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R読書会/Zoom読書会

『老乱』久坂部羊(朝日文庫)

R読書会 2023.03.04
【テキスト】『老乱』久坂部羊朝日文庫
【参加人数】9名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由(参加者A)>
◆転勤で岡山を去ることになったので、最後に紹介させていただけてよかった。ただ、暗く苦しいテーマの作品で申し訳ない。
久坂部羊はもともと好きな作家なので手に取った。その後、ヘルパーの資格を取ったとき、読み直して面白いなと思ったので今回推薦した。
認知症に関してはフィクション・ノンフィクション問わずいろいろな本が出ているが、老いていく本人の心情を綴っているものはあまりない。認知症患者自身は行動の意味が繋がっているのに、周囲はそう受け取ってくれないのがリアルで怖ろしく、心理ホラーの側面があり、怖々と読んだ。
◆あまり文学的ではないので読書会にはどうかとも思ったが、認知症患者の考え方がよくわかり、大介護時代に相応しい作品。

<参加者B>
◆なかなか手がつかなくて読めるか心配だったが、読みだしたら一気にすっと読めた。
認知症の人の心理を書いているのもそうだが、介護する側の焦りも丹念に描かれており勉強になった。また、考えさせられた。
◆和気医師から心構えを聞く場面が一番のクライマックス。治したいと思い過ぎてしまうとよくない。現状を受け入れることでかえって相手の感情が落ち着いてうまく回る――理想論過ぎないかと抵抗を持つが改心してやってみたらうまくいった、と捉えていいと思う。
「先々に余計な不安を巡らせてしまう」というのは介護に限らず、いろいろなことに当てはまるのでは。現代は我々を不安に陥れる情報に溢れている。マスコミも世の中の悪い面を探し過ぎて追い込んでしまう現状に思いを馳せた。

<参加者C>
◆身につまされる。年齢的に私が介護することになる人がいるので参考になった。実際、当事者になったら、なかなか小説のようにはいかないだろうが。
◆情報を提供する小説としては優れていて勉強になった。
◆幸造の日記も正常との境を行きつ戻りつ。最後は安心したが、乱れる場面は辛いなと思った。どうやって立ち直っていくのかどきどきした。
◆雅美が勉強して方向修正をしているのが偉い。自分が同じ立場になったらできるだろうか?
◆当事者に当てはまる立場だと辛い。若い人は理解できるだろうか。私が若いころ、有吉佐和子恍惚の人』が流行ったが当時は読む気がしなかった。20代の人は『老乱』を読めるのかな。

<参加者D>
◆私も大変面白く読んだ。Aさんが仰られたように文学的ではなく社会派の作品。
◆雅美が本質に入っていくのがすごい。また、幸造の日記は(作者に)想像力がないと書けない。作者が実際に父親の介護を経験したといっても幸造側(介護される側)ではない。認知症の人に対する想像力がすごく、非常に温かい。
◆交通事故や賠償額の心配、介護施設に預けるくだりにしても具体的で、その辺りも素晴らしい。心配事の9割は起こらないという言葉もあるが、人間は先々の想像をする。大事なことだが、想像し過ぎるのは諸刃の剣。
ネアンデルタール人ではなくホモ・サピエンスが生き残ったのは想像力があったからだという説がある。(その説が正しいかはわからないが)これから取れる作物の量を想像したり、宗教で人をまとめて結束したり……。それが今も続いており、「事故を起こしたらどうしよう」「女性を襲ったらどうしよう」と不安になり、生きづらくなっている。ホモ・サピエンスの特質の悪い面が出ている。
とはいえ、楽観的に受け入れればいいというものでもない。事故を起こしてもいけないし、セクハラをしてもいけないし、世の中のルールは守らなくては。やはり背に腹は代えられない。小説なので幸造が気持ちよく亡くなったが、現実ではそうはいかない。だが参考にしたい。
認知症も認知の軸だと思って、患者が赤を黄色と言っても否定してはならない。害がなければ、本人がそう思っているのだからそれでいい。

<参加者E>
◆分厚いから不安だったが、読み始めたら一日で読めた。認知症の高齢者による事故も実際にあったし、私の周りにも心配な人が増えてきた。他人事ではないので怖くて仕方がない。
◆私はこんな目に遭いたくないので安楽死を希望している。迷惑をかけたくない、馬鹿にされたくないと思うのは苦しいだろうし、その時点で死にたい。
◆雅美は最初ヒステリックであわあわしていたが、和気医師のもとへ何度か行って変わる――という描写に、作者は女をわかっていない、女を馬鹿にしている、と感じた。そんな性格の人はちょっと勉強したところで変わらないし、女性にも落ち着いている人はいる。
◆百から七を引いていく計算をやってみたら難しかった。作中で付き添いの息子・知之もわからなくて焦っていたが。もともと数字や漢字が苦手な人もいるし、得意不得意があるなと思う。
D:認知症でなくても、掛け算で七の段がぱっと出てこない、とかありますよね。
F:部首が同じ漢字を書くのも難しい。
A:難しいですよね。
作者が医師だから読む気になる。医師が書いていなかったら読むかな?
◆主観が幸造だったり、息子の妻・雅美になったりする。それがスムーズで巧い。私は一人称しか書いたことがないからすごいと思う。
B:視点の切り替わりを章番号で表している。認知症の外からの視点(雅美や知之、新聞記事)はアラビア数字、認知症の視点(幸造)は漢数字。
A:幸造(認知症)視点だけだとわからないから。巧いですよね。
B:雅美視点から見た同じ場面を、続けて幸造目線で書いていたり。
D:立体的ですよね。
◆今、死んでいく男の小説を書いており、この作品は参考になった。最後は主人公が死ぬんだけど、希望を入れないといけないのかな。ラストをどうしようか考えていて、その点でも勉強になって。死んでいく人の心の在り方、心が平安になっていくことが希望に繋がるのかな。

<参加者F>
◆介護の問題は私自身が日常茶飯事なので、読んでびっくりすることはなかった(私自身、認知症ではないが要介護認定の申請をしているので)。読んでいて退屈だった。
◆「介護がうまくいかない最大の原因は、家族が認知症を治したいと思うことだ」。これが作者の一番伝えたいことではないか。
◆知之、雅美を軸に模範的な家族で、幸造は幸せだったのではと思う。こういう家族は実際にいるのだろうか。小説として救いがなくてはならないので、一つの模範的な家族像を示しながら、その間の現実を描いたのではないかと思いながら読んだ。
芥川賞候補作になった「あくてえ」。その作者である山下紘加が「一般的に言いにくいことを書くのが小説」と言っていたが、私は「ババアの生きがいは食べて寝て排せつする、人の人生まで食っている……」と書いてあるのを読んでショックを受けた。芥川賞候補になるのは、このようなテーマを日本中で真剣に考えているから。だから売れる。
『老乱』も著者は小説家であると同時に医者で、認知症について知ってほしいと思い、書いたのではないか。小説というより、記録のように感じながら読んだ。若い人には、こういう本を読むことで「そうなんだ」とわかるのでは。
認知症を治そうと思ってはいけないんですね。
A:和気医師、教義的な感じがして私は好きじゃなかったんですが、言っていることは納得できました。
F:私自身、ちょっとしたことで傷つきますね。怒っても何もないから怒らないでほしい(笑)。
去年、呼吸が苦しくなって病院に行ったら心臓が弱っていた。死の適齢期だと思って、救急車を呼ばずに綺麗に死にたい。でも、こういう家族に囲まれて天国に行けたらとも思う。今は一人暮らしだけれど。
A:介護の学校に行っているとき、先生にもこの作品を読んでもらったが、こんなに綺麗にいくケースは少ないそう。

<参加者G>
[事前のレジュメより]
《他人事の気がしなかった》
 孫娘に「ジイジ、呆けちゃったんじゃない」と指摘された場面で、幸造じいさんが情けなく死んでしまいたかったと思うところがあります。私の体験ですが、この一月、妻と旅行に行きました。翌朝、妻がきょろきょろしているのです。「どうしたの?」と聞くと、「ここはどこ?」と心配そうにしています。冗談なのかとも思ったのですが、そうではないようです。その前日に気になる行動がありました。新幹線から在来線に乗り換える直前、「お父さん、切符がないの」とあちこちのポケットを探していました。私が妻のバッグを調べると、いつもは物を入れない横のポケットに切符が入れてありました。忘れないようにそうしたのでしょうが、妻はそれを忘れていました。私は、二つの出来事を結びつけ認知症ぽい症状だなと思いました。
「あんた、呆けちゃったんかい」
 私は不用意に言葉を発してしまいました。妻は、ショックだったのでしょう、彼女は極度にうろたえました。
 本当に他人事ではありません。妻の症状がどんどん進行するのが心配なのです。地元には認知症の専門病院があるので、一緒に行こうと考えています。なんと言って勧めれば自尊心を傷つけないのでしょうね。妙案を考えているところです。

《三人称の視点》
 三人称の視点で書かれていますが、エピソードごとにその中心人物の視点で描かれるので、一人称と同じように心理描写が深く書かれていると思いました。

《日記が効果的》
 エピソードごとに幸造の日記を見せられます。症状が進行したとき、その時の感情が書かれているため、認知症患者の心情がよく分かります。私も妻に対応するとき、そうしようと思ったことがいくつもあります。

[以下、読書会にてGさんの発言]
◆私も他人事には思えない。妻と旅行したとき、心配なことがあった。二日目の朝に妻が「ここはどこ?」と言い、急に体が萎んでしまったように見えた。
専門病院に行くと、簡単な計算もでき、MRIで見ても委縮しておらず、ごく軽度の認知症かなと言われた。今度は血流検査を受けさせようと思っている。
◆『老乱』を読んで、幸造さんのケースなど、いろいろな事例を知りショックを受けた。これからは気をつけようと思う。この本に感謝している。
B:体験を重ねて、自分は駄目なんだなと傷ついている。
E:主人公(幸造)の性格が真面目ですよね。

<参加者H>
◆この作品を読んで将来の勉強になったし、皆さんの話を伺えてよかった。レビー小体型認知症の患者の幻視を再現した映像を観たことがある。蛇がいる、少女が浮いている……その人にとっては現実なのに、呆けていると言われたら辛いなと思った。自分の将来、ない姿ではないな、とも。
◆幸造が亡くなるとき苦しまなかったと書かれているのだけが救いだった。
私の母も、苦しまず亡くなったと施設の人に言われたので、これからそれを信じようと思った。

<参加者I>
◆最終的に希望を持たせる作りになっており、作品としては好感を持った。穏やかな結末にほっとした。読み物として読みやすく、あっという間に読めた。
◆しかし、現実はもっと厳しいはず(もちろん作者も承知しているだろう)。幸造はもともと穏やかな人柄で、家族も息子・息子の妻・孫に至るまで優しい人たちだったが、例えば元気なときに周りに辛く当たるような人物であったならこうはならない。また、実際施設から引き取ることが可能な家庭は少ないだろう(家計が厳しいと言っても、主人公たちの家には余裕がある。何より、家族は人間ができている)。理想ではあるけれど、すべての介護に当てはめるのは難しいと感じた。
◆ただ、車の事故やセクハラ、徘徊など、認知症のさまざまな問題を自然に盛り込んでいるストーリーの組立は非常に緻密で、さすがプロだと感心した。

<フリートーク
【登場人物の造形について】
B:最初、家族像がぼんやりしていて、途中で書かれるのが後出し気味かなと思ったけど、P340に幸造が阪神・淡路大震災のとき働いていたと書かれていて……認知症ではない我々も忘れていることがあるというメッセージかな、と思った。
それにしても、もっと早く家族のディテールを教えてくれてもよかったのでは。
F:この家族、出来過ぎている。もうちょっと雅美さんが本音を言ってもいいかな、と。
G:妻にもこの作品を読んでもらったが、雅美さんが立派だと言っていた。
A:かなりハッピーエンドですよね。
G:うちの子は近くにいないから幸造さんが羨ましいのかな。
F:(作者は)そういう意味でも書いたのでは。周りに本音を散りばめながら。あまりに現実が悲惨で大変だから。
気になるのは、雅美や知之の立ち位置がちゃんとしていないと感じる部分があったこと。
E:そう。雅美の考えが急変するのはありえない。
あと、幸造がケアマネ―ジャーの女性をパンツ一丁で待っているというのは例が極端。
B:そこは小説ですから。ただ、雅美のキャラづけには私も違和感を持った。あんなに我が強くヒステリックな人が心を入れ替えるだろうか。女性を馬鹿にしていると言われるのもわからなくもない。ありふれた女性として造形され、最後は聖母のようになる。男の理想ですよね。例えば、「親が離婚しているから人の痛みがわかる」というように人物像を掘り下げていたら、また印象が違ったかも。
E:たとえ改心しても、実際の生活があるから甲斐甲斐しく介護できないと思う。
F:幸造の息子で雅美の夫である知之。現実も、男の人ってこんな感じじゃないかな。心配するのはお嫁さん。
B:知之も、男の基準からすると相当できた人。父親の幸造とも仲がいいし。普通の男はもっと自分勝手で荒っぽい。男親にここまで愛情があるかどうか。
A:包丁で切りかかる場面も、ああはならないですよね。
B:切りかかられて感謝の気持ちになるかどうか。
E:現実でも認知症の可能性がある人が、家族を殺害した事件が起こりましたね。
これ、あっと言う間に読めてしまうの、どうしてなんだろう。
A:あまり深読みしなくていいからかな。
E:幸造がどうなるのか気になって読み進められる。
F:知之は製薬会社勤務で、経済的に恵まれた家族。
G:離れて暮らしている長女はお金を出してないよね?
F:出さなくても大丈夫、この家族は。幸造もガス会社に勤めていたし。
G:合理的に考えたら幸造さんが住まなくなった家は売ったほうがいい。現実には、生前贈与したほうがいいという子どももいる。
F:私、していますよ。家は息子の名義になっている。
G:法律が変わって、生前贈与加算が7年に延長されたから早くしないと。
E:私は全部自分で使う(笑)。いろいろなところへ行って、美味しいもの食べて。
C:家は売ったほうがいい。雅美も売ったことで気分が変わった。
A:息子夫婦の合理的なところ、悪くない。
E:でも、幸造に黙ってサインさせるのがリアルで。
A:幸造の気持ちが書かれていて可哀想ですね。

【重いテーマの描き方や文体について】
G:アラビア数字の章と漢数字の章の構成はどう捉えれば?
B:アラビア数字の章は、外から見た認知症(新聞記事含め)。漢数字の章は当事者の視点。
E:こういう構成ってよくあるんですか?
B:あるかもしれないけど、この作品ではとくに効果的。
A:両方から書かないと成り立たないですからね。洗面台のシーン(十八章、19章)は幸造と雅美、両面から書いていて衝撃的。よくできている。
F:作者は介護をしているとき記録していたと思うんです、書こうとして。記録ですよね。私は小説とは思えなかった。
E:フィクションだけど、現実の事件・事故を入れており興味を引かれる。なぜかすごく読みやすかった。
B:凝った比喩などがないからわかりやすい。Twitterで見た指摘だが、川端康成『雪国』も、比喩になっているのは最初だけであとは描写。いい描写って明晰なんですね。
D:高尚なことを書こうという邪な気持ちがない。
B:下手なことを隠すために凝りに凝った文章を書く必要がない。
H:私はエッセイの文章とかが読みやすいですね。
A:重いテーマなのに読んでいて暗くならない。
B:陰鬱にならず、ところどころほんわかした描写が差し挟まれる。奥さん同士の会話だったり、施設の人たちとの良好な関係だったり。
D:雅美は結構理詰めで動く人だから、彼女自身の性格の明るさでカバーしてるんじゃないかな。
E:死んでいく男の小説を書くにあたって、トルストイ『人生の道』を読んだ。トルストイは重いテーマをどう書いたか知りたくて。
A:もう全部書かれたんですか?
E:まだ。心理描写が難しくて。死んだことないから……(笑)。
一同:(笑)

【自分の将来について】
A:認知症は患者本人に目的がある。
G:幸造視点で「(周囲が)俺のことを監視している」という箇所があったが、認知症患者本人はそう感じるんだと思った。私の妻は「馬鹿にして」と怒るが、すごく身構えているのがわかる。感受性は衰えていない。
E:余計敏感になったりするんですよね。
F:私も自分が呆けたらどうしようかと……
E:大丈夫です、心臓で逝きましょう!(笑)
G:日本は行政がしっかりしているから。若い人に任せましょう。
F:私は87歳になるけれど、頭ばかりしっかりしていて。グループホームって認知症にならないと入れないんです。
E:心臓が弱いほうが勝ちですよ。すぐ死ねるから。
D:どういう価値観!?(笑)
F:まだバイクに乗れるんです。紫のバイク。有名なんですよ(笑)。
A:そりゃそうですよ、そんな色のバイク乗ってたら(笑)。
E:大丈夫です、楽勝です。バイクであちこち行ってください!
A:Eさんは認知症になる前に死にたいと仰ったが、久坂部羊介護士K』という小説があって。主人公はまったく違うけど、テーマ的にこの作品の続編のような感じ。介護施設で起きた入居者の転落死を扱っている。
B:施設内での殺人事件は現実にもありますね。
E:物価が上がって、社会保障費も上がっていって……若い人も大変だけど、歳を取っても大変。
A:30章(P341)「過去と未来がなくなって現在だけに生きる認知症高齢者は、現在だけがある子どもと同じ。……死を思わずに毎日を暮らせるのは、人生の最期の日々に神が与えた恵み、とすら呼ぶ人もいます」(社会学者 上野千鶴子)。過去や未来を心配せず、今のことだけ。綺麗事かもしれないけれど。
F:Aさんはそういう仕事に就いておられるのですか?
A:将来就こうと思っていて。甘い仕事ではないのはわかっているんですが。
F:私は一人暮らしだから毎日覚悟しています。私の心臓の心配をしてくれた人が、その5時間後に心疾患で亡くなって。私のほうが先だったのに。順番はないんです。一回り下の人が亡くなることもある。だから一日一日を大切にしています。