読書会LOG

R読書会/Zoom読書会

『探偵小石は恋しない』森バジル(小学館)

Zoom読書会 2026.06.27
【テキスト】『探偵小石は恋しない森バジル(小学館)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
小石と雛未の百合を見たい……とか、一切そういう理由ではありません(笑)。
本屋大賞にノミネートされた話題作であり、面白い物語の構造をしていると感じたので推薦した。「ラブたけのこがにょきにょきしちゃう」というパワーワードが脳裏に焼き付いて離れない(笑)。
また、ラノベとミステリというキッチュな組み合わせは、今後の創作活動において重要なエッセンスなのではと感じ、創作する者としても一読する意義があるのではと思ったので。

<参加者B>
◆面白かった。個人的には最後まで恋愛感情の絡まないバディでいてほしかった気もするのだけど(そのほうが最近の流行りでもあると思う)、蓮杖が少女漫画好きだったり、最初から恋の話ですよ、と宣言している感じなので、結末は決まっていたのだろうなと思う。
◆構成が上手い。一章では叙述による違和感を最低限に抑え、二章で少し「ん?」と思わせ、三章では堂々と読者に疑わせている。私もバニラは人形か動物だろうなと思いながら読んでいた。クライマックスへ向けた流れが、しっかり考えられている。
◆百合や年の差や血縁や、いろいろな性癖が詰まっているのに、なんでBLはないんや……と思ってしまった(笑)。
◆そこはさておき、盛り沢山だけど、個人的には何か物足りない。何が物足りないのか、皆さんとお話ししながら考えていきたい。
◆余談だが、「ラノベとミステリの組み合わせ」というと初期の西尾維新作品を思い出す(そちらは途中から振り切ったエンタメになってしまったけれども)。西尾維新の作品も、妹への偏愛とか、敢えて気持ち悪く書いている部分があったな、と。

<参加者C>
◆面白かったけれども、結構力業ですよね。強引に持っていくと言えば言い過ぎかもだけど。こういうふうな設定を作り上げたぞ、みたいな感じでリアル感はない。辻褄は見事に合っているということを強調している。
◆ミステリの古典的なパターンを上手く使っている。「離婚で苗字が変わる」「双子」……ミステリらしいといえばミステリらしい。最近あまり使われないが、こういう展開にすれば面白く使えるという1つのサンプル。
◆結構、立ち聞きが多い。立ち聞きは(話を展開させる手段として)あまり使いたくないけど、これなら許せる。ニヤリとしながら読めた。
◆小石が調書へ叙述トリックになり得る文章を書いていたのは、いかにも引っかけるための引っかけ。最初から雛未を騙すつもりじゃなきゃ成り立たないやないか(笑)。
設計上、雛未が勘違いしていたという着地点になるように作られている。そういった作り込みの辻褄が上手に合っているから楽しく読める。
◆最後が長く感じる。駄目押しの駄目押し。警官(片矢)が絡んでくるところは必要なのか。これでもか、これでもかという展開に喜ぶ人もいるだろうし、逆にコンパクトに読みたい人もいるはず。
◆読み物としては面白かった。
◆作者は『ノウイットオール あなただけが知っている』で第30回松本清張賞を受賞しているので、そちらも読んでみたい。『探偵小石は恋しない』の作風だと松本清張賞は難しいだろうから、どんな作品だったのか気になる。

<参加者D>
◆現代ミステリは、自分ではなかなか手に取らないので久々に読んだ。
◆現代ミステリらしい部分は、特殊能力を持った人物がいるという前提で話が進んでいくところ。
◆福岡県が舞台となっており、その地方性が活きている。また、文体の軽さも鼻につく感じではない。
叙述トリックに言及があるのは、この作品も叙述という示唆なのかな。文章で事件のことを読むしかない雛未と、同じく文章で読むしかない読者を重ねている。
◆第一章で仕掛けられた叙述、年齢差は気づかなかった。
第二章は、うっすら、内縁である理由があるんだなと思った(最初は同性なのかと思ったが女性と明言されていたので、その予想は外れた)。
第三章のアイドルはわかりました。バッチリ。アイドル喋らないし(笑)。一勝一敗一分け。
◆色々なミステリ作品が散りばめられており、知っている作品が登場すると嬉しい。P103”マガーク探偵団”(エドマンド・ウォレス・ヒルディックによる児童文学作品のシリーズ)とか、”ワニ町”シリーズ(ジャナ・デリオン)とか。
余談ですが、女性が主役の海外作品なら、私は『カスに向かって撃て!』(ジャネット・イヴァノヴィッチ他/集英社文庫)みたいな、アメリカの普通の女性が主役のミステリが好きですね。
◆百合っぽい展開にしておきながら雛未が断罪されて消える。結局“僕が(あの子を)守らなきゃ男子”とくっつく。色んな恋愛を書いている割に着地点が普通。カタルシスまでは感じない。ストレスのかけ方が足りないのでは。小石も蓮杖も、自分が恋をしないことで苦しんでいないので。本屋大賞にノミネートされる作品ってこんな感じだよね、という印象。

<参加者A(推薦者)>
◆小さな事件にある小さなミステリが、最終局面で大きなトリックとなって反芻され、読者側にも、そして雛未側にも叙述トリックとして二重に機能している点が面白かった。キャラクターすら騙すのか、と。
◆それぞれの愛の形や、色恋の面倒くささ、誰かを傷付ける好意を延々と描いている。だからこそ、思い切って陳腐なラブロマンスに回帰するオチが良いと感じた。少なくとも、そう思わせられる積み重ねはあったのではないか。
◆基本的にほぼ全員が二役をやっている、あるいは表面と裏面があるようなキャラクター造形は、ありがちではあるけど、こういうやり方も小説の手法として取り入れるのは面白そうだと感じた。

<フリートーク>
【作中にタイトルが出てくる本について】
B:魍魎の匣』(京極夏彦/講談社文庫)の構造に似ている。色々な事件が集束して、ドミノ倒しのようにクライマックスを迎える。
名前が出てくるミステリを知っていると、より楽しめるかも。私は『魍魎の匣』くらいしかピンと来なかったけど、モチーフとか感じました?
A:フレーバーというか、強調するために入れているな、と思った。私はあまりミステリを読んでいないので、ネタを知っていたらニヤリとする感じはわからなかった。
D:西尾維新のデビュー作『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』(講談社文庫)で、探偵役が「極端な上下運動(階段の昇り降りなど)ができない」って設定がありましたね。“最後に制限を乗り越える”という読者サービスが似ている。
B:そういえば西尾維新っぽさも感じたけど、西尾維新作品への言及はありませんでしたね。西尾維新から影響を受けたって言いづらいのだろうか。なんかわかる(笑)。
D:読んでいることをあまり知られたくない作家っていますよね(笑)。
メフィスト賞作家で、影響を受けたことを言ってもいい作家って誰だろう。岡崎隼人とか佐藤友哉とかになるのかな。
C:名前が出てくる作品からも、影響は受けていないと思う。『魍魎の匣』が鈍器本の代表だから出しただけで(笑)。鈍器本の走りじゃないかと思う。誰もが(鈍器だと)納得する。今回は凶器じゃなかったけど(笑)。
そういうふうに界隈の人が盛り上がる要素を入れているんだと思う。
D:万人受けしそうな作品を入れてますね。
C:小川未明が出てくるとは思わなかったけど。「春風遍し」を使いたかったんだろうな。
B:プロ作家になるような人は、ミステリだけじゃなく純文学もたくさん読んでいるんでしょうね。
C:隠し味として入れると、読書界隈の人は喜ぶ(笑)。
B:隠れてはいなかったけど(笑)、『魍魎の匣』は皆さん読まれてますか?
D:『姑獲鳥の夏』しか読んでいない。こういうものかという納得感があって、だからこそ二冊目の『魍魎の匣』に進まなかった。
B:ぜひ、百鬼夜行シリーズ5作目の『絡新婦の理』まで読んでほしい(笑)。
C:誰もが知っているが、ほとんどの人は読んでいない。買う人は多いだろうけど、最後まで読めない(笑)。
B:『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス他/新潮文庫)みたいな?(笑)
D:ちょっとスクロールしてドーパミンが出ないと先を読もうと思わないですからね。

【作品の作りについて】
D:作品の見どころ、美味しい部分は「この人は誰?」。作者が、読者にびっくりしてほしいところ。
B:蓮杖さんの正体とか。
D:そこはわかりやすかった。当て嵌めていったらそうなるよね、と。
C:プロローグで「苗字が変わる」と言っているから、違う名前で出てくるんだとわかる。
D:最初から名前が変わるって、ぶっちゃけてる。
C:考えながら読んでいたら、だいたい当て嵌まる。配役の切り替えについて、当たる人多いんじゃないかな。
D:当て嵌めていくとそうなる。そこはびっくりポイントじゃない。
C:確かに離婚などで名前が変わることはあるが、創作の中で使う人はあまりいない。上手く現代的に使ったなと思った。双子が出てきたときには鼻白んだが。二組出てきたときには、もう(笑)。こういう作品だから読み続けたけど、都合よく記憶喪失になったり、ご都合主義な部分も多い。
ただ、蓮杖が昔会っている春風(雛未)の顔がわからなかったのは彼女がギャルメイクをしていたからで、そこは「なるほど」と思った。
B:蓮杖は顔を覚えるのが苦手、というフォローもありましたね。
D:そうよね、という感じ。そこも含めて。
C:そういうところも許せる(笑)。
B:パロディ感がある。一卵性双生児も、創作において一つのパターンになっているから、それをパロっているイメージ。
D:あと、警官(片矢)は演劇部だったという設定。だから声が大きいというキャラ付けがされている。
C:警官の存在も後付けのような気がする。後から作った感じがしなくもない。
D:黒幕がいるという二重構造。サービスですね。
C:付け増したほうが売れる。盛りだくさん。クラシック音楽でなかなか終わらない曲がありますよね。お腹いっぱいというよりは、まだ続くのか、と思わせられるような。パターンのようなものを感じる。
B:どんでん返しが何回もあるのはミステリではよくあるんですか? 三津田信三の作品で、最後の最後までどんでん返しがある作品があったので、メジャーな手法なのかな。
D:割とメジャーですね。私は、三津田信三についてはホラーしか読んでいないけれど。
今回のテキストでは単純接触効果について最初に言及しているので順当なラストだと思う。
あの刑事も、遠回りしなくても雇ってもらえばよかった。でも、矢印が出てたら雇ってもらえないのか。
百合に後輩くん(蓮杖)が挟まっているのよかったですね(笑)。
B:百合好きのAさん的にはどうですか?(笑)
A:『探偵小石は恋しない』は百合として見ていなかったので(笑)。サイドっていうか、主体ではないのでオッケーなのかな。人によると思う。なんで(女の子同士で)くっつかないのと言う、悪い百合豚もいるので(笑)。
D:そういう人にとっては、きっと散々でしたね(笑)。

【キャラクターについて】
B:私が感じた物足りなさについて考えてたんですが、キャラクターに類型的な部分があり、薄く感じてしまい、あまり没入できなかったからかも。雛未がギャルなのも顔の判別がつきにくいからという理由からだし、謎解きのためのキャラクターという感じがした。
A:登場人物全員めんどくさいですよね。みんな鬱陶しさがある。そこが共通している。実際、メインの小石想依以外はモブ感が強い。確かにトリックのためのキャラ造形と言う感じはするが、その辺を求めるのは厳しいかなとも思う。
C:これくらいトリックに凝っている作品で、キャラまで凝ったら持て余してしまう。キャラはこれくらいにしておくほうがいい。キャラを活かすのは別の作品ですよ。ここまでトリックに凝った作品にはキャラを入れないほうがいい。
それにしても、そこそこ小石や蓮杖は上手く作っている。重点は置かれていないけれど最低限は作られている。
D:ただ、蓮杖が頭を打ったとき、小石から蓮杖に対して「ごめん」という空気は出してほしかったかな。無理やりヤバ気な事件を受けて助手が負傷したのに、バディとして、社長としてどうなんだと思った。
C:小石のキャラを貫くんじゃなくて、少し緩めることで読者に感じさせるような場面があってもいいかも。情はかけない、みたいなキャラで押し通しているから。
D:恋じゃなくて人情的な労りがほしいですよね。
C:読者に、(小石は)いい人なんだな、血も涙もなくはないな、と思わせるような。

B:恋愛中の人間の気持ち悪さはよく表れてますね。恋愛中の人間って気持ち悪いもん。必ずしも悪い意味ではなく。
C:もっと新しい恋愛の形があってもよかったかも。
B:確かに。日本でも古代は兄妹で結婚していたりしますもんね(異母兄妹が主で、両親とも同じということは稀だったみたいだけど)。

【叙述トリックについて】
B:設定、理由付けが上手いですね。
D:読者が勘違いする要素を3つも詰め込んでくれて、読者サービスが手厚い。
B:第一章、高校生同士なら割り勘普通やん、ってちょっと引っかかったけど、なるほど、風斗は四十八歳の教師だったんですね。一章はそのくらいの違和感で留めておいて、第三章の人形なんて違和感だらけで。上手いなぁ。
A:YouTubeの間違い探し動画みたいにヒントが出てきますよね。ちょっとだけ種明かし。とっかかりみたいなものを出してくれる。
私は謎解きに重きを置いていなかったけれど、バニラは人形なんじゃないのかと予想がついた。あとは全然わからなかった。
やっぱりミステリってわからないものなんですか? みんな推理しててすごいな。
D:私は「叙述は突き詰めるとインチキでしかなくなる」と綾辻行人で学んだので、考えすぎないようにしているけど、今回はイージーなパズルゲーだと思いました。
A:これでもイージーなんですね。
C:イージーなところも、わからないところもある。ちょくちょく種明かししてますよね。叙述トリックは、どうヒントを撒き散らしておくかという作戦みたいなところがあって。完璧なトリックや叙述だったら、読んでいる最中に気づかないじゃないですか(笑)。ある程度、読者に「俺は気づいたぞ」と思わせて、達成感を与えておかないと。
D:綾辻とか本当に(ヒントを)蒔かないですよ。
C:新本格はそれをベースにしているから。マニア向けですよね。普通の読者は美味しいところや達成感を与えないと、買ってくれないんじゃ。
D:私の趣味かもしれないけど、アリバイトリックが叙述だとむかつきます(笑)。
C:まぁ騙してるだけの話ではあるんで(笑)。
D:脳のいやな部分を引っかかれる。気づいたら楽しいと、今回の作品で気づきました。
C:多用したら問題ではある。あれも叙述、これも叙述、と。
D:綾辻の館シリーズの最後は読んで損したと思った。『十角館の殺人』(講談社文庫)がよかっただけに。

C:調査報告書の叩き、雛未が犯人だとわからないうちから作っていた。作品として作り込んでいるが、変な感じの部分も残る。小石はなんのために叙述を書いていたのか。
B:小石はPCが使えない、という理由付けはしていますね。例えば第二章では、蓮杖が「(愛花のことを)奥様と呼ばせてもらいます」と言っているし。ちゃんとフォローはされている。
C:でも、清書したものはパスワード付きで保存して、叩きは雛未も見れるキャビネットに置きっぱなしにしている。矛盾がある。そういうところが気になる。
D:気になるところでいうと、あの探偵事務所、これからどうなるんでしょうね。事務員がやばいやつで、情報を盗み見て、関係者を襲撃して……
A:藍沢がYouTubeでなんとかするんじゃ(笑)。
C:次は、新しい事務員がやらかすとか(笑)。いくらでもネタを広げられる。
B:読み返したら、くどいほど「これは叙述だ」って明かしてますね。早坂吝の『○○○○○○○○殺人事件』(講談社文庫)を出してきたり。
D:いいですよね。読んでいて一ヵ所でも「おおっ」ってところがあったら印象に残る。
B:ぜひ『魍魎の匣』も読んでください!
D:読書会のテキストとして推薦されたら読みますよ(笑)。
C:私はAmazonのレビューを読んで内容は把握しているので(笑)。

A:面白かった。トリックが多すぎて疲れたし、お腹いっぱいで食傷気味ではあるものの、古典トリックのリバイバルというか総決算だったようで、読んでよかった。

『東京都同情塔』九段理江(新潮文庫)

Zoom読書会 2026.05.30
【テキスト】『東京都同情塔』九段理江(新潮文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
たまたま安い本が見つかったので読んでみようかと思って買った。
芥川賞受賞作だが、皆さんどう思われましたか? (Zoom読書会はエンタメ作品を取り上げることが多いので)私たちが日ごろ読んでいる作品とは毛色が違いますよね。
面倒くさい作品だから、手こずった感じがしなくもない。読書会で皆さんの読み方を確認したい。

<参加者B>
◆こんなに不愉快にさせられる地の文と、牧名沙羅のキャラクター造形は秀逸の一言。すごく人間味を感じる。
終盤にあった「プライドの高い秘密主義者のように」という表現は、牧名沙羅がメタ認知をしながらも、ひた隠しにしていた一面を露骨に描いている。
自分を客観視しているようで、自身が欲望を向ける拓人という存在に対し、「年上のキャリアを積んだ女性」という立場を固持しようとしているさまは、本音と建前の坩堝にどっぷりと嵌った一人の人間を描いていて興味深い。沙羅は消費をしていながら、消費快楽を拒んでいる。
◆東上拓人は「ぐちゃぐちゃした喋りをニコニコ聞いてくれる自慢の彼ピ」を、恐らく意図的に描いた存在。牧名沙羅の大人ぶった幼稚さ、未熟さに付き合ってくれる受容体として描かれている。だから彼が汚い言葉を使ったときに沙羅は動揺している。やたら建築と言葉と本音にこだわっている彼女が「汚い言葉に汚れた彼」に動揺してしまっている。
◆幸福=不愉快にならないことと定義するのであれば、この地の文は徹底的に洗練され、簡潔でわかりやすい文章に慣れた人間に対する挑発と挑戦として書いたのではないかと感じる。
◆マックス・クラインという自称レイシストすら、この小説においてはアンチ側を宥めるためのバッファとして、小太りで体臭が酷いオッサンに建前と本音を代弁させている。アダムに知恵の実を食べるよう唆した蛇(サタンの暗喩)の再来のようだった。
沙羅とマックスの対比は、「清濁を上手く取り込もうと実践している」という考えと、「清濁飲み込んだ情動を発言せずにはいられない」という行動の、面倒くさい相克を描いているように感じた。
◆「建前と本音が分かれていること」がそんなに悪なのだろうか、と感じた。建前を使うのは、程度の差こそあれ万国共通ではないか。日本人に限った話じゃない。建前を使うのは、そもそも余計なトラブルを減らすため。たいていの人間が社会的家畜を能動的かつ主体的に選び、社会やコミュニティに所属したがる習性がある以上、感情すべてを言語として表現するとは限らない。本来人間は、本音をなかなか明かさない。本音を明かしたときに得られるメリットはあまり多くなく、リスキーさが勝る。
◆牧名沙羅は、反骨精神はあれどパンクロックは歌えない。どこまでも普通の感性を持った普遍的な人間に感じる。だからこそ、自身の欲望を素直に発露できない人間特有の回りくどい自己承認欲求を感じさせる台詞、地の文に苛立つ。本当に人物描写が上手いと思わされた。
◆建築、言語、AI、他者に共通するレトリックやルックスをフラクタルとして170ページ前後にまとめ上げたのは本当に秀逸だと感じた。

<参加者C>
◆まだ整理しきれていないが、テーマは言葉についてなのかな。お互い、勝手に意味を改善して意味不明になる。言葉の意味が奪われるという展開は『1984』(ジョージ・オーウェル/角川文庫、他)でも扱われているが、『1984』では作中世界の会話は嚙み合っている。今作では言葉の意味が通じなくなってしまう未来が描かれていてユニークだと感じた。検閲が行き過ぎた結果、よくわからなくなる。
◆喋り続けている牧名からは躁鬱のような印象を受ける――今は躁鬱も違う名称なんでしたっけ。
◆建築というのも文学として面白いテーマ。ナチスの建築家であるアルベルト・シュペーアの廃墟価値の理論などを思い出したが、建築についての素養がないのでピンとこなかった。地元で巨大な建築物といえば廃墟になった元デパートくらいしかないので(笑)。
◆予見性がありそうで全然違う未来を描いている。
ザハ案の新国立競技場が建った東京に、もうひとつトンチキな建築物を作ってしまう。ユートピアに見えるディストピアだが、今の現実に比べると優しいとすら思ってしまう。ディストピアに見えるディストピアに向かいつつある現在からすると、むやみにナイーブで「幸せな悩みですね」と言いたくなる。
◆文章がいい。ところどころ切れ味のいいテキストが出てきて、そのカッコよさを見習いたい。
純文学はライターズライトで、書き手が書き手に向けて書くものだと聞いたことがある。「私はこんなに斬新に書けるんだぞ」というように、自分の技巧を、他の書き手に向けて示すみたいな(私の解釈なので、まったくの誤解かもしれないが)。
◆文学で女性が主人公である場合、レイプを経験しているという設定が多いと感じる。社会がそういうかたちをしているから、そういう要素として表れるのだろうか?

<参加者D>
◆偶然、別の読書会で最新の芥川賞(第174回)受賞作を読んでいたんですが、受賞した2作のうち1作の作者は建築士だった。そちらは家が語り手で『東京都同情塔』とはまったく違う話なんですが、家がエロティックに書かれていた。建築物って性的なものを内包しているのかな。私も地元が掘っ建て小屋っぽい駅しかないような場所なので、建築に対する素養はないんだけど(笑)。
◆私は一番最初のザハ案が結構いいと思ったので(費用などを考えない場合)、ザハ案の新国立競技場が建てられた世界という設定は面白かった。
◆言葉を使って組み立てていく――建築物は小説のメタファーなのかな? 自分のためにしか書かない、とか。
◆『東京都同情塔』というタイトルが韻を踏んでいて心地いい。作者はラップが好きなのか、本文も歯切れよく韻を踏んでいたりして小気味よかった。
◆解説でも触れられていたけれど、牧名はマキナ(機械)ですよね。デウス・エクス・マキナとかのマキナ。言葉にこだわった作品だと思うので、なぜ主人公をマキナと名付けたのか気になった。
◆高いところはあまり好きではないので、「かわいそう」とか同情されてまで住みたくない……と思ったけど、ライブラリーでまったりできるのはちょっといいなとも思ってしまった。
◆印象に残ったのは、塔内で拓人が携帯を取り出して通話しているとき、周りは非難の視線を送るものの、それを止める言葉が出てこないという場面。一見優しい言葉しか言えないということは、何かを批判する言葉まで奪われてしまうんだと思った。

<Aさん(推薦者)>
◆皆さん深く読んでおられますね。
◆面倒くさい書き方と見るか、Cさんのようにカッコいいと見るかで印象が違ってくるかもしれない。こういう書き方をする純文学が多いなと感じる。純文学とそれ以外を色分けする何かか、そうでないかはわからないが。
何を書いてあるかはだいたいわかるが、こんな言い方しなくてもいいのではと感じた。このような言い方をすることで何かが浮き彫りになるのか考えてみたいと思ったが、そこまでは読み込めていない。
◆建築とは違うところにテーマがあると感じたので、基本的に建物の話はどうでもいいのではないか。アンビルドとされていた、出来上がった建物。一つの場面設定として使っただけで。その割には、丹念に資料を読み込んで、興味を持って書いたとある。でも意味がわからなかった。
東京都同情塔のような刑務所の成り立ちが説明されていない。マサキ・セトの論文だけでは弱い。その辺りの前提が陳腐。つまり、作者は建築物について言いたいわけじゃなく、別のことを言いたいということ。
やはりテーマは「言葉」か。言葉というものは変遷して、変わってきている。
古代では一対一とか、身の周りの人との会話とか人間同士の付き合いに用いられた。やがて文字ができて、自分たちのサークルと違う人たちと対話できるようになり、ついに未来へ向かって語るようになった。
文字などで言葉が残ると、行き違いのようなことが起こる。今は差別用語とされる言葉でも、数十年前は日常的に使われており、現代の感覚で昔の文章を読むと「酷い」と感じる人がいる。
そしてSNSが出てきて、言葉の取り違えによる諍いが起こるようになり、さらにAIという人間でないものが言葉を使い始める。その中で言葉とどう向き合えばいいのか?
現代は、一つの言葉にいろいろな意味を詰め込みすぎている。社会の進展によって増加した事象に比べ、言葉の数が少なすぎる。昔の人は言葉が増えることをバベルの塔と言ったが、それとは反対の意味で意思疎通できなくなっている。言葉がなければ生活できないが頼りすぎるといけない――そういう想いがあるんだろうなぁ。
◆私はそちらに関心がいきすぎて、建築の話は別の次元かな。主人公がシンパシータワートーキョーに引っ掛かっているところで思い出したのが「高輪ゲートウェイ駅」。その駅名は、都民から募集したもののうち130位だった。そうしたものが出来上がってしまったときの違和感。そのような、作者の言葉に対する違和感が集約されているのかな。
そんなことを考えながら読んだ。

<フリートーク>
【作中の街・建築が象徴するもの】
D:街づくりに関する騒動と言えば、私はホームレスを追い出して作られた綺麗な施設のことを思い出した。街づくりはどこか歪になるんですかね?
A:「高輪ゲートウェイ駅」という駅名には、がっかりした。新しい時代を切り拓くという意味があるのかもしれないが。
私がいいと思ったのは3位だった「芝浜駅」。落語の「芝浜」あるじゃないですか。「芝浜駅」だったら賛成するのに、って思ってた。
作者にも、私のそういう感覚と共通するものがあったんじゃないだろうか。
D:ビッグ・ブラザー出てきましたね。『1984年』の。ディストピアを意識してるんですかね?
C:普通に読んだらディストピアっぽい雰囲気を感じるけど、それを書こうとしたのかな? (現実の)時代のほうが追い抜いてディストピアになっていない。今、その検閲者は息してますか? 剝き出しの罵倒が蔓延っている。より直截的に、気に入らない者に対し「死ね」と言う社会。検閲者は死んだ。そういう部分は、作中でも触れられているけれど(主人公も「死ね」と言われている)。非対称ですよね。ある種の人は検閲を受けて、ある種の人は検閲を受けず人に「死ね」と言っている。
D:「炎上覚悟で言いますが、凶悪犯は全員死刑にするべきだと思うんですよね」みたいな人は、炎上しないと思って書いてますよね。
C:そのくらいでは燃えないし。
A:そういう隠れ蓑はずるいよな(笑)。ペンネームも隠れ蓑ですよね。
B:罵り言葉、自虐としてはアリじゃないでしょうか? 私はペンネームに自虐として、自分への罵り言葉を入れている。自己批判や客観視をするために。
傷つけちゃいけないというラインが難しいですよね。言わなければならない言葉ならなおさら。強い言葉を無くしたら犯罪にすらも寛容になってしまう。そうすると、新国立競技場と東京都同情塔が調和された世界に行き着くのだろうか? 新国立競技場に合わせなきゃならない――ナンセンスなんじゃないのか、という本音があるのでは。

【シンパシータワートーキョーの背景】
A:牧名沙羅が東京都同情塔を設計したことを悔いている部分があった。その辺りの理由がよくわからない。本当にやりたいことではなかったのではないか。アンビルドで終わるのではと参加したら通ってしまった。その辺り、「アンビルドにはいくらでも理想を入れ込めるが、現実になってしまったら違うよ」という意味もあったのでは。だから、この小説を読むにあたって、(作中の)建物に関しては気にしなくていいかなと思う。
D:コンペでは勝つために言葉を尽くしてましたよね。
A:本当に建てようと思っていたのだろうか? コンペには勝ちたかったけれど、(現実のザハ案のように)アンビルドで終わらせたかったのでは。
犯罪者に寛容な刑務所――理想的な物を作るに至る設計思想があまり書かれていない。世の中に受け入れられていたのか? SFなら作品世界を作り込まないと読者は納得しないが、この作品はこれでいい。作者が断定したなら、読者はそう読まなくてはならない。だから私たちが普段読んでいるような作品とは異質。
面倒くさい語り口なのは牧名沙羅だけじゃなくて拓人もだし、マサキ・セトやマックス・クラインにしてもそう。一本調子で持って回った言い方をしている。全部同じ人間が書いているんじゃないかという文章。エンタメなら書き分けをしなくてはならないところ(純文学だから許されている)。私たちが考えている小説(私たちが普段読んだり書いたりしている小説)と違って、キャラクターや建物はどうでもいいのでは。やはり、作者が言いたいことは「言葉」ではないだろうか。小説に対する違和感を持たせながら読ませる作品。
B:観念的で抽象的。象徴して塔がある、一つひとつがエッセイの補強としてあるような感じ。
A:沙羅の「ザハが提案した新国立競技場は建たなくてはならなかった」という評価のもとになっているのは何だ。ザハ案がどういう意味づけを持って沙羅を捉えていたのか触れられていない。だから建物はどうだっていいんじゃないか。
B:牧名沙羅は「信頼できない語り手」。フェミニズムに触れていたのは、女性であるザハの案が棄却されそうになったことへの反発みたいなものがあるのだろうか。
もったいぶって言いたいことを提示しない。ぼかし続けている(個人的に、読んでいらいらするところ)。たぶん、その辺、ぼかし切る小説なのかな。
A:ぼかし切るというより、どうでもよかったのでは。プロットのない作品だと思う。設定はある。作者が考えた設定はあるが物語に乗せていない。
同情塔に賛成する人がいたわけだから、普通の読み方をしていたらその詳細を知りたくなる。でも、建った事実に対してどうこうと書いていない。私たちが書く作品では、読者に背景を理解させなくてはならないが、この作品ではそういうことには触れていない。だから違う種類の小説。それが純文といえば純文。ずるい書き方。
私たちは作品世界の背景を考えるが、この作品には根拠がない。物語がない。わざわざアンビルドの新国立競技場を作中に建てて、観念的でしかなかった同情塔が建って……なんでやねん(笑)。同情塔に対して反対する人たちはいるが、その勢いの強さが見えなかった。そういうプロットが入っていない。それで、よくこれだけのものを書けたなと感心する。
D:マサキ・セトが襲われた件はどうですか?
A:それがあったか。でも大々的には扱われていない。当然のことのように書かれている。もっと意味のある書き方をしないと伝わらない。

【テーマと書き方について】
D:牧名はマキナ(機械)ですよね。
A:私はマシナリー(機械的)かなと思っていた。
同情塔の根拠であるマサキ・セトの論文の、A子さんに関する箇所が陳腐なのは敢えてか。
また、拓人は、クラインに送る文章はAIに書かせているが、沙羅の伝記は自分で書いている。差を持たせすぎていて陳腐。そういうところが混じっているのが愛嬌があっていい。
結構その辺り気に入っている。こういう書き方をしたくないし書きたいとも思わないが、結構上手い書き方をしている。
C:書いてない部分ありますよね。実際の入居者がどういう暮らしをしているのか、犯罪者側の視点がない。建物として眺める。あくまで建物。意図的に省かれている。雰囲気だけ上手く流用したなという感じ。
A:その辺り、関心ないんでしょうね。拓人に住ませて様子を書くくらいに留めている。
C:現実感がない。囚人に対して最高の待遇を用意する――ないな。
A:読者もこんなことあるはずないと思いながら読んでいる。そういう世界観なんだと書いてしまえばそうなる。理由はともあれ。
C:タワマン文化を下敷きにしてるんですかね? より高いほうがマウントを取れる。一番いいところに囚人を住まわせて、都民に見上げさせている。
A:そういう設定にしないと、(読者の)目に留まらないからかも。この類の小説では、しっかり書いてしまうと綻びが出てしまうので背景はスルーする。
D:寓話的に書いているから細部はぼかしていいのかも。
A:物語にウエイトを置いていない。材料を提供するから考えてください、という作品。そこから、私は「言葉について考えてくれ」というシグナルを受け取った。
D:エンタメ作品だと「面白かった」で終わったりしますね。純文学は「答えは自分で考えなさい」って問いかけだったりする。
A:面白いけどそれだけ、という作品もある。何かを考えて感じることもない。これは逆。中身は全然面白くないけど考えてみたくなる。
D:現実を忘れさせてくれる面白い作品も貴重だと思う。「あー楽しかったー」で忘れることができる作品を書くのも職人技。考えさせる作品と、どっちが優れてるとかはないですよね。私はソファに寝転がってする読書が好き。
A:読者は「(この作品には)何かありそう」と感じると、「これは高級な作品なんだ」と思う。例えばこの作品をわかりやすい文章で書くと成り立つのだろうか? こんな捻くれた言い方しなくてもええやん、って。読んでわからないことないから、そのまま読まされるんだけど。何が頭の中の検閲者やねん、となっていた(笑)。
D:頭の中に検閲者がいる感覚はちょっとわかった(笑)。
C:作中での主要な悪役は検閲者だけど、今や、可哀そうな検閲者に対する死体蹴りみたいになってしまった。現実では検閲者が死んでしまったがゆえに殺伐としてしまった。もっと大切にしてあげたらよかった。実際は、タワーを建てる力も無かった。
そもそも東京都同情塔じゃないといけない理由もよくわからない。ある種の言語感覚に耐えられない、ということなのか? 芥川賞バトル。何にでも「東京」を付けた元都知事へのアンサーというか。
一同:(笑)
A:「東京都同情塔」は、考え抜いた言葉じゃなくて思いついた言葉だと思う。「東京」で区切ってしまうと文節が分かれない。
C:「都」が入らないとだめな理由が明確にあって、作中で説明されていたがついていけない。
A:書きたいものがあって、それでないとだめなのでは。

【作品と新しい技術について】
A:「全体の5%くらいは生成AIの文章をそのまま使っている」というのは受賞会見でカッコよく答えるために言ったのでは。何か理由付けしないと、みたいな。
C:芥川賞、浅薄に話題作りしないとみたいなのあるんですかね。
A:新しい試みをしたら拾い上げよう、みたいなところがある。例えば、黒田夏子『abさんご』は横書き。石原慎太郎『太陽の季節』は現代なら受賞しないと思う。癖がありますよね。柴田翔『されど我らが日々』には何人かの手紙が出てくるけど全部文体が同じ。
C:社会がAIを受容する過程で、こういう小説が出る必要があった。数年経ったら気恥ずかしくなるのではないか。
A:すでに現実との違いが出てきている。最近のAIは質問者に忖度しないし。
C:携帯電話が出てきたとき、携帯電話をモチーフにした小説が出てきて消えていった。AIが出てくる過程において、この小説が必要だった。
A:その前はポケットベルを使っていたなぁ。会社に持たされてて。ポケベルが鳴ったら会社で何かあったという合図だから、電話で折り返していた。
D:私はそのころ小学生だったけど、CさんとBさんは持たれてました?
B:持っていなかった。
C:私も持ってなかった。システムがわからないけどショートメール専用機みたいな感じですかね? 受けるだけでメッセージは電話から送らないといけないのか。
ポケベルがあったのは知っている。古くてレトロなもの。ポケベルは意識することなく無くなったけど、携帯は当たり前になった。いずれAIも受容されて、敢えてAIAI言うこと自体が古臭くなるはず。
A:AIに関する最近のニュースだと、AI「クロード・ミュトス」。人間が見つけられないバグを一瞬で見つけ出す。悪人の手に渡ればシステムが攻撃されると問題になっている。政府とメガバンク以外にはアクセス権を付与しないと言っているが、後追いのシステムが出来たらどうするのか。
C:一般に広がらない限り、小説で書くならChatGPTとかGeminiとかが共通認識になってくるんでしょうけど。
A:『東京都同情塔』で違和感を感じたのは、2030年でもTwitterがあるというところ。若干のフォローはしてあったが。この作品では、作者が「そういう設定だ」と言えば納得しなければならない。
D:TwitterはTwitterだという強い思想が伺えましたね(笑)。
AIについてはどうですか?
A:AIは捏造するからなぁ。間違いはないかと訊いたとき、なかったら間違いを捏造してくる。「ハルシネーションなしで」と書いても、捏造した回答をしてくる。
C:私は今、AIにプロットを食わせて書かせるというのを試している。今のところ、AIは日和った文しか書かない。プロンプトが難しくて手間がかかるし。
九段理江は雑誌の企画で、20万字のプロンプトを入れ4,000字の小説を書かせたそうだが、絶対自分で書いたほうが早い。話題性ですね。
B:今の時代だから通用する。アイデア、構成をAIに頼ることは、これから当たり前になっていくはず。
C:ワープロが出始めのころは「ワープロで小説書きました」みたいなのあったんですかね。話題性を作るという意味で。
B:江戸川乱歩は、エログロ小説を「反戦として書いたのか?」と訊かれたら、あくまでエンタメとして書いた、と言っていた。探偵小説・怪奇小説がメジャーなサブカルチャーだった時代の話。今だったら不朽の金字塔として認知されないのかな。
C:真っ先に飛びつく能力が必要なわけですね。
B:需要がありそうなものをやってみる時代なのかも。小説に限らず。別の媒体が生まれるかもしれないし。
A:どこまで残るかどうか。江戸川乱歩だから残っている。乱歩でないと残らない。
川端康成と並んで文学全集に載っていた横光利一。今は誰も覚えていない。
D:芥川龍之介は読んだことあるけど、直木三十五は読んだことないですね。名前は知っているけど。
A:『南国太平記』面白いですよ。
私は芥川賞、誰がとったかよく覚えていない。関心がないので。
C:この読書会(Zoom読書会)では、直木賞受賞作のほうが登場頻度が高いですね。
A:直木賞作品であれば、東京都同情塔が建てられた背景を丁寧に書くはず。
C:エンタメは誤魔化しが許されないですからね。
A:今回の作品のように感覚的に書かれてしまうと戸惑ってしまう。

【雑談】
D:皆さん、本のジャケ買いします? 電子書籍を導入して思ったんですが、絵が素敵な本は紙で欲しくなるなぁ。
C:私は歴史小説を読むことが多いんですが、歴史小説ってふんわりした表紙じゃないですか? パッケージで読みたくなるジャケしてない(笑)。
A:以前読書会で取り上げた『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』(阿部暁子/集英社文庫)はジャケ買いでした。
D:『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬/ハヤカワ文庫JA)は表紙で「お」と思いました。本を手に取る切っ掛けとして、表紙大事ですね。

「時の家」鳥山まこと、「叫び」畠山丑雄(『文藝春秋』2026年3月特別号より)

R読書会 2026.05.16
【テキスト】「時の家」鳥山まこと、「叫び」畠山丑雄(『文藝春秋』2026年3月特別号より)
【参加人数】11名
※オンラインでなく対面形式でした。

★今回のテキストは2作で、参加人数も多いため、Aさんのご提案により「もしどちらか一方の受賞だったら、どちらの作品が芥川賞に相応しいか? という視点で読み、自分の推し作品について熱く語る」という趣向になりました。

B:今日はAさんがおられるので、より闊達に意見交換ができればと思います。

<推薦の理由(参加者A)>
 今まで、芥川賞発表前に候補作を読み、自分ならどれを受賞作にするかという読書会に参加していたが、主催者の方の都合で開催されなくなったので、芥川賞を読み解く機会が減っていた。
 前回は該当作なしだったが今回は2作が受賞。選評も受賞者インタビューも掲載されており、この読書会で取り上げたら勉強になるかと思い、推薦させていただいた。
 深掘りすると時間がなくなるので、昨日、急遽「どちらが芥川賞に相応しいか」という趣向を提案した。2作の傾向が異なり、選考委員の意見も分かれている。皆さんの好みを伺いたいので推しについて語っていただければ。また、もう一方はなぜ自分に合わないかを教えてください。

<参加者B>
 「叫び」が面白くて、もう「時の家」は読まなくてもいいかなと思っていたが、これもとても面白かった。
 「時の家」は緻密で、冷静に静謐に書こうという抑制が効いている。レース編みのような繊細な世界に入れてええやん、と思ったが、私が選考委員なら「叫び」を選ぶかな。
 「時の家」は藪さんと緑と圭さんという三世代に渡る住人のことが書かれているが、いまひとつ響いてこない。
 「叫び」は生の人間が本音で描かれていて、とにかく面白い。荒唐無稽なことが書かれているけれどリアリティがある。歴史的背景などちゃんと調べられており、しかもそれをおちゃらけたふうに言っているが、ちゃんと「痛み」がある。もう好き嫌いの世界になるが「叫び」が好き。
 また、「時の家」は閉ざされて窮屈な感じがしたのに対し、「叫び」は広がりのある読後感だったので「叫び」を選んだ。
★参加者Bの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」0票、「叫び」1票】

<参加者C>
 私も「叫び」を選ぶ。
 「時の家」は「家」を語り手として、そこに住んだ三世代の人たちの心を描いているのが新しい。しかし緑が公園に行く場面も「家」が語り手となっているのが気になった。最後のほうなのでそのまま読んだが。
 「叫び」の語り手である早野は、失敗も多く、家まで借りたけれど女性に相手にされず、仕事はしているが銅鐸の先生に入れ込んで、受け売りを語ったりしているのが面白かった。
天皇など、日本に昔からある社会的なものを語っている。社会的なものを小説で語ろうとする場合、勉強している人はすでに知っているし、興味がない人には読み飛ばされてしまいがちだが、早野というキャラクターに乗せて面白おかしく書くことで読者に読もうという気にさせる。それに絡めて、中国大陸で罌粟畑を作っていた川又青年が見えるようになり、なおかつ1940年の万博と大阪万博がトンネルのように時代を繋げる。早野と川又青年の2人を語り合わせていることにびっくりした。ずっと面白い、面白いと読んでいたが、罌粟畑の話や巻末の主要参考文献を読んで、日本の軍部が何をしたかを初めて知った。選評にもあったように、エピローグはないほうはいいと思う。それがなければ軍隊の歴史を見つめて終わるので。早野個人の話で閉じてしまって、もったいないと感じる。
★参加者Cの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」0票、「叫び」2票】

<参加者D>
 私は断然「時の家」。最初から描写が絶妙。私は小説を習いに行ったとき、読むのも書くのも苦手で。なんで「赤い薔薇」を「赤い薔薇」と書いちゃいけないの? って。
今は短歌を中心にしているので、小説を読むときも語彙を見る。「時の家」はボキャブラリーが多くて進まない。短歌に使えそうな言葉がいっぱいでてきて、これはまずいぞ、と(笑)。
絵とかを仕事にしている人は、物語をコツコツ書いていくのがわかると思う。この作品は青年のスケッチで進んでいく。すごくユニーク。人物より物に愛情があるのが楽しかった。
冒頭から2行目の「分厚い熱は平らになって屋根面を圧し(中略)対流により奪われてゆく」……全部が短歌になる。五七調が多い。「見えない遅さ」とか、なんとなくわかるわと思って。「見えない遅さ」、すごいな。
そんなふうに組み合わせて短歌を作りながら読んでいったから進まない(笑)。
ざっと全部読んだけど、P246上段の後ろから6行目「斜めから照らされている猫の耳」とか、どんどん短歌が出てきて。10首くらい作って、最後までなかなか行きつけなかった。
 「叫び」は短歌になるような言葉がなかった。坩堝とか鋳造とか鋳型とか。関西弁にもついていけなくて。すごく疲れた。私が選者だったら「叫び」は落としている。
B:Dさんが、もともと東京の人だからというのもあるかも。
★参加者Dの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」1票、「叫び」2票】

<参加者E>
 私も「時の家」好き。この『文藝春秋』を買ったのも「時の家」を読みたかったから。建築家の方がどんなものを書かれたのかなと持って。
前半は読みにくいのなんのって。でも途中からそうかそうか、と読むようになった。描写とか、そういうものがちょっと(他の作品とは)違うなぁっていう感じがして。私、自分で土壁やったことあるんだけど、そうだそうだと思いながら読んだ。家が鳴るとかもよくわかる。
(家に)色々な人が住んでいた、という歴史を書いているのが面白い。解体のシーンもすごくて、絶対こうだな、と思って。
 「時の家」が読みたくて買ったから「叫び」はどうでもいいかと思ったけど、両方読めと言われたので(笑)。
(一同笑)
 「叫び」。大阪人じゃないとこの笑いが理解できないのだろうか。何が楽しいのか、何が面白いのかわからない。私は4年間、大阪に住んでいたことがあるが、大阪人ってこんなとこあるよなと思いながら読んだ。また、天皇陛下の前に飛び出したことを書かなきゃいけないのか? と疑問に感じた。
 2作読んで、みんな「叫び」を推すだろうなと思ったけど、私は「時の家」。私しかいないかなと思ったらDさんがいてくださった(笑)。
★参加者Eの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」2票、「叫び」2票】

<参加者F>
「時の家」を読んで)感動した。今が大事だと思った。年表を作りました。2年はズレてるかもしれないけど。(※画像参照)

[事前のレジュメより]
【「時の家」読後感想】
登場人物概略
〇実の母の思い出を何とか探そうとしているが、見つからないことに悩む少年 
〇友人の死を受け入れ難い緑
〇両親の離婚と自らの伴侶について考えさせられる圭さん
〇妻への償いとして家を作る薮さん:
 その家の家具の配置、テーブルの高さなどは亡くなった妻に合わせたものだった。
 妻に合わせた、使い勝手が良い造りになっている。 
〇スケッチをする青年:スケッチをする理由は明らかになっていない。
 自らが大切だと思うものをスケッチブックに留めたい、か。
・谷川俊太郎の「時」という詩を三人は発見する。
 緑、圭さん、青年。各自いろんなことを思う。

◎この家は、薮さんが妻への思い《谷川俊太郎の「時」》を形にしたものであろう。
◆家の特定の造り物、例えば大黒柱の籐や、取手などから、3人の思い出がそれぞれ語られる。読み手としては、その部位に対する思いは分かる。しかし、三人もいると話が飛んでおり、縦の関係すなわち時間軸が分かり辛かった。そこで時系列を作った(※画像参照)。縦横(時間、登場人物)の関係の分かり辛い小説でした。
◆個々の話「そもそも死んでしまったことと長く会えないことって、どう違うんやろ」「別れないために、できることって何なのかな」などが、「家」と「時」という詩で繋がって、しめ縄のように展開する構成には感心した。
◆亡くなった人、別れた人、そして、今、目の前に居る人。これらについて考えさせられる作品でした。

【「叫び」読後感想】
344下:激しく罵られ、自分を否定されるたび、こころが軽くなり
    ➡確かにこのようなことはあるような気がする
345上:洒落が面白い
〇罌粟(けし) 罌粟を傷つけて流れ出た液体を乾燥させたものが阿片(アヘン)
〇全体的に、また局所的でもあるが、話の興味を途絶えさせないように、少しずつ論点を変えながら話題を変えている。これで読者が飽きないような構成となっている。
〇文章は読みやすい、だが、ちと難しい話しになると内容がスッと入ってはこなかった。歴史の知識が乏しいので、どこまでが本当の話で、またこれをベースにどうパロディとなっているのか分からなかった。
〇気がふれた男の物語? 罌粟の栽培だけでは幻覚症状は出ないようなので、やはり思い詰めると幻覚が出てしまうという男の話なのか。
〇この小説が芥川賞に選ばれた理由がよく分からない。

【「時の家」「叫び」選評感想】
〇選考委員の評がバラバラと思えた。
〇受賞作以外の作品も読みたいと思った。
「叫び」:これはパロディみたいに読むのもありかと思った。

★参加者Fの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」3票、「叫び」2票】

<参加者G>
「叫び」から読んで、なんとも面白いと思った。私は古代史や銅鐸が好きで、そういう題材を取り扱っているのが面白いな、と。そうやって、太古のものと戦前、現代を接続させている。
 選考委員がどこまで意図したかわからないが、この2作品が同時に受賞したことに意味がある。上手いこと対になっている。作者も登場人物も世代が同じ。どちらの主人公も、歴史から切れていて背景を背負っていない空っぽな人間。
「時の家」の青年は、その空白を埋めるために幼いころに関わったことがある、間もなく失われる家の歴史を自分のものにしたいと侵入していく。
「叫び」の早野は、空っぽの自分に似合う空っぽの銅鐸と出会って、その響きで世界を埋めたい。
どちらの作品も、歴史から切れてしまった現代の青年(=日本人)の「歴史をいかにして自分の血や肉の中に取り戻すかというもがき」を描いている。
ただ、方向性はまったく違うが。
ひたすらミニマムなところに迫っていく「時の家」と、誇大妄想的なところにガーンと行ってしまう「叫び」というアプローチの仕方がある。まったく正反対で、だから一見全然違う作品に見えるが、信念というか、芯にあるモチベーションみたいなものはすごく共通している。そこがとても面白い。
 「時の家」に書かれている死者に対する哀切などは個人的にグッとくるのだが、描くものとしては普遍的すぎる(ただ、そういうことは繰り返し誰かが書いたほうがいいのだが)。
 「叫び」は、日本人もあまり知らないような戦前の歴史、天皇の話などを取り入れ(上手く接続できているかはわからないが)、読者に突きつけている。だから芥川賞をとるべきというか、とらないとあまり読む人がいないんじゃないだろうか。それはもったいない。
 でも、やっぱり両方、対で受賞したのがすごく意味があると私は思う。
★参加者Gの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」3票、「叫び」3票】

B:ここまで同数ですね。後半のほうがプレッシャーかかりますよ!(笑)
H:めげずに言うしかない(笑)。

<参加者H>
 私は両方とも読んで、「叫び」めっちゃ嵌りました。すごくツボに嵌って、そういう意味の面白さもあったんだけど、同時に興味深くも読みました。
「時の家」「叫び」と、どこが大きく違うかっていうと、やはり「時の家」は内に閉じている感じがする。選考委員の平野啓一郎さんも「ナイーヴ過ぎる」と書いており、確かに、と思った。最後にそこから飛躍するものは何もない、という感じに受け取った。
 だから「叫び」のほうが小説として面白いんじゃないかと思うが、私は「時の家」のほうが好き。どうしてかというと、まったく小説の内容とは違うが、「時の家」を読んで、いろいろなことを想起させられるという不思議な体験をしたので。この作品は、登場人物たちにとっては手の届かない過去のものについて書かれている。この家に戻ってくることもできないし、手を触れることもできない。それに対する想いが切々と書かれているのでそこに心が揺れたのかもしれない。私自身、父の転勤でいろいろなところを転々としていたが、家を変わるごとに、もう二度とその家には戻れないし、二度とその環境には戻れない。戻れないものに対する想いというものが、今の私を作ったものでもある。二度と戻れない、でも私のベースになっている。そういう想いが、この「時の家」という小説の中に、ぎゅっと凝縮されているから、私自身の想いを想起させられたんじゃないかと思った。
 そんな体験ができたので、どちらかと訊かれたら、自分の好きな「時の家」を選ぶ。
★参加者Hの推し作品:「時の家」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」3票】

<参加者I>
 「時の家」「叫び」の作者は2人とも関西出身で同じ世代(鳥山まこと氏/兵庫県宝塚市出身/1992年生まれと、畠山丑雄氏/大阪府吹田市出身/1992年生まれ)。私も比較的近い世代で(1986年生まれ)、また、学生時代を大阪で過ごしたので感覚的にわかるところもあった。
 どちらも場所と時をめぐる作品で、先ほど皆さんが仰られたように、共通する部分もあり、対照的でもあると思った。
 「時の家」は過去の出来事の細部を丁寧に描く解像度の高い作品で、「叫び」は大きな流れを書いている。どちらの作品も読みにくい箇所はあったが、最近「わからないところはわからないまま読む」ということを覚えたので、とくに調べずにとりあえず一読した(後から、川又青年は実在しない、など一応調べたが)。どちらもすごくよかったが、どちらが芥川賞に相応しいかというと「叫び」だと思うし、仮に私が選考委員だとしたらそちらを推すが、好きなのは「時の家」
 「時の家」は、Hさんが言われたように、いろいろな感情を呼び起こしてくれた。阪神・淡路大震災のとき岡山は震度4で、それが私の一番最初に体験した大きい地震だったのだが、揺れを感じていながらも当事者ではない痛み、みたいなものがあったと思う。コロナ禍もそうで、同じ時代にいながら、自分や周りの人は亡くなっていないので当事者ではなかった――そういう負い目のような感情があることを認識させてくれた。また、私も亡くなった友達がもういないという認識が薄くて、ちょっとLINEしようかな、みたいになるときがあり、自分がおかしいのかと思っていたから、この作品を読んで少し救われたところもある。私の中で引っ掛かった部分、自分ごととして捉えた部分があるから「時の家」という作品が好き。
また、私は、過去や物、物が持つエピソードに執着するきらいがある。そんなタイプの人間にとっては刺さるところがあるのではないだろうか。
 2作読了後、選評に「うんうん」と頷いたり、「そうそう」と笑ったり、面白く読んだ。
A:で、結局どっちを選ぶん?
I:「叫び」はラストに向けて作為を感じる部分があって(主人公に短刀を持たせたところで、捕まるラストにするんだなと読めてしまった)、ここは後から付け加えたのかな、とか思ってしまった。「時の家」はコツコツ積み重ねていく作りが好ましいと感じる。でも片方だけ選べと言われたら「叫び」ですね。
★参加者Iの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」4票】

A:すごいな。ここまで同点やで。だんだん責任が重くなってきた(笑)。

<参加者J>
 最初に謝っておきます(笑)。
 最初に「叫び」を読んで「あ、これ好きやわ」と思った。それから「時の家」を読み始めたのだけど、ページごとに疲れてしまって。だから「叫び」だけでいいかなと思っていたら、両方読んで推し作品を決めよう、というメールが来て(笑)。そこから全然読めず……「時の家」は私には難しかった。語彙力のすごさ、その道のプロの言葉の数の多さに圧倒されたし、心に対しての言葉を持っておられるのだが、私には「叫び」のほうが届いた。
 「叫び」は、最初、ふんふん、と読んだが、読み終わってから、これって全部が幻聴幻覚だったのかもしれないと思った。ひょっとしたらあの役所に勤めている同僚たちも。一番確かなのは最後だけ。なぜその部分が必要なのかと言われていたが、私は「ひょっとしたらその部分だけが事実なのか」と思わせられる余韻が好き。
★参加者Jの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」5票】

<参加者K>
 『文藝春秋』は購入したが、体調が優れず全部読めていない。「時の家」は書き出しが難しかったのでパスした。「叫び」は書き出しがよく、最後まで読めそうだった。
 受賞のことばで、「時の家」の作者は前を向いているが、「叫び」の作者は斜に構えており、こういうひねくれたような人は好きだと思った。
 本を読むどころではなかったが、「叫び」は関西の、面白かった時代の漫才を思い出しながら読ませてもらった。最後は私自身、こういう終わり方は好きじゃないと思った。
★参加者Kの推し作品:「叫び」 【ここまで「時の家」4票、「叫び」6票】

B:では、皆さんの意見を踏まえた上で、Aさんお願いします。

<Aさん>
「時の家」
◆ざっと選評を読んでから読み始めたが、一つひとつの言葉に引っ掛かった。言葉自体はすごいと思うが、どういう状況かなかなかイメージできなくて、するするとは読めなかった。青年のスケッチを通して、家の細部を描き出すという作者の試み自体は成功していると思う。そうでないと家視点は成立しないので。
◆青年がなぜスケッチするのかは、P292に、祖父母の家の姿を残さなかった後悔があるという動機づけも自然に入れられている。
◆家視点が顕著だと感じたのが、P327で家が喋っているところ。「そうして浮かび上がる彼らの思考は、思い出すたびに揺れては変化し(後略)」……思い出すたびに、というのは家が思い出している。家はただ単に見ているわけではなく、住人が思い出すことまで把握しており、心の中まで入り込んでいる。彼らがこの場にいないときのことまで彼らの思い出として捉えて、家は取り込んでいる……というところで視点の問題は解決できていると思う。だから家視点というより神視点。心の中も全部お見通し、みたいな。心の中まで描き出しているのがこの作品にとっての必然性で、そういうところがよかった。
◆登場人物としては塾講師の緑が結構好き。彼女のエピソードに出てくる少年にエロティックさを感じた。この少年だけ特別なんだろう、みたいな。そして、緑と少年を震災というものが繋いでいるという設定がちゃんとある。作者はきっと裏事情とか細かいところまでしっかり作り込んでいて、さすが建築家だと思った。作り手として漏れがない。
震災が「人が作り上げたものを瞬時に壊してしまう存在」として随所に登場し、ラストの「人の手によって家を壊す描写」と対応しているのかな。作品として完成度がすごく高い。
◆Hさんが仰られた、自分の想いを想起させられるという点について。私は実家が阪神・淡路大震災で潰れている。作品に対して感動するというより、ここに書かれていることで自分の思い出を引き出されて、押し潰されそうな感じになった。地震の瞬間、私自身は大阪におり、箪笥がずれたり食器が壊れたりした程度だったが、実家に行ったら中に入れない状態だった。石垣の上に家があったのだが、裏の家がガサッと落ちてきていて玄関が通れなくて、石垣に梯子を掛けて登らなければならなかった。アルバムを持ち出すのがやっとだった。家は少しの間で本当に朽ち果てていくというのを、まざまざと見せつけられた。屋根が壊れて雨も降っているから。
 それを思ったら、作中の震災に関する内容は薄っぺらく感じてしまう。P312~描かれている、東遊園地の「阪神淡路大震災1.17のつどい」にも参加しているが、あんな暗い場所で少年の顔なんて絶対に見えない。せっかく緻密に作り上げているのに、その辺りにリアリティのなさが垣間見えている。震災のとき3歳で、震災をちゃんと知らない世代である作者が、無理やり捩じ込んだ感じがして。
 途中までは、自分の思い出をいっぱい引き出されたし、亡くなった人に対する緑の考えはすごくわかるなと思ったり、よかったんだけど、そこで冷めてしまった。
◆アーティストじゃなくて職人の作品だと感じる。緻密ではあるけど広がりがない。
◆作品から自分の想いが引き出されるという読書体験を得たのは貴重だなと私も思った。ただ、やはり神視点で、人物が薄いというか遠い感じがして。私が個人的に好きなのは、どれだけ人間が書けているか、という部分なので。選評にもあったが、綺麗事しか書いていない。家の中で起きる人間くさい何かが描けていたらよかったのに、と私も思う。
◆選考委員の1人である吉田修一さんは好きな作家で、吉田修一さんの書いていることは全部納得した。私もそうやなっていう部分があって、だから吉田修一さんの小説好きなんやって、選評から読み取れて面白かった。

「叫び」
◆冒頭から面白くて笑える。リズム感もいい。町田康を思い出した。言葉選びやエピソード選びがすごく独特。だから、どこかで読んだことのあるエピソードが少ない。
◆銅鐸と万博と罌粟畑と満州みたいな突拍子もないモチーフを繋いで小説世界を豊かに広げる発想力に驚かされた。
◆早野と先生、二反長音蔵と川又青年の関係性が似ており、だから過去と現在も似てくるという二重構造になっている。川又青年も何もないが音蔵に惹かれて行動し、早野も先生に惹かれて銅鐸づくりなどを始める。その構造がすごくいいと思った。
◆1940年に開催されるはずだった「紀元2600年記念日本万国博覧会」は幻の万博と言われていて、本当に2025年の大阪・関西万博のチケットと交換できたそう。1970年の大阪万博や2005年の愛・地球博のチケットとは交換できないけど、1940年の万博のチケットに限って交換できる。それを作品に取り入れられた作者の「運」を感じる。
二反長音蔵の時代と、今の時代の類似性を上手いこと取り込んで万博に繋げるというのは、もう感嘆しかなかった。
◆表立って書かれてはいないが、時代の空気感――もう戦争が近いんじゃないかとか、政治に対する不信感とか――そういうことも含めて、アンチテーゼみたいになっているのではと、そういうことも考えさせられる。だから社会風刺でもあるし、社会に対する警告みたいなことも、この小説家はやってるんじゃないかと思わされた。
◆茨木という土地に根差している。茨木の言葉や(しおりの喋りはおっさんくさいんだけど)、主人公が茨木に行くことになった必然性もちゃんと描かれている。
◆一つだけ作品で浮いていると感じたのが、しおりと父の関係が描かれてるところ。ただ、一見サバサバ系であるしおりの複雑さを知る上で必要なエピソードかなとも思う。
◆大阪・関西万博の風景描写はとてもリアリティがあった。大屋根リングに登ったときの、この下に世界があるというような爽快感・全能感みたいなものが本当に上手く描けている。
夏の暑い日でも万博会場は結構涼しかった。大屋根リングの下は風が抜けて気持ちよかったし、その場所にいたときの感覚が思い出せてとてもよかった。
◆全体的に泥臭い人間模様が描かれており、過去の歴史から未来への警告も含めて広がりがすごい。好みでもあるし、芥川賞に相応しいと思った。
★参加者Aの推し作品:「叫び」 【結果:「時の家」4票、「叫び」7票】
 R読書会では「叫び」が、より芥川賞に相応しいと決定しました。

<フリートーク>
D:二反長音蔵って本名? ふざけてない?
A:本名として扱われている。旧姓は川端というそう。だから川端康成が出てくる。音蔵に「音」って入っているのがいいですね。
一見軽いけど奥深い。読みにくい字もあるけど飛ばして読めばいい。雰囲気だけで。
G:私はkindleで読んだ。単語や漢字をすぐ検索できるから助かった。
B:面白いと思ったのが、「時の家」の作者・鳥山さんが読んでいたのは伊坂幸太郎、小川洋子、村田沙耶香など、わりとトレンディ。「叫び」の畠山さんはレヴィ=ストロース、三島由紀夫、大江健三郎、ディケンズなど重たい本格的な作品を読んでいる。
G:「叫び」のP377「郷土史の細かいところ読んでると、どっかに僕のこと書いてあんの、見つけてまいそうな気いすんねん(中略)僕は消えてまうんちゃうかな。ほんでそのページを下にしてバサッと本が落ちる」……それ『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス)のラストや(笑)。
A:将来性をすごく感じる。
G:大体、狂った人間しか出てこないところが『百年の孤独』風(笑)。

【「叫び」早野について】
C:早野は何かを隠している。綺麗に隠し通していて、隠し方が上手い。何を隠しているのかはすぐ出てこないんですが。
B:早野の動きがあまり出てこないときがあるってことですよね。
C:早野は何かをずっと隠している。何かを隠していて言わない。で、終わってしまう。天皇のことに対しても本当は考えているんじゃないかと読んだ。でも押されていってしまって、罌粟畑とか実際作ってしまうという。そういう物語の作り方が面白かった。
書いていないから言葉にするのが難しいけど。最初から最後まで綺麗に隠している。
A:よく喋っているけど寡黙な小説ですよね。会話は多いけど、語り尽くさずに抑えている。
C:読者は、早野が絶対言わないことは何だと思いながら読んでいく。
A:早野は浅い人間なんですよ。先生の受け売りで、定着していない。内容の深いところまで理解していない。
C:読み手に、そう見せるように書いている。
G:早野自身が天皇や戦争をどう思っているのか書いていない。読者はそこを知りたい。
A:早野は何も考えていない。
主義主張を入れてくる小説もあるが、この作品はその対極で、作者の主義主張を入れていない。作者の思想と思わせないように書いている。作者自身がこう思っているというふうに受け取られてしまうと、そういう小説だと思われてしまい、この作品が本当に目指しているものと違ってきてしまうから。だからマジックリアリズム的な手法を取っているんだと思う。
マジックリアリズムも、本当に言いたいことは隠している(いろんなエピソードをたくさん入れて)。
G:読み手に、「早野はこんなことをしてしまいましたが、さて、あなたにとって戦争はどうですか?」と投げかけている。読み手が戦争反対なら戦争反対と取ればいい。

【「時の家」ものづくりについて】
A:「時の家」派の人、どうですか?
D:私、ちょっと霊感があるんです。引っ越しが趣味で20回ぐらいしてるんだけど、人が住んでない家見て「この家ヤバい」って感じることがあって。そのころは告知義務に明確な基準がなかったから不動産屋さんも黙ってて「なんでわかったんですか?」って言われた。
あの階段がおかしいとか、修学旅行で旅館に泊まったときもあの障子の裏がまずいとか、そういうのがある。
今の家は築58年でリフォームばっかりしてるんだけど、58年前の立派な設計図があって、来た建築士さんが驚くんです。きちんとした業者さんが手掛けたという証拠だって。それで、お風呂を全部新しくしたときに、天井を取ったら吹き抜けになってたの。設計図にも描いてなくて、みんなびっくりして。そこに何かが書いてあった。で、業者さんが「天井閉じますよ、もう見れなくなりますよ」って。そういうのってすごくあるんです。だからわかる。
あと、ルイ・ヴィトンのバッグって解体すると中に名前が書いてたりする。ファスナーにもルイ・ヴィトンって書いてある。ああいうのって、ものづくりが仕事か趣味の人じゃないとわからない。
私は「時の家」を読んでいると一つひとつわかる。
選考委員の吉田修一さんが「薪ストーブの良さがなくなるのだろうか?」と書かれていたが実際そう。ものづくりってすごい時間がコツコツコツコツかかる。私も小さいころ薪風呂で、ガスとか電気に変えたら暖かさが全然違った。じんわり体を温めて柔らかかったのに、機械を入れたとたんにガッて熱くて痛いって感じになった。だから吉田修一さんはこういう書き方のことを、本当はわかってるんだなってちょっと思った。吉田修一さんの作品、読んだことないけど読んでみたい。
A:とりあえず『国宝』を読んでください(笑)。

【「時の家」登場人物について】
C:スケッチをしている青年って、緑の塾に来ていた少年?
A:関係ない。
G:ただ年齢が近いから、もしかしたらそう思わせるつもりはあったのかもしれない。近所に住んでたっぽいですし。
B:私は「時の家」を読んで連想した映画が1つあって。『めぐりあう時間たち』(原題:The Hours/2002年、アメリカ)という、3つの時代の女性がそれぞれに生きていく作品。最後に自殺するヴァージニア・ウルフをみんな心の中に思いながら時を過ごしていく。原題の「Hours」も時だから連想したのかな。
「時の家」っていうのは「家の時」じゃなくて、時間というものの家を書いているわけだから、そういう意味でよく練られたタイトルだと思う。
D:最後、後ろから10行目「いずれ基礎も掘り起こされ、解体されてただの更地になってしまうのだろう。そう思ったのはたしか青年で、大きく湿った息を吐いたのは誰だったか」わかるよね、みんな。ぐっとくる。というか途中でも泣いてたし(笑)。詩のところで。
A:詩、すごくいいよね。谷川俊太郎の力を借りているけど(笑)。
D:でも、書いてるときに詩に出会ったってインタビューにあったから。インスピレーションを受けたって言ってる。

H:視点人物、話題になる人が変わっていく。ずるっと変わっていくところが最初ちょっと混乱するけど、あれあれと思っていたらいつの間にか次の話が始まっている。
A:行空きもなく変わったりしてるもんね。
C:青年がスケッチするところに上手に重なっている。
D:P271で青年はようやく鉛筆を置いた。家の物語とリンクしていて、すごくいいと思う。
C:家が語り手だから、それ以上は人間の気持ちは書けない。
A:そう。だからもう、そこは好みだと思う。人間を読みたい人か、そうでない人か。
C:選考委員の平野啓一郎がもっと工夫できなかったのかと書いている。
D:できない(笑)。この作品はこれでいい。
G:圭さんと脩さんの夫婦は薄めでしたね。尺が短い。あまり書くべき部分もないのかもしれないけど。
オムニバスの短編みたいになっていて、やっぱり濃い薄いがあって、真ん中の緑さんが一番濃い。彼女がどちらかというと主人公じゃないだろうか。
住人のいない空っぽの家をスケッチするほどに愛してやまない青年と、この家の主人である緑。そして緑にとって特別な少年も彼らに似ている。緑も家も、性的に思われる対象として描かれている。
B:エロティックですよね。
G:そうくると、圭さんの話はいるのかな、となる。
A:エピソードもありきたりだし薄いですよね。
F:その違和感は私もあった。調べてみると本当に少ないんですよ。
A:私はもうちょっと藪さんの話を読みたかった。藪さんが家を離れなくちゃいけなくなったところとか。この家を思い入れたっぷりに作っているわけだから。
F:亡くなるところがあやふやですよね。
C:でも、作ったものは壊されていく、というところに焦点を当てたいから、敢えてそこを書かなかったってことですかね。
A:壊されるところが書きたかったから。
G:藪さんはこの家を自分の奥さんとして建てているわけですからね、この家こそが、この小説のヒロイン。
A:家が語りすぎていないのがいい。
D:私、何回でも読める。P302「妻の声が聞こえてくるようで」って、すごい。そんなの思ったことないから。自分と全然違うものを感じて面白い。

【「叫び」描写について】
A:「叫び」も、地の文に密度の濃い描写がいっぱいある。作者が読んできたものが表れているというか、本当に純文学している。
B:地の文に骨太なものを感じる。台詞と地の文のギャップがすごく面白い。
A:P372「暗闇は諦観を帯びた親密な空気に満ち、天井の高い所に出て足音が複雑に反響し始めると、音に遅れて足がついてくるような錯覚を覚え」とか。軽いところに、いきなりこういう文章が入ってきて、そこそこ唐突ですよね。早野の視点に作者が混じったな、と思う。早野はこんな言葉選びしないだろ、って(笑)。
B:早野を馬鹿にしすぎ(笑)。
G:私は、早野も自分の韜晦をわかっているんだと思う。決して何も考えずに生きてるわけじゃない。それに蓋をしているからこそ、突拍子もない方向に行くのであって。
A:冒頭。これは先生の影響を受けて、洗脳されている。早野は先生がめちゃくちゃ好き。
作者自身が過去に先生やってて、今は公務員。早野は作者の分身みたいなもの。
G:作者が早野のキャラクターについてどれほど自覚的かはわからないが、こんな感じの、非モテで陰キャでちょっとオタクの男が、自分の空っぽさを埋めるために、右翼的な言説に飛びつくっていうのはすごく今日的だと思う。
A:たぶん頭はいい。しっかり覚えられるし、先生の受け売りも喋れる。でも語り尽くしたら言葉が出なくなる。その辺りもすごく上手く作っている。
D:皆さん、初めから早野が男性だとわかりましたか?
I:P332の下段に「独身男性」って書いてあった。
D:最初、男女どっちかなと思いながら読んでて、「ひかるちゃん」ってあったから混乱した。
A:後輩の向井も男性か女性かはっきりわからない。

【描きたいものについて】
C:言葉じゃないところを感じさせるのが構成の妙なんでしょうね。
A:ラストのアスタリスクの後(エピローグ)が必要かどうかという話について。冒頭が会社での日常だったから、日常(現実)に戻したんだろうな。
やっぱり読者は早野がどうなったか気にするので、日常生活に戻したんだと思う。
D:しおりちゃんは何で帰ってこないの?
A:万博のトイレは混んでいるし、万博の行列も動くから早野の位置もわからなくなる。
D:帰ってこないからなんかあるのかと期待して読んでたので、どういうことよ、って。
出てくる人、全員いい加減じゃない? だから読んでていやになってきた。
G:しおりは確かに深掘りできていない。テーマとか、銅鐸という象徴とかと、もうちょっと緊密に彼女が結びつくべきだと思う。
A:そうしたらあざとくならない? しおりちゃんよくわからないな、くらいで計算して書かれてるんじゃないかな。
C:しおりの父親のエピソードはキャラクターを立てるため?
A:でしょうね。あのエピソードは作品に直接関わっていない。
D:何もしないって言われたから家についていったら襲ってきたわけでしょ。いい加減やん。
A:品行方正な人間しか出てこない小説は面白くない。だから「時の家」は品行方正すぎて面白くない、薄いなと感じる。人間として、ちょっと捻っているほうが面白い。
D:「時の家」は、スケッチみたいにそのものを書くっていうことに集中しているから。建築士として。「時の家」は、本当に人を書いてるわけじゃない。
A:そう。だから好みなんですよ。これはこれで完成度が高い。「時の家」は人を書いてるんじゃなくて、物とか家に対して、人が過ごした時間を書いている。だから思い出を想起させるような刺激があるんだろうと思う。ちょっと普通の小説ではないという感じはした。普遍性があり、誰にでも当てはまるものが書かれている。誰もが家と関わって生きているから。その思い出みたいなものを引き出す力がある。
G:藪さんの作った家は、その美意識によって、家と繋がる人たちの美しい部分を引き出す。――そういう人ってなかなか珍しいんじゃないかな。
A:珍しい。彼らは、藪さんの想いを引き継いだ不動産屋が「藪さんの大事にしてきたものを受け継げるだろう」と選んだ人たち。だから綺麗な人たち。Dさんは選ばれるかもしれない(笑)。
D:猫や犬の描写、素晴らしくないですか? 籐巻の柱を犬が齧るところとか、すごくよかった。
H:籐とか漆喰とかの質感もすごくわかる感じがする。
G:実際、作中の家の図面を書いたってありますね。
自分の家を作って、そのときにいろいろ考えたことがあったんでしょうね。

【作品の感じ方】
D:ボキャブラリーって2種類あるって知ってる? 受動語彙と能動語彙があるの。受動語彙は、聞いて(読んで)意味がわかる語彙。能動語彙は、自分が使える語彙。「時の家」には能動語彙が詰まってて、どんどん短歌ができちゃうの。
A:感性が響き合ったんですね。
H:「時の家」を読んでフラッシュバックみたいにいろいろな場面が出てくるのは私だけかな? 選評では誰も言ってなかったけど。
G:選考委員がそれ言うの恥ずかしいからかな。
A:でもそういう力を持った小説だとは言ってええやん(笑)。
選評で言うと、川上未映子さんは「家は作者が関心の持てないもの、避けているものを、もっと見ているだろう」と書いている。川上未映子さん自身は抉り出すように書く人だから物足りないんでしょうね。
G:それを書いたら、この家はこの家じゃなくなる。藪さんの世界が壊れてしまうから。籐巻の柱は立たない。
D:山田詠美さんも「辿り着くまで長い」って書かれてますね。違うんですよ、ものづくりっていうのは。みんな、物語を追おうとしてしまっている。
A:Dさん、昔「描写大嫌い」って言うとったやん!(笑)。
D:昔のことです(笑)。
H:確かに最初はとっつきにくいけど、だんだん家が主人公なんだと理解できた途端に、最初に戻って、もう一度読みたくなる。
D:私は10回も20回も読みます(笑)。
A:私はもう1回読みたいとは思わないなぁ。
でも「叫び」を読んだから「叫び」のほうがいいと感じたけど、「時の家」しか読んでないときは、さすが芥川賞を受賞する作品だなと思った。
この作者は建築士の技を使わずにどれだけ書けるんだろう。「叫び」の作者はなんでも書けそう。人間を書けるから。
G:「叫び」の作者の写真が早野のイメージに重なる。「時の家」の作者もスケッチしてる青年を思わせる。2人とも、なんてぴったりの小説を書くんだ(笑)。
A:面白い。比べたらいろいろなものが見えてくる。2作あってよかった。
アプローチは正反対なんだけど、根元のモチベーションが似ているからなおさら。
G:青年には藪さん、早野には先生という師匠がいて。対になっていますね。

【小説の「場」について】
J:一つだけ質問。私は阪神・淡路大震災のとき東京にいたので、共鳴するところがないんです。その作品に共感するっていうのは地域性がある。その土地の名前だけを提示して、これが好きって思わせる作品が本当にいいものなのかな。
地方を舞台にするのは難しい。東京と出せばみんな納得してくれるけど、例えば岡山の津山を出したら「ん?」となる。その辺りはどう書いて行けばいいんだろう。
A:ほとんどの人は津山を知らないから、街の名前だけ出してもわからない。だからわかってもらえるように描写に力を入れるしかないんじゃないかな。「叫び」でも茨木のことを詳細に書いてますよね。大阪以外の人は茨木のことを知らないから、これくらいみっちり書かなくちゃいけない。その場所をイメージさせて、読者をそこに連れていくのが小説。難しいけどそれをするしかない。
H:場が立ち上がってこないと共鳴できないですからね。資料として読むのと物語として読むのは違う。資料として読むと距離がある。物語として読むと自分ごととして読むから共鳴できる。そういうのが小説の力じゃないかなと思っている。
だから場面を立ち上げるために、津山のその場所はどういい場所なのかということを書き込まなくてはならないんだと思う。
A:「叫び」を読んだら、万博に行ったことなくてもすごい行列だったことがわかるし、大屋根リングに登ったことがなくてもなんとなくわかるじゃないですか。
G:作品にとって相応しい、場所のディテールの分量がある。ちゃんとそこに相応しいドラマがあって、読んでて面白いってなれば自然と入ってくる。それなしに、いきなりこうこうこうなんです、って説明しても読んでもらえない。
A:小説にとって、どれだけその場である必然性があるか。茨木は銅鐸の産地だからここでなくてはならない。
地名を聞いただけでは場が立ち上がらない人(その場所を知らない人)に読んでもらう前提で書くべき。
D:決まった土地を舞台にした作品を募集する文学賞の選考で、その土地のことを全然知らない人が書いた作品はすぐにわかるんだそう。いきなり有名なお店を出したり、作品に必要なさそうな、その土地ゆかりのものを入れたりしているから、わざとらしいんだって。

『黒い家』貴志祐介(角川ホラー文庫)

Zoom読書会 2026.04.25
【テキスト】『黒い家貴志祐介(角川ホラー文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
ずっと家の本棚にあり、読みたかったけど怖いと聞いて手が出せなかったので、ホラーが大丈夫そうな皆さんに付き合っていただこうと推薦しました(笑)。

<参加者B>
◆心理学、サイコパスを題材にしたホラー小説だと思った。心理学というものをとりあえず入れておこう、みたいなノリはちょっと感じる。たぶん『新世紀エヴァンゲリオン』の影響だろうか。
◆序盤、当時の保険会社のよもやま話が続き、かったるく感じたが、後半からの、ホラーにおける「曖昧さや幻想」に逃げず、カネに執着した一人の人間を描き切った点は秀逸。
◆犯人の異様さ、異質さ、豹変した際の狂気の描写も秀逸。「黒い家」に住んでいる人物、そして舞台そのものが気色悪い。
◆ただ、さすがに30年前の作品なので、全体的に古臭さを感じてしまうのは否めない。保険会社の商品の古さ(そして抜け道の多さ)や、金石がなぜかゲイセクシャルであったりする点など。
◆エピローグはどこか社会派的で、この後の小泉改革による、より本格的な新自由主義経済の到来と、格安掛け捨ての保険商品、薄利多売による買い手・売り手の疲弊を予感させられる。そして今現在、実際にマインドゲームは冷え切っているように感じる。
◆この作品を振り返ってみれば、カネのために親類縁者すら売るというのは、むしろ昔に行われていた間引き、口減らし、姥捨てに見られるような冷淡さが先祖返りしてきたような趣があり、物質的には豊かでありながら精神の安定性がない。
起死回生の方法が明確化されているからこその余裕のなさが恐怖を喚起するのではないかと感じた。

<参加者C>
◆貴志祐介は好きな作家。とくに長編はハズレがない。
◆『黒い家』は20数年ぶりの再読。90年代の雰囲気が懐かしかった。
1997年発行の本作は、1996年発行の『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』(M・スコット・ペック 著/草思社)、1996年連載開始の漫画『多重人格探偵サイコ』(大塚英志 原作、田島昭宇 作画/角川書店)などと並んで、サイコパスという概念が定着する切っ掛けとなった作品の一つではないだろうか。
◆私は人怖でないホラーのほうが好きだが、『黒い家』は優れた演出のいい作品だと思う。
◆貴志祐介は地に足がついた作家。『黒い家』ではしっかり保険会社の業務を書いており、他の作品でも仕事や人間をそれらしく描いている。エンタメ作家の中にも社会の理解がふわっとしている人がいるが、貴志祐介はその辺りもしっかりしている。
◆エンタメの方法論で書かれている。間違った推理がひっくり返されて、ピンチになって、捕らわれのヒロインを助ける。
◆白眉は、菰田幸子にアパートへ侵入されたとき、外から留守電を聞くシーン。怖かった。
◆私は学生時代、金剛の近くに住んでいたので土地鑑があるが、京都から和歌山へ行く際に特急に乗るのは金持ちだと思った(笑)。私なら快速で行くかな。
◆ツッコミどころを上げるとすれば、そんなにバンバン殺すかな、という部分。それだけ被害者がいるのにスルーしていた警察が無能ですよね。さすがに、金石の死体が出たら捜査せぇよと思った。
◆あと、サイコも旦那(重徳)もキャラクターが立っていたが金石は類型的かな。1997年は、ゲイを容赦なくネタにしていい時代とコンプライアンスの厳しい現代との境くらいの時期。ニュートラルな描写にはなっている。
でも性的指向に関係なく、パートナーがいる人に粉をかけるのはよくない。
◆ダイオキシンなどの環境汚染が遺伝子を蝕みつつある……ぞっとしてください、という終わり方。化学物質を背景に使いたがるのも90年代的。
◆映画では菰田幸子を大竹しのぶが演じており、美人サイコキラーになっていて少し印象が違った。謎のエロシーンも追加されていた記憶がある。懐かしい。
A:韓国のリメイク版では菰田さんにあたる人が若い美人だそうです(笑)。どこにでもいそうな人がサイコキラーだから怖いのではと思うけれど、ネットで見たところ結構好評みたい。
C:機会があったら観たいですね。

<参加者D>
◆大変怖かった。とくに11章からが怖かった。私もよく夜にコンビニへ行っていたが、誰かが入り込んでくるのは怖いな、と行けなくなった(笑)。
その後はこれでもかと作り込んでいると感じたが、クライマックスの入り口が我が身と重なったので刺さった。
◆30年くらい前の作品。当時はサイコパスという題材が扱われ始めたころで、私はヒッチコックの映画『サイコ』(1960年、アメリカ)のイメージがあったから「感覚が違うかな」と思いながらいろいろ読んでいた(『黒い家』は今回が初読)。
◆90年代の懐かしさもそれなりに感じた。携帯電話が一般的じゃないから公衆電話を操作して……。私は会社から携帯電話を持たされていた。使っていると周りの人がみんな見てきた。そんな時代もあったんだな、一般的には携帯電話は普及していなかったなと思いながら読んだ。
マイクロカセットレコーダー、コードレスホン、ワープロ……私はそういう小道具を使って古い話を書くのが好きなので、このあたりを集めて作っても面白いかなぁ。

◆そのあたりはさておき、小説としてどうかなと読んだら……菰田重徳が犯人に違いないという若槻の独自見解で進んでいくが、ほとんどの読者は重徳が犯人じゃないと思って読む。ミステリーじゃないので、重徳でなければ幸子に決まっている(ミステリーとしてはネタバレしてしまっている)。ネタバレを使って書いても面白くなるのかな。幸子が犯人だとしたら、どんな姿で現れるのか期待を持たせられる。
◆金石は何のために出てきたのか。ストーリーにほとんど絡んでいない。説明するために出てきた説明キャラクター。もう少しストーリーに絡めた使い方をできなかったのか。
◆若槻の、兄を死に追いやったのは自分だという後悔を重く扱っているのが効いているのかいないのかわからない。若槻がそのような傾向を持っていることと、事件が起こったこととの関連性はない。普通の会社員として怖い目に遭うほうが恐ろしさが増すのでは。小説として見た場合、そのあたりが、心理面を書いて深みを出そうという思惑に馴染んでいなかったのではないだろうか。
とはいえ悪く影響しているわけではなく(自分も小説を書く側として引っ掛かるところがあっただけで)、ちゃんと出来上がっていたので、面白く読ませてもらった。

<参加者A(推薦者)>
◆まず保険会社の仕事内容が面白かった。お仕事小説好きなので。私の勤め先も保険会社のビルの最上階に入っており、なんか臨場感があった(笑)。
確かに保険会社の拠点は1階には入っていないので不思議に思っていた。簡単なアンケートに答えればお菓子をいっぱいくれるから保険会社はお金があるんだなと常々感じる。ラストに保険会社の未来について悲観的だったが大丈夫そう?
◆作中の事件は、現実の事件がえげつなさすぎるのでそこまで怖くなかった。
コロナ前、作者の講演で「ある事件のとき警察に意見を求められた」と聞いて、本当に警察が作家に意見を訊くことがあるんだ、と思ったが、実際の事件のほうが酷すぎて……。
◆構成などは非常に勉強になった。今回、電子書籍も購入してみたのだが、これって全体の何%読んだか表示されるんですね。最初から20%が仕事の説明、50%で潮目が変わって、60%で子猫が殺されて。すごく計算して作られていると思った。読んでいて中弛みもなかった。
◆菰田幸子の体力が羨ましい。中年女性であのフィジカルはすごすぎる。40代なんて命の母を飲んでやっと動けているくらいですよ(笑)。
個人的に関西弁大好きなので、留守番電話のシーンは逆に好感度が上がってしまった……。
ラスト、大柄な男が登場して、やっぱり大柄な男のほうが怖いよなと思った。
◆貴志祐介のサイコパスものといえば他に『悪の教典』(文芸春秋)を読んだが、『黒い家』のほうが完成度が高いのではと感じる。サイコパスの主人公が地の文で「自分はすごい」と言っている割には高校生に出し抜かれたりしているので……。『黒い家』のように、被害者視点のほうが怖く感じるのかもしれない。

<フリートーク>
【地域性について】
C:最初に読んだときは関西に住んだことがなかったので、関西弁不気味で怖いなと思った。
B:東北在住のBさんはどうですか?
B:方言で恐怖がプラスされるかわからない。私やCさんは秋田弁と津軽弁が混ざった感じの言葉だけど、書き方次第で怖くなるかも。
A:リング』(鈴木光司/角川ホラー文庫)でも、呪いのビデオの中に方言が使われていましたね。
C:意味がわからないから怖いというのはある。
A:私もCさんと同じ大学だったので金剛懐かしかった(笑)。金剛バスはもうないんでしたか。
D:貴志祐介は西宮在住なんでしょう。私も西宮在住(笑)。
C:方言でいうと、標準語でまくしたてられるとむかつくというのは本当ですか?(笑)
A:関西人のDさん、どうですか?(笑)
D:私自身、標準語に近いから(笑)。転勤先で「関東の出だね」と言われたくらい。言葉に慣れるのが早い。気をつけて喋れば向こうの人間になれる。でも仙台の言葉には慣れなかった。仙台の人は標準語だから覚えられなかった。
青森に行ったとき、昼は話が通じるが、夜に酒を飲むときは言っていることがわからなかった。(飲み会から)帰ろうと思っていたが、言葉を学ぶいい機会だと残った。結局マスターできなかったけど。
標準語は割と簡単に馴染めますよ。
A:岡山はイントネーションが標準語に近いので、関西で「関東の人?」と訊かれたことが。
C:私も地元の飲み屋に行くと「東京から来たの?」と言われる。挨拶みたいなものでは(笑)。
A:あっ、そういうこと!? ちょっと喜んでたのに(笑)。
貴志祐介は大阪出身で大学も京都で、思いっきり関西の人なんですね。
C:京都に人殺しが住んでるって設定がいいですね。大阪だったら人くらい殺すやろ、奈良だったら怨霊じゃないと許されない、みたいなイメージある。

【気になった部分】
A:若槻、電話をかけてきた菰田さんに兄の話をしたばかりに散々な目に……。
D:それが導入。そこから話が動き出す。
C:いいことをした結果、巻き込まれるのは怖いですね。
D:たとえ兄に対して引け目があっても、ああいう喋りはしないと思うが。
C:京都支社は少人数だし、若槻が電話を取らなかったら葛西が巻き込まれていたのかな。その場合、若槻はモブとして死んでるかも。

A:残虐さを、自分ではどうしようもない、生まれながらの性質だとするのは作品としてどうなのだろう? エンタメならありなのか。
C:恵の理想はいいが、彼氏がサイコを撲殺して間もないころに「それ人間だよ」というのは酷だろう。せめて半年くらい経ってから……
A:恵、金石の死体蹴りもしてましたね。彼も普通に被害者なのに……
C:金石の死体が見つかった時点で京都府警を挙げて捜査すべきだった。黒い家に捜査員が行ってたら、そこで話が終わる。
A:作中でも言及されてたけど、若槻が思いっきり暴れて窓ガラスガシャーンってやってたら通報されて警察来てましたよね。
あと、最後エレベーター乗るときも消火器を持って行けって思った(笑)。そもそも狙われてるならスタンガンとか持ち歩いていたほうがよかった気が。
C:弁当減ってるあたりで気づいてもよかった。もっと警戒しておくべき。
A:部屋に入られた時点で通報しておけば……
C:あそこは映画でもいいシーンなんですよ。
私が一人暮らししているとき、自宅に帰ったらトイレに鍵がかかっていたことがあった。3分くらい待って開けたら誰もいなかったんですが(笑)。
D:実はいたんじゃない?(笑)
C:私の家に忍び込んでも、痕跡を残さないでくれたらいいです(笑)。

【サイコパスについて】
A:推薦者としては、Dさんが「怖い」って言ってくれてよかった(笑)。
D:ちょうど家の鍵かけずにコンビニ行ってたから……(笑)。
A:現実の延長に感じられるから怖いですね。
C:作中でも言及されてたけど、若槻を消すことのメリットはあるのだろうか。
A:サイコパスって感情を排して合理的に動ける人ってイメージだけど、怒りに任せた殺人とかするのかな?
C:80年代のサイコのイメージ引きずってますよね。隙あらば殺す、みたいな。
A:化粧品の営業に来た女の子を殺すのは、さすがにどうなのか。快楽殺人者じゃないんだから。
C:何か気に障ること言ったんでしょうかね。
今の時代、フィクションに登場するサイコパスはもっとクレバー。ブラッシュアップされてきた。
A:菰田幸子さんはサイコパスよりソシオパスに近いのかな?
B:『黒い家』が書かれたころは『模倣犯』(宮部みゆき/新潮文庫)なども流行っていて、人気の題材だった。
C:あの時代、サイコ気取りが多かったですね。感情のない中学生、みたいな。
A:黒歴史になるやつだ(笑)。
読む前のイメージとしては、近づいた人を支配して殺し合わせる……みたいな作品を想像していたから拍子抜けした部分もあって。実際にあった事件で、よりおぞましいと私が感じるのはそういうものなので。
C:身近な人を支配して殺すタイプだと被害は狭い範囲に留まる。キルスコアでいうと菰田さんはエリートサイコパスですね。三善戦を見てみたかった。
A:三善、菰田さんが人を殺しているとわかっていたのに、なんでのこのこ家に行ったんだろう。人質でも取られてた?
確かに、この作品が書かれてからの30年でサイコパスのイメージが変わってきましたね。
C:襤褸家を掘ったら骨がいっぱい、ということはあまり聞かなくなった。全盛期までのサイコに比べたら今のサイコは大人しい。現代で家に来た営業を殺したら絶対にバレるし。菰田さんみたいなフィジカル系のサイコは生きにくいでしょうね。
そういえば旦那さん(重徳)のほうはどうしたんでしたっけ。
A:飛び降り自殺を図って精神病院にいるとありました。
C:ひどい目に遭いましたね。
A:心理的な追い詰め方を想像していたら、思いっきりフィジカル系だった。
C:現代のストーカーに近い。ターゲティングされた時点で終わり。
A:海外のモンスターは物理で対抗できそうだと感じるので、そこまで恐怖を感じない。『黒い家』もそれに近い気がした。
B:ハモ切り包丁ですもんね(笑)。
A:包丁、その都度手入れしないとだめになりそう。「(菰田幸子は)ああ見えて案外手先は器用なのかもしれない」とあったから、研いだりしていたのかも。
C:私は若槻の母親を少し怪しく感じていたので、母親がサイコだったというオチかと思っていた(笑)。兄の死が実は……みたいな。でも、すき焼きを食べに行ったあたりで普通の母親なのかな、と考えを改めた。サイコだったらすき焼き奢らないだろ、って思って(笑)。
序盤の母親、怪しくなかったですか? 兄が死んで保険金が入って。
A:言われてみれば……。父親はすでに亡くなっていたし。
C:みんなサイコエンドはどうでしょう(笑)。母親もサイコ。恵もサイコ。
D:それだったら主人公もサイコになるのでは?(笑)
C:「頭蓋骨砕くの楽しかったな!」みたいな?
角川ホラー文庫が輝いていたころの作品はやはりいい。
A:角川ホラー、最近は元気ないですか?
C:あまり聞かないですね。
かつて日本ホラー小説大賞(※2019年度から「横溝正史ミステリ&ホラー大賞」へ移行)の大賞は500万円と映像化だった。

【経験と創作について】
A:作者である貴志祐介は実際に保険会社に勤めていたんですね。最初に自分の知っている業界を書いて、その後は別のネタでヒット作が続いてるのすごいなぁ。
C:安定感がある作家ですね。
D:保険会社を辞めてから書いたみたいですね。現役だったら、三善みたいな潰し屋に頼んでいることを書くのはまずいかもしれない。
A:渡辺淳一は『小説心臓移植』(のちに「白い宴」に改題/角川文庫)を書いたため、勤めていた病院を辞めることになったのでしたか。
D:貴志祐介は(創作する上で)「自分」が消滅した。
C:そこが一番大事なところ。これでいけるという安心感がある。この作品に限らず『天使の囀り』(角川ホラー文庫)、『青の炎』(角川文庫)もいいですよ。読んだあと、(衝撃を)喰らったなぁ、となる。
B:『天使の囀り』、買ったけど手が出せてなくて。(本を取り出す)
C:読んだら、しばらくそわそわしますよ(笑)。
A:私は『悪の教典』のほかに『クリムゾンの迷宮』(角川ホラー文庫)を読んだ。世界遺産を紹介するテレビ番組を観ていて、ここがデスゲームの舞台か……ってなりました(笑)。
ちなみに『黒い家』は、ほぼお仕事小説として読んだ。お仕事小説、結構好きなんで。
C:高級取りっぽくっていいですよね。
A:人と関わる仕事は小説のネタを拾うのに役立つって言いますね。タクシー運転手とか、女性ならホステスとか。
C:実際にタクシー運転手から作家になった人、いますね。
B:お酒飲んでぽろぽろと喋るお客さん、いそう。

【保険というテーマについて】
D:私は銀行に勤めていたが、保険会社と仕事がこんなに違うとは。銀行の仕事は、若槻が最初にいた部署(外国債券投資課)に近い。そのイメージだったから、生命保険の査定は新鮮だった。
B:生命保険は大体が掛け捨てで保険金が戻ってこない。中には貯蓄型もあるけど。やめたら戻ってくる商品ないかな。
D:私は今まで大金払って、去年初めて10万円もらった。それ1回だけ。掛け捨てだから。
C:保険ってギャンブルとして見たら、死ぬか怪我するか、どちらにしても当たりたくないですね。
今はスマートウォッチとかくれるらしいですよ。保険会社からすると、客が長生きして、ある日突然死んでくれるのが一番いい。
D:生命保険と年金は逆なんですよね。年金は受給者が長生きするのがコスト、保険は加入者が早死にするのがコスト。だから若いうちから生命保険を薦める。そういう歪な世界を扱っているのが保険会社。
C:保険がテーマの小説って他にありますか? 面白い世界ですね。
B:生活に即した話だから興味深い。

『パルプ』チャールズ・ブコウスキー、柴田元幸訳(ちくま文庫)

Zoom読書会 2026.03.28
【テキスト】『パルプチャールズ・ブコウスキー柴田元幸訳(ちくま文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
定期的にハードボイルドが読みたくなる。そんなときネットで検索して、伝説的カルト作家の遺作だと知ったので未読ながら推薦した。読んでみて、(推薦して)大丈夫だったかなと思った。

<参加者B>
◆最後まで読んでいない。面白いか面白くないかといったら正直言って微妙。
◆気の利いたことを言っている気もするけど出まかせとしか思えない。面白いと感じる人もいるだろうし、実際売れているし、名作を貶したら非難を浴びそうだが。
悪い冗談が多すぎる気もした。私が真面目すぎるのかな。
C:どこまで読まれましたか?
B:免許証でセリーヌだとわかる辺りまで。ルイ=フェルディナン・デトゥーシュってセリーヌのことなのか? よくわからないところが散見される。
◆翻訳がノリに乗っているので原作以上に弾けているのでは。上手い翻訳というのか、よくわからない。
◆私が読む範疇の小説ではないのだろうか。心から面白いと思えないのを「つまらなかった」と言ってしまうと語弊があるが。

<参加者C>
◆最初は真面目に読んでいたが、途中から、もっと肩の力を抜いて読めばいいんだと思った。
◆ふた昔ほど前のアメリカ映画みたいなやり取りが面白かった。
◆ところどころ気怠さや厭世観が感じられてよかった。
◆死の貴婦人が中二心を擽ってきていい(笑)。あんなふうになりたい。
◆調べたところ、作者であるブコウスキーはセリーヌから影響を受けたという。セリーヌは文学的な何か象徴しているのだろうか。生きていたセリーヌが死ぬ、みたいな。
◆赤い雀も何かの暗喩だと思うのだがわからない。幸せの青い鳥は青だし。
◆意味のありそうなものを散りばめて、考察したい人は考察すればいいし、ただ楽しみたい人は楽しめばいいという作品なのかもしれない。

<参加者D>
◆最高! 個人的には、すごく楽しく読めた。ニック・ビレーンは最低最悪お下劣で文句垂れの、素晴らしい探偵だった。カートゥーンのような、後にも先にもない変なキャラクター陣も面白い。
◆反面、ニック・ビレーンが余りにもダラダラとし過ぎていて、中だるみしてしまう部分もあった。
飽きさせない工夫として、剣呑な珍客が訪れ、ニックがボコボコにするのだけど、パターンが決まり過ぎている気がした。
ここまでシュールな展開が多いなら、もっと怪現象に巻き込まれても良いのかもしれない。
◆矢継ぎ早に奇妙な依頼が殺到してくる割に、それら一つ一つが大きな伏線になって収束していくという感じでもない。この辺りは『探偵小石は恋しない』(森バジル/小学館)と並行して読んでいたので、ちょっとガッカリ感があった。(『探偵小石は恋しない』は小さい事件がまとまって収束していくので真逆)。
◆でも、ニック・ビレーンの魅力と、素っ頓狂でシュールでなんでもありな日々はとても好きでした。

<参加者A(推薦者)>
◆読んでみたら思った以上に荒唐無稽な怪作だった。人生の味はするが、酔いどれの戯言のよう。ストーリーを追っていくと、クエストを引き受けまくってキャパオーバーした感じ。
◆悪酔いするような読後感は戦略的なのだろうか。意図したとするならバランス感がある。でも勢いで書いているような気もするし、怪作と言われる所以がわかった。
◆悪夢っぽい。しかし人生っぽい感じも謎にある。精神科の描写など、50代になった男が人生を考えるとこうなるのかと、言い難い感傷を抱いた。

<フリートーク>
【モチーフについて】
C:それぞれのモチーフの意味とか考えました?
D:死の貴婦人はニックへの介錯のようなもので、ニックのデストルドー、希死念慮が擬人化したのかもしれない。ニックにとっては魅力的な存在。
C:確かにニックは、他の女性とは別格の魅力を彼女から感じていましたね。
D:酒に溺れて煙草も吸って、やけくそで生きているというのもあるのかな。
C:作者はセリーヌが好きだから出したのかな。
A:私にとってはセリーヌはわかりやすい。彼が生きているということは死神が仕事をミスっているということだから、なんとしても捕まえたくなるよな、と。
B:それだったら若干面白いかも。

D:ニックのお金の工面はどうなっているのか。時給6ドルの割に羽振りがいい(当時の相場的にどうなのかわからないが)。借金抱えて飲みに行っているのかもしれないけど。
A:適当なこと言って、甘いクライアントから引っ張っていたのでは。それまでお金に甘い感じだったのに、最後の4000ドルだけどうにもならなかった。
C:最後なんとかなるのかと思ったらそうでもなかったですね。
A:金銭問題はどうにもならなかった。極論、自堕落な人間が自堕落に酒を飲んでいる楽しい話か。
D:最後は切ない。それまで素っ頓狂な依頼が続いていたのに、別れた妻の借金の申し込みというリアルすぎる依頼が来る。何かしら悲しさはあった。
A:ストーリーラインは無茶苦茶なのに、人生の中で起きることは無駄に痛い。そういうの狙って書いているのかな。適当に書いたのかな。
C:人生のイベントはちゃんとやってますよね。結婚して離婚して元妻が金貸してくれって訪ねてきて……

パルプ・マガジンとは?】
D:私はタランティーノの映画『パルプ・フィクション』(1994年、アメリカ)にちょっと似ていると思いながら読んだ。ちょっと曖昧な描写があって考察したりする……。この『パルプ』も意味があるのかないのか、考察しがいのある寓意的なものが散りばめられている。ありがちなんですかね。
A:『パルプ・フィクション』の「パルプ」も同じ意味ですよね。解説にあったように。
『パルプ・フィクション』結構好き。こんなに無茶苦茶じゃないけど。
D:『パルプ・フィクション』も内容よくわからなかった。首筋に666があったり考察ポイントはあったが。
A:ヨーロッパのマクドナルドの話を延々とする会話劇みたいなイメージが強くて。この『パルプ』と比較するとなんでも怪しげになる。
やっぱりブコウスキーの他の作品を読んでからじゃないとよくわからないのかな。
C:アメリカのパルプ・マガジンに詳しかったら、もっと考察しがいがあったんですかね。
A:この都合よさがパルプでしょ? と言われたら、パルプ好きはイラっとしますよね。
C:パルプ・マガジンには宇宙人や死神がよく登場するのかな。
A:あまりそのイメージはないんだけど。

ハードボイルドの定義】
C:ハードボイルドってこんな感じなんですか?
A:ニックの行動だけはハードボイルドっぽい。
B:ハードボイルドを真似ている、気取っている感じ。
A:『パルプ』というタイトルは、大量生産されて消費されるエンタメっぽいの書いたよ、という意味。著者のブコウスキーは無頼で自伝的な作品が人気の作家だが、自分の味でパルプ・マガジンに見られるような小説を書いたというところか。
最初に読むブコウスキーの作品を『パルプ』にするのは、よくないという。失敗したかな(笑)。
すでに名のある作家がエンタメをいじり倒したらイラっとしますね。村上春樹が『ラノベ』ってタイトルでやれやれ系主人公を書いたとしたらイラっとしません?
C:それはそれで読んでみたい気も……(笑)。
A:ラスト、どうなったんですかね。ニックは普通に死んだ? 撃たれて死ぬときイメージしたのがこの作品全体だとか、そんなことないかな。全編、断末魔のような印象があるので。
C:モチーフとしての三文小説ってありますよね。小説自体が読者への投げかけみたいな。
A:滅茶苦茶なストーリーラインに人生っぽさを散りばめる。成立するのか。しているから有名になったのか。
C:人生はこんなものだというメッセージがあるのかな。馬鹿馬鹿しくて荒唐無稽なのが人生だ、っていう。
A:仕事の内容の無茶苦茶さを考えなければこういうものだという気もする。酒場で謎に喧嘩するのとかも置いといて。
D:ニック、力あるのか相手を投げますよね。めちゃくちゃ喧嘩強い。
A:その辺、ハードボイルドっぽくない。ハードボイルドの探偵は殴られて立ち上がる。ニックは巧いことやってボコボコにして、また飲んだくれる。
C:昔、『マルタの鷹』(ダシール・ハメット/ハヤカワ・ミステリ文庫)読んだけど、こんな感じじゃなかった気がする(笑)。昔すぎて覚えてないけど。
D:ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー/ハヤカワ・ミステリ文庫)読んだけど似ても似つかない。
B:ハードボイルドは、気の利いたことを気取りながら話しているみたいな物語の展開。気の利いたことを言っていそう、深みがあるな、というのが時折見られる。その意味から言えば、この作品も踏襲している気がする。
「なんとなくいいこと言ってるなぁ」、時には「(主人公が)勘違いしてるなぁ」と思いながら読むところにハードボイルドの面白さがある。読者が「なんやねんこいつ」と思っても主人公は気づかない。そういうところが感じられる。
D:私の中のハードボイルドの定義は、できる限り心情を排して、登場人物の外見を描写し、ナイスミドルがイイ感じに含蓄のありそうな台詞を言ったりする作品。アニメ『カウボーイビバップ』(1998年、テレビ東京系)みたいな。
B:構造よりも主人公のキャラクターを主に指している気がする。『ロング・グッドバイ』もそうだし、日本なら原尞とか。ストーリーはごく一般的。
ニヒルな主人公というイメージが強すぎる。誤解だと言われそうだが、私はそう思っていた。
カサブランカ』(1942年、アメリカ)のハンフリー・ボガートに著者が影響されているのでは。時々気障で女性が喜びそうな台詞を言ったりして。読んでないので単なるイメージだが。
A:私はハードボイルド好き。ハードボイルドは現実感というか、ある種ルポルタージュ的で地に足が着いている印象。『パルプ』では現実感を吹っ飛ばして、表面的なスタイルだけをなぞった使い方をしている。
B:たぶん著者が抱いているハードボイルドのイメージは、私のハードボイルドのイメージに近い。勘違いやろ、と言われそうだが(笑)。
A:ハードボイルドの条件とは、文体・描写のほかに、主人公が善きものであること。
ニックは50代の男にしては甘っちょろい、ナイーブな部分があるようで、そういうものとしてなぞっている気もする。
B:ニック本人はドライを演じているが、ウェットなところが読者に読み取れてしまうみたいな?
A:ハードボイルドの主人公は、ばちばちウェットな気がする。
B:主人公本人はそう思っておらず、ドライを気取っている。そういうところが見せ場なのでは。
A:暗い部屋で電気をつけずスコッチを飲む。それで読者は彼が悲しんでいるんだとわかる。
B:自分で自分に酔っているのが読者にわかる。外に見せず、陰で泣いている俺。男にはそんなところがあるかもしれないけど。それを徹底的に追及している種類のキャラ。カッコつけているなと思っておけばええんちゃう?(笑)
A:そう思うと『パルプ』は破綻するというか。
B:主人公は自分がハードボイルドと思っているのかも。そういう人間をキャラとして作ったのでは。カッコつけてるけどカッコよくない。
A:やっぱりハードボイルドを茶化してるんですかね? 裏表紙の解説も、こう書くしかないよな。こういう奇妙な小説を怪作にまで持っていくのがすごいのかな。
B:斬新であるかのように読めてしまう。

【著者の狙いについて】
A:すでに名のある作家だから怪作になった。これでデビューできるやつはいない。すでに成功した作家の悪ふざけという類型の一つですかね。
B:悪ふざけというより狙っていたのでは。こういうものをこういうふうに書けば一定の読者は喝采してくれるだろうという思惑を感じる。実際、引っ掛かった人がいる。
A:どういう作戦として解釈するべきか。
B:「嵌ってたまるか」と読む人もいるし、「嵌ってしまった」と手を叩く人もいるし。こんなものを投げ込んでやれ、という作家としての魂胆があったのでは。訳わからんもの書く小説家ってそんなところがある。
A:ブコウスキーの他の作品も読まなければわからないのか。ちゃんと書いている人がやっているかどうかで変わってくる。
B:この作品から読んでしまうと読む気にならない。ときどき訳のわからない作品がある。以前、この読書会で取り上げた『熱帯』(森見登美彦/文春文庫)とか。狙ってるのかと思っていたが。
A:あれは普通に好きな作品です(笑)。
B:『熱帯』は四章から好き。
A:森見登美彦、いつもは筋の通った作品を書く人です。
B:『パルプ』と似たものを感じる。
A:『パルプ』と『熱帯』の相似性、面白いですね。
B:単に訳わからないだけだけど(笑)。

A:訳わからなさはセリーヌや宇宙人の荒唐無稽さ。そこがなければ普通の……普通かな? 怪しいな(笑)。そこがなければ普通のパルプ(マガジン)なんですよ。よくあるエンタメハードボイルド探偵もの。
B:主人公キレやすいし(笑)。
A:主人公がキレやすいのがパルプでは。
B:度が過ぎるだろ、みたいな(笑)。
A:周りが喧嘩売ってきて撃退する、というのが繰り返される。パルプ的アクションシーンなんですかね。
B:パルプがどの程度のB級かわからないが。
A:スティーヴン・キングなんかもペーパーバックで売られますよね。
B:そこまで手を広げようと思ってないし(笑)。
A:その辺りのニュアンスはアメリカの読書家じゃないとわからない。そんな結論の小説なんですかね。
C:どの部分がパロディなのか、元ネタがないから論じられない。パルプのお約束というのがあるのかな。今の私たちが、なろう系の展開を書いてみた、みたいな。
A:「なろう」はテンプレート的世界観なので、テンプレをひっくり返したりして新しいものを作っていますね。パルプもテンプレをひっくり返したのかな。名のある作家がやると、やっぱりイラっときますね(笑)。

【『パルプ』の読み方について】
A:自分で推薦してなんだけど、味のある議論をする材料に欠けている。
C:検索すると日本でもこの作品のファンが多いようなので、「ここが好き」とかそういう読み方でいいのかもしれません。深読みできる要素を散りばめておいて、考察好きな人は考察してね、そうじゃない人は楽しんで、みたいな感じなのかな。
私たちは自分でも書くので深く考えてしまうけど、寝そべって読んで楽しい作品、としてもいいのかもしれない。
B:私は解説を読んで深そうだと思って読み始めた。解説から先に読むのは邪道だけど。
『パルプ』というタイトルはネタバレのようなものでルール違反では。先入観のない、真っ白な状態で読んだらどんな感想を抱いただろう。少し残念だった。
A:解説まで辿りついていなかったのでは……(笑)。
B:解説は一応読んだ。でも解説から読み始めたらだめですね。
C:私は真っ白な状態で読み始めたいから、解説は絶対最後に読む。
B:でも多くの人は解説から読むんですよ。数学の問題だって回答から読んで問題に当たったら理解しやすい。同人誌も後記から読むでしょ? 裏から読んだら面白いから。
C:同人誌はそうですね! 作者の近況とか知りたいし。
『パルプ』に関しては、真っ白な状態で読んで正解だったかな。
B:『パルプ』だから荒唐無稽でもいい――このタイトルが誘導している。
私は読書会がなければこの作品は読まない。読書会があっても途中で止めたんだけど。なんの脈絡もない話が繰り返されて、よく半分まで読めたなと思う。退屈な読書も、途中で面白くなればと期待するんだけど多くの場合は裏切られる。
A:自分では読まない本を読むから読書会です(笑)。
B:150円で買ったからいいけど、840円(Bさんの手元にある版の定価。2026年現在の定価は990円)で買ってたらいややな。

A:酔いどれ系を読むと私自身が酔いどれてしまうので、主人公に酔いどれさせて作者は健康的というのが一番むかつく(笑)。その点、ブコウスキーは酔いどれているからいいですね。
C:本人も酔いどれているんですか?
A:酒と女とギャンブルの、自叙伝的な作品らしいです。

【翻訳について】
C:訳、はっちゃけすぎですか? 私は柴田元幸さんが翻訳した他の作品を読んだことがあるが、そちらはいい訳だと思った。『パルプ』は原文もはっちゃけてるのかな。
B:原文だと、学校で習うような英文解釈では読めないはず。
A:案外原文は地に足着いてたりして。
B:大学の先生がこんな訳し方をするだろうか。訳した当時(1995年)は40歳くらいか。そのときは特任教授ではなかった?
A:文体がもっと真面目だったら印象変わるんですかね。ストーリーラインだけふざけてる、みたいな。
C:別の訳あるんですかね? 読み比べてみたい。
(ネット検索して)高橋源一郎は「柴田さんの、チャールズ・ブコウスキーの『パルプ』の翻訳は、日本翻訳史上の最高傑作と思います。あの作品の、柴田訳のブコウスキーは僕の文章の理想像です」(※)と言っているみたいですね。
※Wikipediaより「パルプ(小説)」2026年3月28日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
B:高橋源一郎もある意味同類だからなぁ。
A:訳者に注目して読んだことなかった。
ブコウスキーの他の作品も読んでみたいですね。

『平場の月』朝倉かすみ(光文社文庫)

R読書会 2026.03.14
【テキスト】『平場の月』朝倉かすみ(光文社文庫)
【参加人数】6名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由(参加者A)>
初読のとき号泣した。いいなと思っていたら去年の秋くらいに映画化もされて(2025年11月14日公開)、読書会で取り上げたら面白いかな、と紹介させていただいた。ただ、軽すぎて皆さん拍子抜けされるのではと心配だった。今日は皆さんがなんて仰るか、すごく楽しみにして来た。残念ながら参加者が少ないが、そのぶん一人の発言時間が増えるので、しっかり教えていただきたい。

<参加者B>
◆体調のこともあり、あまり読めていないが、読みやすかった。どこを開いても、最初から読まなくてもスラスラ読める。
◆平たいことを書いているが、言葉一つひとつがやはりプロだなと感じた。日常の小さなことを本当に丁寧に書いている。こういうふうな書き方もあるんだなと面白く思った。あまり肩肘を張らなくても書けるのかな。

<参加者C(レジュメより)>

1、構成
(a)今日、2018年6月11日(資料1)  ★起
青砥は、昼休みに須藤の死を知る。花屋へ行き、花を眺めている。

(b)今日までの青砥と須藤の出会い、恋愛、別れが描かれる(資料2)  ★承
2016年7月14日に青砥は須藤と再会する。二人の恋愛と、別れ、今日2018年6月11日までの約2年間の経緯が示される。
[再会後に須藤の大腸がんが発見され、闘病生活に入る。2017年6月15日に別れ話が出て、その後、須藤は音信不通となる。須藤を探す青砥の姿が描かれる]

(c)2018年6月11日(資料3)  ★転、結
花屋を出た青砥は会社に戻って仕事をした後、須藤のアパートへ行く。青砥はそこにいた須藤の妹から新事実を聞かされる。

2、疑問点(資料4へ)

3、「平場の月」読後感想
・跳ねっ返りな女と、意外としつこい男の恋愛物語。
・タイトルの「平場の月」の意味は、裕福ではない中年男女の恋愛を月、または月の明かりに例えたものと思う。静かな冷たい明かり。
・2人の行動は不可解である。この外部からみて、不可解な行動をとるところが恋愛関係である、と示唆しているのか。
•月は、日常の何気ないことに寄り添う、昔からある静かな存在感を表す。

【資料1】
<『平場の月』時系列>かたまり1(現在)  ★起
・P5/2018年6月11日(月)
青砥50歳は昼休みに同じ会社の安西から須藤の訃報を聞いた。安西はウミちゃんから聞いたとの事。ウミちゃんへは須藤の妹からLINEが来た。5月3日に須藤は亡くなったという。
青砥は駅前の花屋に行った。そして須藤との出会いを思い出していた。次に、須藤、花と記憶を探る。須藤の菜園の草(ローズマリー)を思い出した。

【資料2】
<『平場の月』時系列>かたまり2(過去をふり返る)  ★承

※以下、詳細なプロット解析なので割愛

【資料3】
<『平場の月』時系列>かたまり3(現在に戻る)  ★転

※以下、詳細なプロット解析なので割愛

【資料4】
<疑問点>
いずれの回答も推測です。確定がありません。
(a)「あのさ、青砥」この後で何を言いたかったのか?
 ?
(b)P251「それ言っちゃあかんやつ」@なぜ「一緒にならないか」が言っちゃあかんやつなのか?
 相手に迷惑をかけたくないから
(c)P253「もう会わない」@なぜ「もう会わない」と言ったのか?
 好きな人に弱っていく姿を見せたくないから。
 本心(悩み、苦しみ、弱さ)を理解してほしいから。
 →青砥は、こうしたいとか、どうしたらできるかなどばかりを考えている?
(d)「幾代餅」を思い出し、青砥は一年間会わない提案を持ち出す@なぜ須藤はこれを断らなかったのか?
 意外な提案が出たので戸惑った。
(e)P263「須藤本人が須藤を嫌っている」これが一緒になれない理由なのだろうか?
 ?
(f)「合わす顔がない」という意味は?
 4月中旬である。時期的に、体調的に7月の温泉旅行の約束が守れないと分かっていたから。
(g)なぜネックレスと青砥の家の鍵を埋めたのか? いつ埋めたのか?
 自分へのケジメ。
 須藤の性格。(LINE削除。携帯は着信拒否。自分の口からもう会わないと口にしたので)
 断ち切る為にネックレスと鍵を埋めた。
 埋めた日は不明だが、別れた後の手術でアパートを出た日と思われる)

<参加者D>
◆青春小説は結構読むが、恋愛小説というのは自分では手に取らないジャンルなので新鮮な気持ちで読んだ。年齢がこちらに近づいているので、大人の恋愛小説もいいなとしみじみした。
◆最初、時間軸やどこにいるのかが掴みづらくて読みにくかった。読み進めてもそういうところが何か所かあって、また地の文も独白みたいでふわふわしており「ん?」となった。でもだんだんハマってきて、3分の2くらい読んだあたりで「読み終わるのいやだな」と思うようになった。
◆回想をわざと曖昧に、断片的に書き、あとからこういう経緯でここに行き着いたとわかるような構成になっている。経緯を知ることで、同じ場面でも全然違う感じがした。
◆根っからの悪人は出てこないが、皆それぞれ、ずるかったり悪かったりするのがリアルで面白かった。ウミちゃんや安西はわかりやすいけど、青砥や須藤もちょっとずつずるい。
須藤が「汚い真似をした」と言っているのは、別れさせたくてアドバイスしたことかもしれないし、結果的にそうなったことを言っているのかもしれない。須藤視点がないからわからないが、好きになったら真実がどうあれ、その存在が損なわれることはないのだろう。
◆額縁小説の形式で、須藤が亡くなっているとわかった状態で話が進む。額縁は(叙述トリックの場合を除いて)、絶対ここに行き着くと決まっているので弱点とされることが多い。でもこの作品では、終わりが来るのがわかっているからこそ二人の日々を愛おしく感じた。また、ミステリじゃないけど真実の明かし方が巧く、額縁が効果的に機能しているとも思った(須藤の最期を語る妹の言葉など)。プロが書くとこうなるのかと感心した。
◆青砥がホテルで昔の友達・江口に会うシーンがあるが、江口は年相応になっている。青砥と須藤は変わっていないのか、それとも再会して昔に戻ったのかわからないが、二人と江口が対比されているのかなと思った。
◆須藤の口調は「おもしれー女」の定型のような気がする。最近の作品だと『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈/新潮文庫)の成瀬に似ている。変わった女性を書こうとすると、こういう口調になるのだろうか。
A:『成瀬は天下を取りにいく』面白かったですか?
D:思ってたのと違った(笑)。でも続きが文庫で出たら買おうとは思ってます。

<参加者E>
◆私も須藤が成瀬に似ていると思った。この『平場の月』のほうが前ですよね。
◆がっつり恋愛小説というのは苦手なので、あまりに濃かったらどうしようと不安だったが、きっぱりしたやり取りをするのでどんどん読んでいけた。恋愛小説ではあるんだけど、裕福ではない庶民の、人生の物語だと思う。
◆視点がちょっと面白くて、最初は一人称かと思ったが、三人称だった。
◆女性作家が男性の視点を書くのはどんな感じだろう、どこか無理があるんじゃないかと思いながら読んでいった。すごく丁寧に描写してあり、男性がここまで細やかなものだろうかと感じた。青砥は昭和の感じを残した男性として設定されているので。作者は1960年生まれだから、こういう男性がいいな、というところもあるのだろうか。
本当に繊細な描写で、独自の表現を使っているところもたくさんあり、さすがだなと感じた。美しい描写は女性作家の特徴なのかな。
◆須藤は自分の病状を青砥に告げず、プロポーズも断る。なぜだろうと思ったが、性格が「太い」と表現されている須藤は、自分の病状が悪化したら青砥に世話をかけるだけになってしまうのがいやだったのかなと思った。
「身から出た錆」というような言葉もあったが、須藤は自分の今までの人生や、親も許せず、また、親を許せないというところに深い罪の意識があって、自分は幸せになってはいけないと感じていたのでは。
私個人としては、もう少し青砥に甘えてほしかったという気がする。青砥もそうやって2人で生きていきたかったはずなので。
でも、すでに終わっているからこそ、この小説を客観的に見たとき美しいと思うのだろうか。
◆須藤の喋り方は独特で、私も『成瀬は天下を取りにいく』の成瀬みたいだなと思った。
◆最後まで読んでこういう結末になったのを見ると、「青砥」「須藤」と呼び合うのもこのカップルらしさであって、2人にはこれが適した距離感だったのかなと感じた。
◆今まで恋愛小説はあまり読んでこなかったが、この小説を全部読めてよかった。表現、構成も勉強になった。
◆須藤は小柄だと書いているけど、映画で彼女を演じた井川遥は目立つ美人。
A:平場には合わないですよね。青砥を演じた堺雅人も正統派すぎて。映画は観ていない私の中で、須藤のイメージは深津絵里。青砥は滝藤賢一。原作を読んだときに浮かんでX(旧Twitter)で呟いたんだけど、いいねが1つも付かなかった(笑)。
E:私は朝倉かすみさんの作品を初めて読んだ。たくさんの賞を獲っている作家さんで、『平場の月』も第32回 山本周五郎賞を受賞したそうですね。
A:この読書会でも以前、同作者の『田村はまだか』(光文社文庫)を取り上げたことがある。実際に現場でパートするなど、勉強して構成する作家。
E:同世代の人と働くと気が楽と書いてあったが、それは違うなと思った。同世代ならではの意地の悪さがある。
F:それどういう世界⁉(笑)私は気が楽だけど。
A:同世代でも相手によるかも。
F:この齢になると意地悪な人いなくなる。あと死ぬだけなのに意地悪してどうすんの、みたいな(笑)。
E:(笑)。作品の中で、そこのとこは「うーん」と思ったけど、須藤がそう思いたかったのかな、って。
でも全体がリアルでよくこんなに書けるなと感じた。家の調度品や料理の描写も細かくてすごい。
追憶で同じ場面が何回も出てきているのはどうなのかな?
F:あれは意味があるんですよ、私は読み解きましたよ!(笑)
一同:(笑)
A:じゃあ「意味があるんです」の答えをFさん、お願いします(笑)。

<参加者F>
◆そのまま短歌にできるような言葉のセンス。各章のタイトルも歌集のタイトルみたい。
◆時系列が謎解きみたいで、読み進めていくとだんだんわかってくるという構成が面白い。
◆P13とP244、文章が被る。同じように書いてる。どう違うのか書き出していった。
P13<深夜だった。「須藤、もう寝たかな」と須藤のアパートを振り返ったら、三階建てのアパートの二階の角部屋に灯りがついていた。自転車を停め、見上げたら、ベランダの窓が開き、須藤が顔を覗かせた。>
P244は同じ文章なんだけど<「須藤、もう寝たかな」と振り返った。(中略)ベランダの窓が開き、須藤が顔を出した。>P13は「顔を覗かせた」、P244は「顔を出した」。この違いにトリックがある。
「覗かせた」というのは、ちらっと出てくる。でも、「出した」というのは明確に捉えている。P13では、青砥の気持ちは須藤でいっぱいになっていない。でもP244は青砥の中は須藤だらけ。この違いに私は感動した。素晴らしい。
P11では、ローズマリーを<ハーブの一種だそうだが雑草にしか見えなかった。名前は忘れた。>と言っているが、回想では「ローズマリー」と言っている。P12では雑草にしか見えないけど、どんどん2人の関係が深まるにつれて、雑草がローズマリーということに気づく。
<野蛮なほど純真な香りがした。>というのは、P12もP215も同じ。これも素晴らしいと思った。伏線を一章から張っている。
P13に<「須藤、もう寝たかな」と須藤のアパートを振り返ったら>と書いてあるが、P244は<「須藤、もう寝たかな」と振り返った。>……もう須藤のことだとわかっているから「須藤」と入れない。だってもう決まっているから。このテクニックが素晴らしくて感動した。練りに練っている。
◆須藤は青砥を拒否する。私は20歳のときから猫を飼っているが、それはもう猫の死に方。
A:私もそう思った。
F:ですよね。猫はどんなに弱っても人を頼らない。数週間、水しか飲んでなくてもちゃんとトイレまで行って用を足して、ばたんと倒れて死ぬ。何匹も猫を見送ってきて、どれだけ泣いてきたか。
土の中にネックレスや鍵を埋めるのも動物的。動物は餌を取って地面の中に隠す。あの行動と一緒で素晴らしいと思った。読んでいて声が出た。
◆作品の人称の件。私が通っていた心斎橋大学では、人称についてすごく厳しく言われた。私は一人称の作品しか書かなかったが、三人称で書く人も多かった。三人称で書かれた作品に対し「人称が違う」と指摘が入る。
『平場の月』は三人称だが一人称っぽい。P14<青砥は腹が空いていた。そういうことにしたかった。>とある。<僕は腹が空いていた。>にしてもいいのに。そういうことにしたかった、って言っちゃうと三人称じゃなく一人称では? これは学校なら注意される。でも、この作品は、どの文章も「僕は」といってもいい。
E:芥川賞を受賞した作品でも感じることがある。
F:流行ってるんですかね?
A:読んでいて不自然じゃなければいい、みたいな?
F:三人称は神視点と教わったけど、この作品は青砥の気持ちがバシバシ伝わってくる。だから一人称みたいだと思いながら読んだ。
E:気持ちを伝えるためにそうしているのかな。
A:逆に「僕が」になると(青砥の一人称だと)、破綻するところが出てくる。
F:それもある。だから両方使っている。
◆また、学校では緊張と緩和を入れろと言われた。これは死にゆく物語で、あまりにも切なくて悲しいストーリー。その中に、青砥と母の会話、「どちらさま」、「息子の健将」、「死にました」という少し笑える部分を入れることで緩和している。
◆句読点の使い方がすごくいい。時間をかけるときに読点をちゃんと入れている。例えば<自転車を停め、見上げたら、ベランダの窓が開き、須藤が顔を覗かせた。>、これを読点なしで書いたら流れてしまう。この間の取り方が上手いと思った。とても考えて書かれている。
◆最後はもう泣くしかない。作者がノリにのっている。迷いがまったくない。きっと泣きながらパソコンを打っていたと思う。ランニングハイみたいな。
B:私も最後いいと思った。
◆とてもいい本だと思った。感動した。Aさんが以前「いい本を読んだら書きたくなる」と仰っていて、そのときはわからなかったが、この作品を読んだら私もそう思った。
A:Cさんの纏めてくださった時系列を、作者も書いたと思う。それを見ながら書いたはずだが、最後はノリに乗ったんでしょうね。
◆私の友人もがんで亡くなった。この作品を読んで他人事とは思えなかった。人工肛門つけて苦しむというのが。
E:ちゃんと現実的に書いていますよね。隠したり、ぼやかしたりしていない。
A:距離感がいいですよね。冷静に淡々と書いている。
◆青砥の「それ言っちゃあかんやつ」は、やっぱり言っちゃあかんやつ! 苦しいだけだもん。本当に切ない。

<参加者A(推薦者)>
◆意外とウケが良かったようで安心した。私一人がのめり込んでいたらどうしようかと(笑)。
◆かなり複雑な入れ子構造になっている作品。読者もエピソードを覚えておかなくてはならない。ある程度の忍耐力を持っていないと作品を楽しめない。

<フリートーク>
【描写について】
A:一つひとつの解像度が高い。作者が「描写でいこう」と決めている。
F:描写がわかりやすい。でも普通の言葉ではない。それがすごい。「平場」というのも、あまり聞かない言葉。
A:手垢のついた言葉じゃない。
Cさんのレジュメで気になったのが「跳ねっ返りな女と、意外としつこい男の恋愛物語」――須藤は跳ねっ返りですか?
C:これは作中でヤッソさんが言っている。P189「気の強い跳ねっ返りさぁ。アオちゃんのカノジョ。ちがうか?」私も跳ねっ返りの部分は引っかかったんだけど、じゃあ須藤がどんな女かというと、なかなか言葉がなかった。
F:ラスト、「柔らかな土の幅が狭まっていく」んですよ。柔らかいんですよ、須藤は。柔らかいから言えないんです。でも根を張っている。すごく問題を抱えている。だから簡単に言えない。「結婚しよう」と言われても「しよう」とは言えない。ラスト2行すごくないですか? 案外深かったの、根が。これ、最初は柔らかい土なのに、実は違っていて固い。
須藤は、表面は柔らかいのに、ちょっとやそっとじゃ掘れない。この表現の仕方、すごい。
E:P189、「気の強い跳ねっ返りさぁ(中略)ちがうか?」と言われて、青砥が「そうですね。だいたい、そうです」というけど、実際、ヤッソさんは須藤に会っていない。
A:そう思えるんでしょうね、ヤッソさんからすれば。
F:須藤は揺るぎなくて「太い」と表現される。体型が太いんじゃなくて、しっかりしているという意味で。
A:私もFさんがおっしゃった「猫」というのがピッタリだと思った。猫は死ぬとき、どこかへいなくなる習性があると言われている。巣穴で死んだら家族が自分の肉を食べなくてはならなくなる、それを呪っていなくなる、という説もあるくらいに誇り高い生き物。
E:私も子どものころから猫を飼っていて、現在も2匹飼っているが、昔の猫はそういう部分があった。今の猫は家で飼われているから人間化している。昔のままの猫は本能が強いかな。狩りもするし。
F:帰ったらイタチやヘビ、コウモリ、ハトが連れ込まれていたり……。
E:須藤が猫の死に方に似ているというのは、そうなんだ、と思った。
A:先ほどEさんが言われたように、単なる恋愛小説じゃなく、人間が死に向き合うときの覚悟も描かれているから、湿っぽいのではない、気高さを感じるのではないかと私は思った。
私が一番泣いたのは、『青砥、検査に行ったかな』というところ。人間というのは話してみないとわからない。思っていることは行き違ったり、すれ違ったりしている。
F:訊こうと思っても訊けないというのが気持ちにブレーキをかけていたのかも。100%オープンに訊いていいかなという迷いが少しあったと思う。人でも猫でも死んでいくとき必ず、送る側はどんなに尽くしても後悔が残る。それがよく描かれている。

【人と人の距離感】
F:目次のタイトルの付け方が可愛くて好き。でも作者はそこまで若くないんですよね。
A:これを書き始めたのは50代かな。
E:登場人物と近い年齢ですかね。
D:苗字で呼び合うのがすごくエモいですね。親しくなったら下の名前で呼んだり、呼び名つけたりしそうなところを、程よい距離感を保っている。中学時代の初恋の続き、みたいな感じがする。
他の小説でも、夫婦だけど苗字でも呼び合う描写があって、そういうのいいなって思う。呼び名って大事ですね。
A:Dさんはどう? 下の名前で呼ぶ?
D:そうですね、仲良くなったら割と下の名前で呼びますね。
F:私は夫をFさんって呼んでた。
D:まじですか? めっちゃエモいですね!(笑)
F:「私、Fじゃないし」って思ってた。やつはFだけど私はFじゃない、って(笑)。その気持ちは今なおある。ちなみに夫は私を、下の名前にさん付けで呼んでた。
D:自立している感じでいいですね。
青砥にとって須藤はずっと須藤で、須藤にとって青砥はずっと青砥なんだなと思う。だから結婚しちゃだめなんだって。
F:青砥健将って名前がいいよね。
A:須藤もいい。
F:須藤葉子でハコ。私もこの「葉子」にしてハコって呼ばれたかった(笑)。
E:悲恋だけど出会えたことが幸運だったと思った。やっぱり出会えるってことが奇跡的なこと。二人出会えてよかったんじゃないかな。
A:こういうのを読むと長く生きることより、よく生きることが大事なんだと感じる。
F:P206の<アイドリングから走行へと自動的に切り替わり、夢中で走っているうち、友人ルートも、別離ルートも消えていた。>という文章がすごく素敵。<たぶん愛情というやつだ。>まで行っちゃうのが、すごい才能。
E:やっぱり作者は恋愛小説家なんですか?
A:そうでもない。でも男女の機微みたいなのは巧い。
D:これも全部恋愛というわけではないですもんね。
E:恋愛を題材にしてるけど、人生の話ですね。
F:作中で青砥の母も亡くなるが、母の死に関しては、親戚が集まってきたり、平常の事務的な進み方。だけど須藤は違う。知らないうちに死んでいた。
E:青砥の前の妻の描写はひどいと感じるところがあって、二人の子どもも母に言及して、相当の人であるように書かれている。妻の言い分もちょっと聞いてみたい。
F:そういうの含めて平場なんだなと思う。傍から見てたらひどいな、異常だな、と思うけど、平穏な家庭って本当はなくて、それも含めて平場なんだ、と。
A:結構みんなズルしたり、ごまかしたりしている。別に須藤も正しい人ではない。過ちも犯しているし。
営業活動で、高齢の女性に営業をかけるときは「○○さん」と下の名前で呼ぶと上手くいくそう。そして一切商品は薦めない。「○○さん、何かあったら言ってください」というと必ず向こうから連絡してくる。

【男性が女性を、女性が男性を書くことについて】
A:Eさんが仰られたとおり、女性目線の男性ですよね。男性が女性のことをこんな感じで好きになることあるのかな。女性にとってはいいですよ、青砥みたいな想い方は。
D:女性にとって都合のいい男性、みたいな?(笑)男性が女性を書いたら「おっさんドリーム」って言われるけど、女性が男性を書いたときにはどうなんだろう。
F:青砥の造形は男性から見てどうですか? 実在する?
C:いるんじゃないかな。100人いたら2~3人は。100人中9人はいないけど。
D:少ない(笑)。稀にいる、みたいな。C調べ(笑)。
F:連れてきなさい、ここへ!(笑)。
D:今日、男性の参加者はCさんだけでしたが、他の男性の意見も伺いたかったですね。
F:Cさんのレジュメにある疑問点も「それ言っちゃあかんやつ」って、女性にはすぐわかるから。
C:視点が全然違うっていうのは括弧付けでメモしました。話している内容がすれ違っている。他の男性も参加してくれないと……1人だとアウェイ(笑)。
ツッコミどころ満載なんだけど、ツッコんだところで跳ね返されそうだなって。
F:女性だと疑問がない。女性の作家さんの書くことはわかる。
A:男性が書いた女性はワンパターンというか……
F:容姿ばっかり書いて。
D:わかります。体型がどうだとか。

【『平場の月』の「月」とは?】
C:タイトルの「平場」は環境として、「月」ってわかりました? 闇夜じゃなくて月が照っている。この「月」と恋愛物語がどう繋がっているのか。皆さんどう思われましたか?
F:私が思ったのは……青砥の世界は須藤が亡くなって変わってしまった。それでも月はずっと出ている。悲しいのにお腹が空く、というのと同じように。それが『平場の月』だと思う。
E:「月」はどこで使われたのか探してみた。P244、須藤がアパートから顔を出した場面<清い光を放っていた>。
F:P13とP244、同じ文章が書いてある。<須藤の表情は、その夜の月に似ていた。>平場に上がる月。「清い光」って綺麗。
A:確かに須藤は太陽ではないよね。亡くなったけど、青砥の中でまだ浮かんでいる。
E:須藤の面影ですかね。
F:須藤の表情が<その夜の月に似ていた。>ここから来ているのかもしれない。
D:ネックレスも月の形ですよね。須藤は好みを言っていないけど、青砥のイメージとして須藤は月なんじゃないか。平場の中にあっても須藤は清い、みたいな。
A:青砥にはそう思えるんでしょうね。
D:ですね。これ、青砥の視点しかないから周りがどう思っているとかはない。
A:魔性の女かもしれないし。
D:逆に、普通の女かもしれない。

【まとめ】
E:Cさん、すごい資料を纏めてくださって……
D:ほぼほぼプロット解析ですよ、これ。
F:構成で迷いませんでした? 私、最初これですごく迷った。いつ? 何年の話? って。
A:何回くらい読まれました?
C:3回くらいかな。2回か3回読まないと、どこにいるのかわからない。時系列作らないと冗談抜きでわからない。A4の紙を何枚も切り貼りして作った。
D:勉強になりますよね、プロットの。
A:こういうのを見ながら作品を書けばいいんですね。当てずっぽうに書くんじゃなくて。
E:複雑ですもんね、追憶とか入るし。
F:そういうので賞を獲ったのかな、構成の力とかで。

『N』道尾秀介(集英社文庫)

Zoom読書会 2026.02.28
【テキスト】『N』道尾秀介(集英社文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

B:Cさんは電子書籍ですよね。紙の本では一章おきに上下逆転させた状態で印刷されてるんですが、電子書籍でもそうなってますか?
C:何ですか、それは(笑)。電子書籍では普通の小説でした。
A:……読書会の推薦作としては失敗でしたかね?
B:もともと読む順番で印象が変わる作品だし、それを前提に書かれてるので、いいと思います。
D:上下逆に印刷されていると、読み返すときにわからなくなる(笑)。読書会前にもう一度読み返そうと思ったけど、面倒くさくてできなかった。
B:それも狙いだったりして(笑)。第一印象を大切にしろ、みたいな。
個人的には、物理的な本としての面白さがあった。
D:電子書籍には文庫本P5の「~本書の読み方~」は載っていない?
C:なかったですね。
D:私はそんなにいいアイデアとは思わないが、変わり種ではある。
A:一回しか使えないアイデアですね。唯一無二。私もいい効果があったとは思わないが。

<推薦の理由(参加者A)>
短編をランダムな順番で読むことで独特な読書体験ができるという触れ込みから、本書を読書会のテキストとして推薦した。
実際読んでみると私が思っていたニュアンスと違った。

<参加者B>
道尾秀介の作品は、だいぶ前に『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)を読んだことがある。だから今回も叙述トリックかなと思って読み始めた。
◆私は、小説は最初から読むタイプなので(巻末の解説も必ず最後に読む。先入観を持って本編を読みたくないので)、この本もそうしようと思っていたら、いきなり最初の話が逆さに印刷されていて「やるな」と思った(笑)。でないと順番通りに読んでいただろうから。
いい意味で出鼻を挫かれて、「~本書の読み方~」に従って、気になる話から読むことにした。
◆読んだ順番は「笑わない少女の死」「飛べない雄蜂の嘘」「消えない硝子の星」「落ちない魔球と鳥」「眠らない刑事と犬」「名のない毒液と花」
全部読んだあと、この順番でよかったと思ったのは、「笑わない少女の死」「消えない硝子の星」の前に読んでいたこと。逆だったら立ち直れなかったと思う。
逆に、選択ミスだと思ったのは「眠らない刑事と犬」「名のない毒液と花」の前に読んだこと。吉岡が犬とすでに知っていたので、最後のほうで「吉岡」と呼ばれているのが犬だという気づきを味わえなかった。
とはいえ、解説を読んで、ここは驚くところなんだ、とわかったのだが。私は小説の解説に賛同することが少ないけれど、この作品については説明してもらってよかった。
◆全体の繋がりもいいが、独立した短編として読んでも密度が濃く、それぞれ面白かったと思う。

<参加者C>
◆読んで感じたのは、めっちゃ事故が起こるな、ということ。油断したら死ぬ恐ろしい世界。
◆720通りではない、普通の短編集だと思った。アイルランドが舞台の2編以外は、順番を変えても印象は変わらない。
マーケティングに成功している。この売り方だったから、Aさんも読書会のテキストに推薦した。いい売り方をしている。一回しかできないが。
◆マーケティングはさておき、小説として読むと、それぞれの作品の印象がバラバラ。共通しているのは光の花くらい。優しい世界のようでそうでもなく、悪く言うと取っ散らかっている。だから読む順番で色が変わる、と言っているのかな。パラレルワールドとしてありえた世界と思えば楽しめるかもしれないが。
◆好きな作品は「消えない硝子の星」
◆全体を通してメンヘラっぽい。トラウマのために自殺しようとするような、事故と自殺に彩られた世界。
◆面白い企画だと思った。

<参加者D>
◆今日の昼過ぎから、ばーっと読んでしまったので(※読書会は20時~)まだ纏まっていない。人名整理してみたいなぁ。章ごとに上下が逆転しているので、やりにくくてやめたが。整理できれば、また違った読み方ができるかもしれないが。
◆私は、最初に冒頭部分が書かれている順(掲載順)に読んだ。普通の人はそう読むだろうし。
『小説すばる』での発表順に読んだらどうだろうか?
発表順だと、最初が「笑わない少女の死」、最後が「消えない硝子の星」。オリアナの話が最初と最後になる。最初から構想されていたのか、途中で思いついたのかはわからないが辻褄合わせとしては綺麗にまとめすぎ。とはいえ、私も「消えない硝子の星」が一番良かったと思うのだが。
◆並べ方でアイデアがあるならそういうのも面白いか。「落ちない魔球と鳥」で登場した錦茂はおじいさんだったから、「飛べない雄蜂の嘘」を読んだとき若いイメージがなく、若い女性がおじいさんと関係を持ったように感じてしまった。意図したのか結果としてそうなったのか、読む順番で印象が変わるのは作者の狙ったとおりなのだろうか。
◆この企画は誰が思いついたのか。作者か編集者か販売者か。『すばる』で発表されていたときには仕掛けはなかったと思う。一冊にまとめるときに「こうすれば面白いんじゃないか」と話し合いながら決めたのではと想像している。意図的に構想されたのではないのでは。
◆短編それぞれとしては割とよくできているので、仕掛けを施すよりも先入観なく読んだほうがいいと思う。
◆4時間ほどで読んだのでまとまっていないが感想はこんなところ。

<参加者A(推薦者)>
◆確かに、短編一つひとつの答えと、別の短編の伏線が複雑に絡み合っているけれど、視点と時間軸がぐちゃぐちゃになっており、それぞれの登場人物の繋がりが少し曖昧に感じられてしまった。
短編同士を大きな物語の中にあるサイドエピソードとして捉えるのではなく、ニューロン同士の繋がりのような「別の時間軸の別の人生」としているあたり、ちょっと独特な時系列を描いているように思う。
◆短編全般のテーマとして「軌跡のモチーフと死」が貫かれているように感じた。
・軌跡のモチーフ(生を賦活させうるもの)
 …天使の梯子、蝶、シーグラス、空き巣、犬と共に暮らしてきた過去がある人間
・死
 …笑わない少女、資産溶かしDV彼氏、学業が奮わないJK、いじめられっ子、母(ホリー)、仕事の相棒
これらの要素から、各短編に幽玄さと静謐さが内包されているように感じた。一編一編は淡々としながらも切なく、ちょっとした種明かしもあって味わい深かった。
◆ただ、この短編集をどの順番で読んだとしても読後感はほぼ同じではないかとの疑念を抱いた。あくまで短編小説のザッピングであって、読む順番によって万華鏡のようにフィーリングが変わるというのは読者の感性に期待しすぎていると感じる。
◆また、Dさんが仰ったように(一章おきに上下逆転しているので)なんとなく読み返しづらい。
◆変な小手先の工夫をするのではなく、シンプルな短編集にしてもいいような気がする。少なくとも冊子の場合、上下を反転させて読まなければならない本書は読みづらいものに感じた。ひっくり返さなくてもいいと思う。
ただ、こうしたちょっとした仕掛けがないと手に取ってもらえない、出版物が多すぎて埋もれてしまうという現状はあるのかもしれない。

<フリートーク>
【全体の仕掛けについて】
B:普通の短編集として読んだほうが、完成度が高く感じるのでは。逆にもったいない気がする。
D:素直に連作として発表順にまとめたほうがよかった。
B:最初と最後をアイルランドの話で繋げたほうが綺麗ですよね。
D:「笑わない少女の死」の発表が2019年、2年経ってまた続きを読めるから(「消えない硝子の星」は2021年発表)、いいバランスじゃないかと思う。
A:『すばる』に発表したときから一冊にまとめるという前提で書いたのかな。
ある程度プロットがあって、ランダムに発表して、ランダムにまとめるように書いた?
D:それにしては発表の感覚が空きすぎている。ややこしい話を説明抜きで進めて後から真相がわかるという作りだが、次を読むまで間が空くと、読者が仕掛けを覚えていてくれない。
実はこのおじいさんにも少年時代があったんだとか、吉岡は犬になっちゃったとか。過去に遡って、こういうことだと書くやり方もあるが。
A:むしろ忘れさせるために間を空けたとか。
B:私は吉岡が犬のことだと知らずに「名のない毒液と花」を読みたかった……。
A:私は序盤で「笑わない少女の死」「消えない硝子の星」を読んだ。すでに亡くなっているオリアナの過去を知って、一生懸命シーグラスを探して踏んだり蹴ったりだと思った。

伏線をあらかじめ知ってしまう部分はあるが、どういうふうに読んでも十人十色もないと思う。一通り読んで過去現在未来が整理つかず、漠然と「面白かった」で終わるのでは。
D:私たちは一冊でまとめて読んでいるからこう思うが、雑誌だとぽつぽつ掲載される。毎号買っている人が遡って読むことはあるかもしれないが、一話完結として読んでいる人にとっては何の仕掛けもない。意図的に発表の間隔を開けたのだろうか。
タイトルの「N」が何なのかわからない
A:「N」は作中にあった(P230)。「Nが四の場合は四×三×二×一で二十四通り」。
D:順列と組み合わせのNか。
A:あとは読者が好きな単語を考えて、みたいな。
B:以前読書会で取り上げた、夏木志朋『Nの逸脱』もNでしたね。湊かなえ『Nのために』(二葉文庫)とかもNだし、よく使われますね。
D:『Nの逸脱』は「西智子の逸脱」だと思っている。とX(旧Twitter)で呟いたら作者がいいね押してくれてたら当たってるかも(笑)。
C:たぶん作品タイトルで検索して、全部にいいね押してるんじゃないかと……(笑)。

【各キャラクターについて】
B:「消えない硝子の星」で知真が出てくるが、吉岡のことには言及ないんだと思った。お世話になった先生の夫が、自分の行動が遠因で亡くなったらだいぶ印象に残ると思うんだけど。
D:担任の先生が知真の役に立っていないが、オリアナに絡めてニアミスしているのは、それはそれで面白い。
B:私は「笑わない少女の死」から読んだから、この先生ひどいなと思ったけど、「落ちない魔球と鳥」では生徒を気にかけている(本当の意味では見ていなかったが)。また、読者としては錦茂の肩を持ってしまうが、彼の起こした窃盗事件のせいで江添が不幸になっている。同じ人間でも、時と場面によって、立ち位置が変わってくるという面白さがあった。
C:そういう話なら、森見登美彦『四畳半神話体系』(角川文庫)もいいですよ。
『N』の話に戻ると、作品に謎が残っている。「笑わない少女の死」の「恐ろしいもの」とは何なのか? 蝶が逃げたことと繋がっているのかな? その答えがあるのかと思ったけどなかった。
オリアナはステラと和解しているのか。疑えば、英語で実は全然違ったことを言っている、とも考えられる。
D:それを英語で書いて、いろいろな解釈ができるように作れていれば……そこまではさすがに無理か。
B:それ、私が読めなくなるからだめ(笑)。
D:英語の先生の造形は、作者が教わった英語の先生がモデルではと想像した。英語教えてるけど会話はできないんちゃうか、と肴にしているな、と思った(笑)。
文法で勉強しても身につかないですよね。やっぱり耳で慣れて、肌で覚えていかないと。文法に適っていない言い回しもあるし。

【眠らない刑事と犬】
B:隣人が殺害されて、その数日前に家族が包丁を持って隣家の敷地内に行っていたら私も家族を疑います。
C:あの時点で逮捕してればよかった。ロープを切るだけなら鋏でいいですよね。
B:むしろ首輪を取るだけでいいのでは。他の話と犬探しで繋がっているけど、この作品だけ浮いている気がする。他の作品に比べて疑問点が多く、すんなり読めなかった。
D:「名のない毒液と花」から読めばいいが、「眠らない刑事と犬」のほうが先に発表されているんですよね。「眠らない刑事と犬」で江添と吉岡が出てきてもわからない。私は「名のない毒液と花」から読んでいたから「彼らか」と思ったけど、読む順番によってはしっくりこない一例かも。
お母さんと息子が理解し合って終わった?
B:決裂で終わってますね。普通疑うと思うけれど。
D:刑事が単独、しかも自費で捜査するのはありえない。と思ったら実は息子が疑われており、本人は捜査から外れていた。ミスリードが多い。何でかなと思わせておいて説明する手法。
B:よく考えてるなと思う。
C:でも包丁持って侵入は揉み消せないでしょ。息子を自首させればよかった。自ら願い出て捜査から外れたとあるが、息子が容疑者だから外されたというほうがありそう。

【作品のテイストについて】
B:それぞれ短編として見ると「消えない硝子の星」が完成度高いですか?
C:いい話と突き放す話、極端ですよね。
B:持ち上げて落とす、その逆もある。「笑わない少女の死」で悪い人なのかと思ったおば(ステラ)は、「消えない硝子の星」を読むとオリアナを大切に想っていたことがわかる。

C:希望に満ちていそうだけど助からない設計。それはそれで、いい読書体験だと思う。
ただ、作中に事故と自殺が多いので、少し違った話もほしかった。
A:全体的に死の気配が漂っている。希望のある話にも。生と死を意図的に入れているのでは。この作者の傾向かも。私は道尾秀介の作品を読んだのはこれが初めてなのでわからないが。
C:『向日葵の咲かない夏』は自殺から始まるし、別の作品では母が事故死していたりする。
D:小さい女の子が亡くなったりするんだけど、なんで殺してしまうんだという場面がよくある。こんないい子を殺してしまうんだ、みたいな。可愛らしく表現しておいてから殺す癖があるのかな。
C:今作では何人事故死してるんですかね。
A:『タッチ』(あだち充の漫画)ネタありましたね。『タッチ』でも弟が事故死するんですよね。
B:「落ちない魔球と鳥」は巧かったと思います。「(弟である)僕は生きている」と書いておいて、死んだのは兄だったという。
いい子が死ぬと読んでいる側のダメージが大きいですね。
C:事故死したのは知真の母、オリアナ、オリアナの父親……とんでもない悪運の強いやつに関わると大変なことに。

B:最後まで生き残っていた人には希望がある結末でしたね。「飛べない雄蜂の嘘」の主人公と錦茂は海面に咲く花を同時に見れて。錦茂と、それから江添は幸せになってほしい。
D:錦茂は死体遺棄の件では逃げ切っている。
C:田坂の死体は見つかっていませんもんね。窃盗で捕まっただけで。死体上がってこないのかな。
D:腹に穴が開いていれば浮いてこない……本当なのだろうか。
B:海面に咲く花の下には死体が沈んでいるわけですね。まぁどこでも沈んでいそうですが。

それにしても、フィクションでも犬が可哀そうな目に遭うのは結構堪えますね。吉岡(犬)の元飼い主夫婦に一番腹が立った。『テスカトリポカ』(佐藤究/角川文庫)でも犬が可哀そうだった。

C:私が一番好きなのは「笑わない少女の死」。先生(語り手)がメタ的で、箱を空けたから語り継がれるという言い分が好き。
D:だけどオリアナを殺す必要があったのか。後から理由付けしているのでは。人間の思惑でなく事故で死ぬのはわざとらしい。
C:(作中での事故が)1件ならともかく、この世界のドライバーはどこを見て運転しているのだろうか……。
B:交通違反が厳罰化されていない世界かも……。

【各作品の繋がりと仕掛けの効果】
B:Dさんは引っ掛かる部分には理由をつけてほしい派ですね。
D:わざとらしくないように作るのは難しいというのはよくわかる。
でも変化球を使いすぎ。発表したら謎でも何でもない。同時に書いたのかな。
B:「笑わない少女の死」から考えたんですかね?
D:アイルランドの2作だけ浮いている。他の作品の舞台は「つ」の字になった湾のある街で、アイルランドはその街の住人の留学先や旅行先。
B:発表順だとアイルランドで始まり、アイルランドで終わるんですね。
D:アイルランドは混ぜる必要がないと思う。飯沼と英語の先生は一連の話にあまり関係ない。別の物語のような気がする。
C:1作目の「笑わない少女の死」から2作目まで1年近く空いているから、その間に詰めたのでは。
B:飯沼は「名のない毒液と花」の知真ですよね。これは発表時期が遅い作品だから、あとから作っていったのかな。
D:アイルランドでオリアナと会うのは他の人でもいい。蝶の彼女でもいい。実際、オリアナの母親とは会っているし。看護師じゃなくても、どうとでも料理できそう。
B:全体とは別に、一つひとつにテーマを持たせたかったのかも。「消えない硝子の星」はターミナルケア、とか。
D:連作短編は人物を共通化して繋げようとするところがあって、私もやりかねない。
C:『Nの逸脱』でもできそうですね。章ごとに逆に印刷して。
D:もともと連作短編はどこから読んでもらってもいい。それぞれがそれぞれの番外編みたいな。これを書いたからもとになる話を書いておかなきゃ、というような部分も多いかも。
C:連作短編ならこの売り方できるんじゃないですかね。
D:この印刷以外はまぁオーケーだと思う。この印刷はきらいや(笑)。
C:電子版にすれば……(笑)。
D:上下逆転していても、読み上げ機能に活かされないですからね(笑)。
B:私はこの印刷、結構いいなと思いました。頑なに順番に読みたがるこだわりを打ち破ってくれた(笑)。
C:私は普通に前から読んでいって、こんな感じか、と思った。
A:表紙の絵が逆さになっても同じなのはいいけど、花の色くらい変えてくれないとややこしい。
D:読み直すのも大変。逆転している中から探さないといけないから。読み返す気になるかですよね。
B:普通にまとめられていたら出来のいい短編集だったと思う。この売り方は逆効果ですか?
C:初読は一回しかないから、別の読み方をすれば確かに違う印象を受けたとは思う。
B:記憶消して読まなきゃですね(笑)。
D:皆、連作短編は頭の中で別の読み方をしていると思う。720通りは理論値なんですよ。
B:選択肢が多すぎて、出来のいい短編集というだけじゃ手に取られませんもんね。変わったのじゃないと。
A:それぞれの短編自体はミステリアスかつリリカルで雰囲気はすごく好き。

【その他】
B:叙述トリックをたくさん書く作家も多いですね。叙述トリック好きなんですが、続けて読んでいるとだんだん飽きてくる。
D:読者は叙述を期待しているから、叙述じゃなかったらなかったでがっかりされる。
道尾秀介の歴史小説が読みたいな。『黒牢城』(米澤穂信/角川文庫)のような。叙述ミステリーが期待できそう。

A:今度推薦するなら読みやすい想定の本にします(笑)。