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『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』阿部暁子(集英社文庫)

Zoom読書会 2021.04.17
【テキスト】『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』阿部暁子(集英社文庫
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
南北朝時代」というと馴染みがない方が多いはず。たとえば織田信長豊臣秀吉なら、歴史にあまり詳しくない人であっても知っているだろうが、(南北朝時代の)足利尊氏など名前は知っていても馴染みは薄いのではないか。そこで、この作品なら南北朝時代に興味を持ってもらいやすいかと思い推薦した。

<参加者A>
南北朝時代に疎いほうではあるが、読み始めるとさくさく前に進んだ。北朝南朝の人物整理がすっきりしており入りやすかった。いろいろな人物が入れ代わり立ち代わりというのではなく、わかりやすく配置されているので、南北朝時代への入り口としてはいいと思う。
◆キャラクター造形もわかりやすく、シンプルに読みやすい。
◆主人公・透子に主軸を置いて考えると、身内からの情報だけで社会情勢を判断していた彼女が、市井に生きる人々や、権力者の(権力者としての面だけでない)人格を知ることで成長し、帰っていく物語である。=(読者にとって)身近な主人公の成長物語。
ざっくりと言うと教養小説(Bildungsroman:ビルドゥングスロマーン。主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説)に含まれるかもしれない。
◆透子は行宮を出奔するまでは、敵方について「観念的な悪」としか思わず、楠木正儀北朝に帰順した理由もわからなかったが、さまざまな出来事を通して理由を知っていく。
◆芝居やドラマにしても面白そうだ。
◆P138の義満の台詞「知らぬものは知ればいい。恥ずべきことは知らぬことではなく、知ろうとせぬことだ。知らぬおのれを恥じ、知りたいと願うなら、おまえはなかなか見込みがある」…これがこの小説の核心の一部ではないだろうか。

<参加者B>
◆私も南北朝時代には馴染みは薄く、楠木正成足利尊氏あたりの話を『山賊王』(沢田ひろふみ)という漫画で知っていた程度だが、すんなり入っていくことができた。
主人公・透子も世の中のことをあまり知らないという設定なので、読者は透子と同じ目線で登場人物や社会情勢について知っていくことができる。
◆「主人公の成長」というテーマと、「それぞれの正義にどのように落としどころを見つけるか」というようなテーマがあると思う。
◆歴史的事件の裏を書く……という作品が多いが、この作品はそうではなく、歴史には残っていない暗闘を創作して描いている。それだけにどう展開するのか予想できず面白かった。
◆面白かったのだが、(戦闘シーンはあるものの)話し合いで戦いが収まった感があり、少し物足りなくもあった。

<参加者C>
◆室町というと、南朝北朝足利尊氏金閣寺銀閣寺、将軍は十五代まで……くらいしか知らなかったが面白く読めた。
◆力のある書き手だということはわかるが、台詞など、無理やりライトノベルにしているのでは? と思う部分がところどころあった。私は、読んでいてそこがしんどかった。もっと重厚な歴史小説を書ける作者だと思う。
◆家や血筋、血統にこだわる、大変な時代だと感じた。
◆ストーリーは、大きな山場がなく、小さい山場がいくつかあり、ラストへ向かっていく構造。一部が史実で、一部が創作。
◆キャラクターがとても上手く作られているだけに、ステレオタイプであるのがもったいないと思う。
◆面白かったのだが印象には残らなかった。すごく巧いのだが、それゆえに骨組みが見えてしまう(読者をここで引っ張って、ここでドキドキさせて、ここでイライラさせて……という作者の意図がわかってしまう)。

<参加者D>
◆非常に面白い。人物の背景、それにともなう行動原理が納得しやすかった。
◆(『ローマの休日』のように)何も知らないお姫様が、義満たちに会うことで「敵方には敵方の正義がある」ということを知っていくストーリーに説得力があった。
南朝北朝に別れ、それぞれの中でも争いがあり、弱体化したほうが敵方と手を組んで……というように入り乱れた時代だが、その部分を差し引いてもストレートに読めた。
南北朝時代のエントリー小説としていいと思う。ここから興味を持って、『太平記』などを読み始める人もいるかもしれない。
斯波義将のキャラクター造形がウィークポイントではないか。後半で重要な人物になるのだが、登場時の印象が薄かったため、伏線を読み飛ばしてしまったのではという感覚に陥ってしまった。前半でもっと義将のキャラクターを浮かび上がらせたほうが読みやすかったと思う。

<参加者E(推薦者)>
ライトノベルを意識しすぎているという意見があったが、私は逆に、コバルト文庫出身の作者がライトノベル感を控えめにしていると思った。
◆重厚さ、重々しさがない。逆に言うと胃もたれせず、さらっと読める(=読みやすい、馴染みやすい)。歴史小説の一つのアプローチだと思う。
◆はねっかえりのお姫様、俺様な将軍などステレオタイプのキャラクターは、学園ものだとありきたりだが、歴史小説においては斬新。歴史小説というと重厚に書いてしまいがちだが、キャラクターの立て方など、(自分たちが創作する上で)取り入れることができるのでは。最近はキャラクターを重視する傾向にあるので、勉強材料になると思う。
◆歴史的な事実も綿密に調べられていられる。知っている人は「ここまで書かれている」と思うのではないか。ex)左京と右京があり、右京は寂れている……など。
◆透子内親王は架空の人物だと思うが、いろいろ想像できる。一休さんとして知られる一休宗純後小松天皇落胤と伝えられており、母は南朝方の女性であったとも言われている。彼女を北朝へ連れてきたのは楠木正儀では……という読み方もできる(意図されていたのかはわからないが)。
◆新しい作品を書くヒントはないかと読み始めたが、ヒントに溢れた作品だった。
◆参考:室町を書いた作品として『獅子の座―足利義満伝』(平岩弓枝)。観阿弥世阿弥も登場する。
観阿弥と正儀の親戚関係については『華の碑文―世阿弥元清』(杉本苑子)において重厚に書かれている。
観阿弥と正成については、『うつぼ舟Ⅱ 観阿弥と正成』(梅原猛)という本もある。

<フリートーク
観阿弥と正成は、吉川英治も伯父と甥という説をとっており、大河ドラマ太平記』でもその設定が使われている。
◆いわゆる歴史小説よりしつこくなく、すっきりしている。入門編としては良い。
◆作者が「コバルト文庫出身」と聞いて腑に落ちたところがある。コバルトというと少女小説。作者の得意なところを歴史小説に持ち込んだな、と。
何も知らない女性(:転校してきたり、新任の先生だったり……)がちょっとした事件を解決し、成長していくというストーリーが多い。少女の主人公を中心に、(恋愛に限ったことでなく)彼女が社会を知っていく、というような。→その論理を、核を守ったまま書き、歴史小説に生かしている。
◆キャラクターという意味では、前面に出てくるのは透子。何も知らない人物を主人公にする利点がある。
・透子は先入観なく、客観的にものを見ることができ、ある程度の公平性を担保しているため、主人公としてバランスがいい。
南北朝の説明は面倒だが、さらっと読んでいいところは、主人公に「わからない」と言わせれば、そのように読者を誘導できる。
・すべてを見通した主人公も頼もしくていいが、何も知らず右往左往する主人公は感情移入しやすい。
・読者は、彼女と一緒に(作中の)世界を知っていく。ライトノベルや漫画だと、転校生や編入生が学校のルール、情勢を知っていくパターンが多い。ex)『花より男子』(神尾葉子
シリーズものの場合、巻を重ねるごとに重厚感が出てきたりする。
◆キャラクター小説としても巧い。鬼夜叉(世阿弥)についても、「若いとこんなことも言うだろうな」と思わせるし、猿楽師といっても特例的な地位にあるので動かしやすい。
◆唐乃にリアリティがなく引っかかった(栄養状態など)。
上記意見に対し:「貴人に同性のお付きの人がついている」というお約束がある。お付きの人がコミカルな役を担ったり、合いの手を入れたり……。ex)『ドン・キホーテドン・キホーテサンチョ・パンサ、『暴れん坊将軍徳川吉宗と歴代じい、等
その二人の掛け合いからストーリーが始まったりする。
細川頼之斯波義将などの有名人物は、重厚な歴史小説なら書き込まれるが、この作品ではあっさりしている。今回は道具立てだろうか。必要なら続編で書けばいいし、巧く書いているという見方もできる。
細川頼之斯波義将のキャラクターが似ている(似ているように感じた参加者が二名)。両方を一廉の人物として書いてあるのが混同する原因か。
◆四郎(観世四郎)は登場しなくても成り立つが、史実では後に重要な存在である:四郎の子孫によって観世流が現代に伝えられている。続編を作るときにも登場させられる。
◆ほぼすべての主要人物が美形なので、観阿弥の美男子さが際立たない。
:綺麗どころが多いのはコバルト論理? 少女の興味があるもの以外は書かない。
ex)雑誌『女学生の友』(小学館)。コバルト文庫と、直系ではないが文化的な血の繋がりがある。
◆私たちは小説を書くとき、これほど思い切ってキャラクターを作らない。もっとリアルに近づけようとする。しかしライトノベルだと思い切ったキャラクター造形が許される。自分が創作する上で、どこまで参考にできるかな、と思う。
◆伏線を張る楽しみについて。小説を書くとき、後から伏線を入れることがあるが。この作品にも、そういう部分がたくさんあるのでは。分析するのも面白い。
◆山場(ラストの乱闘シーン)に至るまでが長い。全体を見たとき、200ページほど人物説明が続いている(それも面白く読めるが。プロでないと、そこまでもたせられない)。起承転結のうち、転結が圧倒的に短い。
歴史小説というと戦国時代や江戸時代に偏りがちで、室町時代は今まで扱われることが少なかった。学校でも、教える教師自身が興味を持っていないのかすぐ終わってしまう時代だった。創作の穴場では。
◆表紙のイラストについても、「イメージが固定されてしまう」「表紙に惹かれて買った」などの意見が交わされた。一般文芸作品の表紙をイラストにしたり、ライトノベルとして刊行された作品の表紙を(後に)一般文芸作品のようにしたり……というようなことはよく行われている。