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R読書会/Zoom読書会

『十二人の手紙』井上ひさし(中公文庫)★Zoom読書会

Zoom読書会 2023.01.28
【テキスト】『十二人の手紙』井上ひさし(中公文庫)
【参加人数】出席6名、感想提出2名

<推薦の理由(参加者F)>
推薦した理由は、AさんがTwitterで「面白い」と書かれていて、また、R読書会で取り上げたあとも「最高に面白い」と聞いたので、ぜひ読んでみたいと思い、推薦した。

<参加者A>
◆前に読んだときは面白さに気を取られたが、今回は技巧に注目した。とはいえ、やはり面白かった。
「エピローグ 人質」の探偵役が聾唖者の木堂先生なのは、筆談で文字に残るやり取りをさせて、最後まで登場人物が書いた文章のみで作品をまとめるためなんだな、と感心した。
◆どの時点で「人質」の構想があったのか、製作過程について考えるのも楽しい。3作目の「赤い手」には船山姓の人物が登場するが(前沢良子を取り上げた産婦人科医)、「悪魔」「人質」の船山太一の関係者なのかと思ってしまう。この時点ではすべての作品を繋げようと思っていなかったので、同じような名前になってしまったのでは。
◆私はやはり「赤い手」がアイデアとしてすごいと思った。公文書だけでこんなに人の人生が書けるんだと感心した。最後は公文書じゃなく手紙だけれど、最後まで公文書だけにしたらどうなるのか見てみたい。でも、『十二人の手紙』だから手紙じゃないといけないのか。
◆内容としては「桃」が好き。中学校とかの教科書に載せてほしい。作中作の完成度も高いと思う。
◆純粋に面白いと思ったのは「鍵」。どんでん返しがあり、最後はほっとして終わる。すごくサービス精神を感じる。
◆全体について。すべてが登場人物の書いた文章で作られており、しかもその中で本当のことが書かれているとは限らない。(作中の)書き手が意図的に真実を語っていない、または嘘をついている可能性があり、それが効果を生んでいる。

<参加者B>
◆久しぶりの昭和の空気を感じてよかった。景気のいい、元気な空気(もちろんいろいろあったのだろうが)。小道具がパリのブランド品だったり、コミュニズムだったり。
◆信用できない語り手など、サービス精神があってコスパのいい小説。
「エピローグ 人質」。オールスターだけど、「プロローグ 悪魔」の船山太一、「鍵」の木堂先生以外は出番が少ないので、他の登場人物ももっと絡めてほしかった。現代のエンタメはもっと緻密に作るから気になったのかも。
◆一つ引っかかったのは、「赤い手」で、前沢良子が昭和20年にカナダ人に引き取られたとあるが、あの時代に可能なのか? ということ。
◆全体的に面白く、対価のいい小説だった。

<参加者C>
◆楽しく読んだ。昭和の男尊女卑的な香りがしたものの、面白かった。
◆人間のどうしようもなさ、愚かさ、タイミング……。あのとき出会わなければ、ということがあるのでは。
解説にもあったが、心もとない人生で人間ができるのは祈ることしかない。人間は最終的なことしかできないのかと、ふと思った。
障がい者など、立場の弱い人が描かれているが、人を見下している感じがした。

<参加者D>
◆私も読書会のテキストとして読むのは2回目になるが、作品の読み方がわからなかった。井上ひさしは『ひょっこりひょうたん島』の原作を書いた劇作家・放送作家でもある。物語の作り方に一部の隙もない。再読してみると、隙がないゆえに人間らしさを感じられない。よくできた短いドラマを見ているようだった。
「シンデレラの死」。不幸な女の子が夢を目指し頑張るが、つけこまれて自殺する。読者は7通の手紙を読んで事の次第を知ったつもりになるけれど、それは彼女の自作自演だった。自分自身に悲しい嘘をついて自死に至った女の子の不幸を描いたのだろうか。昭和のころ流行った、よろめきドラマを思わせる。
今は不幸な話でも、希望を持たせる作りにするのでは。その意味で、少し時代遅れだと感じた。
◆手紙なので昭和を感じた。女性の手紙は女性らしい書き方。今は性別がわからない書き方が多い。古く感じる書き方があるんだと思った。
◆最近、谷崎潤一郎春琴抄』を読んだのだが、エッセイ風に書くと何十年経って読んでも古さが薄まる気がした。語り手である「私」が佐助と春琴のことを調べて、推察を交えながら書いており、古さを感じなかった。『十二人の手紙』を読んでそれに気づいた。

<参加者E>
◆大変面白かった。時代が反映されているとか、いろいろな見方があるが、私はあまり深く捉えずに読んだ(作者は考えていたのかもしれないが)。
◆仕掛けに満ち溢れた作品集。なりすまし、一人二役、一人芝居……いくつも出てきて、読んでいるうちにだんだん慣れてくる。手紙の書き手は本物か偽物か、三、四話目から用心しながら読んだ。そういう読み方でいいのでは。
◆注意して読んで、気づいたのは「赤い手」のドライバーと「第三十番善楽寺の繋がり。名前を記憶していれば気づく書き方。途中途中で、名前をばらまきながら書いており、なかなかのテクニシャン。読者が気づかなくても最後に明らかにするからいいという書き方。ミステリーでも気づく人と気づかない人がいる。そういう部分が同じ。
◆全体的に、恵まれない、悲しい人の話が多い。裏側を書かないといけないので、そのようになるのだろう。
◆手紙と言いつつ、こんな回りくどい手紙は書かない。普通は目的から書く。たぶんこれは手紙ではない。(読者に向けて)「気をつけて読め」とわざと書いた。
小説はもどかしさを出すためにこんな書き方をする。それもテクニック。すべては作者の仕掛けかなと思った。
◆私は仙台に住んでいたことがある。作中にドミニコ修道院が出てくるが、近くに聖ドミニコ学院という学校があり、それを思い出した。
天元台のスキー場は、高速道路を下りて米沢に向かう途中にあり、遊んでから仕事へ行っていた後ろめたい思い出の場所。(場所に馴染みがあるので)読んでいて、そういう個人的な楽しみがあった。
「ペンフレンド」。自分の小説でもアイデアを生かせそう。
「第三十番善楽寺。中学校の社会科で共産主義について学んだが、資本主義は能力に応じて、共産主義は必要に応じてもらうと聞いて「嘘だろ」と思ったが、これを読むと「ありかな」と感じた。さりげなく啓蒙している。他のエピソードも、じっくり読むと発見があるのでは。

<参加者F(推薦者)>
◆とても面白くて2日くらいで読んだ。もったいないから1日1編にしようと思っても、次々読んでしまった。だから内容をあまり覚えておらず、感想を聞きながら「そうだった」と思い出した。
面白い本は(印象に)残らない。心にずしっとこないから、後からくちくち思わなくていい。
井上ひさしは私が若いころ、劇団などの脚本家として売り出していた。幕が開く当日に台本がまだできていない、どうするんだというときに、人間じゃない顔をして「やっとできた」と持ってきた、というエピソードが印象に残っている。
◆多産な作家。『十二人の手紙』が面白かったので井上ひさしの他の本も買った。『新釈 遠野物語』はあっという間に読んだ。次は『吉里吉里人』を読みたい。時間があるとき、ほっこり面白がりたいときにちょうどいいかな。
◆私は昭和生まれだが、『十二人の手紙』は昭和そのものだと思った。完全に男尊女卑。人間関係が大変で、一人ひとりがすごく不幸。昭和のにおいがした。そこが面白いといえば面白い。
令和になってよかった。社会的にはいろいろあるが、深い関係はなく、個人で生きていける。恋愛して、あるいは夢を追いかけて自殺するとかあまりない。今生きるのは楽だなと思う。
◆面白かったのは「泥と雪」
「桃」は心が痛い。私はロータリークラブに勤務していたが、施設の子どもたちへのプレゼント計画などしょっちゅうあった。そのとき施設長が「貰うものは貰うが、あなたたちに期待しない」と仰って、それに対し「もうあげない」となったのを思い出した。実話としてあった。上流のご婦人方の暇つぶしは罪作りだ。
「第三十番善楽寺。資本主義もそうだが、キリスト教の教会でもそう。働きが悪い者にも等分に分ける。家族が多い人はたくさん取る。
ソ連が崩壊したのは、国営の農場があり、働かなくてもお金が貰えるから。考えながら読んだ。

<参加者G(提出の感想)>
 赤の他人のペルソナが切り替わる瞬間の、得も言われぬグロテスクさが臭い立つ、全体的に優れた作品群だったように思う。そのおどろおどろしさは、自分自身の歪な多面性の写し鏡のようにも思えた。
 手紙という小さなスペースに発露されたパーソナリティは、だからこそ一句一文が濃密極まりない。信用できない差出人が認めた断片的な物語が如意自在と広がり、顛末へと収斂されていく構成は、作品ごとに若干の落差を感じるものの、アイディアの輝きに溢れている。奇怪な研磨を施された宝石を敷き詰めた小箱のような作品群でした。
 ただ「エピローグ 人質」は、蛇足感が否めない。各主要人物が物騒なカーテンコールに総出した際の高揚も束の間、その実は「悪魔」の後日談の域を超えておらず、なんだか肩透かしといった印象。事件の真相の蓋然性を語る「鍵」の主役である鹿見木堂氏以外の影が薄いように感じた。やるのであれば、もう100ページ足してでも、全員の活躍を見てみたかった。フィナーレにふさわしい活躍が、キャラクター達への最大の祈りなのではないかな、と個人的には思う。

<参加者H(提出の感想)>
 心おどる連作短編集。これほど純粋にたのしめた作品はひさしぶり。手紙=形式として一方通行を余儀なくされた文字列の、各行間から浮かび上がるさまざまな人間性と、余白が示す語られぬ重みに一喜一憂。手紙特有の親密な語りかけに、ついつい情を覚えてしまう。作者はそれを、たくみに利用・誘導しては読み手の心を猫のようにもてあそぶ。女のうそはとくに恐い。解説が指摘するところの「多様な演技性」は演出としても物語としてもおもしろかった。物語としては人情譚に類するか。あたたかな人間愛を感じる一方、業深き生きものとしてのぼくらに対するつめたい毒も宿されている。それぞれの「手紙」は原則独立しているが、ところどころ関係していて心憎い。世の中という広大な樹海に、うっすらのぞく縁の糸。その表現に強く感銘。ラストはオールスター構成だが、逆に考えたら、あの「事件」に直接関わったひとびとの手紙をまとめて公開した物語、と呼べるかもしれない。作者はとにかく、読み手の心をくすぐるのが巧い。二転三転する場面には翻弄された。作者の笑みが頭に浮かぶ。知恵をしぼるのに苦心したかもしれないが、作者はきっと、基本的にはたのしんで書いていたんじゃないかと想像。あふれる創造性、奇抜な発想は心地いい。ふとだれかに薦めたくなるすばらしい一冊だった。

『悪魔』上京した田舎娘の話。都市や男、金によってだんだん「けがれる」清純さの段階性が読みどころ。白い絹ほど汚れやすいということか。愛ゆえの悲劇。さらりと描かれた背景設定は巧み。そして悲痛。よくある話かもしれないが、一方通行かつ純粋無垢な文面だからこそ、響くものが深い。かつ「先生」に出す手紙には淡い影が見出され、少女でいながら、女という生きものの恐ろしさが垣間見えている。
『葬送歌』どんでん返しがおもしろい。「戯曲」の目的に目を見ひらいた。女のうそとしたたかに肝が冷える。先生はどんな顔をしただろう。
『赤い手』強い印象を放つ作品。公的文書で人生を編むなんて。結末はかなしい。「もしも」と思ってしまうじぶんがいる。構成としても物語としても胸がふるえた作品だった。書類のなかに、すでに知った名前が出てきていないかチェックしてしまう。医師の「船山」(『悪魔』の社長の性)が気になって仕方なかった。でも、なんとなく覚えた「古川俊夫」はのちに忘れられない印象を残した。
『ペンフレンド』めずらしく「男」がしかけた物語。とちゅうで気づいてしまったが、構成はおもしろかった。(いくらなんでも手紙の日付をきちんと記憶しているのは不自然)全体的に説明調だったのも気になった。作者はそこまで計算していたのだろうか。「幸ちゃん」「弘ちゃん」は冒頭作『悪魔』姉弟を連想。心憎い演出。ここでもまた、女のうそとしたたかさが上をいく。うまくやったと思いこんでいるうちは、真実の扉は遠いということ。男は生涯、女の手の上でもてあそばれる運命か。
『第三十番善楽寺すばらしい作品。ラストは泣いた。『乳と卵』とか『異邦人』とか、自己を押し殺して生きるタイプの主人公が、ラストで抑圧をほどく構成はとにかく弱い。すばらしい作品。それしかことばがない。
『隣からの声』冒頭からつづく不自然さ――手紙ですべてを語ろうとする話者に違和を覚えながら読み進む。「もう電話しろよ」と何度つぶやいたことだろう。しかしラストで腑に落ちた。病的とも感じた夫への依存症もうなずけた。個人の心理分析から社会、人間というものの闇へ迫った作風は個人的に好き。経済を重視するあまり、大切なものを傷つけ失ってきた時代の罪が浮かび上がる。
『鍵』ものの見事に翻弄された。前作の影響か、仕事のために愛や情、あるいは責任を軽んじた男の話かと最初は思った。仕事を楯に家庭や妻から逃げようとするあまえの構造。あるいは意地や、男としての劣等感が主題……。そう考えて憤慨したのがよくなかった。完全に作者の虜。ろうあ者は電話ができない、という設定が巧みに活かされた作品だと思う。また、美人画ばかり描いていた男が結婚を機に「山」=男性性や神性の象徴を描きはじめた点は興味深かった。しかし女はおそろしい。そういえばこの婦人は元プロか。うそなんてお手のもの。情をくすぐるのもまた巧み。見破った絵描きの慧眼もすばらしいが、結果的に目的を果たした女のうそはただ感服……。
『桃』冒頭、程度の低い偽善のおしつけに胸が悪くなったが、園側の「返信」は考えることが多かった。純粋な善とは、傷を負ったものでしか成し得ないのか。長く飲食業についているが、暗い過去を持っているひとほど、思慮もことばも態度もやさしい。日常会話のささいな語句がきっかけで、だれかの心が傷つくことを知っている。彼らはぜったい、「不幸な」なんて言葉は使わない。幸も不幸も、他者の視点が決めていいことでないと身を持って知っているから。「~あげる」なんて表現はちいさな悪よりよっぽど業が深いと思う。蹂躙された「桃」は原罪を象徴しているようで印象強い。ひとは罪を意識しなければ目が覚めない。金持ちのおばさまたちの道楽会は、一生目を閉じたままだろう。
『シンデレラの死』胸の痛む話。上京娘の理想と現実が巧みに交差。少しばかりの真実が入り混ざった虚構世界はとても悲しい。故郷でみたあわい夢は泡のように儚く消えた。手紙の書き手は「悲劇のヒロイン」を演じることでしか、じぶんを保てなかったのだろう。そうしてやがて、虚構世界にじぶんのリアルをのまれてしまった。心のよりどころ、なぐさめに命を奪われた彼女は、傍からみると「悲劇」かもしれないが、あまい夢にひたったまま、じぶんの意思で生を終えたその生きざまは、安寧の一形態ではないかと思ってしまう。いずれにせよ、ひとは死ぬ。「好きなときに牢獄から出る自由」は神さまのすてきなプレゼント。まずしい弁当=耐えられない恥を、さらりと覆い隠してくれたふたりの教師のさりげないやさしさは胸を打つ。母子寮の闇はおそろしい。人間心理のあざやかな演出が際立つ悲哀譚。
『玉の輿』最後まで読んで仰天。「手紙の書き方」の引用だけで物語を作るとは。にやにや笑う作者の顔を想像。「心」のままに記された文章は、はじめと終わりだけということか。納得のいく背景設定も見事と思った。テーマが決まった連作ならではの楽しみ方ができる作品と思う。アルコール依存の父親像はとても堪える。
『里親』中野先生まさかの登場に笑ってしまった。しかもヒール。さらに虚しい最期を遂げる。彼にモチーフはいたのだろうか。小物っぷりが印象深い。ラストは失笑してしまう。申し訳ないが噴き出してしまった。聞き間違いで殺された先生には気の毒だけれど、日ごろから信頼関係を築いてこなかった落ち度もある。書き手としては優秀だが、先生の器ではなかったのかもしれない。献身的に動く女性と、それを受け入れあたたかく見守ろうとする親族のすがたにほっこりした。おはなしを動かすふたりの男はどこまでも滑稽な道化の印象。世の中や歴史の男性性を、ひっそりとあざ笑っているような気がした。
『泥と雪』計略の物語。救いの手紙は真っ黒だった。この物語はいったいどこへ落ち着ける気なのだろうとつぎつぎページをめくったが、ラストはことばを失った。「勧善懲悪」の観点からすると、女の罪はおごりだろうか。手紙の報いは手紙で受ける――。学生時代、恋文はもらってすぐに捨てたというその非情さが、長い時を経て、手紙によって報復される、こう考えるとまあ腑に落ちないこともない。雪のような初恋を、泥でけがした罪は重いということか。もっとも差出人はすでに他界しているけれど。ここでもまた、女のうそが話の力点。男は駒として使われるだけ。冒頭の『悪魔』の少女が、旦那の心をうまいこと乗っ取ったパターンが今作か。その意味では、この連作短編は、「女」というものが紆余曲折をたどりつつ、したたかに成長している物語、と呼ぶことができるのではないかと思う。翳と業のあまりの深さにむなしくなるが。
『人質』まさかの総出演作。ご丁寧に登場人物それぞれの登場話まで記されている。彼らの「その後」は原則的にほっとした。移入した感情を、きちんと発散させる構成はおもしろい。人質たちがトイレの窓から落とす手紙、という形式で、最後まで手紙物語をつらぬく姿勢はすてき。この本は、あくまでも「手紙」が動かす物語。凝りに凝って、最後の「会話」も筆談の記録という構成。すばらしい。徹底に努める意識と美学とその実践はまさにプロフェッショナルだと思う。犯人の動機と要求は胸にしみた。人情譚の極意ここにあり、という印象。温度感が絶妙と思う。「探偵」役の推理も見事だった。姉を想う弘の執念はすさまじい。女のうそとちがい、男のうそが歴とした「犯罪」にカテゴリされる点もおもしろいところ。男は歴史を記し、女は物語をつむぐ、とだれかが書いていたけれど、同じ「うそ」でもふたつの意味はずいぶんちがう。心おどるエンターテインメント性の裏で、ひそやかに暗示される世のすがた、人間の本質に感銘を受ける。
 純粋な気持ちで出会えてよかったと思える本。すてきな時間を過ごせた。

<フリートーク
【構成について】
F:「プロローグ 悪魔」。こんな絵に描いたような裏切りを最後に持ってこられると作られた話だと感じてしまう。あまりにえげつなかった。
A:今流行りのエッセイ漫画に出てくる不倫する男と同じような手口ですね。
F:今もあるの?
A:そういう実話風の作品、よく読みますね。
F:何にせよ「エピローグ 人質」はとってつけたように感じた。
A:聾唖者の木堂先生は探偵役になるためのキャラクターですよね。どの時点で全部の話を繋げようと思ったんだろう。苗字や名前が同じでも、たぶん関係ない人もいるし……。
E:連載のときは「プロローグ」と付いていなくて、途中で思いついたのかも。エピローグがないと各作品が繋がっていると気づかない人もいる。
A:「里親」「鍵」の「和子」も別人だろうけど、名前が被ってるんですよね。
E:井上ひさしは失敗に気がついて巧く進めている。
B:現実にも同姓同名の人はいるし、意図的に被せて真実味を出そうとしたのでは。
E:仙台で多い苗字(工藤やショウジなど)を使っていたら仙台に縁のある人はそう思ったかもしれないが。
工藤姓は工藤祐経がルーツ。個人的にはそんな歴史的なことも盛り込まれていたら、もっと面白かったかな。

【手法について】
A:とくにエンタメを書かれる方にお訊きしたいのですが、「赤い手」はどうですか?
E:思いつく人は多いけど、実際に書こうとしたらなかなかできない。「玉の輿」の、手紙の書き方の例文で作品を作るのも。井上ひさしはアイデアを温めていたと思う。
B:広く言うとモキュメンタリーの手法かな。それらしく作る。手紙より、上手くハマると効果的。
E:以前、領収書や請求書だけで小説を作ろうとしていた人がいたが、失敗していたと思う。
B:名声のある人が一作だけやるから許される。
E:良い子は真似しちゃダメ(笑)。
A:うすた京介武士沢レシーブ』という漫画の最終回で、ページが足りないから冒頭~ラストシーンの間を年表で飛ばして……っていうのがあって(笑)。1回しか使えない手法ですよね。

E:「ペンフレンド」と「泥と雪」では同じ手法を2回使っている。「シンデレラの死」「隣からの声」も相手がいない、または相手を自分が演じている。自分で自分の物語を作った。書き手(登場人物)が信用できない。
F:「シンデレラの死」、可哀そうですよね。
B:私は一番可哀そうだと思わなかった。立て直せるし、死ぬ必要はなかった。他の登場人物は外的要因だが。
E:こういう人の境遇を書いた。
D:「シンデレラの死」というタイトル、いいですよね。
E:彼女はシンデレラじゃなかった。
D:日付順にイロハに並んでいるけれど、㋭と同じ日に㋬が来て。困ったことがあったんですよね。
F:夢に縋らないと生きていけない。一人でこういうこと書いて。可哀そう。
E:警官は学校に送るんですよね。余計なことだけど、そうしなければ物語が終わらない。読者のために種明かしをする。
B:警官の手紙の書き方がひどい。「(大劇団から引き合いが)全然こない」「まったくの弱小プロ」……。
E:作者がわざとそういう手紙を書かせている。
A:わからないまま終わらせないというサービス精神を感じます。
F:『新釈 遠野物語』もそう。読者に対して誠実。

E:手紙らしくない。嘘臭さがあり、読者は「何か始まるぞ」と思う。
F:どれもこれも臭みがありますよね。
E:わざとにおわせている。綺麗に読んでもらったら困るから。

【その他】
C:私は手法や技巧という読み方ではなく、井上ひさしという作家はどういうことを訴えたかったのか、どういう人だったのか興味がある。
F:井上ひさしが元妻と裁判になっていたのを覚えている。
A:別の読書会では、幼いころ孤児院に預けられるなど転々としていたから、弱い立場の人に寄り添う視線があるのでは、との意見が出た。

B:「赤い手」のマリア・エリザベート。あの時代の日本にカナダ人はいるのかな。
A:公文書という設定だから作品中では実在しているのだろうけれど、現実の日本ではどうなんでしょうか。井上ひさしは孤児院にいたことがあるので、その辺りは正確に書くのでは。高校や大学も実在の学校を使っているし。
E:修道院や学校は残っていた。聖ドミニコ学院は戦前からあった。作中のドミニコ修道会に近いのかな。外国人がいた雰囲気はある。
F:戦後間もない広島を作品に書かれた方がいて、その中に牧師さんが出てきたので、残っていた人もいるのでは。

B:「桃」。「(桃の栽培は)山形・宮城以北では無理」という文章があったが、今は秋田の北の端(鹿角市)で育つような桃がある。
E:お金がついたから(笑)。
B:その村の桃、今だったら女子高生が食べた桃、って売り出せそう。
A:SNSで話題になりそうですよね。

C:やはり昭和を感じる。
F:昭和はよかったというけど、経済成長の中で働く男性は人の心を失くして、奥さんは泣いていた。あれがよかったかはわからない。
A:今は育児をする父親も増えてきましたね。
F:そのぶん収入は減るけれど、子育てを一緒にできるのはいい時代だと思う。
C:バブルのころの価値観の一つに、「いい大学に入って、結婚して、家庭を築いて……」というものがあったが、当時学生だった私は反発を感じていた。現代でいうと贅沢かもしれないが。
F:女性は「売れ残り」と言われるから、こぞって結婚した。しなくてもいいのに。
A:今は大学を出て、いい会社に入ってもずっと勤められるかわからない。年金も貰えるかわからないし。
E:年金は税金なんですよ。積み立てと錯覚させてしまったのが失敗のもと。税金にしてしまえばいいんです。
B:理不尽だから文句を言っています(笑)。払って橋の建設なんかに使われるならいいけど。
E:橋も理不尽ですよ。
B:橋は受益者がいる。
E:でも年寄りにとっては理不尽。
制度は理不尽なものなんです。公平だというのは錯覚。年金も積み立てだと勘違いを煽り立てる人がいるから、多くの人が「払うと損をする」と思ってしまっている。税金は払っているにも関わらず。払わざるを得ないのが年金なんです。そういうふうにならないと政府は成り立たない。年金のような手厚い制度があるのは日本くらい。ノルウェースウェーデンのように消費税20%払えば違うかもしれないけれど。消費税は上げない、年金も出す……だから成り立たない。

 

井上ひさし『十二人の手紙』はR読書会でもテキストになりました! 読み比べたら、メンバーが変わると、出る意見も変わるんだなとわかって面白いです。