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R読書会/Zoom読書会

『線は、僕を描く』砥上裕將(講談社文庫)

Zoom読書会 2022.12.18
【テキスト】『線は、僕を描く』砥上裕將(講談社文庫)
【参加人数】出席7名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者G)>
◆私はそこまでいろいろな本に触れてきたわけではないが、最近読んだ中で一番良かった本として推薦した。
◆学生のころから20年ほど弓道をしている。弓道の師匠との会話や技術が、作中の水墨画の描写と似ている部分があり、自分自身を諭せてよかった。
◆私には弓道があったが、ほかの方には作品中に自分と重なる部分があるのかわからない。ふっと本に入って感銘を受ける部分があるのか知りたい。
◆また、私は映画やコミカライズもすべて見たが、小説だけで読みやすかったかどうかも伺ってみたい。

<参加者A>
◆読みやすいかどうかで言うと、すごく読みやすかった。私も読書会を主宰しておきながらあまり本に触れておらず、しんどくなったら途中で止めるか、オーディオで聴くようにしているが、この作品はちゃんと読めた。
◆だいたい筋書きは予想がつき安心してストーリーを追っていけるのだが、それでいて面白い。
水墨画を描いている描写に紙面を割いている。絵を描いている人や、Gさんのように弓道をしている人は楽しめるだろうけれど、絵心がない私は読み飛ばした。人によってはスリリングな場面かもしれないが、私は頭で再現できなくて、動画サイトで探し「あ、こういうことか」と理解した。
◆第四章まで面白く読み進めて、気がついたら感動していた。どうなるかわかっていたけれど、じんわり涙が出てきて「よかった」と感じた。すごくいい本なので、今度ビブリオバトルで、この読書会の皆さんの感想を入れつつ推薦しようと思う。
◆若い作者だけあって美人が好きなんだと感じた。手練手管のあるベテラン作家だったら女性をこれほど美しく書かず、個性的で一つ特徴がある……みたいに表現するのでは。若さを感じた。

<参加者B>
◆ものを作る人にはとくに響く作品では。日本の小説は水墨画に例えられ、余白を大切にするというか、書かずに読者に想像させることが大切と言われる。登場人物の心情を説明しすぎるな、削れ、と(ちなみに描写を丹念に重ねる海外小説は油絵に例えられる)。
また、小説の先生に「もっと力を抜いて書け」と言われたことがあり、実際、流れるように書いた作品のほうが褒められたので、そこも水墨画と似ていると思った。
そして、(どの芸術でも言えることだが)技術が優れているだけではいい作品ではないところも共通している。絵でも小説でも演劇でも、自然体になって、生命を表現することが大切なのだろうか。
◆主人公・霜介がとんとん拍子にレベルアップしていくなと思ったが(もちろん本人は苦しんでいるし、努力もしているが)、周りが見える人物、観察力がある人物、考え続けられる人物として設定されているので説得力がある。実際、どんな分野でも始めてすぐ頭角を現す人はいるので、ありえないことではないのかな。
◆作品として見たとき、展開の仕方がすごく上手いと思った。例えば第三章で植物園に行くシーン。私だったら主人公が自発的に春蘭を見るために足を運ぶとか書きそうなんだけど、この作品では、古前君と川岸さんに、千瑛の別れ話の現場検証のため連れて行かれるというのが面白かった。周りのキャラクターを上手く使っている。しかも古前君と川岸さんは付き合いかけ。読者を飽きさせない工夫がある。
◆植物園のシーンP263に「僕らのような人間にとって」という一文があり、霜介が水墨画を描く側になったのがさらりと示されているのがよかった。また、千瑛が描きたい薔薇についても書かれており、第一章の伏線回収になっている。
◆エンタメ的に見ると、第二章の後ろのほうで、普段は軽い西濱さんが実力者である描写がなされるのにグッとくる。最初は通りすがりの兄ちゃんみたいに出てきた西濱さん。各キャラクターの造形は王道だけれど(だからこそ?)それぞれ確実にツボを押さえている。西濱さんが選んだ赤いスポーツカーとか小道具もいい。第三章で斉藤さんメインのシーンがあるのもよかった。
◆個人的に、出てくるキャラクター同士が無理にカップルになる展開は好きではないが、この作品では必然性があっていい。学園祭の古川君と川岸さんは、霜介が両親を思い出すために必要だったので。
◆敢えて悪い人が出てこないようにしているのも読後感がいい理由。悪意を持った登場人物が一人もいない。霜介の叔父もすごくいい人。

<参加者C>
水墨画というテーマが小説と親和性が高いのに驚かされた。小説で絵を表現することに不信感があったが、読み進めると印象が変わった。内的な宇宙に絵で触れる面白い内容。
◆表現する人にとっては何かしら刺さる。誰かに認められたい気持ち、作品に出る歪み、すけべ心……共感するところがあった。
◆ただ、前半の200ページは読むのが怠かった。もともと霜介自身にモチベーションがなく、誰かに引っ張られて水墨画を始める感じがしたので(主人公に水墨画を始める動機があったのではなく、「いいね」と言われたから描き始めたのがしんどかった)。
◆公募展で白黒つけるという勝負のオチはなんとなく予想がつくが、テーマは別にあるのでそれはそれでいいと思った。
◆一人称視点で語られるが、序盤や終盤で千瑛の視点を入れて、霜介のジレンマに気づくシーンがあれば、さらに読みやすくなるのかな。
◆古前君が面白かった。

<参加者D>
◆売れている作家の作品として興味深く、面白く読めた。最初は文体に馴染めず、細かいツッコミどころはあったが読みやすかった、
◆自身の創作と関連して考えることがあった。魂が乗り移るような瞬間があった作品は評価が高かった経験があり、自分の作品について考えるきっかけになった。
◆リアリティがない。湖山先生の教え方が優しすぎる、古前君が失礼な部分など。

<参加者E>
◆率直に言って大変面白い。また、読みやすかった。構成がいいのかな。わかりやすく書いてある。水墨画と文章作品に共通するところがあるから身につまされるところが多い。
◆ただ映像で観るのと文章で読むのはやや違う。映像で観たかった。線の引き方など一生懸命書いてあるが、流れるような線とか濃淡のつけ方とか、なんとなく雰囲気はわかるが、現実にどうなるか具体的に伝わってこない。どう読み取るか、限界があるのかな。
◆心理描写を交えながら動作を書き、スピードが速い・遅いなど変化をつけて書かれている。私に水墨画や絵を描いた経験があればついていけるだろうが、(絵に)疎いのでついていけなかった。すべての読者には通じない。
ただ、ストーリーを重視する人は(描写を)読み飛ばしても問題ない。
◆作者が本当に書こうとしていることを私が理解できているのか、掴めないことが多かった。湖山先生の教え方が抽象的。最高の技法、形のないものに形を与える……含蓄があるかもしれないが具体的に伝わってこない。『美味しんぼ』に出てくる達人みたいな、思わせぶりで抽象的な言葉が重なる。それ以上書けない。映像で表現するのも難しいといえば難しい。絵を2つ並べればいいのだろうか。コミカライズは作者の水墨画を使っているから表現できたのかな。映画でも作者が描けばいいのか。
文章だけでそこまで読み解けるか難しい。視覚的な芸術を文章で表現するときは、読み手がたぶんこうだろうと割り切らなくてはならない。ある意味で勉強になった。
◆素直なストーリー展開。起伏がない(失敗したり悩んだりの起伏はあるが、場面的な起伏はない)。悪者や邪魔者がおらず、ストーリーに波風が立たない。作り物めいている。
湖山先生が最初から最後まで(霜介を)褒めっぱなし。褒め言葉が続くからアクセントがほしい。叱られて落ち込むという起伏くらいあってもよかった。
◆一度も本物の蘭を見ないで蘭を描く練習をしているのが、いかにも伝統的だと感じた。今はリンゴを描くなら、リンゴそのものを見て描けと言われる。でも水墨画は師匠の絵を模写するところから始める。(第三章で植物園に行くが)応用になるまで観察を入れてはいけないというのは日本の技法なのか。その辺りも含めて水墨画の世界の勉強になった。線を重んじるのが日本らしい(西洋は色を重ねて作る)。
◆面白かった、役に立った――その両面でよかった。

<参加者F>
◆読みやすかった。読み始めて一気に読めた。
◆絵を描いている描写がいい。説得力がある。水墨画をやってみたくなった。
◆主人公の成長を追っていくのがよかった。私は焼き物に興味があって四君子を調べたことがあるが、絵だとこうなるのか。
◆ストーリーは類型的。起こりそうなことが起こるが処理が上手い。
◆翠山賞に収まる伏線も上手いが、私は「血筋」と「天才」が嫌いなので、賞は作品に出ていない人が獲ってもよかったと思う。
◆主人公は、先生の孫娘が一皮剥けるための当て馬に使われたとも取れる。
◆叔父さんを展覧会に呼ばないのか、法学部は続けるのか……など気になった。
◆心より技術で書いている。エンタメだから文句は言わないが、作り物感がある。創作周りはこんなに雰囲気がよくない。小説周り、面倒くさい人ばかりじゃないかと(笑)。
◆モダンエンタメ。ストレスフリーに読める。無理解な人がいない、恥をかかない、都合が悪い人がいないとも言える。荒木飛呂彦は「悪い展開があると読者が離れる」と言っていたが、読者が離れるから漫画的に書いたのか。想定読者がナイーブ過ぎでは。(主人公のことで)千瑛に負い目を感じさせているところが現代の読者ポイントかな。
◆メタ的なところは鼻につく。
水墨画の衰退へ警鐘を鳴らすという言い訳を用意しているのが上手いなと思った。

<参加者G(推薦者)>
◆この話は好きすぎていろいろ調べた。作者のインタビューを読んで、もっと説明していたら解消できていたのに、という部分がある。漫画だとわかりやすかった。霜介は最初、死んだような人間で、水墨画を教えてもらって生き返ることができた。湖山先生の「私もそのバトンを渡さなければ」という描写もある。この小説だけでそこまで読み込むのは無理。また、漫画や映画では千瑛の視点もある。そのほうがわかりやすく感動できる。
◆作者のインタビュー記事に「水墨画のことをもっと知ってほしい」と書かれていた。水墨画を伝えたい気持ちが強いから描写が細かい。正直、10年前なら読み飛ばしていたが、齢を重ねて読書会に参加するようになって、1つの作品を吟味することが身に付いたのかなと思った(昔は長い小説を2、3日で読んで、読んだことに満足していたので)。
水墨画の描写は1回読んだだけでは頭に入ってこない。むしろ動画で観るのはいいこと。わからないことを調べて自分の知識にする。本を読むのは知らない知識を得ること。それで知った気になるのは駄目だが、擬似的に自分の経験にして活かしていく。昔は早食いのように読んでいたが、(この作品を)4回読んで改めて考えさせられた。
水墨画の描写は1回目に読んだときは飛ばし、後からちゃんと読んで水墨画に挑戦したい気持ちが出てきた。私も動画を観て、こんな絵が描けるんだと水墨画への興味が湧いたので、作者の意図に沿う読み方ができたのかなと思う。
◆千瑛の美人描写については、美人に書きたかったというより、薔薇のように情熱的な女性を書いたら、あんな感じになったのかなと思った。
◆湖山先生が言っていた「できることが目的じゃない。やってみることが目的」「まじめというのは悪くないけれど自然ではない」は、私も悩んでいる人に対して結構使う。自然に頑張れる時間は限られているから頑張らなくていい、と。
◆小説泣かせと言えば小説泣かせ。「見ればわかる、言葉はいらない」……小説でこんなことを言うのも何だが、実際私もきれいなものを見て言葉が出ないときがあった。師匠が弓を引くのを見て、こんなのあるのか、と。15年前、衝撃的だったのを思い出した。
◆千瑛が霜介の絵を見て言った「どうしてこんなに美しいものが創れるの?」。私もかつて弓道の師匠を見てそう思ったが、師匠は「いらないことをしないだけ。無駄なことをしないんだよ」と仰った。その言葉が本を読んで帰ってきた。師匠は85歳で退かれたが、今になって違うところから言われてガツンと殴られた。
「無駄を省け。たった一筆でさえ美しい。結果で美しいのではなく、一から十まで美しい」。水墨の小説で言われると思わなかった。
◆創作や何かの活動をしている人にとって引っかかる部分がある作品なのかな。
◆(霜介の成長が)とんとん拍子なのは私も思ったが、藤井聡太にしろ大谷翔平にしろ、小説に書いたら「ありえない」と言われるような人間が実際にいる。作者は本当にいると思って書いているのでは。ありえない描写だけど、ありえるのかな。1回目読んだときは「ありえない」という気持ちが強かったが。

<参加者H(提出の感想)>
 青年の死と再生、および自立の物語。「水墨」というミクロコスモスが舞台。心に空白を抱えた若者が創作を通して生きるよろこびを取り戻していく。
「喪失」や「欠如」を抱えた主人公は「昔話」の定型パターン。「死と再生」はそれだけ普遍的なテーマだと再認識。暗く地味、という印象が強い「水墨」観とは対照的に、キャラクターの個性が活き活きしていてよく動く。役割も明白で、色あざやかに分化され、かつ、水墨の多様な手法もあらわしていて巧みと感じた。
 物語は多くのひとに共感を呼びやすい構造だと思った。創作にたずさわる生き方をしている人間には尚更だろう。ただし「とくに若い世代に」、とは思う。正直いって、冒頭の展開は辟易だった。主人公が水墨に出会うまでは自然だったが、初登場時のヒロインには困ってしまった。彼女の「勝負」という語句は、ラストまで消化できず。勝ち気で挑戦的なヒロインの性質は、内向的で冷静、客観的な主人公と好対照をみせているが、戯画化がひどすぎる。彼女の「若い情熱」が主人公の「再生」に必要なのはよく分かるが、「勝負」はあまりにも軽薄すぎる語句だろう。白けてしまい、いったん本を閉じた。(ヒロインは登場時だけ別人みたい)また、「才能」「運」「天才」「勝負」といった安価なシンボルが頻出し閉口。華やかではあるが抵抗を抱く。
 しかし、作者の目的が、「水墨」の広報あるいは啓蒙だとすれば、冒頭の展開は理解できた。ちいさな世界を知らしめるため、ドラマチックな玄関が必要と判断されたのだろう。
 ラストも同じ考えで受け入れた。初道者である主人公の受賞は現実的に不可解。(入賞がせいぜいだろう)作者あるいは編者は、主人公に特別な賞をあたえることで、「水墨」というちいさな世界そのもの――まるで時代の「空白」に、花を、そしてひかりを与えたかったのかもしれない。もっとも、歴史に名を残すような画家というのは、往々にしてこういうものなのかもしれないが。また、「愛とは心の傾き」(ダンテ)を前提とした場合、「愛」がこもった作品は「審査員」の心を貫く、と読み取れるこのラストは、多くの創作者にとっては希望と呼べるかもしれない。
 冒頭とラストには戸惑うも、一章の終わりから夢中になる。ある職種の世界観が人生そのものに根ざしていく過程はよかった。過去のじぶんを重ね合わせる。
「水墨」に関連した部分の描写は詩的ですてき。胸を貫くことばが多かった。『蜜蜂と遠雷』の演奏パートを想起。心に空白を抱えた若者が縁や人情によって再生していく、という構造は『ひと』とよく似ている。どちらの本も大衆に歓迎されている点から、時代や世間が要請している「原型」が見て取れるように思った。
 また、実際に水墨に携わっているものでなければ分からないような臨場感や知恵、感覚、体験(先生の作品をコピーするなど)、何より作者のたましいを熱く感じることができた。禅に「十牛図」という思想があるがイメージがよく重なった。「求道者」型には共通の概念なのだろう。先生の手本をひたすら真似する主人公には強い共感。学ぶの語源はまねる。世間との関係をいっさい断ち切り、書いて書いて書きまくる時期はすばらしい。単調行動の無心の反復。どの世界にも必要な過程だろう。器用もセンスも関係ない。からだで覚える。それだけ。「力を抜く」「手を止める」「イメージをふくらませる」この時期の描写も身に親しく、「無駄を省く」も感銘。作者の経験と苦悶がうかがえる。技術の上達と共に変化していく心もようも読みどころだった。腕が上がり、自信がついて「描きたい」と思う。のぞみ、欲求、リビドー、創作意欲、自己顕示欲、創造心、それから性愛。創作によって活性化していく心はすてき。
 先生が「不在」中に大きく進歩する点も印象深い。「ただ描くだけでよかった」段階を終え、じぶんの画を模索しはじめる。このとき、対象の実物を目にし「本当はどう描いてもいいのではないか」と感じた点はおもしろい。美とは心のゆらぎ。「その瞬間」をほんのひとときで表現するという水墨は、東洋美観の結晶のようで興味を持った。実際に水墨を描くシーンの迫力には息をのむ。活字とは思えない緊張感だった。
 主人公の「ガラスの部屋」は親近感。この心の空白と紙の空白を重ねるところは見事と思った。観念的なものを機能的に用いている点は勉強になる。だだっ広く生活感の乏しい主人公の部屋に、日常のぬくもりが満ちていく段階も印象的。ヒロインはふさいだ心を刺激するもの、ひらくもの、導くものであり、かつ、「水墨」の説明者として効率よく働いている。恋もまた、心を活性化させるためには欠かせない要素だと思う。
四君子」は水墨の世界ではおなじみなのだろうが、外部の人間にとって想像しやすいテーマだった。「崖蘭」は特にすてき。
「勇気はなければ線は引けない」「描かないことが究極」これらのセリフは印象的だった。実際に描いているもののことばだと思う。「絵とは絵空事」ということばも出てくるが、これはまさに真だろう。表現とは、内界に取りこまれたシンボルの「再現実化」だとすれば、技や流儀や慣習などの形式に執着せず、心のままに描くのがもっとも自然で基本であって究極だろうか。もちろん、厳しい鍛錬が前提。トーベ・ヤンソンは「洞察」について「見抜くこと」とあらわしたが、「本質をとらえること」が創作の基本であり奥義であるとするならば、先生の教えは懐深い。
 完成された美は他人の美。学ぶことはまねることだが、そのままでは先がない。技術の向上やリアリティに執着し、心に余裕が持てなかったヒロインがだんだんと脱皮していくさまはすてきだった。「月影の椿」が示唆するものはとても深い。彼女に足りなかったものは「余白」=「描かないこと」すばらしい流れ。
 時おり描写される「遺されたもの」としての主人公の心情は胸が痛んだ。
 芸術に身を捧げるには生活の保障が必要、という背景設定は印象強い。少なくとも主人公とヒロインは働かなくても暮らしていける。ここは悲しい暗示だった。
「菊」のパートは圧巻だった。菊は死者と関連が深い花。「試練」としても、過去の「受容」という意味でも巧い展開。さらにヒロインとの絆も深化させる。「救い」と「再生」が強く感じられた。書き終わったあとの描写がまたいい。「菊の芳香と墨の香りが部屋を満たしていた」主人公の過去と現実、内と外におだやかな調和が生まれている。
「水墨とは線を描くもの」⇒「人生とは一本の線」⇒「引かれた線を歩くのではなく、自分で線を引いていく」この三段論法もすてき。
 表現の対象は鏡。感動をとらえ、瞬間をかたちにすること。これが美の祖型であり、イメージが十分に満ちたとき、手は自然と動き出す。ここの下りも感銘深い。
「完成ではない」「命と共にあり、命の一つだと知った瞬間、そこに意思はなかった。経験だけがあった」グリム童話『小人の靴屋』を思い起こさせるこのフレーズはたまらない。「魔法」の力で描いているうちは、まだほんものではないということ。作者もまた、発展途上の書き手ということか。その点、作中の先生はまさに先生だと思う。
 冒頭は戸惑ったが、全体的には感慨深い一冊だった。求道者タイプにはよく響くだろう。人生の救いと希望が感じられる。

B:私も恩田陸蜜蜂と遠雷』の演奏シーンを思い出した。演奏している/描いているシーンを読んで、天才ってこんなふうなのかな、って。

<フリートーク
【小説として、どこまで書くべきか】
A:Gさん、4回読まれたんですか?
G:楽しくて楽しくてしょうがなかった。過去に2回読んでいて、今回ざっと3回目、4回目は気になったところだけ。
A:4回読めるって、すごい気に入ってる。
E:4回読んだら、赤くないのに赤く見えるとか、水墨未経験の人間にもピンとくるのかな。水墨で描かれた薔薇の絵が赤く見えるのは、見る側が赤い薔薇しか想起しなかったからかもしれない。あくまで霜介の感想であって、誰が見ても赤いのかどうか書いていないから。
G:4回読んでもわからない。
E:わからなくていい。雰囲気が伝われば。(G:私もそう思う。)
素数のくだりは、写真を撮っている人ならわかるかも。「二枚目になると懐かしさや静けさやその場所の温度や季節までも感じさせるような気がした」……現実に2枚の絵を並べないとわからないことが文章で伝わるのか。
G:イメージしたものを過去見たことがあるかが大きい。
E:経験があればわかるかもしれないことも伝わらない。
G:習字を習っていて先生が書いた字と自分が書いた字は違う、とか、近い経験があればイメージがつきやすい。私はここ2、3年で水墨画が好きになり、展覧会に行き現実の水墨画を見て、荒さや画素数の表現はわかるなと思った。
E:私はコンピューターの画像処理で色調を変えたりしていた経験があるからわかる部分がある。小説から離れた、自分の経験が理解を助けている。小説に書かれているからわかるんじゃなく、経験で補完している。他からの補強でわかるのは小説としてどうなのか。特に特殊な世界を書く場合。本来、小説だけで読者を理解させなくてはならないのでは。
G:読みにくいですか?
E:読みやすい。『蜜蜂と遠雷』や『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子による漫画作品)と同じように、半分わかって半分わからない。私たちは音楽を実際に聴いて比べてもわからない。その辺りの難しさ。
水墨の世界を小説で書く挑戦をしたのは素晴らしい。半分お仕事小説。ストーリーは二の次で、水墨のよさを伝える。
G:作者は2作品が没になっており、その次の3作目がこの作品(デビュー作)。1作目は動物が喋る話だったそう。編集者と話して、(作者が知っている)水墨の世界を書いてみようということになったらしい。水墨の啓蒙もあるが、編集者としてもそちらのほうがいい作品、となったのでは。
デビュー後2冊目は視能訓練士の話。身内が視能訓練士だそう。話を聞いて、現実に即した描写をするのが得意なのかな。
メフィスト賞は友人に誘われて、推理に強い賞とは知らずに出したみたい。
E:現実には大谷がいても、大谷を主人公にして作品を書いてはいけない。これはそれに近い。ストーリー展開が弱気だと感じる。それを押し隠すように、水墨の描写が優れている。
G:ストーリー的には目新しくない。
E:漫画になりやすいし、評判になったら読者もつく。映画で人気がある俳優が演じるとみんな観るだろうし。ストーリー展開は、そのレベルだといいのかな。小説的に考えるとどうだろう。
G:小説が一番入りにくいかも(映画は尺が足りなくて入りづらいんだけど)。とっつきづらいから推薦してどうなんだろうと思っていた。
専門分野を本に書くって難しいと思う。私も弓道を広めたい気持ちがあって、文章で書くとしたらどう伝えればいいんだろうと考えたとき、ここまで感覚的に書く勇気はない。もっとわかりやすく青春ものとか、そういう方向性じゃないと書けないだろうな、と。これだけ水墨画水墨画を描く技術に特化したのはすごい度胸だと感じる。
A:私は最近音楽を始めたんです。先生は優れた人で、指導するときの表現方法がすごい。「この曲は縦に伸ばすんです」とか。ソムリエがワインを表現するときのように音楽を表現してくれる。例えばスタッカートでも「途切れ途切れに」じゃなく、とても文学的な表現をする。だから弓道も書けるんじゃないですかね。
E:音楽もだし、スポーツでも指導者が「柔らかく」とか言うが、これは経験している人でないとわからない。“スタッカート”なら歯切れよくやりなさい、だと理解できるが、それを感覚的・抽象的に言われると、わかったようなわからないような気になる。文学的に素人にはわからないようにしか書けない。
A:音楽の先生の表現は、文学に触れている私には伝わっている。わからない人もいるけれど。やっぱり想像力が大切。今までの経験で補完する。言葉だけでは通じない。
E:小説に書かれていない情報をどこまで使っていいのか悩ましい。
例えば「IT企業はブラックだ」と書いてある小説があって、多くの読者は聞きかじった情報からそれは真実だと判断してしまうんだけど、現実はそうでもない。小説に書いていないことまで織り込んで読んでいいのだろうか。
A:私は経験でしか読めないですね。
E:小説の中に書いていることだけで判断するのが理想。
F:補完していいんじゃないですかね?
E:程度の問題なんですよ。「代官」=「悪代官」と読んでしまうとかは先入観だけど、代官についてすべてを書いてしまうと小説にならないし。
C:例えば『鏡の国のアリス』に出てくるジャバウォックは誰も見たことがない。そんな話をしているような。私は『線は、僕を描く』を読んで、水墨画を心の中にイメージしたが、それでいいんじゃないかと。SFにしてもファンタジーにしても、竜や巨人は見たことないから、読者は何となく「こんな感じじゃないのか」と想像している。この作品の水墨画もそれに近いのでは。
E:竜を書くときは「こんな竜」だと説明する。「竜」としか書いていないファンタジーは成り立たない。いろいろな竜がいるし、それぞれの物語の中で「こんな竜」という設定がある。読者はテキストから情報を得ながら読む。作品の中でどこまで説明しなくてはいけないのかという問題。
基本的な私の考えとしては小説に盛り込んでおくべき。誰しもが持っているイメージ、ある程度一般的なイメージとい読者は竜のイメージを等しく持っていない。っても境目がいろいろある。どこまでがその境界か見極めなければ。
A:命を描けということでは?

【「伝える」ということ】
E:独特な世界、ものの見方がある。絵画教室ではリンゴを見てリンゴを描く。蘭を知らなくても、水墨画の蘭を見て勉強しろ――普通の絵、一般的な絵と違うと感じなかった?
G:同じことを思った。水墨画では実物の春蘭を見ても、お手本がなくては描くことができない。敢えて現物を見せなかったのは、筆の動かし方などを学ぶためだろうか。
E:そう書かれているならよくわかる。でも、私の知識では現物を見て描くのが一般的で、その知識が邪魔をする。てっきり(霜介が)実物の春蘭を見て描いていると思ったのに、あれは単なる線の練習だったのか、と。霜介は春蘭を植物園で見るまで知らなかった。読者がもともと持っていた知識・情報が邪魔をしてくる。植物園のシーンより前に、実物の春蘭を見ていないという情報を入れてもいいのでは。
G:実際、作者も大学時代に水墨を始めたが(高校までは書道を中心にしていた)、師匠が多くを教えてくれない人で、あとから「これが大事だったのか」とわかってきたそう。だから実体験に基づくところが大きい。経験がないと、その指導法が適切なのか独特なのか、それとも普通なのかわからないが、作中で「湖山先生の教え方が特殊すぎる」とあるので、実際はもっと先に実物の春蘭を見るのかも。興味を誘った時点で作者の意図に嵌まっている。
Eさんのお話を伺って、物書きの視点だと感じた。書き手として完結しておかなければならない。自分の中のハードルを高めている。ここまで伝えれば、じゃなく、自分の中でどこまで伝えられるか。私は弓道を教えるとき、10人いて7、8人に伝わればと思っている。
E:それと同じで100%評価される作品もない。
G:この作品を読んで自分の生き方を考えさせられた。私もどちらかというと技術を追求していた。細かい技術よりも自分自身をぶつける――救われた。
皆さん、少しずつ引っかかる部分があったようで、読書会のテキストに選んでよかった。
A:今度、ビブリオバトルでGさんの感想をお借りします(笑)。
Gさんの言葉で心打たれたのは、「美人を書こうとしたのではなく、薔薇のような女性を描こうとしたら美人になった」。大変よかった。ありがとうございます。

【冒頭で「掴む」大切さ】
D:Eさんが仰った「物語に起伏がない」。今の若い人はハラハラドキドキを煩わしいと感じるから、平坦な物語が流行っているのだろうか? 編集で反映されているのかな。
A:未来が塞がれている若い人にはキツいんじゃないか。
E:そんなに起伏がない話あります? 危機が訪れないと話が成り立たない。飽きさせないためには、味付けとして多少の波乱万丈が必要。喧嘩したり、仲違いしたりして回収されていく。
A:起伏は必要だけど、人間ドラマとしてすごくしんどいのが辛いのでは。あからさまなドロドロとか。
E:ストーリーの展開で、とんとん拍子で受賞しました、じゃなく、怒られた落ち込みがあるともっと喜ばれるのでは。歌でいうサビがほしい。
A:最近の音楽はサビがないですか?
G:むしろサビから始まっている。サブスクでたくさん聴けるからイントロで飽きられたらそこまで。開始一秒から山場。
E:江戸川乱歩賞の心得は「冒頭で死体を転がせ」。2枚目か3枚目で事件を起こす。今の読者は10枚も20枚も読んでくれないから。時代として、飽きたらポイされる。
冒頭で事件がなくても読み続けてもらえるのはネームバリューのある人。そこまでハードルが高い。
A:作品に死体をいれましょう!
B:1文字目からサビを入れましょう!