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R読書会/Zoom読書会

『年月日』閻連科、谷川毅訳(白水社)

R読書会 2024.03.02
【テキスト】『年月日』閻連科、谷川毅訳(白水社
【参加人数】5名(感想提出1名)
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦者:参加者A>
とても印象に残っていた本。トウモロコシなど身近なものを登場させ、主人公を苦しめている自然を創り上げているのがすごい。この読書会には自分で作品を書いている方が多いので、参考になるのではと思い、推薦させていただいた。
E:いつ頃読まれたんですか?
A:3年くらい前です。大江健三郎が「すごい想像力」と評しているのを知って手に取った。素晴らしかった。
F:著者の作品で最初に読んだのが『年月日』ですか?
A:いいえ。『愉楽』『太陽が死んだ日』も読んでいたし、『丁庄の夢 中国エイズ村奇談』もめちゃくちゃ面白いです。
著者は1958年生まれ。その年、毛沢東大躍進政策が始まったが失敗、4500万人の飢饉による死者が出た。また、1966年から1976年には文化大革命が行われており、激動の時代を生きてきた。中国に住みながら、社会と自分たちを冷静に見つめ、作品として紡いでいる。
『丁庄の夢 中国エイズ村奇談』は農民に血を売らせる売血政策により、村民たちがHIVに感染してしまった村の話。売血を勧めた村長の息子がやり玉に上げられ、それでも仲良く暮らしていこうということになったが、最終的に息子も村長を殴り殺してしまう。悲惨な話だが、『年月日』と同じく読みやすい。中国に暮らす人の生き様を淡々とした目で描いている面白い作家。閻連科が日本を見たら、閻連科独特の物語が生まれるのだろうなと思う。
E:『丁庄の夢』は長いですか?
A:長編小説(単行本で358ページ)だけどドタバタ喜劇のようで読みやすい。
E:『年月日』を読んでよかったので『炸裂志』を買ったら分厚くて……辞書? って感じの本が届いて(笑)。二段組で字も小さくて……読みました?
A:持ってはいます(笑)。あれは特別すごいです。 ※単行本で480ページ
E:獄中にでも入らないと読めない……。あんな恐ろしいのが届くとは。
A:いつか読もうと思ってます(笑)。

<参加者B(欠席)>
[事前提出のレジュメ]
このたびは欠席となり申し訳ございません。『年月日』閻連科についての感想です。
風の音、日照りの焼ける色と音、荒涼と続く渇いた大地の匂い、枯れ草を踏んで歩く音、洪水のようなネズミの大移動、夜を徹したオオカミとの睨み合い、少しずつ少しずつ伸びていくトウモロコシの成長の音、先じいが必死に鍬を入れる音、そして先じいに撫でられて涙する盲犬メナシなどなど、すべてが生命力と深い哀愁に満ち満ちていて、欺瞞や虚飾にまみれ、バベルの塔を支配する欲望に突き動かされているだけのようなロシアのウクライナ侵攻、イスラエルガザ紛争の渦巻く現代を生きる自分たちに、おい、目を覚ませと冷水をぶっかけられたような気がした。
この世で大事なものは何か、この地球の大地で守るべきものは何か。その根源的な問いを突きつけられた思いだ。
先じいは骨と皮になっても闘い続ける。どんなことをしてでも1日でも1時間でも長生きをしてトウモロコシを実らせようとする。この枯れ果てた大地にたった一粒でもいい、命あるトウモロコシの種を残そうとした。そして愛する者のためならば命懸けのイカサマだってする。その壮絶なサバイバル、諦めない闘争心、生への執着心は我欲ではない。たった一本のトウモロコシという命あるものを後世のために繋げようとしている。この世界観にただただ圧倒された。人間というのも地球上の一種の生き物に過ぎないという世界観は『ザリガニの鳴くところ』(ディーリア・オーエンズ著)などにも通じるもので、人類に明日があるとしたら考えなくてはいけないテーマ(人間中心→地球中心)でもあると思う。
また生まれ変わったらオレは獣になる、メナシはオレの子どもに生まれろ、との言葉にも震えた。壮絶な話なのに決して悲壮的ではなく青い空に白い月が掛かっているような希望を感じる。
あとがきによると閻連科という人はこういう雄大自然主義的な作品を書く人ではなく「論争を引き起こす作家」「凶暴な作家」(本人曰く)だという。他の作品も読んでみたいと思った。また閻連科は重度のヘルニアを患い激痛のなかこの作品を執筆したという。たまたま骨折で寝たきりになってしまい、何一つ思うようにならない今のわたしとすれば、この作品の一字一句が突き刺さってきた。特に先じいとメナシとの触れ合いのくだりでは涙が止まらなかった。彼らが魂と魂で会話しているからだ。そこへいくとわたしなんぞはああなんと表面的で薄っぺらい言葉ばかりを消費しているのだろう。恥ずかしくなった。しかしそれにしてもこの時期にこの作品に出会えて良かった。
推薦してくださったAさん、ありがとうございました。またみなさんもどんどん本を推薦してください。

E:じゃあ『炸裂志』をお薦めしますか?(笑)
A:『愉楽』もいいですよ。中国の農民がレーニンの遺体を持って帰る……すごい想像力で描かれた作品です。

<参加者C>
◆ただ生き延びる話ではなく、トウモロコシを守り、次の世代に繋げるために生きるという話なのがよかった。確実に死ぬとわかっていながら希望を守り抜く姿が格好いいと思った。
また、自分が死ぬか盲犬が死ぬかの賭けで、必ず盲犬が生き残るよう細工をしていたのが温かい。ただの優しさではなく、彼になら今まで守ってきたトウモロコシを任せられるという強い信頼を感じられる。信念と信頼、未来への希望が胸に残った。
◆絶えず困難が降りかかってくる話だが、希望(トウモロコシ)と、盲犬への信頼があるので、読むのを辛く感じることはなかった。
◆オオカミのシーンは緊迫感がある状況のはずだが、助かるのだろうなと冷静に読めてしまったのがやや不満。とはいえ、エンタメではなく寓話にそんなことを言うのは野暮かもしれない。作者はこのシーンにしっかり筆を割いているので、何か意味があるのだろうとも思う。
F:オオカミのシーン、長いですよね。

<参加者D>
◆駆け足で読んだので吟味するほど読めていない。
◆著者の他の作品でどうかわからないが比喩がたくさん使われている。自然物を擬人化して命あるもののように例えたり、ネズミの足音を雨音に例えたり、比喩の多用が作品世界に合っていた。
実際、この作品は読んで感動するけれど現実にはありえないじゃないですか。いわゆる小説というより神話や寓話に近しい。太陽の光に重さがある、とか。大地や自然に囲まれていることが比喩の多用で表現されていて面白い。
◆私自身、(比較的田舎でも)都市的市民として生きている。そのような生活をしている人間がこの作品を読んだとき、どう受け取ればいいか戸惑う。
人間が一万年くらいやってきた営みである農業――生命を生み出すためにどれほどの努力が必要かということを突きつけられ、「先じいたちのようには生きられないぞ」「ひ弱だ」と言われたように感じた。
A:閻連科の父は農民。この作品は一週間で書き上げた(きっとゾーンに入ったのだと思う)。父の長い苦しみを物語として吐き出したかったのではないか。
D:現代日本で暮らす私たちの社会背景からは生まれてこない文学だと思った。

<参加者E>
◆中国人だということで偏見の目で本を取ったが、冒頭の書き出し「年月はあぶられ」「数珠つなぎに出てくる太陽」……こんなの読んだことないと思って、その素晴らしさで最後まで読んだ。
◆先じい、メナシ、ネズミ、オオカミ、トウモロコシ……それだけの登場キャラクターでこれだけのものが書けるんだと感動した。ドラマが行き詰まるといろいろなキャラクターが出てきて展開するけど、そうはならず、(作中で)生きている人間は先じいだけ。ページをどんどん繰っていって、一日で後ろのほうまで読んだ。こんなすごい作家がいるんだと驚いた。紹介していただいてよかった。今までいろいろな本を読んだけど、この作品が一番かもしれない。
◆三人称で淡々と書かれている。一人称なら主人公の気持ちが浮き上がってくるけれど日記のようになるから、この作品は絶対に三人称でないといけない。私、この作品を一人称にしてみたんです。そうしたら、三人称でなければこの雰囲気が出ないとわかった。
◆私は家で野菜を作っているが、トウモロコシは一本ではなく、複数本を何列も植える。一本だと受粉が難しいから。そのことを知らない読者も多いと思う。一本のトウモロコシ……すごく少ない希望なんですよ。成長してもほぼほぼ穫れない、確率として低い……(作者はそれを知っていて書いている。閻連科からの果たし状みたいな)。ここにすごく意味がある。最後、先じいは、少ない希望のために自分の体へトウモロコシの根を巻き付ける。
A:そうなのですね。七粒だけというのも少ないんですね。
◆一つ気になるのが、なぜネズミを最後まで食べないのかということ。中国にはネズミ料理がある。どういうことなのか不思議。
C:私も不思議でした。地域によって食文化が違うからですかね?
◆どうしてフランスで推薦図書になったか知りたい。
A:登場人物として「自然」があると思うんです。環境問題に関連してかな?
E:フランスって文法からして哲学的になると思うんですよ。私、『年月日』は哲学書だと感じていて。たとえば地震があって、家が潰れていても「ここを離れない」っていうお年寄りがいますよね。子育て中の母親とかだったら避難するじゃないですか。でも、年を取った人には選択肢がないんです。先じいは、守り抜いたトウモロコシを、みんなが帰ってきてから役立ててほしい。それは無理な話なんです。私は、こうはなりたくない。若い人たちのように移動する。
◆Bさんも犬(メナシ)のことに触れられていたが、私はこんな残酷なこと書けない。野良犬を連れてきて太陽に向けて放置して……そんなにしておいて最期まで一緒に、なんてないと思う。犬に忠誠心を期待しすぎ。
D:それはフィクションだから。
E:私なら書かない。動物愛護団体がクレームをつけるんじゃないかってくらいの残酷さ。
D:本当にこのような儀式があるかはわからないが、似たようなことはあると思う。
E:それはもちろん世界中で生贄の儀式があったはずだけど、愛犬家にこの作品のファンが多いというのが解せない。
D:作者は作品に書いていることすべてを肯定してるわけではないので。おそらく、ひどい目に遭い、目を失いながらも生き延びたメナシについて書きたかったのだと思う。
E:私は作者が犬をどう考えているのかが気になった。
台北のラーメン屋に行ったとき、現地の人が「ラーメンの肉は全部犬ですか」って、店の人に訊いたんです。日本人なら冗談だと思いますよね。
弱肉強食。弱い者は喰われる。だから、オオカミとの対峙を書きたかったのかなと思った。

<参加者F>
◆1ページ目でほんとにガツンときたので、すごいと思った。
オノマトペも独特。私はオノマトペをこんなふうに使っている作品を読んだことがなくて。「日の光はヒリヒリ」、「落ちる音がホトホト」、「心の中でコトリと音を立てた」……オノマトペで作品世界に引きずり込まれていく感じがした。この系統の作品はあまり読んだことがなかったが、とてもよかった。
◆犬(メナシ)のこと。P21「盲犬は先じいの指から手首へと、まるで十里も二十里も距離があるかのようにゆっくりとなめていった」……あるなぁ。犬は本当にこういう感じでなめてくるんです。情景が浮かぶよう。ここで愛情や信頼関係が生まれた。
◆太陽に鞭をふるうところ。極限になると私も先じいと同じことをするかもしれない。作者は自分が寝たきりのときに想像力を働かせて、こういうシーンを書いたんだ……いや、寝たきりだからこそ書けたのか。
◆オオカミの場面が本当に長かったので、私も何か意味があるのかなと思った。私の読みが浅く、読み取れなかったが。
C:筆を割いて、力を入れて書いていますよね。
◆未来がないだけ、絶望感だけではないのがよかった。七粒のトウモロコシ、いいですね。私はトウモロコシを育てた経験がないので、葉が一枚ずつしか出ないことなどは知らなかった。
◆私と著者は年齢が近い。毛沢東が一番力を発揮していた時期、小学生だった。中国で育った著者は私以上に毛沢東の力を感じながら育ったのではないか。
A:文化大革命が終わったのが著者19歳のとき、天安門事件が31歳のとき。著者の背景が気になりますよね。
F:日本とはだいぶ違う国だったはずだから知りたいですね。いい作品を本当にありがとうございます。

<フリートーク
A:自分の体を肥料にするという最後がすごかった。こういうふうにまとめたか、と。
E:作中の大地はどれぐらい暑いのか。人間は体温が42度を超えると脳の機能が衰えてしまう。熱中症で熱が上がると危険。
C:水滴が地面につく前に蒸発するって相当暑いですよね。

【オオカミの場面の解釈】
E:オオカミの場面が長いが、「オオカミは群れるが人間の自分は一人だけ、でも人間だから負けない」ということを書きたかったのでは。
D:オオカミに襲われたら話が終わってしまうので、襲われないのは当然として、それならなぜその場面を書いたのか? というのは読み取りが難しい。
F:オオカミもこの場面のみで、後はもう出てこないですしね。
D:オオカミはそこまで空腹ではない。先じいを眺めるだけの余裕がある。
A:中国の上層部を揶揄しているとか? 農民は命を守るので精一杯だが、上層部は余裕がある。
D:ネズミは農民に近いですね。人間と食べる物も同じ。文化大革命が吹き荒れた中国の民衆を表していると読める。最初、ネズミを食べなかったのは嫌悪感が強かったからかな。オオカミも党の上層部と読めなくもないが、そうすると矮小化されてつまらなくなってしまう。この作品が持っているのは、もっと大きなもの。
F:ネズミは食べないのにたばこは吸うんですね。
C:たばこ、民家に置いてたのかな。
D:在庫があったんでしょうね。昔はたばこが袖の下みたいな感じで流通していたし。

【作者の背景について】
E:日本ってコンビニがあったり、すごく便利ですよね。でも「便利」ってどうなんだろう。私、怪我のせいで運転ができなくてバスや徒歩で生活しているんですが、車で走っていたときとは違うものが見えてきて。著者も、ヘルニアで日常と違う状態に置かれて、大地と対峙する物語が生まれたのではないか。
D:自分自身の生命の危機だから、自らの根源が作品として出てきた。農村的な背景ががっつり書かれているのもそのためでは。現代の日本人だと、こういう作品は書けない。
A:日本人ならではのものになりそうですね。
E:日本とは飢えと孤独のレベルが違うはず。
D:現代の中国の都会はITなども進んでいるが、この作品が書かれた1997年は途上だっただろうし。
E:日本の若者の生き甲斐がないとかいうのは、恵まれた環境でそう感じているだけ。「世界を見ろ」と思う。海外に行かなくても「この作品を読め」って。
D:自分の環境と違うものに触れたとき、電気が走る人と、何だこれとなる人がいる。読み取る想像力が及ばなくて価値に気づかないこともある。
E:若い人の中には「マッチ売りの少女」が理解できない人もいるとか。まずマッチが何かわからなくて、なんでそれを売るの、なぜ死ぬの、と。
二十四の瞳』と聞いて「怪獣映画?」となったり(笑)。
A:2008年のリーマンショックの際、中国では、失業した人たちが、故郷に帰り農業をしようとしてもすでに土地はリゾート開発業者に売られていて、耕す土地もない状態になっていた。
建てたマンションも全部廃墟になっていたり……
E:あれも日本人から見たら訳がわかりませんよね。中国は先払い。払っても建たないことがある。
A:土地を売った農民はお金があるから、お金を貸して利子を貰おうとしたけれど、そのまま逃げられたり……
F:『年月日』は30年ほど前(※1997年)に書かれた作品なんですね。
E:今も中国では貧富の差が激しいけれど、人口が多いから富裕層が9900万人もいる(※2023年7月、中国アウトバウンド観光研究所[COTRI]発表)。閻連科は大学の教授にまでなって成功した。
A:閻連科が日本に住んでいたとしたら、どんな話が書けるんでしょうね。
『父を想う ある中国作家の自省と回想』というエッセイも読んだけど良かったですよ。エッセイは難しいことが書いてあって、小説のほうは面白いです。

【年代によっての捉え方の違い】
E:これから、“推し本”を紹介する冊子を作るのですが『年月日』を推すことにしました。『年月日』はどういう人が読むかな?
C:若い人とかどうですか? フランスでは中高生の推薦図書のようですね。ぐっと若い人が読んだら、私たちとはまた違う感じ方をするはず。多分、年代によって受け取り方が違いますよね。
A:Cさんは如何でしたか?
C:私は先じいの生き方は格好いいと思ったけれど、Eさんはこうなりたくないって仰られていましたね。

【作品の外国語訳について】
D:訳者もすごいですね。日本語訳が上手い。オノマトペの日本語表現は訳者の手柄。原文ではどんな感じなんだろう。
E:フランス語ではどうなんだろう? 読めたらいいんですが。
D:この作品、フランス語に合いそうですよね。
E:閻連科、『炸裂志』だと著者名に「イエン・リエンコー」って振り仮名が振ってあります。
D:日本語読みにするか、中国語読みにするか、議論になりますね。

『小悪魔アザゼル18の物語』アイザック・アシモフ、小梨直訳(新潮文庫)

R読書会 2024.01.20
【テキスト】『小悪魔アザゼル18の物語』

      アイザック・アシモフ小梨直訳(新潮文庫
【参加人数】9名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦者:参加者I>
◆7~8年前、古本として買って読み、妙に琴線に触れた。願いが叶ってみると見込みとは違う、というのが妙に頭に残っている。
◆「願いが叶っても現実は(思い描いていたものとは)違う」というパターンが気に入った。
◆(最近の)賞に入るのは、若い感性で書かれた作品が多く、こういうユーモア作品はあまり評価されない分野だと思うが、感性が鈍った私には若い人のような文章は書けないので、こういうジャンルに自分の可能性を見出そうかと思う。
私もユーモアがある作品を書くことが多いので、今回紹介させていただいた。皆さんの感性には合わないのではないか?
◆作者はロシア生まれでアメリカ育ち。ロシア人でもアメリカ育ちならこういう作品が書けるのかと意外だった。作風からイギリス人かと思っていたので。

<参加者A>
アイザック・アシモフの名前は知っていた。SFの分野ではかなりの重鎮であり、『われはロボット』で、有名なロボット三原則(=ロボットもののSFで使われる約束事)を一番最初に世に出した人。人間とロボットの関係、人間とロボットは同等の存在として扱われるかどうか、などSF的な思考実験の元を作った。読んだことはないのですが。
銀河帝国興亡史』の名称で知られるファウンデーションシリーズは、かなり未来の時代の銀河で文明が衰えたのちに、新たな文明が興るのを歴史として描いている。SF好きなら読んでいないといけないような作品。
◆あのアシモフが、こんなユーモア小説を書いているのか、と意外だった。たとえば遠藤周作もユーモアエッセイを書いているが、中心的な仕事は『沈黙』などの重い小説。だから、今回のテキストだけを読んで「アシモフってこういうのか」と判断するのは違うと思う。
◆軽めの作品として書かれているので、アザゼルは『トムとジェリー』や『ルーニー・テューンズ』のような漫画的な絵柄で思い浮かべたくらい。
◆願いが叶うが落とし穴がある、というのは落語に近い。落語にも死神など超自然の力が出てきたりする。西洋人のSFというジャンルで落語的なものを生み出したのがすごい。
ドラえもん』みたいでもある。道具の使い方を間違えて暴走してしまう……藤子不二雄も初期のSFにだいぶ触れているはずだからセンスの面で繋がっている。
◆SFも幅広い。星新一ショートショート
◆『小悪魔アザゼル18の物語』はオチまでのストーリーの流れがだいたい同じで人物の設定が違うくらい。
◆洞窟学者が出てくる「謎の地響き」。これだけはSF色が強くて面白い。人類を滅ぼす仕掛けが洞窟に残されているが取り出せなくなって……。
あとの作品は、男女がどうこうなって、という話。年のいった男が女性をどうこうしたい、というのは今の時代に読むときつい。80年代に書かれた作品で、読者層も限られているし、こういうジョークでよかったんだと思うが。時代が変わって、自分自身も変わっていると実感した。
C:出てくる女性が全部、目が大きくて、体に弾力があって、頭が空っぽ。
A:男性と同等に扱われていない。
E:どうもミソジニーがありますよね。
B:私は女性蔑視などを感じることなく読んでいたので差別主義者なのかと不安になりました……。

<参加者B>
◆古本で注文したものの届くのが遅くて(4、5日前に届いた)、参加するか迷ったけれど結構さくさく読めた。
◆面白いな、と。さっき仰られた「謎の地響き」もだし、「一夜の歌声」も皮肉が効いていて(全部効いてるんだけど)。「見る人が見れば」「青春時代」も面白い。
◆読みやすいと思ったのは書き方。仮にジョージ(コミックリリーフ)が語ったという体でなければ、そんなに面白くなかったのでは。まともな人の「わたし」(=聞き手・作者の分身)がいて、それを批判する世界を書いている。
私も一人称の独白みたいな小説を書くが、どうしてもその人の世界になってしまい、偏っていると思っても、バランスを取って修正するのが難しい。
作中で指摘する人がいるだけで読む人にとっては読みやすい。アメリカのテレビドラマを観ているみたいな感じ。
あまりこういうタイプの構成の作品を読まなかったのだが、面白い書き方だなと勉強になった。
アザゼルという悪魔は聖書にも登場する。山羊に罪を背負わせて荒野に逃がす。「scape(escape/逃げる)」と「goat」で「scapegoat(スケープゴート、身代わり)」。
C:全部読めた?
B:読めました。

<参加者C>
◆私は読みにくくて。ジョージってどんな人格なの? って思って。途中から「真面目に読んじゃいけないんだ」とわかった。この本は全部アメリカンジョークに基づくものだと気づいてから面白くなった。
アメリカは、大統領に就任したら報道陣がジョークを聞きに来る。大統領は、「大統領になった理由は、家も近くて、給料もいいし……」などと答えたり。それで爆笑。日本じゃそんな冗談を言うことはありえない。
アメリカンジョークとわかってから笑いが止まらなくなった。原文が読めたら面白さが倍増するのではないか。
アメリカ映画は死にそうな場面でもジョークを言う。でも字幕が出ないから日本人はわかっていない。アメリカの本屋にはジョークのコーナーがあって、面白いジョークを言うための本がびっしり並んでいる。文化の違いを感じた。
D:私はアメリカンジョークの作品を読んだのか。良かった(笑)。
◆ジョージが小悪魔に言う願いがちょっとずれていて、違うだろうとツッコミながら読んだ。
◆面白かったのは「時は金なり」。無駄を省いたら書けなくなったオチが面白い。やっぱり全部思い通りに進んだら面白くないだろう。
「見る人が見れば」。妻は夫のために綺麗になりたい、でも夫は妻がそのままでもいいと思っている。今、ルッキズムが問題になっているけれど、女性が綺麗を維持するためにあれこれして夫婦がだめになることは、実際に結構あるなと感じた。
「青春時代」。アドレナリンが分泌されると回避行動をとってしまうから女の子に触れない、というオチで、東野圭吾の『黒笑小説』を思い出した。オチの使い方が似ている。
H:ジョージの体をモデルにしちゃったばかりに……(笑)。
C:二重のオチになっている。
C:日本人にはついていけない皮肉も多い。「青春時代」の勉強に手を出しちゃった……とか。
それに、セコいお金の話が出てくる(笑)。こんなの日本じゃあまりない。
G:物語にリアリティをもたせるためかな。
B:必ず奢ってもらって。
H:日本の作品でこんな人を書いたら、絶対いやがられますよね(笑)。

<参加者D>
[事前のレジュメより]
 他の著書の解説で、星新一が述べていたことを紹介します。アイザック・アシモフ(1920~1992)はアメリカ・ボストン大学医学部の助教授をやるかたわらSFを執筆したそうです。雑学に関する著書が多く、多様な分野で200冊※以上の書籍を出版しました。(※解説が書かれた時点で。最終的にアシモフの著作は500冊に上った。)

《そうだな、と納得してしまった作品》
 18番目の「空想飛行」が面白かった。人間が腕をばたばた動かして空を飛ぶというバカバカしい話だがおかしかった。小悪魔アザゼルが考案した「反重力装置」を胸の部分に吸着させて空を飛ぶというのである。
 バルデュアという男は、飛ぶことを覚えると、観衆が見ているところで飛びたくて仕方なくなる。

《勘違いのおかしさ》
 10作目の「雪の中を」が痛快だった。ジョージは友人のセプティマスの山荘に居候したくて、セプティマスが雪の上を自由に滑られるようにしたいと考える。そこで、またアザゼルにおねだりをする。アザゼルは例によって反重力の法則を応用し、セプティスマの自律神経を細工して体の重さを消して雪を滑るようにする。アザゼルは水の分子の上で体重がゼロになるように細工したのである。
 一方、セプティスマは、ジョージが「H2Oの上を滑る」と言ったので、水上でも体重がゼロになると理解し、湖に飛び込んだのだ。ジョージは「固体の水の上だけで」というつもりでアザゼルに依頼していたのだが……。

《それはお気の毒、と思った作品》
 17番目の「ガラテア」。エルダベリーという女性が好む男性美を表現した彫刻の話。彼女は、この男子像が生きてこの世にいてくれたらと願う。そこで、ジョージおじさんがその願いを叶えようと尽力する。アザゼルの魔法で彫刻に命を吹き込むことができた。ところが、その男子像は、どんな時も柔らかなままだった。エルダベリーには不満だった。「硬くならない男なんて!」

アシモフの「雑学コレクション」に載っている事例は、口頭で紹介します。

[以下、読書会にてDさんの発言]
アシモフは多作な作家。私は『アシモフの雑学コレクション』を先に読んだ。碌なこと書いてないんですが(一同笑)。キリンの血圧が高いとか、ウィリアム・ハリソン大統領は雪の中で就任演説をして肺炎にかかって死んだとか……いろいろ書いてある。
◆今回のテキストは本屋に問い合わせるともう絶版だと言われ、ネットを利用して古本を買った。
◆話を伺って、私がいいなと思った作品は皆さんとずれているなと思った。
◆私がいいなと思ったのは「雪の中を」。3人の勘違いが面白い。他の作品は契約がとんとん進むけれど、この作品は恋愛ものが挟まっており重層的。恋愛が勘違いによって駄目になる。
枚数も一番多い(一番短いのが「一夜の歌声」)。
C:アザゼルを呼び出したのはジョージが別荘で過ごしたいという理由からだけど、日本人だとそういう展開にはなりませんよね。
D:私は勘違いが面白かった。H2Oの上を滑るから水も大丈夫だろうと助けようとした。実際はH2Oの個体の上だけを滑る細工をした。ジョージの勘違いが悲しい結末を生んでしまった。
◆2番目は「空想飛行」。天使だ奇跡だ、いろいろ言われるが、本人は楽しく満足してやっているだけだった。
◆それから「ガラテア」
C:これ、下ネタなんですよね。そうなるだろうなぁと思って読んでました(笑)。
D:アザゼルはハンクを肝心なときに硬くならない男にした。お気の毒に、という感じ(笑)。
C:ジョージは硬いから可哀そうだと思って「柔らかくするんだよ」と念を押した。そこが面白い。
D:「わたし」はジョージを馬鹿にしてるんだよね。でもジョージは自分をすごい人物だと思っていて、そのズレが面白かった。

<参加者E>
◆文学的ではなくてストーリーで読ませる作品もいいなと思った。
◆「型」の力が強い。右上を取ったら絶対勝つ、みたいな。「わたし」とジョージが話し出すところから始まり、必ずオチがある。SFの重鎮だと伺って感心した。鼻歌交じりに書いたんだな、と。
◆私も「謎の地響き」がすごく面白いなと思った。
「空想飛行」は皮肉中の皮肉。無神論者のバルデュアが信仰の中心になっていて面白い。
◆何かを得たら何かを失うということはある。「身長二センチの悪魔」ではバスケットボールのシュートは上手くなるが、他のことができなくなる。物事はただ上手くなればいいというわけではなく、バランスが大事。相手のシュートは阻止しないといけないし……。さすがSFの重鎮、と結末に納得した、
◆作者には、「人類が地球に悪影響を与えている」「コンピューターが人間を蝕むようになる」と警鐘を鳴らす気持ちがあるから、作品に深みが出ているのだと思った。「謎の地響き」P73の人類は滅ぼしたほうがいいというくだりなど。他にも2ヵ所くらいあった気がする。軽い作品だけど底流に思想があるから面白いのではないか。
◆(社会の)女性に対する考え方はずいぶん変わったんだな、と。作品が書かれたときから時間が経って、男女雇用機会均等法や、ミスコンを廃止しようという動きなどもあり、女性の地位は上がってきたが、かつては平等ではなかったんだという驚きがあった。
ジョージの性的対象が若くて弾力のある女性だったり、妻以外の女性にモテたいという男性が出てきたり……今だと問題になる。
C:作者は1929年生まれ。西暦で言うとわかりにくいけれど日本で言うと大正生まれ。(価値観に)納得する。
E:女性自身も問題に気づいていなかった。
C:ブロンド頭は頭がからっぽ、と揶揄うジョークが主流になっていた。
E:映画『プリティ・ウーマン』(1990年、アメリカ)。売春婦の女性が自立していくストーリー。最初、リチャード・ギア演じるエドワードが、ジュリア・ロバーツ演じるヴィヴィアンをお金で買うんです。
I:作品としてはよかった。
E:私も、ヴィヴィアンが綺麗になるのが楽しかったし、エドワードは格好いいし……でも、今の価値観で見ると引っかかる。
C:マリリン・モンローもあほな役ばかりやらされていた。
E:価値観は時代とともに変わる。今は『風と共に去りぬ』も人種差別という観点から一部配信サイトでは配信が停止された。
10年、20年経ったら、今を振り返って「当時は結婚入籍とかしてたんだ」となるかもしれないし、わからないですね。
◆面白かったです。ありがとうございます。

<参加者F>
◆私は中学生のころ星新一の作品に触れていたけれど、当時この作品を読んでいたらわからなかっただろうなと思った。
アシモフは、『われはロボット』を原案にした映画『アイ,ロボット』(2004年、アメリカ)を観て感動した。
あの作品の作者かと思って読んだらアメリカンジョークばかりで最初は読みにくかった。慣れてきたらすらすら読めたんですが。初めのうちは馴染まなかったブラックユーモアがだんだん楽しくなってきた。
昔の作品なので「えっ」というところがたくさんあったけど、アメリカンジョークのような言い方をしているのが面白い。
◆作品の根底に「ロボット三原則」など、きっちりした思想がある。
「理の当然」「見る人が見れば」「主義の問題」が印象に残った。
ユダヤ系ロシア人もアメリカで育てばこうなるんだと思った。

<参加者G>
◆読んでまず、話がしっかり考えて作られていると感心した。読み物としてよかった。
◆ジョージの話を「わたし」が書いているが、実際に考えたのはアシモフ。書き方が面白い。よくこんなに書いて楽しませてくれたな、と。
◆少し前に図書館で借りて読んだのだが「面白い」ということだけが残ったので、笑いを狙って書いたのかなと思った。

<参加者H>
◆ユーモアに溢れていて、全体的に面白かった。
◆ところどころアシモフの創作への姿勢や編集者へのジョーク、批評家への皮肉などが垣間見え、創作する人は興味深く読めると思う。
◆「わたし」と、「わたし」にツッコむジョージのやり取りは、作者の脳内会話のようで楽しかった。
◆言語や特定の民族に多い姓名、舞台になった地域の知識などがあればより楽しめたと思うので少し悔しい。登場人物の名前からはルーツやキャラクター造形の意図がわかるだろうし、実名で出ている店を知っていれば登場人物の生活レベルを予想できるだろうから。
それは他の海外文学でも同じなのだろうけれど、この作品はブラックユーモアやジョークがたくさんあり、基礎知識や文脈の理解が必要なものも結構あったと思う。
◆これを言うのは野暮かもしれないが、やはり昔の作品なので、女性の扱いなどが引っ掛かった。この作品が日本で出版されたのは1996年。そのころの日本のテレビ番組も、今観ると「やばいな」と感じることが多い。私自身も当時は何も感じなかったが、時代が進むと感覚も変わってくる。だがそれは当然のことで、だから昔の作品に触れない、というのは違うと思う。昔があって今があるので。
ただ自分で書くときは、しっかりアップデートさせた感覚で挑まねばと思う。
昔の作品を読むときは、今の感覚よりも、当時の時代背景や作者の立ち位置を加味して考えたほうがいいかもしれない?
◆内容に関して。訳が巧いためかサクサク読めた。読みやすいだけでなく、実は詩的な箇所もちょいちょいあってよかった。
「身長二センチの悪魔」P27「どこまでもつづくちょっとした庭」など。原文はわからないが。
◆個別の作品について簡単にいくつか。

「強い者勝ち」。漫画チックで面白い。女の子が全速力で二ブロックほどタクシーを追いかけてきて……はジョージの軽口だと思っていたら、本当に追いかけてきていたとは(笑)。スケベな男性がひどい目に遭っているのがいいですね。

「謎の地響き」。私はとくに理由がない限り、最後まで順番に読んでいくのだけど、それまでの話と毛色が違って面白かった。こういう感じの不穏なラストって今も多いですが、これが元祖なのかな?
P76「頭の中身の特徴だよ」「全体的におかしい」などのやりとりが面白過ぎる。

「人類を救う男」アシモフの先見性がすごい。今はコンピューターだらけだから、アーミッシュにでもならないと生きていけないのでは(今はアーミッシュでもスマホを持っている人がいるらしいのですが)。コンピューターが暴走したら役立ちそうではあります。
西尾維新の作品に、コンピューターに嫌われていて、地上でコンピューターを触っただけで衛星が自分めがけて突っ込んでくる女の子が登場したのを思い出した。西尾維新も読んでいそう。
F:映画『アイ,ロボット』もロボットが人間に危害を加える話。やはり作者にはコンピューターが人間に害を及ぼすかもしれないという思想がある。

「主義の問題」。私もこの脳になりたい! と思った(笑)。
アザゼルは相変わらず人(悪魔?)がいい……。何気に一番常識的ですし。
ところで上司のゴットリーブやファインバーグってユダヤ系の名前ですよね。やはりこのようなイメージなのか? 他の作品も、民族に対する皮肉やジョークになってそうで、読み取れないのが悔しい。

「酒は諸悪のもと」。女性に対してひどくない? と思った。

「時は金なり」。むだな待ち時間がなくなったら、書き物をしている人だけではなく、誰でも窮屈になるよな、と思う。真理を突いている気がする。
C:でも日本って結構スピーディーなのが当たり前。パリで何かを注文すると、何ヵ月も来ないのが普通。
H:海外ではストとかもよくあるそうですね。

天と地と。女性絡みの話がなくて、ブラックなのがいい。収穫逓減は利益の増加分がだんだん小さくなるので、任期も短くなるのかな。作者の知識が豊富すぎて感心した。

「心のありよう」。ジョージ自身がオチになっているのが面白い。

「青春時代」。ここまで読み進めるとパターンに慣れてきて、P272のアザゼルの説明「恐怖や怒りや情熱を感じたときだけ……」でオチが読めた。でも、性欲はあるのに誰とも触れ合えないのは予想以上に辛そうだった。

「ガラテア」。一番好き(笑)。下ネタやん! って思ったけど、ここまでだといっそ清々しい。芸術家のエルダベリーが飛んでて面白い。

「空想飛行」。P319「空気が大きなゴムバンドになって」……こんな体験をしたことはないけれどリアリティがある気がする。物理の知識が創作に活きていそう。

◆数日で一気読みしたので、私自身がパターンに慣れてしまったのが少し残念だった。1週間に1作みたいな感じで読めば、なお楽しめたかもしれない。ばらばらに掲載されているものって、そういう読み方をされる前提だろうし。今の時代だと、もっと全然違うパターンの話も用意しろと言われるかも?
◆教養に満ちて、でも気楽に読めて、いい読書体験でした。

<フリートーク
【作品の書き方について】
I:これは一話ずつ載せていく作りだったのかな。
A:雑誌に一話ずつ掲載されていたみたいですね。
B:軽いタッチだから読みやすいけど残らない。
E:そのとき楽しむ作品。
D:Iさんの作品は今回のテキストに似ているけど、Iさんの作品のほうが重みがある。
I:うーん、今回のテキストは知識量がすごいですよ。
A:いや、これもはったりです(笑)。
E:アザゼルが不機嫌に出てきて、ね(笑)。
D:アザゼルはどういう世界に住んでるんだろう?
A:経緯にも書いてあるけど、人類の世界より優れた異世界
G:適当だけど、えいやって書く。そういう作品にするのがいいんですかね。書き手の技量じゃなくて、なんて言うか……。
B:適当なこと書いてる?
G:全然間違いではないけど勢いで。
E:いいんじゃないですか。楽しむために書く作品も。
A:これは相当不真面目に書いてるんじゃないかと。
B:単純にジョージが主人公の話ではなく、「わたし」がいるからバランスが取れている。ジョージの話という建前があるから何を書いてもいい。
A:アザゼルなどいなくて、ジョージのほら話かもしれない。
E:あくまで妄想かもしれないと納得しますよね。
A:「謎の地響き」で面白いと思ったのは、どこまでほらなのかわからないジョージに輪をかけた、妄想か真実かわからないことを言う男が出てくるところ。本当だとしたらえらいことなんだけど、どうにもできない。正常と異常の狭間を匂わせながら終わるのが巧い。
C:小説講座の講義で、小説っていうフィクションの中に「これは実話です」って書くのはオッケーって聞いた。そこからもうフィクションになる。
E:面白いものを書こうとするほど真面目じゃないと。

【表紙について】
C:文庫本の表紙絵が不思議だった。
H:思いました! 2cmのはずなのに大きすぎるって(笑)。
C:そう、違和感が。
A:そこを厳密に描くと、絵として成立しないのでは(笑)。

【自分の創作について】
C:自分が女性を書くとき、「綺麗じゃないと」っていうのが刷り込まれていたけれど、なんで綺麗じゃないといけないのか疑問に思って。大正時代の小説に書かれた女性も綺麗だから、そうじゃなきゃ、と思っていた。川端康成も少女や綺麗な女性をヒロインにしてましたよね。
I:綺麗じゃなかったら読者が入ってこないからでは。
D:そうですね。
C:そうなの!?
I:女性もイケメンのほうがいいでしょう?
H:ドラマではイケメンがいいですね。小説は……頭の中でイケメンにするかも……。
I:今は小説内に「綺麗」とそのままでは書けないですよね。
C:「綺麗」は人によって違うから。
E:文章は楽譜でいいんです。読み手によって受け取り方が変わるもの。下手な人が大江健三郎を読んでもわからない。読むという行為は能動的。登場人物の容姿の描写はなくても想像しながら読む。
H:私は美形を思い浮かべる……。
E:そうですか? 僻みっぽいとか、ラーメンが好きとか、陰キャとか、いろいろな造形があるけど。
H:Eさん、キャラ作りが巧そうですね。
E:私は映画とかよく観るから。書くとき、この人物はこの俳優さんだなって思っている。
I:私はキャラクターを作るのが苦手。
E:やっぱりどれだけ書いているかですよね。
I:たとえば柔道の選手は1日6~7時間も練習をするそう。
A:そのことについて努力できるのが一番の才能ですね。

『五千回の生死』宮本輝(新潮文庫)

R読書会 2023.11.11
【テキスト】『五千回の生死』宮本輝新潮文庫
【参加人数】11名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦者:参加者K>
宮本輝というと、映像化されている作品を含め長編が多いが、短編を読みたくて推薦させていただいた。載っているのは古い作品で、宮本輝が30~40代のときに書かれたものだが、読んで「すごい」と感じた。背景が切なくて、ぐっとくる。
全部は読まれてないかもしれないが、皆さんも1つくらいは好きな作品があったのでは。それだけでも感想を伺いたい。

<参加者A>
宮本輝は大好きな作家の一人。読んで「すごい」と思ってしまった。「泥の河」が芥川賞を受賞したあとに編集者が言っていたのだが、作品を七回推敲したそうだ。何度も書き直すのがすごい。練って練って練りまくって磨いている。

「五千回の生死」
◆ライターが一つのアイテム。喉から手が出るほど五万円がほしかった主人公が、ライターを買ってくれるという友人に会えず帰ろうとしていると、訳のわからない坊主頭の男と出会う。男の自転車に乗ったり降りたりしながら走るさまが、短い中にわーっと書かれていて面白かった。
◆坊主頭の男の背景は書かれておらず、生死を繰り返す様子だけが生き生きと描かれている。謎のままにしている=書き過ぎていない。読者の想像に任せている。
私はアマチュアの方の小説を読む機会が多いのだが、みんな書き過ぎていると思う。説明を省いてしまえば余韻が残るような場面でも、こうだった、ああだった、涙が溜まって……みたいに、詳しく書いてしまっており残念だと思うことがよくある。短編の場合はぱっと切って、一番書きたいことは書かないくらいのほうがよい。
◆わざとらしい標準語で始まり、途中から大阪弁に戻ってスピード感が出てくる。方言の使い方が巧い。

「力」
◆私は『五千回の生死』の文庫ではなく、『宮本輝 全短篇』で読んだ。文庫に「力」って載ってますか? 気に入ったものを選ぶなら、私は「力」がいいな、と。
◆注意力散漫の少年が一人で学校へ行く様子を母が隠れて見守り、様子を聞いた父が今まで見せたことのない笑顔で喜んだ。けれどもそれは感傷と陶酔の入り混じった心で創り上げた想像の産物……ここで、はっとした。人間の哀しさ、自分を鼓舞するのは自分しかいないというメッセージ。

全体について
◆少年の視点から物を書くのが上手。少年の目と、大人になった自分の目の二つがあり立体的だ。一人称の語り手の回想として進む「一人称回想形式」は森鴎外の「舞姫」以来の日本文学の系譜だという。
少年の視点と、成長した自分の視点を交えるとこのようになるんだと思った。

<参加者B>
◆私も宮本輝が好きで、でも「五千回の生死」まで読んで、そのあとは読まなくなった。今回読み直して、どうして読まなくなったのかわかった。

「眉墨」
◆主人公が結核になり、母を連れて軽井沢へ療養に行ったが、そこで母に癌が見つかる。母は父のせいで苦労をしてきた。タイトルの「眉墨」というのは、母が布団に正座して描いていた眉墨のこと。過去に自殺未遂をしようとした母の、生きようとする印としての眉墨。

全体について

◆どうして途中からいやになったかというと、苦しいことをどんどん上積みしていくから。「眉墨」もそうだし、「トマトの話」も父が死んで困窮し、劣悪な環境で危険な仕事をしながら、そこで出会った男にトマトを買ってきてあげて、でもトマトは食べられることなく、預かった手紙は落としてアスファルトの下に……不幸が重なって読んでいるとすごく気持ちがいい。でも、あるときぴたっと読まなくなった。
私は太宰治も好きで書簡集まで読んでいたが、ある日突然、読まなくなった。太宰は自分の不幸を掘り下げていき、宮本輝は人の不幸を感じて自分のことにしている。違うが、似ている。
だから私は読めなくなった。長年の謎が解けた。

<参加者C>
◆私は大阪に住んでいたことがあって、いくつかの作品の舞台を知っているので、そういう意味でも楽しく読んだ。電車の路線や距離感などもイメージしやすかった。9編すべて読んで、印象に残った作品の感想を述べる。

「トマトの話」
◆一番印象に残っている。私は、届かなかった言葉、言えなかったこと、というのにすごく心が揺さぶられるので。交差点のアスファルトの下に手紙が埋まっているのも残酷で、でも美しいと思ってしまう。

「力」
◆次に好きなのは「力」。巻末の荒川洋治さんの解説を読みながら「そうそう!」と頷いた。小学校一年生の主人公が定期券入れを振り回して、弁当箱を落とした人を眺めて、別の方向に走り出して……それを見る(様子を聞いた)両親の視線の温かいこと。
冒頭で元気をなくしていた主人公――世界すべてを恨めしく思ってしまう日は誰でもあると思う――の中に、昔の主人公が帰っていればいいと願った。

「復讐」
◆先述の二作品とは違う、ぐっとくるものや希望のない話で印象に残った。終盤のP153まで光岡と津川が主人公に復讐しようとしているのかと思ったが、そうではなく、旧友2人は事情を察していたのだろう。ただ、主人公の心の内だけが違っていた。

「バケツの底」
◆「バケツの底」も好き。主人公の発作はパニック障害だろうか。今は認知度も高まってきたが、この時代はパニック障害についての病識がある人も少なく、精神科に対する偏見もより強かったのでは。その時代に書かれた作品というのもすごい。
◆バケツの底があるからこそ水が入る、ということだろうか。見えないところで支えている人がいるから社会は成り立っている。

<参加者D>
宮本輝の作品を読むのは初めて。

「五千回の生死」
◆「五千回の生死」が一番よかった。
◆この本の前に読んでいた「月の満ち欠け」(佐藤正午著)が生まれ変わりの話で、恋人が月のように何回も生まれ変わる。小学生の女の子が、家にないのにライターのことを知っている。「五千回の生死」と重なった。もしかして佐藤正午は「五千回の生死」を読んで書いたんじゃないかと思った。
佐野洋子100万回生きたねこ」のテーマも同じ。主人公のねこは何回も生きて、人から見ると幸せに見えるのに満足せず、最後の生で白いねこを見つけ幸せに死んでいく。
「五千回の生死」の語り手も(回想の中で)生活に疲れていて、藁をも掴む気持ちでライターを売りにいき、変な男と出会う(=起承転結の転)。最後には汗だらけの男が神々しく見える。男にライターを譲ったんだなと読んだ人はみんなわかる。語り手は大変な生活から抜け出して生きる希望を見出していく。テーマが似ていると感じた。

「力」
◆二番目によかったのが「力」。知らない男にズームしていく、カメラ的な視線、主人公に対する移行描写がよかった。
◆私もアマチュアの方のエッセイを読む機会が多いが、「ふと思い出した」というフレーズがあまりにも多くて。P75「宇宙にぽつねんとたたずませて見つめた」……ふと思い出したんじゃない、文学的な表現が素晴らしい。こんなの書いてくる人いない。
P88「私という人間の中の路地に帰っていったのだろう」……言葉が出なかった。なぜこんな文章が書けるのだろう。

「アルコール兄弟」
◆三番目は「アルコール兄弟」。
◆P128「俺はずっと友だちだったぜ。口をきいてくれなかったのはお前のほうだ」ここですっかり騙されて、団結してやっていくのだと思ったら、ビラを貼っていて。組合と御用組合の騙し合いが面白い。
私のいた会社も御用組合があって、御用組合の幹部は会社のいい役職につく。
◆P122「やまだし」がわからなくて辞書を調べた。P124「おためごかし」、うっすら知っているけど、どういう意味だろうと、これも調べた。知ってても使わないですよね。
A:岡山ではわりと使うかも。
D:あとP126「オルグ」。説明なしに知らない単語が出てくるから、辞書を引く楽しみもあった。

「復讐」
◆描写力がすごくて、どぎつく読むに堪えない。子どもに読ませたくない。性加害のニュースを思い出して、とてもいやな気分になった。

<参加者E>
◆私は文学学校に入ってから宮本輝を薦められることが多かったにも関わらず、食わず嫌いみたいなところがあって、今回初めて手に取った。読書会だから読んだのだが面白くて、薦めてくれた意味がわかった気がする。
◆短編を書くとき、自分でも書き過ぎだなと思うことは確かに多い。
「トマトの話」は、手紙に何が書かれていたのか、男が何者なのか説明されておらず、「眉墨」では母が眉墨を描く理由も明かされていない。
「紫頭巾」は謎だらけで終わっている。「トマトの話」「眉墨」は許せるが、「紫頭巾」はないだろう。しかし謎をいっぱい残しておく書き方は面白い。
「紫頭巾」の、読み手からするとずるいぞと思ってしまう、書かかずに終わる勇気。

「力」
芥川龍之介の「トロッコ」を思い出した。「トロッコ」も少年が家に帰るところで終わっており、社会人の主人公が少年時代を思い出すというところも共通している。

「紫頭巾」
北朝鮮に帰還する話がベース。北朝鮮に帰っていく期間に、当時の人々がどう考えていたのかを小説を通して知ることができた。
また、帰還事業があったという事実は知っていたが日本赤十字社が関与しているとは知らなかったし、日本共産党が事業を進めたことは知っていたけれど右翼が反対していたとは知らなかった。
それら事実は事実として、世の中の人はどう思っていたのかも皮膚感覚でわかる。そういうのも小説の役目だと思った。

<参加者F>
宮本輝は長編「春の夢」を一作だけ読んでいた。
◆短編だから書くことと書かないことの匙加減が巧い。文章を飾り立てているわけではないが内省的で詩的な言葉がたくさんある。

「眉墨」
◆巧い。母は癌になっても感傷に流れるわけでなく、あっけらかんとしていて、だからこそ悲しみが伝わってくる。
眉墨をつける理由は語られていない。誰でも、自分が知らない家族のことってあるよな、と思わせられる。人生ってこうだよな、と。

「トマトの話」
◆「トマトの話」も、人生に付きまとう理不尽の突きつけられ方が胸に迫る。どうにかしてあげようとして余計に悪いほうへ向かわせてしまう。せめて手紙くらい届けてやりたいと思うがアスファルトの下に埋まってしまい、どうしようもなくて打ちのめされる。そういう作品。

「紫頭巾」
掘り出した物は遺品じゃないですか。それを引き受けるんじゃなく埋め戻してしまう。誰かの死を引き受けない覚悟。ある種の潔さ、と言うとちょっと違うが。
E:本当に園子の物なのかはわかってないんですよね。
F:少年の視点からすると本物で、彼は遺品に手を付けないことを決めた。
E:私は猿公の宝物じゃないかなと思う。
F:どうなんでしょうね(笑)。

「アルコール兄弟」
◆酒の上では嘘でやり合っている意識がありながら、どこか本当。翌日には自分の立場に立ち返ってやり合う。どちらも嘘、でもどこか本当。匂わせず、さらっと書いているのが面白い。

「五千回の生死」
◆あと、「五千回の生死」ですよね。誰かわからない奇妙な男の言っていることが面白い。(主人公と同じ立場なら)自分もそう思ったかもしれないと小説から説得されてしまう。生まれて、死んでいるんだと説得されてしまう。
男からは「なんでわからないんだ」と、こともなげに言われてしまうんだけど。わからないですよ。それがわかったら、生きる必要もなくなるのかな、と。
D:P113「俺の頭をそっと撫でよった」、神々しい神様みたいで、そのひと言がすごいと思った。
F:仏教のある日本人なら輪廻が思い浮かぶので、頭を撫でてくるのは仏様なのかな。輪廻はあるというのが真実なのかな。小説のテーマとは関係ないですけど。
でも、その素材をどう受け取っていいかわからない形で出すのがすごい。

「復讐」
◆この短編集の中で、この作品はどうかな……って。津川と光岡がどんな罠を仕掛けていたのか、具体的にわからない。(女子高生を)三人も用意する必要あったのかな。長井に添わす必要があったのかな。
D:長井に抜けさせないためじゃない?
H:あれはおまけですよ。
D:描写がえぐい。気持ち悪くなる。
F:(作品を通して)何を表現したいのか、よくわからない。

<参加者G>
宮本輝の作品はほとんど読んでいるが、読み直すまで思い出せなかった。大阪の貧しい庶民を書いているから大好きだけど覚えていない。
◆やっぱりプロの作品かな、素人が読んでもよくわからないのかな、と思った。
◆主人公の職業がさまざまで、なぜこんなに色々書けるのか不思議。短編でも話題がたくさんある。全部経験したわけではないだろうから、プロの想像力はすごいと感心した。

「五千回の生死」
◆「五千回の生死」は落ちがあってわかりやすい。Aさんが仰っているように読者に投げかけており、何を言おうとしているのかはわからないが。

全体について

◆投げかけられた作品は面白いが、私の中には残らない。私は、感動する作品が残る。
作品は読んでいるけれど、作者の詳しい経歴などは知らない。知っていたら、どっと読めるのだろうか。皆さんの意見を伺って読み直したい。

<参加者H>
[事前のレジュメより]
 この冊子には九作品が載っているが、五作品しか読めなかった。作品の多くは社会の最下層に生きる人々の物語だった。

「五千回の生死」約37枚
 父が遺したダンヒルのライターを処分して生活費に充てようとする極貧の男の話。登場人物の言動が意味不明だった。五千回死にたくなるなんて。

「トマトの話」約48枚
 タイトルから家庭菜園の話かと思った。小野寺というコピーライターが語った、学生時代のアルバイトの話だった。市街地の交差点、車両を通行させながら夜間に舗装するという大変な工事現場の話だった。学生数人で車両へ通行指示をする仕事である。気を抜くと命に関わる。私の心に残ったのは江見という労務者と主人公の交流だった。体調を崩した江見が飯場で寝ており、一通の封書を投函するよう頼まれる。ところが、江見は大量の吐血をして救急搬送され死亡する。封書を預かりポケットに入れていた主人公は、仕事中にその封書を落としてしまった。必死になって探すが封書は見つからなかった。宛名の「川村セツ」とはどんな関係なんだろう。切ない話だった。

「復讐」約35枚
 高校教師による男子生徒への性加害の話である。喫煙などの理由で神坂は三人に体罰を加えた。殴打や技をかける体罰だった。神坂は「朝まで正座しておけ」と命令する。この私立男子校は、品行不良の生徒は退学させるという方針だった。主人公以外の二人は、間もなく退学となった。主人公だけは退学を免れ大学へ進学する。一流企業へ就職した主人公は、不良仲間だった光岡に呼び止められる。彼は高校退学後極道の道へ入り、ヤクザの幹部になっていた。光岡は神坂への復讐を誘うために待ち伏せていたのだ。光岡の口から主人公が性加害を受けていた事実が明かされる。本人が誰にも話したことのない事実だ。ちょうど現在騒がれている性加害の物語を、宮本氏は三十五年前に書いていた。加害の描写は衝撃的だった。

「眉墨」約43枚
 主人公の母親の過酷な人生。胃癌であることを知った母親が自分の死期を悟る。結末はよくある話だった。

「紫頭巾」約35枚
 小六のわるがきたちがどぶのほとりで女の死体を発見する。朝鮮長屋の前だった。在日朝鮮人北朝鮮に帰還する時代の物語だ。

D:「眉墨」、43枚もあるんだ(印象より長い)。
C:「トマトの話」は内容が濃いから48枚以上ある気がしますね。
D:「五千回の生死」も37枚しかないんだ(印象より短い)。

[以下、読書会にてHさんの発言]
「復讐」
◆構成を工夫し、性加害があったことを後から読者に知らせる。主人公はつまらない一流企業で一生を過ごすのかなと思っていたら光岡が現れた。
◆Dさんは性加害の描写が気持ち悪いと仰ったが、私も我慢して読んだ。緻密に書かれている。最初は他の二人のために我慢させられる、(二人が退学してからは)性加害を我慢するという構造。
◆津川と光岡が仕掛けた罠は簡単。警察沙汰になっていいと女子高生に確認しておいて、神坂を騙させて……美人局的な仕掛けですよ。
◆現在、性加害が問題になっているが、宮本輝は30年前にこの視点で書いている。

昆明円通寺街」
◆主人公は、友達の石野が死にそうになっているときに旅行に出かける。雲南省少数民族の生活と、尼崎の生活がそっくり。Dさんも仰られたけど、P220「ふいに、石野の運転するオートバイのうしろに乗り、(中略)素っ飛ばした夜を思い出したのである」……これ、真似しなくちゃ、と。
「復讐」の次に、この作品がいいと思う。

「五千回の生死」
◆わからないのが「五千回の生死」。私は苦手。意味がわからない。私が主人公だったら自転車に乗らない、歩く、となる。なんで私はそういう読み方になるのか、皆さんに伺いたい。

「紫頭巾」
◆1950年代かな、私の出身地にも朝鮮籍の人が多く住む場所があった。帰還する人はトラックに乗って新潟まで向かう。私も友達を見送った。家族と離れて日本に残る人たちと一緒に。まさにそんな場面。
日本国内だけではなく朝鮮の革新的な人たちも帰還運動を推進したが、今ではあの運動は間違っていたという評価になっている。運動するときはよく考えないと。

<参加者I>
◆私も宮本輝は初めて。作品のいいところだけ読ませていただいた。書き始めと締めのところが巧い。作品がどこで始まって、どこで終わっているかを読むので、深く何がどうだったとは言えないが。
昆明円通寺街」がよかった。その前の「紫頭巾」も好き。「力」もよかった。
「復讐」はまったく読まなかった。タイトルからして、いやだったので。
◆『螢川』を買って、読んでよかったから、他にも4冊買った。巧い作者だなと。自分の作品を書くときは宮本輝の本を前に置いておくと上手に書けるんじゃないかと思う(笑)。
◆「泥の河」は読み始めて、あまり好きではないと感じた。
素人好みだけど「螢川」はすごいな、って。全部よくて全部勉強になって、こういうふうに書きたいと思った。
◆古本屋に行ったら宮本輝の本がいっぱいあって。出たとき240円だった『螢川』が今250円で並んでいる(笑)。増刷がすごいですね。

<参加者J>
◆爽やかな青春ものだと思って全部読んだら違った。
◆人の生き死にに関する話や、メランコリックで読んでいると目を背けたくなる話でも、詩のように、現実のえぐみを感じさせないように書かれている(敢えてなのか、自然とそうなっていったのか、あるいは私がそう思ったのか)。
また、父親からの暴力や会社でのパワハラ、学校でのセクハラなどを変に隠そうとしないのがいい。「バケツの底」「アルコール兄弟」が好きだった。

「バケツの底」
◆主人公は体調を崩し(文章から適応障害パニック障害を患っていると思われる)、ケチな会社に転職した。対比で構成されているのかな。

「アルコール兄弟」
◆私的にはスカッとした。自分の予想を裏切る結末が好きなので。
◆組合運動が衰退していく直前の話かな。こういう感じで労働組合をやっていたんだと面白かった。

「復讐」
◆読んでいて辛かった。神坂はもともと主人公に目を付けていて、性加害を加えたいがゆえに退学させなかった、というのもあるかなと思った。そこから主人公の人生が狂っていったのだろうか。独身というのも、性加害の影響があったのかも?
E:私は違う読み方をしていた。主人公は神坂を好きですよ。最後の3行でそれを告白している。
J:私、最後の3行は要らないと思う。
B:最後の3行を入れることで、人間の闇が出ている。
D:P154「ぼくはどれほど弛緩したことか」と、最後の3行で本当にいやになった。
A:それだけ罪深いことなのでは。尊厳を傷つけられるとこうなる。
D:性加害の被害者が、(被害に遭ったとき、加害者に)無視されるのはいやで、むしろ待っていたと語っていた。性被害は40年くらい人に言えない。
A:何をされたかわからないですよね。時間が経てば経つほど傷になる。そういうことを、(この時代)すでに書いていたってすごいですよね。
「性加害が悪い」というふうに持っていくのではなく、こういう状況になったとき人間はどう動くか、を書いているから嫌味がない。どの作品も、ある状況に置かれた登場人物が勝手に動いている。
F:当時は(男性同士では)「性加害」という認識はなかった。いやなことをされたが、だんだん嵌っていったと書きたかったのでは。
D:すごくいやなことをされたら二重人格になる。「清楚で類稀な美貌の、無抵抗な女になっていく」……主人公がされたことに真正面から向き合えなくて、本当に追い詰められているから私は(この作品が)いやだと感じた。

<参加者K(推薦者)>
宮本輝は周りで読んでいる人が多かった。
◆私は「力」が好き。24、25枚の作品でこんなに書けるんだ、と。
昆明円通寺街」これも好きな小説。こんなに書くんだとドキドキした。
「バケツの底」。何でも底がないと成立しない。その底だけを使う。
「五千回の生死」。途中から自転車を漕ぐスピードが上がっていき面白い。落ちが大阪っぽい。説明できないことを書いて、読み手に考えさせる。すごい。
「トマトの話」。思い出話ではなく作品として残っている、作者は経験を通して本当にトマトを食べなくなったんじゃないか、と思わせられる。
D:自分のしたことをチャラにするんじゃなく、地面に埋めて樹木葬みたいにしているイメージ。
最近の宮本輝はどろどろした感じではなく、軽やかな感じで書き続けている。1947年生まれだから76歳くらいか。
D:Kさんは宮本輝の作品で何が一番好きですか?
K:テキストの中では「力」。直近で読んだのは「錦繍」ですね。手紙のやり取りで構成されている、綺麗でクラシックな感じの読みやすい作品。
H:錦繍」は宮本輝の作品で最高傑作と言われているそうですね。

<フリートーク
「トマトの話」
D:あいつ手紙なくすなって思った。尻ポケットに入れたりして。
C:私も思った!(笑) 絶対なくす、って。いい子なんですけどね。
H:川村セツは奥さんか娘か……。
C:恋人かも?
H:いや、恋人はないな。

「眉墨」
H:私はそんなにいい作品だと思えなかった。大抵の場合、親が癌になったら長男や長女が隠すじゃないですか。そういうよくある流れだと感じた。癌になった本人は、自分は気づいていないように振る舞う。私の家でもそうだった。
ところで眉墨っていつつけるの?
C:朝、家を出る前ですね。普通、寝るときには落とす。
D:毎日つけるので眉墨自体は特別なものではないですね。
E:ルーティンですよね。

「五千回の生死」
D:もし主人公が女性だったら話が違ってくる(笑)。
A:すぐ通報しますよね(笑)。
H:素肌にジャンパー……どういうことだろう、って。
D:私が昔京都に住んでいたとき、何度も「死にたいんか」と言いながらついてくる男がいたことを思い出した。

D:主人公は、十日後にライターを売らなきゃって思うんだけど、十日というのが巧い。グダグダ説明しなくても「いろいろあったんだ」と思えるだけの期間。
H:十日間でお金を使ったんでしょうね。
D:当時の大卒の初任給は五万。十万円は今の感覚だと四十万円くらいだから、入ったら嬉しい。電話すると電車代がなくなる……普通に考えたら電話すればいいのに、主人公はパニックになって正常な判断ができなくなっている。
H:(話を聞いている)相手の男、何だこれ。主人公と親しくしているように見えるが、困窮した主人公に対して何もしないのか。
D:お金がある人は貧しい人の暮らしがわからないんです。小説って主人公をいじめるだけいじめるのよね。だからこれはもっといじめるんだな、と。
H:相手が何なのか、私だったら細かく書いてしまう。書かないという判断はどこでするのだろう? この男はなんで聞いているのか……私はそこで読む気がなくなった。
G:それは設定ですよ。主人公を自転車に乗せるために、お金がない話を伏線的に書いたのでは。
F:告白体、会話口調の小説だから話す相手が必要。
H:気にしないで読めばよかったのか(笑)。最初に読む話ではなかったな。
D:これから読めばいいじゃないですか。なんで過去形(笑)。
H:なんで貧しい人たちを書くのかな。そのほうが読まれるのだろうか。
F:西村賢太みたいな。
G:無頼派とかもそうでしたね。
F:太宰治もそうだし、系譜としてあるのでは。

D:女性があまり出てこなくてよかった。(男性作家が女性を書いていると)知らないくせに書くなって思うから(笑)。ほかの作品では書いていると思うけど。
A:短編から9つ選んで、さらにその中から「五千回の生死」を表題にしているのは、気に入っているからでしょうね。

【実体験と創作】
I:いろいろな職業の人が出てきますね。
C:前回のテキスト『狭間の者たちへ』を書いた中西智佐乃さんは求人広告を読み込んでいるそうです。
A:以前取り上げた『田村はまだか』の朝倉かすみさんはスーパーマーケットが舞台の作品を書くときは実際にスーパーでアルバイトをするとか。
D:髪の毛を洗わなかったらどうなるか、実際にやってみた作家もいる。
I:宮本輝の作品では能登なども舞台になっていますね。
A:実際に宮本輝自身が住んでいたことがある。
父親のことは(作品の中で)ちょこちょこ悪く言っているけれど、厳密に言うと書いていない。書かない=父親を殺していない=喪に服していない。父親を許していないのかも。
I:私は北国の小説のほうが好きです。大阪の話は暗いなと思って読んだ。
G:大阪の貧しい人を書いている。赤ん坊の死体が川から流れてくる、とか。実際にあったんでしょうね。
B:私が住んでいるところも湾があるんですが、昔は人間の赤ん坊も流れてきたと、地元のお年寄りから聞きました。
G:昔はどの地域でもそうだったのかもしれないですね。私も、袋に入った犬が流れている横で泳いでいた。

K:ほとんど書いた順番に載っている。やっぱり最初の「トマトの話」と最後の昆明円通寺街」では違いますよね。

『狭間の者たちへ』中西智佐乃(新潮社)

R読書会 2023.09.30
【テキスト】『狭間の者たちへ』中西智佐乃(新潮社)
【参加人数】6名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由:参加者A>
◆今まで推薦したテキストは読んで面白かったから紹介していたが、今回は未読のまま推薦した。友人に「素晴らしいから読んでほしい」と言われた作品。私自身、「どんなかな」と興味を持って読んだ。
◆紹介してくれた友人から「加害者の立場から書いた小説」と聞いていたので、エグいことが書いているだろうなと思いながら読み進めた。
◆(私や友人のように)プロになれなかった人間と、世に出る人間との差はどこにあるのかという興味を持って読んだ。
◆皆さんがどう感じられたのか、伺うのが楽しみ。

 

<参加者B>
◆どちらも男性を主人公として描いている。若い女性が、どうして男性主人公を書くようになったのか知りたい。

「狭間の者たちへ」
◆主人公は40歳くらいで、まさに私の息子と同い年。おむつを換えたくないとか、そんな昭和世代のような男性がまだいるのかなと思った。(作品の舞台は)現代なんですよね。
A:うんちは換えないという人、いるみたいですよ。
B:主人公の年齢が息子と同じなので重ねてしまう。そんなこと考えてるのかな。
◆「彼女」の後ろに立つ心情がわからない。今日の読書会に男性は来られていないけれど、男性に訊いてみたかった。
◆健二や作業服の男の存在の意味について考えながら読んだ。
◆暗くて救いがない。この小説のどこに救いを求めたらいいのか。全体的に読みやすいから読み進められたが、救いがないので辛かった。
◆大阪だからマクドナルドは「マック」じゃなくて「マクド」。そのあたりもこだわって書かれている。

「尾を喰う蛇」
◆尾を喰う蛇も救いがない。主人公は35歳。今の若い人って、こんな感じで暮らしているのかと思った。
◆P184の蛇のエピソードが印象的。
◆「第51回 新潮新人賞」受賞作なんですね。作品の世界に引きずり込むという意味ではすごい。

 

<参加者C>
◆70歳になって本を買わないようにしたので、図書館にリクエストして入れてもらった。8月に届いたので早めに読んで、忘れないように感想を書きだしておいた。
◆タイトルが『狭間の者たちへ』なので社会の闇を抉る社会派小説かと思ったらそうでもない。主人公たちは何の狭間にいるのだろうと考えた。“自分の意識と社会の意識のズレ”、“妄想と実行の間で揺れ動く”、その狭間だろうか。

「狭間の者たちへ」
◆先ほど、女性が男性を描くのはなぜかと仰ったが、女性でないと気づかない男性の加害描写がぶっちぎりに巧い。男性では、このいやらしい不快な感じは書けないと思った。
◆“触らない痴漢”に遭った経験が私にもある。後ろに男がいて、触らないけれど匂いを嗅いでいる。周りも気づいているけれど、嗅ぐだけだから誰も何もできない。あの不快感を思い出した。こういうの、男性にはわからないと思う。
◆主人公は、あーちゃんの匂いや背中の硬さの記憶を引きずりながら結婚した。実生活でなく妄想の中を生きていく書き方が巧い。
◆P7「電車が閉まった」で始まり、P103「電車が動き始めた」で終わるのが巧み。狭い空間で始まり、終わる。そこに中身が入っているのが巧い。
◆作業服の男の意味について。作業服の男がいないとストーリーが進まない。主人公と「彼女」と電車だけだと話が展開しないから、意味深な、悪魔的な人物が必要だったのだと思う。
◆例えばシングルマザーは本当に社会の狭間にいる(食べ物がない、子どもの誕生日を祝えない、など)。この人たち(「尾を喰う蛇」の主人公も含めて)は他に選択肢があるにも関わらず、ここにいるのが本当に気持ち悪い。

「尾を喰う蛇」
◆主人公がなぜ介護福祉士になったのかわからない。福祉関係は合う合わないが大きい職業なのに。そんな疑問を持って、人参をぶら下げられたロバみたいに読み進めていけたので、これはこれでありなのかな。
◆この主人公も35歳で他の道があるのに、なぜここにいなくてはならないのか。
狭間といっても迷子の人だな、と思った。今どきこんな人がいるのだろうか。詐欺に手を染める人もいるのに、こんなのんびりした人たちがいる? 正直な感想、あんたらお気軽でいいわね、と感じた。

 

<参加者D>
◆初めての出版でこれだけのものを書かれたのがすごい。よく推敲されている。

「狭間の者たちへ」
◆私も電車の中でこれに近い目に遭ったことがあるので、最初のほうは読めなかった。なので「尾を喰う蛇」を中心に読ませていただいた。
◆電車の中の痴漢行為。みんな、少しずつおかしくなっている。私も、一人暮らしの家で夜中に「わーっ」と叫びそうになる。叫ばないんだけど(笑)。経済的に恵まれて、友達もいる。なんで叫びたくなるんだろう?
痴漢が見つかったら犯罪ですよね。人間が知性を失っているのかな。私が男性なら電車の中でそうするかもしれない。体が密着していたら触りたくなるかもしれない。

「尾を喰う蛇」
◆介護の経験がある方でないと書けない気がした。すごく丁寧に、見ているだけではわからないところまで書かれている。物語性というより、感じたことを記録してまとめられたのかと思うほど記録的に書かれていると思った。
A:お風呂の入れ方とかリアルですよね。
D:介護士さんでこういう小説を書く方を知っている。女性利用者が大便に失敗すると、男性介護士が膣に指を入れて掻き出したり。だから私は施設に入りたくないと思って。
C:そういうときは家族の同意を得るんじゃないですかね。今、女性介護士がいないんですが、って。うちの母だったら怒ると思う。
◆89と興毅を中心に据え、引っ張っていかれて最後まで読めた。私は介護される立場で読んだので、興毅に迷惑をかけるんだなと思った。
◆興毅は若いのに実家に4万円も仕送りしている。私は息子に生前贈与として仕送りしているのに(笑)。
◆89は戦争経験者で、言葉にできないが、本当に残酷な現実を見ているのだと思う
私の前夫は憲兵として満州にいて、人をずらっと並べて頭を落としていく現場を見ている。人間って言いたいことはいっぱいあるけれど、一番言いたいことは言えないもの。人に言えないことをたくさん抱えて、墓場まで秘めていく。
◆みんな問題を抱えながら生きて大変だなと思った。私は高齢者なので患者の立場で読んで、また介護士の立場でも読んで……すべて自分に関わるものとして読んだ。

 

<参加者E>
「狭間の者たちへ」
◆なんとなくだけど、実体感がない、ふわふわした小説だと思った。どこかで見たことのある設定。X(旧Twitter)の4コマ漫画みたいなのを連作して、小説にしたみたいな印象。
◆主人公はノルマを課せられて鬱状態になっているのかなと思った。主人公の妻も産後鬱から暴力を振るうようになり、主人公も性衝動を抑えられなくなったのだろうか。
◆主人公は、あーちゃんが大好きで結婚したかったんだろうな。その人以外とは結婚したくなかったのに世間に宛がわれた。自分がそうしたいということとは別に、人生が流れていく。
主人公は、あーちゃんと結婚して子どもができていたらおむつを換えていたのでは。
◆作業服の男が登場したとき、ご都合主義だなと思った。作業服の男は、自分がこうできたらいいのにということを先取りして与えてくれる。一つの解釈として、作業服の男は実在しておらず、すべて主人公がやっているのでは。主人公はラストで捕まっているが、匂いを嗅ぐだけでは捕まらないだろうし。本当は(嗅ぐ以外に)何かしていたのでは。
A:そっか。作業服の男の存在っておかしいよね。
E:先取りしてやってくれてるの、おかしいなぁ、って。
C:作業服の男はサタン、悪霊の役割。してはいけないことをしようと誘惑してくる。小説として巧い。
◆皆さん、救いがないと仰られたが、主人公にとっては捕まったのが救いでは。家庭からも会社からも痴漢行為からも逃れられて、やっと自分がしたことに向き合える。
D:実際の猥褻事件で捕まった人も、よく捕まえてくれたと思っているのでは。大きなものを失うかもしれないけれど……。

「尾を喰う蛇」
◆こちらのほうが地に足がついた小説だと思った。
A:流れるようで、設定に無理がないですよね。
◆なんで「狭間の者たちへ」のほうを(単行本の)表題にしたのか不思議。「尾を喰う蛇」を表題にして、「狭間の者たちへ」を前座にしたほうがよかったのでは。
A:狭間って、何の狭間だと思いました?
E:社会の狭間かな、と。
A:どちらの主人公も自己肯定感が低いですよね。表題としては、二作とも併せて『狭間の者たちへ』ではないかと。
E:二作とも似てますよね。続きかと思いました。
◆尾を喰う蛇=メビウスの輪だろうか。
興毅、89、同室の北口さん、三人が輪になって、お互いの尻尾を食べ合って身動きが取れなくなっているのかな、と想像した。
◆興毅にしてみれば、
・自分は頼み込んで専門学校へ行かせてもらい、介護の資格を取った。妹は頼み込んでもいないのに美容師の専門学校へ行った。また、自分は毎月仕送りしていて、外食さえ贅沢だと感じている。(=妹より冷遇されていると思っている)
・89が興毅の言うことを聞くようになり、みんなに一目置かれ優越感を覚える。調子に乗って威圧的な態度を取るようになって避けられ始め、でもどうして避けられているのかわからない。
・元カノの京子が専業主婦になりたかったというのも興毅の思い込み。
◆病院の人たちは89が認知症になったのは主人公のせいだと思っている。でも、(興毅がいないときに)同室の北口さんが戦争の話をして、精神のバランスを崩したのかもしれない。興毅視点なのでわからない。

 

<参加者F>
◆今日、男性が出席されていないのが残念。男性の意見を聞いてみたかった。

「狭間の者たちへ」
◆普通に生活していると、痴漢の気持ちなんか知るかと思うが、痴漢も一人ひとりにそれぞれの人生が当たり前だけどある。「彼女」の立場で考えると、とても気持ち悪いだろうし、ストレスの捌け口にされる側の気持ちを無視した痴漢の人生など当然知ったことではない。ただ、人は誰しも視野狭窄に陥ってしまうことがあるものだし、やるせなさを感じた。
私も高校生のときに本屋でサラリーマンに痴漢をされたが、あのおじさんも何か大変なストレスを抱えていたのだろうか。想像すると可哀そうになった。私が「彼女」だったら、主人公が匂いを嗅ぐくらいなら見逃してもいいかと、ほんの少しだけ思ってしまった。
◆最近は女性目線の作品を多く目にする機会がある。そういうものを通して、痴漢被害は重大なもので、痴漢はれっきとした性犯罪だという認知も進んできたと思う。
しかし、痴漢に至るまでの心理をここまで掘り下げたものは初めて読んだ。
これは「狭間の者たちへ」「尾を喰う蛇」共通の感想になるが、労働、家庭の運営、育児……認知の歪みの裏に、社会システムそのものの歪みを見たような気がした。

「尾を喰う蛇」
◆尾を喰う蛇といえばウロボロス(=死と再生、不老不死の象徴)なので、この作品は希望のある終わり方をするのではと考えていたが、そうではなく、自分の抱える闇が自分自身を飲み込んでしまうことの象徴だったのかと思った。
◆作者は介護経験があるのかもという意見について。私は逆に、未経験だけど調べたり、しっかり取材をして書かれたのかなと感じた。すごく丁寧に、わかりやすく書かれているので。何かの仕事や作業についての文章をその経験者が書くと、当たり前の手順などは省いてしまったりするから、わかりにくかったりする。

◆どちらの作品も(悪い意味でなく)解決しないまま終わった。解決する問題ではないからだろう。
A:(作者は)息苦しくないんでしょうか。書くとき。
F:息苦しいかもしれないですね。読んでるほうも苦しい。

 

<フリートーク
「狭間の者たちへ」
C:主人公は「彼女」が嫌がっていないと思っている。
E:設定が変ですよね。いつも同じ場所にいる。変な人がいたら別の車両に変わるし、次は時間も変える。なんでそういう設定にしたのかわからない。
「彼女」は嫌がっていない、求めている、歓迎しているとしたいのかな。でも絶対他の車両に行きますよね。
A:約1年ですもんね。不自然。
C:妻が二人目の子どもがほしいと言い出すのもリアリティがないと感じた。育児がしんどいのに二人目を迫るのはありえない。設定が甘い。
E:女として見てほしい、とかですかね? その辺があまり定まらないというか、ふわふわしている。

 

C:主人公(加害者)の外見の描写がないんですね。だから想像できる。
A:唯一、癖毛だと書かれている。独特のところを描写している。普通なら中肉中背、とか書いてしまうところだけど巧い。
C:主人公が結婚した相手は、向こうからガンガン来る人。主人公は自分で人生を切り拓いていない。武器を持っていないのよ、この男は。読み終わって腹が立ってきた。そんな息子がいたらすごくいやだと思う。耐えられない。
D:私は息子とは住めないですね。本当の息子であっても。
C:うちは帰ってきた。面白いですよ、私も息子も心配症で(笑)。二人とも猫が好きだから、猫を中心に生活してる。
D:家、広いんでしょう。
C:広い。一階と二階に分かれて住んでる。
A:距離感って大事ですよね。二人暮らしの親子の家の火事や心中が多い。貧困が原因。
D:私自身は辛い思いをせずに人生を歩んできたけど、私のヘルパーさんは3人の子どもを連れて離婚されていて。大変そうで……。
C:私は老後を娘や息子に見てもらおうとは1ミリも考えていないですね。


「尾を喰う蛇」
C:戦争の残虐な話を知った主人公が画像を探して深みにはまっていく。そのストーリー展開が巧い。パンチがきいている。読んでいると、私たちもどんどん闇の中を歩かされていく。
D:皆さんが仰ったように尾を喰う蛇、その表現が巧い。
E:身動きが取れない感じがよく出ている。

 

C:北口さんはいきなり認知症が始まったのかな。
E:もともと、まだらボケだったとか? 興毅たちが見ているときだけまともだったのが表に出ただけで。
少女のような老女は不倫したのにお金持ちになっていて、主人公は不公平だと感じている。女性は自由で、男性は狭い空間に繋がれて飛躍できない。
C:介護の現場って、女性の利用者は和やかな方が多いけど、男性は横柄な人もいて。介護士さんに対して「馬鹿たれ」という男性に、根気よく「僕は馬鹿じゃないんです」と言い聞かせててすごいな、と思った。
D:最後には思っていることが出るんですよ。みんな堪えてる。
C:そうですか? 私は人のこと、馬鹿たれとは思わない。
D:思ってなくても出るのよ。大人しい人もいるんだけど。私もこの辺に滾ってるものがある(笑)。
C:家で叫んでください、一人暮らしなんだから!(笑)
D:叫びませんよ(笑)。私も死んだ夫にいろいろ言いたいことがあった。女性のほうが我慢している。

 

C:福祉関係の仕事は知らなかったから調べたんだけど、介護福祉士の年収は230万~400万円。年収が一番高いのは社会福祉士、それからケアマネジャー。主人公は介護福祉士ですね。
B:少し違うかもしれないけど……韓国からワーキングホリデーで来日して、障がい者福祉の仕事に就いている方がいて、実家から仕送りしてもらっているそう。韓国のほうが給料が高いから。
男性だから重宝されているみたいです。高齢者介護と障がい者介護の違いはあるけれど、現場は大変なことになっている。
C:待遇が悪いから。私が家族を預けている施設の優秀な介護士の男性は「子どもができるから辞めるんです」と言っていた。普通、逆ですよね。どれだけ安い給料なのか。

 

【「狭間」とは? そして、それぞれの「狭間」】
A:狭間って、何の狭間だと思いましたか?
E:社会の狭間かな。
C:社会の狭間ではない。どちらの主人公もまだ若く、選択肢がある。たらたら生きやがって、というのが私の感想。
E:彼らは、意識の中で逃げられないと思っていて、自分が社会の狭間にいると思っている話かな。

 

C:社会の狭間にいるって思ったことありますか?
F:ありますね。岡山って、みんな結婚早いんです。田舎で独身だと風当りが強いですね。大阪の友達は30代でまだ独身の子が多いんですけど。
あと、派遣で働いていたとき。「派遣さん」って呼ばれ方も好きじゃないです。
A:狭間感、私もあります。自分自身のこととなると、すぱっと生きれない。Cさんの子どもだったら怒られそう(笑)。私も叫ぶんです、寝言で。「いい加減にしてよー!」って。誰にってわけでもなく。
C:ジョージ・オーウェル『1984』にあった「寝言が一番危ない」みたいな(笑)。
F:私も溜め込むタイプなので認知症になったりしたらすごく性格悪くなりそう……。
C:私はなんでもすぐ言っちゃう。この間も、駐車場が満車表示になってたんだけど、空いてるところがあったから入口を開けてもらった。
岡山の人はあまり本音を言わないですね。岡山に仕事で来てた人が、岡山で仕事できない、って言ってた。私は東京の下町出身なんだけど、よく言い過ぎだって止められる。だから岡山に来たときどうしようかと思って。
F:会社の、関西から赴任してきた人たちも言ってますね。岡山の人の「考えときます」「検討します」は断り文句だって。実際、やんわり断ってるんだと思う。関西の人も婉曲に言うイメージあったけど、関西人以上なのか(笑)。
A:本音、私は家族には言いませんね。こういう場のほうが言える。家族は、私が気を遣っているとは思っていないはず。フランクに言っても家族関係は変わらないだろうけど、それでも罅が入るんじゃないかと心配してしまう。怖がりなんですよね。

 

C:狭間感が全然ない人っていないんだろうな、そしてそれはみんな違うんだろうなって。今日、みんなに訊きたかったんです。
私、息子と仲がよくて、一緒に服とか見にお店へ行ったりすると、「まさかそれ買おうと思ってないよね、年相応のもの選んで」って言われるの。50歳の服ってわからない。年代でお店分けてほしい(笑)。でも、何着たっていいじゃない?
私、いつから70歳なんだろう。服装とか喋り方とか、意識がついてこない。
D:私もあと二ヵ月で88歳だけど、隣近所の88歳と全然違うんです。着続けてたら似合ってくるんだって。90になっても。88でやめようってなったら、そこで止まる。

C:Eさんは何か狭間感、ありますか?
E:私は子どもが今、中学生なんですが、生まれたときから反抗期みたいで。育児に関してはまだ狭間じゃないかな。
どちらかというと私はお気楽なほうで。あとは……好きなものに対しての共感が誰からも得られないことですかね。着物が好きなんです。

 

C:Bさんは狭間感ありますか?
B:私は、介護に駆り出され、子守に駆り出され、その狭間にいるという感じです。両親・姑、90歳以上の家族を3人抱えていて。自分の時間を作りたいんですが。
私は、上の世代と下の世代の狭間にいる。
A:それはまさに狭間ですね。
B:もうすぐ自分が介護される側になりそうだけど、そういうときに頼れない。娘って、親に対してキツいものでしょう。私自身、娘の立場だとキツく接してしまう。
C:民法第877条「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」……今の人、そういう意識ある? 私たちは親を見てきたから、当たり前だったんだけど。
A:私たちの世代が親の面倒を見る最後の世代で、見てもらえない最初の世代。
D:楢山節考』のおりんさんじゃないけど、ああいうの(楢山まいり:人減らしのための姥捨)あったら実行すると思う。苦しみの中で毎日生きるよりはいい。私は自死が認められたら実行すると思う。
C:日本もスイスみたいに安楽死を認めればいいんですよ。アメリカでも州によって、ヨーロッパでも国によって認められている。
D:ちょっと長生きし過ぎた。人間が。
C:人生100年時代だから、Dさんはまだまだじゃないですか!

『1984』ジョージ・オーウェル、田内志文訳(角川文庫)

R読書会 2023.08.05
【テキスト】『1984ジョージ・オーウェル、田内志文訳(角川文庫)
【参加人数】9名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦者(参加者H)>
◆近頃、R読書会で『1984』の名前が出て(『絶縁』収録のディストピア的世界を描いた「無」「ポジティブレンガ」に関連して)、読んでみたいと思い推薦した。
また今回、Aさんが遠方から来ていただけるとのことで、読みごたえのある本がいいかなと思ったので。
◆今の社会に合う作品、というと残念な意味になるが、現在の日本を含めた世界がよくない方向に向かっている気がするので、そういう視点でも得るものがあるのでは。皆さんの意見を伺ってみたい。

<参加者A>
◆細かいところは参加させてもらいながら話し合いたい。まずは、とりとめのないところで。
◆海外小説でSFということもあり、硬い部分もあって読みにくかったが、ディストピア小説に触れた経験が少ないので興味深く読んだ。
◆人が作った社会的な話は、違う時代の世界や社会にも引っかかる。今の世界を見直すという観点で、心に引っかかる部分があって考えさせられた。作者は全体主義がいかに怖いかを描きたかった。そういう意味ではすごい勢いで書かれている。
◆ストーリーで気になったところ。三部に分かれており、第二部ではジュリアが出てきて恋愛小説みたいになって……ユートピアじゃん! 真冬に炬燵でアイスを食べてるように、暗いところで幸せ、みたいな。あんまり好きじゃなかった(笑)。
◆すごいと思ったのは心理描写。教育やテレスクリーンという機械などを使って心理的なことを強制していく。主人公は現代的な感覚を持った普通の人。そういう人が洗脳され、取り込まれていく怖さを見事に描いているのが、ディストピア小説の代表作と言われる所以なんだなと思った。
◆一番心に残ったのは三部の最後、ウィンストンはネズミに鼻を食いちぎられそうになり、自分がこれまで裏切らなかったジュリアを衝動的に裏切ってしまう。暴行に暴行を重ねられて……全体主義の怖さが詰まった部分だった。

<参加者B>
◆いろいろな要素があるからひと言では言いにくい。一般的に言われているより、ずっと難しい小説。「現代に通じる」とか、「未来を予見した」とか、それだけではない。
◆作者は共産主義にはシンパシーを感じており、全体主義まで達したところに反発しているというアンビバレントな感情が窺える。
◆ビッグ・ブラザーの二重思考も、党を打倒するために地下活動をしているゴールドスタインの著書も、外部から見ている読者からすると区別がつかない。
主人公は、自分を尋問する恐ろしい人物に憧れと親愛を持ち続けており、ある種、倒錯的なものを感じる。
◆ウィンストン、ジュリア、オブライエン、ほとんどこの三人でのドラマ。後半は拷問を介したウィンストンとオブライエンの対決。
◆結局、最後は廃人のようになって〈栗の木カフェ〉にいながらビッグ・ブラザーを愛するようになった皮肉さ。この帰結をどう受け取ればいいのか。一般的にいろいろ言われているようには受け取れない。

<参加者C>
[事前のレジュメより]
第二部(P343)まで主人公ウィンストンの日常が描かれる。
 ・彼は革命党の党員。政府機関で働き、出版にたずさわっている。
時代は一九八四年。舞台は資本主義体制が崩壊し、革命党の独裁体制下にあるロンドン。
衝撃を受けたもの
 ◇「テレスクリーン」
  巨大なスマホのようなものだろうか。受信と発信が同時にできるすぐれもの。
  各戸に配置され、国民に一方的に情報を流し、扇動する武器になっている。
  「オンライン」がさらに進化したものだろう。
 ◇「二分間ヘイト」
  テレスクリーンの前にいた者はしっかり視聴するよう命じられている。
  これに参加した者が熱狂的に同調するよう巧みに編集された映像が流される。
 ◇「表情罪」
   監視者あるいはテレスクリーンが「ふさわしくない表情」とみなせば罰せられる。
第三部
 ・ジュリアと逢い引きしているときに主人公は逮捕される。
  罪状は「真実省」の指示通りに仕事をしなかったこと。些細なことだ。
 ・尋問と拷問をするのは残忍なオブライエンという男。
  尋問と懲罰の目的は、囚人の思想を変容させるため。
  「殺してしまう前に我々の一員にすること」
 ・囚人の「人格再統合には、三つの段階がある」という。学習、理解、そして受容である。
  最終的には処刑するのだが、内心から党に服従するまで懲罰が続けられる。
  拷問の苛烈さは、遠藤周作氏の『沈黙』よりもすごかった。
 ・この作品が発行されたのは一九四九年(七四年前)なのに、作品の世界と現代の世界がそっくりなのだ。これにはびっくり。

[以下、読書会にてCさんの発言]
◆最初は一部、次に二部……と読み進めた。今回は飛び飛び読むことはしなかった。300ページほどはウィンストンの日常。全体主義によって支配されている世界。つまんないな、退屈だなと言いながら読んだ。P199、ロケット弾が飛んできて、漆喰に覆われるところから面白く感じた。
◆衝撃を受けたのはテレスクリーン。巨大なスマホみたいなものかな。権力者は人民を監視するなど、非常に上手に使っている。貧民の自宅にはないが街角にはあるのだろう。
◆二分間ヘイト。これは恐ろしい。教員時代の同僚にこの手を使う人がいた(わざと不安にさせ、子どもを思い通りに動かす)。作中では、非常に工夫して国民を操り、同調していない者を炙り出している。
◆表情罪。疑うような顔などは、不適切な表情として罰せられる。
遠藤周作『沈黙』ではクリスチャンが棄教を目的とした拷問を受けるが、その拷問と、この作品の懲罰は違う。信じているものを棄てるだけでなく、党の考えを受け入れ、尊敬するところまで変えなくてはならない。
私は、オブライエンが出てくると固まった。人間の尊厳をぐちゃぐちゃにする――心理をコントロールして自白させ、処刑されてもいいと思わせる。自白させるだけではなく、すべて思い通りになってから殺すという恐ろしい懲罰。
◆74年前に発行された本なのにオンラインのようなことを描いており、よく考えたなと思う。小説は絵空事を真実だと思わせるものだとすれば、作者は成功している。

<参加者D>
◆小説という形を取っているが、作者が「これを言わなければ死ねない」と思って書いたもので、作者の考えが前面に出ていると感じた。
◆敗北感のある終わり方だった。大きな体制が人間を支配する方法はさまざまだが、作者は、過去を消すとか文章を変える、言葉を無くす、そういう方法での支配が恐ろしいやり方だと思って書いたのでは。
◆(書かれた当時の)社会が今とは違う。ソ連も中国の共産主義も、イギリスやアメリカから見ると「理解できない」「支配できるのか」など、いろいろ考えたのだろう。
◆ゴールドスタインの本の引用がゴシック体で書かれている。その部分こそ作者が書きたかったことでは。正しいと思って書いたがオブライエンに論破され、もどかしい。

<参加者E>
◆作品として単純に面白い。長かったが映画を観ているような気分で読んだ。
◆訳者あとがきにもあるがアイディアの素晴らしさ。思想警察、二重思考、二分間ヘイトなど、全部現代にも生きていて面白い。
全体主義、過去を改竄する政府、歴史を塗り替えていく……恐ろしい。卑近な例だと、書類をシュレッダーにかけたり黒塗りにしたり、姑息だが大きく言うと歴史を改竄している。日本は全体主義ではないけれど韓国や中国でのことに関しては歴史に目を瞑っている。どの国もそうかもしれないが、ご都合主義の恐ろしさ。私たちは監視しなければならないが監視されている。
B:実際の状況は『1984』より進んでいる。政府に監視者がいるのではなく、市民が(自発的に)監視し始めている。訳者あとがきにもあるが、自分が気に入った情報を集めて、気に入った世界を集めて、違うコミュニティへ攻撃をかける。国が強制しなくても、好きでやっている。無意識的に。この作品ではプロレは生きる実感を持っており権力に騙されてはいないが、現代の現実ではプロレが権力ごっこをしている。作品の中より悪い。
実際、現代日本において権力の監視は強くない。思想犯はない。少なくとも表向きは。思想が権力と異なっているというだけで拷問にかけられないという点では作者が危惧したより酷くはないが、別の面で酷くなっている。
E:作者は全体主義が恐ろしいということを言いたかったのだろうが、イギリスは自由だったのか?
B:イギリスも左派の力が強くなり、自由主義を進めることへの危惧はあった。
また、昔は日本でも思想犯罪があった。秘密警察である特高特別高等警察)もあり、拷問で亡くなった文学者もいた。全体主義にはなっていないが。
E:でもSNSで叩いたりしている。
B:政府が仕向けたわけではなく自発的にやっている。そこは作中に書かれたようになっている。
G:匿名の人が不満のはけ口として、そこにぶつけている。
◆(現代は)語彙が貧弱になっているのを感じる。「きもっ」「やばっ」とかですべてを片付けるから。タイムラインに流れてくるツイートを見てもそう思う(自分のものも含めてだが)。それはニュースピークだな、と。付録として辞書が載っているが、よくそんなややこしいこと考えたなと思う。
◆Bさんも仰った、最後の「彼はビッグ・ブラザーを愛していた」、すごくショックだった。最後で希望の日差しが見えるのかと思ったらシャッターを下ろされて愕然とした。
◆作中に仕掛けもある。読んでいて、ジュリアは絶対ハニートラップだと思って(笑)。訳者あとがきを読んで、浅くて可哀そうな子だったんだ、と。これも面白いなと。
◆ウィンストンが裏切るまで結構しぶとい。なかなか寝返らないけど、思わぬことでころっといってしまう。人はしぶといようで、ウィークポイントを突かれるとちょろい。人間の脆さを感じた。
ジョージ・オーウェルは『1984』を書いて半年ほど後、46歳で亡くなっている。

<参加者F>
◆最初から面白かった。世界がなんでこんなに汚いのかな、って。映画の『ブレードランナー』(1982年、アメリカ)みたいで。
◆言葉を無くしていくのが怖いと思ったが、現実では勝手に減っていっている。名詞は増えているけれど、動詞は減っている現代と同じ。
◆こういうラストになるのか、もうちょっと頑張ってほしかった。
B:実際、こんな拷問をされたら耐えられないと思う。
G:私、一秒で終わる(笑)。
F:また太らせるって残酷。
G:鏡を見せるところが巧い。
F:太ももが膝より太い……確かに痩せるとそうなるな、と思った。

<参加者G>
◆最初は読みづらかったが、徐々に作品に入っていった。現在に通じるものとして恐怖を持って読んだ。
◆『1984』より先に、『検証G.オーウェル1984年」』(グロビュー社)が届いた。
それによると、レーニンの演説の写真や、新聞の内容も捏造されていたそう。
あと、世界のビッグ・ブラザーが挙げられていたり……。
それから原文も載っていて、もともとこういう言葉だったとわかるから、両方一緒に読んでいったら面白かった。
日本の事も書いていて、これが良かった。韓国と日本の歴史の違い。
◆私はこの作品を読んで、未来への恐怖よりも、今現在への恐怖を感じた。アメリカの統計ではコロナによるアジア人差別の被害者の68%が女性。また、もっともアジア人差別の報告があったのはカリフォルニア州で、全体の45%と圧倒的に多い。
※参考:日本貿易振興機構 ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース 2021年03月23日付より https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/03/d27ee8a4faba9b2f.html
カリフォルニアは行ったことがあり、とても明るく軽いノリの場所だと思っていたが、そんなことになっている。女性がこの作品を読むと、差別なども怖く感じる。
女性が元恋人に殺害された事件の話を高齢男性としていると、その男性は「アホみたいな顔をしているから当然だ」と言った。女性は軽んじられている。発言がどう受け止められるか、普段からびくびくしていて、2+2=4だと言えないことがある。
私も、所属している場所で提案をしても、男性が上層部を占めていて全然進まない、伝わらないもどかしさを感じている。
◆小説学校では「言葉は短く、わかりやすく書け」と言われるし、流行の音楽のイントロも短くなっている。現代は、物語をゆっくり展開させるのではなく、ちゃっちゃと進めろという時代だが、(昔のように)じっくり味わう作品もいいと思う。

<参加者H>
◆「口述筆記機」から現代の音声入力を、機械で歌を生み出す「作詩機」からAIを連想した。また、テレスクリーンはメディアかなと思った。作品が書かれた当時はもうテレビがあったので、マスメディアによる情報操作かと考えていたが、訳者あとがきに「SNSと重なる」と書いてあるのを読んでなるほどと思った。SNSは憎悪を増幅させる。優れた文学作品は予言だと実感した。
◆P232、外国人の血筋であると疑われた老夫婦の家が放火に遭ったというエピソードから、日本で起こった福田村事件を思い出した。1923年、関東大震災後の千葉県で、朝鮮人だと見なされた香川県の行商団が殺害された事件。
◆P238。ジョージ・オーウェルは、記憶の書き換えというモチーフを『動物農場』でも書いていた(この読書会でも以前取り上げた)。記録が書き換えられ、記憶も置き換わってしまう恐怖。
◆P255。「個人個人の人間関係を重んじ、完全なる無力感を表す仕草や、抱擁や、涙や、死にゆくものにかける言葉といったもの」……これが人間にとって大切なもの、人間が人間たる所以ではないだろうか。毎日ご飯を食べて、トイレへ行って、眠って、これを繰り返すだけなら動物と同じだが、人の死を悼み、想いを伝えていくことは人間だけができること。恋愛の描写がたくさんあったのが不思議だったが、読み終えて、“人間らしさ”を書こうとしたのだなと腑に落ちた。人間性を削ごうとする行為は、本当に恐ろしいと思う。
◆P459~の付録。言葉をなくしていくのは言葉狩りを思わせる。言葉がなくなり、概念が消えてしまえばそのことについて考えられなくなってしまう。

<参加者I>
◆こういう小説を読むと体に負担がかかるので、あまり読んでいないが、現在と通じるものがあり、今が怖い、未来が怖いという気持ちを持った。海外では事実と違うことが報道されているというが、日本でも言論を監視されているのではと想像して、読むのが恐ろしかった。
◆街角にテレスクリーンが存在しているかも。会って話した人にも録音されているかも……怖い時代に入ったと、小説を通して意識した。時代が変わっても人間の本質は変わっていない。権力闘争もある。私ははっきり物を言うけれど、言わない人のほうが怖い。

<フリートーク
【権力というものについて】
I:私は、NHKの『ダーウィンが来た!』を観るのが好きだが、そこなんじゃないかと思った。人間そのものが動物なので、相手に勝ちたいという本能がある。
B:生物として持っている「生きたい」という意志が社会に反映されているというのはあるかも。
G:権力なんて欲しい? P405「権力の目的は権力だ」……こうとしか書けなかったのでは。そう言わざるを得ない権力って何だろうと疑問に思う。
F:権力を欲しがる人の頭を割ったとき、何が出てくるのだろう?
D:女性には理解できないのでは。権力を求めるのは男。女性とは発想が違う。
G:男性がいなくなったら戦争はなくなる?
D:戦争の質が変わるとは思う。
G:地域での話。家の場所がわからなくて近くの人に尋ねたら「あの借家の家」と、わざわざ「借家」とつけて、蔑むように言う人が2人もいてショックだった。人間は上下を決めたがる。
A:ヒエラルキーを保つために戦争があって、余剰の物質をなくして貧困を与えて……
B:支配構造を永続させるための方策。
日本も明治に四民平等になったというけれど実際はなっていない。今も、戦後しばらくの時期より階層化し、固定化してきている。底辺の貧困がひどい。
E:中間層がなくなっていますよね。
G:差別がひどくなっている。入管でも、外国人女性を病院に連れていかない。人間と思っていない。
B:日本の入管は昔からですね。
G:省庁の何が変わる? (国民に)自由に言わせることで毒抜きして、それでも社会は全然良くならない。
B:現代の日本に拷問はないけれど取り調べがひどい。この国には、解決しなければいけない人権上の問題がたくさんある。『1984』に書かれているほどひどくはないが。
G:皇室継続の世論調査もしないし、批判も受け付けない。暴力、差別だと思うが、若い人たちは関心がない。
B:若い人たちは関心がないことにリソースを割きませんから。
G:政府が、議論が沸き起こらないようにしている。
E:ニュース番組でもスポーツのことを大きく扱って、政治のニュースはあまり流さない。
G:楽しいことを提供して(国民の)目を逸らさせている。
B:潤いは必要ですからね。作中のウィンストンも女性の裸に潤いを見出した。

【西洋的な考え方】
G:作中で、党が子どものいない夫婦に別居を奨励しているのはどういう意味?
B:作中の社会では、ビッグ・ブラザー以外への愛情を持ってはいけない。セックスで満たされるとそこで愛を得てしまう。ビッグ・ブラザーへの愛以外は必要ない。
G:キリスト教と一緒ですね。
B:(作品は)キリスト教の構造に影響を受けている。
E:統治しようとするなら宗教。
B:私は、ウィンストンが拷問を受けるところはキリストの受難だと見た。ジュリアがマグダラのマリア、〈栗の木カフェ〉にいた3人の男たちが東方の三博士。しかし、ウィンストンにイエスの役割を負わせても人類を救えない。
E:でもウィンストンは神(=ビッグ・ブラザー)を信じて、神(=ビッグ・ブラザー)に殉教した。
(作者は)本当に全体主義を糾弾する気があるのか。神への愛を捨て生きるウィンストンは近代主義的。近代のヒューマニズム全体主義として蘇った神の愛に帰結する。西洋人にとってキリスト教がトラウマになっていると感じた。
G:新約聖書旧約聖書は思想的に異なっている。
B:エスユダヤ教を改革したいという活動家だった。
I:私はクリスチャンなんです。信じたほうが心は平穏。それが宗教のいいところ。あまり信仰は深くないけれど、持病で心臓が苦しくなったとき薬が効くまで神に祈った。
G:無宗教の日本人も神に祈りますね。八百万の神
B:日本人は自覚はないけれど神を持っている。
G:カルト宗教に騙されている人には女性が多い。誰もが騙されるわけじゃない。孤独な人が騙されやすい。孤独な女性が多いんです。
I:誰にも言えない悩みがある。
A:私はいい宗教があれば入りたいなと思っている。
全体主義が悪という前提で話しているが、全体主義のいいところもあると感じていて。今の日本は温すぎる。たとえば学校では、担任が厳しいと生徒同士の仲が良くなる、先生が頼りないと生徒同士の仲が悪くなるけれど、今の日本は後者であるような気がしている。行き過ぎたらよくないけれど、どっちつかずで終わっている。ナショナリズムファシズムも利点があるし、自由主義にもいいところがある。
G:私の息子に、日本が侵略されたらどうするか尋ねたら「逃げる」と返ってきた。愛国心がないんですよね。P112、「原始的な愛国心」を植え付けるとあるが、ナショナリズムってどうなのよ、と。
B:これはこの作品が書かれた時点での愛国心
G:ウクライナから避難してこられた方とお話しする機会があったけれど、「(戦っている人たちが)全員死んだら私も戦う」と仰っていた。
I:この戦争の狙いは何でしょう?
B:ゲルマンを統一したかったヒトラーと同じ。ゲルマンがいたと考えている場所を取って生存権を確保しようとしている。
E:豊かな領土も火種になりますね。ニジェールなども鉱物が豊富。
B:小説に書かれているとの同じ。南北アメリカとイギリス、アフリカ南部、オーストラリア南部がオセアニア。ロシアとヨーロッパがユーラシア。中国や日本を中心とした東アジアがイースタシア。
すごくイギリス的な小説だと感じる。登場するアジア人は、牙でも生えているような描き方をされている。当時の標準的な白人男性としての小説。女性と肌を合わせても、彼女と会話が噛み合っていない。男性からは拷問を受けるが、彼と会話が噛み合うことを喜んでいる。女性は対等でないという考え方が窺える。
G:地政学戦争画がわかるという本を買って読んだんだけど全然わからなかった。
E:戦争があるほうが都合のいい層がある。兵器が売れるし……延々と続いている。
B:なくそうとして国際連盟を作ったけれど上手くいなかった。
E:それは西側の考えですよね。

【作中の生活】
G:小説で書くものがなくなったとき、ディストピアを書こうと思って。どの家にもテレビがあって思想を植え付けることを言い続ける話にしたのだけど、発想が同じだった。寝言まで監視されていたり、複雑な言葉がたくさんあって……(小説を書く者として)尊敬しちゃう。質の悪いジンは勘弁してほしい(笑)。
A:サッカリンとか食べてみたい。
D:サッカリン、今は禁止されましたね。
G:金属臭のシチューなんかもいやですね(笑)。

【作品の意図するところ】
I:作者はどうしてこの作品を書いた?
A:作者は労働党党員。全体主義に対して批判したかった。
G:イートン校を卒業後、ビルマの警察官になった。支配する側――人を人と思わない側になって……
B:この作品からは権力に対するアンビバレンツな感情が窺える。憎んでいるのに固執している。
G:(主人公は)拷問でそうなったのでは?
B:ウィンストンは最初からオブライエンに興味を持っている。望んでいない立場や位置に貶められたが、それが主人公にとって救いであったという皮肉。英国文学には皮肉、諧謔精神みたいなものがある。現実を冷徹に見る、というような。
A:反性交青年連盟とか、笑っちゃうところもありましたしね。
E:映画『時計じかけのオレンジ』(1971年、イギリス・アメリカ)のアレックスのように、注射を打たれてふにゃふにゃになったほうが幸せと思うかもしれない。ウィンストンも判断力がなくなって、人間性を破壊されたほうが生きやすいかも。
G:それはそう。日本だって、枠に入っていたほうが、体制側についているほうが楽。
A:ポピュリズムに乗っていたほうが歯向かうより楽ですね。
B:ウィンストンは記録を改竄する仕事をしており、そのことに楽しみを見出していた。権力を行使できることに。それでも党を悪だと思っていた。「俺だってやれる」と、思春期に父親に歯向かうように。「ビッグ・ブラザー」と言っているけれど父性の象徴。
オブライエンに惹かれるのは、自分もそのようになりたかったから。でも拷問を通して、あそこまでなれないと思い知らされ、納得がいった。
釈放後、それまで勤めていたところより閑職に追いやられ、給料は増えたが生活水準は落ちた。慈しみながら見下していたプロレと同じになって救われた。自分も権力側に行けると思っていたが諦めて、青年期にケリがついた。
作者は、出版社から「付録 ニュースピークの諸原理」を削るように言われたとき断固反対した。付録まで含んだ上でこの作品ということ。付録の時間軸は本編よりずっと後、イングソック体制が崩壊したのち。ビッグ・ブラザーは打倒されたんだと末尾でほのめかしている。当時のオセアニアではこういうのを強いていた、という回想。末尾のものによって本編をほのめかす手法はボルヘスも用いている。
G:以前、読書会で取り上げた『動物農場』のほうが読みやすかった。1984』は登場人物は少ないけれどややこしくて回りくどい。現代ではだらだら書いたら読みづらいって怒られる。わかりやすく、短く書かなくちゃ。
A:キャッチーなのがウケる時代ですね。動画もTikTokとか、短いほうが見られる。それで裾野が広がるならいいと思う。
E:二分間ヘイトみたいな……
B:文の構造を複雑にすべきではないと言われますね。主語と述語を離すな、とか。
E:でも大江健三郎とか複雑な文体ですよね。
G:フォークナーとか。私も自然豊かなところで書いてたら、だらだら書きたくなる(笑)。
A:だらだら書いてある作品が好きな人もいますしね。『1984』のゴシック体部分(ゴールドスタインの本)、私は好きだけど苦手な人もいると思う。
B:ゴールドスタインという名前はユダヤ人の名前。そこも意図的。
A:骨太の作品ですよね。
E:単純に全体主義がだめというわけではない。
B:欧米式知性を突き詰めるとこうなるのでは。
E:欧米ってダブルスタンダードですよね。

 

★Zoom読書会では、オルダス・ハクスリーすばらしい新世界』もテキストになりました!

★R読書会では、ジョージ・オーウェル動物農場もテキストになりました!

『薬指の標本』小川洋子(新潮文庫)

R読書会 2023.05.27
【テキスト】『薬指の標本小川洋子新潮文庫
【参加人数】5名、感想提出1名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦者:参加者A(欠席)>
[事前のレジュメより]
《1》閉鎖的な空間で起きるミステリアスな物語
 火傷の少女はどうしたのだろう。以前この標本室で勤めていた女性たちが消えたというがどういうことだ。これらの謎を残したまま物語は終わる。浴槽で衣服を脱がされ、彼に抱きしめられる。全裸に黒い靴を履いたままの姿は強烈な印象だった。しかし、四月にアジアの若手作家のみずみずしく溌溂とした作品群に接したためか、この作品にはなじめなかった。彼一筋の「わたし」の生き方が気持ち悪かった。読後感としては、なんだか違和感が残った。

《2》自分から薬指を標本にしてほしいと望む主人公
 標本技術士の弟子丸は、すべてがすっきりと整っていてすきがなかった。だが、「わたしを油断させない危うい感じが漂っている」これが主人公の初対面の直感である。猟奇的な話かなという予感がした。読み進むと、ひどく残酷な話ではないが、私の直感は間違いではないような気がした。履いた人物の肉体を同化してしまう靴をプレゼントされる。彼はすごい魔力を持つ人物だ。彼が彼女の薬指にかじりつく場面は衝撃的だ。主人公は薬指の先をなくし、次に脚をなくし、前任者の女性たちのように、命まで彼に与えるのだろうか。吸血鬼の話を読まされたような感覚になった。

《3》解説者は、「バーチャル・リアリティに代表される新しいテクノロジー環境はぼくたちの身体感覚をどんどん希薄なものにしている。身体を消滅させている。」と述べ「小川洋子の描く身体感覚は、まさにそんな時代の感覚そのものである。」と指摘する。(P184)
 皆さんはどのように感じましたか。

<参加者B>
小川洋子さんの作品は嫌いではないので『薬指の標本』も随分前に読んでおり、今回は再読。
◆同じ作者の『密やかな結晶』と似ている。調べると、作者が32歳のとき書いた本だと知り、そうなんだと思った。
幻想小説。映画を観ている感じで読めて、私は嫌いではなかった。
◆6章から成っており、400字詰め原稿用紙で140枚くらい。140枚でこれだけ書けるんだと驚いた。
◆私は(Aさんがレジュメに書かれていた)吸血鬼という印象はなく、川端康成の『片腕』を思い出しながら、不思議な気持ちで読んだ。
◆(作品が)どうして違和感を感じたり、嫌われたりするのかわからない。男性は苦手なのかな? 嫌いではないだけに説明もしづらい。
◆こういう小説は、きっちりストーリーがあるわけではないし、世界観に惹き込まれていくのは悪くない。
◆この作品はフランスで映画化されている。主演はウクライナ出身のモデルで女優のオルガ・キュリレンコ

<参加者C>
◆この読書会で小川洋子さんの作品を扱うのは『ブラフマンの埋葬』、『密やかな結晶』に続いて3回目と推薦頻度が高く、皆さん興味がある作家なんだなと思う。
◆取り上げた3冊の中で『薬指の標本』が一番しっくりきた。なぜ人気があるか、よくわかる。使われている言葉は凝っておらず平易で、耳当たりがいい。登場人物が少ないからストーリーがわかりやすく、極端にえぐいシーンもない。多くの人に親しまれている理由を、今回でさらに理解できた。
◆しかし、Aさん組・Bさん組に分かれろと言われたら、私はAさん組に入る(笑)。私も、どうしても受け入れられないものがある。登場人物のイメージが像を結ばず曖昧なままだった。曖昧と、(わざと)ぼかしているのは違う。例えば、実際の人物をぼかして書くのと(=作者にはっきりしたイメージがある)、こんな役割の人物が必要だから登場させる(=人物として立ち上がっていない)のは異なる。
⇒とくに弟子丸のイメージが湧かない。猟奇的なのか、冷徹なのか、と思えば親切なところもあるし、また「毎日その靴をはいてほしい。(中略)とにかくずっとだ。」「ここの標本はすべて、僕にゆだねられているんだ。誰も口をはさめない。」のように傲慢な言い方もする……支離滅裂なキャラクターが受け入れられない。
◆標本や、消えていくもの、記憶の底に沈んでいくもの……消すとか残すとか、小川洋子さんが好きなモチーフですよね。好きなのはわかるけど、ぶれている感じがする。例えば、一般的には蝶のような、残しておきたいものを標本にするけれど、この作品では忌み嫌うものを密封して閉じ込めている。依頼者にとってマイナスなものを閉じ込めて忘れるためなのか、大事だったものをそのままのかたちに残しておくためなのかが曖昧。コンセプトが揺らぎまくっていることが、私にとって受け入れがたい理由の一つ。
◆楽譜に書かれた音楽を標本にする。ファンタジックないい話かと思ったら、ピアノの演奏を聴いて楽譜を試験管に入れるだけ。空気の色が変わっていくとか、そんなファンタジーを予想していたから肩透かしだった。309号室婦人もピアノを弾くためだけに便宜的に置かれているだけで、その辺りも雑な印象を受ける。
火傷の標本も、大事なところなので描写してほしいけれど、描写がないままに彼女が消えますよね。
◆細かいところでは、薬指を失う場面。タンクとベルトコンベアーの接続部分に挟まれた、とあるけれど、サイダーは瓶の上から注がれるので、タンクは上のはず。その辺りの整合性がない。「そこにピンク色の肉片が落ちた気がする」この辺も適当。構造がきっちり設定されているのだろうか。描写するしないは別にして、きちんと設定しておいてほしい。
◆もっと言えば、女性専用アパートの描写も、ベランダのことはよくわかるが、そこが何の寮だったのかで部屋の作りが変わってくる(看護師の寮などだと、また違うだろうし)。設定が雑で、そういうところも共感できない。
◆薬指は何センチくらい落ちたのだろう。実際そんなに酷い状態ではないけれど手は歪になっている。それを最後に標本にしてもらう。「薬指を標本にしてほしい」……ここは謎中の謎。皆さんはどう思われましたか?
一つの考え方として、自分自身を標本に捧げたのかな。事務員の子が消えていくという話は予兆の匂わせ。
◆弟子丸氏との浴場でのデート。いい大人がのこのこ、ついて行きますか? 喫茶店とか、外でならわかるけど。これはちょっと猟奇的な小説だからいいという人もいるかもしれないが、脱がされるわけですよね。古びた浴室で、というところにも気持ち悪さを感じる。作者は変態体質なのか、鈍感なのか。
以前読書会で取り上げた、凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社)も少女誘拐を題材にしているが、そうなるまでの戸惑いや二人の交流が丁寧に描かれていた。少女のほうにもいろいろな事情があって、そうならざるを得ない状況だった。
対して、のこのこついていくことからは、性衝動が強い女性、好奇心が強い女性、幼女、などの印象を受け、少女虐待を連想し、不潔感を覚える。変態小説で極めるのならよいが、当たり前の常識人みたいな顔をしているのがいや。
全体として「気持ち悪かった」という一言が腑に落ちる。

<参加者D>
◆私もAさん組です(笑)。でも、さっき、Bさんが「作者が30歳くらいのときの作品」と仰ったのを聞いて思ったのは、年を重ねて読んだから気持ち悪く感じたけど、若いときに読んだらそうでもないかも、ということ。ついていくのも、ぼんやりしてたらあるかな。
◆標本というと「綺麗に保存しておく」という意味があると思うけれど……。
◆P46、一番悲しい思いや、惨めな思いをしたことを聞き出すところで、この人たち変態だって私の中で決定した。そこから雇い主と従業員の間柄が、従業員は従うもの、みたいになって。床にタイプの活字盤を落としたら這い蹲って拾わせて、手伝いもせずに……搾取する者とされる者。靴が犬の首輪みたいな気がした。逃げるに逃げられない感じがして。DVのように、閉ざされた世界で逆らえなくなる感じだろうか。
P67、雇い主が誘うか誘わないか、「ごくろうさま」の一言が、あまりに無感動にこぼれ落ちてくる……誘われて変な部屋に行きたい……飴と鞭の関係のようで、どんどん可哀そうになってきた。いつも被害に遭うのは若い女性。
◆主人公の名前って出てきました?
C:出てないですね。
D:そこがうまい。(自分で書くとき)真似しようと思う。最後、地下へ降りるが、どうなったか書いていない。この終わり方いいな。ここは説得力がある。グダグダ書いていたら、余計収拾がつかなくなるから諦めたのでは。
◆全体的にすごくいやな話。この世界に行きたくないって思った。

<参加者E>
◆作者の作品は冒頭から説明的なため、私はいつも挫折してしまい読み進められないのだが(本作も推薦作でなければ読んでいないと思う。最初から最後まで読んだのは初めて)、日本の小説家としては花形。さすが、文章の運び方・持っていき方がすごいと感じた。
◆しかし、表紙から気持ち悪かった。
◆都会的な中で貼り紙を見つけ、すっと入っていき、さっと仕事が決まったのが不自然。私(が主人公の立場)なら入っていかない。
◆面接に行ったとき、「わたし」が弟子丸氏の目に惹かれている。初対面で「わたし」は弟子丸氏に取り憑かれたのだと思う。最初に面接を受けたときから弟子丸氏に惹かれたのだなという気がした。
◆標本室に入っていって、弟子丸氏の目に取り憑かれて関係を結んでいく。そして、消えた少女に嫉妬している。なすがままにされる女性なんだろう。小川洋子さんはこういう作品を書くんだなと思った。
◆『博士の愛した数式』も、NHKラジオ深夜便』で薦められていたから読んだが、いい作品とは思わなかった。しかし解説を読むと優れた作品だと言われている。小説を読むとき、描写が上手かったり、羅針盤みたいなものを与えられたりということが求められるが、この作品は何を伝えたかったのだろう。伝えたいこともなく、書くことを楽しんでいる? それとも編集者に言われて書いたのか? あまり意味を見出せなかった。

<参加者F>
◆静かな作品たち。2編入っているが、それぞれ真逆の印象を受けた。
弟子丸氏の行動からDVのような冷たい印象を受けたのは皆さんと同じ。「六角形の小部屋」のミドリさん・ユズルさんからは、押し付けがましくない温かさを感じた。去っていくのも主人公のためを思ってのことのような気がする。
◆ただ、根底を流れているものは同じで、標本にすることで/語り小部屋に入ることで、登場人物たちは自分の内面と向き合っている。
◆弟子丸氏は敢えてこのように書かれているのだと思う。恋愛や、恋愛に限らない人間関係の中で深みにはまっていくときは、こんな感じだろうか。主人公本人としては、今まで入れなかった地下の部屋に行けて幸せなのかもしれない。

<フリートーク
【幻想的な世界】
D:現実的な話ではなく、あくまで幻想の世界。
E:これは読者に何を与えたかったのだろう。売れさえすればいいと思って書いた?
D:主人公の設定が決まっても、普通ここまで書けませんよ。編集者に書いてと言われても。だからすごい。
E:私もすごいと思う。書き切るというのが。商業用に書いたのでしょうか。
C:それはプロですから。この程度さらさらと書いちゃう。
E:私は(作品から)何も感じなかった。ただ気持ち悪かった。こういうものを、と推されて書くのか、それとも自分で書くのか。
D:気持ち悪いものを書けと言われても、筆力がないと書けない。
E:作者はこういうものを持っている?
C:それはそう。ひんやりしたものが好きとか、そういうものに欲情するとか、性癖みたいなものも多少あるのでは。
D:作者としてはそう言われると辛い。私も書くとき気をつけながら書いている。そう言われたらいやだから。
C:小川洋子さんは記憶がなくなったり、消えたりというのが好き。性癖というと語弊があるけれど、静謐な中で行われる儀式みたいなものがお好きですよね。
D:Bさん、どうしてこの世界を気持ち悪く感じないのですか?
B:これが幻想的な世界だからでしょうか。私は幻想小説が好きで。こういう世界を描き切れるのがすごいと思います。

【表現や描写、小道具について】
D:P70「夜はどんどん深まってゆき、行き着くところまで行ったあと、今度はゆっくりその闇を薄めていった。」、こういう表現があるんだと思った。描写も上手い。
B:上手いですよね。びっくりするような表現がしてある。
D:だから読む人に気持ち悪さが伝わってくるのでは。楽しんで書いていると思う。主人公をいじめて……
C:P87に「自由になんてなりたくないんです。」ってありますもんね。
D:稀にいますもんね、支配されるのが好きな人。
C:文鳥のおじいさんに「(靴を)脱ぐんだったら今のうちだよ」と言われても脱がない。
E:ストーリーを決めているんでしょうね。そういう方向にしよう、と。
B:靴って性的ですよね。
C:弟子丸氏が作って嵌めている。

【作者について】
E:作者を内田百閒文学賞の表彰式などで見たことがあるが、小柄で華奢で……本人の印象と作品にギャップがある。
D:目立ちたがりじゃなさそうですよね。ひっそりとした印象。作者と作品は違う。不穏な作品を書いて最後まで読ませてしまう、その力がすごい。
E:説明的な文章だと思っていたけれど、読み進めるとP18くらいから惹かれ始めた。Dさんが仰るようにすごい。

【「六角形の小部屋」について】
B:テキストは「薬指の標本」だけなのであまり深読みしていないけれど、「薬指の標本」のほうがどっぷり疲れる感じがした。
ミドリさんは何者なんだろう? 惹き込まれて読んだ。
D:ミドリさんのスイミングキャップは何? 書いてあるけど、象徴として何、って書いてない。
B:でも気になるんですよね。
F:私はこちらの作品のほうが好きです。
D:何でも話していいって、苦労して辿り着いて、そんなにつまらないことある? やっと辿り着いたのに、独り言を喋るだけ。
F:でも、必要な人しか辿り着かないんですよね。
B:標本室も。昔話ってそうですよね。主人公は、ミドリさん・ユズルさんと人間関係を結びたかった。
たぶん、最初からミドリさんと老婦人は仲がいいのだけど、そのことも明かされていない。老婦人は小部屋に語りに行く一人なだが、なぜ一緒にスポーツジムに行くのか書かれていない。読むほうも、主人公と一緒に不思議だと感じる。最後、「ミドリさんとユズルさんはどこへ行ってしまったんでしょう。」と訊かれた老婦人が口を閉ざすのもわからない。なぜ言ってはいけないのか……。
C:幻想小説ということでしょうか。
B:幻想小説に理由を求めてはいけない。川端康成幻想小説も訳がわからない。
D:こちらのほうが描写が綺麗。P93「たまらなく知りたいと願う瞬間が発作のように訪れる」など。P97「身体中のあらゆる部分が、幼稚園児がクレパスでなぞったような、素朴な形をしていた。」、人の体をこのように書けるんだと勉強になった。P145「もっと絶対的な時間の切断が起こったのです」とか……物語の進み方より、どうやって描写するんだろうというほうに惹かれて読んだ。
P124「骨組みがしっかりし(中略)セーターの上からでも肩甲骨が元気よく動いているのが分った」。アマチュアの作品だと「すらっとした……」のような描写が多い。プロっているのはこうなんだ
P101「ミドリさんが居たという空気のこわばりは残っていた。」……こういうのを読むのが楽しい。説明というか、描写で進んでいるのが「六角形の小部屋」のほうかな。
C:すごく読みやすかった。飛躍がないというか。
D:よくわからない、不思議なものを書くのって難しいですよね。だいたい実際にあるものを書いてしまうでしょう。
C:私は作者と年代も出身地も近いからあまり違和感がない。スポーツジムとか、そこら辺に転がっているもの。
幻想小説は何かのメタファーでないとならない。そのことによって苦しみなど、伝えたいことを描くもの。ただふわっとしたことを書くだけでは幻想とは言えない。
例えば過去にこの読書会で取り上げた津原泰水の『11 eleven』では、片端だったり小男だったり唖だったり、見世物小屋にいるような人たちが出てくるが気持ち悪くない。切なさや温かさを感じる。(『11 eleven』所収の)「延長コード」も叶えられない想いを表現していてぐっとくる。
その切実さがないから、私としては物足りない。Dさんが仰られるように素晴らしい描写だけれど、胸に迫ってくるようなものが私には感じられない。
「六角形の小部屋」も作者の作品の中では好きだが、胸に迫って来る切実さはない。語り小部屋に入っても何を言ったらいいのか。
D:解説の最後の三行はどう思われますか? この書き方が上手い。最後の締めくくり。“消滅していくようで「ある」、しかし「ない」”……書けと言われても書けない。人間の存在がそういうものだと私は思っていないけれど、それを表現しようとしているならすごい。
C:解説はすごいけど、実際に作者が、「ない」ようで「ある」そういうものを書こうとしているかわからない。
D:(掲載にあたって作者の)了解を得ているだろうから、作者としては満更でもないのでは。
E:この小説、残りますね。何年も残りそう。
D:(小説学校の)課題が行き詰ったとき、ちょっとアイスクリームを食べるみたいに読み返したら、また自分も書けそうな気がする。
E:誰かの作品を手元に置きながら書くことってありますか?
D:ある。
C:私も行き詰ったときは岡本かの子の作品を写してみたりします(岡本かの子、好きなんです。文章に無駄がないというか)。何行かのときもあるし、何ページのときもある。
あと、古井由吉。ぎっちりしたのを写しますね。
D:以前、初めてディストピア小説を書いて小説教室に提出したら、「村田沙耶香さんがそういうの書いてるよね」と言われた。好きな作家さんが、知らないうちに入っているときがある。

 

★R読書会では、小川洋子さんの他の作品もテキストになりました!

『絶縁』村田沙耶香、他(小学館)

R読書会 2023.04.15
【テキスト】『絶縁』(小学館
「無」村田沙耶香
「妻」アルフィアン・サアット/藤井光・訳
「ポジティブレンガ」ハオ・ジンファン/大久保洋子・訳
「燃える」ウィワット・ルートウィワットウォンサー/福冨渉・訳
「秘密警察」韓麗珠/及川茜・訳
「穴の中には雪蓮花が咲いている」ラシャムジャ/星泉・訳
「逃避」グエン・ゴック・トゥ/野平宗弘・訳
シェリスおばさんのアフタヌーンティー」連明偉/及川茜・訳
「絶縁」チョン・セラン/吉川凪・訳

【参加人数】7名※オンラインでなく対面形式でした。

<参加者A(推薦者)>
[事前のレジュメより]
 アジア人作家の九作品、読み応えがあった。でも小説として一番完成度が高いのは、村田沙耶香氏の作品「無」だと思う。二番目に優れた作品は、チョン・セラン氏(韓国)の「絶縁」ではないだろうか。
《「無」について》
「何物かが様々な流行を作り出していて、多くの人々はそれに操作されて自分のファッションだと思いこまされている」「自分は家族の家畜ではないか」と美代は考えるようになる。「無」とかいう生き方に惹かれる若者が増える。娘の奈々子もその一人だ。時間から解き放たれ、言語を使わない、性愛・感情がない、なるべく五感を使わない。これが「無街」らしい。
 美代、奈々子、琴音は家族・社会と絶縁することを望む。ぞっとするような結末だが、フィクションとは思えない凄みを感じた。
《「絶縁」について》
 主人公・佳恩は先輩である善貞・亨祐夫婦を信じ、尊敬していた。しかし、先輩が女癖の悪い同期の男をアカデミーの講師に推薦したことを知り、愕然とする。主人公はこれまでと同じように先輩夫婦と付き合えなくなり絶交を決意する。私は、これは韓国国民の中にある(特に知識層にある)倫理観の相違のように思えた。私はどちらかというと、先輩の考え方と近い。プライバシーと公の仕事との関連だから、そこまで目くじらたてるほどでもないよと思った。
《「秘密警察」について》
 文章が難解だった。日本の戦後派作家(野間宏など)の難解さと似ているように思った。香港の切羽詰まった政治状況がこのような文章を書かせるのかもしれない。主人公が夫を秘密警察に告発した理由がわからなかった。
 悩みを解消してくれるという「窓」という団体が嘘っぽく思えた。
《「妻」について》
 この作品には受け入れがたい気持ちを感じた。妻であるイドリスが、夫の元恋人を「マドゥ」(二人目の妻)にするために努力する。イドリスの苦悩がさらりとしか描かれていないのが物足りない。
《「穴の中には雪蓮花が咲いている」について》
 主人公と、幼友達のソナム・ワンモ。舞台はチベットだが、日本の農村にもこのような話がたくさんあった。

[以下、読書会にてAさんの発言]
◆それぞれの作品に読み応えがあった。
◆小説として完成度が高いのは村田沙耶香「無」。次はチョン・セラン「絶縁」
その他で心に残ったのは連明偉シェリスおばさんのアフタヌーンティー。少年小説のようで、また、すごく情感がこもっていて、いい作品かなと思った。
「逃避」もやっかいだったが手法としては面白い。主人公は浴室で倒れており、壁の向こうの息子と孫について語られる。息子のだらしなさは結局、主人公が育てたわけで、なぜ息子を嫌うのかわからなかったので、なんとはなしに受け入れがたく、力はあるがいい作品だとは思えなかった。

<参加者B>
◆最初に「穴の中には雪蓮花が咲いている」を読んだ。そのあと最初から「燃える」まで読み進めた。半分くらししか読めていない。
「無」「ポジティブレンガ」はどちらもディストピアを描いたものになっていて面白い。
「無」は非常に優れた作品。なかなか読み解くのが難しい。
最初に読み終えた感想は、「おかしい人の内面をここまで描いて、作者はおかしくならないのかな?」。例えば『ドグラ・マグラ』(夢野久作・著)は、突飛な精神世界が描かれているが理性で制御されているのがわかる。でも村田沙耶香さんの作品はどこまで理性で制御されているのか判別がつかない。
作者は言いたいことの象徴としてメタファーを意識していると思うが、それでは表しきれないものもあって混沌としている。とにかくすごかった。
「ポジティブレンガ」はアニメや映画のようなセンスを感じた。都市自体がその人の精神の感知装置という設定は、アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』(犯罪係数を察知し、罪を犯していない者も逮捕できるというディストピアを舞台としている)などを思い出す。また、『虐殺器官』(伊藤計劃・著)のSFギミックを思わせる電子的なギミックもある。
いろいろなものが影響し合って、ディストピア小説はSFと銘打ってなくてもSF性を帯びる。ジョージ・オーウェル1984年』が原型だろうけれど。

<参加者C>
村田沙耶香の作品を読んだのは初めてで、少しびっくりした。
「無」は、毒親っぽい美代、そんな彼女に育てられた奈々子、冷めていて変わっている小学生・琴音、3人の独白から成っている。3回ほど読んで納得した。
村田沙耶香「無」についても、他の作品にしても、作家同士の年代が近いためか、共通した印象を受けた。アジアの国々の作家を集めているのに、多くの作家が親について書いている。この年代の考え方に似たものがあるのを感じた。
「ポジティブレンガ」を読んで筒井康隆「パプリカ」を思い出した。映画を観ているようで面白かった。
「逃避」は、うーん、と考えながら読んだ。
「秘密警察」は読みにくく、猫が何を象徴しているのかわからなかった。読み切れていない。
◆長い作品も、短い作品もあるが、全体的になんとなく似たような印象を受けた。こういう方たちがこれからを背負っていくんだと思った。

<参加者D>
◆私も読むのに苦労した。皆さんが仰るように、現代の断片を切り取った印象で、ストーリーはどうなっているんだというほうに目が行ってしまう。もっと感性を尖らせないといけないと感じた、新しい読書体験だった。
「無」。無になるために必死にトレーニングをするが、忘却するためには主題が要る。例えば“私が財布を忘れた”といっても、「私」は残りますよね。無になるって、ものすごく難しい。最終的には、「東京タワーから感情が流れている」と言っていた母が無になるところにぞっとした。相変わらず面白い。「クレイジー沙耶香」と呼ばれるだけあるな、と感じた。
現代の若者の兆候ではある。結婚しない、恋愛しない、就職しない、できるだけ何もしたくない……無と言うかはともかく、煩わしくないように、面倒にならないように、関係を断とうとしている。
私たちの世代は面倒なことをどれだけしたかが人生の幸せ度だと言われてきたので(ex.結婚式など)、今の世代が年を取ったとき、どんなふうになるか想像できない。
「妻」。面白い。夫がマドゥを作ることに対し、マレー系シンガポール人のイスラム教徒である主人公は抵抗が少ない。
B:解説にあるとおり、パーセンテージとしては多くない(0.3%)。この作品では妻が主導し、「夫を共有しましょう」みたいな、ちょっと捻った扱いをしていると思った。
F:「無」の逆ですよね。余計大変になる。
D:アイシャを夫のマドゥにすることによって、苦しみを感じないように持っていっている。
B:構造としては、間に夫を挟んで(一つ経由して)、女性とパートナーになることを書きたかったのだろうか。
D:私たちは明治以降の日本の教育を受けているから一夫一妻制が普通だと思うけれど、その常識は極めて限定的で、人間の本性に沿っているかどうかはわからない。
作者のアルフィアン・サアットは男性だが、『マドゥ・ドゥア』という、女性の視点からマドゥを見た、フェミニスト的な戯曲も書いている。
B:「妻」で主人公は、伝統文化を利用して新しい家族を作っていこうとした。「でもどうなんだろう……」で終わった。
D:過渡期なんじゃないでしょうか。だから作者がフェミニズム的な戯曲を書いていることが腑に落ちた。
B:今回のテキストには性的マイノリティーが出てくる話が多かったですね。「無」の無街の人々も、性を捨て、アセクシャルになることを目指している。
D:いわゆる男女の枠組みからも無になろう、という試み。
「ポジティブレンガ」は近未来が舞台で、映画にもってこい。環境と主体の関係性が極めて東洋的だと感じた。西洋は「個」だから、(主体が)環境と一体化するという書き方はしないのでは。このアンソロジーの中では読みやすかった。
「燃える」。『バーニング』に似すぎていて、『バーニング』のレジュメを読んでいるみたいだった。ここまで似すぎていていいのだろうか。
B:リスペクトした作品だと言うが、そんなに似ている? 私は『バーニング』を知らないのだけど。
D:同じような枠内でアレンジするのはいいと思うけれど、出会い方や、姿の見えない猫がいるとか、酷似している。
B:バイセクシャルの活動家はいる?
D:それはいないですね。
B:腐女子の二次創作という感じがしますね。男性同士の関係を追加したかっただけ、みたいな。
D:後半は違ってきているけれど、前半は描写までそっくり。舞台をタイの軍事政権下にして。
「秘密警察」はゼロコロナ政策などを受けて書かれた現代小説。私は、わりと硬い作品は読みやすいと感じた。
「穴の中には雪蓮花が咲いている」。私もこの作品が一番好き。小説らしい。全然違うのだけど、川端康成「雪国」を思い出した(言葉の柔らかさなど)。今はチベットも中国化されているのだろうけれど、その悲しさを感じる。穴の中に雪蓮花が咲いている、という象徴がいい。
B:チベットの民族衣装の描写がなかなか。
D:綺麗ですよね。
B:知らない文化だけれど読んで想像することができる。
「逃避」は一番読みづらかった。
シェリスおばさんのアフタヌーンティー。面白かった。台湾という、国として認められていない集合体の悲しさ。3人の少年が悪態をつきながらごそごそする、青春のほろ苦さ……。最初、「鳥の巣」が何かわからず、建物か遊び場かと思った。「鳥の巣」は車椅子の障がい者なんですよね。これは、台湾が独立国としてのアイデンティティを持てないことのメタファーか。終盤、「鳥の巣」は亡くなりますよね。自死かどうかもわからない。子どもたちがそう言っているだけで。
台詞がイキイキとしていて、ありきたりじゃない。映画にしたらいい。
「絶縁」。難しい。主人公は潔癖症気味で、潤燦がアカデミーの講師になったことが許せない。先輩夫婦は大目に見たらいいんじゃない、と言う。だから主人公は先輩夫婦と絶交することを決めた……こういう感じで絶縁します? 先輩夫婦のことをそんなに嫌いなわけじゃないですよね。かつて自分自身が四角関係だったことを知られているのがいやなんでしょうか。わからないな。自分の過去を知っている人と付き合わないとかはありますね。
A:私が思ったのは知識層にある倫理観。政府は女性を解放するほうに進んでいて、でも国民はついていけない、という感じで書いたのだろうか。先輩は冷静に対処しているけれど、主人公は潤燦の男女関係について許せない人物。主人公のほうを韓国の伝統的な倫理観に合わせているのかな。
D:主人公が古い考え方を持っている、と。そういうジャンル分けのほうがすっきりしますね。「妻」もそうだけど、倫理観が限定的だと、傷ついたり傷つけられたりも限定的なんでしょうね。いろいろなものを切り捨てたら傷つくこともなくなる。そういう方向に向かっているのは確かですね。
◆最後に一つ言いたいのは、植民地を経験している韓国、ベトナム、台湾の政治的切実さ。政治的マイノリティーである国の人が書いた作品には訴えかけるものがある。
日本や中国、タイは植民地になったことがない。「秘密警察」は面白いし、「無」も素晴らしいが、いまいち閉ざされていると感じる。

<参加者E>
◆予定変更により急遽参加を決めたので「無」しか読んでいない。同じ作者の『コンビニ人間』にも変わった男性が出てきたが、変わった人間、自分と違う人間をここまで描けるものかと思った。こんな立派な文章は私には書けないし、発想さえ出てこない。
◆東京タワーから感情が流れてくる……発想が面白い。そう想像したとしても、自分が作品にできるかというとできない。
◆世代のことも、「安定志向シンプル世代」「リッチナチュラル世代」など、上手に分類している。確かに流行を何年かごとに世間が作っているのかも。巧いところを突いている。
◆無の社会は理解できないが、現実も確かに混沌としている気がするし、正しい社会とかないんだろうなと思った。
◆私は(小説が)理路整然としていないといやだから、このような作品は書けない。でも、今はこういうほうがウケるんだろうな。
B:このアンソロジーの中でも、「穴の中には雪蓮花が咲いている」はリアリズム小説でした。

<参加者F>
「無」について。
*世代によって考え方や流行が違うのはすごくよくわかる。2・3日前にパーマをかけようとしたんだけど、でも流行ってないなぁって迷って。好きなものより流行りを気にしてしまう。作中で喪服が流行った時期があったけど、現実でもコムサが流行ったことがあるし、上手に取り入れている。流行りに準じたら安全牌。その中でも自分らしいものを探しながら生きている。
*東京タワーから電波が出て左右されているというのは、人間がテレビやラジオを信じて動くこと、戦争になる前なんかに同じ方向に流れることを連想させて、よくわかる。情報の怖さを表している。戦争も情報戦だし。
*美代は恋愛感情、発情、孤独感があるのに母性だけない、のというのがすごくわかる。私も26歳で子どもを産んだが母性がわかなかった。愛情が無いと重いだけ、迷惑なだけの存在。周りは「産んだら可愛くなる」と言っていたが全然可愛くなくて。社会と切り離されて、誰にも相談できなかった。今と違って、母性神話があり「子どもが可愛くない」とは言えない時代だったし。殺さないようにして、4ヶ月で保育園に入れて……。だから、美代が言っている「今からでも母性が送られてくれば」という気持ちがよくわかる。
*わからないのは美代が無になったこと。無になるってすごく大変じゃないですか?
B:普通に考えれば美代は精神に異常をきたした。
F:教祖みたいになっているわけではない。
B:東京タワーから感情が流れてくる、というのは美代がそう思い込んでいるわけだが、その妄想が本物になってしまったのかもと読者に思わせる。作中では結果的に現実になっていて。それまでに何かあったのだろうけれど、語られていないから、どんでん返しでびっくりした。
F:奈々子が「あの人が化け物だってことを……」と言っているの、すごくわかる。親と子の関係。私は子どものころ、父が夜遅くまで帰ってこなかった。おかしいと感じて、それが修復されないままできている。こういうことを書けるのは強み。
P17、彼氏が東京タワーについて話すところが面白い。それぞれ自分で思う東京タワーがある。すごいエリートの人たちが完璧に計算している……私は納得できる。
◆もう一つ良かったのは「ポジティブレンガ」。普通に綺麗に見えるけれど、蓋を開けると真っ黒で汚い世界が広がっている――すごくわかる。小説の課題に悩んでいたけれど、この線で書いてみようと持った。ヒントをくれた作品。話もわかりやすい。
「妻」。アイシャを家に入れるようなことって日本でも普通。だから何、って思った。アイシャと夫が寝室に入っていくとき、主人公は孤独感を感じているけど、自分も遊んでしまえばいいのに。なんで家にいるんだろう。遊びに行けばいい。
B:これは主人公が、自分が夫にとって100%愛される存在ではない、アイシャを入れたら(不足を)補えるんじゃないか、と考えた結果では。
F:そこまでするなら遊びに行けばいい。日本だとそうなる。マレーシアのイスラム教徒は難しいのかもしれないけれど。
A:主人公は、夫はアイシャのほうに行くだろうと思って、捨てられる前に宛がってしまおうとした。でも我慢しきれない。
F:だから遊びに行けばいいじゃない(笑)。
「逃避」は何を言いたいのかさっぱりわからない。逃げられないのかな。
A:なんで風呂場で倒れている設定なんだろう。普通に見ていればいいのに。
F:母親は子どもの犠牲になるのがいいの? 読み方がわからない。刷り込まれているから、そこから逃げられないってことになるんですかね。
「秘密警察」の夫婦観は「無」「妻」の夫婦観と似ていて、「最適な伴侶は物(みたいなもの)」。夫婦ってなんだろうという部分が似ていると感じた。
「絶縁」。人物名が漢字なので覚えられない。韓国ドラマや映画、小説は片仮名表記が多いのに、なぜ編集者は漢字にしたのか。
D:(漢字だと)残らないですよね。
「穴の中には雪蓮花が咲いている」は、喩えがわかりやすくていい。「木にたとえれば、何十年も年輪を重ね、幹はすっかり太くなり(中略)とはいえ(中略)ありふれた一本に過ぎず、取り立てて特徴があるわけではない」(P256)など書き方が上手。「棘だらけの木と化した」(P280)もわかりやすい。
でも、やっぱりテーマ的に腑に落ちない。なぜ最初から駆け落ちしないのか? なぜ行かなかったのか? そうしたらこんなストーリーにならずに済んだ。
A:主人公のほうがまだ子どもで、結婚するということがわからなかったのでは。
「燃える」。一生懸命読んだが何を言いたかったのかわからなかった。
A:なんで3人で寝るのかな。
F:章ごとに視点が変わることに気づかなかった。小説の学校に提出したらわかりづらいと指摘されそう。
B:この作品は二人称小説。小説として二人称で呼びかけるからには、作品の内容にそういう叙述が成立する仕掛けがほしい。
A:(視点人物が移ることで)「あなた」が変わっていく。
B:どの人たちもあなたですよ、政治への戦いの中に自己を投影してください、という意味だとは思うが押しつけがましい。作品に引きずり込もうとするのは作者の横暴では。
F:一人称は「私は」を書かなくても通じるが、二人称は「あなたが」と書かないとわからない。くどくなって、余計ストーリーがわかりづらくなっている。これは成立しているのかな。
B:あまり成功しているとは思わない。
シェリスおばさんのアフタヌーンティーセントルシアがすごく綺麗。ここが舞台になっている意味がわかる。
D:いい小説ですよね。

<参加者G>
「無」。無になりたいという気持ちはわかる。現代は情報や、やることが多すぎて疲れるので。でも生きている以上、無にはなれないし、なろうとすると周囲との関係が断絶してしまう。
「ポジティブレンガ」。読みやすかった。ネガティブな感情を抑えつけている主人公はどこかで限界がくるというのは読んでいてわかったが、街を壊していくのは予想外で面白かった。黒い中に希望があるというラストが印象的。
「燃える」。3人で寝るのは、国は違っても、同じく戦う者同士の連帯を表しているのかなと思った。
「秘密警察」。最初のほうはコロナ禍の閉塞感もあり読みづらいと思ったが、猫が登場して俄然面白くなった。秘密警察というタイトルから、秘密が無理やり暴かれたり探られたりする展開を想像していたが、秘密を自分から脱いでいくのは予想外だった。秘密警察が捕まえにくると思っていたので。主人公の秘密が読者に明かされる部分はミステリーの謎解きのようで心が躍った。このアンソロジーで一番好きな作品。
「穴の中には雪蓮花が咲いている」。小説としてわかりやすい。大変な状況だけれど最後に希望が見える、明かりがともるというのは王道。文学学校で好まれそうな作品だと思った。
「逃避」。それぞれが与えられた役割(主人公の場合は「母親」)から逃げようとすれば死ぬしかないというのはわかる。もちろんそうでない人もいるだろうけれど、逃げるのが難しい人は多いはず。死神が救いのようにも見えてしまう。
シェリスおばさんのアフタヌーンティー。もしかしたら象徴的に描かれているのかもしれないが、私は少年たちの青春を描いた作品として読んだ。その背景に、国と国との関係があり、情勢によって少年たちの関係も変化していくのかなと考えた。国同士の関係も、人と人の関係も簡単に断絶してしまうものだ。
「絶縁」。すごくシンプル。価値観、モラルの相違により道が分かれるというのはよくあることだと思う。私自身、モラルの違いにより決裂した友人もいるし、別の友人同士が決裂したこともある。思想が異なるのは構わないが、モラルの基準が合わない人とは付き合えない。
◆私はこのアンソロジーの作者たちの世代と比較的近く(少し下かな)、全体としてすんなり受け入れられた。ずっと、自分の中身が空っぽで、そこにたくさんの情報が注がれている、みたいな感覚がある。だから、東京タワーから感情が流れてくる(と感じる)「無」や、「自分の存在を(中略)できれば消してしまって、空き瓶のようにお客様を入れる(P212)」という文章がある「秘密警察」がとくに印象に残った。

<フリートーク
【「無」について】
E:グリーン・ギャルって本当にあった?
B:現実と少しずらしている。喪服の流行も、現実ではゴスロリとかあったから。
G:時代もずらしていますね。51歳の美代が高校のときスマートフォンがあったので舞台は近未来。
F:若い人は無になりたいけど、私くらいの齢になると無が怖くなる。忘れていく。
G:自分が器みたいな感じがするんです、情報がありすぎて。
F:器を空っぽにしたい、と。
B:この小説の怖いところは、「無になりたい」と描き、それを流行として突き放しているところ。誰にも肩入れしていない。
一種の新興宗教ですよね。仏教の悟りに近い。「俗世を離れたい」と「現代の若い人の潮流」をなぜ接続したのかはわかりませんが。普通に考えれば批評がある。若者の信仰も熱に浮かされているだけだよ、と。
この作品は読み取るのが難しくて。美代が東京タワーを意識したのは母親に拒絶されたとき。普通は憎しみの対象になるはずなのに捩じれている。憎しみは、子どもを見たときに流れてきている。美代が幽霊かマリアかわからない存在になって叫ぶところが、ゴジラとなってタワーを倒すのか、一体化するのか、どちらか悩んでいる。

F:私は精神病としてのイメージしか広がらなかった。
B:美代は母というものにトラウマがあった。母に受け入れてもらえなかった代わりに、高度な管理社会で依存的に生きていく自分を作っていたが発狂へと至った。母から愛されればそうはならなかった。
F:なんでいきなり無になった?
B:祭り上げられた。もともと東京タワーにこだわっておかしかったが、見当識がなくなって精神病が進行した――リアルに考えればそうなる。
E:よくできていますよね、小説として。
B:1984年』のビッグ・ブラザーを参照軸として、西洋人にとってのビッグ・ブラザーは人を管理する悪の存在として立ち上がってくるが、日本人にとっては「ビッグ・マザー=空虚な母」が悪なのでは。
F:無って日本特有の文化。何かにすぐ飛びついて。フランスに行ったとき、びっくりしたのは流行がないこと。ミニスカートもいればロングスカートもいて……。日本って変わっているんだって。
「無」には日本文化的なものが含まれている。友達がいないキャラの夫を死なないように食べさせて身の回りの世話をして、その書き方も面白い。
B:海外では、悪は父性として立ち上がる。支配する存在が母として立ち上がる部分が日本らしさとして見えた。
D:統一地方選挙。私のTwitterのタイムラインとは違う結果が出た。人間が見ているところは狭い。実際は、当選した人を支持している人が多い。
B:どっちが正しいとかじゃなく……
D:お互い、狭いところをみている。
F:今回、投票率がすごく低かったんですよね。50%を切ったらやり直せばいいのに。

【「秘密警察」について】
A:「秘密警察」で、主人公が夫を告発したのはなぜ? 彼女は最後まで、夫を売ってしまったことにこだわっている。
F:もっとはっきり書いてほしい、猫もわからない。
G:私、猫が出てきたから読み進められました(笑)。猫は秘密の象徴で、それがどんどん膨れ上がっていくんですよね。
A:偽妊娠は?
G:それも、その後書いていないですね。妊娠を怖がる人は想像妊娠しやすいそうですが。「まだ肉体を持たない子供と力比べ」……役割に縛られているということかな。

【「穴の中には雪蓮花が咲いている」について】
B:「穴の中には雪蓮花が咲いている」が小説として読みやすい。作品のテーマとしても、主人公の再生としてもわかりやすい。どうして最初、ソナム・ワンモを選んであげられなかったのかわかる気がする。
D:幼かったのでは。
B:妹のようにしか思ってなかったから。
F:家柄的なものはなかったんですかね? 主人公の家が上回るかといえばそうでもない、とか。

【「絶縁」について】
F:最近、人間関係の断捨離をしていたという知人から連絡がこなくなった。友達じゃなかったんだけど、私が言ったことが気になってたみたいで。その人は、自分と環境が違う人と交わらなくなった。
E:この年になってくると、意見の違う人と付き合わないですよ。
F:でも、いきなり連絡がこなくなって。
B:断捨離という言葉を使うと、後ろめたさなくできてしまう。ちょうどよかったのでは。

【全体について】
D:なかなか考えさせられるテキストでしたね。
F:自分では手に取らない。
B:国によって作品に特色がある。
D:「無」は日本的ですね。
B:日本では政治的葛藤が少ないから、こうならざるを得ない。もちろん、作者も社会のことを考えているのだが、他の国の葛藤に比べたら甘い。
F:女性にしか書けない、女性の気づきを感じた。
村上春樹パン屋襲撃』という短編があって。日本人はわからないが、海外の人が読むと「なるほど」となる。日本人はすごいことが起こっていても知らん顔しているイメージ。熱くなる人がいないのかな。だめですよ、無になっちゃ。
D:この本のカバーは黒だけど、斜めにするとレインボーの粒子が光るんです。絶縁するけれど希望もある、という意味が込められているそうです。

 

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