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R読書会/Zoom読書会

『五千回の生死』宮本輝(新潮文庫)

R読書会 2023.11.11
【テキスト】『五千回の生死』宮本輝新潮文庫
【参加人数】11名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦者:参加者K>
宮本輝というと、映像化されている作品を含め長編が多いが、短編を読みたくて推薦させていただいた。載っているのは古い作品で、宮本輝が30~40代のときに書かれたものだが、読んで「すごい」と感じた。背景が切なくて、ぐっとくる。
全部は読まれてないかもしれないが、皆さんも1つくらいは好きな作品があったのでは。それだけでも感想を伺いたい。

<参加者A>
宮本輝は大好きな作家の一人。読んで「すごい」と思ってしまった。「泥の河」が芥川賞を受賞したあとに編集者が言っていたのだが、作品を七回推敲したそうだ。何度も書き直すのがすごい。練って練って練りまくって磨いている。

「五千回の生死」
◆ライターが一つのアイテム。喉から手が出るほど五万円がほしかった主人公が、ライターを買ってくれるという友人に会えず帰ろうとしていると、訳のわからない坊主頭の男と出会う。男の自転車に乗ったり降りたりしながら走るさまが、短い中にわーっと書かれていて面白かった。
◆坊主頭の男の背景は書かれておらず、生死を繰り返す様子だけが生き生きと描かれている。謎のままにしている=書き過ぎていない。読者の想像に任せている。
私はアマチュアの方の小説を読む機会が多いのだが、みんな書き過ぎていると思う。説明を省いてしまえば余韻が残るような場面でも、こうだった、ああだった、涙が溜まって……みたいに、詳しく書いてしまっており残念だと思うことがよくある。短編の場合はぱっと切って、一番書きたいことは書かないくらいのほうがよい。
◆わざとらしい標準語で始まり、途中から大阪弁に戻ってスピード感が出てくる。方言の使い方が巧い。

「力」
◆私は『五千回の生死』の文庫ではなく、『宮本輝 全短篇』で読んだ。文庫に「力」って載ってますか? 気に入ったものを選ぶなら、私は「力」がいいな、と。
◆注意力散漫の少年が一人で学校へ行く様子を母が隠れて見守り、様子を聞いた父が今まで見せたことのない笑顔で喜んだ。けれどもそれは感傷と陶酔の入り混じった心で創り上げた想像の産物……ここで、はっとした。人間の哀しさ、自分を鼓舞するのは自分しかいないというメッセージ。

全体について
◆少年の視点から物を書くのが上手。少年の目と、大人になった自分の目の二つがあり立体的だ。一人称の語り手の回想として進む「一人称回想形式」は森鴎外の「舞姫」以来の日本文学の系譜だという。
少年の視点と、成長した自分の視点を交えるとこのようになるんだと思った。

<参加者B>
◆私も宮本輝が好きで、でも「五千回の生死」まで読んで、そのあとは読まなくなった。今回読み直して、どうして読まなくなったのかわかった。

「眉墨」
◆主人公が結核になり、母を連れて軽井沢へ療養に行ったが、そこで母に癌が見つかる。母は父のせいで苦労をしてきた。タイトルの「眉墨」というのは、母が布団に正座して描いていた眉墨のこと。過去に自殺未遂をしようとした母の、生きようとする印としての眉墨。

全体について

◆どうして途中からいやになったかというと、苦しいことをどんどん上積みしていくから。「眉墨」もそうだし、「トマトの話」も父が死んで困窮し、劣悪な環境で危険な仕事をしながら、そこで出会った男にトマトを買ってきてあげて、でもトマトは食べられることなく、預かった手紙は落としてアスファルトの下に……不幸が重なって読んでいるとすごく気持ちがいい。でも、あるときぴたっと読まなくなった。
私は太宰治も好きで書簡集まで読んでいたが、ある日突然、読まなくなった。太宰は自分の不幸を掘り下げていき、宮本輝は人の不幸を感じて自分のことにしている。違うが、似ている。
だから私は読めなくなった。長年の謎が解けた。

<参加者C>
◆私は大阪に住んでいたことがあって、いくつかの作品の舞台を知っているので、そういう意味でも楽しく読んだ。電車の路線や距離感などもイメージしやすかった。9編すべて読んで、印象に残った作品の感想を述べる。

「トマトの話」
◆一番印象に残っている。私は、届かなかった言葉、言えなかったこと、というのにすごく心が揺さぶられるので。交差点のアスファルトの下に手紙が埋まっているのも残酷で、でも美しいと思ってしまう。

「力」
◆次に好きなのは「力」。巻末の荒川洋治さんの解説を読みながら「そうそう!」と頷いた。小学校一年生の主人公が定期券入れを振り回して、弁当箱を落とした人を眺めて、別の方向に走り出して……それを見る(様子を聞いた)両親の視線の温かいこと。
冒頭で元気をなくしていた主人公――世界すべてを恨めしく思ってしまう日は誰でもあると思う――の中に、昔の主人公が帰っていればいいと願った。

「復讐」
◆先述の二作品とは違う、ぐっとくるものや希望のない話で印象に残った。終盤のP153まで光岡と津川が主人公に復讐しようとしているのかと思ったが、そうではなく、旧友2人は事情を察していたのだろう。ただ、主人公の心の内だけが違っていた。

「バケツの底」
◆「バケツの底」も好き。主人公の発作はパニック障害だろうか。今は認知度も高まってきたが、この時代はパニック障害についての病識がある人も少なく、精神科に対する偏見もより強かったのでは。その時代に書かれた作品というのもすごい。
◆バケツの底があるからこそ水が入る、ということだろうか。見えないところで支えている人がいるから社会は成り立っている。

<参加者D>
宮本輝の作品を読むのは初めて。

「五千回の生死」
◆「五千回の生死」が一番よかった。
◆この本の前に読んでいた「月の満ち欠け」(佐藤正午著)が生まれ変わりの話で、恋人が月のように何回も生まれ変わる。小学生の女の子が、家にないのにライターのことを知っている。「五千回の生死」と重なった。もしかして佐藤正午は「五千回の生死」を読んで書いたんじゃないかと思った。
佐野洋子100万回生きたねこ」のテーマも同じ。主人公のねこは何回も生きて、人から見ると幸せに見えるのに満足せず、最後の生で白いねこを見つけ幸せに死んでいく。
「五千回の生死」の語り手も(回想の中で)生活に疲れていて、藁をも掴む気持ちでライターを売りにいき、変な男と出会う(=起承転結の転)。最後には汗だらけの男が神々しく見える。男にライターを譲ったんだなと読んだ人はみんなわかる。語り手は大変な生活から抜け出して生きる希望を見出していく。テーマが似ていると感じた。

「力」
◆二番目によかったのが「力」。知らない男にズームしていく、カメラ的な視線、主人公に対する移行描写がよかった。
◆私もアマチュアの方のエッセイを読む機会が多いが、「ふと思い出した」というフレーズがあまりにも多くて。P75「宇宙にぽつねんとたたずませて見つめた」……ふと思い出したんじゃない、文学的な表現が素晴らしい。こんなの書いてくる人いない。
P88「私という人間の中の路地に帰っていったのだろう」……言葉が出なかった。なぜこんな文章が書けるのだろう。

「アルコール兄弟」
◆三番目は「アルコール兄弟」。
◆P128「俺はずっと友だちだったぜ。口をきいてくれなかったのはお前のほうだ」ここですっかり騙されて、団結してやっていくのだと思ったら、ビラを貼っていて。組合と御用組合の騙し合いが面白い。
私のいた会社も御用組合があって、御用組合の幹部は会社のいい役職につく。
◆P122「やまだし」がわからなくて辞書を調べた。P124「おためごかし」、うっすら知っているけど、どういう意味だろうと、これも調べた。知ってても使わないですよね。
A:岡山ではわりと使うかも。
D:あとP126「オルグ」。説明なしに知らない単語が出てくるから、辞書を引く楽しみもあった。

「復讐」
◆描写力がすごくて、どぎつく読むに堪えない。子どもに読ませたくない。性加害のニュースを思い出して、とてもいやな気分になった。

<参加者E>
◆私は文学学校に入ってから宮本輝を薦められることが多かったにも関わらず、食わず嫌いみたいなところがあって、今回初めて手に取った。読書会だから読んだのだが面白くて、薦めてくれた意味がわかった気がする。
◆短編を書くとき、自分でも書き過ぎだなと思うことは確かに多い。
「トマトの話」は、手紙に何が書かれていたのか、男が何者なのか説明されておらず、「眉墨」では母が眉墨を描く理由も明かされていない。
「紫頭巾」は謎だらけで終わっている。「トマトの話」「眉墨」は許せるが、「紫頭巾」はないだろう。しかし謎をいっぱい残しておく書き方は面白い。
「紫頭巾」の、読み手からするとずるいぞと思ってしまう、書かかずに終わる勇気。

「力」
芥川龍之介の「トロッコ」を思い出した。「トロッコ」も少年が家に帰るところで終わっており、社会人の主人公が少年時代を思い出すというところも共通している。

「紫頭巾」
北朝鮮に帰還する話がベース。北朝鮮に帰っていく期間に、当時の人々がどう考えていたのかを小説を通して知ることができた。
また、帰還事業があったという事実は知っていたが日本赤十字社が関与しているとは知らなかったし、日本共産党が事業を進めたことは知っていたけれど右翼が反対していたとは知らなかった。
それら事実は事実として、世の中の人はどう思っていたのかも皮膚感覚でわかる。そういうのも小説の役目だと思った。

<参加者F>
宮本輝は長編「春の夢」を一作だけ読んでいた。
◆短編だから書くことと書かないことの匙加減が巧い。文章を飾り立てているわけではないが内省的で詩的な言葉がたくさんある。

「眉墨」
◆巧い。母は癌になっても感傷に流れるわけでなく、あっけらかんとしていて、だからこそ悲しみが伝わってくる。
眉墨をつける理由は語られていない。誰でも、自分が知らない家族のことってあるよな、と思わせられる。人生ってこうだよな、と。

「トマトの話」
◆「トマトの話」も、人生に付きまとう理不尽の突きつけられ方が胸に迫る。どうにかしてあげようとして余計に悪いほうへ向かわせてしまう。せめて手紙くらい届けてやりたいと思うがアスファルトの下に埋まってしまい、どうしようもなくて打ちのめされる。そういう作品。

「紫頭巾」
掘り出した物は遺品じゃないですか。それを引き受けるんじゃなく埋め戻してしまう。誰かの死を引き受けない覚悟。ある種の潔さ、と言うとちょっと違うが。
E:本当に園子の物なのかはわかってないんですよね。
F:少年の視点からすると本物で、彼は遺品に手を付けないことを決めた。
E:私は猿公の宝物じゃないかなと思う。
F:どうなんでしょうね(笑)。

「アルコール兄弟」
◆酒の上では嘘でやり合っている意識がありながら、どこか本当。翌日には自分の立場に立ち返ってやり合う。どちらも嘘、でもどこか本当。匂わせず、さらっと書いているのが面白い。

「五千回の生死」
◆あと、「五千回の生死」ですよね。誰かわからない奇妙な男の言っていることが面白い。(主人公と同じ立場なら)自分もそう思ったかもしれないと小説から説得されてしまう。生まれて、死んでいるんだと説得されてしまう。
男からは「なんでわからないんだ」と、こともなげに言われてしまうんだけど。わからないですよ。それがわかったら、生きる必要もなくなるのかな、と。
D:P113「俺の頭をそっと撫でよった」、神々しい神様みたいで、そのひと言がすごいと思った。
F:仏教のある日本人なら輪廻が思い浮かぶので、頭を撫でてくるのは仏様なのかな。輪廻はあるというのが真実なのかな。小説のテーマとは関係ないですけど。
でも、その素材をどう受け取っていいかわからない形で出すのがすごい。

「復讐」
◆この短編集の中で、この作品はどうかな……って。津川と光岡がどんな罠を仕掛けていたのか、具体的にわからない。(女子高生を)三人も用意する必要あったのかな。長井に添わす必要があったのかな。
D:長井に抜けさせないためじゃない?
H:あれはおまけですよ。
D:描写がえぐい。気持ち悪くなる。
F:(作品を通して)何を表現したいのか、よくわからない。

<参加者G>
宮本輝の作品はほとんど読んでいるが、読み直すまで思い出せなかった。大阪の貧しい庶民を書いているから大好きだけど覚えていない。
◆やっぱりプロの作品かな、素人が読んでもよくわからないのかな、と思った。
◆主人公の職業がさまざまで、なぜこんなに色々書けるのか不思議。短編でも話題がたくさんある。全部経験したわけではないだろうから、プロの想像力はすごいと感心した。

「五千回の生死」
◆「五千回の生死」は落ちがあってわかりやすい。Aさんが仰っているように読者に投げかけており、何を言おうとしているのかはわからないが。

全体について

◆投げかけられた作品は面白いが、私の中には残らない。私は、感動する作品が残る。
作品は読んでいるけれど、作者の詳しい経歴などは知らない。知っていたら、どっと読めるのだろうか。皆さんの意見を伺って読み直したい。

<参加者H>
[事前のレジュメより]
 この冊子には九作品が載っているが、五作品しか読めなかった。作品の多くは社会の最下層に生きる人々の物語だった。

「五千回の生死」約37枚
 父が遺したダンヒルのライターを処分して生活費に充てようとする極貧の男の話。登場人物の言動が意味不明だった。五千回死にたくなるなんて。

「トマトの話」約48枚
 タイトルから家庭菜園の話かと思った。小野寺というコピーライターが語った、学生時代のアルバイトの話だった。市街地の交差点、車両を通行させながら夜間に舗装するという大変な工事現場の話だった。学生数人で車両へ通行指示をする仕事である。気を抜くと命に関わる。私の心に残ったのは江見という労務者と主人公の交流だった。体調を崩した江見が飯場で寝ており、一通の封書を投函するよう頼まれる。ところが、江見は大量の吐血をして救急搬送され死亡する。封書を預かりポケットに入れていた主人公は、仕事中にその封書を落としてしまった。必死になって探すが封書は見つからなかった。宛名の「川村セツ」とはどんな関係なんだろう。切ない話だった。

「復讐」約35枚
 高校教師による男子生徒への性加害の話である。喫煙などの理由で神坂は三人に体罰を加えた。殴打や技をかける体罰だった。神坂は「朝まで正座しておけ」と命令する。この私立男子校は、品行不良の生徒は退学させるという方針だった。主人公以外の二人は、間もなく退学となった。主人公だけは退学を免れ大学へ進学する。一流企業へ就職した主人公は、不良仲間だった光岡に呼び止められる。彼は高校退学後極道の道へ入り、ヤクザの幹部になっていた。光岡は神坂への復讐を誘うために待ち伏せていたのだ。光岡の口から主人公が性加害を受けていた事実が明かされる。本人が誰にも話したことのない事実だ。ちょうど現在騒がれている性加害の物語を、宮本氏は三十五年前に書いていた。加害の描写は衝撃的だった。

「眉墨」約43枚
 主人公の母親の過酷な人生。胃癌であることを知った母親が自分の死期を悟る。結末はよくある話だった。

「紫頭巾」約35枚
 小六のわるがきたちがどぶのほとりで女の死体を発見する。朝鮮長屋の前だった。在日朝鮮人北朝鮮に帰還する時代の物語だ。

D:「眉墨」、43枚もあるんだ(印象より長い)。
C:「トマトの話」は内容が濃いから48枚以上ある気がしますね。
D:「五千回の生死」も37枚しかないんだ(印象より短い)。

[以下、読書会にてHさんの発言]
「復讐」
◆構成を工夫し、性加害があったことを後から読者に知らせる。主人公はつまらない一流企業で一生を過ごすのかなと思っていたら光岡が現れた。
◆Dさんは性加害の描写が気持ち悪いと仰ったが、私も我慢して読んだ。緻密に書かれている。最初は他の二人のために我慢させられる、(二人が退学してからは)性加害を我慢するという構造。
◆津川と光岡が仕掛けた罠は簡単。警察沙汰になっていいと女子高生に確認しておいて、神坂を騙させて……美人局的な仕掛けですよ。
◆現在、性加害が問題になっているが、宮本輝は30年前にこの視点で書いている。

昆明円通寺街」
◆主人公は、友達の石野が死にそうになっているときに旅行に出かける。雲南省少数民族の生活と、尼崎の生活がそっくり。Dさんも仰られたけど、P220「ふいに、石野の運転するオートバイのうしろに乗り、(中略)素っ飛ばした夜を思い出したのである」……これ、真似しなくちゃ、と。
「復讐」の次に、この作品がいいと思う。

「五千回の生死」
◆わからないのが「五千回の生死」。私は苦手。意味がわからない。私が主人公だったら自転車に乗らない、歩く、となる。なんで私はそういう読み方になるのか、皆さんに伺いたい。

「紫頭巾」
◆1950年代かな、私の出身地にも朝鮮籍の人が多く住む場所があった。帰還する人はトラックに乗って新潟まで向かう。私も友達を見送った。家族と離れて日本に残る人たちと一緒に。まさにそんな場面。
日本国内だけではなく朝鮮の革新的な人たちも帰還運動を推進したが、今ではあの運動は間違っていたという評価になっている。運動するときはよく考えないと。

<参加者I>
◆私も宮本輝は初めて。作品のいいところだけ読ませていただいた。書き始めと締めのところが巧い。作品がどこで始まって、どこで終わっているかを読むので、深く何がどうだったとは言えないが。
昆明円通寺街」がよかった。その前の「紫頭巾」も好き。「力」もよかった。
「復讐」はまったく読まなかった。タイトルからして、いやだったので。
◆『螢川』を買って、読んでよかったから、他にも4冊買った。巧い作者だなと。自分の作品を書くときは宮本輝の本を前に置いておくと上手に書けるんじゃないかと思う(笑)。
◆「泥の河」は読み始めて、あまり好きではないと感じた。
素人好みだけど「螢川」はすごいな、って。全部よくて全部勉強になって、こういうふうに書きたいと思った。
◆古本屋に行ったら宮本輝の本がいっぱいあって。出たとき240円だった『螢川』が今250円で並んでいる(笑)。増刷がすごいですね。

<参加者J>
◆爽やかな青春ものだと思って全部読んだら違った。
◆人の生き死にに関する話や、メランコリックで読んでいると目を背けたくなる話でも、詩のように、現実のえぐみを感じさせないように書かれている(敢えてなのか、自然とそうなっていったのか、あるいは私がそう思ったのか)。
また、父親からの暴力や会社でのパワハラ、学校でのセクハラなどを変に隠そうとしないのがいい。「バケツの底」「アルコール兄弟」が好きだった。

「バケツの底」
◆主人公は体調を崩し(文章から適応障害パニック障害を患っていると思われる)、ケチな会社に転職した。対比で構成されているのかな。

「アルコール兄弟」
◆私的にはスカッとした。自分の予想を裏切る結末が好きなので。
◆組合運動が衰退していく直前の話かな。こういう感じで労働組合をやっていたんだと面白かった。

「復讐」
◆読んでいて辛かった。神坂はもともと主人公に目を付けていて、性加害を加えたいがゆえに退学させなかった、というのもあるかなと思った。そこから主人公の人生が狂っていったのだろうか。独身というのも、性加害の影響があったのかも?
E:私は違う読み方をしていた。主人公は神坂を好きですよ。最後の3行でそれを告白している。
J:私、最後の3行は要らないと思う。
B:最後の3行を入れることで、人間の闇が出ている。
D:P154「ぼくはどれほど弛緩したことか」と、最後の3行で本当にいやになった。
A:それだけ罪深いことなのでは。尊厳を傷つけられるとこうなる。
D:性加害の被害者が、(被害に遭ったとき、加害者に)無視されるのはいやで、むしろ待っていたと語っていた。性被害は40年くらい人に言えない。
A:何をされたかわからないですよね。時間が経てば経つほど傷になる。そういうことを、(この時代)すでに書いていたってすごいですよね。
「性加害が悪い」というふうに持っていくのではなく、こういう状況になったとき人間はどう動くか、を書いているから嫌味がない。どの作品も、ある状況に置かれた登場人物が勝手に動いている。
F:当時は(男性同士では)「性加害」という認識はなかった。いやなことをされたが、だんだん嵌っていったと書きたかったのでは。
D:すごくいやなことをされたら二重人格になる。「清楚で類稀な美貌の、無抵抗な女になっていく」……主人公がされたことに真正面から向き合えなくて、本当に追い詰められているから私は(この作品が)いやだと感じた。

<参加者K(推薦者)>
宮本輝は周りで読んでいる人が多かった。
◆私は「力」が好き。24、25枚の作品でこんなに書けるんだ、と。
昆明円通寺街」これも好きな小説。こんなに書くんだとドキドキした。
「バケツの底」。何でも底がないと成立しない。その底だけを使う。
「五千回の生死」。途中から自転車を漕ぐスピードが上がっていき面白い。落ちが大阪っぽい。説明できないことを書いて、読み手に考えさせる。すごい。
「トマトの話」。思い出話ではなく作品として残っている、作者は経験を通して本当にトマトを食べなくなったんじゃないか、と思わせられる。
D:自分のしたことをチャラにするんじゃなく、地面に埋めて樹木葬みたいにしているイメージ。
最近の宮本輝はどろどろした感じではなく、軽やかな感じで書き続けている。1947年生まれだから76歳くらいか。
D:Kさんは宮本輝の作品で何が一番好きですか?
K:テキストの中では「力」。直近で読んだのは「錦繍」ですね。手紙のやり取りで構成されている、綺麗でクラシックな感じの読みやすい作品。
H:錦繍」は宮本輝の作品で最高傑作と言われているそうですね。

<フリートーク
「トマトの話」
D:あいつ手紙なくすなって思った。尻ポケットに入れたりして。
C:私も思った!(笑) 絶対なくす、って。いい子なんですけどね。
H:川村セツは奥さんか娘か……。
C:恋人かも?
H:いや、恋人はないな。

「眉墨」
H:私はそんなにいい作品だと思えなかった。大抵の場合、親が癌になったら長男や長女が隠すじゃないですか。そういうよくある流れだと感じた。癌になった本人は、自分は気づいていないように振る舞う。私の家でもそうだった。
ところで眉墨っていつつけるの?
C:朝、家を出る前ですね。普通、寝るときには落とす。
D:毎日つけるので眉墨自体は特別なものではないですね。
E:ルーティンですよね。

「五千回の生死」
D:もし主人公が女性だったら話が違ってくる(笑)。
A:すぐ通報しますよね(笑)。
H:素肌にジャンパー……どういうことだろう、って。
D:私が昔京都に住んでいたとき、何度も「死にたいんか」と言いながらついてくる男がいたことを思い出した。

D:主人公は、十日後にライターを売らなきゃって思うんだけど、十日というのが巧い。グダグダ説明しなくても「いろいろあったんだ」と思えるだけの期間。
H:十日間でお金を使ったんでしょうね。
D:当時の大卒の初任給は五万。十万円は今の感覚だと四十万円くらいだから、入ったら嬉しい。電話すると電車代がなくなる……普通に考えたら電話すればいいのに、主人公はパニックになって正常な判断ができなくなっている。
H:(話を聞いている)相手の男、何だこれ。主人公と親しくしているように見えるが、困窮した主人公に対して何もしないのか。
D:お金がある人は貧しい人の暮らしがわからないんです。小説って主人公をいじめるだけいじめるのよね。だからこれはもっといじめるんだな、と。
H:相手が何なのか、私だったら細かく書いてしまう。書かないという判断はどこでするのだろう? この男はなんで聞いているのか……私はそこで読む気がなくなった。
G:それは設定ですよ。主人公を自転車に乗せるために、お金がない話を伏線的に書いたのでは。
F:告白体、会話口調の小説だから話す相手が必要。
H:気にしないで読めばよかったのか(笑)。最初に読む話ではなかったな。
D:これから読めばいいじゃないですか。なんで過去形(笑)。
H:なんで貧しい人たちを書くのかな。そのほうが読まれるのだろうか。
F:西村賢太みたいな。
G:無頼派とかもそうでしたね。
F:太宰治もそうだし、系譜としてあるのでは。

D:女性があまり出てこなくてよかった。(男性作家が女性を書いていると)知らないくせに書くなって思うから(笑)。ほかの作品では書いていると思うけど。
A:短編から9つ選んで、さらにその中から「五千回の生死」を表題にしているのは、気に入っているからでしょうね。

【実体験と創作】
I:いろいろな職業の人が出てきますね。
C:前回のテキスト『狭間の者たちへ』を書いた中西智佐乃さんは求人広告を読み込んでいるそうです。
A:以前取り上げた『田村はまだか』の朝倉かすみさんはスーパーマーケットが舞台の作品を書くときは実際にスーパーでアルバイトをするとか。
D:髪の毛を洗わなかったらどうなるか、実際にやってみた作家もいる。
I:宮本輝の作品では能登なども舞台になっていますね。
A:実際に宮本輝自身が住んでいたことがある。
父親のことは(作品の中で)ちょこちょこ悪く言っているけれど、厳密に言うと書いていない。書かない=父親を殺していない=喪に服していない。父親を許していないのかも。
I:私は北国の小説のほうが好きです。大阪の話は暗いなと思って読んだ。
G:大阪の貧しい人を書いている。赤ん坊の死体が川から流れてくる、とか。実際にあったんでしょうね。
B:私が住んでいるところも湾があるんですが、昔は人間の赤ん坊も流れてきたと、地元のお年寄りから聞きました。
G:昔はどの地域でもそうだったのかもしれないですね。私も、袋に入った犬が流れている横で泳いでいた。

K:ほとんど書いた順番に載っている。やっぱり最初の「トマトの話」と最後の昆明円通寺街」では違いますよね。