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R読書会/Zoom読書会

『高丘親王航海記』澁澤龍彥(文春文庫)

Zoom読書会 2022.06.26
【テキスト】『高丘親王航海記』澁澤龍彥(文春文庫)
【参加人数】出席4名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者E)>
以前持っていた文庫本の字が小さくて、読めなくなったから新版を買い直した。
古い版の小さい字が読めたくらい昔(十数年前)に一回読んだだけなのに、情景が自分の中に残っている。文章は忘れているけれど、描かれた情景が十何年も色褪せずに残っているのがすごいと思い推薦した。

<参加者A>
◆読み始める前は高丘親王についての知識がなく、航海記というタイトルとカバー絵から、若い皇子が冒険するのかと思っていたので、67歳の主人公で驚いた。しかし親王は若々しく好奇心旺盛、よく笑う温厚なキャラクターでとても好感が持てた。病に倒れて死ぬ間際までそれが変わらず、一貫して天竺を目指し続けているのがよかった。
◆基本的に親王に害をなす人物が出てこない。航海記だが、親王の内面的な話であると思った。しかし、私としては、真臘(カンボジャ)や盤盤、南詔国といった国々に連れて行ってもらって、また、幻想的な光景を見せてもらって、とにかく楽しかった。だからこの作品を本当の意味で理解できていないと感じる。ただ、親王のような生き方・死に方をしたい。
◆あとがきで高橋克彦が「若い人たちにどれだけ理解されるだろうか……」と書いていたのと、感想を検索していて「(この本は)終活本」という言葉を見つけたのもあって、もうちょっと年をとってから読み返してみたい。
◆書き方も面白い。P15で「エンサイクロぺティック」という言葉が出てきて、現代語をふんだんに使うのだなと了解した。P38、「大蟻食いという生きものは、いまから約六百年後、コロンブスの船が行きついた新大陸とやらで初めて発見されるべき生きものです。」という台詞を登場人物に言わせていて、すごく面白かった。メタ的というか(作中で言うアナクロニズム)。
◆大抵の場合、一生懸命読んでいって夢オチだったら怒るけれど、この作品は許せる。夢と現実が地続きになっているからだろうか。むしろ、親王が目覚めるシーンがなかったら「夢じゃないのか?」と困惑した(笑)。
◆秋丸と春丸のエピソードが好き。輪廻転生を表しているのだろうか。秋丸と春丸は、人とは少し違う存在なのかもしれない。本人たちも無自覚だが、不思議な鳥の化身であるとか。火の鳥など、甦る鳥の話は世界にある。
◆物語をずっと貫いているのは薬子。とても印象的。親王にとってのファム・ファタールか。

<参加者B>
◆好きな感じの作品。
◆ちょうど(自分の)新作で扱っていた世界に近く、あと1ヵ月早く読みたかった。
◆奇譚。ストーリーテリングというより、文体、教養、センス・オブ・ワンダーに引っ張られながら読める。
◆半分は夢の話。夢の世界に行って帰る。しかし、夢だったはずの盤盤のパタリヤ・パタタ姫が現実(?)に登場し、親王に死に方を示唆してくれる。夢と現を分けられない作品で、そこが気持ちいい。
◆テーマは「国を出ること」「旅すること」だろうか。空海和上が「あなたは渡天の旅をする」と言っていたように。旅をする動機については、わかったようなわからないような感じだが。
◆ざっくり面白かった。

<参加者C>
◆高丘親王の兄にあたる阿保親王墓所とされる古墳が芦屋市にある(※阿保親王塚古墳。本来の被葬者は不明)。なお、阿保親王在原業平の父である。
隣町に関わりのある人なので名前だけは知っている。
薬子の変を扱う歴史小説で高丘親王を主人公として書けないか調べたことがあるが、67歳で広州から天竺へ向かった資料しかなかった。あの辺りの歴史は面白いので書きたかった。幻想的ではない普通の歴史小説を、だが。
◆『高丘親王航海記』は、話には聞いていたが読んだことはなかった。こんな面白い話だったのかとわかってよかった。
◆夢と現実、過去と未来が同じ平面で語られている。マルコ・ポーロコロンブスが出てきても何の違和感もなく読めて不思議。
◆背景に書かれているのが仏教的な輪廻転生。私たちが普段から慣れている仏教の考え方。そのような頭で読めば違和感がない。
前回、読書会で取り上げた森見登美彦『熱帯』も、この作品も、狙っているのは同じようなところではないか。アプローチが似ている(『熱帯』は私にとって違和感があったが)。読者がどこまでついていけるのか試されている。
◆意味ありげなことが書いてある。深掘りしたくなるが、深掘りして考えたことが正しいか、果たして疑問。どれだけ深く掘り下げても、いろいろな見方ができることにしかならないのでは。
◆『西遊記』などのように、面白おかしく読める、で充分では。考えると迷い込む。もっと素直に読んでもいいと思う。
◆面白かったのは薬子の「卵生したい」。1979年、女優の秋吉久美子が結婚会見で「(子どもを)卵で生みたい」と言ったのを思い出した。
A:私はパタリヤ・パタタ姫で『パタリロ!』を思い出しました(笑)。パタリロも島国の王様だし。どうもパタリロのほうが前からあったみたいなんですが。

<参加者D(推薦者)>
◆Cさんが仰るように、深く考える作品というより、読むに任せて雰囲気を味わうものだろうと思った。私は、深読みが必要な純文学や、ガジェットや伏線がある小説は読み解けないので、幻想的な小説のほうが読みやすい。
◆澁澤龍彥はやはり変わっていると思った。マルキ・ド・サドを紹介したり、髑髏などをコレクションしたり、趣味的にもすごく変わっている。そういう、独特の世界観を持っているのだろう。
◆『高丘親王航海記』は、15年前からしばらく参加していた読書会で教えてもらった。読書が好きでたまらないという読み手が集まるレベルの高い読書会だった。そこで、「澁澤龍彥は自分の描写力に絶対的な自信を持っている(自分のイメージを客観的に書き写すことができる)」と聞いたのが印象に残っている。
◆描写力ももちろんだが、私が感銘を受けたのは文章力。私にとって昭和60年代は最近。最近なのに、漢文的な古語のような特殊な文章なのがいい。(この中で)若いAさん、読めた?
A:いくつか単語は調べましたが、文章自体はすんなりと入ってきました。
◆知性あふれる品位ある文章。平易な文章の中にそのまま入れたら変だけど、噛み砕いてから自分の作品に入れたら面白いと思う。

<参加者E(提出の感想)>
〈全体について〉
 異界旅行記、あるいはユートピア物語。現実と夢が織りなす怪奇幻想ファンタジーとも呼べるだろうか。想像力を心地よく刺激する作品。ぬるま湯につかったまま浅い夢をみているような気分だった。世界観、描写、語り手の立ち位置、どれもが好み。文章表現の多彩さ、豊富さにもうっとりした。作者の語り口には独特のリズム感があって好き。
 年代記という堅苦しい外枠と、カオスで粘弾質な中身のアンバランスさもたまらない。仏教思想というか東洋思想を背景にした「死と再生」、そして観念的にじわじわ迫る「美とエロス」の表現もすばらしかった。仏道帰依者を主人公に立てながら、甘美で濃密なエロスを、あくまでも「かすかにおいたたせる」レベルで演出してくる作者の意図と表情を想像して笑う。文学作品だなあと思う。
 主人公が初老の男で、航海が思い通りに進まないことから『オデュッセイア』を連想。時代が日本という「国家」の黎明期に近いこともその印象を持った理由かもしれない。ポセイドンの怒りを買ったオデュッセウスの漂流は男性的で直線的という印象だったが、このお話は同じ「漂流」物語でも女性的で円環的との印象を受けた。
 澁澤龍彦の小説は初。彼が紹介してくれる本はマニエリスム(不自然な人工美)のイメージが強かったが、この作品は水や月、蝶やオウム、孔雀などの自然美が印象的でおもしろかった。あいまい、受容、未分化、母なるもの……東洋を濃く感じた。
 作者自身の感情はあまり感じなかった。ただ、好きな世界を好きなように描いた、という印象。「境界」の視点、とも呼べるかもしれない。作者はたぶん、否定されようが肯定されようがどちらでも構わないんじゃないかと思った。(ただの妄想) 

〈ラストについて〉
 理想郷=ユートピア=「どこにもない場所」であるから「どこにでもある」と解釈可能なラストはとてもいい。人生の知恵として救いがあるように思う。カルヴィーノの『見えない都市』(引きこもって妄想旅行)もいいけれど、目的へむかって実際的に行動した後の、どこか道半ば的な「渡天」もすてき。胸に響く。(もっとも、天竺にたどり着けたかは不明)行動を起こしたうえで散るのならそれも本望、そして美かなと。
 そもそも、ラストに主人公が「不在」というのがおもしろい。(正確には「骨」で登場)親王の「肉血」は虎が、「たましい」はカリョウビンガ(鳥女)が天竺=理想郷まで運ぶ、というこの展開は寓意的解釈がゆたかだと思う。
(そういえばキィアイテム「真珠」は魚人の涙。海(下方)――地(平行)――天(上方)という、三方向への力の傾きがひそかに関係している点も胸がおどる)
「乙女の昇天」のモチーフもよかった。中性的かつ境界的な存在である春丸(秋丸)ならではの巧みな配役。『百年の孤独』のレメディオスとちがい、半獣化して昇天するところに懐深い混沌――アニミズムや動物的なにおいを感じた。それからエロスも。 秋丸・春丸両者が親王に強い想いを抱いていた節が随所にみられるところも興味深い点。彼とふたりの「昇天」は、精神的な「結合」を表しているのかもしれない。
 また、「カリョウの声を聴いたのだから、天竺についたも同然」といった同行者ふたりは男性脳的な正当化がうかがえて哀れ。同じ巡礼仲間でも、「昇天」と「在俗」を分けたのは「蜜人」の砂漠だったのかもしれない。あの砂漠は性欲と不浄(とりわけ仏法者の肉体的な死)が深く関係している。もしかしたら、親王と春丸はそこでいったん死んだあと、幽体して生き返ったのではないかと勝手に妄想。「すれちがい」もそれで説明がつくのではないだろうか。(鏡の国は彼岸の一種だったかもしれない)

〈輪廻転生――秋丸・春丸・薬子について〉
 秋丸と春丸。鏡なのか陰陽なのか、対極するようでじつは同一であるこのふたりもまたさまざまな解釈ができると思う。冠された名前はどちらも「境界」「つなぐもの」「あいまい」を連想する季節。個というものに大した意味はなく、たましいとしての連続性こそ生物というか命の本懐であると示唆しているような気がする。古代インド思想を強く反映しているようで好き。「秋丸」がもともと「死んだ男」の名前だったところも空想がふくらむ。
 薬子というキャラクターはさらに魅力的だった。しょせんは親王の妄想、錯覚――、仏教徒として受けてきた暗示のためなのかもしれないが、作中あちこちに立ち現れる彼女の「幻影」はおもしろい。
 親王一行は原則仏の徒であり、そもそも物語自体が巡礼の旅なのだから、性欲の対象としての女性美は表立って強調されない。けれども各所に女の幻影がちらついている。多くの場合、それは薬子を連想させるものばかり。彼女はまさに「女」だが親王にとっては同時に「母」と呼べるひとだと思う。であるから親王の彼女に対する胸の内はひどく入り組んでいるように感じられ、それはオイディプスに近いんじゃないかと思う。
親王は、初老というより青年――プエル・エテルヌス(永遠の少年)のイメージが強い)
 作中のエロス表現の対象がすべて一般的な肉体美や情欲を基にしたものではなく、半獣人や屍体から発せられたものであるのは、「母という女」に強い感情を抱きつづける主人公の、いたく難解な精神構造が関係している結果、とも考えることができるかもしれない。 
 そんな親王の「女性観」を、もっとも象徴的にあらわしているのがカリョウビンガじゃないかと思う。(物語としても重要な役割を担っているが)カリョウは人頭鳥身の半獣半人。「美女の顔」と「豊満な肉体」を持っているが下半身は鳥。(下半身、というところがまたおもしろい)人間と鳥の境界的な存在だが、そのどちらにも属さない。この「あいまいさ」は、同時に、「母と女」のあいだに立つものと解釈されるように思えてならない。
 仏の声と形容されるその安らぎは母性を連想、美女だが野性的な肉体(あるいは動物的なにおいを放つ肉体美)は「母」と「女」どちらも連想、そして、「翼をもった女」というのは男性視点の理想的な女性像を連想し、これはすなわち「女」につながる。あくまでも個人的な妄想にすぎないが、カリョウビンガとは親王の内的な「女性像」をそっくりかたちにしたものではないかと思う。(いわゆるアニマ⇒しかも段階1~段階4まで包括)
 彼の母性への粘着質な憧憬は、いわゆる胎内回帰願望を連想させ、それが作品の通奏低音になっているとすれば、ここにもまた、東洋的な円環構造を見出すことができ、「見かけ上、結局は目的地までたどり着けない結末」も含め、直線的で父性的な『オデュッセイア』とはあざやかな対比をみせているように思った。
 その意味で、薬子の「石」はとても重要な役割を果たしているのではないだろうか。
冒頭では「天竺まで飛んでいけ」。しかしラスト付近では「日本まで飛んでいけ」。ここにもまた円環構造。この底深き安心感、あるいは慈愛、包みこむようなあたたかさは、母性のはたらきが格段に強いといわれるうちの国特有のものじゃないだろうか。
また「石」(真珠)を親王の喉から取り出すシーンも印象的。それは「姫」の役割であり、母親役の薬子の仕事ではなかった。(もっとも、姫自体、薬子の幻影のひとつだろうが)
 男ののどに指をつっこむ若い女は母性と官能を合わせ持つ。寓意的解釈がゆたかに感じられるこの発想と配役はほんとうにすばらしいと思う。
 関連して、親王が真珠をのみこむシーンも意義が深い。仏教でもっとも恥ずべきことのひとつは「執着」。親王はあきらかに真珠に対して強い感情を示しており、しかも幼少期にも一度やっている。極論すれば成長していない。人間的な弱さのあらわれ。これもまた「呪われた」航海の理由だろうか。
 最後に、このエピソードに限らず、「夢」が現実の親王に多大な影響を与えている点はおもしろい。『胡蝶の夢』じゃないけれど、夢と現実はやはり密接に関係し合っているように思う。ボルヘスの『夢の本』に紹介されているとおり、夢が与えてくれる知恵や恩恵はけっして蔑ろにしていいものではないだろう。

〈その他〉
ジュゴンが唐突に再登場して笑ってしまった。「しゃべる大アリクイとメタ視点」や、親王が長期不在であるにもかかわらず、ずいぶん暢気な同行者など、この作品にはコミカルな面も多かったように思う。個人的にその温度感――、斜にかまえた感じは嫌いじゃない。薬子=巫女、親王の呼び名が「みこ」「ミーコ」も言葉遊びのようで楽しい。
◎「異界」を不自然なく展開していくためか、慎重で巧妙に張りめぐらされた地の文やセリフは印象的だった。(例P16「天竺はもうすぐおれの手のうちだぞ。」~こんなことばを闇に向かって吐きちらしていた。吐きちらされたことばはたちまち風に吹き飛ばされて、物質のように切れ切れに海の上をころがって行った)⇒実際はたどり着けず漂流する。

〈各エピソードについて〉
◎しゃべる大アリクイと蟻塚の話が夢落ち
 ⇒『オデュッセイア』によれば夢はふたつの門からやってくるという。ひとつは偽り、もうひとつは予言。メタ視点で語られる未来もその線では筋が通っているように思う。

◎カリョウビンガ
 ⇒この物語の重要なキィ。つばさを持った「女」が暗示するものは空想力を刺激する。仏教では「女」はそれだけで穢れとされて忌避されてきたはず。しかし、親王を動かしている熱源は薬子=「女」。天竺とは仏法の聖地。経験ゆたかな航海士でもたどり着けなかった理由はやはりそれなのか。鳥や蝶が象徴するのは「たましい」。それも含めて、作中のカリョウビンガの用い方や演出方法は、作者の観念イメージが巧みに練られた結果だったのかと思う。あるいは作者自体の主題だったか。(だいたい、「女」をできるだけ排しようと努める仏教世界の高次元に「美女」が出てくること自体滑稽な気がする)

◎夢を食う動物・獏
 ・獏のフンがあまい香りで恍惚を誘うという演出
  ⇒「今昔物語」を連想。(身分の高い女性の排泄物に恍惚となる男)
 ・悪い夢ばかりで活力を失う獏
  ⇒おもしろい視点で印象的。
 ・夢を喰われて活力を失っていく親王
  ⇒夢という心の支えや慰め、あるいは存在証明や「影」をなくして衰弱していくさまは非常に印象的。
 ・親王が夢を媒介に姫とつながっていると思いこむ。
  ⇒事実はちがう。男性の切ないロマン性が感じられる。

◎犬人間
 ・性器に鈴は悲哀すぎて背筋が凍る

◎蜜人
 ・高僧=学問を積んだひとの脳は糖分でいっぱいだという。馥郁は納得。
 ・砂漠で自転車(のようなもの)をこいでいるうち、恍惚となって空を飛ぶシーンには参ってしまった。発想力が秀逸すぎる。
 ・夢のなかで自分を見るシーンは印象的。(夢占いでは己を見つめ直したいという願望)
 ・P145「ああ、やっぱりそうだったのか。」
 ⇒この感覚が「悟り」なのかなと思った。 

◎極彩色の鳥の羽根をまとった少女・春丸
 ⇒鳥肌が立つほどに好きな演出。再生を象徴。ラストへの伏線のはたらきもあるかも。
 ・「卵生」の女はやはり薬子を連想させる。
 ・雷が女をはらませる 
 ⇒ゼウスを連想。龍や蛇は天にも水にも関係が深く印象的。神話的。

鏡池
 ・水面に映らない顔 
  ⇒影(=心の支え、補償)が失われている
  ⇒親王の心身がもはや現実のものではないことが示唆されているようでおもしろい。
 ・秋丸と春丸の夢のなかでの二重舞
  ⇒「死と再生」を象徴?(夏至冬至の祭りを連想)
 ・鏡に憑かれた王
  ⇒黒魔術的。作者の趣味か。
 ・自分たちの幻とすれちがう
  ⇒鏡の世界からの連想か。夢と現実の交差点だったのか。

◎真珠
・真珠が鮫人の涙という設定は興味深い。カリョウビンガを天上異界の代表とすれば、鮫人は海底異界の代表。その産物である真珠がやがてラストの昇天につながるのは示唆的。 

ラフレシアによる女人ミイラ
 ⇒発想に高揚。(妙に官能を刺激する)
 ・半裸の女性ミイラにネクロフィリアを想起。禁じられた美とエロス。女と仏道を考える。
 ・「子を産むと死」という命運
  ⇒寓意として鋭いと思う。わが子のために自己犠牲に傾く姿勢は女ではなくて母かなと。
 ・ピラミッド=地上の高みで死を想うシーンは印象的。 

◎餓虎投身
 ⇒仏法説話のように自己犠牲や利他が主体ではなく、「天竺に行きたい」というエゴイズムが行動熱源であるところに感銘。さすが澁澤龍彦と思う。
 ⇒はじめの晩は失敗して帰ってくるというのも妙味。現実的でもあるし、あるいは姫の死との関連を想起させるための演出だったかもしれない。「神は偶然にこそ宿る」

◎薬子が石を放る
 ⇒現実の石も消えている
 ⇒巧みな演出。そもそも「石」がそこらへんに落ちていたものというのがすてき。

<フリートーク
【作中エピソードの元ネタについて】
D:私が印象に残ったのは単孔の女。後宮は、どこかテーマパーク的。私の青春時代、怖いお化け屋敷もあったけど……。
C:あれはたぶん江戸川乱歩(の影響)。人間の剥製を作ったり、パノラマ島を作ったり……影響を受けているのでは。
D:昔、そういう喫茶店がありましたよね。1,000円くらい払ってお茶を飲む……。
C:蝋人形館みたいなね。作中に出てくるもの発想はわりと思いつくんですよ。(「卵生したい」も)秋吉久美子の会見を聞いて書いたのかな、と思ったし。深掘りすると、そういうのが出てくる。獏が夢を食べるのも一般的。それらを巧く取り入れてアレンジするのが腕の見せ所。
D:どう描写するかですよね。書き方によっては、獏とか手垢がついた発想って言われそうだけど。捨身飼虎……虎に食べられるとか、どこかで見たような話を書き出しているのがいい。
A:Eさんの感想を読んで思ったけれど、確かにギリシャ神話的な部分も感じますね。
C:深掘りすると粗が見える……と言うと、評価された作品に対して僭越だけど。面白かったからこそ、ついついケチをつけてしまう。
D:この作品について深掘りするところはあまりないかな。
C:これを肴に、あれこれ想像しながら語り合うのはいいかも。

【夢と現実、作品と現実の関わり】
D:暑さは伝わってくるけど飢餓感がない。食事のシーンがまったくない。ファンタジーだからリアルな部分を書いていない。
C:全部、夢の話として書いたのではと思う。過去や未来に行ってるけど、すべてが夢ではないか。現実の高丘天皇は天竺を目指して旅立ったが、この作品では夢ということにしたのでは。
D:獏のことも夢なのにパタリヤ・パタタ姫は再登場しますもんね。
C:夢オチではなく、夢そのもの。死ぬ間際の親王が見た夢、という設定ではないか。そう考えるとすんなり受け入れられる。
D:幽霊船で真珠を飲み込む。夢の話のはずなのに、真珠が死因になっているのも……
C:姫に真珠を取ってもらったらすっきりしたとあるが治っていない、全部、夢。薬子が投げた光る石のイメージを引きずっていると解釈した。
D:この作品を書き上げたのが6月、作者が亡くなったのが8月。真珠が喉に引っかかって声が出なくなって死ぬというのは下咽頭癌の比喩だろうか。
C:私の父もそうだったのだけど、死ぬ間際には子どものころを盛んに思い出す。澁澤龍彥もそうだったのでは。自分の夢として書かず、小説として書いた。分析しないほうがいいと言っておきながら、してしまっているけど。
D:年を取れば取るほど、子どものときの思い出が甦ってくる。間の50年、60年がすっぽ抜ける。昨日のことは覚えていないのに、昔のことはリアルに思い出せる。
C:小学校の同級生はフルネームで覚えているけど、高校の同級生は顔も覚えていなかったり(笑)。

【書き方やプロットの有無について】
◆D:(地の文に)いきなり作者が出てくる。
C:メタ構造だから一人称では書けない。これはこれでいいのでは。

◆D:秋丸と春丸はなんだろう。アンチポデスを表しているのかな。
C:口から出任せでは。最初は秋丸しか構想していなかったかもしれない。途中で思いついて……とか。真似したらだめですよ。最初は書けても、100枚200枚続けると息切れする。
D:いいなと思う文章を二つ三つ、現代的に書いたら作品が品よくなるのでは……。

◆D:儒艮が喋っていますね。
C:また秋丸(本当は春丸だけど)の前に出てくるのがいい。
B:ぬるっと逃げる感じがしてなかなか語りづらいけど儒艮好きですね。帰ってくれって言われて、もう出てこないのが可哀そう。もう1回出るのかなと思ったら出ないし。
C:何のために出てきたのか考えたらわからないけど、出てきて嬉しかったですね。
B:プロット立てずに、その場その場で書いているのかも。旅行記ってそういうものだし。 
D:確かに、「あれ?」って思うところが結構あった。突然、違うストーリーになってて。
B:ありますね。はるばる南詔国から帰ってきたけど、仕事を依頼してきたアラビア人はどうなったのかな、とか。
C:それを自然に読ませるのが巧い。澁澤龍彥だから許される。
D:これだけ夢を使われたら、どっちでもいいや、ってなる。
C:批評家や読書家がああだこうだ言うだろうな、それらしいこと喋るだろうな、と思いながら書いたのかも。

【仏教的死生観とキリスト教的死生観】
D:仏教というより澁澤龍彥の死生観かな。
C:仏教を熟知していなくても、(日本では)身近にあるから私たちにとって理解しやすいのでは。輪廻転生を使って、こういうことを書きたいんだなと伝わってくる。キリスト教圏の人には伝わらないと思う。
逆に、3月に読書会で取り上げた『屍者の帝国』(伊藤計劃、円城塔著)は新しく復活する話。キリスト教に親しんでいる人は違和感なく読めるかも。
A:確かに私も、輪廻とか生まれ変わる話に違和感を感じない。転生ものの作品など、輪廻転生に馴染みのない国の人はどう感じるんだろう。
D:キリスト教では、死んだ者は生まれ変わらない。そして、イエスが復活するときに復活する。

【その他】
D:私は子どものころ、輪廻転生には馴染みがなかった。いいことをしたら極楽、悪いことをしたら地獄へ行くと聞いていた。極楽と地獄を描いた漫画があって。血の池とか釜茹でとか。
C: 時代に合わせて、わかりやすい教えに変わっていく。極楽と地獄は、グリム童話的な勧善懲悪でわかりやすい。
D:子どもを躾けるために。
C:今では、その躾け方はよくないと言われている。「あのおじさんに怒られるからやめなさい」みたいな、悪者を作るやり方は。本当にいいか悪いかは置いておいて。
D:恐怖で支配するのはよくないですね。

『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳(岩波現代文庫)

R読書会 2022.06.18
【テキスト】『戦争は女の顔をしていない』
                      スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳(岩波現代文庫
【参加人数】7名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由(参加者G)>
Bさんが、NHK『100分de名著』のこの作品を取り上げる回の再放送があると教えてくださり、番組を観たのがきっかけ。その中で、著者は「できるだけ自分を出さないように書いている」と聞いたのが興味深かった。小説やエッセイとは違う書き方だが、優れた文章作品なので、私たちの創作活動の参考になるかもしれないと推薦した。
また、今の世界情勢への理解を深めるきっかけにもなればと思う(ちなみにNHKでは、3年前のキーウを取材した『世界ふれあい街歩き』の再放送もしていた)。

<参加者A>
◆『動物農場』のちょっと前に読んだ。※2021年9月25日のR読書会で『動物農場』を取り上げた。
当時、ウィズセンター(男女共同参画推進センター)に行くたび、立てかけてあった。戦争は嫌いだから避けていたのだが、読んでみるか、と手に取った。
◆記録的なものを2回読むのも何だし……と思いながらウィズセンターに行くと漫画化したものがあったので借りた(KADOKAWA、漫画:小梅けいと、監修:速水螺旋人)。
原作では、記録が続くから飽きてくる(体験談は、文章で読むより実際に聞いたほうが理解できる)。飛ばして読んでいたと思う。『100分de名著』で、私が読んでいないところが取り上げられていたので、真面目に読めばよかったと感じた。でも、戦争ものだし辛い。
漫画は絵になっているので、文章では気づかなかったことに気づいた。男性物の下着を穿いたり、経血を流しながら歩いているのを男性は見ないふりしていたり……絵になっていたから、女が戦争に行くのは生理的に苦しいと実感として感じた。
◆女性たちは嫌々ではなく、進んで戦争に行っている。日本が今そうなったら、(今の)日本人は戦わないのではないだろうか。私の息子も「国のために死なない」と言っているし、私も逃げると思う。戦争は意味がわからない。あと何年したら淘汰されるのか?
◆著者であるアレクシエーヴィチのもとには多くの手紙が届いた。みんなが声を発する場所を探していた。映画や本にして出す意義がある。そうして、記録として文学として全世界に回る。本に対してではなく、活動に対して授与されたノーベル賞では。著者は、意義のある仕事をされたと思う。

<参加者B>
◆『100分de名著』を観たが、図書館に行くと20人待ちくらいだったので読めていない。
◆ロシアのウクライナ侵攻と重なった。
◆アレクシエーヴィチは、自分を「3つの家に住んでいる」と表現する。父はベラルーシ人、母はウクライナ人。作品を執筆するのはロシア語。
◆米軍はイラク戦争フセイン大統領(当時)のいる場所を狙ったが、ロシア軍がウクライナ首脳のいる場所を狙わないのが不思議だった。周辺の街や一般市民を攻めている(米軍は軍隊同士で戦おうとする)。しかし、社会主義国家は人民の価値を低く見ていると聞いて納得がいった。ロシア軍にとって、一般市民より要人を狙うほうがハードルが高い。西側諸国と考え方が違う。
◆女性が慣れない戦争を戦って、帰還したら同じ女性からの蔑視に晒される。武器を持って戦った女性の声をかたちにして真実をあぶり出したこの作品は、文学としての価値が高い。
「文学作品」ではないのでどう感想を言おうか迷ったが、新しい文学の着眼点を見つけられた。

<参加者C>
[事前のレジュメより]
≪山羊も戦争は怖い≫
 フェリーに乗ったとき、初めてこの本を手に取った。その時偶然指に触れたのが、看護婦がドイツ軍戦闘機の爆撃から必死で逃げる場面だった。身を伏せている彼女のそばに山羊がやってきて、人間と同じように身を伏せたという。「動物だって怖いんです」という文章が印象に残った。
≪ありふれた生活から巨大な出来事、大きな物語に投げ込まれてしまった小さな物語≫
 作者は国中を歩き回り、数百本のテープ、数千メートル分の録音、五百人を超える人々を取材した。多くの人は語るのを拒否した。
≪あれは私じゃないわ≫ P210
 凄惨な話の連続から逃げたくて頁を飛ばした。ところが、この頁も凄かった。衛生指導員の女性に輸血をしてもらった青年が兄弟だと偽って面会に来る。彼がチョコレートをくれる。二人は劇場へいく。数日後、その彼の戦死を知らされる。彼女は、彼の復讐がしたくて前線に向かう。闘いの場に投げ込まれた彼女は凄まじい経験をする。白兵戦のむごさ。殴り合い、銃剣で相手の身体を刺す。頭にひびが入る音が聞こえる。そういう戦いだ。
≪ちっぽけな人生と大きな理念について≫ P399
 ―フョークラ・フョードロヴナ・ストルイ パルチザン
 ◇「私はいつも信じていました……スターリンを……共産党員たちを……自分も党員でした。共産主義を信じていた……そのためにこそ生きてきた(後略)」
 ◇パルチザンとして二年戦った彼女は、戦いで凍傷にかかり両脚を切断する。麻酔もヨードもなしの手術だった。壊疽になりその後四回再手術。脚の根元まで切り落とされた。戦後、彼女は共産党の地区執行委員会副議長として義足で活動した。「みんなの役に立ちたかった。私は共産党員なんですから……」
 ―ソフィヤ・ミロノヴナ・ヴェレシチャク 地下活動家
 ◇ゲシュタポに捕まり激しい尋問と拷問を受けたが耐えた。「誰かを裏切ることの方が死ぬことより怖かった。」
 ◇死刑執行を前にして監房に入れられた。外の自由な世界を見たくて、仲間に台になってもらって交代で小窓から外を見た。
≪泣かなかったわ、あの頃は≫ P430
 ―リュドミーラ・ミハイロヴナ・カシェチキナ 地下活動家
 ◇ゲシュタポに捕まり激しい拷問を受ける。
 爪の下に針を打ち込む、電気椅子、丸太で身体を引っ張るなどの拷問。自分の骨がぼきぼきいうのが聞こえた。
 ◇脱走して奇跡的に生き延びたが、戦後電気恐怖症に。
 ◇戦後も地獄が待っていた。当局から追求される。ドイツ支配下の地域で捕まったのに生きているのはおかしい、裏切り者だから生き残れたのだろうと疑われた。
「私たちが戦っていたこと、勝利のためにすべてを犠牲にしたことなどまったく考慮されなかった。」
「泣かなかったわ、あの頃は泣かなかった……」という、彼女の言葉が胸に刺さった。
     ※続きは口頭で……。

[以下、読書会にてCさんの発言]
◆続けて読むのが辛いから、ぱっと開いて、そこから読むことにした。なので、もしかしたら作者が言いたかったことをレジュメには書いていないかも。全部は読んでいないので。
◆女性は腕力がないのにドイツ軍と白兵戦をする。骨が折れる音が聞こえた、など、本人でないと表せない言葉で語ってくれている。
◆私は今77歳だが、自分の思想が現実とどう繋がっているのか考えることがある。
◆証言者の女性たちは(存命であれば)80歳以上。共産党員の女性はパルチザンとして活動し、捕まって拷問されても口を割らない。仲間を裏切ることはできないと耐える。奇跡的に生き延びて帰国すると、当局から裏切ったため生きられたのではと疑われ、地獄のような思いをした。
日本では国外からの帰還兵は労われたが、ソ連の帰還兵は裏切ったと疑われ苦しい人生を送った。だから語りたがらない。著者は説得して証言してもらった。大変な作業だったと思う。
◆著者はベラルーシ国籍だが、ベラルーシのルカシェンコ大統領は著者のことを「外国で著書を出版し祖国を中傷して金をもらっている」と非難している。
◆読んでいて胸が張り裂けそうだった。推薦していただいて感謝している。

<参加者D>
◆作品の構成として、最初の章の「人間は戦争よりずっと大きい」というのが本論。この証言集をまとめるにあたって著者がどういう態度で挑んだか。証言の扱いについて勉強になった。
証言というのは、語られるごとに創造される。世界情勢、証言者の思想の変遷、周りの状況が影響を及ぼすので、語られたことが真実とは限らないという一歩引いた態度。我々は戦争証言を無条件に真実と受け取りがちだが、証言は現在の立場によって変わってくる。それを織り込んで聞かなくてはならないと納得した。
◆女性たちが自ら志願したという話を、一種の社会進出、自立として語っている人が多く興味深い。その側面はあると思う。女性の社会進出は世界大戦と強い結びつきがある。
男性と平等に国民の義務として身を投じる。男性が独占している場所に入っていく。女性の自立という考えが当時あったのかもしれない。
◆証言集なので時系列が見えてこない。友人にこの作品を読むと言ったら、大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書を薦められた。ドイツとソ連の戦争がどう始まってどう経過したのか、新書のサイズでまとめてある。なるほど、そういうことかと。
図版、地図も入っているので、証言に出てくる都市がどこにあるのか調べやすい。

<参加者E>
◆Dさんが仰られたように、思い出は真実と受け取られがちだが、体験したことが現在の環境によって変わっていくことに注意しなくてはならない。著者は冷静にインタビューしている。ものすごい量があり、執念を感じた。
◆ノンフィクションなのでリアル。1つの側面ではなく、2つ、3つの感情があるインタビューが多い。矛盾を持ちながら今生きている人の話。凄惨だと思いながら読んだ。
◆私はあまりソビエト連邦の歴史に詳しくなく、戦勝国というイメージがあり、100万人もの女性が戦っていた事実をまったく知らなかったので勉強になった。
◆ロシアとウクライナの戦争で、ロシア兵として戦っているキーウ出身の女性がいると聞いたことがある。アイデンティティについて考えた。
◆大陸にある国を防衛する大変さ。堤防を壊されてしまうと怖い……ロシア側の歴史を感じた。なぜウクライナに侵攻したのか(戦略的に重要なのはわかるが)。旧ソビエトの歴史を守りたいということに繋がるのだろうか。
◆若かりしころ勇んで戦争に行って生き残った人たちが、何十年も経って「あのときはそういう人間だった」と語っている。苦しみが続いている人もいる。響く言葉がいくつもあり、メモを取っている。挙げるときりがないくらい。

<参加者F>
◆読書会で証言集を取り上げるのは初めて。
Cさんも仰ったように、(小説のように)積み上げていくストーリーがあるわけじゃなく、たくさんの証言を重ねていく作品。戦争の悲惨さを書いているという先入観があったが、だんだんと染みてきた。
◆日本は70年以上戦争がなく、また島国であり、他人事と見てしまう薄情さがある。ウクライナベラルーシ、ロシアにとって、戦争はずっと身近なものだった。世界でも、紛争地域では戦闘が続いている。犠牲になるのは、小さきもの、弱きもの。上のほうにいる――この言い方は好きではない――権力者は被害を受けないという構造は同じ。人類はいつになったら学ぶのか?
◆弱者が犠牲になっていることを伝えるため、女性にスポットを当てたのではないか。女らではの悲しみに特化しているというより、すべての弱者のために。
もちろん月経は女性にしかないが、たとえば、死んだときを考えて見た目を気にすることなどは男性にもあるはず。この作品は、人間の細やかさを蹂躙する戦争への抗議としての証言集だと思う。

<参加者G(推薦者)>
◆自分を出さないように書く文章を書くのは難しい。
◆作中、話が飛んでいたりする部分があり、自然だと感じた。人間の話を文章に起こすと、どうしてもそうなるので。このようなところも残しつつ、読みやすいように手を加えているはず。元の雰囲気を損なわないようにするのは、とても根気がいって難しい作業だと思う。
◆読んで、女性たちは素直に泣いたり、笑ったり、素朴だと感じた。私はフィギュアスケートを観るのが好きで、ロシアの女子選手もよく観る。演技が素晴らしく大人っぽく見えるが、競技中以外では無邪気に笑ったり、感情を出したりしていて好感を持った。そのイメージと重なる。
◆遺体を大切にするところが日本人と近いと思った。欧米では、あまり遺体を重視しない印象があったので(日航ジャンボ機墜落事故の際、欧米人と日本人、それぞれの遺族の遺体に関する考えが違っていたと読んだことがある)。宗教の違いなども関係しているのだろうか。ロシアはヨーロッパだけでなく、アジアの感覚にも近いなと思うことがある。
◆女性たちと、母親との関係が印象的だった。どの国でもそうなのかもしれないが、母とは特別な存在なのかもしれない。
◆日本でも、シベリア抑留から帰国した人たちへの差別があった。世界のどこでも起こり得ることだと思う。

<フリートーク
【弱者にとっての戦争について】
F:女性の社会進出を表している。なるほど、あると思う。
10代の女性が窓口に駆けこんでアナログな方法で志願する。絶対引き下がらない。すごい。
A:女性といっても、ほとんどが子ども。まだ社会のことをわかっていない。国全体がそういう雰囲気で、16歳とかだからじっとしていられなくて。でも、実際は子どもだから戦争がどんなものか知らない。歌を歌って、スカートを穿いて……本当に子どもたちが戦争に行ったんだなって。
ファシズムだって少年兵を利用する。まだ何もわからない、血気盛んな少年を。
D:利用されただけなのかな。当局の人たちは「帰れ」と言っている。世の中が、上の人間が仕掛けて誘導したのとちょっと違う。
A:誘導というより、社会全体がそういう雰囲気でじっとしていられなかった。
D:共産主義の中での一体感は男女平等が土台となっている。日本では学生運動で、若い人たちが自分たちの理想のために行動した。それに近い。
F:確かに、自由主義アメリカの女性は、このようなかたちで戦争に志願しそうではない。
D:旧日本には女性は入れなかった。男女隔たりなく戦争に行くのか正義かどうか。倫理の捩じれがある。
A:男性は英雄に、女性は帰還して差別的な扱いを受ける。ひどすぎる。16歳の子は(戦争に行くとき、その後のことを)想像していない。
F:(男性参加者たちへ向けて)皆さんはありますか? 戦争から帰ってきた女性への印象。
D:日本はその状況にないから想像つかない。
F:男性でも、軍での地位が高い人はまだいいかもしれないが、そうでない人は苦しいのでは。映画『ランボー』だと男性でも爪弾きになっている。弱者が差別されている構造を感じる。
D:結びつきにくいものが結びついていることが、日常を壊す存在として見られているのかも。福島の人が移住したら、差別的な目で見られるのに近いのでは。本来、その人たちが負うべき傷でないものを負わされている。(元からいた人は)日常に入ってほしくないのでは。

【戦争について】
A:戦争って悲惨なものだと大人はわかっている。そこに16歳が行って……。
E:たとえば裕福な家の子は行かなくてもいい、でもあの子は家が貧しいから……みたいなのはあるかもしれない。志願した女性は多数派ではないのでは。
C:志願した女性の大半は(家族が)活動家だったのではないか。
D:そして、熱心な共産党員。
E:親の意識が高い。そういうのもあったかも。
C:ソ連は、ファシストが相手の戦争は正義の戦争だと言っている。
A:戦争犯罪って、いつできたんだろう。私は戦争自体が犯罪だと思っている。
E:絶対、敗戦国が裁かれますね。
D:東京裁判では、いわゆる戦争犯罪で裁かれた。戦争にもルールがある。捕虜を虐待してはいけない、など。戦争をするにしても紳士であれ、品行方正であれ、というように。
日本は近代化して戦時国際法を守っていたが、第二次世界大戦で滅茶苦茶になった。
C:ウクライナ侵攻は、領土を拡大する戦国大名のやり方。日本ペンクラブ日本文藝家協会日本推理作家協会は、ロシアによるウクライナ侵攻に関する共同声明を出した。戦争を止めなくてはならない。
B:時代が引き戻されていますよね。
E:ロシアにはクリミア併合での成功体験があった。
B:私たちも、クリミア併合のときに注目しなければならなかった。
このところ物価や電気代が上がり、戦争中だと思った。
D:国に限らず、あらゆる組織において同じ人間がトップで居続けるのはよくない。年々で限るのが一番いい。

【500人以上の証言を集めた理由】
F:500人のインタビューより、ある程度絞ったほうが読者にとって優しい。でも、取材を受けた人にとっては「私が載っている」という広がりがある。
D:日本のジャーナリズムで用いられるドキュメンタリーの手法に、1人を膨らませるというものがあるが、情緒的に読ませてしまったり、テクニックに走ってしまったりすることもある。
F:証言を重ねていくほうが、むしろ客観性があるということか。
B:同じ著者の『チェルノブイリの祈り』も同じ書き方(証言集)ですね。
E:証言が変遷していくことに気をつけなければとあるが、500人の証言があれば事実が浮き彫りになるのでは。同じような話もあるから絞ったほうが読みやすいとは思ったが。
A:夫がそばにいたら女性の表現ではなく建前を語るようになってしまう。興味深い。
E:建前というか、男女で見方が違うのでは。昔、ベストセラーで『話を聞かない男、地図が読めない女』(アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著)で読んだが、男の脳は狩りに向くように視野が狭くなっていて、女の脳は家を守るため身の回りの情報をできるだけ多く拾い集めるから視野が広い。男性は大局を語るけど、女性は着ているものとか細部を覚えているでは。
A:「赤いハイヒールを履きたいけれど仕舞った」というのは、男性から見たらアホかって思うのかな。戦争なのにハイヒール。

【その他】
E:ラジオで娯楽番組の間に、ヒトラーがぽつっと政治的なことを言う。ラジオを政治利用して、まさにプロパガンダの先駆者。ソ連でもそういうことはあったのか調べたが、スターリンについてはあまり出てこなかった。ロシアの若い女性はなぜこういう行動に出たのかわからなかったが、今日、共産主義と聞いて腑に落ちた。
F:日本でも戦前、日本人をおとしめた箇所を削除した『我が闘争』(ヒトラー著)を読まされていた。
B:NHK映像の世紀バタフライエフェクトヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」』で知ったのだが、ヒトラーが生まれる4日前にチャップリンが生まれている。チャップリンは、作り手の想いが入っているから映画はすべてプロパガンダだ、と言った。本もそうですよね。
G:少し前Twitterで流れてきて知ったんですが、第二次世界大戦の各国指導者の人物像を比較したBBCのドキュメンタリーで、日本について「最高指導者が誰かわからないのに戦争を遂行している」とあったそうで。トップがいないのに戦争をしている。
D:日本的無責任。各部署が勝手にやっている。誰も責任を取りたがらない。
E:第一次世界大戦のあたりは終わりを見ていた。第二次世界大戦のあたりは変わりますよね。

『熱帯』森見登美彦(文春文庫)

Zoom読書会 2022.05.29
【テキスト】『熱帯』
      森見登美彦(文春文庫)
【参加人数】出席4名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者D)>
◆(作中にコーラの自動販売機が登場するので)今日は缶のコーラを飲んでいます(笑)。
※前回、作中にレモネードと葉巻が登場する作品を扱ったときには、レモネードを飲んで葉巻を吸っていた。
◆読書会に参加し、初めて推薦者になったとき、この本にするか『ダーティホワイトボーイズ』(スティーヴン・ハンター著)にするか迷った(結果、そのときは後者を推した)。
森見登美彦はもともと好きな作家。独特の雰囲気、とぼけた雰囲気のライトなエンタメ作品を書いていたが、この作品は毛色が違う。凶悪なくらい、めんどくさい構造をしている。
◆読書会がモチーフの1つ。それを読書会で語ることでさらにややこしくなる。
◆本や物語、読書会など、創作者に刺さる部分が多いと思い推薦した。

<参加者A>
◆読み始めはすごく面白くて楽しく読んでいたが、途中でしんどくなった。回想の中の回想など、入れ子式の構成が読みにくい。ハマる人とハマらない人がいると思うが、私は途中で弾かれた。
◆最初は噛みつくくらいの勢いで読んでいたけれど、流れが遅くなってくる。核心に迫らない。私はカフカ『城』もだめだった。辿りつけそうで辿りつけない。周辺をうろうろして迫らない。核心が何かもよくわからない。そんな作品が苦手なのだろう。
◆絶海の孤島に、魔女やいろいろなものが現れることに吸引力を感じなかった。熱帯を知ってみたい、確かめたい、と思わなかった。私はすごく悪い読み手だった。
◆白黒はっきりして核心に届く、単純な話じゃないと、私はしんどい。

<参加者B>
◆読み終わって「なるほど」と思った。今読んでいるこの本が作中の『熱帯』(佐山尚一が書いたほうではなく、森見登美彦が書いたほう)なんですね。とか言うと、何言ってるかわからないんですが(笑)。
◆前半の途中で白石さんの心の声が関西のおっさんみたいになるところが何ヵ所かあって(P53「これはこれで心が安らぐわい」、P79「どうも私には単純なところがあるわい」など)、絶対それ意味あるんだろうなと思っていたから納得した。これ、森見登美彦が書いてる話ということになるのかな、という予想は少ししていたので。
◆すごく複雑な構造を持つ作品を、敢えて意図的に作ったのだなと思った。
・まず、『千一夜物語』のような入れ子構造。物語の中で物語が語られ、さらにその中でも物語が語られる。
・次にループ構造。熱帯の海でループしている佐山。ネモ君も、シンドバッドも、学団の佐山も、全部佐山でいいのかな。(これは登場人物・佐山のループなので作品構造に含めていいのかはよくわかりませんが。)
・そして、2つの世界が回転扉みたいになっているところ。熱帯から帰って、民博に勤めている佐山のいる世界が、私たちの世界ですよね。
回転といえば、回転するレストラン(銀座スカイラウンジ)が第二章に登場するのが象徴的。すごく計算された作品で、設計図を見てみたいと思った。
◆少し残念だったのは、第三章までは貪るように読んでいたのに、第四章で(私自身が)ちょっとスピードダウンしてしまったこと。話が見えなくなって……。長谷川や、老人でないほうのシンドバッド(P497)が登場したところで「そういうことか」と思ったのだが、やや冗長に感じてしまった。もちろんこの長さは構造上必要なのだろうけれど、ここで挫折した人もいるのではないだろうか。
◆後記まで読み終えたとき、頑張ったご褒美みたいなものを感じた。
◆個人的に好きな登場人物は図書館長・今西さん。どの世界の彼もいい。
◆気になるのは、向こうの世界の面々(中津川さんや新城さん、向こうの世界の白石さん・池内さん・千夜さんなど)の結末が書かれていないこと。それも計算ずくなのだろうか。気にすれば熱帯に誘われる、という。
Sound Horizonが好きな人はかなりツボに入るんじゃないだろうか。地平線とか、世界を創造するとか。サンホラ解析班であるMさんの欠席が惜しまれます……。
◆Dさんも仰ってたように、読書会で、読書会の出てくる小説を取り上げるのも入れ子っぽいですね。不思議な読書体験をありがとうございました。

<参加者C>
◆私は第四章、第五章がすごく面白かった。第三章までとの関連を考えてしまうからよくわからなくなる。第四章から(独立した作品として)読んだら面白い。
◆(第四章が)最初だとすれば普通の物語の出だし。第三章の続きと思って読むから「なんだこれ」となるが、第四章はそういう話ではない。伏線やテーマを抜きにして流れに身を任せて読めばいい。脈絡はないけれど場面場面が面白い。ルイス・キャロル不思議の国のアリス』みたいに。
入れ子構造になっており、物語の中で物語が始まるので、流し読みしてしまうと誰が喋っているのかわからなくなる。また、栄造さんとは誰だったかなど、登場人物についても混乱してくる。しかし混乱しても構わない。それなりについていける。誰が主語かを抜きにしても読めるし、楽しめる。頭の切り替えが必要かな。(この小説は)普通の小説の読み方ではだめ、というのが私の感想。
A:読み方があるんですね。私はテーマとかが見えないとしんどくて。
C:三章まではそう読め(普通の読み方をしろ)と書かれている。四章以降は「ついてこれるかな?」みたいな。
B:我々の頭が固いんですね。普段からストーリーやテーマに沿って読んでいるから。
高校生直木賞を受賞した作品なので、高校生なら柔軟に楽しめるのかも。
C:第160回直木賞の候補にもなっていますね。選評を読んでみたい。
◆島の向こうに何があって……みたいに、綿密な地図に基づいて書かれているのがわかる。
◆流し読みしたので細かいところはついていけないが、構造分析してみると面白い。
やっぱり第一~三章で放り投げられ、そこで終わっている。(第四章から)頭を切り替えて入っていけばどうですか、と、これから読む人に伝えたい。
◆(佐山が)戻って来た世界が、前の世界とずれているところがなんとなく面白い。
◆学団の男たち全員が佐山尚一だったのに笑った。シンドバッドとネモ君が入れ替わっている。語り手も輪廻みたいに同じ体験を繰り返している。読み慣れたらついていける。この辺りも細かく読み取れたら面白いだろう。
◆ただ、私はもう一度読みたいとは思わない。

<参加者D(推薦者)>
◆『熱帯』が、森見登美彦のほかの作品に比べて好きかというと怪しい。でも、この作品が一番読書会向き。
恒川光太郎『夜市』みたいな作品を書きたかったのだろうか。『夜市』のほうがすっきりしているが。
◆『熱帯』には森見ワールドのキャラクターが登場する。芳蓮堂のナツメさん。彼女が変な世界に放り出されるのは納得。
◆私の中の読みどころは、いらんことしいのシャハラザードのせいで、世界そのものと分離され、会えなくなってしまった人たちの悲劇。
◆最初の半分と、後編の半分の分離は意図的。Kindleで読むと、50%になった瞬間後半になる。
前半が森見登美彦の『熱帯』、後半が佐山版の『熱帯』。前半は雰囲気づくり。
◆登場人物の中で切実な動機を持っているのは千代さん。
◆ある種、怪談っぽい。読んだ人のもとにシャハラザードがやってくる。
◆ニューロファンタジー作品(という、検索しても出てこないくらい、ささやかなムーブメントが以前あった)。神経症的な。今までの人生とは縁を切って、自分の頭の中で生きていく。
◆前半は、佐山を巡る人間関係を追って、京都の街を巡る。読書会に向けたファンタジーとして、この作品を推薦した。空気感を味わってもらえたら。
A:この空気感を好きになれるかどうか、ですね。

<参加者E(提出の感想)>
 漂流物語。多くの同モチーフとはちがい、人のみならず「本」が漂流。読後感は心地いい。ラストの印象だけで語るなら、物語のテーマは「失われたものとの再会」だろうと思う。だれかに紹介する場合なら、「最後まで読めない本」の話となるだろうか。
 この作品はジャンル分けが難しいが、SFの色合いが濃く反映されていて、本も人も、時空間だけにとどまらず次元を越えて「漂流」する。いわゆる平行世界の概念が取り入れられている。構成と構造が奇抜なお話。視点も作中時間もころころ変わる。ときにはメタ要素が加わってさらに入り組んだ構図になる。回想のなかで回想がはじまったり、作者・森見自身も含めた主要な語り手たちがひっそりと消えたまま回収されなかったりと、「小説」としてはなかなか特異で自在な構造になっている。
 これをルール違反とみるかユニークとみるかは読み手の裁量しだいだろう。物語としての根本というかテーマがつかめないパートがつづいたり、似たようなモチーフ、そして定型の文章がくり返しでてきたり、語り手がつぎつぎに不在になったり、同じような文章表現(黒々とか冷え冷えとか)が流行りみたいに、一定パートで何度もなんども使われていたり、読者自体が「漂流」する場面展開が多く、息がつかえやすい作品であることは疑いないかなと思う。けれどもけっして、難解な読み物ではないだろう。まるでミステリ作品のように、作中のあちこちには読者に対するヒントというか、作品に接するためのガイドラインのようなものが多く設けられているように思う。
千一夜物語』『ロビンソン・クルーソー』『不思議の国のアリス』『海底二万里』などの名作の名前が幾度も登場するのもそのためだろう。作品の底本を折に触れて強調することで、読者に作品がたどろうとしている「道」を示し、もって迷子――文字の海に漂流しないよう配慮されているのだろう。(佐山が虎に変身する前は、ご丁寧にも『山月記』の名があらわれる)
 とくに『千一夜』の反映といったらすさまじい。作中、この本(「ふたつの意味での『熱帯』という意味で」は「千一夜の異本」であるとはっきり示されているくらい。そうすることで作者はきっと大義名分を手に入れたのだろう。語り手がころころ変わったり、回想から回想に入っても、「偉大な名作」に前例があると明示しておけば、保守的な意見をひそやかに抑制できることになる。(保守的思考者というのは、たいてい前例があればしぶしぶ矛をひっこめるもの)
 物語の冒頭で、作者自身(森見)の言葉として、「書くことがない」となんどもぼやくが、それは、もしかしたら、作者の巧みな誘導術――「新作を書くための」情熱をともされた作品として登場した『千一夜』は、じつのところ、特異で自在な構造を正当化するための戦略だったのかもしれないし、また、ほんとうに心の声だったかもしれない。どちらにしても、この作者はなかなか曲者であると思う。「読む人によって内容が変化する本」と説明される「熱帯」は、メタ視点としてのみならず、森見登美彦が描いた『熱帯』としての定義というか立ち位置の説明だったのかもしれない。

 物語の「舞台」は大きく分けて3つ。ひとつ目は冒頭から池内氏が行方不明になるまでの世界A。つぎに池内氏の手記として語られる佐山の異界。さいごに佐山視点で進行していく世界B。それぞれの世界を読者が読み進めていく熱源はちがうかなと思う。
 Aはシンプルに「謎」が動かしている。「最後まで読めない本の謎」「ころころ変わる視点・消えていく語り手たちの謎」(作者も含めて)、そして、この作品はいったいどこへ向かっているのか、という謎。(紹介者のDさんは「謎」に重きを置いている)
 異界にもやはり謎がはたらいているが、この部分はそれ以前に冒険譚として十分に魅力を持っているから、それ自体が読むための熱源になっていると思う。世界Bを動かしているのは「解題」だろう。読者はようやく、物語の全体像と対面できる。
 AとBは文化レベルや町のつくり、そこに暮らす人物たちの様子から、分岐してさほど間もない平行世界の関係であることがうかがえる。AとBをつないでいるのはもちろん「異界」で、訪れた佐山もまた両方の世界をつなぐものとしての役割を持っている。
 異界は原則として魔法のはたらくファンタジー世界のように描かれているが、自動ドアや冷房、自販機、ロープウェーや近代的なビル群、銭湯の煙突までもが混在したあまりに奇々怪々な世界観を持っていて、その自由さというか独創性、型破りさ、奔放さには心がおどった。異界の人物たちが若がっているのは、それを見ている佐山の視点、つまり「当時」の再現に他ならないからだろうけど、さらに考えを深めると、それは佐山の内的世界、精神世界と呼べるものであり、「それ」が「異界」としていつまでも保存されている作中世界の懐深さにはあたたかい救いがあるように感じた。反面、「浮き沈みする島」「にせものの神羅万象」など、無常観をさそう表現も多く、個人的に強い感銘。
 そこでの体験や心象を記したものが「熱帯」という本であり、佐山とこの一冊の本だけが、AとBを漂流する。
(佐山はどうやら一方向のみの移動にみえるが、本の方はそうであるとは断定できない)(A世界で佐山は「表面上」消えている。しかし本はどちらの世界にも存在している)
 よく、ことばや物語は生き物のようだと譬えられるが、この作品の背景にもそのような考え方が敷かれているのではなかろうか。「けっして終わらない物語」作中のことばを使えば「東洋と西洋の間を往復しながらふくれあがっていく物語空間」という『千一夜』はまさに生き物のように成長あるいは変容していく。この生き物は、少なくともうちの国では「はざま」の存在であるように思われ、そのいわゆる「境界性」が、同じようにあっちこっちと揺れ動く若者の心に同調しやすかったのかなと思う。物語の構造のみならず、構成としてもこの作品は境界的であると思う。「現実」に根をおろした写実的な物語と、「魔王」や「魔女」が登場するファンタジー世界が奇妙なバランスで同居している。しかもそれらはそれぞれ関連している。作者はこれらの温度差に不自然やほころびが生じないよう、慎重そして丹念に伏線を張っているように感じた。はじめに「栄造」が登場したとき、このひとが「魔王」だなと読み手にすぐに悟らせたのは分かりやすい例だと思う。
 また、世界AとB、それから異界の三世界に共通して登場するアイテムの数々も巧妙だった。これはミステリの要素かなと思う。(アイテムの配置と用い方の巧みさは、「異界」の「ノーチラス島」のエピソードが縮図の気がする。佐山の腕、ヤシの木、牛乳瓶と一見つながりのなさそうなアイテムを有効利用)
 まるで聖書の句のように、おなじことばが作中なんども登場する点は個人的におもしろい演出だったが、それらのことばも「アイテム」としてみてみると、ひじょうに巧みな配置と用法だったかと思う。
 表面上は好き勝手にうねって見える物語の波間に、じつは不動の浮きのようなものが用意され、それをたどりつつ、読者はそれぞれ想像力をゆたかに広げることができる。本を読むたのしみのひとつだろう。佐山という男の境界性、中間性もまた読者の胸をひきつける魅力のひとつだろうと思う。彼はおそらく「じぶん」と自覚が限りなくうすいのだろう。現実に足をしっかりとつけている雰囲気がとぼしい。じぶんも含めたあらゆることを客観していて、とくにこれといった執着もなく、じつに危ういバランスで生きている。しかし彼は夢想がゆたかで、即興で自在におはなしを創作する。あきらかにボーダーの特徴を有しているように思う。その特質が、「異界」での彼をさまざまに変容させたのだろう。
 彼は「だれでもない」がゆえに「だれにでも」なることができる。少なくとも異界――、あるいは空想世界では。創作を行うものには欠かせざる素質だと思う。
 物語の構成や構造の奇抜さと同様、この佐山という主人公もまた、創作を志すもの、あるいはモラトリアム期間にあるものにとって、いたく共感できる人物であるかと思う。そんな彼が強い想いで執着したのがカードボックス=魔法、または夢であったことは興味深い。「異界」内でなんどもお目見えした魔術の正体が「想像力」「空想力」であることは人生の深い知恵が暗示されているように思う。(A世界での白石と千代における「サルベージ」もすてき。瞑想的な空想によって既知の幻想をよみがえらせていく、というのはいい)
 よく考えたら、「ある日すがたを消す本」といい、ホウレン堂の「冬のひまわり」や「予言書としてのカードボックス」「図書館での失踪」といい、A世界には魔法の力があちこちにはたらいて興深い。「失われた世界」=若さゆえの魔法や底知れない夢想力を寓意として演出しているようで個人的に好きな点。
 佐山と栄造の関係も示唆的。千代という魅力的な女性を中心にすると、男と父の構図になる。千代を排せば師弟の関係に近くなる。「異界」でいえば、彼らはほとんど同一であり、ふたりだけが「ひみつ」を共有しているところも心惹かれる点。今西という補完的な友人の存在もふくめて、彼ら軸となる人物たちの相関は寓話的に意義が深いように思う。そして、象徴としての月、どの世界でもしずかにかがやく月のひかりは個人的に感銘を受けた。

 情景描写にも胸を打たれた。作者の詩情はすばらしい。凝った装飾は一切使わず、息の止まるような美しい情景をたった数語で描き出す。比喩も巧み。前回のDさん紹介作品同様、今作もまた、水彩のような淡い描写のかずかずに恍惚とした。
 また、京都が深く関係した物語だったことが個人的にとても効いた。あの街はぼくの生まれた場所であり、そしていわゆる修行時代を過ごしたところ。街の雰囲気だけでなく、においや息遣いすら聞こえた気がして快い郷愁にひたれた。京阪線の駅が「祇園四条」になっていて戸惑う。時代を感じた。関西弁が排除されていたのはちょっと悲しかった。
 そういえば、世界AとBにはもうひとり共通した人物が登場する。いうまでもなく、森見登美彦という作者そのひと。(もっとも、B世界では名前だけだが)作者自身のユーモラスであけっぴろげな語りではじまったA世界――作品冒頭と、むこうの世界から漂流してきたであろう一冊の本の作者「森見登美彦」と示すことで幕を下ろすこの物語の構図は、あらためて考えてみるときれい。「未完」というループではなく、「出版」という一歩進んだかたちになって本が登場しているところもまたおもしろい。(作者はよっぽどつかみどころのないひとなのだろう。あるいはそれを売りにしているひとなのだろう)
 このお話は、他でもない作者個人の回想譚と読むことができるのかもしれない。
千一夜物語』の世界を色濃く反映した「異界」のエピソードは、学生時代の、若かりしころの作者がたびたび夢想していたおはなしか、あるいはノートに書き留めていた処女作のようなものだったのかなと、そんなことをふと考えた。佐山は森見そのひとだろう。
「異界の群島や人物」がすべて「佐山の死骸」からつくられたという表現は、その意味ではとても奥が深い。「この世界は夢と同じもので織りなされている」という表現も。そうなると、「創造の魔術」の原点が「思い出す」ことというのは本当に意義深い。また、夢として時間退行していくことでつながっていく「物語」という形式もまた魅力。「つねにここではないどこかを憧れている男」ロビンソン・クルーソーにじぶんをたとえた作者森見の若い日々の気持ちを想像すると胸つまる。彼もまた、ひとりの異邦人だったのだろう。世界AとBでヒロインである千代の雰囲気が変わっているのは(いくら時の経過があったとしても)、ぼくにはとてもおもしろい点だった。
 いずれにせよ、どんなかたちを持った本でも作者でも水のように受け入れてくれる文学のふところの深さがうかがい知れる。そういう意味で、創作を志すものには希望と勇気を与えてくれる作品かなと思う。「何でもないから何でもある」は胸に響く。もっとも、奇抜なことをするためには、それ相応の手はずを整えなければならないという、あまりに冷ややかな警告と手本が示されていることをまず第一に肝に銘じなければならないだろうが。

<フリートーク
【最後まで読んだ/観た、ご褒美】
B:読書会の前、Aさんとやり取りしてたら「読むのが大変」って仰って。私はそのとき、最初のほうしか読んでなかったから意外だった。で、第四章まで読み進めて「なるほど」、と。
結果的には最後まで読んでよかったと感じたが。映画「カメラを止めるな!」(2018年)で30分で席を立った人がいる、という話を思い出した。
A:カメラを止めるな!」の前半部分は稚拙なゾンビ映画ですよね。でも、最後まで観るとご褒美が待っている。途中で脱落する人はいるだろうなぁ。

【後半(第四章以降)について】
D:ネモ君が佐山というのに、後にならないと気づかない。
C:(第三章の続きだと思って)普通に読んだら池内の話だと思う。気づくのはしばらく読んでから。池内が佐山を主人公として書いた手記としても読めるが。
B:徹底的に読者を惑わせてきますよね。
C:(読者が)どの辺りで慣れるか、だと思う。向いてるか向いていないかじゃなくて。慣れるか、途中で放棄してしまうか。謎解きが最後にくると思っている人はがっかりする。(向こうの世界の)白石さんも出てこないし。
D:思いました。最後は森見登美彦がいる読書会に(話が)戻ってくるのかなと。
B:私は後記が始まった時点で諦めた(笑)。
C:普通の小説の書き方ではない。
A:この間、同人誌の内部合評で、額縁小説だけど最初のシーンに戻らない作品を、ラストで最初と繋げたほうがいい、と言ったけど、もっと自由に書いてもいいのかも。
D:森見登美彦だから許された。プロでも新人がやったらボツになる。応募作品の回想の中で回想が始まったら、問答無用で落選させる編集者もいるそう。
C:夢野久作ドグラ・マグラ』とか、なんのこっちゃという話を読んでいかなければならない。でも評価された。苦手な人は苦手。
B:読書会のテキストにしたら、「キチガイ地獄外道祭文」の辺で脱落者続出しそう(笑)。
でも今回の読書会で、私は頭固いなって思いました。
C:大人は理屈で読むじゃないですか。子どもは場面場面で喜ぶ。そういう読み方もあり。ついていく読者があるかどうか。
D:カート・ヴォネガットスローターハウス5』という作品はプロットが飛びまくって最後はぶつ切り。しかも、ちゃんと予告してる。そういう作品もある。
C:上田秋成雨月物語』も雰囲気はいいが、筋を考えると「?」となる。古典だと『今昔物語』もそう。
B:堤中納言物語』の「虫めづる姫君」なんか「続く」で終わってますね。
C:とりかえばや物語』なども自由な発想で書かれ、多くの人が読んでいる。
私たちは現代小説に慣れて、読み方が狭まっているのかもしれない。
D:『熱帯』はバチバチに尖った企画。明瞭な意図で逸脱している。
C:第一章から第三章はネットに公開されており、そこで終わっていた。作者の行き詰まりでは。冒頭、作者の悩みが書いてある。第四章以降は頑張って追加してまとめたのかも。
D:帰ってくるのも再帰的でいいですね。
C:前半と後半の間の、編集者とのやり取りが気になる。
D:第三章までの『熱帯』と、第四章からの『熱帯』は違うもの。
C:第三章までで、普通にエンディングまで持っていくと、普通の小説になってしまう。
A:第三章で行き詰まった説、説得力がある。結論が出ないから毛色の違うものを書いたのでは。
C:第三章までのカードボックスと四章以降のカードボックスも違うものかもしれない。第四章以降は、最初の構想とは違う展開にしたのではないか。
第四章は、口から出まかせみたいで面白かった。まとめに入っていくと「あー」って。

【自由な発想で作品をつくることについて】
B:佐山がたくさんいるってところは『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイを連想した。あと、物語の舞台がイレギュラーな存在のない世界へ移った、というところは漫画『ローゼンメイデン』を思い出す。近年のサブカルでも見られる要素があるから、若い人は受け入れやすかったのかな。
D:ループものでは『カゲロウデイズ』も流行りましたね。
A:私は村上春樹騎士団長殺し』の、小人が絵から出てくるところで無理だったくらいで。『熱帯』の、佐山尚一がいっぱい、というのも受け入れがたい。
C:読み手が試されている。
A:Cさんは論理的に話されていると思いきや、間口が結構広い。ライトノベル的な作品も受け入れられている。
C:以前、読書会で取り上げた阿部暁子『室町繚乱』ライトノベル寄りの作品。登場人物の台詞が現代風で読みやすい。
たとえば台詞で「ござる」とか書いたら面白くない。歴史小説でも、柔らかく普通に書いたらいいのにと思う。ラノベ要素を取り入れると読みやすくなる。
日本史の漫画も、小和田哲男先生など、しっかりした人が監修している。
小説も、従来のパターンから脱却したほうがいい。同人誌で実験的に、自由な発想でやってみるとか。
A:読者層が変わってきていますもんね。

『供述によるとペレイラは…』アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳(白水Uブックス)

Zoom読書会 2022.04.30
【テキスト】『供述によるとペレイラは…』
      アントニオ・タブッキ須賀敦子訳(白水Uブックス
【参加人数】出席5名、推薦の理由・感想提出1名

<推薦の理由(参加者F/事前提出)>
連日連夜、真偽不明の悲愴なニュースに流されて心ふさぐ昨今ですが、それというのも、世の中や人生に対する己の根というか第一義のようなものがいまだ確立できていないために生じるものと個人的に考えています。情報の渦に一喜一憂してしまうのは、けっきょくのところじぶんの足もとが固まっていないから、言い換えれば、生きるための覚悟あるいは肚が決まっていないからなのでしょう。(少なくともものの見方が)
そんなぼくにとって、このペレイラはとても親しみやすい存在です。彼はけっして英雄と呼ばれる人物ではありませんが、しかし彼は己というもの、あるいはたましいと呼ばれるものに殉じてちいさな正義を行動に移しました。ペンという武器で現実世界に一石を投じたのです。ぼくはここに、深く胸を打たれました。(かなしいかな、ぼくはおとなになれない子どもなのです……)
現在のうちの国は、なんとなく室町時代の終わりのような雰囲気が漂っているように感じます。(あくまでただの妄想です。しょせん中卒のぼくには知っている歴史は少ないのです――どなたか詳しいかた、このあたりの考察が欲しいです!)
あまったれのお坊ちゃまたちがやりたい放題やっていると感じられるこのご時世、やつらを肥えさせる税収の人形に成り下がらないための生き方――、いえ、そんな消極的な表現ではなく、いまここにあるちいさな正義に殉じる生き方、たましいに殉じる生き方の一例が、ここに示されているように思いました。前置きからだらだら長くて申し訳ないです。この本に秘められたちいさな火に、ひとりでも多くの方が共鳴してくれたらうれしいなと思います。

<参加者A>
◆字が小さいので不安だったが、すぐに読みやすい文章だとわかり、すらすら読めた。
◆なぜ供述という形を取ったのか、とても興味深かった。例えば、現在形で進んで「ぐずぐずしてはいられなかった。」(ラストから2文目)で終われば希望が見える終わり方になったかもしれないが、敢えて各所に「供述によると」を入れている。つまり、読者には最初からペレイラが捕まることがわかっている。まるで、社会は簡単には変えられないと言われているようだ。だけど、黙っているよりは、捕まったとしても声を上げるほうが希望があるのではと思った。私も仕事で不特定多数の人の目に触れる文章を書く機会があるので、ペレイラに肩入れしながら読んでしまった。
言論の弾圧は、決して近代だけの話ではなく、古代、現代、どの時代にもあるもので、それに抗おうとする人がいるという部分に普遍性を感じた。

<参加者B>
◆良い本を紹介していただいた。タイトルの時点で主人公が供述しているという作りが巧い。最初は中立の立場で読み始めるのだが、主人公に好感を持った瞬間、(読者は)絶望する。(自分の作品でも)その作りを真似したい。作者として、非常に気持ちがいいと思う。
◆社会情勢についても現代に通じると、言おうと思ったら言える。愛国を叫ぶ者たちが国を破壊していく。その中での主人公の孤独。友人も体制寄り。そして若者たちに取り込まれていくところに共感できる。自分のできる範囲で戦う、一人の人間として戦うのが感動的。
◆供述が細かい。鱈を焼くとか、警察の供述でここまで話すだろうか。非常に作り込んでいる。
◆たましいと死の話が結末を示唆している。たましいに従って動き、死については手放しているので、死んでいるようにも読める。
◆最近、別のルートでタブッキを知ったので、シンクロしている感じがする。

<参加者C>
◆タブッキを読めてよかった。放送大学の授業で名前をよく聞いており、ぜひ読んでみたいと思っていた。
◆普通のペレイラの、なんということのない日常から始まる。平易な、でも内容的にはどこか暗くて不安で、死や絶望に繋がる書き方。香草入りのオムレツ、レモネード。とくにキャラが立っているわけでもない。交わっている人も管理人だけ、と孤独。これから何か起こるのではという不安を引っ張っている。
◆最後まで読んだとき、第二次世界大戦の前夜だと感じた。この作品の年代より少し前だけれど、日本でも小林多喜二の拷問死などがあった。愛国主義軍国主義、言論の統制、思想の統制、逆らう者への取り調べ。この作品は、日本の特高警察が共産主義者を捕えて、拷問の末に殺したのに通ずるところがある。
愛国心の名前を借りたら綺麗だが暴力。正義の名のもとに人を合法的に殺していた日本と通底している。
ペレイラが、ロッシが殺されたことを新聞に載せてフランスへ逃げていくドラマチックさ、最後のどんでん返し。書く者として、ドラマチックな展開がすごいと感心した。

<参加者D>
◆大変面白く読めた。政治ドラマは嫌いではないので。映画にしても面白いと思う。『Z』(1969年、アルジェリア/フランス共同制作)とか、そういうテイストの話。
◆独裁社会、監視社会は今でも身近なもの。こういう社会でどう見られているのか。そう読めば、特殊な話ではない。だからといって二番煎じでなく、独特の捉え方がある。
◆物語としてどうなるかは先が読める。ロッシが出てきたところで、実際のラストと近い展開を予想ができたので、素直に読めた。
◆巻き込まれ型の物語。人生を諦めたわけではないが、やるべきことをやり終え、大新聞から小新聞に移ったペレイラが、飛び込んできた若者に巻き込まれる。松本清張が書いたらどうなるのだろう。ストーリーの構造が似ているので。
◆小説の試みとして、これはどうなのかと感じた点が2つ。
*1つは、会話文と地の文が切れ目なく続く書き方。なぜこういう書き方をしたのか考えさせられた。立ち止まりながら行ったり来たりにはなるが、一気に読めて、難しくないのですらすら入る。翻訳が上手で、日本語としてこなれているから綺麗に読めたのかもしれないが、スピーディーで内容に合っている。緊張感を出すために、この文体を作ったのでは。(自分の作品でも)真似をしたくなる。以前、鉤括弧のない作品について、鉤括弧を入れて読むと読みやすくなるので(鉤括弧をなくす)意味がないと指摘したことがあるが、この作品は鉤括弧を入れるとかえって読みにくい。真似しがちな人たちは目先を変えるだけだから読みにくくなる。文章スタイルと作品が一致しなければならない。
*もう1つは、供述スタイル。ペレイラ視点による、一人称的三人称。漠然とした誰かが語っている。違和感なく一人称で読めるが、供述調書のわりに詳しすぎる。警察の誰かの語りとして読んでしまうと具体的すぎて、こんな細かなこと書かないだろう、と思う。オムレツを2つ頼んだ、何時に起きた、レモネードを飲んだ……覚えているはずがないことを書いているのに引っかかった。なぜこういう形式をとったのか、こちらは、いまいちついていけない。文章構造として試みが成功すれば面白いと思うが、違和感があって手が止まってしまった。斬新に読めるので面白いと感じる人はいるだろうが。
スタイルについても考えさせられた、いい作品。

<参加者E>
◆時代に倣って推薦されたテキストだろうか。カルドーソ医師の心理学の理論に、たましいの側面、多重構造、せめぎ合いというような文言があり、そういうところにお惹かれになったのだと思う。推されるコアな部分はこれなのだと納得した。
◆人間の意識に迫ったところが核。
たましいとは同盟のようなもの、エレメントがせめぎ合い個人がある。その中でも、超自我に対して、自我の中でイドとエゴが巡っている。=(真偽は置いておき)複数のもので成り立っている。
それに呼応するようにイベリア半島の内戦、国内外のせめぎ合いが並行している。⇒大きな目線で見て社会と重なっている。
社会がせめぎ合っていると人間は不安になる。こういうときは、安定した昔の権威主義に戻りたがる。世の常みたいなものが読めた。
余談)忘れちゃいけない国際旅団。オーウェルヘミングウェイも参加していた。
◆また、ポルトガルの国民的詩人であるフェルナンド・ペソア。私も好きな作家なのだが、複数のペンネームを使い分け、作品において分裂している。たましいに繋がるのだろうか。なお、フェルナンド・ペソアは、平凡社ライブラリーより詩集が出ている。
◆作中で「郷愁」が何回か出てくる。これはポルトガルを語る上で外せない。郷愁(Saudade)はラテン語のsolitate(孤独)から派生し、過ぎ去ったものを一人懐かしむという意味がある。作中、主人公が住む場所として「サウダージ街」が登場するが、これは郷愁を意図して、そういう名前にしているのだろう。
偉大な過去の作品への想い。追悼記事に見られる、失ったものへの郷愁。純粋な意味でのホームシックではなく、過去を美化してそこに帰ろうとする、懐古主義をモチベーションにした権威主義のリスクなども書いているように思う。
今の混乱した状態を何とかしたいから、昔のように強いリーダーを求める。そんな間違った郷愁に押し流される人々が、若者の死の裏に見え隠れする。
◆ドーデ『最後の授業』がどう絡むかわからないが、重要なファクターである気がしている(動乱の中にある国の状態/心理学によって発生した個人の疑似動乱)。
◆供述調書に意味はなく、リフレインみたいな感じで用いているのだろうか。イタリアや、イベリア半島のスペイン、ポルトガルは、「○○によると……」という表現があると、切れて間に代名詞が入る。そこにサブセンテンスが続く。口承芸術のように、読み上げるのを意識したのでは。意味があるようでないような遊びかな。
◆会話文と地の文が切れ目なく続く書き方は、作中時間の1938年、一部の作家の間で流行っていた。例えばフォークナー。1ページまるまるピリオドがなく、鉤括弧も曖昧。それを模して書いているのでは。

<参加者F(提出の感想)>
(ぼくは読んだ本に感想を書くことを習慣にしていますが、以下の文章はそのとき書いたもののコピーです。だれかの目を意識して書いていないため、ものすごく読みにくい上、じつは尻切れトンボなのですが、どうかご了承いただきたいです。新しく書き直そうという気持ちがなかったわけじゃないのですが、ここはひとつ、繁忙期というキラーワードにあまえさせていただきたいです……)
 ちいさな個人の決意とたたかいを描いた物語。第二次世界大戦前夜、独裁政権下のリスボンが舞台。主人公は小規模の新聞社につとめる記者。容姿・体質・気質ともにおよそ英雄的なイメージとはほど遠い彼が、ある若者たちと出会ったことをきっかけに、ゆるやかな内的変革を遂げていく。
 物語は本編には登場しないだれかの視線で語られている。調書や事件ということばがたびたび使われることから公的な機関の関係者だと思われるが詳細は不明。そもそもその人物がどこの国の所属なのかもまた不明。この「供述」がひとつの魅惑的な謎となって読者にぐんぐんページを繰らせる。このお話の語り手が、願わくばペレイラが亡命をしようとしたフランスのひとであればと思うが、よく考えたらその国はじきにドイツによって占領されてしまうのだから彼にとって救いはないか。ただ、あくまでも形式上には「取り調べ」をしてくれているのだから、彼が拘束されているのは少なくとも法がまだ生きている国なのだと淡い期待を抱いてしまう。
 とにかく、まず、このお話は文章スタイルが抜群によかった。表題でもある「供述によるとペレイラは」を作中なんどもなんども使ってくるこの大胆さと斬新さ。いつだって冷ややかに、いつだって重く切実に読者の胸をなでつけてくるこの語句はまた、語られている作品世界の圧迫感や哀切さをいっそう引き立たせているように思う。すがたなき視点による二重構造によって作品は深みどころか普遍性さえ宿しているのではないかと思う。孤独、ファシズム、監視と圧力、不健康、死とその影、そして夏。作品は絶えず息苦しい閉塞感に支配されていて、ずいぶん胸にこたえてしまうが奇妙なことにページはするするめくられる。図々しくて甘えん坊で視野狭窄で頭の固いロッシにはなかなかもどかしい思いをさせられて、それもまた心をわずらわせられる部分のひとつ。けれども、裏を返せば彼はそれだけ懸命に生きようとしていたのであって、その荒々しいエゴの衝動によって生じた行動――、マルタという女性にも同様に暗示される作品底部のひそかな戦い、若者たちの真摯な熱情と行動に読み手が心を、いや、たましいを刺激されたからなのだろうと思う。管理人や上司には思ったことを口にできるペレイラが、彼らにだけは心とちがう行動を取りつづけるのはもちろん父性のはたらきもあっただろうが、それ以前に、やはりまた、たましいに訴えかけるものがあったからだろう。
 妻の死、葬儀屋だった父、ロッシの死についての論文、まだ存命中の作家たちへの追悼文。あるいはある社会主義者の死。冒頭からすでに「すがたなき死」に満ちた作品世界に胸を打たれる。「目が痛いほどの透明な青さのなか」という本来なら生命力が格段に増すはずの暑い夏、編集室に閉じこもってペレイラはひとり死について考えている。彼はじぶんが所属しているカトリックの教えには心から満足していない。だからといってこれといった哲学もないが、しかし「たましい」の存在は信じている。でもやはり、それを公然と宣言する気持ちはない。そうしたもどかしさ、落ち着かなさが、彼に「まだ生きているものへの追悼文」を思いつかせたのだと考えると、それは「たましい」の声のはたらきだったと、そう考えることができるかもしれない。彼がその後、あくまでもゆるやかでありながら、じぶんの人生をたましいにゆだねていったことを考えるととても示唆が深いと思う。海洋クリニックの医者が話したエゴの話はおもしろかった。多元的なたましいのはたらきによって自然と代わっていくものについては、身をゆだねた方がいいということ。ここに、この作品の普遍性が色濃く出ているのではないかと思う。内なる変革と個人のたたかい。どんなに困難な状況下でも、おのれのたましいの命ずるままに、おのれのしごとをやってのけるというその尊さはいつの時代のどんな人間の心にだって響くものがあると思う。記者である彼はペンをもって戦った。その命を賭した孤独な戦いに共鳴するはやはりここにあるたましいに他ならない。
 じぶんにあまく、だらしなく、いつまでも過去のぬるま湯にひたりきり、できるかぎりひとや世間との衝突をさけ、ひっそりとつつましく生きようと試みつづけ、解説によるところの「弱い現代人」、国にとどまっている理由は「郷愁」と言った彼が、ラスト、強い意思をもってみらいへと脱皮しようとしたすがたはほんとうに感銘が深い。また、文芸面の責任者兼ゆいいつの記者であるペレイラが、しごとのために翻訳していくフランスの小説がまたお話の雰囲気を高めていく。砂糖なしのレモネードや妻の写真と話す時間の減少は、彼のゆるやかな心情変化を外的に表現するものとして巧いと思った。ロッシの死がマルタからの軽率な電話に起因しているであろうとうかがわせることにひとの世の残酷さと切なさをみる。地の文のなかに会話や仕草、思考を織り交ぜる文章表現は「供述」という作品体裁の雰囲気を出すとともに、作風の圧迫感をさらに高める機能を持っているように感じた。現実とは真逆にたいていは「すばらしい」と感じる「夢」については原則的に口をつぐむペレイラのすがたも印象的。……この感想はあきらかにまとまっていない。お話の核心をとらえていないからだ。いまのところは、ただただ圧倒されているだけなのだろう。時間を置いて、もういちど読まねばならないと思う。

<フリートーク
【Fさんの感想によせて】
C:Fさん、読んだら感想書かれてるんですね。すごい。
A:私、読んでいて楽しかった。※当日、Aが読み上げました。
E:私もだけど、ネタバレしても大丈夫なタイプかな。過程が大事で、何が面白いか考えながら読む。だからオチから読んでしまうことも。
A:フーダニットで犯人を知ってから読む、みたいな?
D:伏線がある場合、最後から読んだほうが面白いかも。
E:Fさん、プロット解析とかされてそうですね。

【「供述によると」という書き方について】
C:気になったのは、「供述によると」。鬱陶しいと思ったが、代名詞のあとに文章を続けられるんですね。
E:センテンスを切って、ピリオドを打たずに続けられる。原文で朗読したらいいかも。
D:普通の作品だと「彼は言った」。漠然としていて、語り手について気にならない。「供述によると」だと、語り手を具体的に想像してしまう。リズムのためなら、合いの手は違うものにしたほうがよかったのでは。タイトルになっているので、読者に読ませよう、読者を惹きつけようとしているのか。喜んでついていく人もいるだろうが、強引だと感じる。良し悪しかな。
E:突き放した感じは出る。「ああ言ったらしいで。知らんけど」みたいな引き離し方。警察も信用できないから、妙な突き放しのニュアンスを出している。寄り添っているようで、寄り添っていない変な距離感。
D:「供述によると」で始まる部分だけ抜き出したらどうなるか。警察官の知らないことも混ぜてある。
E:そこではピリオドが切れている。
D:ざっと読んだだけでは区別がつかない。オムレツを2つ頼んだ、など覚えているはずないと思ってしまう。
E:だから「知らんけど」みたいなニュアンスになっている。
D:読み手を撹乱するための文句に思える。
B:ペレイラが嘘をついている可能性もある。ペレイラ主導で反政府活動しているのかもしれないし。
E:後で作られた調書という体ですからね。
ドーデ『最後の授業』は、フランスとドイツの境にあるフランス領アルザス地方の学校が舞台。普仏戦争でフランスが負けたため、フランス語が使えなくなり、学校でのフランス語の授業は最後となってしまう。現実では、アルザス地方で話されているのはフランス語アクセントのあるドイツ語。作品にイデオロギー先行という側面があるのではないか(愛国のための思想主導の小説)。教室全体が本当なのか、どこかで曲げられているかもしれない謎の距離感。(※後述【その他】に関連の話題)
『供述によるとペレイラは…』の追悼記事も、本当のところはわからない。網の目で繋がるのか、時間を置くとわかるようなわからないような気がしてくる。
D:どこが嘘か匂わせないと効果が出ない。ちょっとだけ、わからせるようにしないと。そうすると信用できない語り手になるが、この作品のように完璧に書かれると効果がない。作法として意味がないのでは。
実はペレイラが喋っていると面白い。自分で書いてるとか。
E:その可能性もありますね。

【なぜペレイラはロッシの頼みを断らなかったのか?】
C:「供述によると」とあるが、なぜそうなったかわからない、という文言がたくさんある。ロッシの頼みを断ればいいのにそうしないし、原稿料をポケットマネーから出したりしている。
D:「もしかしたら彼ら(ロッシやマルタ)のほうが正しいんじゃないか」「新聞には載せられないけど、書かれていることは正しいんじゃないか」と感じている。潜在的に情報交換の価値があると思っているのでは。
E:あるいは直感ですね。
D:なぜかわからないけれど巻き込まれるのは必然だったのか。その仕掛けが離れすぎているから読者に伝わるかわからない。伏線と回収は離れすぎないほうがいい。
C:この場合は大丈夫じゃないかな。たましいが出てくるけど。

権威主義と民主主義について】
C:権威主義体制下では領土を広げたい気持ちが起こる?
E:自分の権力を維持するために戦争を行う。絶えず仮想敵を作って、自分の支持を盤石なものにする。もちろん野心もある。何らかの表現で大衆を惹きつけている。
ペレイラは直感的に反目したり離れたり、勘がいい。カトリックから距離を置いている。あの時代、カトリックファシズムと融和主義を取るから。理屈抜きに反体制に惹かれる勘の良さを書いている。
C:でっち上げても仮想敵を作る。そうして高い支持率を得て。
D:民主主義も一緒。
E:民主主義で偽装できるから、なかなか潰れない。
D:権威主義の否定的な面が強調されるけど、感染症を抑えきれるのは権威主義。マイナス面だけじゃない。今、権威主義のプラス面を言うと、独裁者に肩入れするのかと言われるけど、優秀なトップがいれば権威主義でも成り立つ。民主主義でも腐敗するし。
腐るのは誰でも腐る。国民が腐ったら民主主義も腐る。選挙に行かない国民は民主主義を支えているのか?

【予備知識について】
B:詩人のカモンイス、ディスられてましたね。「ここに陸終わり海始まる」。フロイスくらいの時代の人だから歴史小説に絡められそう。
D:文学の知識があれば、もっと面白く、興味深く読めたはず。私は国際旅団とか詳しくないけど、それなりに読める。でも、知ってたらもっと深く読めたかな。
B:ポルトガルでは、作中の1938年からまだサラザール独裁政権が続いて。イベリアの人、大変ですね。
D:歴史小説がわからないと敬遠する人の気持ちがわかった。
E:私も大きいのは知っているが、脇になると理解が適当。
D:作品に埋め込まれている知識は、あとになってわかると「なるほど」となる。
E:フェルナンド・ペソア、お薦めしたい。謎の詩人。学術書の出版社からしか出ていないけど、鞄とかグッズがやたらウケた。
『供述によるとペレイラは…』は、掘り返すところが結構ある。

【作中の食事の描写について】
B:読んでいるとレモネード飲みたくなりますね。実際今、飲んでるんですけど(笑)。
C:葉巻吸ってるのも影響ですか?
B:影響ですね。今日は葉巻とレモネードで。めちゃめちゃ部屋が臭くなる。私は煙草は吸わなくて、3ヵ月に1回ほど葉巻を吸います。
E:私は読書会が終わったらオムレツを作ろうかと。期限が迫ってる卵が4個くらいあって。香草はないのでキャベツで(笑)。
A:作中の食事の描写、すごくいいですよね。食べたくなる……。一緒に食事して、打ち解けてきたみたいな意味があるのかな。
C:小説に食べ物を入れるの、効果的ですよね。確かにレモネードとオムレツが食べたくなる。あれじゃ体も悪くなります。
E:作中の地域に実際に住む人の砂糖の入れ方、すごいですよ。飲み物にゲル状の物体が入ってて、よく見たら砂糖だったっていう(笑)。
後ろ暗いものがあるけれど、日常は続いていく。食べ物、リラックスの方法……緩急のつけ方が巧い。隣の国では内戦をしているけれど、のんきな日常がある。
B:魚の焼き方も供述させるんですかね。独裁政権で無尽蔵なマンパワーがあるなら、微に入り細に入り、調書を作れるのかな。
D:盗聴されていたのかも。それだと作れる。管理人が盗聴していたとか。
B:管理人のおばさん、いいですよね。公然とスパイをしている。あと、ラジオを聴かないと自分が統制下にいるとわからないのがリアル。
D:今も同じ。繰り返している。情報は片側からしか流れてこない。

【その他】
◆(ドーデ『最後の授業』の流れで)
D:『最後の授業』のアルザスは、取ったり取られたりの地方。そこに住む人は、フランスとドイツ、両方の言葉を知っていた。『最後の授業』は子どもにわかりやすくする寓話だろう。
E:全員両方喋れる。フランス語とドイツ語、日常的にどちらもある環境。だから、『最後の授業』のように綺麗にいかない。

◆(作中の食事の描写についての流れで)
E:タブッキはイタリア人。イタリア人は食事にかける時間が長い。コースも延々と……。
A:ちなみにイギリスだと?
E:イギリスはそもそもご飯に味がついていない。フィッシュ・アンド・チップスとか、食べる前に側にソースがあるから。

◆B:ペレイラ、金ありますね。家に電話あるし。
E:ブルジョワジー
B:このリッチな感じ、リアルなのかな。
E:こんな人がいた記録はありますね。
A:極右になるのは貧困層で、豊かな人は政権批判しているイメージ。
E:確かに、困った人につけこんで「(貧しいのは)やつらのせいだ」と言うから、貧困層に支持者が多いけど、こういう層もパトロンになっているから何とも言えない。
戦争が近づいても、空爆が始まるまでは普通に暮らしていた。ある日ドカンときて破綻する感じ。人間は、差し迫ってても同じような生活を続ける。
B:正常性バイアス
E:そう、それです。

◆E:以前、別の読書会でタブッキの『インド夜想曲』を取り上げたが、この作品とだいぶ印象が異なる。何年も前だからバイアスがかかっているけど。ジャンルも違うし。
A:『インド夜想曲』も同じ訳者ですね。
D:翻訳が上手。ものすごく。昔の翻訳だと読めなかった。翻訳権は著者が取る場合と出版社が取る場合があるけど、後書きを見た感じだと著者が取っているのかな。

『黒牢城』米澤穂信(KADOKAWA)★R読書会

R読書会 2022.04.30
【テキスト】『黒牢城』米澤穂信KADOKAWA) 
【参加人数】7名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由(参加者G)>
◆第166回直木賞には、今村翔吾『塞王の楯』と米澤穂信『黒牢城』の2つが選ばれた。両方とも歴史小説。その中でも、『黒牢城』を読みたいという皆さんの意見が多かったので今回取り上げた。
黒田官兵衛荒木村重が5回ほど牢のところで面会する場面が印象に残っている。レジュメにはたくさん書いたが、私なりに楽しんで読めた。互いに胸の内を覗こうとしている心理合戦が一番面白かった。
◆存在感があったのは側室の千代保。長島一向一揆の生き残りである千代保が有岡城で籠城することになるのだが、そういう経験がある彼女だから説得力がある。一向宗について詳しく書いているので興味を持って読めた。
◆官兵衛の頭の怪我はどうしてできたのだろう。牢番が殴ったように書かれていたけれど、官兵衛本人が頭を打ち付けて、どうにかしようとした牢番が入ってきた、としたほうが素直に読めるのでは。
私が知らないだけで、歴史的にはっきりしている事実なのだろうか。蛆が湧き、村重が目を背けるほどの怪我はどうしてできたのか。皆さんはどう読んだのか教えてほしい。

<参加者A>
◆Gさんが薦めてくださったときに私も半分くらい読んでいて、面白い作品だと思ったので一緒に薦めさせていただいた。
◆官兵衛の頭の怪我について。調べると、幽閉されているときに醜い傷がついたという事実はあるようだ。
◆私は歴史小説を結構読むのだが、この作品は文章に素晴らしくキレがある。端的で切れ味が鋭く、研ぎ澄まされている。無駄が少なく惹き込まれた。
歴史小説ならではの難読な漢字もあって辞書を引きながら読んだ。
◆作者の過去作を読んでいないのだが、この作品で初めて歴史小説に挑戦したと聞いて驚いた。歴史小説にこんな書き手がいるのかと思ったのだが。
◆主人公の荒木村重が口数少なく武士らしい。作品によく合っている。
私は荒木村重のことを大まかにしか知らず、家臣を置いて逃げたずるいイメージしかなかったが、この作品では違う。伊丹市ポータルサイトにも人の命を大切にする武将と書いており[注1]、いろいろな説がある。今までとは違う村重像を読むのが楽しかった。
◆ストーリーについて。城の者を置き去りにして逃げるという着地点はわかっているが、その過程に作者なりの解釈があり楽しく読めた。
第一章は灯籠を使ったトリックの謎解き。それを解いたら皆の疑心が晴れたと思えたが、二章、三章になると、謎を解いても疑念を払拭できなくなり、村重はそれに抗う。機運がどんどん下がっていく構成はどこか暗いが面白かった。
最後は官兵衛のどんでん返しが来るかな、だしの方が絡むのかなと思ったらその通りになった。抗えない村重という、ちょっと悲しいストーリー。
◆時代小説を読むときにいつも思うのが、「今の時代でも同じ」ということ。どちらの陣営も情報戦をしているところが現代の戦争と共通している。
また、何をやっても上手くいかず、どんどん悪くなっていくことがあるのも同じ。村重も上手くいかず苦しむが、籠城で抗っている。骨太な作品だと思った。
G:明智光秀に寅申を渡そうとするのは史実?
A:あれはオリジナルだと思って読みました。

<参加者B>
◆読むのに苦労した。時代背景に基づいた難しい言葉などを辞書で引きながら読んだ。でも変に修飾するのではない、端的な文章に潔さみたいなものを感じた。
◆読書会だから何とか読めた。一人だったら途中までになったかも。
◆Gさんの仰るように、官兵衛が登場する場面は少ないながらも非常に生き生きとしており、その部分はささっと読めた。
◆村重は煮え切らないというか、格好つけているというか、どうしても好きになれなかった。
語っているようだけど、すとんと落ちてこない。
人を殺す信長に対し、村重は殺さないという立場。そのために官兵衛が生き延びて息子と再会できた。誰でも彼でも殺せばいいわけではない、という人もいたのだろうか。
◆各章でミステリーがあって、謎解きして、官兵衛のところへ行って、答えに辿りついて裁断するわけだけど……私は千代保が黒幕だと想像していなかったので落ちきっていない。
第二章でも、結局誰が討ったのかわからない。「お前たちのどちらでもない。とにかく戦に勝ったんだ」みたいな結末で。どの章も、全部そういう半落ちで終わっているから、それでいいのかという感じがしていた。でも、千代保がラスボスで操っていたから、それでよかったのか。この人、スーパーウーマンすぎない? これほど策士なら信長との仲を取り持ってくれてもいいような。
◆一番無理があると思ったのは、民への想いを語るところ。圧巻なのだが、このような罰が下ることで民が安らいだのか。自己満足な気がした。
◆よかったのは、今とは違う、当時の死生観が示されていること。村重たちの死生観、千代保の死生観を二元論で戦わせている。戦国時代だからといって、皆が死など怖くないわけではない。救わなくてはと訴えている。さまざまな細工をすることに繋がるかはわからないが、千代保の死生観は素晴らしい。
◆よくこれだけピースを重ねられるな、と思った。頭の良さ、作品に対する執念深さ・粘り強さがすごい。これからどうなるか史実を知っているから、こういう形で書いているのは素晴らしいと思った。

<参加者C>
◆『黒牢城』は、以前、別の読書会でも取り上げたことがあり、読むのは2回目。
◆私も読み始める前は、荒木村重について「籠城して、官兵衛を幽閉して、最後は逃げ出した」ということしか知らなかったが、戦国時代が舞台の大河ドラマを何作か観ているのと、舞台になっている場所に少し土地勘があるので、読みにくくはなかった。
◆やはり歴史小説というより、戦国時代が舞台のミステリーだと感じる。ただ、ミステリーとしては物足りない。出てくるトリックを現代もので使うと、そこまで映えないのではないだろうか。戦国時代が舞台で、この先の歴史を知っているから、事件の一つひとつがどうトリガーとなるのか、期待が生まれるのだと思う。
また、千代保が鍵を握っているのは早い段階で仄めかされているので、その動機を考える楽しみもある。

<参加者D>
歴史小説として読むと物足りない。私は、歴史小説では、司馬遼太郎国盗り物語』で描かれているように、いかに日本を支配するかを面白く読むので。
ミステリーと聞いて納得した。通常、歴史小説にトリックは入れないが、この作品には遊びがある。そこが高く評価された理由だろう。
荒木村重は、信長や秀吉を主人公にした小説で、官兵衛を幽閉した人物として、よく登場する。もうちょっと村重という人物について読みたかった。なぜ裏切ったのか、なぜ官兵衛を牢に入れたのかなど、人物像がいまひとつわからない。一応、作中で語ってはいるが、どうなのだろう。私は視点が少し違うのかなと思った。
◆ちなみに秀吉が主人公の小説では、秀吉が信長に「官兵衛は裏切っていない」と言って、官兵衛をこっそり助けたりする。秀吉をいい人物として描いているから。
◆読んでいて、残りページが少なくなってきて「どう種明かしするのかな」と思っていたが、千代保がすべての鍵を握っているというのは少し苦しいと思った。
◆籠城している人たちの心理描写が面白い。長くなればなるほど疑心暗鬼が渦巻いていく。そこが一番面白かった。

<参加者E>
◆読み始めるのが遅くて全部読み切れなかった。
◆難しい語彙が入っている重々しい時代劇口調の割に台詞の内容はわかりやすく、上手い書き手なんだなと思った。
◆作品の評価とは別だが、戦国とはこういう時代なんだと引いた感じで描写している序章と、本編の雰囲気が異なっていてすごく読みにくい。冒頭は本編のような描写になっていない。はっきり言って生きていないので、「大坂は城と砦に囲まれている。」から始めてもいいと思う。
又吉直樹『火花』も、冒頭数行は文学めかしている割に文が整っておらず読みにくかったのを思い出した。私はどちらも編集者がつけたのではと疑っている。
◆全体を読めていないので評価はまた。勉強します。

<参加者F>
◆すごく苦労して読んだ。私は東京出身なので、まず北摂がどこかわからなかった。
歴史にまったく詳しくなくて、登場人物のメモを取りながら読んだ。「村重、織田に謀反して、有岡城に籠城し……」みたいに。2ページで眠くなったが、P100を超えたあたりから話が見えてきて、P200からは1日かけて一気に読めた。
◆作者の目の付け所がすごい。実際、官兵衛は1年間幽閉されている。冬から始まって、3ヵ月に1度くらい地下へ下りていく。そのストーリー展開が面白い。こういうところに目を付けるのか、と。
長い歴史の中で幽閉されている1年間にフォーカスして、こんなに力を入れて書くのはすごい。
田村由美『ミステリと言う勿れ』の主人公みたいに、訳もわからないまま与えられた謎を解いていくのかと思ったら、大どんでん返しがあって。私は、官兵衛が村重を騙していたことに気付かなかったのですごいと思った。最後のほうはサクサク読めて楽しかった。
◆武士言葉が癖になる面白さ。「民草」は、人民を草に例える、中国の古い故事に由来しているそう。「太り肉」とか読み方が面白い。あと「風聞」とか。
◆神社仏閣は位の高い人が建てたもの。庶民は、殺されて本当に極楽浄土に行けるのかという不安があったのでは。千代保が安心させようとするのは、すごく納得できた。
◆テーマは何なのか考えた。
P375に「信長は斬り、村重は斬らぬ……その評判は天下に広がっただろう。(中略)すべては武略であった。」とある。そうなんだと、素直にそのまま受け取るしかない。
100ページごとに村重がどうしてこうしたのか、ちょこちょこ書いてあった。Ex)P118「信長と同じ道を行くことこそが荒木家の滅亡を約束するからだ。」
P417 、「村重、我が子を殺したのは、おのれを慈悲深く見せようというおぬしの見栄よ!」村重がどうしてそうしたのか書いてある。
テーマは「抗うこと」かなと思った。どんな世にあっても、社会に抗うことは大切である、と書いているのでは。
◆悩ましき句読点。句読点には現在規則がない。この作品の句読点の打ち方がとてもいい。P299、「村重は、ひとりだ。」。ここだけ主語に読点。「一人だ」が協調されていて、正しい打ち方だ! と思った。
◆楽しい本だった。一人では(=読書会のテキストでなければ)読み切れなかった。
◆不思議だと思ったのは寅申。茶器がそんなに重要なのか。
E:領地を与える代わりに茶器を与えたりしていた。
A:松永久秀は古天明平蜘蛛という茶釜を渡さずに自害した。

<参加者G(推薦者)>
[事前のレジュメより]
≪骨太の作品だ≫
 四つの謎解きをしながら進行する物語。荒木村重と官兵衛の心理戦が見事に描かれている。土牢へ閉じ込めた官兵衛を村重は五度訪れている。籠城が長引くにつれ城内での不調和が広がってゆく。毛利の助けを待つだけの陣中の焦りが猜疑心となって表面化していく様子が丁寧に描かれている。その中で対応が困難な事件が起きる。これへの対応をめぐって二人の心理戦が行われる。ミステリー仕立ての骨太な物語だ。官兵衛を村重の指南役として位置づけてこの物語を書いたところが面白い。

≪官兵衛のすごさ≫
 官兵衛のすごさが描かれていると思った。一つ目は、牢内にいて村重の話を訊いただけで事件の謎解きをしてみせるところである。二つ目は、牢番ふたりを短期間の間に洗脳し、思うように操っているところである。

≪存在感があった側室の千代保≫
 村重は彼女の美しさの由縁が「いのちを諦めたところから生じているのではないか」ととらえているようだが、その彼女が城内の危機を何度も救っている。「仏罰」を城内の者に示そうとしたことなどは、籠城戦を経験している者だからこその発想である。

≪官兵衛の頭の怪我≫
 「この傷の礼に、かの者とは少々話をいたした」(P212)と官兵衛が言った場面が理解できなかった。この言葉そのものは、官兵衛の独特の皮肉っぽい言い方なんだろうが、この文脈が分からなかった。牢番に打たれて負った頭のひどい怪我。これと、村重に斬りかかるように洗脳できたことがどう繋がるのか理解できなかった。皆さん、教えてくだされ! もしかして、この場面は私が知らないだけで、誰もが知っているところなんだろうか? あるいは、この怪我は官兵衛自らの手で負ったものと考えられないだろうか? その傷を牢番が手当をしてくれた。その時、村重を襲うように唆す話をした。こういう文脈ならよく理解できる。

[以下、読書会にてGさんの発言]
謀反を起こした理由については納得できた。信長が残虐で殺し過ぎるから、恐ろしくて離れたのだろうと思う。反逆するなら信長の逆をやろうと考えたのかなと。きっと、明智光秀の謀反と似ているのでは。その(=光秀の謀反の)先ぶれみたいな。
先ぶれとして、もう一つ。信長は、大坂では一向宗を殺さずに逃した。信長は統治していく上で、従わなければ殺すというやり方を変えて、場合によっては生かすようになった。有岡城の処刑も、そういう過程の中の一つの事件としてあるのではと、難しく考えずに受け止めた。

<フリートーク
【作中の言葉遣いについて】
D:一般的に男性は時代ものが好きだけど、女性はそうじゃないと思っていたが。
F:だって男ばかり出てくるんだもん。
C:私は結構好きですけどね(笑)。
E:『黒牢城』は、ジェームス三木みたいな重々しい口調に寄せているけど、最近は若者口調に寄せている作品も多いですね。和田竜『忍びの国』の台詞とか、現代的でわかりやすい。
D:今の大河ドラマ(『鎌倉殿の13人』)も。
F:標準語ができたのは最近。昔は方言で喋っていたから、正確な話し言葉はわからないはず。

【人物の描き方について】
F:表では「はい」と言っているが、裏で何かを考えている村重を好きになれなかった。面従腹背の謀反人。結局、見栄だし。
A:見栄ですよね。
D:歴史にはそういう人が多い。
A:人を殺さないのも武略。
B:自分の風評のため。
A:冒頭のプロパガンダみたいなものを作品中で巧く使っている。
F:千代保がいなくていいところに出てくるから、犯人だとわかる。
C:第一章の火鉢のところから怪しいですよね。
F:ミステリーでは犯人じゃなくていい人が犯人。
村重が44~45歳くらい、千代保が20歳くらい。官兵衛が32歳くらい。このときの年齢が面白い。

【牢番と牢について】
D:官兵衛に唆された牢番が村重を殺そうとして、逆に殺される設定かなと思った。
G:官兵衛が言外に「自分がやった」と仄めかしている。官兵衛は牢番に村重を殺させたかった。
D:それはそうだけど、牢番に仕返しをしたのかと思った。
G:官兵衛が牢番に語りかけたのはすごい。
A:牢ってあんなに狭いんですか?
D:他の作品でもそう。幽閉の間に足を悪くしていて、戦でも馬ではなく輿に乗っていたり。
A:有岡城の官兵衛って、牢に入れられてたのではなく厚遇されてたという説もある。この作品では最初に御前衆を殺してしまっているから、牢に入れざるを得ないけれど。
補足)後の参加者A調べによれば、"厚遇されていた"との説は見つからなかった。ただ、"幽閉はそれほど過酷ではなかったのではないか"と窺わせる史料(2013年に見つかった官兵衛から村重にあてた書簡)がある。これを見ての発言です。[注2]

現代社会と似ているところ】
F:当時の人質の在りようが、今だったら考えられない。磔にするなどもありえない。
B:敵のしゃれこうべを盃にしたり……
E:それはさすがに特殊ですけど、首を晒すのは相手の戦意を削ぐという意味がある。
A:第二章のトリックは好きですね。歴史小説は戦いがメインのものが多いけれど、この作品は戦いではなく、手柄を妬まなくていいとか着眼点がすごい。
B:会社組織みたいなところはありますね。社員はどう働くか。社長に取り入らなきゃいけない。自分が死んでも子孫のために書状を残すのは、労災の書類みたいな。
A:潰れる大企業の行く末のような感じ。
D:官兵衛はすごい知恵者だったみたいで。秀吉がいなければ、彼が天下を取ったんじゃないかと言われている。
F:今でも策士っていますよね。会社でも。
D:正面からぶつかっても天下を取れないから、どう落そうかと考える。
F:もともと人間ってそういう面があるのかな。生き残るために。民間企業で見てるんです、男たちのドロドロを。

【女性の地位について】
A:第四章の、千代保と村重が対峙する部分がこの作品の肝なのかな。民の想い。民が恐れるのは死ではない。2人の議論を戦わせて巧くまとめている。冒頭に「退かば地獄」とあるがプロパガンダですよね。政教一致みたいなことを都合よく伝えている。
F:「進めば極楽」……官僚の言葉なんです、従わせるための。戦に行く人は、肝に銘じて戦に行くでしょう。
E:いえいえ、浄土真宗一向一揆で集った民衆たちのほうがこういうことを言ったんです。死んだら極楽に行けると。宗教って恐ろしい。
F:民は死ぬのが怖かったんじゃなく、極楽に行きたかった?
E:生きていると苦しいですからね。一向一揆の鎮圧は、武将同士の戦いよりも大変だった。
B:当時、(この作品の)だしの方のように自立した女性はいないのでは。アイデンティティのある女性をうまいこと入れている。
E:女性の地位は時代によって違う。平安時代は女性の側にも家長権や資産があった※家長権というのは誤り[注3]。一般の民衆でも女性で職人の棟梁になった人もいた。現代人が想像するほど抑圧されてはいなかった。女は三歩下がって……と言い出したのは武家が安定してから。それ以前は出雲阿国もいたし、そこまで女性に人権がなかったわけではない。
A:このころの女性は言うこと聞いてくれたんですかね。今はこちらが抑圧されてる(笑)。
D:この時代はあくまで政略結婚。奥さんもスパイだから信用できない。実家に情報を流すので。
E:濃姫などもそうですね。
D:長男を生むと、さらに権力が増す。力があるといえばある。宇喜多直家とかすごいですよ。娘を嫁にやっておいて、嫁ぎ先を攻め滅ぼす。
F:この時代、世界中でこうだった?
E:どの国にもこんな時代があった。中南米のアステカでは捕虜や奴隷を生贄にしていた[注4]。人間は文化的なものがあったら突っ走る。こんなことは世界中であった。

【地域について】
F[東京出身]:東京で「行けたら行く」って言うと、行く気満々なんです。関西で「行けたら行く」って言うと100%行かない。
C[岡山出身]:岡山でも、「行けたら行く」「検討します」って断り文句なことが多いですよ。職場の、関西から来た営業さんが戸惑うくらい(笑)。
A[奈良出身]:友人と話していて、「岡山は天災もないし、岡山だけで生きていけるから、プライドが高いんじゃないか」という結論に至ったことがある。ちょっと京都っぽい。
E[広島(備後)出身]:はっきり主張しないのは引け目があるからでは。
C[岡山出身]:引け目はあるかも。相手が嫌な気持ちになるかな、みたいに考えちゃって。
D[岡山出身]:岡山を作ったのは宇喜多直家。裏切りと策略。そのイメージがあるのかな。
F[東京出身]:信長、秀吉、家康はみんな愛知出身なんですね。面白い。
E[広島出身]:愛知に生まれた時点でアドバンテージがある。京都から遠すぎる場所に生まれたら、有能でも地方の大名で終わるしかない。

【その他】
E:毛利は、信長と兵庫県の大名たちが喧嘩しているとき、(兵庫県の大名たちを)バックから支えている。
A:村重の家臣・荒木久左衛門は、村重が追放した池田勝正の弟なんですね。
E:織田信長の子や孫らが、かつての家臣筋であった豊臣政権下で小大名に甘んじた例もある。家が落ちぶれると、かつての家臣の部下にならなくてはいけない。

<注釈(参加者Aさんから頂いた補填資料より)>
[注1]伊丹市観光物産協会HP 村重たみまるについて
http://itami-kankou.com/murashige-tamimaru

「村重の悪人イメージの流布は勝利側によるもの」と題して、
------以下、引用------

“(前略)黒田官兵衛が謀反をやめるよう説得に来た際、官兵衛の主君・小寺政職から殺害を依頼されていたのに村重は彼を殺さず牢に入れて保護していました。官兵衛はこれに恩義を感じ、村重の子孫を黒田藩に召し抱えています。”
------以上、引用------

といった記載があります。

[注2]
毎日新聞・2013年12月03日 リンク先見つからず、一部割愛して転記)
------以下、引用------

黒田官兵衛:荒木村重への書簡の写し発見 本能寺の翌年」
兵庫県伊丹市立博物館は2日、戦国武将、荒木村重(道薫)に幽閉された黒田官兵衛が、後に村重に送った書簡の写しが見つかったと発表しました。(中略)文面からは親しげな関係がうかがえ、研究者は「幽閉は過酷なものではなく2人は変わらずに親しい関係だったのでは」と分析しています。(中略)書簡は本能寺の変で信長が討たれた翌年の1583(同11)年に書かれたものです。(中略)村重から光源院の領地問題の相談を受けた官兵衛が返書を出し、これを村重が書き写し、交渉が順調だと伝えるために光源院に送ったものとみられます。
「秀吉様のお考えどおりに間違いのあるわけがありません」と秀吉をたたえる言葉や「姫路へのお供をされるのであればこの地へお出(い)でになるだろうと存じていたところお出でになられず、とても残念」と再会できなかったことを惜しむ文がつづられていた。神戸女子大の今井修平教授(日本近世史)は「文面からは遺恨は感じられない。茶人となった村重が政治に関与し秀吉の下で力を合わせて政策を実現しようとする2人の関係を示す貴重な資料だ」と評価しています。“ 

------以上、引用------

確かに、過酷な幽閉ではなかったのではないか、と思わせる内容です。

<注釈(参加者Eさんから頂いた補填資料より)>
[注3]発言がざっくりしすぎておりました。まず、古代の「家」についてですが、

平凡社 世界大百科事典
2巻P105【家】日本・古代の項
「当時の家族の実態は父と子、夫と妻が別々の財産をもっていることが多く、(略)家が父から長男へ継承されるという近世的な家の制度は、古代社会には存在していなかった可能性が強い。もっとも、(略)律令は父子の関係を基本とするイヘの制度を創設し、それが後の家の制度の源流となったと考えられるが、(略)〈家をつぐ〉という観念が、はっきりした形で成立してくるのは、院政期ころからの可能性が強い。►►►戸」(吉田孝)

つまり古代には後のような家長の采配する家そのものがなかったわけで、「家長権があった」というのは間違いです。すみません。
ただ、「近世的な家の制度」が確立する以前の古代から中世においては、男女均分相続という財産権の平等が見られ、一般に同一身分内での男女格差は小さかったと考えられます。
鎌倉時代には正式に地頭や御家人となる女性もいたそうで、また中世の家では北条政子や今川家の寿桂尼のように、夫の死後に妻が実質的な家長として執務する例もよく知られているかと思います。
(以下の所資料を参考にしました)

◎呉座勇一『日本中世への招待』(朝日選書)
◎脇田晴子『中世に生きる女たち』(岩波新書
◎『新書版 性差(ジェンダー)の日本史』
 (集英社インターナショナル新書)
◎1994年版岩波講座・日本通史 第8巻・中世2
 坂田聡『中世の家と女性』
平凡社 世界大百科事典
 2巻P105【家】日本・古代の項
 16巻P304【相続】相続の歴史・日本・古代の項
鳥取県公文書館
  新鳥取県史を活用したデジタル郷土学習教材
  女性の地頭─鎌倉時代ジェンダー
  https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1251968/c551_1.pdf

[注4]高山智博『アステカ文明の謎 いけにえの祭り』(講談社現代新書)に詳しい記述がありますが、ここは簡便にまとまっている以下のページを貼っておきます。
◎井関 睦美(いぜき むつみ) / 明治大学 商学部 准教授
  古代メキシコアステカ文化の世界観
  https://www.surugabank.co.jp/d-bank/event/report/130917.html

 

米澤穂信『黒牢城』はZoom読書会でもテキストになりました! 読み比べたら、メンバーが変わると、出る意見も変わるんだなとわかって面白いです。

gross-lie.hatenablog.com

『屍者の帝国』伊藤計劃✕円城塔(河出文庫)

Zoom読書会 2022.03.26
【テキスト】『屍者の帝国伊藤計劃円城塔河出文庫
【参加人数】出席6名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者G)>
読書会で推薦する作品となると日本語で読める小説に限られるのだけど、私の本棚に並ぶ日本語の本は絶対紹介できないような下世話なものが多くて(笑)。これは紹介できる数少ない本。ある観点から非常に興味深いと思う。
特異なのは、伊藤計劃が執筆中に亡くなり、円城塔に引き継がれているところ。プロローグだけ伊藤計劃が書いている。
また、二次創作を考える上でも面白い作品。キャラクターがほぼ、有名な海外小説の二次創作なので。『フランケンシュタイン』の後日譚で、シャーロック・ホームズシリーズの前日譚となっている。

<参加者A(提出の感想)>
【全体について】
 たましい、あるいは個の目覚めを主題とした長編。社会的な啓蒙寓話とも呼べるかもしれない。おはなしのキィのひとつに「代入」が用いられるが、読み手は、それによって浮き彫りにされる現代社会をそれぞれの胸のなかで空想し、醸成させて吟味して、やがて個々に物語るようになるかもしれない。伊藤計劃作品は胸を打つアフォリズムがゆたかという印象があるが、己やそれをとりまく世界について、ひとりつれづれと思索しつづけていただろう彼には深い共感と共鳴。とくに若い世代には、いい意味でのウェルテル効果があって欲しいなとひっそり願う。体裁上の物語は諜報員もの。人間存在、自我、神、科学、たましいについての思惟や考察が展開される「静」の部分と、登場人物たちが活発に入り乱れる「動」の部分が交互に波を織り成していく。(もっとも、個人的な印象としては、この作品の「動」には立体性と緊迫感がややとぼしいかなと感じた)陣取りゲーム=グレート・ゲームという世界観背景は、いまの時勢が時勢なだけに強く響いた。

【世界観について】 
 お話の舞台は「歴史上の」「過去」。産業革命によって生まれた新たな技術が全世界に十分に広まったと思われるころと認識。(あくまでも個人観)ただし、お話の舞台はいわゆるところのパラレルワールドの過去であり、ぼくらが存在を認識しているこの世界の史実を描いたものではない。あくまでも、表面上は。こちらの世界では「屍者」と呼ばれる革新的な産業が誕生および普及している。死んだ人間を労働者や機械、兵士あるいは兵器として活用するというなんとも斬新な考え方。「分断」に立脚した西洋合理的思考ここに極まりというところ。これはもはや皮肉ではなく、ひとつの未来予想図だろう。発想と着眼点に深い感銘。いずれにしてもフィクションにちがいないが、お話に登場する主要人物に世界的名著=フィクションの人物やあるいは作者の名まえを用いたところがまずおもしろい。この作品にたびたび使われた表現を借りるなら、フィクションに「上書きされた」フィクションとでも呼べる構造だと思う。荘子の『胡蝶の夢』――夢のなかの夢、みたいな奇妙な浮遊感がここに実現されているのではないかと思う。いくえにも重なり合わさった虚構というのは、それを知覚、認識している自我=読み手の個、つまりぼくという現実にひそやかな揺らぎを与え、それらの境界に浮き彫りにされる普遍性が刺激的な知恵となり、ひとつの未知なる人生観をゆるりゆるりと開拓していってくれる。だから読書はやめられないと思う瞬間。
 当作品の底流となっている主なフィクションは『フランケンシュタイン』と『創世記』だろうかなと思う。どちらも人間存在や神と被造物について描かれた物語として認識。人物としてはハダリー(『未来のイヴ』)とカラマーゾフが圧倒的に印象強い。さりげなくバロウズが出てくるところはいいなと思う。もちろんワトソンという人物を語り手に選ばれたこともおもしろかった。ロンドン大学とか軍医(アフガン戦争)とかもはやかんぜんに同一人物じゃないのかと笑う。パラレルワールドを生きたもうひとりのワトソンなのだろうと思う。屍者フライデーについては分からなかった。(ただ、金曜日がキリストの磔刑日という記録が印象深い……)

【屍者について】
 作品背景を十九世紀末に設定した理由は何だろうと思う。個人的な同時代の印象は産業革命が敷衍したころ。=資本主義社会の朝。(そして現代はそのたそがれと呼ばれている)そうして「我が国」では明治維新から十年後の世界。これらから浮かび上がる時代的イメージは「大規模な変換期」であり、俗にいう「歴史の分かれ道」と呼べる時期じゃないかと思う。あくまでもぼく個人の妄想的な主観だけれど、現代に生きる多くの国民たちは資本主義のどれいであると考えている。目先の欲やきらきら輝くモノのひかりに翻弄されて、朝から晩まで心をころして働くさまはほんとう気の毒。もしも作者が似たような憂いを抱いていたとすれば、作中に登場する「屍者」たちの寓話的意味がぼくにはとても親しく思えた。(さらにまた、明治維新の生き残りの子孫たるおぼっちゃまたちが治める当世という意味でもここにある寓意はおもしろい)
 この物語は「代入」がひとつのキーワードになっていると思うが、「屍者」というXがあらわすものはとても切実でおそろしい。従事者、労働者、作業の手、機械、兵士、兵器、使い捨ての駒、インスタント製品、あるいはシンプルに単位(効率とか税収とか)……。バロウズのことば「指を失ってもできる仕事はいくらでもある」が胸に響く。それか、「単一な意志=屍者、多様な意志=生者」という作中のことばを用いれば、屍者とは子どものように未成熟な存在とも置き換えられるかもしれない。(独我論は子どもの特権)そういう意味で、ラスト、フライデーが自我に目覚めていくさまはぼくにとって希望だった。バベル=混沌の影響で再生される自我――いや、自己、もしくはたましいという構図に人生的な救済と安らぎを感じる。(『幼年期の終わり』に似たあたたかさ。でもやっぱり、ぼくの理想は高度な精神体への昇華です……人間の世の中には何の期待も未練もない)

【主題について】
 おはなしの結末は「たましい」なるものの目覚めだと思うが、全体的なテーマはやっぱり「ことば」なのかなと思う。『虐殺器官』を想起。「人間のたましいは菌株に感染している」という発想はものすごく感銘を受けた。「人間は菌の乗り物」「あるとき猿が感染した」これらは胸がおどる言葉だった。さらにまた、この菌株の部分をⅩとし、個人個人に好きなものを代入すればいいという展開には高揚。巧妙としかいえない。先に分かりやすい「式」を教示しておいて、つぎにその本質を解き明かす。Xにはことばや神、あるいは文化、習慣、「認識」そのものが代入されるが、個人的にこの「式」そのものがとても好き。
 それから、「ことばと物語」に対する作中の言及も胸にしみた。ことばをひとつのエネルギーとした場合、それを伝達する手段が「物語」であり、その上位互換――あるいはその原始形態が「音楽」であるというこの解釈はほんとうによかった。すばらしかった。「理解できるものはすべて物語の形をとる」「人間は物語を物語として理解する」よくも悪くも恐ろしい表現だと思う。けっきょく、語るときも語られるときもそもそもそれを聴いたときも、ぼくらはX――主観――何かしらの恣意的なものから逃れないということか。(伝言ゲームの恐ろしさを思い出す)また、たましいというものが世界のはじまりから存在していたエネルギーであり、またパターンであるとの考え方はものすごく親近感が強かった。これまでに読んできた本が示唆するところと根が同質。世界はきっと波だと思う。Xなるものと人間をつなぐものとしての石――ラピスラズリも詩的ですてき。
 「現実とはⅩのみせる夢」であるとの言及、そして、解析機関の歯車がみる夢というのが「バグ」であり「洗脳」であり「解釈できないもの」であるという作中世界説明から導き出される現実はやっぱり「夢まぼろし」なのかなとひとり納得。けっきょくぼくらは、脳がみせる虚構におどらされているに過ぎない。「ヴィクターの手記」に記されたランダムな文字列に、個々人がおのおのに秘めた知識や文化や経験から「なにか」を読み取り現実的な行動を選択する――、それがつまりひとの世であり歴史なのだと、要するに、ぼくらの世界はどこまでもフィクションに過ぎないというこの心地のいい浮遊感。この種のおはなしに共通したこの無常観はほんとうにたまらない。どれだけ精緻に築き上げられたロジックだって、たったひとかけらのバベルによってあとかたもなく崩れてしまう。あらゆることは影絵――洞窟の中の影絵に過ぎない。虚構である。社会的にも人生観的にも、刺激ある啓蒙に満ちあふれた心弾むおはなしだった。

【その他】
・固定、接続、上書きなど、数記号的なイメージの強い語句を情景描写や文章表現に用いる点は伊藤作品という感じがしてすてき。
・第一部は旅行記のような迫真性があって楽しかった。
・ロンドン塔のロジックオルガンは『さかしま』や『日々の泡』に出てくるカクテルピアノみたいで個人的に好き。
・「全球通信網」それ自体が意志を持つかどうかについての言及はやはり楽しい。アニメ『攻殻機動隊』シリーズ、漫画『EDEN』を想起。
・「好き勝手に書き換えられる脳の時代」=「技術的なエデン」は『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』に出てくる頽廃ぶりがイメージされて切ない。
ハダリー(=理想)が最後にアドラー(鷲、という意味らしい。ユダヤ人に多い名)と改名されたところは印象深い。アドラーは心理学者の彼しか知らない。たしか主な研究テーマは劣等感、権力(エゴとしての)、それから勇気づけ。いろいろ想像してしまう。おもしろい。

<参加者B>
◆「好きだと思う」と指名されるとアレなんですが(笑)。※「Bさん、この作品好きそう」という雑談からの指名
伊藤計劃はそんなに作品を残していないと聞いて、そうなのかと思った。
伊藤計劃虐殺器官』っぽいところがある。アイリーン・アドラー(ハダリー)などは、野﨑まどが書くヒロイン像に近いと感じた。また、スチームパンクと生物学のようなものの融合は、スコット・ウエスターフェルドの〈リヴァイアサン〉三部作を思い出す。
哲学的モチーフ、自己言及、メタ小説……ゼロ年代のオタク好みの詰め合わせかな。(2012年刊行なので)出て10年経って読んだら、こんな時代だったなと思う。
◆荘重なことを語っていたが、全部読むと地に足がついていない。第一部までは地に足が着いており、テクノロジーが描かれて面白かったが、第二部以降は慣れてきた。全体として読んだら消化不良で、こってりしたファーストフードを食べたみたいな印象。
◆ワトソンを主人公とした冒険小説として読むとワトソンが動いていない。肯定的なAさんも、感想で“この作品の「動」には立体性と緊迫感がややとぼしいかなと感じた”と述べられていたが。
◆作り込んでいる熱量をビンビンに感じるのはよかった。

<参加者C>
◆大変難解で苦戦した。月曜から読んでいたが(※読書会が開催されたのは土曜)なかなか読み切れなかった。
円城塔の文章はこんな感じか、と。聞いてはいたが大変だった。話の構成は複雑で、文章も難解で持て余してしまった。話の流れにはついていけるけど、なぜここでこの文章が出てくるのか、という箇所が多い。「グラン・ナポレオン」など、その表記で出てくる前に振り仮名で提示されていたが読み飛ばしていた。読者に対して不親切。
荒唐無稽な話は好きなので、もっとわかりやすく書いてほしかった。作品とは別なところで消化不良。
伊藤計劃の文章はわかりやすかったのに。別の人が書いてくれれば、と思ってしまった。できれば私が書きたかった。
◆菌株が人間の意志を決めてしまうという論理構成。理屈っぽいというか、人間が考えた設定に見えてついていけなかった。
似た設定では、瀬名秀明パラサイト・イヴ』で、細胞の中にミトコンドリアがいてそれが暴れ出す、というのがあったが、これも人間が考えたものに思えた。
◆面白いのは、シャーロック・ホームズシリーズや『カラマーゾフの兄弟』、『風と共に去りぬ』などが出てくるところ。遊びで入れているのか、本質的にかは掴めないが。出典を探すだけでも面白い。たぶん半分くらいしか発見できていないので、もっと時間があれば……。
例:
*ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズの論理オルガン(446P)。ジェヴォンズは、経済理論や論理学で活躍した人物。その事実が上手く作品に取り込まれていた。事情を知らない人だと読み飛ばして埋もれるだろう。
シャーロック・ホームズシリーズを知っている人なら、ワトソンがアフガニスタンから帰ってきたことを知っているので、読んで嬉しいと思う。アイリーン・アドラーも『ボヘミアンスキャンダル』(江戸川乱歩でいうと『黒蜥蜴』みたいな作品)に登場する人物。
ハダリーは『未来のイヴ』に出てくる人造人間。「ハダリーの腕を銃弾が襲い、硬い金属音が高く響いた」(382P)は彼女が人造人間であることの伏線。
◆このような趣向は伊藤計劃円城塔、どちらが考えたのだろう。プロット段階で設定まで決められていたのか? 物語とは別に楽しめた。

<参加者D>
◆私も結構前に手に入れて、読み始めるのも早かったが全然進まず、流し読みでも追いつかなかった。途中から誰が何をやりたい話かわからなかった。
◆個人的には、『ウォーキング・デッド』を観ていてシリーズ3作目で「おもんない」って思って挫折したのに似ている。私は「全員ゾンビになったらええやん」ってなってしまって――同調圧力に弱い日本人だなって自分で思ったんですが(笑)。
この作品でも、屍者に働かせてまで労働力がいるのかって疑問で。自分の価値観との相容れなさがあった。課題だから読んだけど、ますます誰が誰やらわからなくなってしまった。
◆でも『虐殺器官』は面白くて3冊買った。受ける印象の違いは何なんだろう。また『虐殺器官』を読もうと思う。
◆だから『屍者の帝国』に対して感想的なものは全然ない。引用とか、知ってないとあかんよ、とか、本歌取りみたいな楽しみがあるのかな。
C:馬鹿にされてる気がしますよね、お前知らんのか、みたいな……(笑)。伊藤計劃円城塔の違いを感じる。

<参加者E>
◆全部読めなかった。毎日少しずつ読んでいったけど、見たというレベルで読めたとは言えない。
◆プロローグで面白いと思ったが、第二部くらいから「何この蘊蓄本は」となった。自分自身の知識と教養が問われている気がして。ウィキペディアで調べながら読んだ。実在か、どういう時代かわかっていればたまらなく面白いだろうな、と。わかっていなければ上滑りになって、わからなくなる。
ページを捲ろうとする力がダウンして、一所に留まりすぎて、蘊蓄や説明、ニヒリズムに引っかかった部分が多かった。
とにかく心の中の物語を読者に聞かせたいという情熱が、伝えるパワーを削いだのだろうなという感じはする。
◆屍者が戦闘員として使われる。屍者をAIに変えても成立しそう。
◆読む人によってはめちゃくちゃ面白いはず。学問的な素養がある人や、行間を楽しむ人が1ページ1ページを楽しみながら読んでいったなら。
◆私は正直わからなかった。結局、歴史改変になるのか? 興味深い世界観でも、思想を入れると読んでいてブレーキがかかる。私の力が追いつかず、良い読者でなくて申し訳なかった。

<参加者F>
◆面白かった。ラスト、ザ・ワンが一人の女性を蘇らせるために……というところは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』っぽいなと思った。
◆昔ちらっとシャーロック・ホームズシリーズ読んでたり、007シリーズ観てたり、『青天を衝け』観てたり(グラント来日のくだりをイメージしやすかった)、あの辺りの時代が舞台の漫画をいろいろ読んでいたおかげで、なんとかすんなり入っていけました(笑)。
◆あの時代のイギリスってすごくエンタメで馴染みがある。出てこなかったところでは切り裂きジャックとかもあの頃でしたっけ。
ヴィクトリア朝って、ゴシック・アンド・ロリィタとも親和性が高いんですよね。個人的にはすっと世界観に入り込めました。
◆『カラマーゾフの兄弟』とか『フランケンシュタイン』とか『風と共に去りぬ』とか、元ネタを読み込んでおけばもっと楽しかったんだろうなと思う。知らないことはネットで調べながら読んだけど、なくても楽しめるようになっている。
◆いろいろな国で小さい事件を解決……はしていないか、小さい事件に遭遇していくところは面白かったけど、哲学とか思考に話がいくと少ししんどかった。納得がいくような、いかないような。SFはいいけど、思索みたいな話が苦手なので。
◆でも、思索の部分にも、はっとする文章がたくさんあったし、自分とは何かを考えるきっかけにもなったので有意義だった。
◆個人的にクラソートキンが好きすぎたので『カラマーゾフの兄弟』を読みたくなった。読んでおけばクラソートキンの内面をもっと理解できたかもしれないので、そこが悔しい。
E:クラソートキンのどこがいい?
F:めっちゃ格好いい(笑)。
B:アニメでもいい感じのビジュアルですよ(笑)。
G:ちなみにアニメのフライデーは美少年。
E:ビジュアルで見たら絶対面白い。
G:アニメはシャーロック・ホームズシリーズの『緋色の研究』に当たる部分で終わる。あと、ハダリーの腕が撃たれたとき、がっつり金属が見えている。
B:私は先にアニメを観ていて、原作を読むと端折られているところがわかるかなと思ったらそうでもなかった。

<参加者G>
◆2015年のアニメ化に際して興味があり、そこから入った。冒険小説で、エンターテイメントとして優れている。
◆読んだ最初の印象は面白かった。
◆細かいあたりは知っていないと面白くないかといえばそうでもない。私もシャーロック・ホームズシリーズと『フランケンシュタイン』くらいしか知らない。
◆固有名詞のルビは確かにしんどい。ライトノベルでよくあるんですが。
◆普通に日本語を書いたのではなく、翻訳を強く意識して書いた印象。テキストは日本語だけど、(読んでいて)後ろで英語が流れる人を意識している。変な語り口や、唐突に名前が出てくるのはそのため。英語を無理やり訳した文章を円城塔は再現した。
円城塔は結構好き。『道化師の蝶』とか。裏に外国語とか、多言語を透かして読むのを意識して書いている。『屍者の帝国』では、その悪癖が出ているのかな。
ヴィクトリア朝末期の英文は、訳すとこんな感じになる。関係代名詞が1つの文に4つくらいある、みたいな悪文。
◆最後は観念的になるが、そこに一番力を割いたのでは。円城塔伊藤計劃のテーマは「認知と言語」。二人とも言葉や文法にこだわりがある。
私たちはどう世界を認知して語っているのか。私たちが意識や魂と呼ぶのは進化の産物、脳神経・物質的な化学変化の産物。意識を持って喋っている――その裏側にはメタニカルなシステムがあり、人間や尊厳や魂を唯物的な見方で相対化するというテーマがある。
⇒劇中では菌株(strain)いくつかのせめぎ合い
ダイバーシティがなくなり、多様性がなくなるから菌株を説得する。
*立証するためにワトソンが自分をリライトして、魂的なものである菌株を書き換え、感染源であるフライデーも変えてしまう。
私たちの意識、人間を人間たらしめているものを解体していく面白さ。これが売りなのでは。
◆個人的な感想として。なぜこの作品を好きなのかというと、言葉や文法を扱っているものに惹かれるから。人間の脳内、あるいは意識を構築する部分とも言えるものには、普遍的な言語や文章を構成するシステムがある(※米国の言語学者ノーム・チョムスキーなどが提唱している「生成文法」というものを意識しての発言)。[注1]
円城塔入門編と呼べる作品。
◆枝葉を見ていく楽しみもある。どの部分で本家と分岐しているのか。二次創作を前提として書かれているのは、今のゲームの作りに近い。
◆最後のシーンで『緋色の研究』に繋がるところがある。ワトソンが書き換わったあと、フライデーの語りになる。私だけの考えかもしれないが、そこが冒頭(プロローグの1つ手前)の英文と繋がる。大意としては、
「古き友ワトソン。君は何年たってもまるで変わらないな。それでもなお、イングランドには未だ吹かない東風が吹いている。冷たく、厳しいものになるだろう。善良なる我々の多くはその風の前にひとたまりもないだろう。しかし、それでも神の御意志というものだ。清らかでより良く、頑強な大地が、嵐がやむころには広がっているだろうと思う。車のエンジンをかけておいてくれワトソン。出発の時間だ。」[注2]
これがエピローグと繋がっているのでは。私自身、考え中だが。

<フリートーク
【現実世界への「代入」について】
G:屍者の帝国』の「屍者」の下地はロボット。「フランケンシュタイン三原則」も、アイザック・アシモフSF小説に登場する「ロボット三原則」から来ている。
また、「屍者」の発想の大元はゾンビ。植民地では、黒人やネイティブアメリカンを働かせて、死んでも蘇らせて使うという発想があった。
つまりこの作品の「屍者」とは、ゾンビとロボットを組み合わせてヴィクトリア朝に落とし込んだもの。
C:Dさんが「屍者に働かせてまで労働力がいるのか疑問」と仰っていたが、労働力=権力。産業革命では労働力が必要。屍者は、労働力・産業力として搾取される女性や子どもにも置き換えることが可能。この世界ではゾンビ的な屍者になって、グレート・ゲームの駒になっている。だから言葉遊び。
「フライデー」は、『ロビンソン・クルーソー』に出てくる登場人物で、主人公が従僕にするネイティブ・カリビアンの名前。金曜日に出会ったからフライデー。書き換えや読み替えをするのも植民地的。もともとあった言葉を混ぜて別のものにする。
二派に分かれて、いろいろな組織があって、背景には戦争。グレート・ゲームというのは今の時勢にも重なる。ロシアとウクライナに置き換えても充分成り立つ。『屍者の帝国』が書き継がれたり、ちょうどメディアミックスされたりしたのは、オレンジ革命から始まるウクライナ政変の頃だから、そこも重なる。2014年のクリミア併合も。クリミアといえば、『屍者の帝国』でもナイチンゲールの名前が登場したが。

【菌株について】
C:物語としては面白いが、「あたかも菌類が言語を持っていて、人の意思をコントロールするようなある種の怪物である」というところは作り話めいており勿体ない。もうちょっと説得力や辻褄合わせがほしい。『パラサイト・イヴ』を読んだときも思ったのだが、(ミトコンドリアや菌株が)あたかも知性を持ったみたいに反逆しているのに違和感。
G:私は、『ハーモニー』の中で語られる意識の起源や生成の話との繋がりの話と繋がりを感じて好感を持った[注3]。そういうものかもしれないし、違うかもしれない。もやっとしてしまう感じ。
E:魂は菌株ってこと?
G:そうではなくて。
フランケンシュラインは、人間の魂についてある仮説を出す。人間は意識・魂を持っていて、他の動物とは違う。人間の中に微細なウイルス・菌のようなものがあり体を循環する。複数の菌が体を巡ることによって言葉を発するためのシステムを構築する。
⇒屍者はこれがない。菌自体はあるが1種類しかない。その違いは何なのかが、最後のほうでうじゃうじゃ言ってること。
C:人は物事を決めるとき迷う。そんなとき、菌株が議論しているように書いているのかな。
屍者に注入された疑似霊素は1種類。でも生者が持つ菌類は複数あるから迷う、という。
G:マルチタスクとモノタスクの違い。
B:ワトソンはどうなった?
G:それは本人にしかわからない。観測者となったのが同じ菌株を持っているフライデー。個人的にはこの、もやもや感が好き。

【書き方について①】
C:ハダリーがなぜ屍者を操れる? 
G:ハダリーは人為的に作られているから(ヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』)。
C:説明が入っていない。あからさまな説明じゃなくていいから、せめてヒントがあれば。読み返して「そうだったんだな」と納得できるようなものがほしかった。
ハダリーが人造人間であると示されていない。ひと言、「エジソンが作ったアンドロイド」だと書いていたらよかった。私はたまたま『未来のイヴ』のあらすじを知っていたから予測がついたが。
G:説明不足というか、「このキャラクターはここで繋がっている。興味ある人は調べて」というリンクテキストみたいな感じかな。
F:そういえば276Pに「ハダリーの氷のような唇」って書いていた。なんでだろうと思ったけど、今わかりました(笑)。
リンクテキストの件、私はサブカルチャーに触れてたから違和感はないですね。ゲームなんかでは元ネタがあるキャラクターがたくさん出てくるんですが、その元ネタを調べて二次創作をするのが楽しい。衒学的なのにも慣れてる。90年代後半からゼロ年代サブカルはそんな感じだった。
読んで、ただ一人で完結するんじゃなく、「みんなで楽しんでね」ということかも。ネットで考察したり、読書会で話し合ったりして。実際、私も「氷のような唇」の意味を皆さんの話を聞いて気づいた。
G:確かに、そういう読み方は排除できない。サブカルといえば、90年代のライトノベルで、全部の文章にルビを振っているものがあった[注4]。
B:ワードだけ散らしておく、みたいな。セカイ系のにおいがする(「セカイ系」って何にでも通用するマジックワードだという気もするけれど)。ハダリーにとってワトソンは交換可能であるところとか。
F:セカイ系といえば『新世紀エヴァンゲリオン』とか、何と戦っているのかわからない。いろいろ思わせぶりに出てくるけれど。『最終兵器彼女』も、何で戦争しているのかわからない。
C:実際の戦争もそんなものですよ。
E:ジブリ映画の『ハウルの動く城』も何の戦争か説明がなかった。
B:作品では、政治的なことや細かいことを書かず、戦争のヒロイックな部分だけを描くことができる。感動的だったり、悲劇的だったり。

【書き方について②】
C:円城塔のスタイル、英語を透かして読めるというのも試みとしては面白いが、やはり伊藤計劃に書いてほしかった。
E:虐殺器官』や『ハーモニー』が面白かったから余計に。
G:私の感触として、伊藤計劃円城塔、どちらもわかりにくいとは思わない。
C:物語が入り組んでいるのもあるが、この作品は省略も多いから余計にわかりづらい。固有名詞が人名なのか組織名なのか判断がつかないということも。
また、描写の意味がわかるまで間が空く。110P「馬車の中には――わたしは自分が目にしたものを信じられない。」とあるが何を見たかわからず、10ページくらいそのまま。(戦場に似つかわしくない)ハダリーが乗っていた、ということなのだろうが、間に違う話を混ぜられてしまうとわかりづらい。
F:私、それ「巧いなぁ」って思った。
C:「巧いな」って思うのは、自分で小説を書いているから。小説を書いていない読者にとってはどうか。
G:19世紀くらいの小説ってすごく伏線が張られていて、それを模している。
C:読者に対してフレンドリーではない。読者に対するフレンドリーさはリーダビリティとも言える。気づいていない伏線があるかも。見つけられていたら「巧いな」と思うけれど、見つからなかったらアウトではないか。
112P、クラソートキンの「美しいな」という台詞も、何が美しいのかわからない。
B:私はあの場面、いいと思った。クラソートキンは戦場を「美しい」という人物だとわかって。クラソートキンが何を美しいと思ったのか、問題にすることはない。
G:屍者の存在が「美しい」ということかな。
C:短編ならいいんだけど、500Pある作品だと脈絡が浮かんでこないとしんどい。
G:個人的にはそういうもやもやが好き。また読み返せる、って。『屍者の帝国』は今回で5回目。1回で終わらないのがいい。読んでいて、リズムや触覚を脳に感じる。
C:それはいいんだけど、わかりにくいものは1種類にしてほしい。説明不足のわかりにくさ、菌株のわかりにくさ、物語のわかりにくさ、3つのわかりづらさが組み合わさってしまって。
G:その組み合わせが面白い。
E:平行線ですよね。お二人の読書に対する姿勢が違うから。向いている人と向いていない人がいる。
C:納得性のいくものか解析したい人、早くページの先へ進みたい人……
G:解析するのが楽しい人。
B:私は、他人の会話が明瞭でないことも含めてリアルだな、と。自分で書くときはちゃんと繋がるように書くけれど。
F:現実の会話は噛み合ってないですよね。エンタメ作品の会話は論理的になってる。
E:この作品の受け取り方は年代によって違いがありますね。肯定的なのは相対的に若い世代(参加者G、B、F…年齢順)。
F:触れてきたカルチャーの違いですかね。

【他の作品からの引用や、「遊び」について】
B:1ヵ所、明らかにアニメからの引用があった。「下着ではないから恥ずかしくない」(187P、バーナビーの台詞)の元ネタは「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」(アニメ『ストライクウィッチーズ』の販促キャンペーンの名称およびキャッチコピー)。他にもアニメからの引用があるのかな。
G:出版社的なサービス。アニメ化のとき、どの出版社に持っていくか一悶着あった。
C:(『風と共に去りぬ』の)レット・バトラーは登場する意味があったのか。レット・バトラーじゃなくてもいいし、いなくてもいい。
大村益次郎肖像画はおでこが大きい。確かに何かを埋め込んでいるみたいだから使ったと思うのだが、そこを除けば彼もいらないかな。意味ありげに出すんじゃなくて、遊びの部分ははっきりそうだとわかるようにしてほしい。
G:無駄なものや余剰を好んで入れている。名前は出てくるけど意味はない。アララトとかイルミナティとか。私は、本質はどこかと探しながら読む変な遊びも好き。
C:たとえば今の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。遊びが視聴者に伝わってきて笑える。どこが遊びか伝わってきたほうが面白い。エンターテイメント作品はそっちのほうがいいかな。私は、知っていて初めて楽しめる。カラマーゾフが出てきたところで遊びが入っていると気づくべきなのかもしれないけれど。
G:「知らなかったな」と思って楽しむ読み方もある。サブカルチャーの世界の、その種の軽いノリを感じる。遊びが楽しい。ここから先の二次創作の余地を残している。

<注釈(Gさんから頂いた補填資料より)>
[注1]生成文法についてざっくりというと、このような感じ:
人類には、SVO(主語・動詞・目的語)、 SOV (主語・目的語・動詞)、 VSO(動詞・主語・目的語)のようにいくつか語順パターン体系(統語の体系)、そして、表現の体系をもった言語があるが、どのような言語の話者であっても共通して、意味を伝えるための言語の文法体系を生来持っているという説です。
具体的な例:ブロークンな英語(例えば、アフリカの言語が母語だが英語を片言で母語とチャンポンで話すような)しか話せない話者を両親としてもつ子供がいたとして、その子供は両親のブロークンな表現の影響を受けつつも、それなりに体系的に整った文法体系を自分の意識の中に取り込み、相応に洗練された言語を獲得し、解するようになる。
→いわゆる植民地のクレオール語などはこういう経緯で誕生しています。

[注2]「死者の帝国」の警句の英文について
“Good old Watson! You are the one fixed point in a changing age. There’s an east wind all the same, such a wind as never blew on England yet. It will be cold and bitter, and a good many of us may wither before its blast. But it’s God’s own wind none the less, and a cleaner, better, stronger land will lie in the sunshine when the storm has cleared. Start her up, Watson, for it’s time that we were on our way.” 
                                                   
His Last Bow      John H. Watson, M.D. 

まず、比較的一般的に良く知られた訳を記しておきます。これ自体はホームズシリーズの「最後の挨拶」というタイトルからの引用だったと思います。(His Last Bowはそれを指します。)

古き友ワトソン。君は何年たってもまるで変わらないな。それでもなお、イングランドには未だ吹かない東風が吹いている。冷たく、厳しいものになるだろう。善良なる我々の多くはその風の前にひとたまりもないだろう。しかし、それでも神の御意志というものだ。清らかでより良く、頑強な大地が、嵐がやむころには広がっているだろうと思う。車のエンジンをかけておいてくれワトソン。出発の時間だ。

ざっくばらんに言うとこのような感じです。タイトルを検索すれば、もう少し善良な日本語での翻訳はあると思います。ちなみに、最後のHis Last Bow(最後の挨拶)は出典作品タイトル、John H. Watsonは書名、M.D.(Doctor of Medicine)は医学博士の学位の略号です。(これがあると主に内科医の資格を持ってることが示されます。外科医は別の学位、肩書が使われることが多いです。)当時の慣例上、名前のあとに身分や肩書のある人はこのような書き方で記載があります。
詳細は最近出た、次の資料に詳しいです。英国の階級や社交慣例の英語の本で、著者は英文学会の重鎮です。寄宿学校や英国の風俗研究、英文学絡みの著書があります。
新井潤美『英語の階級: 執事は「上流の英語」を話すのか?』講談社 2022年

•個人的に物語の何らかの関係があると思われる点→以下は個人的な見解と英語読解のようなものです。
特に最初の以下の文が意味深なような気がします
You are the one fixed point in a changing age.
普通の訳では、あなたはthe one fixed in a changing age、つまりどんなに時間がたっても変わらない、相変わらずというものですが、英語を分解するとちょっと気になる点もあります。
英語の構造的には
the one 人物の代名詞 あの者
後ろのfixed point in a changing ageは過去分詞の形容詞的な用法でthe one に後ろからかかります。(なので、和訳の時は後ろから解読した方が良いというやつです。)
まずfixed ですが、このfixは固定する、修理する、定着するなどの意があり、過去分詞の形を取ると、受け身の意味が発生して、固定された、定着させられたなどの意味になります。
そしてさらに後方の point in changing age ですが、これは変わり行く時に、時代にという意味となります。(厳密には変わり行く時代のある点)
ここまでを整理すると the one fixed point in a changing age は変わり行く時代の流れの中で固定されたもの、定着させられたものという意味になります。ここから普通は意訳して「あなたは相変わらずですね」「かわらないですね」という意味となりますが、私はこの辺りを英文が気になって、恐らくthe oneは劇中のザ・ワンともかかっていて、それでいてかつ、fixの定着した、固定などの意味を少し汲んで、次のように解してもいいんじゃないかと思っています。
You are the one fixed point in a changing age. 
あなたは流れ行く時代のなかで固定化された(定着させられた)ものだ。
おそらく最後の死者のプログラムのインストールによる書き換えがここに反映するのではないかと思っています。(もちろん、本来の意味とのダブルミーニングです。)

[注3]補足:『ハーモニー』の話の中では、人間の意識は、宗教的、神話的な話とともに定義されがちな概念とは違って、物理的な脳の発展に伴って出来上がって来たという話になっている。ネタバレを避けるためにグレーな書き方をしますが、簡単に言うと、脳内の複数の電気信号や刺激物質の流通が対立、交錯することによって人間が魂や意識と考えるものが成立しているという話です。逆に言うと、複数の信号や物質の錯綜や葛藤、流通が脳内に存在しなくなれば、意識というのは基本的には存在し得ないという話です。これは今回の作品の菌株の多様性が意識を生成するという話と接続性をもっているという形です。

[注4]これにはいくつか候補があるんですが、このとき想定してたのはちょっと古いラノベで次のものになります。厳密には全部ではなくて、キャラクターの台詞でした。それでも量としては膨大でした。
吉田直トリニティ・ブラッド Reborn on the Mars Ⅲ 夜の女皇』(2002年 角川書店
アニメ化もされた作品で、作中でルーマニア語公用語の国に主人公が潜入する話があるのですが、そこで使われる台詞の多くには日本語の台詞にルーマニア語のカタカナ表記が使用されています。出版当時はろくな学習書がなく、専門書や洋書を当たらないと難しいものだったので、表記を見た時は非常に画期的だった印象があります。改めて今見ると、とくに間違いも目立ってないのもすごいところ。
シリーズものなのですが、基本的に専門用語や大事な用語には日本語表記と同時に、何かしらの外国語が当てられていました。ヨーロッパが舞台だったので、場面場面にそった各国語か古典のラテン語だった記憶をしています。
※ちなみにこの作品は未完。途中で作者が急逝したためです。その点ではちょっと伊藤計劃と近いものがあるかもしれません。内容もわりと込み入ったあたりで共通性があったかもしれません。

『雪国』川端康成

R読書会 2022.03.21
【テキスト】『雪国』川端康成(出版社の指定なし) 
【参加人数】9名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由(参加者A)>
◆日本文学の中では有名な作品。読書会に際して改めて読み直し、非常に勉強になった。
◆再読して印象に残ったのは駒子ではなく葉子。ページを開くと、まず葉子が出てくる。「悲しいほど美しい声」から先に登場し、「涼しく刺すような娘の美しさ」と続く。それに惹かれて読み進んだ。最終的に葉子は亡くなってしまうのだが、彼女が島村をどう思っていたのか、作中では書かれていない。駒子は「やきもち焼き」と評しているから、葉子は島村をとても気にしているのでは。「東京に連れていって」とまで言ってしまう。三つ巴の三角関係になるのかと思ったら、そうはならなくて驚かされる。
◆表現がびっくりするほど美しい。重要な場面では文章に技巧を凝らしている。
例:
*葉子との出会いの場面。窓に夕景色が映り、葉子が映る。評論家によると、当時の映画でそのような技巧があり、それを小説に取り入れたのだそうだ。
*駒子が三味線を弾く場面。音を文章で表すのは難しいが読者に訴えかけてくる。
*葉子と対面する場面。尿瓶を持って出てくるところも技巧的。
*ほか、雪国の生活や暮らしの描写に、しっかり手をかけている。
◆葉子を書きたいのかと思ったら駒子も入念に描写されており、島村が駒子と心を通わせる理由が納得できた。
◆駒子はどうして行男の話になると拒否反応を示したのかがわからない。申し訳ないと思ったのか、お師匠さんのことがあったのか……。皆さんに教えていただきたい。

<参加者B>
◆1年ほど前、文学学校のチューターから「洗練されていて非常にいい」と教えていただいて読んだ。チューターは、冒頭から2文目「夜の底が白くなった。」という表現をしきりに褒められていた。今回、読書会があるので再読した。
◆表現は洗練されているがストーリーらしいストーリーはない。お金に余裕のある中年男が芸者を揚げて遊んでいるだけ。なぜノーベル賞作家なのか、ノーベル賞を受賞できるような作品なのか、いまひとつわからない。
G:島村って中年なんですかね?
H:太っているとは書いていますね。
D:中年とは書いていないけど、子どもはいる。
◆文章力があるから読ませるけど、ストーリー的には大したことは書いていない。また、芸者という立場がピンとこなかった。
F:体を売ることが前提にはなっていないようですね。そこまでひどい目で見られていない。
D:でも、売られて来るんですよ。駒子も15歳で東京に売られ、受け出された。
G:伊豆の踊子』では、宿屋の女将さんが旅芸人に差別的なことを言っていた。
F:旅芸人は低く見られますね。
G:でも芸者である駒子には選ぶ権利がある。
F:そこが突きにくい。遊郭とかではなく、宴会に伴う音曲の人とたまたまいい仲になって、一晩過ごしてもいいよ、というような感じ。
I:必ずしもアフターに行くわけではない。
C:「線香代」と言っていたから遊郭の流れは汲んでいる。たぶん1時間あたりいくらと決まっている。そういう言葉がちらちらと入っているから相場はあると読み取れる。
◆一番興味をそそるのは葉子。精神的に脆そうに描かれていたので自分で火をつけたのかと思ったが、そうではない。死ぬところが綺麗に書かれている。それで作品が締まった。
駒子と切れたことを示唆しているのも巧い。
◆『雪国』も好きだが『伊豆の踊子』も好き。嫌味がない。文章もやわらかく魅力がある。

<参加者C>
川端康成は高校3年~大学1年くらいのときハマって読んでいたが覚えていなかった。読み返して「エロい。こんないやらしいの読んでたんだ」とわかった(笑)。角川文庫10P「この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている」など。高校のときの自分に、どうして好きだったのか聞いてみたい。
◆表現が綺麗。表現に魅了されて読んだんだと思う。

<参加者D>
◆(私も)ヨウコです(笑)。ドキドキしながら読んだんですが(笑)。
川端康成といえば『雪国』。読んでいたはずだけど記憶になく、初めてみたいな感じで読んだ。三十歳くらいの無為徒食の男がトンネルを抜けたら、地獄のような異国の地で。住んでいる人たちにとっては逃げられない世界。そこへ、ぶらぶらした男がやってくる。
◆男性がどう感じるか聞いてみたい。
島村が葉子をガラス越しに見るとか変態じゃん、と思った。汽車で欲情していて気持ち悪いし、ありえない。女性を(駒子も含め)そういう目で見ている。
駒子とは出会ってから3年。彼女は北国の芸者で、逃げようにも逃げられない中、必死に生きている。彼女と島村には、近づきたくても近づけない階級の差がある。ぶらぶらしている男に、15歳で売られた駒子の境遇がわかるわけない。
◆終わり方が素晴らしい。駒子と2人で葉子のもとへ行こうとしたら島村は男に押し退けられる。お前なんか来るんじゃないよ、と。
◆描写が綺麗。日本語ならではの描写。すごい、そんな描写があるんだと思った。わかりやすく浮かんでくる。何ヵ所も書き写した。これがノーベル賞(を受賞する力)なんだろうな、と。
◆今行っている小説の学校で、モチーフとコンセプトとテーマを分けて考えろと言われた。書くにしろ読むにしろ、それを分析しろ、と。
*モチーフ…物語を展開していくアイテム、コンセプト…モチーフを使ってどう展開していくか、テーマ…伝えたいこと
この作品でいうと、「モチーフ…雪国の芸者、コンセプト…徒労、テーマ…階級によって近づけない壁がある」だろうか? 皆さんの意見を聞いてみたい。
I:読む人によって、解釈が違う作品のほうがいい。
F:作者がそのつもりで作ったとしても、そのまま受け取られることは少ない。作り手が意図していなかった解釈で人気が出たりする。作り手としては戦略性を持っていたほうがいい。こう受け取られるから、こう持っていけば……という作戦を立てる材料になる。

<参加者E>
◆初めて読んだ。読書会がなければ読まずに死んだのではと思う。
◆読み始めて、島村の「指が覚えている」などに引いてしまった。ずんぐりむっくりして、生っ白い、ちょっと身勝手な男が芸者を揚げて、そういう話なのかと。男は本気ではなく、すぐ「徒労だ」と冷めている。この性格設定が効いているといえば効いている。
異世界を訪問する話(異郷訪問譚)。どこか冷めた傍観者的な男が、閉じられた世界で何かを経験する……と読めば面白い。
◆1965年公開の映画では、駒子を岩下志麻、島村を木村功、葉子を加賀まりこが演じている。雪に閉じられている狭い世界で女性が必死に暮らしているが、哀れという感じはしなかったのでよかった。この映画では、葉子は火事のときでなく、駒子に看病されながら死ぬ。なかなかいい映画だった。
C:葉子が加賀まりこってイメージと違うような。
E:エキセントリックなところが合ってましたよ。
I:加賀まりこ、出始めたときはフランス人形みたいでぴったりだな、と。
ちなみに4月に放送されるドラマでは島村を高橋一生、駒子を奈緒、葉子を森田望智が演じるそう。
G:島村は高橋一生くらいの年齢設定なんですね。
I:1957年の映画では八千草薫が葉子。
F:池部良の島村は品が良すぎる(笑)。
I:ちょっと甘いですよね。

<参加者F>
◆何年か前に読んだはずが記憶になく、読み直す機会があってよかった。
◆この当時、こんな感じの、売れない文人と芸者の交流を書くのが流行っていたのだろうか。志賀直哉『暗夜行路』とか。このころの小説の状況を知らない後の世の人間が読むと、なぜドラマチックでもない情景を書いているのかわからないと思う。
谷崎潤一郎のような、しっかりした物語がある物語小説とはジャンルが違う。小説はストーリーを読むものと思っている人には非常に苦痛な作品。伏線は回収しているのか、など物語小説として見ると不十分。
◆最初、長編にするつもりはなくて、雑誌掲載時は別のタイトルがついていた。そのままのほうがわかりやすいのでは。本文で4行空きになっているところが境目だろうか。せめて章番号をつけてほしいと思うが、つけないのが川端康成の美意識なのかな。
◆窓外の女が得も言われぬ美しさだった、とか、それを書きたかったのだと思う。
◆ある程度セクシーな要素がないと文章は美しくならない。当時としては抑えて、相当品よく書いていると感じる。
◆「ストーリーがないので漫画化できるのか?」と思って調べたら漫画があった。島村がイケメンで、内容も上手に描かれているなと思った。

<参加者G>
ノーベル賞を受賞し、素晴らしいと言われている文学。夜空の描写、儚い蛾の描写など、近い将来を暗示させるように、綺麗な文章で表現していく。文章の美しさが評価されたのだろうか。
◆鋭くて感じやすい魂を、詩的に抒情的に表現している研ぎ澄まされた文章。女性の色気だったり、甘さだったり、切なさだったり、(書き手として)敵わないと思った。
◆最初は読みにくい。会話が噛み合わなかったり、場面が転換したり。読み進めるうちに世界観に入っていけた。中盤(角川文庫P50~)からいい表現があって引き込まれた。
◆テーマは何なのかと考えたとき、昭和初期に書かれて読者は男性だったのではと思った。
皆さんは地獄と仰ったが、私は桃源郷だと感じる。性の表現はそこそこに抑えながら男女の美しさを描くという商業的テーマがあるのでは。男性読者に「こういう宿があれば行ってみたい」と思わせる、甘美な世界観が作られたのかもしれない。
I:男のロマンみたいな。
◆人物で思ったのは駒子の素敵さ、というか強かさ。島村から見ると「都合のいい女」と言われるが、駒子から見ると島村は「金を持っている、いい鴨」なのではないか。上客を持って生き抜く強さ・美しさを感じた。
◆駒子も行男が好きだったのでは。島村なんか論外(ただの客)。だから行男のことに島村が介入してくるのが嫌だったのかもしれない。
島村がどこか離れて徒労感を感じていたのは、駒子が自分のものにならないのに気づいていたからではないか。島村はそのうちに駒子を好きになったのでは。
男が読むのに都合よく書いてあるけど幻想的で美しい。
若いころ、水商売の女性に入れ上げて散財した過去を思い出して切なくなった。純愛だと思っていたのだけど(笑)。
C:純愛だと思っていたのはGさんだけかも。
(一同笑)

<参加者H>
◆文章がとにかく美しくて引き込まれた。味わいながら読んだのだけど、意味の取りづらいところや、少し先を読んで「さっきのあれはそういうことか」とわかった部分もあった。ただ、全体的に読みづらいわけではない。
◆美しく逞しく描かれている女性に対し、島村は細かく書き込まれておらず、駒子と葉子を浮かび上がらせるための人物だと思った。三角関係ではなく、駒子と葉子を書きたかったのだな、と。個人的には島村しょーもないな、と思った。
◆でも、葉子の内面についてはわからない。
◆火事になって、まだ中に人がいると読んだとき、葉子がいるんだと直感的に思った。物語をまとめにきたな、と。
◆雪国は異世界のような場所で島村は異邦人。いずれ帰っていくと決まっている。
◆私は「指が覚えている」というところは気持ち悪かったが、ネットでいろいろな方の感想を見ると「素敵」と書いている人もいて、感じ方は人それぞれだなと思った。

<参加者A(推薦者)>
[事前のレジュメより]
≪葉子が気になって仕方ない≫
 この小説の結末は壮絶です。葉子が活動写真を観に行って、火事に巻き込まれ犠牲になってしまいます。冒頭で印象的な出会いをする二人ですが、結末も読者にとってどきっとします。
 火事に遭う何日か前、二人は「東京へ行くので一緒に連れて行って」と葉子が頼むような仲になっていました。島村と駒子、葉子の三角関係の要素が濃くなっていたので、島村は駒子から葉子へ乗り換えるのかな、と思いながら読み進めていたのです。この結末、どたばたと物語をおしまいにして、つまらないと思いました。葉子は駒子をより純化した美しさをもつ女性として描かれているので、このような結末はもったいないです。(言い過ぎかな)
≪重要場面は文章に技巧を凝らした表現をしている≫
 ①葉子と出会う冒頭(P8~P9)
  窓ガラスが鏡の役割をして夕景色に葉子の表情が二重写しになる表現
 ②駒子が三味線「勧進帳」の曲を弾く場面 →P61~P71
 ③葉子と対面する場面、結末
 ④雪国の生活・暮らしを描写する場面
  はぜに稲をかける場面、萱の描写、紅葉を門口に飾る場面、
  麻の縮について触れる場面など
※ある評論家が、新感覚派の表現方法の特徴は、擬人法や映画的手法を多用したことだと述べていました。美文がぞくぞく登場するこの作品、なるほどと思いました。これが彼らの主張だったのでしょう。
≪島村と駒子が心を通わす様子が細やかに描かれている≫
 島村が歌舞伎や日本舞踊、三味線に精通しているので、駒子が彼に惹かれていくのは自然に感じた。彼女が美しいだけでなく、純粋で自由な人物であること、それが魅力だった。
≪駒子が行男と関わるのを頑なに拒否する理由が分からなかった≫
 行男の話になると、棘のある言葉を発する駒子。芸者になってまで彼の医療費を負担した彼女が、なぜ世間の噂を気にするのだろう。読みが浅い証拠なんでしょうが、そこが分かりませんでした。島村への遠慮があるのでしょうか。

[以下、読書会にて参加者Aの発言]
(皆さんの発言を聞いて)葉子と駒子の関係や、行男とのことを口にすると嫌がられるのはわかる。Gさんの「男にとっての桃源郷を書いた」という意見。言われてみれば、(作中の雪国で)暮らしてみたいかな。自分の奥さんにないものを求めてふらふらしたい、みたいな。だからGさんの意見にビクッとした。
B:現代だったら不倫だと叩かれますね……。

<フリートーク
【描写の美しさについて】
B:川端康成の最高傑作なのかな。
I:ノーベル文学賞は作品ではなく作者に与えられる。この作品が評価されたのかな、とかはあるけれど。
川端康成が受賞したときの「美しい日本の私」(※授賞記念講演の演説より)といった言葉はどこに掛かっているのか。
C:選考委員は訳された作品を読むんですよね。これを訳されたとき、日本語ではどうなっているのかわかるのかな。
I:作品が優れていればいるほど訳も優れている。一見良さそうに見えても、訳してみたら駄作ということもある。
G:雪国の風景描写が美しくて。フランス映画でありそう。『髪結いの亭主』とか。
C:「雪晒し」を見たことはないが、これがどんなふうに美しいかわかる(角川文庫P155)。それは英文で読んだ人でも同じだと思う。

【「目」としての存在である島村について】
A:私には島村が淡白な男に見える。
C:それがすごくいやらしい。
I:色っぽいけどいやらしくはない。
F:冷めた目で書いていますよね。でも、女性の唇を「蛭」っていやらしいなと思う。
会話がキャッチボールになっていない部分にリアリティーを感じる。
A:私もそう思った。噛み合っていないのがいい。
F:島村は思っていることの1・2割しか言わない。駒子も本心は明かさない。行男とのことなど、読者が知りたいことも明かされない。
物語小説なら会話の7・8割は通じている。そのような物語小説的なリアリティーをリアルだと思いがちだが、本当はこちらのほうがリアルなのでは。それが読みどころ。
ただ、それにしても、もうちょっと知りたいと思う。知りたいけど知ることができないまま過ぎていくのは徒労。それを書いたのだろうか。
I:川端康成はクラブに行くと女性を目で口説いたそう。とにかく気に入った女性を見つめた。そうすると女性は落ちる。口数が少なく、じーっと見るから女性が参ってしまう。三島由紀夫が嫉妬したくらい。
島村は「目」としての存在。目と耳、感覚だけの存在。
放蕩息子のおじさんの話かと思って読んだが勉強になった。小説と文学の違いを見せつけられた。

【ストーリーについて、あるいは駒子と葉子の同一性について】
I:ストーリーがあると言えばある、ないと言えばない。自分の概念を言葉にするために、彫刻のように削っている。覚悟みたいな、迫ってくるものを感じた。一文字たりとも無駄がない。作者は、この情報量・この分量にしたかった。
何を伝えたかったのだろう。「美」や「徒労」?
私も高校時代に読んだと思うけれど覚えがない。美やエロスは、読んで味わうことはできても残らない。ストーリーでどんでん返しがあったとか、犯人はこの人だ、とかなら覚えられるが。
C:でも惹かれますよね。言葉で概念を構築するのは大変なこと。私は、葉子は死んでいないと思う。
流れているサブテーマとして、葉子と駒子の友情がある。男が思っているほど女は男に惚れておらず、駒子は葉子を守ろうとしており、女同士で連帯している。駒子は葉子を介護して余生を終えるだろうと解釈している人もいる。駒子と葉子の関係性は明かさないでおきたかったのでは。
I:「トンネルを抜けると雪国であった」、ここから始まる異次元に、なぜ島村は惹きつけられたのか。この物語は新橋の芸者では成立しない。異次元に咲いていて、三味線も上手くて。こんなところに美しい花が……という驚きが島村にはあった。
D:雪国という閉鎖的な設定がいい。舞台が南国ではだめ。ハワイだったら違う。
駒子はたくさん本を読んでいて、外の世界があることを知っているけれど、それを羨むことがない。
ところで、これといった事件は起きないのは、現代の小説の展開の仕方と比較してどうなのだろう。
B:現代の人が読んだらびっくりするかも。
G:現代の小説では、もっとロジックとか伏線とか、しっかりしていないと。
F:現代だと、行男と3人の関係が明らかにならないといけない。
I:これは一人ひとりのアイデンティティーではなく雪国のイデア。各々のアイデンティティーが癒着している。現代みたいに個人として生きているわけではない。
C:駒子と葉子は一つ。
I:割と重なり合うところがある。島村は窓に映り込む葉子(影、shadow)に惹かれた。計算されている。
F:一人の人間の裏と表に惹かれた。人に会うときは駒子だけど、裏では葉子。最初は窓の幻影として現れるが、映画館の消失とともに消えていく。構成として整っている。
読んでいて思ったのは、「何でも明け透けに語り合える女がいて、彼女とは別の、影があって自分に振り向きそうな女に惹かれる」って『新世紀エヴァンゲリオン』じゃん、男って結局こうかよ、と(笑)。男の夢と幻想がてんこ盛りになっている。
D:男の悲しい性だわ、と(笑)。
F:駒子と葉子は、『エヴァ』のアスカとレイより、もっと近くて。島村って、今で言えば「百合に挟まる男」ってやつで。女の子の間に挟まる無粋な男。島村は最初からのけものだったんだ、と。
G:悲しい……(笑)。
I:Gさん、島村になってます(笑)。

<後日、チャットワークでGさんが共有してくださった記事>
川端康成の「雪国」異なる展開も構想か 残されていた創作メモ(NHK 2022年4月1日掲載)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220401/k10013562811000.html
------以下、引用------

最後は火事の明かりの中で、主人公が流れ落ちてくるような「天の河」を見上げる場面で終わりますが、今回のメモには「狂つた葉子、駒子のために島村を殺さんとす」と記された部分があり、川端が主人公を巻き込んだ修羅場を構想していたこともうかがえます。

------以上、引用------

川端康成『雪国』のヒロインには実在のモデルがいた 川端から送られた生原稿を焼き捨てた元芸者の思いとは(Book Bang編集部 2022年4月16日 掲載)
https://www.bookbang.jp/article/730365

------以下、引用------

ヒロイン・駒子のモデルは湯沢町の芸者だった 夫が語った『雪国』の真実
 モデルとなったのは小高(こたか)キクさん(1999年1月、83歳で没)。1915(大正4)年、新潟県に生まれた彼女は10人きょうだいの長女。家は貧しく長岡へ芸者奉公に出され、湯沢町に落ち着いたのは1932(昭和7)年のことだった。
 一方、1899(明治32)年生まれの川端は、すでに『伊豆の踊子』を発表し好評を博していた。芥川龍之介梶井基次郎小林秀雄らと交流する文学界のホープだった。
 その川端が執筆のために湯沢を訪れ、温泉芸者をしていたキクさんと出会う。川端35歳、キクさん19歳。1934(昭和9)年のことだ。二人の関係は深まり、その後、川端は数度にわたり湯沢を訪問。『雪国』の断章を発表することになる。
 いってみれば彼女は、『雪国』への貢献度ナンバー1の存在だ。
(中略)
 そうなると、どこまでが「モデル」なのか。そもそも許可を得て書いたのか。現代ならば「プライバシーの流出問題」が取りざたされそうな話なのだが……。
 じつは彼女は、小説のモデルになっているとは思いもしなかったようだ。作品発表後、初めてそれを周りから指摘されて知ったのである。
「相当、癇に障ったようです」(久雄氏)
 その後、川端からは詫び状と第一回目の生原稿が送られてきたものの、芸者をやめる時、日記などと一緒に全部、焼き捨ててしまったという。
「湯沢を出る時に持っていたのは、本だけでした」(久雄氏)
(後略)

------以上、引用------

G:雪国のニュース、最近多い。再び注目されてるのでしょうかね。
欠席だったメンバー:私も昨日、そう思っていました。NHKの昨日の番組もすごく多かったです。日本初のノーベル文学賞作家の没後50年だからでは?