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R読書会/Zoom読書会

『狭間の者たちへ』中西智佐乃(新潮社)

R読書会 2023.09.30
【テキスト】『狭間の者たちへ』中西智佐乃(新潮社)
【参加人数】6名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由:参加者A>
◆今まで推薦したテキストは読んで面白かったから紹介していたが、今回は未読のまま推薦した。友人に「素晴らしいから読んでほしい」と言われた作品。私自身、「どんなかな」と興味を持って読んだ。
◆紹介してくれた友人から「加害者の立場から書いた小説」と聞いていたので、エグいことが書いているだろうなと思いながら読み進めた。
◆(私や友人のように)プロになれなかった人間と、世に出る人間との差はどこにあるのかという興味を持って読んだ。
◆皆さんがどう感じられたのか、伺うのが楽しみ。

 

<参加者B>
◆どちらも男性を主人公として描いている。若い女性が、どうして男性主人公を書くようになったのか知りたい。

「狭間の者たちへ」
◆主人公は40歳くらいで、まさに私の息子と同い年。おむつを換えたくないとか、そんな昭和世代のような男性がまだいるのかなと思った。(作品の舞台は)現代なんですよね。
A:うんちは換えないという人、いるみたいですよ。
B:主人公の年齢が息子と同じなので重ねてしまう。そんなこと考えてるのかな。
◆「彼女」の後ろに立つ心情がわからない。今日の読書会に男性は来られていないけれど、男性に訊いてみたかった。
◆健二や作業服の男の存在の意味について考えながら読んだ。
◆暗くて救いがない。この小説のどこに救いを求めたらいいのか。全体的に読みやすいから読み進められたが、救いがないので辛かった。
◆大阪だからマクドナルドは「マック」じゃなくて「マクド」。そのあたりもこだわって書かれている。

「尾を喰う蛇」
◆尾を喰う蛇も救いがない。主人公は35歳。今の若い人って、こんな感じで暮らしているのかと思った。
◆P184の蛇のエピソードが印象的。
◆「第51回 新潮新人賞」受賞作なんですね。作品の世界に引きずり込むという意味ではすごい。

 

<参加者C>
◆70歳になって本を買わないようにしたので、図書館にリクエストして入れてもらった。8月に届いたので早めに読んで、忘れないように感想を書きだしておいた。
◆タイトルが『狭間の者たちへ』なので社会の闇を抉る社会派小説かと思ったらそうでもない。主人公たちは何の狭間にいるのだろうと考えた。“自分の意識と社会の意識のズレ”、“妄想と実行の間で揺れ動く”、その狭間だろうか。

「狭間の者たちへ」
◆先ほど、女性が男性を描くのはなぜかと仰ったが、女性でないと気づかない男性の加害描写がぶっちぎりに巧い。男性では、このいやらしい不快な感じは書けないと思った。
◆“触らない痴漢”に遭った経験が私にもある。後ろに男がいて、触らないけれど匂いを嗅いでいる。周りも気づいているけれど、嗅ぐだけだから誰も何もできない。あの不快感を思い出した。こういうの、男性にはわからないと思う。
◆主人公は、あーちゃんの匂いや背中の硬さの記憶を引きずりながら結婚した。実生活でなく妄想の中を生きていく書き方が巧い。
◆P7「電車が閉まった」で始まり、P103「電車が動き始めた」で終わるのが巧み。狭い空間で始まり、終わる。そこに中身が入っているのが巧い。
◆作業服の男の意味について。作業服の男がいないとストーリーが進まない。主人公と「彼女」と電車だけだと話が展開しないから、意味深な、悪魔的な人物が必要だったのだと思う。
◆例えばシングルマザーは本当に社会の狭間にいる(食べ物がない、子どもの誕生日を祝えない、など)。この人たち(「尾を喰う蛇」の主人公も含めて)は他に選択肢があるにも関わらず、ここにいるのが本当に気持ち悪い。

「尾を喰う蛇」
◆主人公がなぜ介護福祉士になったのかわからない。福祉関係は合う合わないが大きい職業なのに。そんな疑問を持って、人参をぶら下げられたロバみたいに読み進めていけたので、これはこれでありなのかな。
◆この主人公も35歳で他の道があるのに、なぜここにいなくてはならないのか。
狭間といっても迷子の人だな、と思った。今どきこんな人がいるのだろうか。詐欺に手を染める人もいるのに、こんなのんびりした人たちがいる? 正直な感想、あんたらお気軽でいいわね、と感じた。

 

<参加者D>
◆初めての出版でこれだけのものを書かれたのがすごい。よく推敲されている。

「狭間の者たちへ」
◆私も電車の中でこれに近い目に遭ったことがあるので、最初のほうは読めなかった。なので「尾を喰う蛇」を中心に読ませていただいた。
◆電車の中の痴漢行為。みんな、少しずつおかしくなっている。私も、一人暮らしの家で夜中に「わーっ」と叫びそうになる。叫ばないんだけど(笑)。経済的に恵まれて、友達もいる。なんで叫びたくなるんだろう?
痴漢が見つかったら犯罪ですよね。人間が知性を失っているのかな。私が男性なら電車の中でそうするかもしれない。体が密着していたら触りたくなるかもしれない。

「尾を喰う蛇」
◆介護の経験がある方でないと書けない気がした。すごく丁寧に、見ているだけではわからないところまで書かれている。物語性というより、感じたことを記録してまとめられたのかと思うほど記録的に書かれていると思った。
A:お風呂の入れ方とかリアルですよね。
D:介護士さんでこういう小説を書く方を知っている。女性利用者が大便に失敗すると、男性介護士が膣に指を入れて掻き出したり。だから私は施設に入りたくないと思って。
C:そういうときは家族の同意を得るんじゃないですかね。今、女性介護士がいないんですが、って。うちの母だったら怒ると思う。
◆89と興毅を中心に据え、引っ張っていかれて最後まで読めた。私は介護される立場で読んだので、興毅に迷惑をかけるんだなと思った。
◆興毅は若いのに実家に4万円も仕送りしている。私は息子に生前贈与として仕送りしているのに(笑)。
◆89は戦争経験者で、言葉にできないが、本当に残酷な現実を見ているのだと思う
私の前夫は憲兵として満州にいて、人をずらっと並べて頭を落としていく現場を見ている。人間って言いたいことはいっぱいあるけれど、一番言いたいことは言えないもの。人に言えないことをたくさん抱えて、墓場まで秘めていく。
◆みんな問題を抱えながら生きて大変だなと思った。私は高齢者なので患者の立場で読んで、また介護士の立場でも読んで……すべて自分に関わるものとして読んだ。

 

<参加者E>
「狭間の者たちへ」
◆なんとなくだけど、実体感がない、ふわふわした小説だと思った。どこかで見たことのある設定。X(旧Twitter)の4コマ漫画みたいなのを連作して、小説にしたみたいな印象。
◆主人公はノルマを課せられて鬱状態になっているのかなと思った。主人公の妻も産後鬱から暴力を振るうようになり、主人公も性衝動を抑えられなくなったのだろうか。
◆主人公は、あーちゃんが大好きで結婚したかったんだろうな。その人以外とは結婚したくなかったのに世間に宛がわれた。自分がそうしたいということとは別に、人生が流れていく。
主人公は、あーちゃんと結婚して子どもができていたらおむつを換えていたのでは。
◆作業服の男が登場したとき、ご都合主義だなと思った。作業服の男は、自分がこうできたらいいのにということを先取りして与えてくれる。一つの解釈として、作業服の男は実在しておらず、すべて主人公がやっているのでは。主人公はラストで捕まっているが、匂いを嗅ぐだけでは捕まらないだろうし。本当は(嗅ぐ以外に)何かしていたのでは。
A:そっか。作業服の男の存在っておかしいよね。
E:先取りしてやってくれてるの、おかしいなぁ、って。
C:作業服の男はサタン、悪霊の役割。してはいけないことをしようと誘惑してくる。小説として巧い。
◆皆さん、救いがないと仰られたが、主人公にとっては捕まったのが救いでは。家庭からも会社からも痴漢行為からも逃れられて、やっと自分がしたことに向き合える。
D:実際の猥褻事件で捕まった人も、よく捕まえてくれたと思っているのでは。大きなものを失うかもしれないけれど……。

「尾を喰う蛇」
◆こちらのほうが地に足がついた小説だと思った。
A:流れるようで、設定に無理がないですよね。
◆なんで「狭間の者たちへ」のほうを(単行本の)表題にしたのか不思議。「尾を喰う蛇」を表題にして、「狭間の者たちへ」を前座にしたほうがよかったのでは。
A:狭間って、何の狭間だと思いました?
E:社会の狭間かな、と。
A:どちらの主人公も自己肯定感が低いですよね。表題としては、二作とも併せて『狭間の者たちへ』ではないかと。
E:二作とも似てますよね。続きかと思いました。
◆尾を喰う蛇=メビウスの輪だろうか。
興毅、89、同室の北口さん、三人が輪になって、お互いの尻尾を食べ合って身動きが取れなくなっているのかな、と想像した。
◆興毅にしてみれば、
・自分は頼み込んで専門学校へ行かせてもらい、介護の資格を取った。妹は頼み込んでもいないのに美容師の専門学校へ行った。また、自分は毎月仕送りしていて、外食さえ贅沢だと感じている。(=妹より冷遇されていると思っている)
・89が興毅の言うことを聞くようになり、みんなに一目置かれ優越感を覚える。調子に乗って威圧的な態度を取るようになって避けられ始め、でもどうして避けられているのかわからない。
・元カノの京子が専業主婦になりたかったというのも興毅の思い込み。
◆病院の人たちは89が認知症になったのは主人公のせいだと思っている。でも、(興毅がいないときに)同室の北口さんが戦争の話をして、精神のバランスを崩したのかもしれない。興毅視点なのでわからない。

 

<参加者F>
◆今日、男性が出席されていないのが残念。男性の意見を聞いてみたかった。

「狭間の者たちへ」
◆普通に生活していると、痴漢の気持ちなんか知るかと思うが、痴漢も一人ひとりにそれぞれの人生が当たり前だけどある。「彼女」の立場で考えると、とても気持ち悪いだろうし、ストレスの捌け口にされる側の気持ちを無視した痴漢の人生など当然知ったことではない。ただ、人は誰しも視野狭窄に陥ってしまうことがあるものだし、やるせなさを感じた。
私も高校生のときに本屋でサラリーマンに痴漢をされたが、あのおじさんも何か大変なストレスを抱えていたのだろうか。想像すると可哀そうになった。私が「彼女」だったら、主人公が匂いを嗅ぐくらいなら見逃してもいいかと、ほんの少しだけ思ってしまった。
◆最近は女性目線の作品を多く目にする機会がある。そういうものを通して、痴漢被害は重大なもので、痴漢はれっきとした性犯罪だという認知も進んできたと思う。
しかし、痴漢に至るまでの心理をここまで掘り下げたものは初めて読んだ。
これは「狭間の者たちへ」「尾を喰う蛇」共通の感想になるが、労働、家庭の運営、育児……認知の歪みの裏に、社会システムそのものの歪みを見たような気がした。

「尾を喰う蛇」
◆尾を喰う蛇といえばウロボロス(=死と再生、不老不死の象徴)なので、この作品は希望のある終わり方をするのではと考えていたが、そうではなく、自分の抱える闇が自分自身を飲み込んでしまうことの象徴だったのかと思った。
◆作者は介護経験があるのかもという意見について。私は逆に、未経験だけど調べたり、しっかり取材をして書かれたのかなと感じた。すごく丁寧に、わかりやすく書かれているので。何かの仕事や作業についての文章をその経験者が書くと、当たり前の手順などは省いてしまったりするから、わかりにくかったりする。

◆どちらの作品も(悪い意味でなく)解決しないまま終わった。解決する問題ではないからだろう。
A:(作者は)息苦しくないんでしょうか。書くとき。
F:息苦しいかもしれないですね。読んでるほうも苦しい。

 

<フリートーク
「狭間の者たちへ」
C:主人公は「彼女」が嫌がっていないと思っている。
E:設定が変ですよね。いつも同じ場所にいる。変な人がいたら別の車両に変わるし、次は時間も変える。なんでそういう設定にしたのかわからない。
「彼女」は嫌がっていない、求めている、歓迎しているとしたいのかな。でも絶対他の車両に行きますよね。
A:約1年ですもんね。不自然。
C:妻が二人目の子どもがほしいと言い出すのもリアリティがないと感じた。育児がしんどいのに二人目を迫るのはありえない。設定が甘い。
E:女として見てほしい、とかですかね? その辺があまり定まらないというか、ふわふわしている。

 

C:主人公(加害者)の外見の描写がないんですね。だから想像できる。
A:唯一、癖毛だと書かれている。独特のところを描写している。普通なら中肉中背、とか書いてしまうところだけど巧い。
C:主人公が結婚した相手は、向こうからガンガン来る人。主人公は自分で人生を切り拓いていない。武器を持っていないのよ、この男は。読み終わって腹が立ってきた。そんな息子がいたらすごくいやだと思う。耐えられない。
D:私は息子とは住めないですね。本当の息子であっても。
C:うちは帰ってきた。面白いですよ、私も息子も心配症で(笑)。二人とも猫が好きだから、猫を中心に生活してる。
D:家、広いんでしょう。
C:広い。一階と二階に分かれて住んでる。
A:距離感って大事ですよね。二人暮らしの親子の家の火事や心中が多い。貧困が原因。
D:私自身は辛い思いをせずに人生を歩んできたけど、私のヘルパーさんは3人の子どもを連れて離婚されていて。大変そうで……。
C:私は老後を娘や息子に見てもらおうとは1ミリも考えていないですね。


「尾を喰う蛇」
C:戦争の残虐な話を知った主人公が画像を探して深みにはまっていく。そのストーリー展開が巧い。パンチがきいている。読んでいると、私たちもどんどん闇の中を歩かされていく。
D:皆さんが仰ったように尾を喰う蛇、その表現が巧い。
E:身動きが取れない感じがよく出ている。

 

C:北口さんはいきなり認知症が始まったのかな。
E:もともと、まだらボケだったとか? 興毅たちが見ているときだけまともだったのが表に出ただけで。
少女のような老女は不倫したのにお金持ちになっていて、主人公は不公平だと感じている。女性は自由で、男性は狭い空間に繋がれて飛躍できない。
C:介護の現場って、女性の利用者は和やかな方が多いけど、男性は横柄な人もいて。介護士さんに対して「馬鹿たれ」という男性に、根気よく「僕は馬鹿じゃないんです」と言い聞かせててすごいな、と思った。
D:最後には思っていることが出るんですよ。みんな堪えてる。
C:そうですか? 私は人のこと、馬鹿たれとは思わない。
D:思ってなくても出るのよ。大人しい人もいるんだけど。私もこの辺に滾ってるものがある(笑)。
C:家で叫んでください、一人暮らしなんだから!(笑)
D:叫びませんよ(笑)。私も死んだ夫にいろいろ言いたいことがあった。女性のほうが我慢している。

 

C:福祉関係の仕事は知らなかったから調べたんだけど、介護福祉士の年収は230万~400万円。年収が一番高いのは社会福祉士、それからケアマネジャー。主人公は介護福祉士ですね。
B:少し違うかもしれないけど……韓国からワーキングホリデーで来日して、障がい者福祉の仕事に就いている方がいて、実家から仕送りしてもらっているそう。韓国のほうが給料が高いから。
男性だから重宝されているみたいです。高齢者介護と障がい者介護の違いはあるけれど、現場は大変なことになっている。
C:待遇が悪いから。私が家族を預けている施設の優秀な介護士の男性は「子どもができるから辞めるんです」と言っていた。普通、逆ですよね。どれだけ安い給料なのか。

 

【「狭間」とは? そして、それぞれの「狭間」】
A:狭間って、何の狭間だと思いましたか?
E:社会の狭間かな。
C:社会の狭間ではない。どちらの主人公もまだ若く、選択肢がある。たらたら生きやがって、というのが私の感想。
E:彼らは、意識の中で逃げられないと思っていて、自分が社会の狭間にいると思っている話かな。

 

C:社会の狭間にいるって思ったことありますか?
F:ありますね。岡山って、みんな結婚早いんです。田舎で独身だと風当りが強いですね。大阪の友達は30代でまだ独身の子が多いんですけど。
あと、派遣で働いていたとき。「派遣さん」って呼ばれ方も好きじゃないです。
A:狭間感、私もあります。自分自身のこととなると、すぱっと生きれない。Cさんの子どもだったら怒られそう(笑)。私も叫ぶんです、寝言で。「いい加減にしてよー!」って。誰にってわけでもなく。
C:ジョージ・オーウェル『1984』にあった「寝言が一番危ない」みたいな(笑)。
F:私も溜め込むタイプなので認知症になったりしたらすごく性格悪くなりそう……。
C:私はなんでもすぐ言っちゃう。この間も、駐車場が満車表示になってたんだけど、空いてるところがあったから入口を開けてもらった。
岡山の人はあまり本音を言わないですね。岡山に仕事で来てた人が、岡山で仕事できない、って言ってた。私は東京の下町出身なんだけど、よく言い過ぎだって止められる。だから岡山に来たときどうしようかと思って。
F:会社の、関西から赴任してきた人たちも言ってますね。岡山の人の「考えときます」「検討します」は断り文句だって。実際、やんわり断ってるんだと思う。関西の人も婉曲に言うイメージあったけど、関西人以上なのか(笑)。
A:本音、私は家族には言いませんね。こういう場のほうが言える。家族は、私が気を遣っているとは思っていないはず。フランクに言っても家族関係は変わらないだろうけど、それでも罅が入るんじゃないかと心配してしまう。怖がりなんですよね。

 

C:狭間感が全然ない人っていないんだろうな、そしてそれはみんな違うんだろうなって。今日、みんなに訊きたかったんです。
私、息子と仲がよくて、一緒に服とか見にお店へ行ったりすると、「まさかそれ買おうと思ってないよね、年相応のもの選んで」って言われるの。50歳の服ってわからない。年代でお店分けてほしい(笑)。でも、何着たっていいじゃない?
私、いつから70歳なんだろう。服装とか喋り方とか、意識がついてこない。
D:私もあと二ヵ月で88歳だけど、隣近所の88歳と全然違うんです。着続けてたら似合ってくるんだって。90になっても。88でやめようってなったら、そこで止まる。

C:Eさんは何か狭間感、ありますか?
E:私は子どもが今、中学生なんですが、生まれたときから反抗期みたいで。育児に関してはまだ狭間じゃないかな。
どちらかというと私はお気楽なほうで。あとは……好きなものに対しての共感が誰からも得られないことですかね。着物が好きなんです。

 

C:Bさんは狭間感ありますか?
B:私は、介護に駆り出され、子守に駆り出され、その狭間にいるという感じです。両親・姑、90歳以上の家族を3人抱えていて。自分の時間を作りたいんですが。
私は、上の世代と下の世代の狭間にいる。
A:それはまさに狭間ですね。
B:もうすぐ自分が介護される側になりそうだけど、そういうときに頼れない。娘って、親に対してキツいものでしょう。私自身、娘の立場だとキツく接してしまう。
C:民法第877条「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」……今の人、そういう意識ある? 私たちは親を見てきたから、当たり前だったんだけど。
A:私たちの世代が親の面倒を見る最後の世代で、見てもらえない最初の世代。
D:楢山節考』のおりんさんじゃないけど、ああいうの(楢山まいり:人減らしのための姥捨)あったら実行すると思う。苦しみの中で毎日生きるよりはいい。私は自死が認められたら実行すると思う。
C:日本もスイスみたいに安楽死を認めればいいんですよ。アメリカでも州によって、ヨーロッパでも国によって認められている。
D:ちょっと長生きし過ぎた。人間が。
C:人生100年時代だから、Dさんはまだまだじゃないですか!