読書会LOG

R読書会/Zoom読書会

『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳(岩波現代文庫)

R読書会 2022.06.18
【テキスト】『戦争は女の顔をしていない』
                      スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、三浦みどり訳(岩波現代文庫
【参加人数】7名
※オンラインでなく対面形式でした。

<推薦の理由(参加者G)>
Bさんが、NHK『100分de名著』のこの作品を取り上げる回の再放送があると教えてくださり、番組を観たのがきっかけ。その中で、著者は「できるだけ自分を出さないように書いている」と聞いたのが興味深かった。小説やエッセイとは違う書き方だが、優れた文章作品なので、私たちの創作活動の参考になるかもしれないと推薦した。
また、今の世界情勢への理解を深めるきっかけにもなればと思う(ちなみにNHKでは、3年前のキーウを取材した『世界ふれあい街歩き』の再放送もしていた)。

<参加者A>
◆『動物農場』のちょっと前に読んだ。※2021年9月25日のR読書会で『動物農場』を取り上げた。
当時、ウィズセンター(男女共同参画推進センター)に行くたび、立てかけてあった。戦争は嫌いだから避けていたのだが、読んでみるか、と手に取った。
◆記録的なものを2回読むのも何だし……と思いながらウィズセンターに行くと漫画化したものがあったので借りた(KADOKAWA、漫画:小梅けいと、監修:速水螺旋人)。
原作では、記録が続くから飽きてくる(体験談は、文章で読むより実際に聞いたほうが理解できる)。飛ばして読んでいたと思う。『100分de名著』で、私が読んでいないところが取り上げられていたので、真面目に読めばよかったと感じた。でも、戦争ものだし辛い。
漫画は絵になっているので、文章では気づかなかったことに気づいた。男性物の下着を穿いたり、経血を流しながら歩いているのを男性は見ないふりしていたり……絵になっていたから、女が戦争に行くのは生理的に苦しいと実感として感じた。
◆女性たちは嫌々ではなく、進んで戦争に行っている。日本が今そうなったら、(今の)日本人は戦わないのではないだろうか。私の息子も「国のために死なない」と言っているし、私も逃げると思う。戦争は意味がわからない。あと何年したら淘汰されるのか?
◆著者であるアレクシエーヴィチのもとには多くの手紙が届いた。みんなが声を発する場所を探していた。映画や本にして出す意義がある。そうして、記録として文学として全世界に回る。本に対してではなく、活動に対して授与されたノーベル賞では。著者は、意義のある仕事をされたと思う。

<参加者B>
◆『100分de名著』を観たが、図書館に行くと20人待ちくらいだったので読めていない。
◆ロシアのウクライナ侵攻と重なった。
◆アレクシエーヴィチは、自分を「3つの家に住んでいる」と表現する。父はベラルーシ人、母はウクライナ人。作品を執筆するのはロシア語。
◆米軍はイラク戦争フセイン大統領(当時)のいる場所を狙ったが、ロシア軍がウクライナ首脳のいる場所を狙わないのが不思議だった。周辺の街や一般市民を攻めている(米軍は軍隊同士で戦おうとする)。しかし、社会主義国家は人民の価値を低く見ていると聞いて納得がいった。ロシア軍にとって、一般市民より要人を狙うほうがハードルが高い。西側諸国と考え方が違う。
◆女性が慣れない戦争を戦って、帰還したら同じ女性からの蔑視に晒される。武器を持って戦った女性の声をかたちにして真実をあぶり出したこの作品は、文学としての価値が高い。
「文学作品」ではないのでどう感想を言おうか迷ったが、新しい文学の着眼点を見つけられた。

<参加者C>
[事前のレジュメより]
≪山羊も戦争は怖い≫
 フェリーに乗ったとき、初めてこの本を手に取った。その時偶然指に触れたのが、看護婦がドイツ軍戦闘機の爆撃から必死で逃げる場面だった。身を伏せている彼女のそばに山羊がやってきて、人間と同じように身を伏せたという。「動物だって怖いんです」という文章が印象に残った。
≪ありふれた生活から巨大な出来事、大きな物語に投げ込まれてしまった小さな物語≫
 作者は国中を歩き回り、数百本のテープ、数千メートル分の録音、五百人を超える人々を取材した。多くの人は語るのを拒否した。
≪あれは私じゃないわ≫ P210
 凄惨な話の連続から逃げたくて頁を飛ばした。ところが、この頁も凄かった。衛生指導員の女性に輸血をしてもらった青年が兄弟だと偽って面会に来る。彼がチョコレートをくれる。二人は劇場へいく。数日後、その彼の戦死を知らされる。彼女は、彼の復讐がしたくて前線に向かう。闘いの場に投げ込まれた彼女は凄まじい経験をする。白兵戦のむごさ。殴り合い、銃剣で相手の身体を刺す。頭にひびが入る音が聞こえる。そういう戦いだ。
≪ちっぽけな人生と大きな理念について≫ P399
 ―フョークラ・フョードロヴナ・ストルイ パルチザン
 ◇「私はいつも信じていました……スターリンを……共産党員たちを……自分も党員でした。共産主義を信じていた……そのためにこそ生きてきた(後略)」
 ◇パルチザンとして二年戦った彼女は、戦いで凍傷にかかり両脚を切断する。麻酔もヨードもなしの手術だった。壊疽になりその後四回再手術。脚の根元まで切り落とされた。戦後、彼女は共産党の地区執行委員会副議長として義足で活動した。「みんなの役に立ちたかった。私は共産党員なんですから……」
 ―ソフィヤ・ミロノヴナ・ヴェレシチャク 地下活動家
 ◇ゲシュタポに捕まり激しい尋問と拷問を受けたが耐えた。「誰かを裏切ることの方が死ぬことより怖かった。」
 ◇死刑執行を前にして監房に入れられた。外の自由な世界を見たくて、仲間に台になってもらって交代で小窓から外を見た。
≪泣かなかったわ、あの頃は≫ P430
 ―リュドミーラ・ミハイロヴナ・カシェチキナ 地下活動家
 ◇ゲシュタポに捕まり激しい拷問を受ける。
 爪の下に針を打ち込む、電気椅子、丸太で身体を引っ張るなどの拷問。自分の骨がぼきぼきいうのが聞こえた。
 ◇脱走して奇跡的に生き延びたが、戦後電気恐怖症に。
 ◇戦後も地獄が待っていた。当局から追求される。ドイツ支配下の地域で捕まったのに生きているのはおかしい、裏切り者だから生き残れたのだろうと疑われた。
「私たちが戦っていたこと、勝利のためにすべてを犠牲にしたことなどまったく考慮されなかった。」
「泣かなかったわ、あの頃は泣かなかった……」という、彼女の言葉が胸に刺さった。
     ※続きは口頭で……。

[以下、読書会にてCさんの発言]
◆続けて読むのが辛いから、ぱっと開いて、そこから読むことにした。なので、もしかしたら作者が言いたかったことをレジュメには書いていないかも。全部は読んでいないので。
◆女性は腕力がないのにドイツ軍と白兵戦をする。骨が折れる音が聞こえた、など、本人でないと表せない言葉で語ってくれている。
◆私は今77歳だが、自分の思想が現実とどう繋がっているのか考えることがある。
◆証言者の女性たちは(存命であれば)80歳以上。共産党員の女性はパルチザンとして活動し、捕まって拷問されても口を割らない。仲間を裏切ることはできないと耐える。奇跡的に生き延びて帰国すると、当局から裏切ったため生きられたのではと疑われ、地獄のような思いをした。
日本では国外からの帰還兵は労われたが、ソ連の帰還兵は裏切ったと疑われ苦しい人生を送った。だから語りたがらない。著者は説得して証言してもらった。大変な作業だったと思う。
◆著者はベラルーシ国籍だが、ベラルーシのルカシェンコ大統領は著者のことを「外国で著書を出版し祖国を中傷して金をもらっている」と非難している。
◆読んでいて胸が張り裂けそうだった。推薦していただいて感謝している。

<参加者D>
◆作品の構成として、最初の章の「人間は戦争よりずっと大きい」というのが本論。この証言集をまとめるにあたって著者がどういう態度で挑んだか。証言の扱いについて勉強になった。
証言というのは、語られるごとに創造される。世界情勢、証言者の思想の変遷、周りの状況が影響を及ぼすので、語られたことが真実とは限らないという一歩引いた態度。我々は戦争証言を無条件に真実と受け取りがちだが、証言は現在の立場によって変わってくる。それを織り込んで聞かなくてはならないと納得した。
◆女性たちが自ら志願したという話を、一種の社会進出、自立として語っている人が多く興味深い。その側面はあると思う。女性の社会進出は世界大戦と強い結びつきがある。
男性と平等に国民の義務として身を投じる。男性が独占している場所に入っていく。女性の自立という考えが当時あったのかもしれない。
◆証言集なので時系列が見えてこない。友人にこの作品を読むと言ったら、大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書を薦められた。ドイツとソ連の戦争がどう始まってどう経過したのか、新書のサイズでまとめてある。なるほど、そういうことかと。
図版、地図も入っているので、証言に出てくる都市がどこにあるのか調べやすい。

<参加者E>
◆Dさんが仰られたように、思い出は真実と受け取られがちだが、体験したことが現在の環境によって変わっていくことに注意しなくてはならない。著者は冷静にインタビューしている。ものすごい量があり、執念を感じた。
◆ノンフィクションなのでリアル。1つの側面ではなく、2つ、3つの感情があるインタビューが多い。矛盾を持ちながら今生きている人の話。凄惨だと思いながら読んだ。
◆私はあまりソビエト連邦の歴史に詳しくなく、戦勝国というイメージがあり、100万人もの女性が戦っていた事実をまったく知らなかったので勉強になった。
◆ロシアとウクライナの戦争で、ロシア兵として戦っているキーウ出身の女性がいると聞いたことがある。アイデンティティについて考えた。
◆大陸にある国を防衛する大変さ。堤防を壊されてしまうと怖い……ロシア側の歴史を感じた。なぜウクライナに侵攻したのか(戦略的に重要なのはわかるが)。旧ソビエトの歴史を守りたいということに繋がるのだろうか。
◆若かりしころ勇んで戦争に行って生き残った人たちが、何十年も経って「あのときはそういう人間だった」と語っている。苦しみが続いている人もいる。響く言葉がいくつもあり、メモを取っている。挙げるときりがないくらい。

<参加者F>
◆読書会で証言集を取り上げるのは初めて。
Cさんも仰ったように、(小説のように)積み上げていくストーリーがあるわけじゃなく、たくさんの証言を重ねていく作品。戦争の悲惨さを書いているという先入観があったが、だんだんと染みてきた。
◆日本は70年以上戦争がなく、また島国であり、他人事と見てしまう薄情さがある。ウクライナベラルーシ、ロシアにとって、戦争はずっと身近なものだった。世界でも、紛争地域では戦闘が続いている。犠牲になるのは、小さきもの、弱きもの。上のほうにいる――この言い方は好きではない――権力者は被害を受けないという構造は同じ。人類はいつになったら学ぶのか?
◆弱者が犠牲になっていることを伝えるため、女性にスポットを当てたのではないか。女らではの悲しみに特化しているというより、すべての弱者のために。
もちろん月経は女性にしかないが、たとえば、死んだときを考えて見た目を気にすることなどは男性にもあるはず。この作品は、人間の細やかさを蹂躙する戦争への抗議としての証言集だと思う。

<参加者G(推薦者)>
◆自分を出さないように書く文章を書くのは難しい。
◆作中、話が飛んでいたりする部分があり、自然だと感じた。人間の話を文章に起こすと、どうしてもそうなるので。このようなところも残しつつ、読みやすいように手を加えているはず。元の雰囲気を損なわないようにするのは、とても根気がいって難しい作業だと思う。
◆読んで、女性たちは素直に泣いたり、笑ったり、素朴だと感じた。私はフィギュアスケートを観るのが好きで、ロシアの女子選手もよく観る。演技が素晴らしく大人っぽく見えるが、競技中以外では無邪気に笑ったり、感情を出したりしていて好感を持った。そのイメージと重なる。
◆遺体を大切にするところが日本人と近いと思った。欧米では、あまり遺体を重視しない印象があったので(日航ジャンボ機墜落事故の際、欧米人と日本人、それぞれの遺族の遺体に関する考えが違っていたと読んだことがある)。宗教の違いなども関係しているのだろうか。ロシアはヨーロッパだけでなく、アジアの感覚にも近いなと思うことがある。
◆女性たちと、母親との関係が印象的だった。どの国でもそうなのかもしれないが、母とは特別な存在なのかもしれない。
◆日本でも、シベリア抑留から帰国した人たちへの差別があった。世界のどこでも起こり得ることだと思う。

<フリートーク
【弱者にとっての戦争について】
F:女性の社会進出を表している。なるほど、あると思う。
10代の女性が窓口に駆けこんでアナログな方法で志願する。絶対引き下がらない。すごい。
A:女性といっても、ほとんどが子ども。まだ社会のことをわかっていない。国全体がそういう雰囲気で、16歳とかだからじっとしていられなくて。でも、実際は子どもだから戦争がどんなものか知らない。歌を歌って、スカートを穿いて……本当に子どもたちが戦争に行ったんだなって。
ファシズムだって少年兵を利用する。まだ何もわからない、血気盛んな少年を。
D:利用されただけなのかな。当局の人たちは「帰れ」と言っている。世の中が、上の人間が仕掛けて誘導したのとちょっと違う。
A:誘導というより、社会全体がそういう雰囲気でじっとしていられなかった。
D:共産主義の中での一体感は男女平等が土台となっている。日本では学生運動で、若い人たちが自分たちの理想のために行動した。それに近い。
F:確かに、自由主義アメリカの女性は、このようなかたちで戦争に志願しそうではない。
D:旧日本には女性は入れなかった。男女隔たりなく戦争に行くのか正義かどうか。倫理の捩じれがある。
A:男性は英雄に、女性は帰還して差別的な扱いを受ける。ひどすぎる。16歳の子は(戦争に行くとき、その後のことを)想像していない。
F:(男性参加者たちへ向けて)皆さんはありますか? 戦争から帰ってきた女性への印象。
D:日本はその状況にないから想像つかない。
F:男性でも、軍での地位が高い人はまだいいかもしれないが、そうでない人は苦しいのでは。映画『ランボー』だと男性でも爪弾きになっている。弱者が差別されている構造を感じる。
D:結びつきにくいものが結びついていることが、日常を壊す存在として見られているのかも。福島の人が移住したら、差別的な目で見られるのに近いのでは。本来、その人たちが負うべき傷でないものを負わされている。(元からいた人は)日常に入ってほしくないのでは。

【戦争について】
A:戦争って悲惨なものだと大人はわかっている。そこに16歳が行って……。
E:たとえば裕福な家の子は行かなくてもいい、でもあの子は家が貧しいから……みたいなのはあるかもしれない。志願した女性は多数派ではないのでは。
C:志願した女性の大半は(家族が)活動家だったのではないか。
D:そして、熱心な共産党員。
E:親の意識が高い。そういうのもあったかも。
C:ソ連は、ファシストが相手の戦争は正義の戦争だと言っている。
A:戦争犯罪って、いつできたんだろう。私は戦争自体が犯罪だと思っている。
E:絶対、敗戦国が裁かれますね。
D:東京裁判では、いわゆる戦争犯罪で裁かれた。戦争にもルールがある。捕虜を虐待してはいけない、など。戦争をするにしても紳士であれ、品行方正であれ、というように。
日本は近代化して戦時国際法を守っていたが、第二次世界大戦で滅茶苦茶になった。
C:ウクライナ侵攻は、領土を拡大する戦国大名のやり方。日本ペンクラブ日本文藝家協会日本推理作家協会は、ロシアによるウクライナ侵攻に関する共同声明を出した。戦争を止めなくてはならない。
B:時代が引き戻されていますよね。
E:ロシアにはクリミア併合での成功体験があった。
B:私たちも、クリミア併合のときに注目しなければならなかった。
このところ物価や電気代が上がり、戦争中だと思った。
D:国に限らず、あらゆる組織において同じ人間がトップで居続けるのはよくない。年々で限るのが一番いい。

【500人以上の証言を集めた理由】
F:500人のインタビューより、ある程度絞ったほうが読者にとって優しい。でも、取材を受けた人にとっては「私が載っている」という広がりがある。
D:日本のジャーナリズムで用いられるドキュメンタリーの手法に、1人を膨らませるというものがあるが、情緒的に読ませてしまったり、テクニックに走ってしまったりすることもある。
F:証言を重ねていくほうが、むしろ客観性があるということか。
B:同じ著者の『チェルノブイリの祈り』も同じ書き方(証言集)ですね。
E:証言が変遷していくことに気をつけなければとあるが、500人の証言があれば事実が浮き彫りになるのでは。同じような話もあるから絞ったほうが読みやすいとは思ったが。
A:夫がそばにいたら女性の表現ではなく建前を語るようになってしまう。興味深い。
E:建前というか、男女で見方が違うのでは。昔、ベストセラーで『話を聞かない男、地図が読めない女』(アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ著)で読んだが、男の脳は狩りに向くように視野が狭くなっていて、女の脳は家を守るため身の回りの情報をできるだけ多く拾い集めるから視野が広い。男性は大局を語るけど、女性は着ているものとか細部を覚えているでは。
A:「赤いハイヒールを履きたいけれど仕舞った」というのは、男性から見たらアホかって思うのかな。戦争なのにハイヒール。

【その他】
E:ラジオで娯楽番組の間に、ヒトラーがぽつっと政治的なことを言う。ラジオを政治利用して、まさにプロパガンダの先駆者。ソ連でもそういうことはあったのか調べたが、スターリンについてはあまり出てこなかった。ロシアの若い女性はなぜこういう行動に出たのかわからなかったが、今日、共産主義と聞いて腑に落ちた。
F:日本でも戦前、日本人をおとしめた箇所を削除した『我が闘争』(ヒトラー著)を読まされていた。
B:NHK映像の世紀バタフライエフェクトヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」』で知ったのだが、ヒトラーが生まれる4日前にチャップリンが生まれている。チャップリンは、作り手の想いが入っているから映画はすべてプロパガンダだ、と言った。本もそうですよね。
G:少し前Twitterで流れてきて知ったんですが、第二次世界大戦の各国指導者の人物像を比較したBBCのドキュメンタリーで、日本について「最高指導者が誰かわからないのに戦争を遂行している」とあったそうで。トップがいないのに戦争をしている。
D:日本的無責任。各部署が勝手にやっている。誰も責任を取りたがらない。
E:第一次世界大戦のあたりは終わりを見ていた。第二次世界大戦のあたりは変わりますよね。