。
F:歴史をどこからスタートさせるか。キエフ公国があって、モスクワ公国があって。キエフが辺境というのは今の考え方。
奪ったり奪われたりは、どこでも起こっている。それは日本だって一緒。人間の歴史は程度の差こそあれ同じなので、地方特有のものと考えていいのか。
物語の中で触れられていない以上、作品は作品として切り離したほうがいいのでは。

【フィルター越しに小説を読むことについて】
B:この作品の書き方が特異に見えた。自分が書く上で、読者から特異に見えるものは何だろうかと考えた。
F:読者にはそれぞれフィルターがある。でも読むときは、素面で読んでいいのでは。書くときはフィルターを外すことは難しいけれど、読むときは外したほうがいいと思う。
B:フィルター越しだと楽しめないですよね。
F:私は作品に書かれているものだけで読みたい。日々いろいろな情報が入ってくるけれどシャットアウトして。
B:最近、そういう気持ちを忘れているので、取り戻そうと思う。
E:フィルターありますよね。こんな感じか、とか。年を取ると経験則が働いてしまって。そうすると面白くなくなる。

【小説を聴くことについて】
E:一文一文を読み飛ばせなかったが、Fさんは大体の意味を取って読んだほうがいいと仰った。そんな気がする。咀嚼するのではなく、舌先で転がすのではなく。
F:朗読を聞いているような感じで読んでいくのはどうかな。後ろに戻れないから流れていく。文章の流れに乗っていける。自分自身が朗読をしているつもりで読む。わからなくても無視する。そうやって読み進めていく中で辻褄が合ってきたらラッキー。
E:味わうような文章ですよね。全体のカラーとか、そういうものを。いちいち分析的に読んでいたら、そんなアホな、となる。
A:私は無理かも。読むのと聴くのって、脳の使う場所が違うじゃないですか。口承文芸とかも好きだし、本当はできるようになりたいんだけど。
F:聴くのは右脳を使う。絵面として読む。訓練として、倍速で聴いてみるといいかも。
E:Kindleに読み上げ機能があるから使ってみては。
F:Wordにもありますね。