Zoom読書会 2026.08.29
【テキスト】『オーランドー』ヴァージニア・ウルフ著、杉山洋子訳(ちくま文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。
<推薦の理由(参加者A)>
◆前回の読書会後の雑談で、性別云々の話になったとき、ちょうど手元にあったので(笑)。翻訳ものだけど、我々にとって違和感のない文章だし。ちょっと失敗したかなと思ったのは入手しにくかったこと。電子書籍がないんですよね。
◆英語の文章にはセミコロン(;)がある。セミコロンの前で一旦終わったようでいて、セミコロンの後に続いているものがある。特記事項として、関連している文章が続く(日本語の括弧には補足事項が入るが、セミコロンで繋げられたものは並列に近い)。セミコロンの後の文章があることで、裁判で判決が覆ることもある。コンマより区切りが強く、ピリオドよりは弱い。
<参加者B>
◆私がイギリスと聞いて思い浮かべていたのはヴィクトリア朝のイメージだったようです。いろいろな作品の舞台やモチーフになっているし(仄暗く、古風なものと近代的なものが入り混じっている感じ?)。エリザベス朝は明るいイメージなんですね。世界史あやふやなので、そういう意味でも面白かった。
◆男性と女性の社会的な差異が描かれていて興味深かった。どこかに「女は文字を習わせてもらえない」みたいなことが書いてあったと思うが(P140「わたしたちにはアルファベットひとつ教えようとしないくせに、自分たちは知識で完全武装してる」)、日本でもかつては「女に学はいらない」みたいな考えが根強かったらしい。紫式部も、賢さを見せると男性からも女性からもよく思われなかった、と日記に書いていた。でも彼女は『源氏物語』を残したし、平安時代の女性には相続権もあったけれど、イギリスでは女性が継げなかったんですね。海外では、女性が男性名で文学作品を書いたり、その他の分野でも、女性の名前は消されたとか。作中のオーランドーは女性になったけど家を継いでいる。そのあたりも面白かった。
◆他にも、創作論や、時間に対する考え方など、「わかる!」と共感できる部分、そうでない部分がそれぞれあって、作者の心を分けてもらうような楽しさも感じられた。
◆巻末の、訳者による「隠し絵のロマンス――伝記的に」はとても読みごたえがあった。しかしそれを読むことである程度補完できてしまって、少しもったいない気がした。いえ、読めてよかったんだけども。わからないことをわからないなりに楽しんで、少し間を空けて読めばよかったなぁと思った。
◆気になったのは、オーランドーが女性になったあと、訳文では女性言葉になっていたけれど、原文はどうなのだろう、ということ。英語にも女性っぽい言葉遣いがあるのか?
<参加者C>
◆マニッシュなファッションが当たり前の時代に生き、『ベルサイユのばら』(池田理代子)のオスカル、『リボンの騎士』(手塚治虫による漫画)などを知っている世代だが、『ベルばら』のオスカルや、アニメ『白鯨伝説』のラッキー・ラックが実は女性キャラだと知ったときは驚いたものだった。女性が男性のような装いをすることが珍しかった時代に、ヴィタ・サックヴィル(=オーランドー)の男装姿を見たウルフの衝撃は、私が感じた驚きよりも鮮烈だったのかもしれない。
◆ページいっぱいに地の文章が詰められている割に、読み口は意外とサラリとしていてスイスイ読める。また、時代ごとの情景がクリアに浮かぶ文章は秀逸だと感じた。素晴らしい翻訳だと思う。
一方で、年代表記が少ないため、個人的に、ややステージの変更がわかりづらい。たぶん、時系列よりもパノラマのように書き割りが変わるほうが重要なのだろう。
◆ウルフがヴィタに送ったお得サイズのラブレターである以上、本編の人間ドラマ自体に、感想は正直浮かばなかった。そもそも超自然的な形で360年も生きて文芸に明け暮れ、悠々と恋愛、結婚をし、アンドロギュノスであるオーランドーという人物に、ドラマツルギーの凹凸をさほど感じられない。
ただ、オーランドーが明確な男だった時代の、ロシアの姫君サーシャに袖にされたところは、男子の失恋としてはありがちで、この辺は面白かったと思う。
◆フェミニズムという観点からしても、作中で語られるフェミニズムは、現在の社会通念の域から出た突飛に感じる話でもないし、同性愛にしても、イギリスに比べて日本は比較的無関心なので、この作品の「モダニズム感」にはあまりピンと来なかった。
裏を返せば、それほど当時の西洋の世相だとか倫理観は窮屈であったのだろうと、こういった古典を読むたびに感じる。
B:サーシャいいですよね(笑)。
C:読んでて「おおっ」ってなりました(笑)。
創作論についても、私自身、書いた瞬間よくても、読み返したら「全然だめじゃん」ってことはあるな、と思った。
<参加者D>
◆ウルフ読んだことがなかったので、切っ掛けをいただいた。
◆ジャンルとしては偽伝記で、モキュメンタリーにも近く、私好みの読み方ができた。
目を滑らせながら読める。意外と楽に読めたこともあり、いい機会だった。
◆歴史小説として読んでみたくなってそうしていたら、世紀が変わった瞬間「SF的だな」と感じ、学びがあった。私の次回作に活かそうかな。突っ込まれたら「ウルフ読んだことないの?」と言える(笑)。
B:ぬるっと時代が変わる手法は、最近の芥川賞を受賞した作品でもあった。一行空きもなく、時代が入れ替わっている。私もちょっとやってみたいけど、筆力がないから盛大に事故りそう……。
D:イギリスって時代が断絶しないんですね。政権を跨いでも、ぬるぬる移動できて面白い国だなと思った。日本だと江戸→明治は、まったく違う時代ですよね。
◆P111「駆逐艦」とあるが、私の記憶では、19世紀後半に魚雷という兵器とそれを扱う水雷艇が出現し、水雷艇を狩る艇種として水雷艇駆逐艦が登場した……という流れなので、作中のトルコに駆逐艦はいないはず。ミスか、意図的なアナクロニズムか。
ただ、原文で検索をかけると「destroyer」はヒットしなかったので「frigate」になっているのかな。「frigate」なら作中の時代でも存在した艦種なので、日本語翻訳の時点でややこしくなったのかもしれない。
◆ルーマニア大公の変態っぷりがいい。男オーランドーを気に入って女装してきたけど、その後どうするつもりだったんだ(笑)。オーランドーが女になったから求婚できたけど。
<参加者A(推薦者)>
◆割といろんな意味でハチャメチャな作品。ここに書かれている歴史は、ナーロッパ(「小説家になろう」などで舞台となることが多い、日本人のイメージ上のヨーロッパ)みたいなものなので、あまり気にしなくて大丈夫(笑)。
時々ネットに上がっている中国の抗日ドラマみたいな感じで、ふわっとしている。歴史でデコレートしているだけ。最初「うっ」てなった。良くも悪くもちゃんとしていない。
作中にインチキ写真みたいなのもある。ウルフは書き手としていろいろ試行錯誤していた人なので、箸休めとしてこういう作品も書いていたのかな。
◆最初、セミコロンの話をしたが、西洋の言葉のシステム的なバグを突こうとしているところがある(翻訳になるとあやふやになるが)。
何の説明もなく性別が変わる。決め事として「he」から「she」へと代名詞を変えると説明している。日本語であればごまかせる。日本語は主語を抜けるし、代名詞も使えるが、英語ではそれができない。「it」は人権がないからまずいし、固有名詞が続くと子どもっぽい文章になってしまう。必ず「he」か「she」に割り振らなくてはならない。
作者も主人公も、言葉に収まりきらないことを追及している。書きにくいことを言語化しようとしている、そういう面に置いて個人的に面白い。手の込んだ伝記もどきとして、とんでもを楽しむ作品。
◆原文も女性言葉なのか、という件について。英語はオーランドーを指す代名詞が変わるだけで、とくに口調は変わらない。英語テキストは会話文か続くと「これ誰の台詞だっけ」ということがナチュラルに起こる。
ラノベで巧いなと思うのが、キャラクターが変わった語尾で喋るから、そのキャラの台詞だとわかるようになっているところ。英語だと額面上、区別がなくてのっぺりしている。
B:日本の小説でよく見る女性言葉も現実ではあまり聞かないですね。あれは登場人物を区別するために書いてるんだと思ってる(笑)。
D:P229「オーランドー!」船が見えた時の言及が、タイトル回収かと思った。
A:読み返すと、船のシーン、風景の描写が思ったより長かった。退屈に感じる人もいるんじゃないかな。
個人的には、人物を描かずに風景のディテールを語るのは好きだが、今だと禁じ手なんですよね。
B:今の小説は、情景描写もそこそこに、ぽんぽんストーリーが進みますね。
<フリートーク>
【作品の背景】
C:この作品を読むにあたって、ウルフのWikipediaを見ないと、何を描いたのかわかりづらい。設定も突飛で、360年生きた両性具有の主人公。「笑いにみちた」をあるが、笑いどころがわからない。そういう意味では、込み入った内容ではないが難しい。
B:最近、フラナリー・オコナー『賢い血』(ちくま文庫)を読んだんですが、コメディとあったけど、それも笑いどころがわからなかった。
『オーランドー』にしても『賢い血』にしても、作者の背景とか解釈抜きにして、作品世界そのものを楽しむ能力がほしいと思った。
A:『オーランドー』に関しては、内輪ネタみたいなのも多い。エリザベス朝の話とか、シェイクスピアの話とか、イギリスの教科書に載っている人物の裏側を、若干の笑いを含めつつ書いている(教科書の落書きみたいなイメージ)。ご当地ではわかるけど解説なしでは辛い。
あと、インチキなルーマニア人やロシア人が出てきたり(イギリス人からするとルーマニアやロシアはヨーロッパの外れの辺境の地)。
B:『翔んで埼玉』(魔夜峰央の漫画)みたいな?
A:そんな感じ。イギリス人が知らない東ヨーロッパとか、世間的に浸透した偏見が垣間見られる。
第三章のエピソードにしても、ウルフが関わった「偽エチオピア皇帝事件」(学生たちやウルフが、エチオピア王族の振りをして戦艦に乗り込んだ事件)が元になっている。エチオピアの王族のコスプレをして内輪で盛り上がっていた。
B:外国人がイメージする日本が舞台となっている『ニンジャスレイヤー』(ブラッドレー・ボンド、フィリップ・ニンジャ・モーゼズ著)とか、どうだろう(笑)。
【イギリスの同性愛について】
C:イギリスって百合ですか?
A:逆はあります。大学と軍隊で覚える。オックスフォードで先輩が後輩に教えるみたいな。ちなみにウルフが生きていた時代では、同性愛が発覚したら捕まります。捕まらなくても、まともではいられない。
D:イギリスでは、第二次世界大戦のころコンピューター開発に関わっていたアラン・チューリングも逮捕されていた。
A:当時、同性愛は精神的な病として扱われていたり、処罰の対象だった。また、同性愛を防止するために教育機関で軍隊的な規律を作った。トーマス・アーノルドのラグビー・スクールとか。
C:逆効果にならないんですか?
A:なるんですけども。
C:ラグビーだと競技を通して関係が深まっていきそう。
B:それは男性同士でマウントを取る感じではなく?
A:マウントというか仕込まれます。軍隊式に、声の出し方とか脚の動かし方とか。最初はお客さん扱いだけど、だんだん死にそうになるまで練習させられるようになる。
ラグビー・スクールではないけれど、私の似たような経験では、1600(ヒトロクマルマル ※16時)に集合、ペアとずっと一緒に作業しろ……みたいに仕込まれる。その状態が普通であるようにさせる。脱走者が出るから、24時間、見張り合ったり。
Brotherhoodという言葉がありますよね。同じ班などで固まるから、そこでも共通事項が癖になる。そこから派生している。
【イギリス社会の中の女性】
A:19世紀から20世紀前半のイギリスでは、女性が結婚するとファーストネームが(法的には消えていないが、世間から見ると)消えた。
例えばシャーロット・ルーカスという女性がいたとして、ジェイク・ジョンソンという男性と結婚したら、ミセス・ジェイク・ジョンソンと、夫の姓名にミセスをつけて呼ばれることになる。『オーランドー』では、直接的ではないが、そういうものの皮肉っている。
B:オーランドーは、女性になって結婚しても、ずっとオーランドーのままですね。家も継承できている。
A:継承できている。その時点での、はっきりした名前が出てこない。
オーランドーは明らかに男性名。社会的な性を曖昧模糊にしている。どうあっても私は変わりませんよ、という意思表示。
また、男性であっても女性であっても性の対象になっている。
B:作家の桜庭一樹は『オーランドー』がすごく好き、とインタビューで語っていたが(※)、そういえば桜庭一樹の『GOSICK -ゴシック-』(角川文庫)に登場する美少女・ヴィクトリカも男性名ですね。
※WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第54回
https://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi54.html
A:言われてみると、ヴィクトリカのお母さんがオーランドーっぽい。ヴィクトリカ母の恋愛とか描写に通じるものがある。
あと、作品内で時系列がぽんぽん飛んで、最後に第二次世界大戦後の日本に戻ってくる。そこもちょっとだけ通じるのかな。
あとは、同列に語られることが多い、ウルフの『自分ひとりの部屋』(平凡社ライブラリー)。エッセイかと思いきや、エッセイとルポを混ぜたようなメタ小説(『オーランドー』といい、メタっぽいのを書きたかった人なのかな)。思想の自己表現になっているところはあるが、フィクションを通して文芸批評をしている散文。『オーランドー』と同じような脈絡のなさ、変なテンポが共通している。
ちなみに、『自分ひとりの部屋』は、(文章に)なかなかピリオドが来ません(笑)。SVで始めて、関係代名詞を挟んで、セミコロンで文章が続いて……。
『オーランドー』は、文章のテンポいいなって感じる。
ただ、ひどいのだと、「私は」にコンマ(I,)→関係代名詞(who)→サブセンテンス、忘れたころに本動詞のbe動詞amがきたり。ヴィクトリア朝の時代によくある複雑な古臭い文体が見られる。
【集団の社会的な立ち位置とフィクションでの描かれ方】
B:訳の影響とかもあるんでしょうか? X(旧Twitter)で、「翻訳ものは訳者の二次創作だと感じる」みたいな感じの呟きが流れてきて。訳でだいぶニュアンス変わりますよね。
絵本の『おおきな木』(シェル・シルヴァスタイン著)、現在出ているもので村上春樹が「(幸せに・・・)なんてなれませんよね」って訳している部分、私が子どものころ読んだ本田錦一郎の訳では、「木はそれでうれしかった・・・だけど それは ほんとかな」だった。私は本田錦一郎の訳のほうが好き。
A:訳の影響は大きいでしょうね。『オーランドー』に関しても、作中に出てくる時代について読者が知っている前提で書かれている。知識がないと辛い。訳者、編集者泣かせではある。
「エリザベス朝」というと、日本で育った我々が聞いてもピンとこないが、イギリスでは教科書に登場し、皆知っている。シェイクスピアときたらベンジャミン・ジョンソン、みたいな暗黙の了解が前提とされるから、本を作る苦労は察して余りある。
あと、トルコ人やジプシーも私たちはピンときづらい。イギリスでは「文明化されていない野蛮人」「肌が黒い人」という印象を持たれている。それでいてあまり知らないから、作品では適当に扱ったり、逆に美化した偏見で扱われる。『オーランドー』でも、オーランドーが女性になったあとジプシーと交流する場面がある。社会の中ではなく周辺にいる人と交流し、社会へ帰っていく。ジプシーは異物的な考えを持ち込む人、外の人――いわゆる外人の扱い。
B:えっと……「身近にいないからよく知らないけどアウトサイダーでありフィクション内で美化される存在」といえば……現代の日本だとヤクザや暴走族ですか?
A:それに近い。実際に見る機会がないから、やんちゃな人たちの描写がファンタジーに寄っている。最近の若い子は特攻服を見たことがあるんだろうか。
B:昔の日本でいうと東夷になるのかな。
A:オスマン帝国、アラブ人、ユダヤ人……当時のイギリス人にとって、わりと身近な文明の外の人だった。
B:日本人が作るフィクションでもステレオタイプのロシア人など登場しますよね。
A:ミステリアスに描く。妄想なので本物とは違うね、ってなる。アニメや漫画でもロシア人が出てくるけど、ロシア語のスペルが間違っていたりする。なお、ロシアに銀髪の人は多くないです。ウラジオストクとか、住んでいるのは西洋系の人だけではなかったりする。
ヨーロッパも金髪碧眼の人は少ない(北欧は多いかな)。スペインまでいくと、我々の持つ「白人」のイメージとは違ってくるし。
【ウルフが描きたかったもの】
B:『オーランドー』は、わざととんでもにしている?
A:わざととんでもにしてます。ウルフの旧姓はスティーヴン。父であるレズリー・スティーヴンは超大手出版社の編集者で、大作家を世に出した人だから(有名人の伝記を網羅している辞書の責任編集)、家に作家がたくさん遊びに来る。実家が岩波書店みたいなイメージ。
また、ウルフが参加していたブルームズベリー・グループで有名なのは作家のE・M・フォースター、経済学のケインズなど。ウルフはサークルの姫みたいな感じで楽しんでいた。
その口でこんなことを言っている。「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」。
イギリスにおいて女性作家の活動が目立つようになったのは18~19世紀だが、ジョージ・エリオット(本名 メアリー・アン・エヴァンズ)や、匿名で『フランケンシュタイン』を出版したメアリー・シェリーのように、男性名や匿名で発表していた。
B:そういえば、ヨーロッパでは『源氏物語』について、千年前に女性が書いた小説が残っているのはすごい、って思われるみたいですね。
A:ヨーロッパの古い時代にも女性作家はいるらしいが記録に残っていないから、記録に残っているのは尊く思える。
ウルフの時代、ぎりぎりフェミニズム的なムーブメントはあったけれど彼女はそれに参加していない。街頭での女性運動ではなく、文章表現で男女が割り振られていることに対して挑戦をした人。英語で男性への敬称が「Mr」だけなのに対し、女性は「Miss」「Mrs」の2つがある。
B:最近は「Ms」を使うことも多いですかね。
D:呼びかけといえば、私(男性なのに)「お母さん」って言われたことあります(笑)。
B:役割が呼びかけになってますね。私もありますが……お前を生んだ覚えはない、って思う(笑)。
A:ベトナムやタイでも、自分の年から見て父親の世代くらいの人を「お父さん」と呼んだりする。
【同じ手法が見られる作品】
B:芥川賞受賞作を別の読書会で取り上げたんですが、文章の途中で、行空きもなく、ぬるっと時代が変わる作品だった。その手法が、ウルフをモチーフとした映画「めぐりあう時間たち」(2002年/アメリカ)のようだという話が出た。映画も、ウルフの作品を意識して、ぬるっと時代が変わる手法を使ったのだろうか(私は映画観てませんが)。
ウルフは、そういう書き方をする作家なんですね。
A:読んでいて心地よさがある。バグも出やすいんですが。ウルフの作品では『オーランドー』はまだ読みやすいほう。
時系列がめちゃくちゃで、流れるようにぬるっと変わる作品というと『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス/新潮文庫)は、まさに典型。作品の系譜として、直接的に直系というわけではないんですが。
A:最近、翻訳された本が高くて。遠くであればあるほど高い。4,800円とか。一生、訳本が出ないと思ってたから買うけれども。
D:翻訳もの、あまり読まないですね。作品が面白いのか、翻訳が面白いのかわからないし。これからはAIが翻訳したりするのかな。
