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R読書会/Zoom読書会

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ、斎藤真理子訳(筑摩書房)

R読書会@オンライン 2021.10.31
【テキスト】『82年生まれ、キム・ジヨン』 
      チョ・ナムジュ、斎藤真理子訳(筑摩書房) 
【参加人数】8名

<推薦者の理由(参加者A)>
女性史に詳しいFさんが参加してくださるということで、女性に関わる作品を取り上げようと話をしていた。
『82年生まれ、キム・ジヨン』はフェミニズムの入り口のような作品。フェミニズムに詳しい人もそうでない人も、作品を通して話し合えればと思った。

<参加者A>
◆印象に残った部分はたくさんあるが、とくにP98。就職がなかなか決まらないジヨンが父から「おまえはこのままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け」と言われたとき、母オ・ミスクが言い返す場面で、本当にこの人は逞しいなと思った。
◆ジヨンが結婚したチョン・デヒョンは理解のあるいい夫なのだが、ジヨンが心を病んだとき、「家事を手伝う」と言ってしまう。P137の、「その「手伝う」っての、ちょっとやめてくれる?(中略)この家はあなたの家でしょ? あなたの家事でしょ? 子どもだってあなたの子どもじゃないの?」というところがとても刺さった。夫自身の家事でもあるのに「手伝う」というのが腹が立つ。
私自身も家で主人といる時間が長いが、この作品を読んで目が覚めた。
◆小説中に、現実の統計や初任給などの数字を入れているのが新しいスタイルだと思った(日本の小説の書き方には縛りがあるので)。言いたいことのためには形式にこだわらないというのを新鮮に感じた。
◆啓蒙小説のような社会的メッセージを持った作品は、書かれた時代には読者に切り込んでくるが、文学的価値や普遍性はあるのか、つい考えてしまう。
たとえば小林多喜二蟹工船』(昭和4年発表)は、今読んでも新しいとは感じない。あるいは、今も搾取の構造があるので普遍性があると受け入れられているのか。
「社会的な旬」というのはどうなのか、皆さんの意見を聞きたい。
◆女性解放を扱った、イプセン『人形の家』は今でも読まれているし、十年後、二十年後にも読まれていると思う。時代を超えた普遍性がある作品には、どのような要素があるのか。
◆夫婦で『82年生まれ、キム・ジヨン』の映画を観て、主人は嫌がるだろうと思ったのだが、そんなことはなかった。ジヨンの夫チョン・デヒョンを俳優のコン・ユが演じていたからでは。
映画では、ジヨンに寄り添うデヒョンが本当に優しかった。男の人にはジヨンの気持ちはわからないのではと思う。わかろうとすることが大切なのだけど。男性からの意見を聞きたい。

<参加者B>
◆この本は、日本で出版されてすぐに買って読んだ。内容は忘れていたが、読み終わって自分の人生に引き付けて考えたとき、私自身の個人的な問題だと思っていたことが、社会的・政治的問題なのだとわかって涙が出そうになったことを覚えている。
夫婦間で問題があっても、個々の性格や考え方などいろいろな要素があるのだからと考え、それが社会問題だとは気づいていなかった。
◆この作品を読んで私の人生が変わるかというと、変わらないだろうという気もした。
◆「キム・ジヨン」とは、韓国の82年生まれの女性に一番多い名前。平均的な女性を取り上げて、率直に問題を提示している。書き方は凝っておらず、精神科医のカルテという形でキム・ジヨンの人生を辿っていく。技にとらわれない力強さがある。
◆小説として生き残れるかと考えると、人物がステレオタイプであり不満足な部分もあると思った。
◆男性からの視点はどうか、気になった。

<参加者C>
◆読むのは今回で2回目。
◆私が書くということを最初にしたのは男女共同参画のレポート。それは表などを入れて結論へ導くものだった。始まりがレポートだったので、その後小説を書き始めたとき、小説は描写や模写が大事だと言われて戸惑った。この作品には数字がたくさん出てくるので、小説とはどういうものか考えた。
◆この作品のような形なら自分にも書けると思ったのだが、やはりこの作品は文学的にも優れている。憑依という導入で、話を引っ張っていくという手法など。
◆読んで実態としては納得するだろうけれど、日本人男性には受けないだろうし、文学として納得されるのだろうか。
◆書いてあることは全部“あるある”。私は主人公のジヨンより上の世代だが、正社員として働いていたとき、会社の若い女性は「女の子」と呼ばれていた。当時は「セクハラ」という言葉もなかった。
◆ジヨンの母が娘二人の部屋に世界地図を貼ったのが印象的だった。
私の母親は、親から「本を読むな」と言われてショックを受けたそうだ。かつて女は賢くないほうが好ましいとされていたが、時代はどんどん変わっているんだと思う。

<参加者D>
◆この作品の舞台は韓国だが、日本でも同じようなことはあると感じた。セクシャルな意図はないが女性の体に触れる人(そういう人は男性には触らない)、明らかにセクシャルな意図で女性に卑猥な質問を投げかける人などに遭遇したことがあるので。もちろん男性が、女性あるいは同性からセクハラ被害を受けることもあるので、片方の性だけが被害者になるとは言わないが。
この作品の感想をいくつかネットで読んだが「日本も昔はこんなことがあった」という意見を見て、「今もある!」と思った。
◆私は86年生まれで、高校までの出席番号は男子が先だったと思う(今は男女混合の出席番号も増えているのだろうか)。作品中にあるような不利益を被らなかったので、疑問を持つことはなかった。
◆学校で記憶に残っているのが、修学旅行の説明の後、女子だけ残されて、生理になったときの対応を話されたこと。その後、男子が「女子だけお菓子食べてる」って言っていてちょっと面白かった。
体が違うので、その差を勘案した役割を振ることは必要だと思う。力の差もあるので。
でも「女性だからスポーツ詳しくないよね」みたいに、男女に関係ないはずのことを言われると引っかかる。
擦り合わせというか、お互いの違いを認めた上で差別をなくしていかなくてはと思う。
◆『82年生まれ、キム・ジヨン』は、小説としてはメッセージ性が強すぎると感じた。
ただ、どんな女性も主人公に共感できる作りになっているのがよい。もっと文芸っぽくしてしまうと、そのキャラクター自身の問題で、読者が「私には関係ない」と思ってしまいそうなので。ジヨンを個性的に書きすぎてもいないし、でもちゃんとリアリティーがあるように造形している。誰にでも当てはめられるようなバランスが絶妙。
◆文学的価値や普遍性について。私は、この作品の作者は、未来に残そうとして書いているのではないと思う。この本をきっかけに、一人でも多くの人が考える切っ掛けになって、男女差別がなくなればいいと考えているのでは。
男女差別がなくなっても、また新たな差別が生まれたとき、差別を扱った作品として再び読まれることがあるかもしれない。

<参加者E>
◆とても話の構成が見事。冒頭はジヨンの中に義母や友人が現れる憑依から始まり、その後は数年ごとを1章としてジヨンの人生が語られ、韓国社会の問題が明かされる。それらはすべて精神科医の目線である。最終章で、精神科医は自分の家庭に思いを馳せる。彼は妻の気持ちを理解したつもりでいるが、最後に、無意識下にある女性への無理解が暴かれる(P166、6行~P167)。巧く書いていると思った。
女性蔑視の描写を積み重ね、それを韓国社会の問題へと繋げる構成が一番素晴らしく、文章もわかりやすい。
◆情景描写や心情描写が少なく、そういった意味での感動は薄いが、さらっと書かれているのが効果的。

<参加者F>
◆読むのは2回目。
◆1回目はすごくブームになっているときに読み、とても怖かった。何が怖かったと言うと、キム・ジヨンの話だけで終わるのではなく、精神科医が納得して理解したようなことを語っておきながら、ドアから1枚外に出ると彼も同じだったというところ。出口がない結末になっているというのが怖い。その怖さが伝わってくることが怖い。
◆でも、読んでいて、どこか救いがあるところもある。母オ・ミスクが父にぽんぽん言うところ、痴漢に遭ったら一人で抱え込まずに「痴漢が悪い」と納得するコミュニティ、会社での先輩女子社員の関わりなど。「女の敵が女」にならない。姑や姉がジヨンの味方をしてくれるのも救い。
被害者であるのに怒られたら、言い返す術を身につける。⇒ドアを開けて外に出ることはできないけれど、窓はある。ドアを開けたら壁なのはわかっているので読むのは辛いが、窓があるので読み返そうと思った。
◆私自身は創作をしないが、創作をする人のご意見に頷くことがあった。
◆文学的評価について。
ハリエット・ビーチャー・ストウ『アンクル・トムの小屋』(1852年)はかつて文学的価値が低いとされていたが、70年代に再評価され、現在に至っている。
シャーロット・パーキンス・ギルマン『黄色い壁紙』(1892年)もフェミニズムに寄りすぎているという声があったが再評価されるようになった。この作品は、ある女性が産後に精神を病んで追い詰められていく話である。医療という名目で監禁されて活動を禁じられ、彼女はどんどん精神を蝕まれていく。医者の言うことを受け入れているのが『82年生まれ、キム・ジヨン』と似ている。
奴隷制度やフェミニズムを真っ向から書いていると「文学的にどうなのか」という理由をつけて抑圧されたりする。私は自分が読んで面白かったらいいと考えている。
◆SFや推理小説も含め、翻訳文学が読まれない時代が続いているが、『82年生まれ、キム・ジヨン』を切っ掛けに、女性が登場する海外文学を読もうという人が増えており、画期的な出版物だったのではないかと思う。

<参加者G>
◆参加した後で男性が私だけだと気づいて怖くなっているのですが(笑)。
◆私自身に遅めの韓流ブームが来ておりドラマなどを観ているので、今回の作品を紹介していただいてよかった。
◆実態としては変わりきれないところがたくさんある、ジェンダーのうねりがある時代を引き継いだ「今」を生きる女性を描いているから、共感を呼んだのかなと思う。
◆韓国らしい物語だと思った。競争社会の中を必死に生きていく女性が、男女平等はあるのかと苦しんでいるドラマに引き込まれた。
◆救いのあるエピソードがあまりないので、しんどいなと思いながら読んだ。ここ数ヶ月、仕事について悩むことが多く、心が弱っているからだと思うが、ジヨンの就職から退職に至るまでに共感した。
救いのあるエピソードは、「1982年~1994」年の、出席番号順に給食を食べることに意見して、順番を変えられたところか。
キム・ジヨンにはさまざまなことが降りかかってくる。社会に対抗できない女性がゆらゆらと揺られていくというのは読んでいて辛かった。
「女性だからかな」「もうちょっと何とかできないのかな」と考えてしまう自分が、デヒョンや精神科医と同じに感じられて落ち込み、トラウマのようになった。
もっと女性の強さとか成功体験があればと思ったが、これが頑張る女性がぶつかってきた壁なのか。読んで勉強し、自分の誤った壁を正さなければならないと感じた。
参加者A:男女問わず、いろいろな人の中に入って抉るという、作者の意図が成功している。

<参加者H>
◆刊行されてすぐに読んで、自覚していなかった辛さに気づかされた。
結婚していたころ、旦那の付属物のような自分に違和感があった。仕事をしながら家のことを回して……思い返すと無理をしていた。「家庭に馴染めない私が欠落しているのかな」と思っていたが、私だけがそう感じているのではないのだとわかった。
◆何をフェミニズムと見なすのかを考えさせられた。
専業主婦であること・仕事をしないことを良しとして、そこに幸せを見出す人もいる。一人ひとりの立場も性格も違うのに、何を以て「恵まれない」と言うのかと。
◆韓国は日本に似ている。少し前の日本かとも思うが。
精神科医の視点で書いたのが成功していると思う。普通、データなどは小説中に入れられないが、カルテという形でジヨンとジヨンの家族の話を描きながら、エビデンスを与えている。
◆「キム・ジヨン」は、82年に韓国で出生した女の子の中で一番多い名前。主人公は、虐げられている大勢の中からはみださない、類型的な人物に造形されている。
多くのフィクションでは、もっと悲惨な境遇にある人をピンポイントで抉るように書いてあり、読者に「私より辛い人がいる」という救いを与えるが、この作品は逆。
女性だけでなく世間一般の男性も当てはまるように(自分のことだと思えるように)設定されている。
◆すごく細かく書かれているので人物が記号になっていない。母のオ・ミスク、姉のキム・ウニョンのキャラクターも秀逸。そして、歳の離れた弟を設定しているのが素晴らしい。キム・ジヨンの家族に男の子がいないと、この物語は成立しない。伝えたいことがあって、登場人物たちを作っている。
一回目に読んだときはただ抉られ、二回目を読んでこれらのことを考えた。
◆映画も観たが、映画ではジヨンの祖母世代・母世代が描かれておらず、旦那も優しいので、彼女が我儘に見えてしまう。旦那を男前の俳優が演じているから尚更。
小説では、祖母、母、娘……世代を重ねて迫ってくる。祖母世代より母世代、母世代よりジヨンのほうがましな環境に身を置いている。そこに救いを見出した。
次の世代は、もっと変わっていればいいなというメッセージを感じた。作中に提示されているデータも含め、二回目はものすごく入ってきた。
◆作っていることが成功している。感動するような小説ではないが、広く読者にアピールして、考えさせる力がある。
◆私自身が男女差を感じたのは社会人になってから。高校は理系のクラスで女子が少なかったから大事にされたし、大学は逆に女子が多かったので男子が小さくなっており、それまで女性だから損をしたということはなかった。
社会人になって勤めた会社で、女性だけがトイレ掃除をしなくてはならなくて、それがとても惨めな気がした。男子トイレを掃除しているときに男性が入ってきたりして。上司に言うと、女だからだというふうな言われ方をして悔しかった(ちなみに、その上司の後任は海外経験がある人で、それからは女性が大事にされるようになった。日本とアメリカはこんなに違うのかと思った)。
あのとき悔し泣きしたことは忘れていない。そういうのが度々あったら病むな、と思う。読者がそれぞれの経験を喚起させられるのだろう。

<フリートーク
【データを入れる書き方について】
A:統計などのデータを入れるのは小説より随筆の書き方に近いかも。以前、Eさんの作品を読ませていただいたとき、随筆だと思って読んでいて、ご本人にそうお伝えしたら「随筆に見えるように書いたんです」と仰られたことがあって。
『82年生まれ、キム・ジヨン』もカルテに見える効果を狙ったのだろうけれど。Eさんはどう思われますか?
E:作り方に成功していますよね。カルテだから情緒に偏ったりしない。精神科医という設定だからこそできたんだと。

【日本のジェンダーギャップについて】
A:フェミニズムのラインは難しい。この作品の主人公は、ごく普通の人。ジェンダーギャップは必ずあるし、気づかないままのことを気づかされるので、読んでいて辛いのでは。
私は内助の功を発揮するのが当たり前だと思って生きてきたので、家父長制の被害者というより加害者かもしれない。正直、フェミニズム運動というのに眉を顰めていたこともある。
しかし、人間として選んで生きる権利は、誰しもが平等に持っている。女性が自分で選んで家庭に入っている場合もあるが、女だからと押し付けられている場合もある。
『人形の家』のノラは家を出て、クリスティーネは愛する人のために生きることを選ぶ。男性のサポートに回ることがフェミニズムに反しているわけではない。自分で選んだかどうかである。
◆文学的価値の有無より、一つの差別がなくなることが大切だし、そうなっても次の差別が生まれて……物事は流動的だなと感じた。
◆Fさん、韓国のジェンダーギャップと日本の違いは感じましたか? 日本は、権力側にいる人の意識も低い。「わきまえない女」など反発があったが、なぜ悪いのかわかっていない。韓国と比べたら、韓国のほうが進んでいるのではと私は思う。
F:私は仕事柄、女子学生の就職活動や、彼氏との関係などの話を耳にする機会が多いが、この作品を読んだらとても身につまされる。全部“あるある”で、日々起こるいろいろなことはすごく似ている。韓国人女性はずばりと抗議するし、表現も直截的だが、日本ではやんわり言わないと総スカンになるので、日本人女性は真綿で包んだような言い方になる。日本のほうが進んでいるとはまったく思わない。
C:英会話の先生が言うには、「自分は英語ができない」と言う日本人は、「自分は英語ができる」という韓国人よりも、英語を話せる場合が多い。自分を表現する力や発言力は、韓国の若い人のほうがしっかりしている。ジェンダーギャップ指数も日本は120位、韓国は102位。(ここでは韓国も決して高くないが)日本は遅れていると思う。

【作中における「憑依」の意味】
A:気になるのは「憑依」について。大学で一緒だったチャ・スンヨンがデヒョンに告白したことなど、ジヨンが知らないはずのことも語っている。
H:私もそこだけがわからなくて。「憑依」というのも作られた状況ですよね、精神科医にかかる状況へ持っていくための。「憑依か、憑依でないか断定できない」とするために先輩の話を入れたのかな。実際にジヨンが知らなかったかはわからないし。夫がそう思っていただけかもしれない。
C:憑依現象を伏線として期待していても解決しない。そこに文学的意味があるみたい。
E:私は、「女性が一人の人間として見られていない」という象徴かなと思った。
H:憑依を解決するための話じゃなくて、あくまで材料ということか。
A:映画ではジヨンは回復する。ジヨンが小説を書くことで自己実現し、元気になって終わる。小説の、精神科医によるラストもないので、また違った作品になっているんです。
H:エンターテイメント映画の観客は、病気に対する結末を描いていないと納得しない。
フェミニズムを意識した映画だと『はちどり』(2018年、韓国)のほうが深いし抉られる。『はちどり』は一人の人間を掘り下げるような、いわゆる文学的な描き方かな。
F:私は映画の『82年生まれ、キム・ジヨン』を観ていないんだけど、レビューを見ていたら、小説のいいところが消えているような気がする。映画では、夫がいい人で、病気が治れば解決する……みたいな。誰にでも当てはまる話じゃなく、キム・ジヨンの話に落とし込んでいる。それだと「夫がいい人でよかったね」「病気が治ってよかったね」ってなってしまう。
原作小説だと、(夫のデヒョン以外の)男性には名前が付いていないんですよね。映画だと俳優のビジュアルのインパクトで話がそちらに引っ張られていっちゃうような気がして。だから観ていない。

【表紙について】
C:表紙に描かれている女性に顔がないのは「あなただけが特別な人じゃない」ということを表しているそう。表紙に、誰の顔を当てはめてもいい、と。
A:深い。「アイデンティティがない」という意味かと思っていた。

【日本における、ジェンダーを取り巻く環境】
C:日本って、いろいろ盛り上がらないな、と。ハッシュタグ#MeTooとかもあったけれど、そこまでじゃなかった。欧米では社会現象になったんだけど。
F:医大に女子が入れなかった事件でも、デモはあったけど、集まった人はそんなに多くなかった。
H:日本の女性は女性差別について、どの程度問題視しているのかな。
F:今の女子学生に意見を求めると、「(女性差別は)絶対だめ」と即答する。
私たちの時代は差があるのが普通だったから、当たり前に受け入れていたけれど。私が通っていた高校も、男子と女子で定員が違った。女子と男子の定員は1:2。だから概して女子のほうが成績がよかった。今でも都立高校は男女同数入学させるという理由で、女子のほうが成績がよくないと入れないところがある。
H:当時は納得していましたよね。
F:だから、昔より良くはなってる。でも、(「女性差別は絶対だめ」と言った学生に)「そのためにあなたは何をするの?」と訊くと、答えが返ってこない。LGBT差別についても「おかしい」と即答するけれど、「デモがあるけど行く?」と訊くと「わからない」と言う。
私たちは「(差別は)仕方ない」と流してきた世代だから、自分がデモに行ったりポスティングをしたりしたとき、それを若い人たちに伝えていきたい。デモは決して特殊な人がやることじゃない、と。
A:男性社会に染まりすぎて、フェミニズムの進行を阻んでいる女性もいる。私自身、良妻賢母が当たり前だったから、男性社会・女性社会というベクトルがまったくなかった。男性社会をバリバリ支えていた加害者だったかもしれない。
H:私も加害者側の気がする。
A:加害者と被害者が一人の中にある。女性だから得した面もあるし。
H:今勤めている会社は、女性が働きやすい環境。でも男性に比べて給料は下がるし、ステップアップもしづらい。それで良しとしている女性もいる。
F:男性の中にも、給料が下がっても無理のない働き方をしたいという人もいるから、裏を返せば、男性にも選択肢がないということ。
H:忙しくて病んでしまった男性もいる。
F:自分で選んだのではなく、「男性はがむしゃらに働け」と誘導されているなら、加害者ではなく被害者。全員が被害者。
H:男性でも女性でも、本人が選んで、上手く回っているなら押し付けることはない。そう思ってしまうことは加害者側かな。
E:コロナ禍で食べていけなくなって売春をした女性が摘発されたというニュースを聞いた。売春した側を罰する法律はあるけれど、買春した側を罰する法律はない。生きるための最後の手段として体を売らなくてはならなかった女性は罰せられるのに、なぜ買ったほうは罰されないのか。
C:ある大学の先生が、「危険な商売をしているのはよくないから国営にするべきだ」とか言っていて。なんだそれは、と思った。

【性差別以外の差別を扱った文学について】
A:社会が変われば女性が解放されるというが、それに見合う責任も発生してくる。
C:ジェンダー」とは「女性差別」という意味ではなく、生物学的な性別に対して、社会的・文化的につくられる性別のこと。
H:男女とも「人間として」ということですよね。性別・人種問わず、同じ条件で選ばれなければならないと思う。
C:トニ・モリスン『青い眼がほしい』はとても胸に迫ってきた。「秘密にしていたけど、1941年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった。」という書き出しが怖いと思った。
F:『青い眼がほしい』は大学のときに読んで、すごいと思った。卒論のテーマにトニ・モリスンを選んだ。私の人生を変えた本。授業で学生に紹介したら涙ぐんでいた。
C:誰かが悪者なんじゃなくて、悪者は誰もいない。
F:最初は通常の文体から始まって、それがだんだんぐちゃぐちゃになっていくのが気持ち悪い。
C:なぜマリーゴールドは咲かなかったのか。自分が悪かったと。深く植え過ぎたのかと思ったけれど、町と土が合わなかったせいだと……
F:語り手である少女は、黒人であるため酷い目にあい続けている同級生の女の子を見ていることしかできない。壊れていく彼女を見ているしかない。壊れていく少女は家庭が崩壊するのは自分のせい、「私がもっと可愛ければ両親は喧嘩しないのに」と思い込んでいる。
C:この作品にはデータとか出てこなくて。それがすごい。少女の設定が残酷で怖かった。社会の矛盾をあれこれ書くのではなく、一人に焦点を当てている。
F:卒論を書くために読んだときは、黒人で同じ境遇にいる人に向けて書いているんだと思った。刺さる人にだけ刺さればいい、と。
トニ・モリスンの作品にも憑依や幽霊が出てくる。登場人物たちはそれについては流していて、(なぜ憑依が起こったり幽霊が出てきたのかという)説明もつくんだけど、オチはない。
『ビラヴド』(Beloved、1987年)という作品がある。生まれた赤ちゃんを殺す話で、赤ちゃんはその理由を知っていて幽霊として帰ってくる。そこから話が始まる。

【その他】
C:『SKY 캐슬』という韓国ドラマがあって(邦題『SKYキャッスル〜上流階級の妻たち〜』)、とても面白い。韓ドラはいいですよ。『ミセン』という、雇用形態の格差などを描いた作品もお薦め。
C:女性の生きづらさを描いた作品だと、レティシア・コロンバニ『三つ編み』もよかった。インド人・イタリア人・カナダ人、境遇が違う女性たちの人生が交わっていくところが面白い。