
R読書会 2026.05.16
【テキスト】「時の家」鳥山まこと、「叫び」畠山丑雄(『文藝春秋』2026年3月特別号より)
【参加人数】11名
※オンラインでなく対面形式でした。
★今回のテキストは2作で、参加人数も多いため、Aさんのご提案により「もしどちらか一方の受賞だったら、どちらの作品が芥川賞に相応しいか? という視点で読み、自分の推し作品について熱く語る」という趣向になりました。
B:今日はAさんがおられるので、より闊達に意見交換ができればと思います。
<推薦の理由(参加者A)>
今まで、芥川賞発表前に候補作を読み、自分ならどれを受賞作にするかという読書会に参加していたが、主催者の方の都合で開催されなくなったので、芥川賞を読み解く機会が減っていた。
前回は該当作なしだったが今回は2作が受賞。選評も受賞者インタビューも掲載されており、この読書会で取り上げたら勉強になるかと思い、推薦させていただいた。
深掘りすると時間がなくなるので、昨日、急遽「どちらが芥川賞に相応しいか」という趣向を提案した。2作の傾向が異なり、選考委員の意見も分かれている。皆さんの好みを伺いたいので推しについて語っていただければ。また、もう一方はなぜ自分に合わないかを教えてください。
<参加者B>
「叫び」が面白くて、もう「時の家」は読まなくてもいいかなと思っていたが、これもとても面白かった。
「時の家」は緻密で、冷静に静謐に書こうという抑制が効いている。レース編みのような繊細な世界に入れてええやん、と思ったが、私が選考委員なら「叫び」を選ぶかな。
「時の家」は藪さんと緑と圭さんという三世代に渡る住人のことが書かれているが、いまひとつ響いてこない。
「叫び」は生の人間が本音で描かれていて、とにかく面白い。荒唐無稽なことが書かれているけれどリアリティがある。歴史的背景などちゃんと調べられており、しかもそれをおちゃらけたふうに言っているが、ちゃんと「痛み」がある。もう好き嫌いの世界になるが「叫び」が好き。
また、「時の家」は閉ざされて窮屈な感じがしたのに対し、「叫び」は広がりのある読後感だったので「叫び」を選んだ。
★参加者Bの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」0票、「叫び」1票】
<参加者C>
私も「叫び」を選ぶ。
「時の家」は「家」を語り手として、そこに住んだ三世代の人たちの心を描いているのが新しい。しかし緑が公園に行く場面も「家」が語り手となっているのが気になった。最後のほうなのでそのまま読んだが。
「叫び」の語り手である早野は、失敗も多く、家まで借りたけれど女性に相手にされず、仕事はしているが銅鐸の先生に入れ込んで、受け売りを語ったりしているのが面白かった。
天皇など、日本に昔からある社会的なものを語っている。社会的なものを小説で語ろうとする場合、勉強している人はすでに知っているし、興味がない人には読み飛ばされてしまいがちだが、早野というキャラクターに乗せて面白おかしく書くことで読者に読もうという気にさせる。それに絡めて、中国大陸で罌粟畑を作っていた川又青年が見えるようになり、なおかつ1940年の万博と大阪万博がトンネルのように時代を繋げる。早野と川又青年の2人を語り合わせていることにびっくりした。ずっと面白い、面白いと読んでいたが、罌粟畑の話や巻末の主要参考文献を読んで、日本の軍部が何をしたかを初めて知った。選評にもあったように、エピローグはないほうはいいと思う。それがなければ軍隊の歴史を見つめて終わるので。早野個人の話で閉じてしまって、もったいないと感じる。
★参加者Cの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」0票、「叫び」2票】
<参加者D>
私は断然「時の家」。最初から描写が絶妙。私は小説を習いに行ったとき、読むのも書くのも苦手で。なんで「赤い薔薇」を「赤い薔薇」と書いちゃいけないの? って。
今は短歌を中心にしているので、小説を読むときも語彙を見る。「時の家」はボキャブラリーが多くて進まない。短歌に使えそうな言葉がいっぱいでてきて、これはまずいぞ、と(笑)。
絵とかを仕事にしている人は、物語をコツコツ書いていくのがわかると思う。この作品は青年のスケッチで進んでいく。すごくユニーク。人物より物に愛情があるのが楽しかった。
冒頭から2行目の「分厚い熱は平らになって屋根面を圧し(中略)対流により奪われてゆく」……全部が短歌になる。五七調が多い。「見えない遅さ」とか、なんとなくわかるわと思って。「見えない遅さ」、すごいな。
そんなふうに組み合わせて短歌を作りながら読んでいったから進まない(笑)。
ざっと全部読んだけど、P246上段の後ろから6行目「斜めから照らされている猫の耳」とか、どんどん短歌が出てきて。10首くらい作って、最後までなかなか行きつけなかった。
「叫び」は短歌になるような言葉がなかった。坩堝とか鋳造とか鋳型とか。関西弁にもついていけなくて。すごく疲れた。私が選者だったら「叫び」は落としている。
B:Dさんが、もともと東京の人だからというのもあるかも。
★参加者Dの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」1票、「叫び」2票】
<参加者E>
私も「時の家」好き。この『文藝春秋』を買ったのも「時の家」を読みたかったから。建築家の方がどんなものを書かれたのかなと持って。
前半は読みにくいのなんのって。でも途中からそうかそうか、と読むようになった。描写とか、そういうものがちょっと(他の作品とは)違うなぁっていう感じがして。私、自分で土壁やったことあるんだけど、そうだそうだと思いながら読んだ。家が鳴るとかもよくわかる。
(家に)色々な人が住んでいた、という歴史を書いているのが面白い。解体のシーンもすごくて、絶対こうだな、と思って。
「時の家」が読みたくて買ったから「叫び」はどうでもいいかと思ったけど、両方読めと言われたので(笑)。
(一同笑)
「叫び」。大阪人じゃないとこの笑いが理解できないのだろうか。何が楽しいのか、何が面白いのかわからない。私は4年間、大阪に住んでいたことがあるが、大阪人ってこんなとこあるよなと思いながら読んだ。また、天皇陛下の前に飛び出したことを書かなきゃいけないのか? と疑問に感じた。
2作読んで、みんな「叫び」を推すだろうなと思ったけど、私は「時の家」。私しかいないかなと思ったらDさんがいてくださった(笑)。
★参加者Eの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」2票、「叫び」2票】
<参加者F>
(「時の家」を読んで)感動した。今が大事だと思った。年表を作りました。2年はズレてるかもしれないけど。(※画像参照)
[事前のレジュメより]
【「時の家」読後感想】
登場人物概略
〇実の母の思い出を何とか探そうとしているが、見つからないことに悩む少年
〇友人の死を受け入れ難い緑
〇両親の離婚と自らの伴侶について考えさせられる圭さん
〇妻への償いとして家を作る薮さん:
その家の家具の配置、テーブルの高さなどは亡くなった妻に合わせたものだった。
妻に合わせた、使い勝手が良い造りになっている。
〇スケッチをする青年:スケッチをする理由は明らかになっていない。
自らが大切だと思うものをスケッチブックに留めたい、か。
・谷川俊太郎の「時」という詩を三人は発見する。
緑、圭さん、青年。各自いろんなことを思う。
◎この家は、薮さんが妻への思い《谷川俊太郎の「時」》を形にしたものであろう。
◆家の特定の造り物、例えば大黒柱の籐や、取手などから、3人の思い出がそれぞれ語られる。読み手としては、その部位に対する思いは分かる。しかし、三人もいると話が飛んでおり、縦の関係すなわち時間軸が分かり辛かった。そこで時系列を作った(※画像参照)。縦横(時間、登場人物)の関係の分かり辛い小説でした。
◆個々の話「そもそも死んでしまったことと長く会えないことって、どう違うんやろ」「別れないために、できることって何なのかな」などが、「家」と「時」という詩で繋がって、しめ縄のように展開する構成には感心した。
◆亡くなった人、別れた人、そして、今、目の前に居る人。これらについて考えさせられる作品でした。
【「叫び」読後感想】
344下:激しく罵られ、自分を否定されるたび、こころが軽くなり
➡確かにこのようなことはあるような気がする
345上:洒落が面白い
〇罌粟(けし) 罌粟を傷つけて流れ出た液体を乾燥させたものが阿片(アヘン)
〇全体的に、また局所的でもあるが、話の興味を途絶えさせないように、少しずつ論点を変えながら話題を変えている。これで読者が飽きないような構成となっている。
〇文章は読みやすい、だが、ちと難しい話しになると内容がスッと入ってはこなかった。歴史の知識が乏しいので、どこまでが本当の話で、またこれをベースにどうパロディとなっているのか分からなかった。
〇気がふれた男の物語? 罌粟の栽培だけでは幻覚症状は出ないようなので、やはり思い詰めると幻覚が出てしまうという男の話なのか。
〇この小説が芥川賞に選ばれた理由がよく分からない。
【「時の家」「叫び」選評感想】
〇選考委員の評がバラバラと思えた。
〇受賞作以外の作品も読みたいと思った。
〇「叫び」:これはパロディみたいに読むのもありかと思った。
★参加者Fの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」3票、「叫び」2票】
<参加者G>
「叫び」から読んで、なんとも面白いと思った。私は古代史や銅鐸が好きで、そういう題材を取り扱っているのが面白いな、と。そうやって、太古のものと戦前、現代を接続させている。
選考委員がどこまで意図したかわからないが、この2作品が同時に受賞したことに意味がある。上手いこと対になっている。作者も登場人物も世代が同じ。どちらの主人公も、歴史から切れていて背景を背負っていない空っぽな人間。
「時の家」の青年は、その空白を埋めるために幼いころに関わったことがある、間もなく失われる家の歴史を自分のものにしたいと侵入していく。
「叫び」の早野は、空っぽの自分に似合う空っぽの銅鐸と出会って、その響きで世界を埋めたい。
どちらの作品も、歴史から切れてしまった現代の青年(=日本人)の「歴史をいかにして自分の血や肉の中に取り戻すかというもがき」を描いている。
ただ、方向性はまったく違うが。
ひたすらミニマムなところに迫っていく「時の家」と、誇大妄想的なところにガーンと行ってしまう「叫び」というアプローチの仕方がある。まったく正反対で、だから一見全然違う作品に見えるが、信念というか、芯にあるモチベーションみたいなものはすごく共通している。そこがとても面白い。
「時の家」に書かれている死者に対する哀切などは個人的にグッとくるのだが、描くものとしては普遍的すぎる(ただ、そういうことは繰り返し誰かが書いたほうがいいのだが)。
「叫び」は、日本人もあまり知らないような戦前の歴史、天皇の話などを取り入れ(上手く接続できているかはわからないが)、読者に突きつけている。だから芥川賞をとるべきというか、とらないとあまり読む人がいないんじゃないだろうか。それはもったいない。
でも、やっぱり両方、対で受賞したのがすごく意味があると私は思う。
★参加者Gの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」3票、「叫び」3票】
B:ここまで同数ですね。後半のほうがプレッシャーかかりますよ!(笑)
H:めげずに言うしかない(笑)。
<参加者H>
私は両方とも読んで、「叫び」めっちゃ嵌りました。すごくツボに嵌って、そういう意味の面白さもあったんだけど、同時に興味深くも読みました。
「時の家」と「叫び」と、どこが大きく違うかっていうと、やはり「時の家」は内に閉じている感じがする。選考委員の平野啓一郎さんも「ナイーヴ過ぎる」と書いており、確かに、と思った。最後にそこから飛躍するものは何もない、という感じに受け取った。
だから「叫び」のほうが小説として面白いんじゃないかと思うが、私は「時の家」のほうが好き。どうしてかというと、まったく小説の内容とは違うが、「時の家」を読んで、いろいろなことを想起させられるという不思議な体験をしたので。この作品は、登場人物たちにとっては手の届かない過去のものについて書かれている。この家に戻ってくることもできないし、手を触れることもできない。それに対する想いが切々と書かれているのでそこに心が揺れたのかもしれない。私自身、父の転勤でいろいろなところを転々としていたが、家を変わるごとに、もう二度とその家には戻れないし、二度とその環境には戻れない。戻れないものに対する想いというものが、今の私を作ったものでもある。二度と戻れない、でも私のベースになっている。そういう想いが、この「時の家」という小説の中に、ぎゅっと凝縮されているから、私自身の想いを想起させられたんじゃないかと思った。
そんな体験ができたので、どちらかと訊かれたら、自分の好きな「時の家」を選ぶ。
★参加者Hの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」3票】
<参加者I>
「時の家」と「叫び」の作者は2人とも関西出身で同じ世代(鳥山まこと氏/兵庫県宝塚市出身/1992年生まれと、畠山丑雄氏/大阪府吹田市出身/1992年生まれ)。私も比較的近い世代で(1986年生まれ)、また、学生時代を大阪で過ごしたので感覚的にわかるところもあった。
どちらも場所と時をめぐる作品で、先ほど皆さんが仰られたように、共通する部分もあり、対照的でもあると思った。
「時の家」は過去の出来事の細部を丁寧に描く解像度の高い作品で、「叫び」は大きな流れを書いている。どちらの作品も読みにくい箇所はあったが、最近「わからないところはわからないまま読む」ということを覚えたので、とくに調べずにとりあえず一読した(後から、川又青年は実在しない、など一応調べたが)。どちらもすごくよかったが、どちらが芥川賞に相応しいかというと「叫び」だと思うし、仮に私が選考委員だとしたらそちらを推すが、好きなのは「時の家」。
「時の家」は、Hさんが言われたように、いろいろな感情を呼び起こしてくれた。阪神・淡路大震災のとき岡山は震度4で、それが私の一番最初に体験した大きい地震だったのだが、揺れを感じていながらも当事者ではない痛み、みたいなものがあったと思う。コロナ禍もそうで、同じ時代にいながら、自分や周りの人は亡くなっていないので当事者ではなかった――そういう負い目のような感情があることを認識させてくれた。また、私も亡くなった友達がもういないという認識が薄くて、ちょっとLINEしようかな、みたいになるときがあり、自分がおかしいのかと思っていたから、この作品を読んで少し救われたところもある。私の中で引っ掛かった部分、自分ごととして捉えた部分があるから「時の家」という作品が好き。
また、私は、過去や物、物が持つエピソードに執着するきらいがある。そんなタイプの人間にとっては刺さるところがあるのではないだろうか。
2作読了後、選評に「うんうん」と頷いたり、「そうそう」と笑ったり、面白く読んだ。
A:で、結局どっちを選ぶん?
I:「叫び」はラストに向けて作為を感じる部分があって(主人公に短刀を持たせたところで、捕まるラストにするんだなと読めてしまった)、ここは後から付け加えたのかな、とか思ってしまった。「時の家」はコツコツ積み重ねていく作りが好ましいと感じる。でも片方だけ選べと言われたら「叫び」ですね。
★参加者Iの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」4票】
A:すごいな。ここまで同点やで。だんだん責任が重くなってきた(笑)。
<参加者J>
最初に謝っておきます(笑)。
最初に「叫び」を読んで「あ、これ好きやわ」と思った。それから「時の家」を読み始めたのだけど、ページごとに疲れてしまって。だから「叫び」だけでいいかなと思っていたら、両方読んで推し作品を決めよう、というメールが来て(笑)。そこから全然読めず……「時の家」は私には難しかった。語彙力のすごさ、その道のプロの言葉の数の多さに圧倒されたし、心に対しての言葉を持っておられるのだが、私には「叫び」のほうが届いた。
「叫び」は、最初、ふんふん、と読んだが、読み終わってから、これって全部が幻聴幻覚だったのかもしれないと思った。ひょっとしたらあの役所に勤めている同僚たちも。一番確かなのは最後だけ。なぜその部分が必要なのかと言われていたが、私は「ひょっとしたらその部分だけが事実なのか」と思わせられる余韻が好き。
★参加者Jの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」5票】
<参加者K>
『文藝春秋』は購入したが、体調が優れず全部読めていない。「時の家」は書き出しが難しかったのでパスした。「叫び」は書き出しがよく、最後まで読めそうだった。
受賞のことばで、「時の家」の作者は前を向いているが、「叫び」の作者は斜に構えており、こういうひねくれたような人は好きだと思った。
本を読むどころではなかったが、「叫び」は関西の、面白かった時代の漫才を思い出しながら読ませてもらった。最後は私自身、こういう終わり方は好きじゃないと思った。
★参加者Kの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」6票】
B:では、皆さんの意見を踏まえた上で、Aさんお願いします。
<Aさん>
「時の家」
◆ざっと選評を読んでから読み始めたが、一つひとつの言葉に引っ掛かった。言葉自体はすごいと思うが、どういう状況かなかなかイメージできなくて、するするとは読めなかった。青年のスケッチを通して、家の細部を描き出すという作者の試み自体は成功していると思う。そうでないと家視点は成立しないので。
◆青年がなぜスケッチするのかは、P292に、祖父母の家の姿を残さなかった後悔があるという動機づけも自然に入れられている。
◆家視点が顕著だと感じたのが、P327で家が喋っているところ。「そうして浮かび上がる彼らの思考は、思い出すたびに揺れては変化し(後略)」……思い出すたびに、というのは家が思い出している。家はただ単に見ているわけではなく、住人が思い出すことまで把握しており、心の中まで入り込んでいる。彼らがこの場にいないときのことまで彼らの思い出として捉えて、家は取り込んでいる……というところで視点の問題は解決できていると思う。だから家視点というより神視点。心の中も全部お見通し、みたいな。心の中まで描き出しているのがこの作品にとっての必然性で、そういうところがよかった。
◆登場人物としては塾講師の緑が結構好き。彼女のエピソードに出てくる少年にエロティックさを感じた。この少年だけ特別なんだろう、みたいな。そして、緑と少年を震災というものが繋いでいるという設定がちゃんとある。作者はきっと裏事情とか細かいところまでしっかり作り込んでいて、さすが建築家だと思った。作り手として漏れがない。
◆震災が「人が作り上げたものを瞬時に壊してしまう存在」として随所に登場し、ラストの「人の手によって家を壊す描写」と対応しているのかな。作品として完成度がすごく高い。
◆Hさんが仰られた、自分の想いを想起させられるという点について。私は実家が阪神・淡路大震災で潰れている。作品に対して感動するというより、ここに書かれていることで自分の思い出を引き出されて、押し潰されそうな感じになった。地震の瞬間、私自身は大阪におり、箪笥がずれたり食器が壊れたりした程度だったが、実家に行ったら中に入れない状態だった。石垣の上に家があったのだが、裏の家がガサッと落ちてきていて玄関が通れなくて、石垣に梯子を掛けて登らなければならなかった。アルバムを持ち出すのがやっとだった。家は少しの間で本当に朽ち果てていくというのを、まざまざと見せつけられた。屋根が壊れて雨も降っているから。
それを思ったら、作中の震災に関する内容は薄っぺらく感じてしまう。P312~描かれている、東遊園地の「阪神淡路大震災1.17のつどい」にも参加しているが、あんな暗い場所で少年の顔なんて絶対に見えない。せっかく緻密に作り上げているのに、その辺りにリアリティのなさが垣間見えている。震災のとき3歳で、震災をちゃんと知らない世代である作者が、無理やり捩じ込んだ感じがして。
途中までは、自分の思い出をいっぱい引き出されたし、亡くなった人に対する緑の考えはすごくわかるなと思ったり、よかったんだけど、そこで冷めてしまった。
◆アーティストじゃなくて職人の作品だと感じる。緻密ではあるけど広がりがない。
◆作品から自分の想いが引き出されるという読書体験を得たのは貴重だなと私も思った。ただ、やはり神視点で、人物が薄いというか遠い感じがして。私が個人的に好きなのは、どれだけ人間が書けているか、という部分なので。選評にもあったが、綺麗事しか書いていない。家の中で起きる人間くさい何かが描けていたらよかったのに、と私も思う。
◆選考委員の1人である吉田修一さんは好きな作家で、吉田修一さんの書いていることは全部納得した。私もそうやなっていう部分があって、だから吉田修一さんの小説好きなんやって、選評から読み取れて面白かった。
「叫び」
◆冒頭から面白くて笑える。リズム感もいい。町田康を思い出した。言葉選びやエピソード選びがすごく独特。だから、どこかで読んだことのあるエピソードが少ない。
◆銅鐸と万博と罌粟畑と満州みたいな突拍子もないモチーフを繋いで小説世界を豊かに広げる発想力に驚かされた。
◆早野と先生、二反長音蔵と川又青年の関係性が似ており、だから過去と現在も似てくるという二重構造になっている。川又青年も何もないが音蔵に惹かれて行動し、早野も先生に惹かれて銅鐸づくりなどを始める。その構造がすごくいいと思った。
◆1940年に開催されるはずだった「紀元2600年記念日本万国博覧会」は幻の万博と言われていて、本当に2025年の大阪・関西万博のチケットと交換できたそう。1970年の大阪万博や2005年の愛・地球博のチケットとは交換できないけど、1940年の万博のチケットに限って交換できる。それを作品に取り入れられた作者の「運」を感じる。
二反長音蔵の時代と、今の時代の類似性を上手いこと取り込んで万博に繋げるというのは、もう感嘆しかなかった。
◆表立って書かれてはいないが、時代の空気感――もう戦争が近いんじゃないかとか、政治に対する不信感とか――そういうことも含めて、アンチテーゼみたいになっているのではと、そういうことも考えさせられる。だから社会風刺でもあるし、社会に対する警告みたいなことも、この小説家はやってるんじゃないかと思わされた。
◆茨木という土地に根差している。茨木の言葉や(しおりの喋りはおっさんくさいんだけど)、主人公が茨木に行くことになった必然性もちゃんと描かれている。
◆一つだけ作品で浮いていると感じたのが、しおりと父の関係が描かれてるところ。ただ、一見サバサバ系であるしおりの複雑さを知る上で必要なエピソードかなとも思う。
◆大阪・関西万博の風景描写はとてもリアリティがあった。大屋根リングに登ったときの、この下に世界があるというような爽快感・全能感みたいなものが本当に上手く描けている。
夏の暑い日でも万博会場は結構涼しかった。大屋根リングの下は風が抜けて気持ちよかったし、その場所にいたときの感覚が思い出せてとてもよかった。
◆全体的に泥臭い人間模様が描かれており、過去の歴史から未来への警告も含めて広がりがすごい。好みでもあるし、芥川賞に相応しいと思った。
★参加者Aの推し作品:「叫び」 【結果:「時の家」4票、「叫び」7票】
R読書会では「叫び」が、より芥川賞に相応しいと決定しました。
<フリートーク>
D:二反長音蔵って本名? ふざけてない?
A:本名として扱われている。旧姓は川端というそう。だから川端康成が出てくる。音蔵に「音」って入っているのがいいですね。
一見軽いけど奥深い。読みにくい字もあるけど飛ばして読めばいい。雰囲気だけで。
G:私はkindleで読んだ。単語や漢字をすぐ検索できるから助かった。
B:面白いと思ったのが、「時の家」の作者・鳥山さんが読んでいたのは伊坂幸太郎、小川洋子、村田沙耶香など、わりとトレンディ。「叫び」の畠山さんはレヴィ=ストロース、三島由紀夫、大江健三郎、ディケンズなど重たい本格的な作品を読んでいる。
G:「叫び」のP377「郷土史の細かいところ読んでると、どっかに僕のこと書いてあんの、見つけてまいそうな気いすんねん(中略)僕は消えてまうんちゃうかな。ほんでそのページを下にしてバサッと本が落ちる」……それ『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス)のラストや(笑)。
A:将来性をすごく感じる。
G:大体、狂った人間しか出てこないところが『百年の孤独』風(笑)。
【「叫び」早野について】
C:早野は何かを隠している。綺麗に隠し通していて、隠し方が上手い。何を隠しているのかはすぐ出てこないんですが。
B:早野の動きがあまり出てこないときがあるってことですよね。
C:早野は何かをずっと隠している。何かを隠していて言わない。で、終わってしまう。天皇のことに対しても本当は考えているんじゃないかと読んだ。でも押されていってしまって、罌粟畑とか実際作ってしまうという。そういう物語の作り方が面白かった。
書いていないから言葉にするのが難しいけど。最初から最後まで綺麗に隠している。
A:よく喋っているけど寡黙な小説ですよね。会話は多いけど、語り尽くさずに抑えている。
C:読者は、早野が絶対言わないことは何だと思いながら読んでいく。
A:早野は浅い人間なんですよ。先生の受け売りで、定着していない。内容の深いところまで理解していない。
C:読み手に、そう見せるように書いている。
G:早野自身が天皇や戦争をどう思っているのか書いていない。読者はそこを知りたい。
A:早野は何も考えていない。
主義主張を入れてくる小説もあるが、この作品はその対極で、作者の主義主張を入れていない。作者の思想と思わせないように書いている。作者自身がこう思っているというふうに受け取られてしまうと、そういう小説だと思われてしまい、この作品が本当に目指しているものと違ってきてしまうから。だからマジックリアリズム的な手法を取っているんだと思う。
マジックリアリズムも、本当に言いたいことは隠している(いろんなエピソードをたくさん入れて)。
G:読み手に、「早野はこんなことをしてしまいましたが、さて、あなたにとって戦争はどうですか?」と投げかけている。読み手が戦争反対なら戦争反対と取ればいい。
【「時の家」ものづくりについて】
A:「時の家」派の人、どうですか?
D:私、ちょっと霊感があるんです。引っ越しが趣味で20回ぐらいしてるんだけど、人が住んでない家見て「この家ヤバい」って感じることがあって。そのころは告知義務に明確な基準がなかったから不動産屋さんも黙ってて「なんでわかったんですか?」って言われた。
あの階段がおかしいとか、修学旅行で旅館に泊まったときもあの障子の裏がまずいとか、そういうのがある。
今の家は築58年でリフォームばっかりしてるんだけど、58年前の立派な設計図があって、来た建築士さんが驚くんです。きちんとした業者さんが手掛けたという証拠だって。それで、お風呂を全部新しくしたときに、天井を取ったら吹き抜けになってたの。設計図にも描いてなくて、みんなびっくりして。そこに何かが書いてあった。で、業者さんが「天井閉じますよ、もう見れなくなりますよ」って。そういうのってすごくあるんです。だからわかる。
あと、ルイ・ヴィトンのバッグって解体すると中に名前が書いてたりする。ファスナーにもルイ・ヴィトンって書いてある。ああいうのって、ものづくりが仕事か趣味の人じゃないとわからない。
私は「時の家」を読んでいると一つひとつわかる。
選考委員の吉田修一さんが「薪ストーブの良さがなくなるのだろうか?」と書かれていたが実際そう。ものづくりってすごい時間がコツコツコツコツかかる。私も小さいころ薪風呂で、ガスとか電気に変えたら暖かさが全然違った。じんわり体を温めて柔らかかったのに、機械を入れたとたんにガッて熱くて痛いって感じになった。だから吉田修一さんはこういう書き方のことを、本当はわかってるんだなってちょっと思った。吉田修一さんの作品、読んだことないけど読んでみたい。
A:とりあえず『国宝』を読んでください(笑)。
【「時の家」登場人物について】
C:スケッチをしている青年って、緑の塾に来ていた少年?
A:関係ない。
G:ただ年齢が近いから、もしかしたらそう思わせるつもりはあったのかもしれない。近所に住んでたっぽいですし。
B:私は「時の家」を読んで連想した映画が1つあって。『めぐりあう時間たち』(原題:The Hours/2002年、アメリカ)という、3つの時代の女性がそれぞれに生きていく作品。最後に自殺するヴァージニア・ウルフをみんな心の中に思いながら時を過ごしていく。原題の「Hours」も時だから連想したのかな。
「時の家」っていうのは「家の時」じゃなくて、時間というものの家を書いているわけだから、そういう意味でよく練られたタイトルだと思う。
D:最後、後ろから10行目「いずれ基礎も掘り起こされ、解体されてただの更地になってしまうのだろう。そう思ったのはたしか青年で、大きく湿った息を吐いたのは誰だったか」わかるよね、みんな。ぐっとくる。というか途中でも泣いてたし(笑)。詩のところで。
A:詩、すごくいいよね。谷川俊太郎の力を借りているけど(笑)。
D:でも、書いてるときに詩に出会ったってインタビューにあったから。インスピレーションを受けたって言ってる。
H:視点人物、話題になる人が変わっていく。ずるっと変わっていくところが最初ちょっと混乱するけど、あれあれと思っていたらいつの間にか次の話が始まっている。
A:行空きもなく変わったりしてるもんね。
C:青年がスケッチするところに上手に重なっている。
D:P271で青年はようやく鉛筆を置いた。家の物語とリンクしていて、すごくいいと思う。
C:家が語り手だから、それ以上は人間の気持ちは書けない。
A:そう。だからもう、そこは好みだと思う。人間を読みたい人か、そうでない人か。
C:選考委員の平野啓一郎がもっと工夫できなかったのかと書いている。
D:できない(笑)。この作品はこれでいい。
G:圭さんと脩さんの夫婦は薄めでしたね。尺が短い。あまり書くべき部分もないのかもしれないけど。
オムニバスの短編みたいになっていて、やっぱり濃い薄いがあって、真ん中の緑さんが一番濃い。彼女がどちらかというと主人公じゃないだろうか。
住人のいない空っぽの家をスケッチするほどに愛してやまない青年と、この家の主人である緑。そして緑にとって特別な少年も彼らに似ている。緑も家も、性的に思われる対象として描かれている。
B:エロティックですよね。
G:そうくると、圭さんの話はいるのかな、となる。
A:エピソードもありきたりだし薄いですよね。
F:その違和感は私もあった。調べてみると本当に少ないんですよ。
A:私はもうちょっと藪さんの話を読みたかった。藪さんが家を離れなくちゃいけなくなったところとか。この家を思い入れたっぷりに作っているわけだから。
F:亡くなるところがあやふやですよね。
C:でも、作ったものは壊されていく、というところに焦点を当てたいから、敢えてそこを書かなかったってことですかね。
A:壊されるところが書きたかったから。
G:藪さんはこの家を自分の奥さんとして建てているわけですからね、この家こそが、この小説のヒロイン。
A:家が語りすぎていないのがいい。
D:私、何回でも読める。P302「妻の声が聞こえてくるようで」って、すごい。そんなの思ったことないから。自分と全然違うものを感じて面白い。
【「叫び」描写について】
A:「叫び」も、地の文に密度の濃い描写がいっぱいある。作者が読んできたものが表れているというか、本当に純文学している。
B:地の文に骨太なものを感じる。台詞と地の文のギャップがすごく面白い。
A:P372「暗闇は諦観を帯びた親密な空気に満ち、天井の高い所に出て足音が複雑に反響し始めると、音に遅れて足がついてくるような錯覚を覚え」とか。軽いところに、いきなりこういう文章が入ってきて、そこそこ唐突ですよね。早野の視点に作者が混じったな、と思う。早野はこんな言葉選びしないだろ、って(笑)。
B:早野を馬鹿にしすぎ(笑)。
G:私は、早野も自分の韜晦をわかっているんだと思う。決して何も考えずに生きてるわけじゃない。それに蓋をしているからこそ、突拍子もない方向に行くのであって。
A:冒頭。これは先生の影響を受けて、洗脳されている。早野は先生がめちゃくちゃ好き。
作者自身が過去に先生やってて、今は公務員。早野は作者の分身みたいなもの。
G:作者が早野のキャラクターについてどれほど自覚的かはわからないが、こんな感じの、非モテで陰キャでちょっとオタクの男が、自分の空っぽさを埋めるために、右翼的な言説に飛びつくっていうのはすごく今日的だと思う。
A:たぶん頭はいい。しっかり覚えられるし、先生の受け売りも喋れる。でも語り尽くしたら言葉が出なくなる。その辺りもすごく上手く作っている。
D:皆さん、初めから早野が男性だとわかりましたか?
I:P332の下段に「独身男性」って書いてあった。
D:最初、男女どっちかなと思いながら読んでて、「ひかるちゃん」ってあったから混乱した。
A:後輩の向井も男性か女性かはっきりわからない。
【描きたいものについて】
C:言葉じゃないところを感じさせるのが構成の妙なんでしょうね。
A:ラストのアスタリスクの後(エピローグ)が必要かどうかという話について。冒頭が会社での日常だったから、日常(現実)に戻したんだろうな。
やっぱり読者は早野がどうなったか気にするので、日常生活に戻したんだと思う。
D:しおりちゃんは何で帰ってこないの?
A:万博のトイレは混んでいるし、万博の行列も動くから早野の位置もわからなくなる。
D:帰ってこないからなんかあるのかと期待して読んでたので、どういうことよ、って。
出てくる人、全員いい加減じゃない? だから読んでていやになってきた。
G:しおりは確かに深掘りできていない。テーマとか、銅鐸という象徴とかと、もうちょっと緊密に彼女が結びつくべきだと思う。
A:そうしたらあざとくならない? しおりちゃんよくわからないな、くらいで計算して書かれてるんじゃないかな。
C:しおりの父親のエピソードはキャラクターを立てるため?
A:でしょうね。あのエピソードは作品に直接関わっていない。
D:何もしないって言われたから家についていったら襲ってきたわけでしょ。いい加減やん。
A:品行方正な人間しか出てこない小説は面白くない。だから「時の家」は品行方正すぎて面白くない、薄いなと感じる。人間として、ちょっと捻っているほうが面白い。
D:「時の家」は、スケッチみたいにそのものを書くっていうことに集中しているから。建築士として。「時の家」は、本当に人を書いてるわけじゃない。
A:そう。だから好みなんですよ。これはこれで完成度が高い。「時の家」は人を書いてるんじゃなくて、物とか家に対して、人が過ごした時間を書いている。だから思い出を想起させるような刺激があるんだろうと思う。ちょっと普通の小説ではないという感じはした。普遍性があり、誰にでも当てはまるものが書かれている。誰もが家と関わって生きているから。その思い出みたいなものを引き出す力がある。
G:藪さんの作った家は、その美意識によって、家と繋がる人たちの美しい部分を引き出す。――そういう人ってなかなか珍しいんじゃないかな。
A:珍しい。彼らは、藪さんの想いを引き継いだ不動産屋が「藪さんの大事にしてきたものを受け継げるだろう」と選んだ人たち。だから綺麗な人たち。Dさんは選ばれるかもしれない(笑)。
D:猫や犬の描写、素晴らしくないですか? 籐巻の柱を犬が齧るところとか、すごくよかった。
H:籐とか漆喰とかの質感もすごくわかる感じがする。
G:実際、作中の家の図面を書いたってありますね。
自分の家を作って、そのときにいろいろ考えたことがあったんでしょうね。
【作品の感じ方】
D:ボキャブラリーって2種類あるって知ってる? 受動語彙と能動語彙があるの。受動語彙は、聞いて(読んで)意味がわかる語彙。能動語彙は、自分が使える語彙。「時の家」には能動語彙が詰まってて、どんどん短歌ができちゃうの。
A:感性が響き合ったんですね。
H:「時の家」を読んでフラッシュバックみたいにいろいろな場面が出てくるのは私だけかな? 選評では誰も言ってなかったけど。
G:選考委員がそれ言うの恥ずかしいからかな。
A:でもそういう力を持った小説だとは言ってええやん(笑)。
選評で言うと、川上未映子さんは「家は作者が関心の持てないもの、避けているものを、もっと見ているだろう」と書いている。川上未映子さん自身は抉り出すように書く人だから物足りないんでしょうね。
G:それを書いたら、この家はこの家じゃなくなる。藪さんの世界が壊れてしまうから。籐巻の柱は立たない。
D:山田詠美さんも「辿り着くまで長い」って書かれてますね。違うんですよ、ものづくりっていうのは。みんな、物語を追おうとしてしまっている。
A:Dさん、昔「描写大嫌い」って言うとったやん!(笑)。
D:昔のことです(笑)。
H:確かに最初はとっつきにくいけど、だんだん家が主人公なんだと理解できた途端に、最初に戻って、もう一度読みたくなる。
D:私は10回も20回も読みます(笑)。
A:私はもう1回読みたいとは思わないなぁ。
でも「叫び」を読んだから「叫び」のほうがいいと感じたけど、「時の家」しか読んでないときは、さすが芥川賞を受賞する作品だなと思った。
この作者は建築士の技を使わずにどれだけ書けるんだろう。「叫び」の作者はなんでも書けそう。人間を書けるから。
G:「叫び」の作者の写真が早野のイメージに重なる。「時の家」の作者もスケッチしてる青年を思わせる。2人とも、なんてぴったりの小説を書くんだ(笑)。
A:面白い。比べたらいろいろなものが見えてくる。2作あってよかった。
アプローチは正反対なんだけど、根元のモチベーションが似ているからなおさら。
G:青年には藪さん、早野には先生という師匠がいて。対になっていますね。
【小説の「場」について】
J:一つだけ質問。私は阪神・淡路大震災のとき東京にいたので、共鳴するところがないんです。その作品に共感するっていうのは地域性がある。その土地の名前だけを提示して、これが好きって思わせる作品が本当にいいものなのかな。
地方を舞台にするのは難しい。東京と出せばみんな納得してくれるけど、例えば岡山の津山を出したら「ん?」となる。その辺りはどう書いて行けばいいんだろう。
A:ほとんどの人は津山を知らないから、街の名前だけ出してもわからない。だからわかってもらえるように描写に力を入れるしかないんじゃないかな。「叫び」でも茨木のことを詳細に書いてますよね。大阪以外の人は茨木のことを知らないから、これくらいみっちり書かなくちゃいけない。その場所をイメージさせて、読者をそこに連れていくのが小説。難しいけどそれをするしかない。
H:場が立ち上がってこないと共鳴できないですからね。資料として読むのと物語として読むのは違う。資料として読むと距離がある。物語として読むと自分ごととして読むから共鳴できる。そういうのが小説の力じゃないかなと思っている。
だから場面を立ち上げるために、津山のその場所はどういい場所なのかということを書き込まなくてはならないんだと思う。
A:「叫び」を読んだら、万博に行ったことなくてもすごい行列だったことがわかるし、大屋根リングに登ったことがなくてもなんとなくわかるじゃないですか。
G:作品にとって相応しい、場所のディテールの分量がある。ちゃんとそこに相応しいドラマがあって、読んでて面白いってなれば自然と入ってくる。それなしに、いきなりこうこうこうなんです、って説明しても読んでもらえない。
A:小説にとって、どれだけその場である必然性があるか。茨木は銅鐸の産地だからここでなくてはならない。
地名を聞いただけでは場が立ち上がらない人(その場所を知らない人)に読んでもらう前提で書くべき。
D:決まった土地を舞台にした作品を募集する文学賞の選考で、その土地のことを全然知らない人が書いた作品はすぐにわかるんだそう。いきなり有名なお店を出したり、作品に必要なさそうな、その土地ゆかりのものを入れたりしているから、わざとらしいんだって。