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『オーランドー』ヴァージニア・ウルフ著、杉山洋子訳(ちくま文庫)

Zoom読書会 2026.08.29
【テキスト】『オーランドー』ヴァージニア・ウルフ著、杉山洋子訳(ちくま文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
◆前回の読書会後の雑談で、性別云々の話になったとき、ちょうど手元にあったので(笑)。翻訳ものだけど、我々にとって違和感のない文章だし。ちょっと失敗したかなと思ったのは入手しにくかったこと。電子書籍がないんですよね。
◆英語の文章にはセミコロン(;)がある。セミコロンの前で一旦終わったようでいて、セミコロンの後に続いているものがある。特記事項として、関連している文章が続く(日本語の括弧には補足事項が入るが、セミコロンで繋げられたものは並列に近い)。セミコロンの後の文章があることで、裁判で判決が覆ることもある。コンマより区切りが強く、ピリオドよりは弱い。

<参加者B>
◆私がイギリスと聞いて思い浮かべていたのはヴィクトリア朝のイメージだったようです。いろいろな作品の舞台やモチーフになっているし(仄暗く、古風なものと近代的なものが入り混じっている感じ?)。エリザベス朝は明るいイメージなんですね。世界史あやふやなので、そういう意味でも面白かった。
◆男性と女性の社会的な差異が描かれていて興味深かった。どこかに「女は文字を習わせてもらえない」みたいなことが書いてあったと思うが(P140「わたしたちにはアルファベットひとつ教えようとしないくせに、自分たちは知識で完全武装してる」)、日本でもかつては「女に学はいらない」みたいな考えが根強かったらしい。紫式部も、賢さを見せると男性からも女性からもよく思われなかった、と日記に書いていた。でも彼女は『源氏物語』を残したし、平安時代の女性には相続権もあったけれど、イギリスでは女性が継げなかったんですね。海外では、女性が男性名で文学作品を書いたり、その他の分野でも、女性の名前は消されたとか。作中のオーランドーは女性になったけど家を継いでいる。そのあたりも面白かった。
◆他にも、創作論や、時間に対する考え方など、「わかる!」と共感できる部分、そうでない部分がそれぞれあって、作者の心を分けてもらうような楽しさも感じられた。
◆巻末の、訳者による「隠し絵のロマンス――伝記的に」はとても読みごたえがあった。しかしそれを読むことである程度補完できてしまって、少しもったいない気がした。いえ、読めてよかったんだけども。わからないことをわからないなりに楽しんで、少し間を空けて読めばよかったなぁと思った。
◆気になったのは、オーランドーが女性になったあと、訳文では女性言葉になっていたけれど、原文はどうなのだろう、ということ。英語にも女性っぽい言葉遣いがあるのか?

<参加者C>
◆マニッシュなファッションが当たり前の時代に生き、『ベルサイユのばら』(池田理代子)のオスカル、『リボンの騎士』(手塚治虫による漫画)などを知っている世代だが、『ベルばら』のオスカルや、アニメ『白鯨伝説』のラッキー・ラックが実は女性キャラだと知ったときは驚いたものだった。女性が男性のような装いをすることが珍しかった時代に、ヴィタ・サックヴィル(=オーランドー)の男装姿を見たウルフの衝撃は、私が感じた驚きよりも鮮烈だったのかもしれない。
◆ページいっぱいに地の文章が詰められている割に、読み口は意外とサラリとしていてスイスイ読める。また、時代ごとの情景がクリアに浮かぶ文章は秀逸だと感じた。素晴らしい翻訳だと思う。
一方で、年代表記が少ないため、個人的に、ややステージの変更がわかりづらい。たぶん、時系列よりもパノラマのように書き割りが変わるほうが重要なのだろう。
◆ウルフがヴィタに送ったお得サイズのラブレターである以上、本編の人間ドラマ自体に、感想は正直浮かばなかった。そもそも超自然的な形で360年も生きて文芸に明け暮れ、悠々と恋愛、結婚をし、アンドロギュノスであるオーランドーという人物に、ドラマツルギーの凹凸をさほど感じられない。
 ただ、オーランドーが明確な男だった時代の、ロシアの姫君サーシャに袖にされたところは、男子の失恋としてはありがちで、この辺は面白かったと思う。
◆フェミニズムという観点からしても、作中で語られるフェミニズムは、現在の社会通念の域から出た突飛に感じる話でもないし、同性愛にしても、イギリスに比べて日本は比較的無関心なので、この作品の「モダニズム感」にはあまりピンと来なかった。
裏を返せば、それほど当時の西洋の世相だとか倫理観は窮屈であったのだろうと、こういった古典を読むたびに感じる。

B:サーシャいいですよね(笑)。
C:読んでて「おおっ」ってなりました(笑)。
創作論についても、私自身、書いた瞬間よくても、読み返したら「全然だめじゃん」ってことはあるな、と思った。

<参加者D>
◆ウルフ読んだことがなかったので、切っ掛けをいただいた。
◆ジャンルとしては偽伝記で、モキュメンタリーにも近く、私好みの読み方ができた。
目を滑らせながら読める。意外と楽に読めたこともあり、いい機会だった。
◆歴史小説として読んでみたくなってそうしていたら、世紀が変わった瞬間「SF的だな」と感じ、学びがあった。私の次回作に活かそうかな。突っ込まれたら「ウルフ読んだことないの?」と言える(笑)。
B:ぬるっと時代が変わる手法は、最近の芥川賞を受賞した作品でもあった。一行空きもなく、時代が入れ替わっている。私もちょっとやってみたいけど、筆力がないから盛大に事故りそう……。
D:イギリスって時代が断絶しないんですね。政権を跨いでも、ぬるぬる移動できて面白い国だなと思った。日本だと江戸→明治は、まったく違う時代ですよね。
◆P111「駆逐艦」とあるが、私の記憶では、19世紀後半に魚雷という兵器とそれを扱う水雷艇が出現し、水雷艇を狩る艇種として水雷艇駆逐艦が登場した……という流れなので、作中のトルコに駆逐艦はいないはず。ミスか、意図的なアナクロニズムか。
ただ、原文で検索をかけると「destroyer」はヒットしなかったので「frigate」になっているのかな。「frigate」なら作中の時代でも存在した艦種なので、日本語翻訳の時点でややこしくなったのかもしれない。
◆ルーマニア大公の変態っぷりがいい。男オーランドーを気に入って女装してきたけど、その後どうするつもりだったんだ(笑)。オーランドーが女になったから求婚できたけど。

<参加者A(推薦者)>
◆割といろんな意味でハチャメチャな作品。ここに書かれている歴史は、ナーロッパ(「小説家になろう」などで舞台となることが多い、日本人のイメージ上のヨーロッパ)みたいなものなので、あまり気にしなくて大丈夫(笑)。
時々ネットに上がっている中国の抗日ドラマみたいな感じで、ふわっとしている。歴史でデコレートしているだけ。最初「うっ」てなった。良くも悪くもちゃんとしていない。
作中にインチキ写真みたいなのもある。ウルフは書き手としていろいろ試行錯誤していた人なので、箸休めとしてこういう作品も書いていたのかな。
◆最初、セミコロンの話をしたが、西洋の言葉のシステム的なバグを突こうとしているところがある(翻訳になるとあやふやになるが)。
何の説明もなく性別が変わる。決め事として「he」から「she」へと代名詞を変えると説明している。日本語であればごまかせる。日本語は主語を抜けるし、代名詞も使えるが、英語ではそれができない。「it」は人権がないからまずいし、固有名詞が続くと子どもっぽい文章になってしまう。必ず「he」か「she」に割り振らなくてはならない。
作者も主人公も、言葉に収まりきらないことを追及している。書きにくいことを言語化しようとしている、そういう面に置いて個人的に面白い。手の込んだ伝記もどきとして、とんでもを楽しむ作品。
◆原文も女性言葉なのか、という件について。英語はオーランドーを指す代名詞が変わるだけで、とくに口調は変わらない。英語テキストは会話文か続くと「これ誰の台詞だっけ」ということがナチュラルに起こる。
ラノベで巧いなと思うのが、キャラクターが変わった語尾で喋るから、そのキャラの台詞だとわかるようになっているところ。英語だと額面上、区別がなくてのっぺりしている。
B:日本の小説でよく見る女性言葉も現実ではあまり聞かないですね。あれは登場人物を区別するために書いてるんだと思ってる(笑)。

D:P229「オーランドー!」船が見えた時の言及が、タイトル回収かと思った。
A:読み返すと、船のシーン、風景の描写が思ったより長かった。退屈に感じる人もいるんじゃないかな。
個人的には、人物を描かずに風景のディテールを語るのは好きだが、今だと禁じ手なんですよね。
B:今の小説は、情景描写もそこそこに、ぽんぽんストーリーが進みますね。

<フリートーク>
【作品の背景】
C:この作品を読むにあたって、ウルフのWikipediaを見ないと、何を描いたのかわかりづらい。設定も突飛で、360年生きた両性具有の主人公。「笑いにみちた」をあるが、笑いどころがわからない。そういう意味では、込み入った内容ではないが難しい。
B:最近、フラナリー・オコナー『賢い血』(ちくま文庫)を読んだんですが、コメディとあったけど、それも笑いどころがわからなかった。
『オーランドー』にしても『賢い血』にしても、作者の背景とか解釈抜きにして、作品世界そのものを楽しむ能力がほしいと思った。
A:『オーランドー』に関しては、内輪ネタみたいなのも多い。エリザベス朝の話とか、シェイクスピアの話とか、イギリスの教科書に載っている人物の裏側を、若干の笑いを含めつつ書いている(教科書の落書きみたいなイメージ)。ご当地ではわかるけど解説なしでは辛い。
あと、インチキなルーマニア人やロシア人が出てきたり(イギリス人からするとルーマニアやロシアはヨーロッパの外れの辺境の地)。
B:『翔んで埼玉』(魔夜峰央の漫画)みたいな?
A:そんな感じ。イギリス人が知らない東ヨーロッパとか、世間的に浸透した偏見が垣間見られる。
第三章のエピソードにしても、ウルフが関わった「偽エチオピア皇帝事件」(学生たちやウルフが、エチオピア王族の振りをして戦艦に乗り込んだ事件)が元になっている。エチオピアの王族のコスプレをして内輪で盛り上がっていた。
B:外国人がイメージする日本が舞台となっている『ニンジャスレイヤー』(ブラッドレー・ボンド、フィリップ・ニンジャ・モーゼズ著)とか、どうだろう(笑)。

【イギリスの同性愛について】
C:イギリスって百合ですか?
A:逆はあります。大学と軍隊で覚える。オックスフォードで先輩が後輩に教えるみたいな。ちなみにウルフが生きていた時代では、同性愛が発覚したら捕まります。捕まらなくても、まともではいられない。
D:イギリスでは、第二次世界大戦のころコンピューター開発に関わっていたアラン・チューリングも逮捕されていた。
A:当時、同性愛は精神的な病として扱われていたり、処罰の対象だった。また、同性愛を防止するために教育機関で軍隊的な規律を作った。トーマス・アーノルドのラグビー・スクールとか。
C:逆効果にならないんですか?
A:なるんですけども。
C:ラグビーだと競技を通して関係が深まっていきそう。
B:それは男性同士でマウントを取る感じではなく?
A:マウントというか仕込まれます。軍隊式に、声の出し方とか脚の動かし方とか。最初はお客さん扱いだけど、だんだん死にそうになるまで練習させられるようになる。
ラグビー・スクールではないけれど、私の似たような経験では、1600(ヒトロクマルマル ※16時)に集合、ペアとずっと一緒に作業しろ……みたいに仕込まれる。その状態が普通であるようにさせる。脱走者が出るから、24時間、見張り合ったり。
Brotherhoodという言葉がありますよね。同じ班などで固まるから、そこでも共通事項が癖になる。そこから派生している。

【イギリス社会の中の女性】
A:19世紀から20世紀前半のイギリスでは、女性が結婚するとファーストネームが(法的には消えていないが、世間から見ると)消えた。
例えばシャーロット・ルーカスという女性がいたとして、ジェイク・ジョンソンという男性と結婚したら、ミセス・ジェイク・ジョンソンと、夫の姓名にミセスをつけて呼ばれることになる。『オーランドー』では、直接的ではないが、そういうものの皮肉っている。
B:オーランドーは、女性になって結婚しても、ずっとオーランドーのままですね。家も継承できている。
A:継承できている。その時点での、はっきりした名前が出てこない。
オーランドーは明らかに男性名。社会的な性を曖昧模糊にしている。どうあっても私は変わりませんよ、という意思表示。
また、男性であっても女性であっても性の対象になっている。
B:作家の桜庭一樹は『オーランドー』がすごく好き、とインタビューで語っていたが(※)、そういえば桜庭一樹の『GOSICK -ゴシック-』(角川文庫)に登場する美少女・ヴィクトリカも男性名ですね。
※WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第54回
 https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi54.html
A:言われてみると、ヴィクトリカのお母さんがオーランドーっぽい。ヴィクトリカ母の恋愛とか描写に通じるものがある。
あと、作品内で時系列がぽんぽん飛んで、最後に第二次世界大戦後の日本に戻ってくる。そこもちょっとだけ通じるのかな。
あとは、同列に語られることが多い、ウルフの『自分ひとりの部屋』(平凡社ライブラリー)。エッセイかと思いきや、エッセイとルポを混ぜたようなメタ小説(『オーランドー』といい、メタっぽいのを書きたかった人なのかな)。思想の自己表現になっているところはあるが、フィクションを通して文芸批評をしている散文。『オーランドー』と同じような脈絡のなさ、変なテンポが共通している。
ちなみに、『自分ひとりの部屋』は、(文章に)なかなかピリオドが来ません(笑)。SVで始めて、関係代名詞を挟んで、セミコロンで文章が続いて……。
『オーランドー』は、文章のテンポいいなって感じる。
ただ、ひどいのだと、「私は」にコンマ(I,)→関係代名詞(who)→サブセンテンス、忘れたころに本動詞のbe動詞amがきたり。ヴィクトリア朝の時代によくある複雑な古臭い文体が見られる。

【集団の社会的な立ち位置とフィクションでの描かれ方】
B:訳の影響とかもあるんでしょうか? X(旧Twitter)で、「翻訳ものは訳者の二次創作だと感じる」みたいな感じの呟きが流れてきて。訳でだいぶニュアンス変わりますよね。
絵本の『おおきな木』(シェル・シルヴァスタイン著)、現在出ているもので村上春樹が「(幸せに・・・)なんてなれませんよね」って訳している部分、私が子どものころ読んだ本田錦一郎の訳では、「木はそれでうれしかった・・・だけど それは ほんとかな」だった。私は本田錦一郎の訳のほうが好き。
A:訳の影響は大きいでしょうね。『オーランドー』に関しても、作中に出てくる時代について読者が知っている前提で書かれている。知識がないと辛い。訳者、編集者泣かせではある。
「エリザベス朝」というと、日本で育った我々が聞いてもピンとこないが、イギリスでは教科書に登場し、皆知っている。シェイクスピアときたらベンジャミン・ジョンソン、みたいな暗黙の了解が前提とされるから、本を作る苦労は察して余りある。
あと、トルコ人やジプシーも私たちはピンときづらい。イギリスでは「文明化されていない野蛮人」「肌が黒い人」という印象を持たれている。それでいてあまり知らないから、作品では適当に扱ったり、逆に美化した偏見で扱われる。『オーランドー』でも、オーランドーが女性になったあとジプシーと交流する場面がある。社会の中ではなく周辺にいる人と交流し、社会へ帰っていく。ジプシーは異物的な考えを持ち込む人、外の人――いわゆる外人の扱い。
B:えっと……「身近にいないからよく知らないけどアウトサイダーでありフィクション内で美化される存在」といえば……現代の日本だとヤクザや暴走族ですか?
A:それに近い。実際に見る機会がないから、やんちゃな人たちの描写がファンタジーに寄っている。最近の若い子は特攻服を見たことがあるんだろうか。
B:昔の日本でいうと東夷になるのかな。
A:オスマン帝国、アラブ人、ユダヤ人……当時のイギリス人にとって、わりと身近な文明の外の人だった。
B:日本人が作るフィクションでもステレオタイプのロシア人など登場しますよね。
A:ミステリアスに描く。妄想なので本物とは違うね、ってなる。アニメや漫画でもロシア人が出てくるけど、ロシア語のスペルが間違っていたりする。なお、ロシアに銀髪の人は多くないです。ウラジオストクとか、住んでいるのは西洋系の人だけではなかったりする。
ヨーロッパも金髪碧眼の人は少ない(北欧は多いかな)。スペインまでいくと、我々の持つ「白人」のイメージとは違ってくるし。

【ウルフが描きたかったもの】
B:『オーランドー』は、わざととんでもにしている?
A:わざととんでもにしてます。ウルフの旧姓はスティーヴン。父であるレズリー・スティーヴンは超大手出版社の編集者で、大作家を世に出した人だから(有名人の伝記を網羅している辞書の責任編集)、家に作家がたくさん遊びに来る。実家が岩波書店みたいなイメージ。
また、ウルフが参加していたブルームズベリー・グループで有名なのは作家のE・M・フォースター、経済学のケインズなど。ウルフはサークルの姫みたいな感じで楽しんでいた。
その口でこんなことを言っている。「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」。
イギリスにおいて女性作家の活動が目立つようになったのは18~19世紀だが、ジョージ・エリオット(本名 メアリー・アン・エヴァンズ)や、匿名で『フランケンシュタイン』を出版したメアリー・シェリーのように、男性名や匿名で発表していた。
B:そういえば、ヨーロッパでは『源氏物語』について、千年前に女性が書いた小説が残っているのはすごい、って思われるみたいですね。
A:ヨーロッパの古い時代にも女性作家はいるらしいが記録に残っていないから、記録に残っているのは尊く思える。
ウルフの時代、ぎりぎりフェミニズム的なムーブメントはあったけれど彼女はそれに参加していない。街頭での女性運動ではなく、文章表現で男女が割り振られていることに対して挑戦をした人。英語で男性への敬称が「Mr」だけなのに対し、女性は「Miss」「Mrs」の2つがある。
B:最近は「Ms」を使うことも多いですかね。
D:呼びかけといえば、私(男性なのに)「お母さん」って言われたことあります(笑)。
B:役割が呼びかけになってますね。私もありますが……お前を生んだ覚えはない、って思う(笑)。
A:ベトナムやタイでも、自分の年から見て父親の世代くらいの人を「お父さん」と呼んだりする。

【同じ手法が見られる作品】
B:芥川賞受賞作を別の読書会で取り上げたんですが、文章の途中で、行空きもなく、ぬるっと時代が変わる作品だった。その手法が、ウルフをモチーフとした映画「めぐりあう時間たち」(2002年/アメリカ)のようだという話が出た。映画も、ウルフの作品を意識して、ぬるっと時代が変わる手法を使ったのだろうか(私は映画観てませんが)。
ウルフは、そういう書き方をする作家なんですね。
A:読んでいて心地よさがある。バグも出やすいんですが。ウルフの作品では『オーランドー』はまだ読みやすいほう。
時系列がめちゃくちゃで、流れるようにぬるっと変わる作品というと『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス/新潮文庫)は、まさに典型。作品の系譜として、直接的に直系というわけではないんですが。

A:最近、翻訳された本が高くて。遠くであればあるほど高い。4,800円とか。一生、訳本が出ないと思ってたから買うけれども。
D:翻訳もの、あまり読まないですね。作品が面白いのか、翻訳が面白いのかわからないし。これからはAIが翻訳したりするのかな。

『ブギーポップは笑わない』上遠野浩平(電撃文庫)

Zoom読書会 2026.07.25
【テキスト】『ブギーポップは笑わない』上遠野浩平(電撃文庫)
【参加人数】出席5名
※今回はLINE通話を利用しました。

D:タイトルは知っていたけど初めて読んだ。シリーズの第1作目なんですよね? 皆さんは続きを読まれてますか?
A:9巻くらいまで読んだ。
E:途中までとんとん拍子で続きが出て、止まって、まだ続いている。電撃文庫では殿堂入り的な作品。

<推薦の理由(参加者A)>
◆ライトノベルを語るとき「ブギーポップ以降」「ブギーポップ以前」と言われるほど、業界に大きな影響を与えた重要なテキストなので推薦に足ると思った。今の時代に読むと類型的に感じるかもしれないが、技巧についても語るに足る作品。
◆Kindleのセールの際に購入し、積んでいた。刊行された当時に持っていた本は引っ越しなどでどこかへ行ってしまった。
E:どこかへ行くんですよね、あれ(笑)。

<参加者B>
◆息子が持っていたんじゃないかと探したが、無かったので買った。歴史的な名作らしいので持っていてもいいかな、と。
◆今日の昼過ぎから読み始めたので、理解できていないかもしれない。飛ばし読みだから、ついていけていないところがある。
登場人物が多く、似たような人物も多い。入れ替わっていたのかとか、場面とともに視点人物も変わっていたのかとか、読んでいるうちにわかってくるが、心して読み始めないとなかなか手強い。エピソード自体は頭に入る。
◆読みながら思ったのは「ブギーポップはいつ出てくるのか?」。凪も言っていたが、もっと早く登場してほしかった。このキャラクターが作品中で重みを持っているのか伝わってこなかった。
また、凪は中心人物だが、彼女が役割を果たしているのかわからない。小説的な読み方だが。まだ入り込めていない。
◆時系列をわざと崩したり、ばらばらにしている。手法として使っているのかもしれないが。カットバック効果はあるものの使いすぎ。ラノベってそういうものなのかもしれないけれど、ちょっと疲れる。
◆たぶん大体の流れは掴めたので、読み直すと新たな発見が出てくるのではと思うが、読み直す気持ちがあるかないかわからない。

<参加者C>
◆二面性の物語で、噂話や怪奇事件としての猟奇的面白さがある。口裂け女とか終末論とか猟奇殺人事件とか、当時の面妖な空気を思い出した。
日常と非日常、人間の表の姿と裏の姿が交錯するストーリーは絶妙だった。
◆ヒーローもの? でありながら、戦闘シーンは非常に少ない。
序盤で事件が解決していることが明言されており、その経緯が、未来と過去の時系列から明かされ、また、ブギーポップ、魔女、マンティコア、エコーズといったキャラクターが深掘りされていく、独特なストーリーラインだと感じた。
◆凪の綽名「炎の魔女」は、クリムゾン・キングの宮殿から取ったんだろうか。作者は音楽好きそう。「ブギーポップ」はブギウギっぽいし、「エコーズ」は『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦による漫画)にも出てきたし(※登場人物の使用する特殊能力の名称に海外バンド名が使われている)、「マンティコア」はマンティコア・レコード(イギリスのレコードレーベル)からか。
◆平穏な学生生活、それでも確かに偏在しているちょっと退廃的な雰囲気や、一巻の時点では設定が明らかにならない、あるいはぶん投げている感じは、ポスト・エヴァを強く思わせる。
◆ブギーポップの、ゼロ年代以降の伝奇ジュブナイルのスタイルを確立させた功績は大きい。
意味ありげな噂、謎の結社の陰謀、中二病的キャラクターの凪だとか、すかしたネーミング、マンティコアやエコーズなど、今読み直すと時代の流れを感じるが、10代のころに抱いていた非日常への憧憬や希求を呼び起こされた。あのころは、こういう作品が本当にカッコよく感じた。
個人的に、ラノベはこの年代がピークだったように思う。

<参加者D>
◆セカイ系の作品になるのかな? 私が好きな感じの設定だけど、年を取ったせいか、思ったより入り込めなくて悔しかった。
昔は、登場人物たちが何と戦っているのか、何で戦っているのかわからなくても気にならなかったが、今はちゃんと作品世界の社会を把握したいと思ってしまう。世界と主人公がダイレクトに繋がっているんじゃなくて、その間にあるものを見たいという欲求が、自分の中で強くなったように感じる。もしかしたら、昔好きだった作品たちを読み返すと、違和感を感じてしまうかもしれない。
◆ブギーポップシリーズから影響を受けた作家は多いらしい。私が20年ほど前にハマっていた西尾維新もその一人のようだ。そう思って読んでみると、凪は、西尾維新シリーズに登場する哀川潤に似ていると感じた。
◆一つの事件をいろいろな登場人物の視点から見る作りは結構好き。ほとんどライトノベルを読んでいないのですが『バッカーノ!』(成田良悟/電撃文庫)もそうでしたっけ? そちらも読んだのは20年くらい前ですけれど。

<参加者E>
◆本がどこかへ行ってしまったので記憶頼りになるのですが……。初めて読んだのは高校2年生くらいのころ。当時、深夜にあった声優の宣伝枠でしきりにメディアワークスを売っていた。思い出補正もあるかもしれないが「ぼくは自動的なんだよ」というのが強烈に印象に残っている。当時はセカイ系という言葉がなかったのでライトノベルとして消費していた。友人と「いつかアニメになるんだよな」と話していた記憶がある。
◆複数回アニメ化されており(2000年、2019年)、作品によって異なるアプローチがなされていた。また、アニメ化と同じ時期に実写映画が公開された。
◆当時ラノベにしては文章の密度が濃い。
◆ブギーポップは、ぽつぽつとしか登場していないのでそこまでインパクトがない。強烈に印象に残っているのが、早乙女とマンティコアのやり取りで、そこがメインプロットだったのだろう。
◆学校という空間、社会という空間から、ややはみ出した、バイオレンスな、歪な恋愛関係というイメージがあってよかった。当時としては破格のものだったのかな、と思う。今だったら西尾維新が得意なんだろうな。
◆当時は、心理学というか心理分析、内面の心理描写を強調するのが流行っていた印象がある。アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送が95~96年だから、『ブギーポップ』も、ほぼ同時代のカルチャーの産物。
二重人格、集合意識から出てくるもの、都市伝説……そういうカルチャーから出てきたものをオタク仲間で楽しめる、通好みの作品だった。高校時代、一緒に盛り上がっていた友人の進路に影響したりもした。
◆作者の上遠野浩平は『ジョジョの奇妙な冒険』のノベライズも何作か書いている。『恥知らずのパープルヘイズ ―ジョジョの奇妙な冒険より―』(JUMP j BOOKS)など。

<参加者A(推薦者)>
◆10代の終わりに表紙を見て買って、完璧な作品だと思った。今読み返したら90年代だな、やっぱりデビュー作だなという印象は受けた。
でもデビュー作でこれってすごい。電撃小説大賞を取るための工夫がなされている。
◆息苦しいけれども、まだ社会を見なくてもいい少年少女たちの間に異物が入ってくる。この時代の作品らしい。
◆こんなに登場人物が死んでいたんだと思った。胸糞の悪さは残る。大人になって苦みに弱くなったのかもしれない。
◆ブギーポップに影響を受けて、似たような作りの作品が多く書かれたせいで手垢がついたというか、今読むと気恥ずかしさがある。
◆Bさんが仰られたように、確かにブギーポップが薄い。凪と早乙女とマンティコアがいれば話が成り立つ。

<フリートーク>
C:有名な作品なので教養として1巻を読んだが続きは読んでいない。
E:私は4冊くらい読んだ。1話完結の話が多い。炎の魔女の話があったり。いろいろな怪人が出てきて、登場人物たちと絡む。
A:私は9巻くらいまで読みました。すごく悪い機関がある。
E:ブギーポップはバグ取りのバランサーのような存在。
C:ブギーポップは他の人間にも憑依するんですか?
E:この女の子(宮下藤花)だけ。全部は読んでないが。声優さんが固定でないと困るという事情もあるのでは……。
A:私が読んだあたりでは別の人物に乗り替わったりしていた。
C:この作品では1つの街が舞台になっている。『木更津キャッツアイ』(2002年放送のテレビドラマ。宮藤官九郎原作)や『池袋ウエストゲートパーク』(石田衣良/文春文庫)にも影響を与えた?
A:石田衣良はストリート畑のような気がする。時代的にあんな感じの(『池袋ウエストゲートパーク』に出てくるような)若者が多かったのでは。若者コミュニティが問題を自分で解決する、みたいな。
『池袋ウエストゲートパーク』も好きなんですが、言われてみたら私が好む共通点があるのかも。
C:ドラマもスタイリッシュでしたね。

【作中で描かれる時代/ライトノベルの系譜】
A:作中で少しずつ時間が進んでいっている。
今思うと雰囲気小説だった気はしますね。
C:現代ってスマホで何でも見たり調べたりできるけど、この当時はアナログな噂が蔓延していた。いろいろなことが詳らかにされている今とは違う。
E:『ブギーポップは笑わない』が出た1998年頃はまだインターネットが普及していなかった気がします。持っているのはポケベルで、数字を暗号にしてやり取りしていた時代。携帯電話を所有しているのは懐に余裕のある人だけだった。
B:1998年でしょ? その2年前にWindows 95が出て、一般家庭にも普及し始めたのでは。
A:私は2001年にPHSを持ち始めて、そのあとJ-PHONEに乗り換えた。
B:90年代は仕事で携帯電話を持たされていたなぁ。

E:マンティコアの捕食シーンはアニメや映画でも描かれていたが、当時でも今でもそこはかとなくエロいなと思う。ギリギリ電撃に載せられるラインという感じ。
A:エロ担当マンティコアですね(ブギーポップや凪は、硬派めに造形されている)。
今となっては、そういう消費のされ方をするキャラがいるからフラットに読み返すのが難しい。
D:西尾維新作品で言うとキスショット(講談社BOX刊『物語シリーズ』の登場人物)みたいなイメージですか?
A:ゼロ年代の作家で影響を受けた人は多いと思う。
C:『バッカーノ!』とか『デュラララ!!』(いずれも成田良悟/電撃文庫)とかも群像劇ですね。成田良悟はタランティーノ映画が好きという印象があったが。
A:電撃小説大賞を受賞した作品は、どうしても意識されますよね。
上遠野浩平、作家として息が長い。色々なレーベルで書いている。小難しい空気感があって手が伸びないけれど、数冊は読んだ。『殺竜事件: a case of dragonslayer』(講談社ノベルス)もファンタジーを混ぜて、西尾維新的なアクロバティックな着地を見せている。
E:表紙はそこまでライトノベルっぽくないフラットな感じですね。
A:今までの人生で何回か「(ブギーポップシリーズは)まだ続いていたんだ」という気づきがあった。あんなに好きだったのに追ってねーな、という。
C:私も『キノの旅 -the Beautiful World-』(時雨沢恵一/電撃文庫)、好きだったのに追ってねーな、ってなります。
E:『ブギーポップ』がアレゴリーになったら『キノの旅』なのかな。『ブギーポップ』読んでる人は『キノの旅』も読んでる。
C:『キノの旅』は読みやすかった。短編で、読んでいけるという感じがあった。
E:『キノの旅』も2回、テレビアニメ化されていますね。
A:本当にライトなライトノベルである『スレイヤーズ』(神坂一/富士見ファンタジア文庫)、あかほりさとる作品などに対して、『ブギーポップ』や『キノの旅』は硬めの系譜。

【短編を組み合わせて長編を作る技巧/ライトノベルの変遷】
A:技巧としては、短編に見せかけ、話が繋がっている。周辺を掠めることで何となく語る、みたいな。短編ではない。結局、長編なんですよね。揃うと、電撃小説大賞を獲る作品になる。
E:(作中の)全員の話を読んだら何が起こったかわかる、という技法は普通の小説でも使われている。私が取り扱っているアメリカの古い小説でもあった。『ワインズバーグ、オハイオ』(シャーウッド・アンダーソン/新潮文庫 ※1919年発表)とか。ライトノベルだと『バッカーノ!』もそうですね。
D:現代の一般文芸だと……私が最近読んだものでは、『人魚の肉』(木下昌輝/文春文庫)もそんな感じだったと思います。
A:読書会で取り上げた作品だと『N』(道尾秀介/集英社文庫)がありましたね。
C:『N』は短編をバラバラで読んだだけという感じ。
A:繋げたときに筋が見えてくるのが電撃なのかな。本質はストーリーテリングにある。
E:95~96年のライトノベルで、こういう感じの現代劇は主流ではなかった。水野良の『ロードス島戦記』(安田均原案/角川文庫→角川スニーカー文庫)とか、神坂一『スレイヤーズ』など、猫も杓子もファンタジーだったので、新しいコンテンツが出てきたという印象。
少し後には『撲殺天使ドクロちゃん』(おかゆまさき/電撃文庫 ※2003年~2007年)とか。
C:ラノベ=ラブコメになった印象。
D:『涼宮ハルヒシリーズ』(谷川流/角川スニーカー文庫 ※2003年~)はどうですか? 例のごとく、私は通ってきてないですが……。
E:まだ新しい気がする……。おじさんだから(笑)。作者の谷川流は、第8回スニーカー大賞受賞作『涼宮ハルヒの憂鬱』と、電撃文庫『学校を出よう!』の同日発売でデビューしたんですっけ。
C:当時、ライトノベルは女の子が表紙だから恥ずかしくて買えなかった(笑)。
A:私は新刊では買わない勢でした(笑)。
E:『乃木坂春香の秘密』(五十嵐雄策/電撃文庫 ※2004年~2012年)とか露骨でしたね。オタクであることを隠すヒロインでは一番古いんじゃないかな。
A:電撃文庫は翻訳ものもありましたね。
E:初期の初期に「ダンジョンズ&ドラゴンズ」シリーズとか出てた。
私は、最近ライトノベルが読めなくなっている。読む前に、その設定はもうだめだろ、っていうのが結構あって。
A:キャラ小説の側面があって、こってりしたキャラ立てを始められると、ウッとなる。
E:露悪的なヒーローが出てくるというものを読んだけど、シンプルに悪人じゃねーか、となったり。その代わり、スピード感はめちゃくちゃあった。プロセスを吹っ飛ばしていて。ショート動画みたいな感じ。
A:1ページごとにドーパミン出ないと読者が読んでくれないですからね。
E:漫画の文法が今と昔で違うようなものだと思うようにしている。近年、「スピード感が遅い」といって漫画を読めない人がいる。
A:ショート動画が基準になった。スマホで読書してると2ページくらいで戻ってしまう。ライトノベルが言うほどライトじゃない時代になってしまった。
E:電撃文庫で、がっつりエロ小説ありましたね。ストーリー上、必要ではあったけど、「電撃でここまで」のラインをぶち抜いた。
A:もう青少年はあまり読まないんでしょうね。

【作品中に表れる時代/時代に伴う作品の扱いの変化】
E:電撃文庫は現在のライト文芸に近かった。今じゃライトノベルのアドバンストバージョンになっちゃう。だいぶラインナップが変わっていますよ。私が買えるものが減っている(笑)。読むほうが年を取ったのかもしれないが。作中に、オンラインとか配信とか当然のように出てくる。また、商品のロゴがそのまま登場したり、絵文字を使ったり。「ω」マークも出てくるし、ネットスラングを知っている前提になっている。
対して、上遠野浩平は今でも硬派ですね。
A:ネットスラングとか流行りのものを取り入れると、何年か経ったら読みにくくなる。
――上遠野浩平、すごく書いているのになぜ私は読まないのか。たぶん忠誠心の高いファンが支えているんでしょうね。
C:奈須きのことか、熱心なファンがいて長いコンテンツになっているイメージ。
A:どちらもダークよりで、後ろにすごい背景がありそうなコンテンツですね。『ブギーポップ』は世界系という感じはしなかった。セカイ系だと『イリヤの空、UFOの夏』(秋山瑞人/電撃文庫)とか。
E:『最終兵器彼女』(高橋しんによる漫画)がわかりやすいボーダーラインかな。
A:あれは日常の中でいきなり爆撃が始まってギャグっぽさがある。最終的にセカイ系ど真ん中。
E:持ってたけど、あの年代の漫画、引っ越しで行方不明になるんですよね……。
A:2巻だけある(笑)。
D:全巻所持(笑)。『最終兵器彼女』は、2人で逃げるところが一番素敵なんですよ。戦争からも政府からも少しの間だけ離れて、2人で暮らしているところがすごくいい。
今読み返したら感想変わってるかもだけど……。エヴァも、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でけりが付いてしまったし……。
E:私はあれ納得してません(笑)。25年引っ張ってあれかと、と。
A:でもまた作るんじゃないですかね(笑)。
E:『エヴァンゲリオン』は90年代後半、高校の教室で話題にしてよかったギリギリのラインだった。95年の時点ではまだだめだったけど(笑)。
A:『BSマンガ夜話』で取り上げられたりして一般的になってきましたね。
わが秋田県では放送されなかった。隣の岩手県から飛んでくる細い電波が入る家に集まって観ていました。いい時代でしたね。
E:なお、私は95年に15歳でした。
A:私は少し下の世代ですね。95年は世相的には暗いんですが、今から見ると、暗いながらも明るさがあった時代。お化け屋敷を歩くような感覚を、このころの作品は上手く取り入れている気がします。
C:90年代は暗さの中にも熱気があった気がする。がんがんお金を使っていた。
A:企業も金回りよかったですし。(作中で)危機に陥ったら女の子を連れて逃げる。今は異世界に転生するんですよ(笑)。
E:週刊少年マガジンの『MMR マガジンミステリー調査班』が現役でしたね。今はミームになっちゃった(笑)。

D:『シン・エヴァンゲリオン』から、もう5年になるのか……。
A:パチンコのせいでヤンキー層にも浸透した。喜んでいいのか、悲しんでいいのか(笑)。
パチンコから知られるアニメの走りですね。エヴァが当たったから「アニメいけるじゃん」となって、『宇宙戦艦ヤマト』とか古いアニメも続いた。

【雑談/まとめ】
E:AIに「こんなSF漫画を探して」と言うと、「ダウンロードしておきます」と返ってきた(笑)。
A:SFみがあっていいですね(笑)。

E:平成女児って昭和生まれじゃないの、って思う。年号で分けるのは微妙。昭和だと戦中とかも入るし。
A:私は、もっと上の世代のオタ活に憧れがある。ガンダムで満たされながら、黎明期のコミケに参加して。
E:「オタク」って言葉がないころは「熱心なファン」って呼んでいた。
D:もともと「オタク」って蔑称でしたよね?
E:そこ語ると話逸れすぎるので(笑)。
ともあれ、電撃、スニーカー、富士見ファンタジアは大切にしたレーベル。
A:私の読書体験の半分くらいは、高校時代に読み漁ったそのあたりの作品ですね。

『国宝』吉田修一(朝日文庫)

R読書会 2026.07.04
【テキスト】『国宝』吉田修一(朝日文庫)
【出席人数】6名
※オンラインでなく対面形式でした。

F:皆さん、映画は観られました? 私は観ていなくて。読書会までに観たいと思っていたんですが、3時間近く(175分)ある作品なので気力が湧いてこず……。
G:観た。ストーリーも登場人物の扱いも、小説と全然違う。小説を読んでから映画を観ると、どうしてそうなるのって、びっくりするはず。
E:一昨日、映画館で観た。大画面で観たかったので、新幹線に乗って、まだ上映している名古屋まで行ったが劇場が小さかった。もう、日本で3劇場しかやってません(笑)。
C:私は映画の『国宝』を観る前に、喜久雄役の吉沢亮主演『ババンババンバンバンパイア』を観たんですが、それがすごいコメディーなんですよ。お腹を抱えて笑った。その1週間後に『国宝』を観たらギャップがすごくて面白かったです(笑)。
F:バンパイアなら「俊ぼんの血ぃ飲みたい」が別の意味になりますね(笑)。
D:私は先に映画を観てから読んだ……というかオーディオブックで聴きました。(文字で読んでいなくて)ごめんなさい!(笑)。
G:オーディオブック、すごくいい。尾上菊之助(現・八代目 尾上菊五郎)が上手で惹きこまれる。
D:テキストの歌舞伎が書かれている部分は全部、歌舞伎として読んでくれるから、劇場にいるみたいで聴きごたえがある。謡いのところも節がついていて。
G:『国宝』の映画の大ヒットが、歌舞伎界全体の追い風になったと歌舞伎俳優が喜んでいた。公演にお客さんがいっぱい入ったりして。
ところで岡山の人はどこへ歌舞伎を観に行くの?
A:香川・琴平の旧金毘羅大芝居(金丸座)や、大阪・道頓堀の大阪松竹座や……大阪松竹座は今年、閉館したんですよね。
D:私は金毘羅で狐が出てくる演目を観た。同じ演目を京都でも観たが、金毘羅の劇場のほうがすぐ傍で観れるから臨場感があってよかった。

<推薦の理由(参加者A)>
吉田修一の作品というと、この読書会で『怒り』(中公文庫)を取り上げたことがあり、またやるのもどうかなぁという気持ちもあったが、新しいメンバーが加わったし、話題作でもあるので推薦した。
これが正解、というのはないので、感じたままのご感想を伺えればと思う。

<参加者B(欠席。事前提出の感想より)>
元来、私は歌舞伎にも役者にも関心が持てなかった。今回、作者の創作意図を知りたくて、無理をして4日間で上下巻を読み切った。映画の反響が凄まじく、批判めいたことは言いづらいので、作者の狙いや作品の解釈は一切抜きにして個人の感想を述べる。
以下の6名が本作の本流だと思う。
①立花権五郎 ②小野川万菊 ③早川徳次 ④吾妻千五郎 ⑤吾妻彰子 ⑥弁天
主人公はじめ、その他の人々は本流に巻き込まれて翻弄された。その差はたった一言、「覚悟」の有無です。
父を殺した辻村を許した喜久雄。その真相を知っていた二代目 花井半二郎。この二人の覚悟が、家族を犠牲にしても己一人、歌舞伎界において一花咲かせたいという俗塵でしかないのは万菊の生き様を見ればわかる。
市井にいてどこ吹く風と立派に生きているのは弁天である。徳次の真骨頂は喜久雄の卑怯が許せなかった一点にある。吾妻父娘は歌舞伎界にあって任侠の人であった。

<参加者C>
◆私は映画を観てから小説を読んだ。そうすると映画はダイジェストであったように感じた。また、映画と小説でラストが違っていて驚いた。
◆私はエンタメのほうが好きなので、(エンタメらしく)さらっと読めてよかった。事前に映画を観ていたので入りやすかったのかも。
◆出だしがすごい。「その年の正月、長崎は珍しく大雪となり……」という文章を読んだだけで情景がわかる。それが本当にすごいと思った。
◆「~でございました」とか「~しております」という文体で、『悪人』(朝日文庫)など、ほかの吉田修一の作品とはまったく印象が異なる。昭和のアナウンサーに似ていて昔のニュースを観ているような感じもするし、また、実はリアルじゃなくて物語全体が劇だったのでは……みたいな感覚もあった。読者の判断に委ねます、という書き方ではなく、作者自身がそう持っていっている感じがした。
◆よく調べているなぁ。下巻の巻末に参考資料一覧が出てきて、この作品を書こうとしたらこれだけ調べなくてはならないんだと愕然とした。
戦後すぐ、昭和の終わり、平成……それぞれの雰囲気で書かれており、時代の流れを文章で表現できているのもすごい。
◆書き終わり――締めはあまり好きではない。こうやって終わるんだ、と思って。雪で始まったから、強引に雪で終わらせたような気がした。
◆私はあまり歌舞伎を知らないので、歌舞伎の世界はこんな感じなのかと思った。

<参加者D>
◆私はオーディオブックで聴いてしまったので全然文字で読んでなくて。というのも、聴いたあと、作品を活字で見たとき「~でございます」という文体に違和感を覚えてしまって。聴いているときはまったく抵抗がなかったのに。オーディオブックは、本物の歌舞伎役者が語るものだから、まるでお芝居の中にいるように聴けたし、歌舞伎もお芝居の中のお芝居みたいな形で楽しめたが、文章で読むのは大変だろうなと思った。
せっかく活字の本を借りてきたので後から読もうと思うが、聴いたほうが面白いかも。
◆喜久雄が10代の頃から亡くなるまでを描いた非常に長い物語なので登場人物も多い。読むのではなく聴いたので、固有名詞は覚えられなかった(私は目で覚えるタイプのようだ)。だけど人物像は立ち上がってきて記憶に残っている。最初から登場していた徳次が途中いなくなり、最後に再登場したとき「やっと帰ってきた」という感覚があったので、人物の立ち上げ方がすごく上手だったんだと思う。
◆一番印象に残ったのは、喜久雄の舞台に客が上がってくる場面。それを契機に、少し前から不安定になっていた喜久雄は崩れていく。客が舞台に上がってくる場面は聴いていて衝撃的で。現在の劇場はしっかり警備がついているけれど、昔はそうじゃなかった。この作品を読む(聴く)前後にたまたま『ハムネット』(2025年、イギリス)という映画を観た。シェイクスピアの妻を軸にした話なのだが、劇が演じられている場面で観客が押し寄せてくるシーンがある。観客が劇に感情移入して、舞台に手を差し延べる。『ハムネット』ではポジティブな捉え方をされていたのだけど、舞台に手を乗せるということは結界が崩されるということなんだと感じた。
舞台って観客席より1メートルほど高いだけで、日本人であれ、シェイクスピアの時代のイギリス人であれ、踏み込んではいけない場所であるという認識は人類共通なのか。そして、それを乗り越えてしまう人間が出てしまう。偶然、同じ時期に観た『ハムネット』が『国宝』の場面とリンクした。

<参加者E>
私は耳で聴きながら、同時に活字で読んだ。

[事前のレジュメより]
達人は孤独?
 読んだ後に、吉田修一の別の作品が読みたくなり『悪人』を読みました。DVDも視聴。因みに『国宝』も劇場で観ました@名古屋。なので感想も二つが混ざっております。

①読み易い。すんなり読める。これは凄いと思いました。

②ただし一部の会話に「? ここまで考えてる?」と思った。心境の説明に、それは考えすぎやろと感じるところがある。例えば会話で「もちろん~については事前に考えていた。云々」みたいな表現があるが、人はこれらの事を考えて、もしくは予想して会話に入るのだろうか。これらは話しながら、相手の動向を見ながら決めることではないか。この作家は人を良く出来た人間のように思っているのか。もしくは私があまりにも予想しないで会話に入っているということか? または心境が薄いのか?
・下巻18頁 ちゃんと繋がっていた→これを思うのだろうか。(まぁケチをつけてるようなもんですが)
しかし読者の湧いてくる疑問に対し、良いタイミングで回答が表出するのは凄い。

③最後に、やっと徳次が出てくる。このまま最後まで出ないということはないと思っていたが安心した。

④下巻403頁「……今度、日本の宝になるっていう、その歌舞伎役者、どんな役者なんですか?」
「そんなん一言で答えられるわ。その役者の芝居見るとな、正月迎えたような気分になんねん。気持ちがキリッとしてな。これからなんかええこと起りそうな、そんな気分にさせてくれんねん。そんな役者、ほかにおるか?」
 人間国宝ってなんだろかと思いましたが、徳次が答えてくれました。しかし、私は正月迎えて「なんかええこと起りそう」とは思ったことない……。

〇読んでるときは凄い! 凄い! と感動する。読み終わった時も感動する。が、しかし、なにかすっきりしない。「あなたの周りの人達はあなたの事をこんなに思っていたのに、あなたはそれに気がついてなかった」と責められているような不安(不快)感あり。
〇映画の観客は『国宝』『悪人』両者とも、事前に作品を読んでいないと筋書が分からないのではないか。映像作品というくくりみたいなものはあるとしても、はしょっているところがあるので観ている人が「?」となるのではと思う。
〇感動箇所
・下巻212頁 ここにゃ美しいもんが一つもないだろ。妙に落ち着くんだよ。~
・下巻350頁 そもそも至芸よりも共感を好みますので、~
・下巻368頁 狂人の目に見えるのが、~   →このあたりが人間国宝の所以でしょうか

[以下、読書会にて参加者Eの発言]
◆私と歌舞伎の付き合いは落語「七段目」から始まった。『仮名手本忠臣蔵』の七段目が取り上げられているが、聴いてもわからないから本物を観に行ったら結構面白かった。
◆レジュメの頭に「達人は孤独?」と書いたが、芸――歌舞伎だけではなく陶芸なども同じだと思うんだけど、ある程度まで行ってしまうと周りが理解できないところへ行ってしまうのでは。自分さえよければいい、周りがなんて言ってもいいという極地まで。芸を極めると孤独になるのかな、と思った。
吉田修一の『悪人』には、実は悪人が出てこない。まぁみんな悪人なんだけど。要するに、誰が悪人なのかわからない。ともかく人を殺してしまうような人は、親に捨てられたとか馬鹿にされたとか、いろいろあるだろうけど、やっぱり孤独なんだろうなと思う(孤独という表現がいいのかわからないが)。人殺しも、人間国宝も、私たちも、みんな孤独というところはあるんじゃないか。
◆私自身、演劇をしていたことがあるが、演者と観客は、両方が存在することによって一つの空間を作っている。演者にとっては、観客が一人だけでもいたらいい。まったくいないと困るんだけど、一人でもいればお互い、演者と観客として成り立つ。
でも、やはりふらふらと舞台に上がる人がいてもおかしくないと思う。ミケランジェロの彫刻・ピエタをハンマーで叩き壊そうとした人がいたように、芸術性の高い物に触れることで、ちょっとやばい人が出てくるのも仕方ないかな。

<参加者F>
◆映画は観ていないが、皆さんの話を伺って、ますます観たくなった。
◆私も最初、語りが読みづらくなかなか乗れなかったが、頭の中でオーディオ再生して、これは音で聴いてるんだ、と思うようにしたら、すらすら読めるようになった。
◆芸術を愛し、芸術に愛されるというのはこういうことなのかと思った。喜久雄は孤独だが、歌舞伎の神様に溺愛されている。
喜久雄自身は「悪魔と取引した」と言っていたが、そこから思い浮かべる西洋の悪魔との契約的な感じじゃなく、歌舞伎の神様が願いを聞き届けたのかなと感じた。日本の神様ってこんな叶え方するよな、って(有名な縁切り神社で「会社の嫌な人と縁を切りたい」と願ったら、自分が大怪我して辞めることになった……みたいな話を聞いたことがある。真偽不明ですが)。
神視点の語りも、もしかしたら歌舞伎の神様かな、と思ったり。ちょっと弁天や徳次が語っているのかと思ったときもあるけど、下巻P393、歌舞伎座の大屋根に立っているところなどを読んで、やっぱり歌舞伎の神様視点なんじゃないかと。
◆映画は観ていないが、ラストは違うのですね。小説のラスト、私は喜久雄は幸せだったのだと思う。メリーエンドというのか、喜久雄にとってのハッピーエンドだと思った。春江は俊介を選んだし、徳次とは再会できなかったけれども。もうちょっと早く徳次が来ていたら変わっていたのかもしれないが、喜久雄が高みに到達した結末だと感じた。
◆万菊の最期も印象的だった。踊れなくなって、美しいものがない場所で安心して死んでいく。そこがすごくいいと思った。
◆解説を読んで、歌舞伎の本歌取りのような場面がたくさんあったのだと知った。歌舞伎に明るくない私でも楽しめたのから、歌舞伎を知っている人は、さらに面白かっただろうな。ちょっと悔しい。教養があれば、芸術やエンタメをより楽しめるのだろうと思う。
◆参考文献の量に圧倒された。時代背景や題材のある作品は、汗を流さずして書けないのだなと、改めて実感させられた。

<参加者G>
◆周りの女性たちが何人も、会うたびに『国宝』(の映画)観た? と訊いてきたが(4回観たという人もいた)、そのうちAmazonプライムでやるだろうと思っていたとき、この読書会で原作を取り上げることになった。なので、前知識が何もない状態で読み始めたが、文章も引っ掛かって進まない(「長崎は丸山町にある老舗料亭」って、「長崎の」だよね、とか)。任侠の話から始まって、長崎弁だし、半二郎は大阪弁だし進まない。そこでオーディオブックの存在を思い出して聴いたら、すごく上手で。語り口調の小説を読んだことがなかったけど、こうして読んでいけばいいんだ、って自力で読んで、ときどき聴いて、途中で映画も観て。
A:三刀流だ(笑)。
G:小説は、美空ひばりとか三波春夫とか、実在の人物が出てくるからリアリティがあって面白い。映画は、テンポはいいけどキャストのイメージが違った。
◆私は標準語で育ったから作品の中に方言が出てきたらつっかえてしまう。でも上巻P406、(前略)東京弁のほうがしっくりと自分の耳に馴染みます。「(中略)ここから這い上がんだよ、ここから這い上がれよ」……そこを読んで、いろいろな方言を交えて世界観を作り込んでいるのに気づいた。
小説を書くとき、あらすじがどうの、心理描写がどうの、プロットがどうの言われるが、それは何のためだと思っていた。結局それは世界観を出すための道具なんだというのを、この場面を読んで初めて気づいた。
私が今やっている短歌もそう。一首だけを作るんじゃなくて、三十首とかを連作として出す。それも世界観を書き込んでいくという作業。今まで何をしていたんだろう。すごく勉強になった。
◆新聞小説だけあって1章が40ページずつになっており、読むとき計画が立てやすい。
◆子どもに芸を仕込む場面が暴力的すぎるという批判があるが、実際の歌舞伎の世界はこんな優しいもんじゃない。耐えなければいけないと言われて、血筋を支えに耐える人もいるし、芸を支えに耐える人もいる。何かを目指すということは耐えることで、耐えられるというのは才能。
◆映画『国宝』を、映画『ジョーカー』(2019年、アメリカ)みたいだという人が結構いる。
私は『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子による漫画、またはそれを原作としたテレビドラマ・映画など)を思いだした。音楽の世界もすごくて、小さいころから何時間もずっと練習しないといけない。学校が終わっても友達とも遊べずに、いろんなコンクールに出て、毎日が戦いみたいな感じ。何もない幸せもあるんだろうけど、そういう情熱的な生涯っていうのも羨ましいなと思う。
◆春江はなんで俊介を選んだのか? 小説では、喜久雄は子どものころから春江を街に立たせている。喜久雄は自分が一番大切で、人を利用していく。そんな人から離れて、誠実そうな俊介に行くのは当然だと思った。弱った俊介を支えたほうが身のためになるし、御曹司だし。
◆小説と映画の違いといえば、マツは映画のほうが色っぽく綺麗なイメージ。また、春江はキーパーソンのはずなのに、映画ではあまり印象に残らなかった。
彰子はマネージャーとして辣腕を振るっている。怖いもの知らずのお嬢様だから性に合ってる。でも映画だと暗い感じになってて。小説では一番元気なのに。
A:小説の彼女は自己肯定感の塊ですよね。
G:喜久雄と市駒の娘・綾乃は、映画ではカメラマンとして出てくるが、小説のほうがいい。
D:でも小説のエピソードを全部映画にはできないですね。これはこれ、あれはあれ。
G:それはわかる。だいぶ削らないと。弁天も出てこないし。映画だけだと、わからないんじゃないかと思う。
D:万菊の最期は、小説で映画で違うけれど、私は映画のほうが好き。何も持たずに亡くなる。小説ではドヤ街の人たちとの交流があったけど、映画ではたまにお弟子さんのような人が訪ねてくるだけで、部屋にお人形さんが1つあって、っていう。
G:私は小説のほうが好き。孤独っていうより、ドヤ街で「(前略)たまに俺らにも酒奢ってくれてさ。(中略)陽気な爺さんつうか、陽気な婆さんで楽しかったよ」(P212)っていうのが大阪らしくていいなって。

<Aさん(推薦者)>
◆皆さん、よく読んでくださってよかったです。私は先に映画を観て、小説を読みました。二刀流です(笑)。
◆映画にあった、俊介が喜久雄に「芸があるやないか」というシーンがいつ出てくるか期待しながら読んだ。
D:P242「俊ぼんの血ぃコップに入れてガブガブ飲みたいわ」という部分が名シーンになっている。小説では敢えて書き込んでいない。私は喜久雄と俊介の友情物語として読んだので、女性に目がいかなかった。
A:Eさんが「感動して、読んだあとも感動するけど、何かすっきりしない」と仰ったのに共感した。ものすごく文章が上手いし、熱もあるし、ものすごく調べている。でも、何かモヤモヤが残る。これは『悪人』や『怒り』を読んだときも感じた。それがなぜかと考えたら、私の場合は、一つの答えとして思ったのが吉田修一は人間を書いているのはなく、最終的にイデアを書いているような気がするから。『悪人』では「悪人」というイデア、『怒り』では「怒り」というイデアを描いた。そして、『国宝』では、喜久雄の中にある「芸」というイデアを描いているような気がする。俊介のほうは人間臭いんだけど。
そう思って読んでみると(喜久雄は)「神」なんですよね。歌舞伎はするわ、踊りはするわだから。玉三郎でもあり、團十郎でもあり、愛之助でもあり、菊五郎でもある。万能で何でも一人でやっちゃう。現実の歌舞伎ではありえない。玉三郎は世話物をさせると結構滑舌が悪い。團十郎は声や睨みはいいけど細かい人情は表せない。それぞれに個性があるからいい。何でもできちゃう人ってのは求められていない。
強いて言うなら、喜久雄に近いのは愛之助。悪者もできるし、踊りも上手だし、現代劇もできるし器用。顔も声もいい。しかも養子で血筋がない。たぶん愛之助がモデルになっているんだろうなと思う。ただ、愛之助は、血筋がなくても才能に溢れているという意味では近いが、もっと庶民的で、喜久雄ほどきっちり昇り詰めなかった。喜久雄は昇り詰めた。だから喜久雄からは人間みを感じない。春江も利用するし、彰子も利用するし。喜久雄は魂を売ってしまって芸を求めたわけだから、人間国宝になっても何か虚しい。達人は孤独というような境地にあるんじゃないかと思って、もやっとしたんだろうなと思う。

<フリートーク>
【女性の描き方について】
G:でも小説では、春江も彰子も(喜久雄に利用されても)その上を行ってるよね。
A:喜久雄の全てを許して見ていますね。吉田修一は作品の中で、女性を深く書き込まない。
G:映画では彰子の描き方がひどすぎる。
A:昭和の歌舞伎の世界を描くんだったら、やっぱりあれぐらい男性にスポットライトを当てる必要があったのでは。主演の2人にスポットライトが当たったからこそ、女性客も来たんじゃないかとも思う。
G:映画の半二郎と彰子の描き方が本当に解せなくて。それから小説を読んだ。彰子みたいなお嬢様がそんなことでやっつけられないわよ。小説のように、気が強くて自己主張の強い感じにしてほしかった。
A:もっとツンとした感じがいいかもね。でも目立ちすぎると主人公を食っちゃうから。
D:春江が喜久雄を捨てたという話があったけど、春江やマツは喜久雄にとって芸の肥やしだと思う。彼女たちは自分で自分を肥やしに持っていったんだ、と。春江は喜久雄を捨てたわけではなく、俊介を支えてくれる人がいないと喜久雄が揺れてしまうから、俊介のところへ行ったのだと感じた。喜久雄も、俊介には春江がついているから大丈夫だと思っている。
普通はなかなか春江みたいに、好きな人のために街には立たない。すごく献身的。
春江に対して、彰子は肥やしになる人ではない。彼女にとって自分は自分。蝶吉がいましたよね。彰子は伴走してくれる人を選ぶ。私はそんなふうに読んだ。
C:私も、春江は喜久雄のために俊介についていったんだろうなと思いながら読んだ。俊介が喜久雄と同等のレベルにならないと喜久雄が育たないので、喜久雄を育てるために俊介についていったんだろう、と。俊介がだめになると喜久雄も頭打ちになってしまう。ライバルとして競わせたほうがいいから。
彰子はビジネスパートナーとして存在しているイメージ。妻という感じではない。
G:私だったら御曹司を選ぶな。血が勝つでしょ、勝負したら。
D:春江は、芯はしっかりしているけど自我がないですよね。
A:今の価値観からいうと賢い生き方ではないが、あの強さはすごいなと思う。
C:典型的なヤクザの女という印象がすごくあります。男のために身を粉にして尽くすみたいな。
E:何にしても女性の登場人物がいないと喜久雄が際立たない。この構成力はすごい。これ全部フィクションですからね。実存のものもポンポン放り込んでからのフィクション。面白い。

【ストーリーについて】
G:上巻P255で、喜久雄は半二郎から貯めていたお金を渡されるんだけど、それでジャガーを買うのよ。私はこの時点で、作家(吉田修一)が登場人物に乗っ取られてるなと感じた。きっと吉田修一も「ジャガー買ってる。なんで?」って思ったはず(笑)。急に登場人物が勝手な行動をし始めることがある。真っ青よ、書いてて。
あと、下巻P91、彰子が世界的な歌手と契約を結ぶところも、登場人物が勝手に動いちゃったんだろうな。普通はそんなことありえないから。この2ヵ所は絶対、登場人物が勝手に動いたんだと思う。
E:そこは上手く事が運びすぎだと感じた。
G:しょうがないのよ。動き出すのよ。
A:登場人物が好き勝手やりだしたら、こっち(書き手)のもの。なかなかそうならないんだけども。
C:私は、登場人物が無理やり動かされており、下巻ではストーリーがちょっとずつ急ぎ足になってきて、ご都合主義なところもあるなと思いながら読んでいました。新聞小説だったんですね。決まった期間に終わらせなくちゃいけないからこんな感じになったのかな?
G:新聞小説ってどうやって書くの? 依頼が来てから書き始めるのか、その前に元の小説があるのか。
D:実際に新聞の連載をしていた人を知っているけれど、その方の場合は、ほぼほぼ出来上がった状態で連載を始めたそう。
また、別の方の話では、前に連載していた作品が延びて、次の作品が始まらないということもあったみたいで。無理やり期間内に終わらせるのかと思ったら違うんですね。
F:江戸川乱歩は書けなくなって連載を途中でやめたことがあるみたいですね。やっぱり最後まで考えてから始めないと難しいのかな。
C:そのときは乱歩の詫び状が出たんですよね。
G:小説なら何を書くか決めておけるけど、エッセイだとタイムリーな話題じゃないといけないからストックを作れない。
A:でも最近の随筆のテーマはAIのことばかりでちょっといやになりますね。

G:短歌の賞で、父を亡くした悲しみを詠んだ作品が満場一致で選ばれたことがあったそう。作者に受賞を電話で伝え「ご愁傷さまでした」と言うと、「いえ、父は元気ですよ」と返ってきたとか。フィクションだったんですね。それで、受賞を取り消そうかという選者もいたが、ある選者が、想像で書いた作品でもいいじゃない、と受賞に賛成したみたいで。
私も、作品は想像して作ってもいいと思う。現実に即していないとだめという人もいるけれど。
D:(フィクションだとわかる前は)満場一致だったんですものね。
G:賞の選考委員は、少しずつ新しくしていったほうがいい。同じ人が務めていると応募者が選者の意向に沿ったものを書かなければならなくなるから。

【芸術を極めるということ】
A:映画で素晴らしいと思ったのは俊介を演じる横浜流星。『曽根崎心中』を演じる場面で足を転がしながら行くところはすごい。実際の歌舞伎役者でもなかなかできるものではないのでは。本当に迫真の演技だった。
G:足を失ってまで舞台に立つ人いないでしょと思ったら、実際にいたと文庫本下巻の解説に書いてあった。三世澤村田之助。四肢を切断しながらも義足をつけて舞台に立ち続けた美貌の女形。こんなの小説の中だけの話かと思っていたからびっくりした。
解説は瀧晴巳さんという方が書いているが、歌舞伎に詳しい人で、とてもわかりやすい。
A:解説いいですよね。「吉田修一の小説『悪人』みたいだと思う。歌舞伎は、どこかに追われていく人間を描くことがとても多い。吉田修一もまた行くあてをなくした人間を繰り返し描いてきた」とあって。そうなのかな。
でも、吉田修一の、この熱量でこれだけの分量を書き続けるのはすごい。3年取材をして、作品に4年向き合ったのだそう。実際に、彰子の父(吾妻千五郎)を演じた中村鴈治郎のところに通い、朝から晩まで黒衣として楽屋、稽古場、舞台袖まで付き随っていた。流行作家だからできることですよね。
以前、作家さんが講演で「本当にいいものを書こうとしたら犠牲にしなければならないものがある」と仰っていた。多くの場合、家族であったり、健康であったりする、と。そして「家族も健康も失いたくないけど、それでもいいものが書けるか」という質問に対して「あなたはそれでいい、そのレベルで書けるものを書けばいい」というふうに答えていた。暗に「何もかも求めようとするな」みたいなことを言っていたのだと思う。それがすごく印象に残っていて、確かに家族とか、そういうものを考えずにずっと走らなきゃ、悪魔と取引しないとだめなんだよな、と、『国宝』を読んで感じた。

【まとめ――エンタメと純文学】
E:エンタメと純文学ってなんだろうなと思いまして。エンタメには起承転結の面白おかしい話というイメージがあった。
今回、『国宝』を読んで、『悪人』を読んで、映画も観て、なんかすっきりしない。何が言いたいのかぼんやりしている。もしかするとこれが純文学という範疇だろうか。すごいテーマがあって面白おかしくというんじゃなくて、人間ってこういうもんだよね、と言っているような。すっきりしないのが人間ですよね。
G:『国宝』って純文学なのかな?
E:『国宝』より『悪人』のほうが純文学っぽく感じる。私もよくわからないんだけど。
日本の良さを書けば純文学になるわけでもなくて、日本人共通の何かしらのものが形になれば、ということかなと思った切っ掛けが、吉田修一の作品だった。読みやすいし、他の作品も読んでみたい。

『探偵小石は恋しない』森バジル(小学館)

Zoom読書会 2026.06.27
【テキスト】『探偵小石は恋しない』森バジル(小学館)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
小石と雛未の百合を見たい……とか、一切そういう理由ではありません(笑)。
本屋大賞にノミネートされた話題作であり、面白い物語の構造をしていると感じたので推薦した。「ラブたけのこがにょきにょきしちゃう」というパワーワードが脳裏に焼き付いて離れない(笑)。
また、ラノベとミステリというキッチュな組み合わせは、今後の創作活動において重要なエッセンスなのではと感じ、創作する者としても一読する意義があるのではと思ったので。

<参加者B>
◆面白かった。個人的には最後まで恋愛感情の絡まないバディでいてほしかった気もするのだけど(そのほうが最近の流行りでもあると思う)、蓮杖が少女漫画好きだったり、最初から恋の話ですよ、と宣言している感じなので、結末は決まっていたのだろうなと思う。
◆構成が上手い。一章では叙述による違和感を最低限に抑え、二章で少し「ん?」と思わせ、三章では堂々と読者に疑わせている。私もバニラは人形か動物だろうなと思いながら読んでいた。クライマックスへ向けた流れが、しっかり考えられている。
◆百合や年の差や血縁や、いろいろな性癖が詰まっているのに、なんでBLはないんや……と思ってしまった(笑)。
◆そこはさておき、盛り沢山だけど、個人的には何か物足りない。何が物足りないのか、皆さんとお話ししながら考えていきたい。
◆余談だが、「ラノベとミステリの組み合わせ」というと初期の西尾維新作品を思い出す(そちらは途中から振り切ったエンタメになってしまったけれども)。西尾維新の作品も、妹への偏愛とか、敢えて気持ち悪く書いている部分があったな、と。

<参加者C>
◆面白かったけれども、結構力業ですよね。強引に持っていくと言えば言い過ぎかもだけど。こういうふうな設定を作り上げたぞ、みたいな感じでリアル感はない。辻褄は見事に合っているということを強調している。
◆ミステリの古典的なパターンを上手く使っている。「離婚で苗字が変わる」「双子」……ミステリらしいといえばミステリらしい。最近あまり使われないが、こういう展開にすれば面白く使えるという1つのサンプル。
◆結構、立ち聞きが多い。立ち聞きは(話を展開させる手段として)あまり使いたくないけど、これなら許せる。ニヤリとしながら読めた。
◆小石が調書へ叙述トリックになり得る文章を書いていたのは、いかにも引っかけるための引っかけ。最初から雛未を騙すつもりじゃなきゃ成り立たないやないか(笑)。
設計上、雛未が勘違いしていたという着地点になるように作られている。そういった作り込みの辻褄が上手に合っているから楽しく読める。
◆最後が長く感じる。駄目押しの駄目押し。警官(片矢)が絡んでくるところは必要なのか。これでもか、これでもかという展開に喜ぶ人もいるだろうし、逆にコンパクトに読みたい人もいるはず。
◆読み物としては面白かった。
◆作者は『ノウイットオール あなただけが知っている』で第30回松本清張賞を受賞しているので、そちらも読んでみたい。『探偵小石は恋しない』の作風だと松本清張賞は難しいだろうから、どんな作品だったのか気になる。

<参加者D>
◆現代ミステリは、自分ではなかなか手に取らないので久々に読んだ。
◆現代ミステリらしい部分は、特殊能力を持った人物がいるという前提で話が進んでいくところ。
◆福岡県が舞台となっており、その地方性が活きている。また、文体の軽さも鼻につく感じではない。
叙述トリックに言及があるのは、この作品も叙述という示唆なのかな。文章で事件のことを読むしかない雛未と、同じく文章で読むしかない読者を重ねている。
◆第一章で仕掛けられた叙述、年齢差は気づかなかった。
第二章は、うっすら、内縁である理由があるんだなと思った(最初は同性なのかと思ったが女性と明言されていたので、その予想は外れた)。
第三章のアイドルはわかりました。バッチリ。アイドル喋らないし(笑)。一勝一敗一分け。
◆色々なミステリ作品が散りばめられており、知っている作品が登場すると嬉しい。P103”マガーク探偵団”(エドマンド・ウォレス・ヒルディックによる児童文学作品のシリーズ)とか、”ワニ町”シリーズ(ジャナ・デリオン)とか。
余談ですが、女性が主役の海外作品なら、私は『カスに向かって撃て!』(ジャネット・イヴァノヴィッチ他/集英社文庫)みたいな、アメリカの普通の女性が主役のミステリが好きですね。
◆百合っぽい展開にしておきながら雛未が断罪されて消える。結局“僕が(あの子を)守らなきゃ男子”とくっつく。色んな恋愛を書いている割に着地点が普通。カタルシスまでは感じない。ストレスのかけ方が足りないのでは。小石も蓮杖も、自分が恋をしないことで苦しんでいないので。本屋大賞にノミネートされる作品ってこんな感じだよね、という印象。

<参加者A(推薦者)>
◆小さな事件にある小さなミステリが、最終局面で大きなトリックとなって反芻され、読者側にも、そして雛未側にも叙述トリックとして二重に機能している点が面白かった。キャラクターすら騙すのか、と。
◆それぞれの愛の形や、色恋の面倒くささ、誰かを傷付ける好意を延々と描いている。だからこそ、思い切って陳腐なラブロマンスに回帰するオチが良いと感じた。少なくとも、そう思わせられる積み重ねはあったのではないか。
◆基本的にほぼ全員が二役をやっている、あるいは表面と裏面があるようなキャラクター造形は、ありがちではあるけど、こういうやり方も小説の手法として取り入れるのは面白そうだと感じた。

<フリートーク>
【作中にタイトルが出てくる本について】
B:『魍魎の匣』(京極夏彦/講談社文庫)の構造に似ている。色々な事件が集束して、ドミノ倒しのようにクライマックスを迎える。
名前が出てくるミステリを知っていると、より楽しめるかも。私は『魍魎の匣』くらいしかピンと来なかったけど、モチーフとか感じました?
A:フレーバーというか、強調するために入れているな、と思った。私はあまりミステリを読んでいないので、ネタを知っていたらニヤリとする感じはわからなかった。
D:西尾維新のデビュー作『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(講談社文庫)で、探偵役が「極端な上下運動(階段の昇り降りなど)ができない」って設定がありましたね。“最後に制限を乗り越える”という読者サービスが似ている。
B:そういえば西尾維新っぽさも感じたけど、西尾維新作品への言及はありませんでしたね。西尾維新から影響を受けたって言いづらいのだろうか。なんかわかる(笑)。
D:読んでいることをあまり知られたくない作家っていますよね(笑)。
メフィスト賞作家で、影響を受けたことを言ってもいい作家って誰だろう。岡崎隼人とか佐藤友哉とかになるのかな。
C:名前が出てくる作品からも、影響は受けていないと思う。『魍魎の匣』が鈍器本の代表だから出しただけで(笑)。鈍器本の走りじゃないかと思う。誰もが(鈍器だと)納得する。今回は凶器じゃなかったけど(笑)。
そういうふうに界隈の人が盛り上がる要素を入れているんだと思う。
D:万人受けしそうな作品を入れてますね。
C:小川未明が出てくるとは思わなかったけど。「春風遍し」を使いたかったんだろうな。
B:プロ作家になるような人は、ミステリだけじゃなく純文学もたくさん読んでいるんでしょうね。
C:隠し味として入れると、読書界隈の人は喜ぶ(笑)。
B:隠れてはいなかったけど(笑)、『魍魎の匣』は皆さん読まれてますか?
D:『姑獲鳥の夏』しか読んでいない。こういうものかという納得感があって、だからこそ二冊目の『魍魎の匣』に進まなかった。
B:ぜひ、百鬼夜行シリーズ5作目の『絡新婦の理』まで読んでほしい(笑)。
C:誰もが知っているが、ほとんどの人は読んでいない。買う人は多いだろうけど、最後まで読めない(笑)。
B:『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス他/新潮文庫)みたいな?(笑)
D:ちょっとスクロールしてドーパミンが出ないと先を読もうと思わないですからね。

【作品の作りについて】
D:作品の見どころ、美味しい部分は「この人は誰?」。作者が、読者にびっくりしてほしいところ。
B:蓮杖さんの正体とか。
D:そこはわかりやすかった。当て嵌めていったらそうなるよね、と。
C:プロローグで「苗字が変わる」と言っているから、違う名前で出てくるんだとわかる。
D:最初から名前が変わるって、ぶっちゃけてる。
C:考えながら読んでいたら、だいたい当て嵌まる。配役の切り替えについて、当たる人多いんじゃないかな。
D:当て嵌めていくとそうなる。そこはびっくりポイントじゃない。
C:確かに離婚などで名前が変わることはあるが、創作の中で使う人はあまりいない。上手く現代的に使ったなと思った。双子が出てきたときには鼻白んだが。二組出てきたときには、もう(笑)。こういう作品だから読み続けたけど、都合よく記憶喪失になったり、ご都合主義な部分も多い。
ただ、蓮杖が昔会っている春風(雛未)の顔がわからなかったのは彼女がギャルメイクをしていたからで、そこは「なるほど」と思った。
B:蓮杖は顔を覚えるのが苦手、というフォローもありましたね。
D:そうよね、という感じ。そこも含めて。
C:そういうところも許せる(笑)。
B:パロディ感がある。一卵性双生児も、創作において一つのパターンになっているから、それをパロっているイメージ。
D:あと、警官(片矢)は演劇部だったという設定。だから声が大きいというキャラ付けがされている。
C:警官の存在も後付けのような気がする。後から作った感じがしなくもない。
D:黒幕がいるという二重構造。サービスですね。
C:付け増したほうが売れる。盛りだくさん。クラシック音楽でなかなか終わらない曲がありますよね。お腹いっぱいというよりは、まだ続くのか、と思わせられるような。パターンのようなものを感じる。
B:どんでん返しが何回もあるのはミステリではよくあるんですか? 三津田信三の作品で、最後の最後までどんでん返しがある作品があったので、メジャーな手法なのかな。
D:割とメジャーですね。私は、三津田信三についてはホラーしか読んでいないけれど。
今回のテキストでは単純接触効果について最初に言及しているので順当なラストだと思う。
あの刑事も、遠回りしなくても雇ってもらえばよかった。でも、矢印が出てたら雇ってもらえないのか。
百合に後輩くん(蓮杖)が挟まっているのよかったですね(笑)。
B:百合好きのAさん的にはどうですか?(笑)
A:『探偵小石は恋しない』は百合として見ていなかったので(笑)。サイドっていうか、主体ではないのでオッケーなのかな。人によると思う。なんで(女の子同士で)くっつかないのと言う、悪い百合豚もいるので(笑)。
D:そういう人にとっては、きっと散々でしたね(笑)。

【キャラクターについて】
B:私が感じた物足りなさについて考えてたんですが、キャラクターに類型的な部分があり、薄く感じてしまい、あまり没入できなかったからかも。雛未がギャルなのも顔の判別がつきにくいからという理由からだし、謎解きのためのキャラクターという感じがした。
A:登場人物全員めんどくさいですよね。みんな鬱陶しさがある。そこが共通している。実際、メインの小石想依以外はモブ感が強い。確かにトリックのためのキャラ造形と言う感じはするが、その辺を求めるのは厳しいかなとも思う。
C:これくらいトリックに凝っている作品で、キャラまで凝ったら持て余してしまう。キャラはこれくらいにしておくほうがいい。キャラを活かすのは別の作品ですよ。ここまでトリックに凝った作品にはキャラを入れないほうがいい。
それにしても、そこそこ小石や蓮杖は上手く作っている。重点は置かれていないけれど最低限は作られている。
D:ただ、蓮杖が頭を打ったとき、小石から蓮杖に対して「ごめん」という空気は出してほしかったかな。無理やりヤバ気な事件を受けて助手が負傷したのに、バディとして、社長としてどうなんだと思った。
C:小石のキャラを貫くんじゃなくて、少し緩めることで読者に感じさせるような場面があってもいいかも。情はかけない、みたいなキャラで押し通しているから。
D:恋じゃなくて人情的な労りがほしいですよね。
C:読者に、(小石は)いい人なんだな、血も涙もなくはないな、と思わせるような。

B:恋愛中の人間の気持ち悪さはよく表れてますね。恋愛中の人間って気持ち悪いもん。必ずしも悪い意味ではなく。
C:もっと新しい恋愛の形があってもよかったかも。
B:確かに。日本でも古代は兄妹で結婚していたりしますもんね(異母兄妹が主で、両親とも同じということは稀だったみたいだけど)。

【叙述トリックについて】
B:設定、理由付けが上手いですね。
D:読者が勘違いする要素を3つも詰め込んでくれて、読者サービスが手厚い。
B:第一章、高校生同士なら割り勘普通やん、ってちょっと引っかかったけど、なるほど、風斗は四十八歳の教師だったんですね。一章はそのくらいの違和感で留めておいて、第三章の人形なんて違和感だらけで。上手いなぁ。
A:YouTubeの間違い探し動画みたいにヒントが出てきますよね。ちょっとだけ種明かし。とっかかりみたいなものを出してくれる。
私は謎解きに重きを置いていなかったけれど、バニラは人形なんじゃないのかと予想がついた。あとは全然わからなかった。
やっぱりミステリってわからないものなんですか? みんな推理しててすごいな。
D:私は「叙述は突き詰めるとインチキでしかなくなる」と綾辻行人で学んだので、考えすぎないようにしているけど、今回はイージーなパズルゲーだと思いました。
A:これでもイージーなんですね。
C:イージーなところも、わからないところもある。ちょくちょく種明かししてますよね。叙述トリックは、どうヒントを撒き散らしておくかという作戦みたいなところがあって。完璧なトリックや叙述だったら、読んでいる最中に気づかないじゃないですか(笑)。ある程度、読者に「俺は気づいたぞ」と思わせて、達成感を与えておかないと。
D:綾辻とか本当に(ヒントを)蒔かないですよ。
C:新本格はそれをベースにしているから。マニア向けですよね。普通の読者は美味しいところや達成感を与えないと、買ってくれないんじゃ。
D:私の趣味かもしれないけど、アリバイトリックが叙述だとむかつきます(笑)。
C:まぁ騙してるだけの話ではあるんで(笑)。
D:脳のいやな部分を引っかかれる。気づいたら楽しいと、今回の作品で気づきました。
C:多用したら問題ではある。あれも叙述、これも叙述、と。
D:綾辻の館シリーズの最後は読んで損したと思った。『十角館の殺人』(講談社文庫)がよかっただけに。

C:調査報告書の叩き、雛未が犯人だとわからないうちから作っていた。作品として作り込んでいるが、変な感じの部分も残る。小石はなんのために叙述を書いていたのか。
B:小石はPCが使えない、という理由付けはしていますね。例えば第二章では、蓮杖が「(愛花のことを)奥様と呼ばせてもらいます」と言っているし。ちゃんとフォローはされている。
C:でも、清書したものはパスワード付きで保存して、叩きは雛未も見れるキャビネットに置きっぱなしにしている。矛盾がある。そういうところが気になる。
D:気になるところでいうと、あの探偵事務所、これからどうなるんでしょうね。事務員がやばいやつで、情報を盗み見て、関係者を襲撃して……
A:藍沢がYouTubeでなんとかするんじゃ(笑)。
C:次は、新しい事務員がやらかすとか(笑)。いくらでもネタを広げられる。
B:読み返したら、くどいほど「これは叙述だ」って明かしてますね。早坂吝の『○○○○○○○○殺人事件』(講談社文庫)を出してきたり。
D:いいですよね。読んでいて一ヵ所でも「おおっ」ってところがあったら印象に残る。
B:ぜひ『魍魎の匣』も読んでください!
D:読書会のテキストとして推薦されたら読みますよ(笑)。
C:私はAmazonのレビューを読んで内容は把握しているので(笑)。

A:面白かった。トリックが多すぎて疲れたし、お腹いっぱいで食傷気味ではあるものの、古典トリックのリバイバルというか総決算だったようで、読んでよかった。

『東京都同情塔』九段理江(新潮文庫)

Zoom読書会 2026.05.30
【テキスト】『東京都同情塔』九段理江(新潮文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
たまたま安い本が見つかったので読んでみようかと思って買った。
芥川賞受賞作だが、皆さんどう思われましたか? (Zoom読書会はエンタメ作品を取り上げることが多いので)私たちが日ごろ読んでいる作品とは毛色が違いますよね。
面倒くさい作品だから、手こずった感じがしなくもない。読書会で皆さんの読み方を確認したい。

<参加者B>
◆こんなに不愉快にさせられる地の文と、牧名沙羅のキャラクター造形は秀逸の一言。すごく人間味を感じる。
終盤にあった「プライドの高い秘密主義者のように」という表現は、牧名沙羅がメタ認知をしながらも、ひた隠しにしていた一面を露骨に描いている。
自分を客観視しているようで、自身が欲望を向ける拓人という存在に対し、「年上のキャリアを積んだ女性」という立場を固持しようとしているさまは、本音と建前の坩堝にどっぷりと嵌った一人の人間を描いていて興味深い。沙羅は消費をしていながら、消費快楽を拒んでいる。
◆東上拓人は「ぐちゃぐちゃした喋りをニコニコ聞いてくれる自慢の彼ピ」を、恐らく意図的に描いた存在。牧名沙羅の大人ぶった幼稚さ、未熟さに付き合ってくれる受容体として描かれている。だから彼が汚い言葉を使ったときに沙羅は動揺している。やたら建築と言葉と本音にこだわっている彼女が「汚い言葉に汚れた彼」に動揺してしまっている。
◆幸福=不愉快にならないことと定義するのであれば、この地の文は徹底的に洗練され、簡潔でわかりやすい文章に慣れた人間に対する挑発と挑戦として書いたのではないかと感じる。
◆マックス・クラインという自称レイシストすら、この小説においてはアンチ側を宥めるためのバッファとして、小太りで体臭が酷いオッサンに建前と本音を代弁させている。アダムに知恵の実を食べるよう唆した蛇(サタンの暗喩)の再来のようだった。
沙羅とマックスの対比は、「清濁を上手く取り込もうと実践している」という考えと、「清濁飲み込んだ情動を発言せずにはいられない」という行動の、面倒くさい相克を描いているように感じた。
◆「建前と本音が分かれていること」がそんなに悪なのだろうか、と感じた。建前を使うのは、程度の差こそあれ万国共通ではないか。日本人に限った話じゃない。建前を使うのは、そもそも余計なトラブルを減らすため。たいていの人間が社会的家畜を能動的かつ主体的に選び、社会やコミュニティに所属したがる習性がある以上、感情すべてを言語として表現するとは限らない。本来人間は、本音をなかなか明かさない。本音を明かしたときに得られるメリットはあまり多くなく、リスキーさが勝る。
◆牧名沙羅は、反骨精神はあれどパンクロックは歌えない。どこまでも普通の感性を持った普遍的な人間に感じる。だからこそ、自身の欲望を素直に発露できない人間特有の回りくどい自己承認欲求を感じさせる台詞、地の文に苛立つ。本当に人物描写が上手いと思わされた。
◆建築、言語、AI、他者に共通するレトリックやルックスをフラクタルとして170ページ前後にまとめ上げたのは本当に秀逸だと感じた。

<参加者C>
◆まだ整理しきれていないが、テーマは言葉についてなのかな。お互い、勝手に意味を改善して意味不明になる。言葉の意味が奪われるという展開は『1984』(ジョージ・オーウェル/角川文庫、他)でも扱われているが、『1984』では作中世界の会話は嚙み合っている。今作では言葉の意味が通じなくなってしまう未来が描かれていてユニークだと感じた。検閲が行き過ぎた結果、よくわからなくなる。
◆喋り続けている牧名からは躁鬱のような印象を受ける――今は躁鬱も違う名称なんでしたっけ。
◆建築というのも文学として面白いテーマ。ナチスの建築家であるアルベルト・シュペーアの廃墟価値の理論などを思い出したが、建築についての素養がないのでピンとこなかった。地元で巨大な建築物といえば廃墟になった元デパートくらいしかないので(笑)。
◆予見性がありそうで全然違う未来を描いている。
ザハ案の新国立競技場が建った東京に、もうひとつトンチキな建築物を作ってしまう。ユートピアに見えるディストピアだが、今の現実に比べると優しいとすら思ってしまう。ディストピアに見えるディストピアに向かいつつある現在からすると、むやみにナイーブで「幸せな悩みですね」と言いたくなる。
◆文章がいい。ところどころ切れ味のいいテキストが出てきて、そのカッコよさを見習いたい。
純文学はライターズライトで、書き手が書き手に向けて書くものだと聞いたことがある。「私はこんなに斬新に書けるんだぞ」というように、自分の技巧を、他の書き手に向けて示すみたいな(私の解釈なので、まったくの誤解かもしれないが)。
◆文学で女性が主人公である場合、レイプを経験しているという設定が多いと感じる。社会がそういうかたちをしているから、そういう要素として表れるのだろうか?

<参加者D>
◆偶然、別の読書会で最新の芥川賞(第174回)受賞作を読んでいたんですが、受賞した2作のうち1作の作者は建築士だった。そちらは家が語り手で『東京都同情塔』とはまったく違う話なんですが、家がエロティックに書かれていた。建築物って性的なものを内包しているのかな。私も地元が掘っ建て小屋っぽい駅しかないような場所なので、建築に対する素養はないんだけど(笑)。
◆私は一番最初のザハ案が結構いいと思ったので(費用などを考えない場合)、ザハ案の新国立競技場が建てられた世界という設定は面白かった。
◆言葉を使って組み立てていく――建築物は小説のメタファーなのかな? 自分のためにしか書かない、とか。
◆『東京都同情塔』というタイトルが韻を踏んでいて心地いい。作者はラップが好きなのか、本文も歯切れよく韻を踏んでいたりして小気味よかった。
◆解説でも触れられていたけれど、牧名はマキナ(機械)ですよね。デウス・エクス・マキナとかのマキナ。言葉にこだわった作品だと思うので、なぜ主人公をマキナと名付けたのか気になった。
◆高いところはあまり好きではないので、「かわいそう」とか同情されてまで住みたくない……と思ったけど、ライブラリーでまったりできるのはちょっといいなとも思ってしまった。
◆印象に残ったのは、塔内で拓人が携帯を取り出して通話しているとき、周りは非難の視線を送るものの、それを止める言葉が出てこないという場面。一見優しい言葉しか言えないということは、何かを批判する言葉まで奪われてしまうんだと思った。

<Aさん(推薦者)>
◆皆さん深く読んでおられますね。
◆面倒くさい書き方と見るか、Cさんのようにカッコいいと見るかで印象が違ってくるかもしれない。こういう書き方をする純文学が多いなと感じる。純文学とそれ以外を色分けする何かか、そうでないかはわからないが。
何を書いてあるかはだいたいわかるが、こんな言い方しなくてもいいのではと感じた。このような言い方をすることで何かが浮き彫りになるのか考えてみたいと思ったが、そこまでは読み込めていない。
◆建築とは違うところにテーマがあると感じたので、基本的に建物の話はどうでもいいのではないか。アンビルドとされていた、出来上がった建物。一つの場面設定として使っただけで。その割には、丹念に資料を読み込んで、興味を持って書いたとある。でも意味がわからなかった。
東京都同情塔のような刑務所の成り立ちが説明されていない。マサキ・セトの論文だけでは弱い。その辺りの前提が陳腐。つまり、作者は建築物について言いたいわけじゃなく、別のことを言いたいということ。
◆やはりテーマは「言葉」か。言葉というものは変遷して、変わってきている。
古代では一対一とか、身の周りの人との会話とか人間同士の付き合いに用いられた。やがて文字ができて、自分たちのサークルと違う人たちと対話できるようになり、ついに未来へ向かって語るようになった。
文字などで言葉が残ると、行き違いのようなことが起こる。今は差別用語とされる言葉でも、数十年前は日常的に使われており、現代の感覚で昔の文章を読むと「酷い」と感じる人がいる。
そしてSNSが出てきて、言葉の取り違えによる諍いが起こるようになり、さらにAIという人間でないものが言葉を使い始める。その中で言葉とどう向き合えばいいのか?
現代は、一つの言葉にいろいろな意味を詰め込みすぎている。社会の進展によって増加した事象に比べ、言葉の数が少なすぎる。昔の人は言葉が増えることをバベルの塔と言ったが、それとは反対の意味で意思疎通できなくなっている。言葉がなければ生活できないが頼りすぎるといけない――そういう想いがあるんだろうなぁ。
◆私はそちらに関心がいきすぎて、建築の話は別の次元かな。主人公がシンパシータワートーキョーに引っ掛かっているところで思い出したのが「高輪ゲートウェイ駅」。その駅名は、都民から募集したもののうち130位だった。そうしたものが出来上がってしまったときの違和感。そのような、作者の言葉に対する違和感が集約されているのかな。
そんなことを考えながら読んだ。

<フリートーク>
【作中の街・建築が象徴するもの】
D:街づくりに関する騒動と言えば、私はホームレスを追い出して作られた綺麗な施設のことを思い出した。街づくりはどこか歪になるんですかね?
A:「高輪ゲートウェイ駅」という駅名には、がっかりした。新しい時代を切り拓くという意味があるのかもしれないが。
私がいいと思ったのは3位だった「芝浜駅」。落語の「芝浜」あるじゃないですか。「芝浜駅」だったら賛成するのに、って思ってた。
作者にも、私のそういう感覚と共通するものがあったんじゃないだろうか。
D:ビッグ・ブラザー出てきましたね。『1984年』の。ディストピアを意識してるんですかね?
C:普通に読んだらディストピアっぽい雰囲気を感じるけど、それを書こうとしたのかな? (現実の)時代のほうが追い抜いてディストピアになっていない。今、その検閲者は息してますか? 剝き出しの罵倒が蔓延っている。より直截的に、気に入らない者に対し「死ね」と言う社会。検閲者は死んだ。そういう部分は、作中でも触れられているけれど(主人公も「死ね」と言われている)。非対称ですよね。ある種の人は検閲を受けて、ある種の人は検閲を受けず人に「死ね」と言っている。
D:「炎上覚悟で言いますが、凶悪犯は全員死刑にするべきだと思うんですよね」みたいな人は、炎上しないと思って書いてますよね。
C:そのくらいでは燃えないし。
A:そういう隠れ蓑はずるいよな(笑)。ペンネームも隠れ蓑ですよね。
B:罵り言葉、自虐としてはアリじゃないでしょうか? 私はペンネームに自虐として、自分への罵り言葉を入れている。自己批判や客観視をするために。
傷つけちゃいけないというラインが難しいですよね。言わなければならない言葉ならなおさら。強い言葉を無くしたら犯罪にすらも寛容になってしまう。そうすると、新国立競技場と東京都同情塔が調和された世界に行き着くのだろうか? 新国立競技場に合わせなきゃならない――ナンセンスなんじゃないのか、という本音があるのでは。

【シンパシータワートーキョーの背景】
A:牧名沙羅が東京都同情塔を設計したことを悔いている部分があった。その辺りの理由がよくわからない。本当にやりたいことではなかったのではないか。アンビルドで終わるのではと参加したら通ってしまった。その辺り、「アンビルドにはいくらでも理想を入れ込めるが、現実になってしまったら違うよ」という意味もあったのでは。だから、この小説を読むにあたって、(作中の)建物に関しては気にしなくていいかなと思う。
D:コンペでは勝つために言葉を尽くしてましたよね。
A:本当に建てようと思っていたのだろうか? コンペには勝ちたかったけれど、(現実のザハ案のように)アンビルドで終わらせたかったのでは。
犯罪者に寛容な刑務所――理想的な物を作るに至る設計思想があまり書かれていない。世の中に受け入れられていたのか? SFなら作品世界を作り込まないと読者は納得しないが、この作品はこれでいい。作者が断定したなら、読者はそう読まなくてはならない。だから私たちが普段読んでいるような作品とは異質。
面倒くさい語り口なのは牧名沙羅だけじゃなくて拓人もだし、マサキ・セトやマックス・クラインにしてもそう。一本調子で持って回った言い方をしている。全部同じ人間が書いているんじゃないかという文章。エンタメなら書き分けをしなくてはならないところ(純文学だから許されている)。私たちが考えている小説(私たちが普段読んだり書いたりしている小説)と違って、キャラクターや建物はどうでもいいのでは。やはり、作者が言いたいことは「言葉」ではないだろうか。小説に対する違和感を持たせながら読ませる作品。
B:観念的で抽象的。象徴して塔がある、一つひとつがエッセイの補強としてあるような感じ。
A:沙羅の「ザハが提案した新国立競技場は建たなくてはならなかった」という評価のもとになっているのは何だ。ザハ案がどういう意味づけを持って沙羅を捉えていたのか触れられていない。だから建物はどうだっていいんじゃないか。
B:牧名沙羅は「信頼できない語り手」。フェミニズムに触れていたのは、女性であるザハの案が棄却されそうになったことへの反発みたいなものがあるのだろうか。
もったいぶって言いたいことを提示しない。ぼかし続けている(個人的に、読んでいらいらするところ)。たぶん、その辺、ぼかし切る小説なのかな。
A:ぼかし切るというより、どうでもよかったのでは。プロットのない作品だと思う。設定はある。作者が考えた設定はあるが物語に乗せていない。
同情塔に賛成する人がいたわけだから、普通の読み方をしていたらその詳細を知りたくなる。でも、建った事実に対してどうこうと書いていない。私たちが書く作品では、読者に背景を理解させなくてはならないが、この作品ではそういうことには触れていない。だから違う種類の小説。それが純文といえば純文。ずるい書き方。
私たちは作品世界の背景を考えるが、この作品には根拠がない。物語がない。わざわざアンビルドの新国立競技場を作中に建てて、観念的でしかなかった同情塔が建って……なんでやねん(笑)。同情塔に対して反対する人たちはいるが、その勢いの強さが見えなかった。そういうプロットが入っていない。それで、よくこれだけのものを書けたなと感心する。
D:マサキ・セトが襲われた件はどうですか?
A:それがあったか。でも大々的には扱われていない。当然のことのように書かれている。もっと意味のある書き方をしないと伝わらない。

【テーマと書き方について】
D:牧名はマキナ(機械)ですよね。
A:私はマシナリー(機械的)かなと思っていた。
同情塔の根拠であるマサキ・セトの論文の、A子さんに関する箇所が陳腐なのは敢えてか。
また、拓人は、クラインに送る文章はAIに書かせているが、沙羅の伝記は自分で書いている。差を持たせすぎていて陳腐。そういうところが混じっているのが愛嬌があっていい。
結構その辺り気に入っている。こういう書き方をしたくないし書きたいとも思わないが、結構上手い書き方をしている。
C:書いてない部分ありますよね。実際の入居者がどういう暮らしをしているのか、犯罪者側の視点がない。建物として眺める。あくまで建物。意図的に省かれている。雰囲気だけ上手く流用したなという感じ。
A:その辺り、関心ないんでしょうね。拓人に住ませて様子を書くくらいに留めている。
C:現実感がない。囚人に対して最高の待遇を用意する――ないな。
A:読者もこんなことあるはずないと思いながら読んでいる。そういう世界観なんだと書いてしまえばそうなる。理由はともあれ。
C:タワマン文化を下敷きにしてるんですかね? より高いほうがマウントを取れる。一番いいところに囚人を住まわせて、都民に見上げさせている。
A:そういう設定にしないと、(読者の)目に留まらないからかも。この類の小説では、しっかり書いてしまうと綻びが出てしまうので背景はスルーする。
D:寓話的に書いているから細部はぼかしていいのかも。
A:物語にウエイトを置いていない。材料を提供するから考えてください、という作品。そこから、私は「言葉について考えてくれ」というシグナルを受け取った。
D:エンタメ作品だと「面白かった」で終わったりしますね。純文学は「答えは自分で考えなさい」って問いかけだったりする。
A:面白いけどそれだけ、という作品もある。何かを考えて感じることもない。これは逆。中身は全然面白くないけど考えてみたくなる。
D:現実を忘れさせてくれる面白い作品も貴重だと思う。「あー楽しかったー」で忘れることができる作品を書くのも職人技。考えさせる作品と、どっちが優れてるとかはないですよね。私はソファに寝転がってする読書が好き。
A:読者は「(この作品には)何かありそう」と感じると、「これは高級な作品なんだ」と思う。例えばこの作品をわかりやすい文章で書くと成り立つのだろうか? こんな捻くれた言い方しなくてもええやん、って。読んでわからないことないから、そのまま読まされるんだけど。何が頭の中の検閲者やねん、となっていた(笑)。
D:頭の中に検閲者がいる感覚はちょっとわかった(笑)。
C:作中での主要な悪役は検閲者だけど、今や、可哀そうな検閲者に対する死体蹴りみたいになってしまった。現実では検閲者が死んでしまったがゆえに殺伐としてしまった。もっと大切にしてあげたらよかった。実際は、タワーを建てる力も無かった。
そもそも東京都同情塔じゃないといけない理由もよくわからない。ある種の言語感覚に耐えられない、ということなのか? 芥川賞バトル。何にでも「東京」を付けた元都知事へのアンサーというか。
一同:(笑)
A:「東京都同情塔」は、考え抜いた言葉じゃなくて思いついた言葉だと思う。「東京」で区切ってしまうと文節が分かれない。
C:「都」が入らないとだめな理由が明確にあって、作中で説明されていたがついていけない。
A:書きたいものがあって、それでないとだめなのでは。

【作品と新しい技術について】
A:「全体の5%くらいは生成AIの文章をそのまま使っている」というのは受賞会見でカッコよく答えるために言ったのでは。何か理由付けしないと、みたいな。
C:芥川賞、浅薄に話題作りしないとみたいなのあるんですかね。
A:新しい試みをしたら拾い上げよう、みたいなところがある。例えば、黒田夏子『abさんご』は横書き。石原慎太郎『太陽の季節』は現代なら受賞しないと思う。癖がありますよね。柴田翔『されど我らが日々』には何人かの手紙が出てくるけど全部文体が同じ。
C:社会がAIを受容する過程で、こういう小説が出る必要があった。数年経ったら気恥ずかしくなるのではないか。
A:すでに現実との違いが出てきている。最近のAIは質問者に忖度しないし。
C:携帯電話が出てきたとき、携帯電話をモチーフにした小説が出てきて消えていった。AIが出てくる過程において、この小説が必要だった。
A:その前はポケットベルを使っていたなぁ。会社に持たされてて。ポケベルが鳴ったら会社で何かあったという合図だから、電話で折り返していた。
D:私はそのころ小学生だったけど、CさんとBさんは持たれてました?
B:持っていなかった。
C:私も持ってなかった。システムがわからないけどショートメール専用機みたいな感じですかね? 受けるだけでメッセージは電話から送らないといけないのか。
ポケベルがあったのは知っている。古くてレトロなもの。ポケベルは意識することなく無くなったけど、携帯は当たり前になった。いずれAIも受容されて、敢えてAIAI言うこと自体が古臭くなるはず。
A:AIに関する最近のニュースだと、AI「クロード・ミュトス」。人間が見つけられないバグを一瞬で見つけ出す。悪人の手に渡ればシステムが攻撃されると問題になっている。政府とメガバンク以外にはアクセス権を付与しないと言っているが、後追いのシステムが出来たらどうするのか。
C:一般に広がらない限り、小説で書くならChatGPTとかGeminiとかが共通認識になってくるんでしょうけど。
A:『東京都同情塔』で違和感を感じたのは、2030年でもTwitterがあるというところ。若干のフォローはしてあったが。この作品では、作者が「そういう設定だ」と言えば納得しなければならない。
D:TwitterはTwitterだという強い思想が伺えましたね(笑)。
AIについてはどうですか?
A:AIは捏造するからなぁ。間違いはないかと訊いたとき、なかったら間違いを捏造してくる。「ハルシネーションなしで」と書いても、捏造した回答をしてくる。
C:私は今、AIにプロットを食わせて書かせるというのを試している。今のところ、AIは日和った文しか書かない。プロンプトが難しくて手間がかかるし。
九段理江は雑誌の企画で、20万字のプロンプトを入れ4,000字の小説を書かせたそうだが、絶対自分で書いたほうが早い。話題性ですね。
B:今の時代だから通用する。アイデア、構成をAIに頼ることは、これから当たり前になっていくはず。
C:ワープロが出始めのころは「ワープロで小説書きました」みたいなのあったんですかね。話題性を作るという意味で。
B:江戸川乱歩は、エログロ小説を「反戦として書いたのか?」と訊かれたら、あくまでエンタメとして書いた、と言っていた。探偵小説・怪奇小説がメジャーなサブカルチャーだった時代の話。今だったら不朽の金字塔として認知されないのかな。
C:真っ先に飛びつく能力が必要なわけですね。
B:需要がありそうなものをやってみる時代なのかも。小説に限らず。別の媒体が生まれるかもしれないし。
A:どこまで残るかどうか。江戸川乱歩だから残っている。乱歩でないと残らない。
川端康成と並んで文学全集に載っていた横光利一。今は誰も覚えていない。
D:芥川龍之介は読んだことあるけど、直木三十五は読んだことないですね。名前は知っているけど。
A:『南国太平記』面白いですよ。
私は芥川賞、誰がとったかよく覚えていない。関心がないので。
C:この読書会(Zoom読書会)では、直木賞受賞作のほうが登場頻度が高いですね。
A:直木賞作品であれば、東京都同情塔が建てられた背景を丁寧に書くはず。
C:エンタメは誤魔化しが許されないですからね。
A:今回の作品のように感覚的に書かれてしまうと戸惑ってしまう。

【雑談】
D:皆さん、本のジャケ買いします? 電子書籍を導入して思ったんですが、絵が素敵な本は紙で欲しくなるなぁ。
C:私は歴史小説を読むことが多いんですが、歴史小説ってふんわりした表紙じゃないですか? パッケージで読みたくなるジャケしてない(笑)。
A:以前読書会で取り上げた『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』(阿部暁子/集英社文庫)はジャケ買いでした。
D:『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬/ハヤカワ文庫JA)は表紙で「お」と思いました。本を手に取る切っ掛けとして、表紙大事ですね。

「時の家」鳥山まこと、「叫び」畠山丑雄(『文藝春秋』2026年3月特別号より)

R読書会 2026.05.16
【テキスト】「時の家」鳥山まこと、「叫び」畠山丑雄(『文藝春秋』2026年3月特別号より)
【参加人数】11名
※オンラインでなく対面形式でした。

★今回のテキストは2作で、参加人数も多いため、Aさんのご提案により「もしどちらか一方の受賞だったら、どちらの作品が芥川賞に相応しいか? という視点で読み、自分の推し作品について熱く語る」という趣向になりました。

B:今日はAさんがおられるので、より闊達に意見交換ができればと思います。

<推薦の理由(参加者A)>
 今まで、芥川賞発表前に候補作を読み、自分ならどれを受賞作にするかという読書会に参加していたが、主催者の方の都合で開催されなくなったので、芥川賞を読み解く機会が減っていた。
 前回は該当作なしだったが今回は2作が受賞。選評も受賞者インタビューも掲載されており、この読書会で取り上げたら勉強になるかと思い、推薦させていただいた。
 深掘りすると時間がなくなるので、昨日、急遽「どちらが芥川賞に相応しいか」という趣向を提案した。2作の傾向が異なり、選考委員の意見も分かれている。皆さんの好みを伺いたいので推しについて語っていただければ。また、もう一方はなぜ自分に合わないかを教えてください。

<参加者B>
 「叫び」が面白くて、もう「時の家」は読まなくてもいいかなと思っていたが、これもとても面白かった。
 「時の家」は緻密で、冷静に静謐に書こうという抑制が効いている。レース編みのような繊細な世界に入れてええやん、と思ったが、私が選考委員なら「叫び」を選ぶかな。
 「時の家」は藪さんと緑と圭さんという三世代に渡る住人のことが書かれているが、いまひとつ響いてこない。
 「叫び」は生の人間が本音で描かれていて、とにかく面白い。荒唐無稽なことが書かれているけれどリアリティがある。歴史的背景などちゃんと調べられており、しかもそれをおちゃらけたふうに言っているが、ちゃんと「痛み」がある。もう好き嫌いの世界になるが「叫び」が好き。
 また、「時の家」は閉ざされて窮屈な感じがしたのに対し、「叫び」は広がりのある読後感だったので「叫び」を選んだ。
★参加者Bの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」0票、「叫び」1票】

<参加者C>
 私も「叫び」を選ぶ。
 「時の家」は「家」を語り手として、そこに住んだ三世代の人たちの心を描いているのが新しい。しかし緑が公園に行く場面も「家」が語り手となっているのが気になった。最後のほうなのでそのまま読んだが。
 「叫び」の語り手である早野は、失敗も多く、家まで借りたけれど女性に相手にされず、仕事はしているが銅鐸の先生に入れ込んで、受け売りを語ったりしているのが面白かった。
天皇など、日本に昔からある社会的なものを語っている。社会的なものを小説で語ろうとする場合、勉強している人はすでに知っているし、興味がない人には読み飛ばされてしまいがちだが、早野というキャラクターに乗せて面白おかしく書くことで読者に読もうという気にさせる。それに絡めて、中国大陸で罌粟畑を作っていた川又青年が見えるようになり、なおかつ1940年の万博と大阪万博がトンネルのように時代を繋げる。早野と川又青年の2人を語り合わせていることにびっくりした。ずっと面白い、面白いと読んでいたが、罌粟畑の話や巻末の主要参考文献を読んで、日本の軍部が何をしたかを初めて知った。選評にもあったように、エピローグはないほうはいいと思う。それがなければ軍隊の歴史を見つめて終わるので。早野個人の話で閉じてしまって、もったいないと感じる。
★参加者Cの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」0票、「叫び」2票】

<参加者D>
 私は断然「時の家」。最初から描写が絶妙。私は小説を習いに行ったとき、読むのも書くのも苦手で。なんで「赤い薔薇」を「赤い薔薇」と書いちゃいけないの? って。
今は短歌を中心にしているので、小説を読むときも語彙を見る。「時の家」はボキャブラリーが多くて進まない。短歌に使えそうな言葉がいっぱいでてきて、これはまずいぞ、と(笑)。
絵とかを仕事にしている人は、物語をコツコツ書いていくのがわかると思う。この作品は青年のスケッチで進んでいく。すごくユニーク。人物より物に愛情があるのが楽しかった。
冒頭から2行目の「分厚い熱は平らになって屋根面を圧し(中略)対流により奪われてゆく」……全部が短歌になる。五七調が多い。「見えない遅さ」とか、なんとなくわかるわと思って。「見えない遅さ」、すごいな。
そんなふうに組み合わせて短歌を作りながら読んでいったから進まない(笑)。
ざっと全部読んだけど、P246上段の後ろから6行目「斜めから照らされている猫の耳」とか、どんどん短歌が出てきて。10首くらい作って、最後までなかなか行きつけなかった。
 「叫び」は短歌になるような言葉がなかった。坩堝とか鋳造とか鋳型とか。関西弁にもついていけなくて。すごく疲れた。私が選者だったら「叫び」は落としている。
B:Dさんが、もともと東京の人だからというのもあるかも。
★参加者Dの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」1票、「叫び」2票】

<参加者E>
 私も「時の家」好き。この『文藝春秋』を買ったのも「時の家」を読みたかったから。建築家の方がどんなものを書かれたのかなと持って。
前半は読みにくいのなんのって。でも途中からそうかそうか、と読むようになった。描写とか、そういうものがちょっと(他の作品とは)違うなぁっていう感じがして。私、自分で土壁やったことあるんだけど、そうだそうだと思いながら読んだ。家が鳴るとかもよくわかる。
(家に)色々な人が住んでいた、という歴史を書いているのが面白い。解体のシーンもすごくて、絶対こうだな、と思って。
 「時の家」が読みたくて買ったから「叫び」はどうでもいいかと思ったけど、両方読めと言われたので(笑)。
(一同笑)
 「叫び」。大阪人じゃないとこの笑いが理解できないのだろうか。何が楽しいのか、何が面白いのかわからない。私は4年間、大阪に住んでいたことがあるが、大阪人ってこんなとこあるよなと思いながら読んだ。また、天皇陛下の前に飛び出したことを書かなきゃいけないのか? と疑問に感じた。
 2作読んで、みんな「叫び」を推すだろうなと思ったけど、私は「時の家」。私しかいないかなと思ったらDさんがいてくださった(笑)。
★参加者Eの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」2票、「叫び」2票】

<参加者F>
(「時の家」を読んで)感動した。今が大事だと思った。年表を作りました。2年はズレてるかもしれないけど。(※画像参照)

[事前のレジュメより]
【「時の家」読後感想】
登場人物概略
〇実の母の思い出を何とか探そうとしているが、見つからないことに悩む少年 
〇友人の死を受け入れ難い緑
〇両親の離婚と自らの伴侶について考えさせられる圭さん
〇妻への償いとして家を作る薮さん:
 その家の家具の配置、テーブルの高さなどは亡くなった妻に合わせたものだった。
 妻に合わせた、使い勝手が良い造りになっている。 
〇スケッチをする青年:スケッチをする理由は明らかになっていない。
 自らが大切だと思うものをスケッチブックに留めたい、か。
・谷川俊太郎の「時」という詩を三人は発見する。
 緑、圭さん、青年。各自いろんなことを思う。

◎この家は、薮さんが妻への思い《谷川俊太郎の「時」》を形にしたものであろう。
◆家の特定の造り物、例えば大黒柱の籐や、取手などから、3人の思い出がそれぞれ語られる。読み手としては、その部位に対する思いは分かる。しかし、三人もいると話が飛んでおり、縦の関係すなわち時間軸が分かり辛かった。そこで時系列を作った(※画像参照)。縦横(時間、登場人物)の関係の分かり辛い小説でした。
◆個々の話「そもそも死んでしまったことと長く会えないことって、どう違うんやろ」「別れないために、できることって何なのかな」などが、「家」と「時」という詩で繋がって、しめ縄のように展開する構成には感心した。
◆亡くなった人、別れた人、そして、今、目の前に居る人。これらについて考えさせられる作品でした。

【「叫び」読後感想】
344下:激しく罵られ、自分を否定されるたび、こころが軽くなり
    ➡確かにこのようなことはあるような気がする
345上:洒落が面白い
〇罌粟(けし) 罌粟を傷つけて流れ出た液体を乾燥させたものが阿片(アヘン)
〇全体的に、また局所的でもあるが、話の興味を途絶えさせないように、少しずつ論点を変えながら話題を変えている。これで読者が飽きないような構成となっている。
〇文章は読みやすい、だが、ちと難しい話しになると内容がスッと入ってはこなかった。歴史の知識が乏しいので、どこまでが本当の話で、またこれをベースにどうパロディとなっているのか分からなかった。
〇気がふれた男の物語? 罌粟の栽培だけでは幻覚症状は出ないようなので、やはり思い詰めると幻覚が出てしまうという男の話なのか。
〇この小説が芥川賞に選ばれた理由がよく分からない。

【「時の家」「叫び」選評感想】
〇選考委員の評がバラバラと思えた。
〇受賞作以外の作品も読みたいと思った。
〇「叫び」:これはパロディみたいに読むのもありかと思った。

★参加者Fの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」3票、「叫び」2票】

<参加者G>
「叫び」から読んで、なんとも面白いと思った。私は古代史や銅鐸が好きで、そういう題材を取り扱っているのが面白いな、と。そうやって、太古のものと戦前、現代を接続させている。
 選考委員がどこまで意図したかわからないが、この2作品が同時に受賞したことに意味がある。上手いこと対になっている。作者も登場人物も世代が同じ。どちらの主人公も、歴史から切れていて背景を背負っていない空っぽな人間。
「時の家」の青年は、その空白を埋めるために幼いころに関わったことがある、間もなく失われる家の歴史を自分のものにしたいと侵入していく。
「叫び」の早野は、空っぽの自分に似合う空っぽの銅鐸と出会って、その響きで世界を埋めたい。
どちらの作品も、歴史から切れてしまった現代の青年(=日本人)の「歴史をいかにして自分の血や肉の中に取り戻すかというもがき」を描いている。
ただ、方向性はまったく違うが。
ひたすらミニマムなところに迫っていく「時の家」と、誇大妄想的なところにガーンと行ってしまう「叫び」というアプローチの仕方がある。まったく正反対で、だから一見全然違う作品に見えるが、信念というか、芯にあるモチベーションみたいなものはすごく共通している。そこがとても面白い。
 「時の家」に書かれている死者に対する哀切などは個人的にグッとくるのだが、描くものとしては普遍的すぎる(ただ、そういうことは繰り返し誰かが書いたほうがいいのだが)。
 「叫び」は、日本人もあまり知らないような戦前の歴史、天皇の話などを取り入れ(上手く接続できているかはわからないが)、読者に突きつけている。だから芥川賞をとるべきというか、とらないとあまり読む人がいないんじゃないだろうか。それはもったいない。
 でも、やっぱり両方、対で受賞したのがすごく意味があると私は思う。
★参加者Gの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」3票、「叫び」3票】

B:ここまで同数ですね。後半のほうがプレッシャーかかりますよ!(笑)
H:めげずに言うしかない(笑)。

<参加者H>
 私は両方とも読んで、「叫び」めっちゃ嵌りました。すごくツボに嵌って、そういう意味の面白さもあったんだけど、同時に興味深くも読みました。
「時の家」と「叫び」と、どこが大きく違うかっていうと、やはり「時の家」は内に閉じている感じがする。選考委員の平野啓一郎さんも「ナイーヴ過ぎる」と書いており、確かに、と思った。最後にそこから飛躍するものは何もない、という感じに受け取った。
 だから「叫び」のほうが小説として面白いんじゃないかと思うが、私は「時の家」のほうが好き。どうしてかというと、まったく小説の内容とは違うが、「時の家」を読んで、いろいろなことを想起させられるという不思議な体験をしたので。この作品は、登場人物たちにとっては手の届かない過去のものについて書かれている。この家に戻ってくることもできないし、手を触れることもできない。それに対する想いが切々と書かれているのでそこに心が揺れたのかもしれない。私自身、父の転勤でいろいろなところを転々としていたが、家を変わるごとに、もう二度とその家には戻れないし、二度とその環境には戻れない。戻れないものに対する想いというものが、今の私を作ったものでもある。二度と戻れない、でも私のベースになっている。そういう想いが、この「時の家」という小説の中に、ぎゅっと凝縮されているから、私自身の想いを想起させられたんじゃないかと思った。
 そんな体験ができたので、どちらかと訊かれたら、自分の好きな「時の家」を選ぶ。
★参加者Hの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」3票】

<参加者I>
 「時の家」と「叫び」の作者は2人とも関西出身で同じ世代(鳥山まこと氏/兵庫県宝塚市出身/1992年生まれと、畠山丑雄氏/大阪府吹田市出身/1992年生まれ)。私も比較的近い世代で(1986年生まれ)、また、学生時代を大阪で過ごしたので感覚的にわかるところもあった。
 どちらも場所と時をめぐる作品で、先ほど皆さんが仰られたように、共通する部分もあり、対照的でもあると思った。
 「時の家」は過去の出来事の細部を丁寧に描く解像度の高い作品で、「叫び」は大きな流れを書いている。どちらの作品も読みにくい箇所はあったが、最近「わからないところはわからないまま読む」ということを覚えたので、とくに調べずにとりあえず一読した(後から、川又青年は実在しない、など一応調べたが)。どちらもすごくよかったが、どちらが芥川賞に相応しいかというと「叫び」だと思うし、仮に私が選考委員だとしたらそちらを推すが、好きなのは「時の家」。
 「時の家」は、Hさんが言われたように、いろいろな感情を呼び起こしてくれた。阪神・淡路大震災のとき岡山は震度4で、それが私の一番最初に体験した大きい地震だったのだが、揺れを感じていながらも当事者ではない痛み、みたいなものがあったと思う。コロナ禍もそうで、同じ時代にいながら、自分や周りの人は亡くなっていないので当事者ではなかった――そういう負い目のような感情があることを認識させてくれた。また、私も亡くなった友達がもういないという認識が薄くて、ちょっとLINEしようかな、みたいになるときがあり、自分がおかしいのかと思っていたから、この作品を読んで少し救われたところもある。私の中で引っ掛かった部分、自分ごととして捉えた部分があるから「時の家」という作品が好き。
また、私は、過去や物、物が持つエピソードに執着するきらいがある。そんなタイプの人間にとっては刺さるところがあるのではないだろうか。
 2作読了後、選評に「うんうん」と頷いたり、「そうそう」と笑ったり、面白く読んだ。
A:で、結局どっちを選ぶん?
I:「叫び」はラストに向けて作為を感じる部分があって(主人公に短刀を持たせたところで、捕まるラストにするんだなと読めてしまった)、ここは後から付け加えたのかな、とか思ってしまった。「時の家」はコツコツ積み重ねていく作りが好ましいと感じる。でも片方だけ選べと言われたら「叫び」ですね。
★参加者Iの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」4票】

A:すごいな。ここまで同点やで。だんだん責任が重くなってきた(笑)。

<参加者J>
 最初に謝っておきます(笑)。
 最初に「叫び」を読んで「あ、これ好きやわ」と思った。それから「時の家」を読み始めたのだけど、ページごとに疲れてしまって。だから「叫び」だけでいいかなと思っていたら、両方読んで推し作品を決めよう、というメールが来て(笑)。そこから全然読めず……「時の家」は私には難しかった。語彙力のすごさ、その道のプロの言葉の数の多さに圧倒されたし、心に対しての言葉を持っておられるのだが、私には「叫び」のほうが届いた。
 「叫び」は、最初、ふんふん、と読んだが、読み終わってから、これって全部が幻聴幻覚だったのかもしれないと思った。ひょっとしたらあの役所に勤めている同僚たちも。一番確かなのは最後だけ。なぜその部分が必要なのかと言われていたが、私は「ひょっとしたらその部分だけが事実なのか」と思わせられる余韻が好き。
★参加者Jの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」5票】

<参加者K>
 『文藝春秋』は購入したが、体調が優れず全部読めていない。「時の家」は書き出しが難しかったのでパスした。「叫び」は書き出しがよく、最後まで読めそうだった。
 受賞のことばで、「時の家」の作者は前を向いているが、「叫び」の作者は斜に構えており、こういうひねくれたような人は好きだと思った。
 本を読むどころではなかったが、「叫び」は関西の、面白かった時代の漫才を思い出しながら読ませてもらった。最後は私自身、こういう終わり方は好きじゃないと思った。
★参加者Kの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」6票】

B:では、皆さんの意見を踏まえた上で、Aさんお願いします。

<Aさん>
「時の家」
◆ざっと選評を読んでから読み始めたが、一つひとつの言葉に引っ掛かった。言葉自体はすごいと思うが、どういう状況かなかなかイメージできなくて、するするとは読めなかった。青年のスケッチを通して、家の細部を描き出すという作者の試み自体は成功していると思う。そうでないと家視点は成立しないので。
◆青年がなぜスケッチするのかは、P292に、祖父母の家の姿を残さなかった後悔があるという動機づけも自然に入れられている。
◆家視点が顕著だと感じたのが、P327で家が喋っているところ。「そうして浮かび上がる彼らの思考は、思い出すたびに揺れては変化し(後略)」……思い出すたびに、というのは家が思い出している。家はただ単に見ているわけではなく、住人が思い出すことまで把握しており、心の中まで入り込んでいる。彼らがこの場にいないときのことまで彼らの思い出として捉えて、家は取り込んでいる……というところで視点の問題は解決できていると思う。だから家視点というより神視点。心の中も全部お見通し、みたいな。心の中まで描き出しているのがこの作品にとっての必然性で、そういうところがよかった。
◆登場人物としては塾講師の緑が結構好き。彼女のエピソードに出てくる少年にエロティックさを感じた。この少年だけ特別なんだろう、みたいな。そして、緑と少年を震災というものが繋いでいるという設定がちゃんとある。作者はきっと裏事情とか細かいところまでしっかり作り込んでいて、さすが建築家だと思った。作り手として漏れがない。
◆震災が「人が作り上げたものを瞬時に壊してしまう存在」として随所に登場し、ラストの「人の手によって家を壊す描写」と対応しているのかな。作品として完成度がすごく高い。
◆Hさんが仰られた、自分の想いを想起させられるという点について。私は実家が阪神・淡路大震災で潰れている。作品に対して感動するというより、ここに書かれていることで自分の思い出を引き出されて、押し潰されそうな感じになった。地震の瞬間、私自身は大阪におり、箪笥がずれたり食器が壊れたりした程度だったが、実家に行ったら中に入れない状態だった。石垣の上に家があったのだが、裏の家がガサッと落ちてきていて玄関が通れなくて、石垣に梯子を掛けて登らなければならなかった。アルバムを持ち出すのがやっとだった。家は少しの間で本当に朽ち果てていくというのを、まざまざと見せつけられた。屋根が壊れて雨も降っているから。
 それを思ったら、作中の震災に関する内容は薄っぺらく感じてしまう。P312~描かれている、東遊園地の「阪神淡路大震災1.17のつどい」にも参加しているが、あんな暗い場所で少年の顔なんて絶対に見えない。せっかく緻密に作り上げているのに、その辺りにリアリティのなさが垣間見えている。震災のとき3歳で、震災をちゃんと知らない世代である作者が、無理やり捩じ込んだ感じがして。
 途中までは、自分の思い出をいっぱい引き出されたし、亡くなった人に対する緑の考えはすごくわかるなと思ったり、よかったんだけど、そこで冷めてしまった。
◆アーティストじゃなくて職人の作品だと感じる。緻密ではあるけど広がりがない。
◆作品から自分の想いが引き出されるという読書体験を得たのは貴重だなと私も思った。ただ、やはり神視点で、人物が薄いというか遠い感じがして。私が個人的に好きなのは、どれだけ人間が書けているか、という部分なので。選評にもあったが、綺麗事しか書いていない。家の中で起きる人間くさい何かが描けていたらよかったのに、と私も思う。
◆選考委員の1人である吉田修一さんは好きな作家で、吉田修一さんの書いていることは全部納得した。私もそうやなっていう部分があって、だから吉田修一さんの小説好きなんやって、選評から読み取れて面白かった。

「叫び」
◆冒頭から面白くて笑える。リズム感もいい。町田康を思い出した。言葉選びやエピソード選びがすごく独特。だから、どこかで読んだことのあるエピソードが少ない。
◆銅鐸と万博と罌粟畑と満州みたいな突拍子もないモチーフを繋いで小説世界を豊かに広げる発想力に驚かされた。
◆早野と先生、二反長音蔵と川又青年の関係性が似ており、だから過去と現在も似てくるという二重構造になっている。川又青年も何もないが音蔵に惹かれて行動し、早野も先生に惹かれて銅鐸づくりなどを始める。その構造がすごくいいと思った。
◆1940年に開催されるはずだった「紀元2600年記念日本万国博覧会」は幻の万博と言われていて、本当に2025年の大阪・関西万博のチケットと交換できたそう。1970年の大阪万博や2005年の愛・地球博のチケットとは交換できないけど、1940年の万博のチケットに限って交換できる。それを作品に取り入れられた作者の「運」を感じる。
二反長音蔵の時代と、今の時代の類似性を上手いこと取り込んで万博に繋げるというのは、もう感嘆しかなかった。
◆表立って書かれてはいないが、時代の空気感――もう戦争が近いんじゃないかとか、政治に対する不信感とか――そういうことも含めて、アンチテーゼみたいになっているのではと、そういうことも考えさせられる。だから社会風刺でもあるし、社会に対する警告みたいなことも、この小説家はやってるんじゃないかと思わされた。
◆茨木という土地に根差している。茨木の言葉や(しおりの喋りはおっさんくさいんだけど)、主人公が茨木に行くことになった必然性もちゃんと描かれている。
◆一つだけ作品で浮いていると感じたのが、しおりと父の関係が描かれてるところ。ただ、一見サバサバ系であるしおりの複雑さを知る上で必要なエピソードかなとも思う。
◆大阪・関西万博の風景描写はとてもリアリティがあった。大屋根リングに登ったときの、この下に世界があるというような爽快感・全能感みたいなものが本当に上手く描けている。
夏の暑い日でも万博会場は結構涼しかった。大屋根リングの下は風が抜けて気持ちよかったし、その場所にいたときの感覚が思い出せてとてもよかった。
◆全体的に泥臭い人間模様が描かれており、過去の歴史から未来への警告も含めて広がりがすごい。好みでもあるし、芥川賞に相応しいと思った。
★参加者Aの推し作品:「叫び」 【結果:「時の家」4票、「叫び」7票】
 R読書会では「叫び」が、より芥川賞に相応しいと決定しました。

<フリートーク>
D:二反長音蔵って本名? ふざけてない?
A:本名として扱われている。旧姓は川端というそう。だから川端康成が出てくる。音蔵に「音」って入っているのがいいですね。
一見軽いけど奥深い。読みにくい字もあるけど飛ばして読めばいい。雰囲気だけで。
G:私はkindleで読んだ。単語や漢字をすぐ検索できるから助かった。
B:面白いと思ったのが、「時の家」の作者・鳥山さんが読んでいたのは伊坂幸太郎、小川洋子、村田沙耶香など、わりとトレンディ。「叫び」の畠山さんはレヴィ=ストロース、三島由紀夫、大江健三郎、ディケンズなど重たい本格的な作品を読んでいる。
G:「叫び」のP377「郷土史の細かいところ読んでると、どっかに僕のこと書いてあんの、見つけてまいそうな気いすんねん(中略)僕は消えてまうんちゃうかな。ほんでそのページを下にしてバサッと本が落ちる」……それ『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス)のラストや(笑)。
A:将来性をすごく感じる。
G:大体、狂った人間しか出てこないところが『百年の孤独』風(笑)。

【「叫び」早野について】
C:早野は何かを隠している。綺麗に隠し通していて、隠し方が上手い。何を隠しているのかはすぐ出てこないんですが。
B:早野の動きがあまり出てこないときがあるってことですよね。
C:早野は何かをずっと隠している。何かを隠していて言わない。で、終わってしまう。天皇のことに対しても本当は考えているんじゃないかと読んだ。でも押されていってしまって、罌粟畑とか実際作ってしまうという。そういう物語の作り方が面白かった。
書いていないから言葉にするのが難しいけど。最初から最後まで綺麗に隠している。
A:よく喋っているけど寡黙な小説ですよね。会話は多いけど、語り尽くさずに抑えている。
C:読者は、早野が絶対言わないことは何だと思いながら読んでいく。
A:早野は浅い人間なんですよ。先生の受け売りで、定着していない。内容の深いところまで理解していない。
C:読み手に、そう見せるように書いている。
G:早野自身が天皇や戦争をどう思っているのか書いていない。読者はそこを知りたい。
A:早野は何も考えていない。
主義主張を入れてくる小説もあるが、この作品はその対極で、作者の主義主張を入れていない。作者の思想と思わせないように書いている。作者自身がこう思っているというふうに受け取られてしまうと、そういう小説だと思われてしまい、この作品が本当に目指しているものと違ってきてしまうから。だからマジックリアリズム的な手法を取っているんだと思う。
マジックリアリズムも、本当に言いたいことは隠している(いろんなエピソードをたくさん入れて)。
G:読み手に、「早野はこんなことをしてしまいましたが、さて、あなたにとって戦争はどうですか?」と投げかけている。読み手が戦争反対なら戦争反対と取ればいい。

【「時の家」ものづくりについて】
A:「時の家」派の人、どうですか?
D:私、ちょっと霊感があるんです。引っ越しが趣味で20回ぐらいしてるんだけど、人が住んでない家見て「この家ヤバい」って感じることがあって。そのころは告知義務に明確な基準がなかったから不動産屋さんも黙ってて「なんでわかったんですか?」って言われた。
あの階段がおかしいとか、修学旅行で旅館に泊まったときもあの障子の裏がまずいとか、そういうのがある。
今の家は築58年でリフォームばっかりしてるんだけど、58年前の立派な設計図があって、来た建築士さんが驚くんです。きちんとした業者さんが手掛けたという証拠だって。それで、お風呂を全部新しくしたときに、天井を取ったら吹き抜けになってたの。設計図にも描いてなくて、みんなびっくりして。そこに何かが書いてあった。で、業者さんが「天井閉じますよ、もう見れなくなりますよ」って。そういうのってすごくあるんです。だからわかる。
あと、ルイ・ヴィトンのバッグって解体すると中に名前が書いてたりする。ファスナーにもルイ・ヴィトンって書いてある。ああいうのって、ものづくりが仕事か趣味の人じゃないとわからない。
私は「時の家」を読んでいると一つひとつわかる。
選考委員の吉田修一さんが「薪ストーブの良さがなくなるのだろうか?」と書かれていたが実際そう。ものづくりってすごい時間がコツコツコツコツかかる。私も小さいころ薪風呂で、ガスとか電気に変えたら暖かさが全然違った。じんわり体を温めて柔らかかったのに、機械を入れたとたんにガッて熱くて痛いって感じになった。だから吉田修一さんはこういう書き方のことを、本当はわかってるんだなってちょっと思った。吉田修一さんの作品、読んだことないけど読んでみたい。
A:とりあえず『国宝』を読んでください(笑)。

【「時の家」登場人物について】
C:スケッチをしている青年って、緑の塾に来ていた少年?
A:関係ない。
G:ただ年齢が近いから、もしかしたらそう思わせるつもりはあったのかもしれない。近所に住んでたっぽいですし。
B:私は「時の家」を読んで連想した映画が1つあって。『めぐりあう時間たち』(原題:The Hours/2002年、アメリカ)という、3つの時代の女性がそれぞれに生きていく作品。最後に自殺するヴァージニア・ウルフをみんな心の中に思いながら時を過ごしていく。原題の「Hours」も時だから連想したのかな。
「時の家」っていうのは「家の時」じゃなくて、時間というものの家を書いているわけだから、そういう意味でよく練られたタイトルだと思う。
D:最後、後ろから10行目「いずれ基礎も掘り起こされ、解体されてただの更地になってしまうのだろう。そう思ったのはたしか青年で、大きく湿った息を吐いたのは誰だったか」わかるよね、みんな。ぐっとくる。というか途中でも泣いてたし(笑)。詩のところで。
A:詩、すごくいいよね。谷川俊太郎の力を借りているけど(笑)。
D:でも、書いてるときに詩に出会ったってインタビューにあったから。インスピレーションを受けたって言ってる。

H:視点人物、話題になる人が変わっていく。ずるっと変わっていくところが最初ちょっと混乱するけど、あれあれと思っていたらいつの間にか次の話が始まっている。
A:行空きもなく変わったりしてるもんね。
C:青年がスケッチするところに上手に重なっている。
D:P271で青年はようやく鉛筆を置いた。家の物語とリンクしていて、すごくいいと思う。
C:家が語り手だから、それ以上は人間の気持ちは書けない。
A:そう。だからもう、そこは好みだと思う。人間を読みたい人か、そうでない人か。
C:選考委員の平野啓一郎がもっと工夫できなかったのかと書いている。
D:できない(笑)。この作品はこれでいい。
G:圭さんと脩さんの夫婦は薄めでしたね。尺が短い。あまり書くべき部分もないのかもしれないけど。
オムニバスの短編みたいになっていて、やっぱり濃い薄いがあって、真ん中の緑さんが一番濃い。彼女がどちらかというと主人公じゃないだろうか。
住人のいない空っぽの家をスケッチするほどに愛してやまない青年と、この家の主人である緑。そして緑にとって特別な少年も彼らに似ている。緑も家も、性的に思われる対象として描かれている。
B:エロティックですよね。
G:そうくると、圭さんの話はいるのかな、となる。
A:エピソードもありきたりだし薄いですよね。
F:その違和感は私もあった。調べてみると本当に少ないんですよ。
A:私はもうちょっと藪さんの話を読みたかった。藪さんが家を離れなくちゃいけなくなったところとか。この家を思い入れたっぷりに作っているわけだから。
F:亡くなるところがあやふやですよね。
C:でも、作ったものは壊されていく、というところに焦点を当てたいから、敢えてそこを書かなかったってことですかね。
A:壊されるところが書きたかったから。
G:藪さんはこの家を自分の奥さんとして建てているわけですからね、この家こそが、この小説のヒロイン。
A:家が語りすぎていないのがいい。
D:私、何回でも読める。P302「妻の声が聞こえてくるようで」って、すごい。そんなの思ったことないから。自分と全然違うものを感じて面白い。

【「叫び」描写について】
A:「叫び」も、地の文に密度の濃い描写がいっぱいある。作者が読んできたものが表れているというか、本当に純文学している。
B:地の文に骨太なものを感じる。台詞と地の文のギャップがすごく面白い。
A:P372「暗闇は諦観を帯びた親密な空気に満ち、天井の高い所に出て足音が複雑に反響し始めると、音に遅れて足がついてくるような錯覚を覚え」とか。軽いところに、いきなりこういう文章が入ってきて、そこそこ唐突ですよね。早野の視点に作者が混じったな、と思う。早野はこんな言葉選びしないだろ、って(笑)。
B:早野を馬鹿にしすぎ(笑)。
G:私は、早野も自分の韜晦をわかっているんだと思う。決して何も考えずに生きてるわけじゃない。それに蓋をしているからこそ、突拍子もない方向に行くのであって。
A:冒頭。これは先生の影響を受けて、洗脳されている。早野は先生がめちゃくちゃ好き。
作者自身が過去に先生やってて、今は公務員。早野は作者の分身みたいなもの。
G:作者が早野のキャラクターについてどれほど自覚的かはわからないが、こんな感じの、非モテで陰キャでちょっとオタクの男が、自分の空っぽさを埋めるために、右翼的な言説に飛びつくっていうのはすごく今日的だと思う。
A:たぶん頭はいい。しっかり覚えられるし、先生の受け売りも喋れる。でも語り尽くしたら言葉が出なくなる。その辺りもすごく上手く作っている。
D:皆さん、初めから早野が男性だとわかりましたか?
I:P332の下段に「独身男性」って書いてあった。
D:最初、男女どっちかなと思いながら読んでて、「ひかるちゃん」ってあったから混乱した。
A:後輩の向井も男性か女性かはっきりわからない。

【描きたいものについて】
C:言葉じゃないところを感じさせるのが構成の妙なんでしょうね。
A:ラストのアスタリスクの後(エピローグ)が必要かどうかという話について。冒頭が会社での日常だったから、日常(現実)に戻したんだろうな。
やっぱり読者は早野がどうなったか気にするので、日常生活に戻したんだと思う。
D:しおりちゃんは何で帰ってこないの?
A:万博のトイレは混んでいるし、万博の行列も動くから早野の位置もわからなくなる。
D:帰ってこないからなんかあるのかと期待して読んでたので、どういうことよ、って。
出てくる人、全員いい加減じゃない? だから読んでていやになってきた。
G:しおりは確かに深掘りできていない。テーマとか、銅鐸という象徴とかと、もうちょっと緊密に彼女が結びつくべきだと思う。
A:そうしたらあざとくならない? しおりちゃんよくわからないな、くらいで計算して書かれてるんじゃないかな。
C:しおりの父親のエピソードはキャラクターを立てるため?
A:でしょうね。あのエピソードは作品に直接関わっていない。
D:何もしないって言われたから家についていったら襲ってきたわけでしょ。いい加減やん。
A:品行方正な人間しか出てこない小説は面白くない。だから「時の家」は品行方正すぎて面白くない、薄いなと感じる。人間として、ちょっと捻っているほうが面白い。
D:「時の家」は、スケッチみたいにそのものを書くっていうことに集中しているから。建築士として。「時の家」は、本当に人を書いてるわけじゃない。
A:そう。だから好みなんですよ。これはこれで完成度が高い。「時の家」は人を書いてるんじゃなくて、物とか家に対して、人が過ごした時間を書いている。だから思い出を想起させるような刺激があるんだろうと思う。ちょっと普通の小説ではないという感じはした。普遍性があり、誰にでも当てはまるものが書かれている。誰もが家と関わって生きているから。その思い出みたいなものを引き出す力がある。
G:藪さんの作った家は、その美意識によって、家と繋がる人たちの美しい部分を引き出す。――そういう人ってなかなか珍しいんじゃないかな。
A:珍しい。彼らは、藪さんの想いを引き継いだ不動産屋が「藪さんの大事にしてきたものを受け継げるだろう」と選んだ人たち。だから綺麗な人たち。Dさんは選ばれるかもしれない(笑)。
D:猫や犬の描写、素晴らしくないですか? 籐巻の柱を犬が齧るところとか、すごくよかった。
H:籐とか漆喰とかの質感もすごくわかる感じがする。
G:実際、作中の家の図面を書いたってありますね。
自分の家を作って、そのときにいろいろ考えたことがあったんでしょうね。

【作品の感じ方】
D:ボキャブラリーって2種類あるって知ってる? 受動語彙と能動語彙があるの。受動語彙は、聞いて(読んで)意味がわかる語彙。能動語彙は、自分が使える語彙。「時の家」には能動語彙が詰まってて、どんどん短歌ができちゃうの。
A:感性が響き合ったんですね。
H:「時の家」を読んでフラッシュバックみたいにいろいろな場面が出てくるのは私だけかな? 選評では誰も言ってなかったけど。
G:選考委員がそれ言うの恥ずかしいからかな。
A:でもそういう力を持った小説だとは言ってええやん(笑)。
選評で言うと、川上未映子さんは「家は作者が関心の持てないもの、避けているものを、もっと見ているだろう」と書いている。川上未映子さん自身は抉り出すように書く人だから物足りないんでしょうね。
G:それを書いたら、この家はこの家じゃなくなる。藪さんの世界が壊れてしまうから。籐巻の柱は立たない。
D:山田詠美さんも「辿り着くまで長い」って書かれてますね。違うんですよ、ものづくりっていうのは。みんな、物語を追おうとしてしまっている。
A:Dさん、昔「描写大嫌い」って言うとったやん!(笑)。
D:昔のことです(笑)。
H:確かに最初はとっつきにくいけど、だんだん家が主人公なんだと理解できた途端に、最初に戻って、もう一度読みたくなる。
D:私は10回も20回も読みます(笑)。
A:私はもう1回読みたいとは思わないなぁ。
でも「叫び」を読んだから「叫び」のほうがいいと感じたけど、「時の家」しか読んでないときは、さすが芥川賞を受賞する作品だなと思った。
この作者は建築士の技を使わずにどれだけ書けるんだろう。「叫び」の作者はなんでも書けそう。人間を書けるから。
G:「叫び」の作者の写真が早野のイメージに重なる。「時の家」の作者もスケッチしてる青年を思わせる。2人とも、なんてぴったりの小説を書くんだ(笑)。
A:面白い。比べたらいろいろなものが見えてくる。2作あってよかった。
アプローチは正反対なんだけど、根元のモチベーションが似ているからなおさら。
G:青年には藪さん、早野には先生という師匠がいて。対になっていますね。

【小説の「場」について】
J:一つだけ質問。私は阪神・淡路大震災のとき東京にいたので、共鳴するところがないんです。その作品に共感するっていうのは地域性がある。その土地の名前だけを提示して、これが好きって思わせる作品が本当にいいものなのかな。
地方を舞台にするのは難しい。東京と出せばみんな納得してくれるけど、例えば岡山の津山を出したら「ん?」となる。その辺りはどう書いて行けばいいんだろう。
A:ほとんどの人は津山を知らないから、街の名前だけ出してもわからない。だからわかってもらえるように描写に力を入れるしかないんじゃないかな。「叫び」でも茨木のことを詳細に書いてますよね。大阪以外の人は茨木のことを知らないから、これくらいみっちり書かなくちゃいけない。その場所をイメージさせて、読者をそこに連れていくのが小説。難しいけどそれをするしかない。
H:場が立ち上がってこないと共鳴できないですからね。資料として読むのと物語として読むのは違う。資料として読むと距離がある。物語として読むと自分ごととして読むから共鳴できる。そういうのが小説の力じゃないかなと思っている。
だから場面を立ち上げるために、津山のその場所はどういい場所なのかということを書き込まなくてはならないんだと思う。
A:「叫び」を読んだら、万博に行ったことなくてもすごい行列だったことがわかるし、大屋根リングに登ったことがなくてもなんとなくわかるじゃないですか。
G:作品にとって相応しい、場所のディテールの分量がある。ちゃんとそこに相応しいドラマがあって、読んでて面白いってなれば自然と入ってくる。それなしに、いきなりこうこうこうなんです、って説明しても読んでもらえない。
A:小説にとって、どれだけその場である必然性があるか。茨木は銅鐸の産地だからここでなくてはならない。
地名を聞いただけでは場が立ち上がらない人(その場所を知らない人)に読んでもらう前提で書くべき。
D:決まった土地を舞台にした作品を募集する文学賞の選考で、その土地のことを全然知らない人が書いた作品はすぐにわかるんだそう。いきなり有名なお店を出したり、作品に必要なさそうな、その土地ゆかりのものを入れたりしているから、わざとらしいんだって。

『黒い家』貴志祐介(角川ホラー文庫)

Zoom読書会 2026.04.25
【テキスト】『黒い家』貴志祐介(角川ホラー文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
ずっと家の本棚にあり、読みたかったけど怖いと聞いて手が出せなかったので、ホラーが大丈夫そうな皆さんに付き合っていただこうと推薦しました(笑)。

<参加者B>
◆心理学、サイコパスを題材にしたホラー小説だと思った。心理学というものをとりあえず入れておこう、みたいなノリはちょっと感じる。たぶん『新世紀エヴァンゲリオン』の影響だろうか。
◆序盤、当時の保険会社のよもやま話が続き、かったるく感じたが、後半からの、ホラーにおける「曖昧さや幻想」に逃げず、カネに執着した一人の人間を描き切った点は秀逸。
◆犯人の異様さ、異質さ、豹変した際の狂気の描写も秀逸。「黒い家」に住んでいる人物、そして舞台そのものが気色悪い。
◆ただ、さすがに30年前の作品なので、全体的に古臭さを感じてしまうのは否めない。保険会社の商品の古さ(そして抜け道の多さ)や、金石がなぜかゲイセクシャルであったりする点など。
◆エピローグはどこか社会派的で、この後の小泉改革による、より本格的な新自由主義経済の到来と、格安掛け捨ての保険商品、薄利多売による買い手・売り手の疲弊を予感させられる。そして今現在、実際にマインドゲームは冷え切っているように感じる。
◆この作品を振り返ってみれば、カネのために親類縁者すら売るというのは、むしろ昔に行われていた間引き、口減らし、姥捨てに見られるような冷淡さが先祖返りしてきたような趣があり、物質的には豊かでありながら精神の安定性がない。
起死回生の方法が明確化されているからこその余裕のなさが恐怖を喚起するのではないかと感じた。

<参加者C>
◆貴志祐介は好きな作家。とくに長編はハズレがない。
◆『黒い家』は20数年ぶりの再読。90年代の雰囲気が懐かしかった。
1997年発行の本作は、1996年発行の『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』(M・スコット・ペック 著/草思社)、1996年連載開始の漫画『多重人格探偵サイコ』(大塚英志 原作、田島昭宇 作画/角川書店)などと並んで、サイコパスという概念が定着する切っ掛けとなった作品の一つではないだろうか。
◆私は人怖でないホラーのほうが好きだが、『黒い家』は優れた演出のいい作品だと思う。
◆貴志祐介は地に足がついた作家。『黒い家』ではしっかり保険会社の業務を書いており、他の作品でも仕事や人間をそれらしく描いている。エンタメ作家の中にも社会の理解がふわっとしている人がいるが、貴志祐介はその辺りもしっかりしている。
◆エンタメの方法論で書かれている。間違った推理がひっくり返されて、ピンチになって、捕らわれのヒロインを助ける。
◆白眉は、菰田幸子にアパートへ侵入されたとき、外から留守電を聞くシーン。怖かった。
◆私は学生時代、金剛の近くに住んでいたので土地鑑があるが、京都から和歌山へ行く際に特急に乗るのは金持ちだと思った(笑)。私なら快速で行くかな。
◆ツッコミどころを上げるとすれば、そんなにバンバン殺すかな、という部分。それだけ被害者がいるのにスルーしていた警察が無能ですよね。さすがに、金石の死体が出たら捜査せぇよと思った。
◆あと、サイコも旦那(重徳)もキャラクターが立っていたが金石は類型的かな。1997年は、ゲイを容赦なくネタにしていい時代とコンプライアンスの厳しい現代との境くらいの時期。ニュートラルな描写にはなっている。
でも性的指向に関係なく、パートナーがいる人に粉をかけるのはよくない。
◆ダイオキシンなどの環境汚染が遺伝子を蝕みつつある……ぞっとしてください、という終わり方。化学物質を背景に使いたがるのも90年代的。
◆映画では菰田幸子を大竹しのぶが演じており、美人サイコキラーになっていて少し印象が違った。謎のエロシーンも追加されていた記憶がある。懐かしい。
A:韓国のリメイク版では菰田さんにあたる人が若い美人だそうです(笑)。どこにでもいそうな人がサイコキラーだから怖いのではと思うけれど、ネットで見たところ結構好評みたい。
C:機会があったら観たいですね。

<参加者D>
◆大変怖かった。とくに11章からが怖かった。私もよく夜にコンビニへ行っていたが、誰かが入り込んでくるのは怖いな、と行けなくなった(笑)。
その後はこれでもかと作り込んでいると感じたが、クライマックスの入り口が我が身と重なったので刺さった。
◆30年くらい前の作品。当時はサイコパスという題材が扱われ始めたころで、私はヒッチコックの映画『サイコ』(1960年、アメリカ)のイメージがあったから「感覚が違うかな」と思いながらいろいろ読んでいた(『黒い家』は今回が初読)。
◆90年代の懐かしさもそれなりに感じた。携帯電話が一般的じゃないから公衆電話を操作して……。私は会社から携帯電話を持たされていた。使っていると周りの人がみんな見てきた。そんな時代もあったんだな、一般的には携帯電話は普及していなかったなと思いながら読んだ。
マイクロカセットレコーダー、コードレスホン、ワープロ……私はそういう小道具を使って古い話を書くのが好きなので、このあたりを集めて作っても面白いかなぁ。

◆そのあたりはさておき、小説としてどうかなと読んだら……菰田重徳が犯人に違いないという若槻の独自見解で進んでいくが、ほとんどの読者は重徳が犯人じゃないと思って読む。ミステリーじゃないので、重徳でなければ幸子に決まっている(ミステリーとしてはネタバレしてしまっている)。ネタバレを使って書いても面白くなるのかな。幸子が犯人だとしたら、どんな姿で現れるのか期待を持たせられる。
◆金石は何のために出てきたのか。ストーリーにほとんど絡んでいない。説明するために出てきた説明キャラクター。もう少しストーリーに絡めた使い方をできなかったのか。
◆若槻の、兄を死に追いやったのは自分だという後悔を重く扱っているのが効いているのかいないのかわからない。若槻がそのような傾向を持っていることと、事件が起こったこととの関連性はない。普通の会社員として怖い目に遭うほうが恐ろしさが増すのでは。小説として見た場合、そのあたりが、心理面を書いて深みを出そうという思惑に馴染んでいなかったのではないだろうか。
とはいえ悪く影響しているわけではなく(自分も小説を書く側として引っ掛かるところがあっただけで)、ちゃんと出来上がっていたので、面白く読ませてもらった。

<参加者A(推薦者)>
◆まず保険会社の仕事内容が面白かった。お仕事小説好きなので。私の勤め先も保険会社のビルの最上階に入っており、なんか臨場感があった(笑)。
確かに保険会社の拠点は1階には入っていないので不思議に思っていた。簡単なアンケートに答えればお菓子をいっぱいくれるから保険会社はお金があるんだなと常々感じる。ラストに保険会社の未来について悲観的だったが大丈夫そう?
◆作中の事件は、現実の事件がえげつなさすぎるのでそこまで怖くなかった。
コロナ前、作者の講演で「ある事件のとき警察に意見を求められた」と聞いて、本当に警察が作家に意見を訊くことがあるんだ、と思ったが、実際の事件のほうが酷すぎて……。
◆構成などは非常に勉強になった。今回、電子書籍も購入してみたのだが、これって全体の何%読んだか表示されるんですね。最初から20%が仕事の説明、50%で潮目が変わって、60%で子猫が殺されて。すごく計算して作られていると思った。読んでいて中弛みもなかった。
◆菰田幸子の体力が羨ましい。中年女性であのフィジカルはすごすぎる。40代なんて命の母を飲んでやっと動けているくらいですよ(笑)。
個人的に関西弁大好きなので、留守番電話のシーンは逆に好感度が上がってしまった……。
ラスト、大柄な男が登場して、やっぱり大柄な男のほうが怖いよなと思った。
◆貴志祐介のサイコパスものといえば他に『悪の教典』(文芸春秋)を読んだが、『黒い家』のほうが完成度が高いのではと感じる。サイコパスの主人公が地の文で「自分はすごい」と言っている割には高校生に出し抜かれたりしているので……。『黒い家』のように、被害者視点のほうが怖く感じるのかもしれない。

<フリートーク>
【地域性について】
C:最初に読んだときは関西に住んだことがなかったので、関西弁不気味で怖いなと思った。
B:東北在住のBさんはどうですか?
B:方言で恐怖がプラスされるかわからない。私やCさんは秋田弁と津軽弁が混ざった感じの言葉だけど、書き方次第で怖くなるかも。
A:『リング』(鈴木光司/角川ホラー文庫)でも、呪いのビデオの中に方言が使われていましたね。
C:意味がわからないから怖いというのはある。
A:私もCさんと同じ大学だったので金剛懐かしかった(笑)。金剛バスはもうないんでしたか。
D:貴志祐介は西宮在住なんでしょう。私も西宮在住(笑)。
C:方言でいうと、標準語でまくしたてられるとむかつくというのは本当ですか?(笑)
A:関西人のDさん、どうですか?(笑)
D:私自身、標準語に近いから(笑)。転勤先で「関東の出だね」と言われたくらい。言葉に慣れるのが早い。気をつけて喋れば向こうの人間になれる。でも仙台の言葉には慣れなかった。仙台の人は標準語だから覚えられなかった。
青森に行ったとき、昼は話が通じるが、夜に酒を飲むときは言っていることがわからなかった。(飲み会から)帰ろうと思っていたが、言葉を学ぶいい機会だと残った。結局マスターできなかったけど。
標準語は割と簡単に馴染めますよ。
A:岡山はイントネーションが標準語に近いので、関西で「関東の人?」と訊かれたことが。
C:私も地元の飲み屋に行くと「東京から来たの?」と言われる。挨拶みたいなものでは(笑)。
A:あっ、そういうこと!? ちょっと喜んでたのに(笑)。
貴志祐介は大阪出身で大学も京都で、思いっきり関西の人なんですね。
C:京都に人殺しが住んでるって設定がいいですね。大阪だったら人くらい殺すやろ、奈良だったら怨霊じゃないと許されない、みたいなイメージある。

【気になった部分】
A:若槻、電話をかけてきた菰田さんに兄の話をしたばかりに散々な目に……。
D:それが導入。そこから話が動き出す。
C:いいことをした結果、巻き込まれるのは怖いですね。
D:たとえ兄に対して引け目があっても、ああいう喋りはしないと思うが。
C:京都支社は少人数だし、若槻が電話を取らなかったら葛西が巻き込まれていたのかな。その場合、若槻はモブとして死んでるかも。

A:残虐さを、自分ではどうしようもない、生まれながらの性質だとするのは作品としてどうなのだろう? エンタメならありなのか。
C:恵の理想はいいが、彼氏がサイコを撲殺して間もないころに「それ人間だよ」というのは酷だろう。せめて半年くらい経ってから……
A:恵、金石の死体蹴りもしてましたね。彼も普通に被害者なのに……
C:金石の死体が見つかった時点で京都府警を挙げて捜査すべきだった。黒い家に捜査員が行ってたら、そこで話が終わる。
A:作中でも言及されてたけど、若槻が思いっきり暴れて窓ガラスガシャーンってやってたら通報されて警察来てましたよね。
あと、最後エレベーター乗るときも消火器を持って行けって思った(笑)。そもそも狙われてるならスタンガンとか持ち歩いていたほうがよかった気が。
C:弁当減ってるあたりで気づいてもよかった。もっと警戒しておくべき。
A:部屋に入られた時点で通報しておけば……
C:あそこは映画でもいいシーンなんですよ。
私が一人暮らししているとき、自宅に帰ったらトイレに鍵がかかっていたことがあった。3分くらい待って開けたら誰もいなかったんですが(笑)。
D:実はいたんじゃない?(笑)
C:私の家に忍び込んでも、痕跡を残さないでくれたらいいです(笑)。

【サイコパスについて】
A:推薦者としては、Dさんが「怖い」って言ってくれてよかった(笑)。
D:ちょうど家の鍵かけずにコンビニ行ってたから……(笑)。
A:現実の延長に感じられるから怖いですね。
C:作中でも言及されてたけど、若槻を消すことのメリットはあるのだろうか。
A:サイコパスって感情を排して合理的に動ける人ってイメージだけど、怒りに任せた殺人とかするのかな?
C:80年代のサイコのイメージ引きずってますよね。隙あらば殺す、みたいな。
A:化粧品の営業に来た女の子を殺すのは、さすがにどうなのか。快楽殺人者じゃないんだから。
C:何か気に障ること言ったんでしょうかね。
今の時代、フィクションに登場するサイコパスはもっとクレバー。ブラッシュアップされてきた。
A:菰田幸子さんはサイコパスよりソシオパスに近いのかな?
B:『黒い家』が書かれたころは『模倣犯』(宮部みゆき/新潮文庫)なども流行っていて、人気の題材だった。
C:あの時代、サイコ気取りが多かったですね。感情のない中学生、みたいな。
A:黒歴史になるやつだ(笑)。
読む前のイメージとしては、近づいた人を支配して殺し合わせる……みたいな作品を想像していたから拍子抜けした部分もあって。実際にあった事件で、よりおぞましいと私が感じるのはそういうものなので。
C:身近な人を支配して殺すタイプだと被害は狭い範囲に留まる。キルスコアでいうと菰田さんはエリートサイコパスですね。三善戦を見てみたかった。
A:三善、菰田さんが人を殺しているとわかっていたのに、なんでのこのこ家に行ったんだろう。人質でも取られてた?
確かに、この作品が書かれてからの30年でサイコパスのイメージが変わってきましたね。
C:襤褸家を掘ったら骨がいっぱい、ということはあまり聞かなくなった。全盛期までのサイコに比べたら今のサイコは大人しい。現代で家に来た営業を殺したら絶対にバレるし。菰田さんみたいなフィジカル系のサイコは生きにくいでしょうね。
そういえば旦那さん(重徳)のほうはどうしたんでしたっけ。
A:飛び降り自殺を図って精神病院にいるとありました。
C:ひどい目に遭いましたね。
A:心理的な追い詰め方を想像していたら、思いっきりフィジカル系だった。
C:現代のストーカーに近い。ターゲティングされた時点で終わり。
A:海外のモンスターは物理で対抗できそうだと感じるので、そこまで恐怖を感じない。『黒い家』もそれに近い気がした。
B:ハモ切り包丁ですもんね(笑)。
A:包丁、その都度手入れしないとだめになりそう。「(菰田幸子は)ああ見えて案外手先は器用なのかもしれない」とあったから、研いだりしていたのかも。
C:私は若槻の母親を少し怪しく感じていたので、母親がサイコだったというオチかと思っていた(笑)。兄の死が実は……みたいな。でも、すき焼きを食べに行ったあたりで普通の母親なのかな、と考えを改めた。サイコだったらすき焼き奢らないだろ、って思って(笑)。
序盤の母親、怪しくなかったですか? 兄が死んで保険金が入って。
A:言われてみれば……。父親はすでに亡くなっていたし。
C:みんなサイコエンドはどうでしょう(笑)。母親もサイコ。恵もサイコ。
D:それだったら主人公もサイコになるのでは?(笑)
C:「頭蓋骨砕くの楽しかったな!」みたいな?
角川ホラー文庫が輝いていたころの作品はやはりいい。
A:角川ホラー、最近は元気ないですか?
C:あまり聞かないですね。
かつて日本ホラー小説大賞(※2019年度から「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」へ移行)の大賞は500万円と映像化だった。

【経験と創作について】
A:作者である貴志祐介は実際に保険会社に勤めていたんですね。最初に自分の知っている業界を書いて、その後は別のネタでヒット作が続いてるのすごいなぁ。
C:安定感がある作家ですね。
D:保険会社を辞めてから書いたみたいですね。現役だったら、三善みたいな潰し屋に頼んでいることを書くのはまずいかもしれない。
A:渡辺淳一は『小説心臓移植』(のちに「白い宴」に改題/角川文庫)を書いたため、勤めていた病院を辞めることになったのでしたか。
D:貴志祐介は(創作する上で)「自分」が消滅した。
C:そこが一番大事なところ。これでいけるという安心感がある。この作品に限らず『天使の囀り』(角川ホラー文庫)、『青の炎』(角川文庫)もいいですよ。読んだあと、(衝撃を)喰らったなぁ、となる。
B:『天使の囀り』、買ったけど手が出せてなくて。(本を取り出す)
C:読んだら、しばらくそわそわしますよ(笑)。
A:私は『悪の教典』のほかに『クリムゾンの迷宮』(角川ホラー文庫)を読んだ。世界遺産を紹介するテレビ番組を観ていて、ここがデスゲームの舞台か……ってなりました(笑)。
ちなみに『黒い家』は、ほぼお仕事小説として読んだ。お仕事小説、結構好きなんで。
C:高級取りっぽくっていいですよね。
A:人と関わる仕事は小説のネタを拾うのに役立つって言いますね。タクシー運転手とか、女性ならホステスとか。
C:実際にタクシー運転手から作家になった人、いますね。
B:お酒飲んでぽろぽろと喋るお客さん、いそう。

【保険というテーマについて】
D:私は銀行に勤めていたが、保険会社と仕事がこんなに違うとは。銀行の仕事は、若槻が最初にいた部署(外国債券投資課)に近い。そのイメージだったから、生命保険の査定は新鮮だった。
B:生命保険は大体が掛け捨てで保険金が戻ってこない。中には貯蓄型もあるけど。やめたら戻ってくる商品ないかな。
D:私は今まで大金払って、去年初めて10万円もらった。それ1回だけ。掛け捨てだから。
C:保険ってギャンブルとして見たら、死ぬか怪我するか、どちらにしても当たりたくないですね。
今はスマートウォッチとかくれるらしいですよ。保険会社からすると、客が長生きして、ある日突然死んでくれるのが一番いい。
D:生命保険と年金は逆なんですよね。年金は受給者が長生きするのがコスト、保険は加入者が早死にするのがコスト。だから若いうちから生命保険を薦める。そういう歪な世界を扱っているのが保険会社。
C:保険がテーマの小説って他にありますか? 面白い世界ですね。
B:生活に即した話だから興味深い。