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R読書会/Zoom読書会

『熱帯』森見登美彦(文春文庫)

Zoom読書会 2022.05.29
【テキスト】『熱帯』
      森見登美彦(文春文庫)
【参加人数】出席4名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者D)>
◆(作中にコーラの自動販売機が登場するので)今日は缶のコーラを飲んでいます(笑)。
※前回、作中にレモネードと葉巻が登場する作品を扱ったときには、レモネードを飲んで葉巻を吸っていた。
◆読書会に参加し、初めて推薦者になったとき、この本にするか『ダーティホワイトボーイズ』(スティーヴン・ハンター著)にするか迷った(結果、そのときは後者を推した)。
森見登美彦はもともと好きな作家。独特の雰囲気、とぼけた雰囲気のライトなエンタメ作品を書いていたが、この作品は毛色が違う。凶悪なくらい、めんどくさい構造をしている。
◆読書会がモチーフの1つ。それを読書会で語ることでさらにややこしくなる。
◆本や物語、読書会など、創作者に刺さる部分が多いと思い推薦した。

<参加者A>
◆読み始めはすごく面白くて楽しく読んでいたが、途中でしんどくなった。回想の中の回想など、入れ子式の構成が読みにくい。ハマる人とハマらない人がいると思うが、私は途中で弾かれた。
◆最初は噛みつくくらいの勢いで読んでいたけれど、流れが遅くなってくる。核心に迫らない。私はカフカ『城』もだめだった。辿りつけそうで辿りつけない。周辺をうろうろして迫らない。核心が何かもよくわからない。そんな作品が苦手なのだろう。
◆絶海の孤島に、魔女やいろいろなものが現れることに吸引力を感じなかった。熱帯を知ってみたい、確かめたい、と思わなかった。私はすごく悪い読み手だった。
◆白黒はっきりして核心に届く、単純な話じゃないと、私はしんどい。

<参加者B>
◆読み終わって「なるほど」と思った。今読んでいるこの本が作中の『熱帯』(佐山尚一が書いたほうではなく、森見登美彦が書いたほう)なんですね。とか言うと、何言ってるかわからないんですが(笑)。
◆前半の途中で白石さんの心の声が関西のおっさんみたいになるところが何ヵ所かあって(P53「これはこれで心が安らぐわい」、P79「どうも私には単純なところがあるわい」など)、絶対それ意味あるんだろうなと思っていたから納得した。これ、森見登美彦が書いてる話ということになるのかな、という予想は少ししていたので。
◆すごく複雑な構造を持つ作品を、敢えて意図的に作ったのだなと思った。
・まず、『千一夜物語』のような入れ子構造。物語の中で物語が語られ、さらにその中でも物語が語られる。
・次にループ構造。熱帯の海でループしている佐山。ネモ君も、シンドバッドも、学団の佐山も、全部佐山でいいのかな。(これは登場人物・佐山のループなので作品構造に含めていいのかはよくわかりませんが。)
・そして、2つの世界が回転扉みたいになっているところ。熱帯から帰って、民博に勤めている佐山のいる世界が、私たちの世界ですよね。
回転といえば、回転するレストラン(銀座スカイラウンジ)が第二章に登場するのが象徴的。すごく計算された作品で、設計図を見てみたいと思った。
◆少し残念だったのは、第三章までは貪るように読んでいたのに、第四章で(私自身が)ちょっとスピードダウンしてしまったこと。話が見えなくなって……。長谷川や、老人でないほうのシンドバッド(P497)が登場したところで「そういうことか」と思ったのだが、やや冗長に感じてしまった。もちろんこの長さは構造上必要なのだろうけれど、ここで挫折した人もいるのではないだろうか。
◆後記まで読み終えたとき、頑張ったご褒美みたいなものを感じた。
◆個人的に好きな登場人物は図書館長・今西さん。どの世界の彼もいい。
◆気になるのは、向こうの世界の面々(中津川さんや新城さん、向こうの世界の白石さん・池内さん・千夜さんなど)の結末が書かれていないこと。それも計算ずくなのだろうか。気にすれば熱帯に誘われる、という。
Sound Horizonが好きな人はかなりツボに入るんじゃないだろうか。地平線とか、世界を創造するとか。サンホラ解析班であるMさんの欠席が惜しまれます……。
◆Dさんも仰ってたように、読書会で、読書会の出てくる小説を取り上げるのも入れ子っぽいですね。不思議な読書体験をありがとうございました。

<参加者C>
◆私は第四章、第五章がすごく面白かった。第三章までとの関連を考えてしまうからよくわからなくなる。第四章から(独立した作品として)読んだら面白い。
◆(第四章が)最初だとすれば普通の物語の出だし。第三章の続きと思って読むから「なんだこれ」となるが、第四章はそういう話ではない。伏線やテーマを抜きにして流れに身を任せて読めばいい。脈絡はないけれど場面場面が面白い。ルイス・キャロル不思議の国のアリス』みたいに。
入れ子構造になっており、物語の中で物語が始まるので、流し読みしてしまうと誰が喋っているのかわからなくなる。また、栄造さんとは誰だったかなど、登場人物についても混乱してくる。しかし混乱しても構わない。それなりについていける。誰が主語かを抜きにしても読めるし、楽しめる。頭の切り替えが必要かな。(この小説は)普通の小説の読み方ではだめ、というのが私の感想。
A:読み方があるんですね。私はテーマとかが見えないとしんどくて。
C:三章まではそう読め(普通の読み方をしろ)と書かれている。四章以降は「ついてこれるかな?」みたいな。
B:我々の頭が固いんですね。普段からストーリーやテーマに沿って読んでいるから。
高校生直木賞を受賞した作品なので、高校生なら柔軟に楽しめるのかも。
C:第160回直木賞の候補にもなっていますね。選評を読んでみたい。
◆島の向こうに何があって……みたいに、綿密な地図に基づいて書かれているのがわかる。
◆流し読みしたので細かいところはついていけないが、構造分析してみると面白い。
やっぱり第一~三章で放り投げられ、そこで終わっている。(第四章から)頭を切り替えて入っていけばどうですか、と、これから読む人に伝えたい。
◆(佐山が)戻って来た世界が、前の世界とずれているところがなんとなく面白い。
◆学団の男たち全員が佐山尚一だったのに笑った。シンドバッドとネモ君が入れ替わっている。語り手も輪廻みたいに同じ体験を繰り返している。読み慣れたらついていける。この辺りも細かく読み取れたら面白いだろう。
◆ただ、私はもう一度読みたいとは思わない。

<参加者D(推薦者)>
◆『熱帯』が、森見登美彦のほかの作品に比べて好きかというと怪しい。でも、この作品が一番読書会向き。
恒川光太郎『夜市』みたいな作品を書きたかったのだろうか。『夜市』のほうがすっきりしているが。
◆『熱帯』には森見ワールドのキャラクターが登場する。芳蓮堂のナツメさん。彼女が変な世界に放り出されるのは納得。
◆私の中の読みどころは、いらんことしいのシャハラザードのせいで、世界そのものと分離され、会えなくなってしまった人たちの悲劇。
◆最初の半分と、後編の半分の分離は意図的。Kindleで読むと、50%になった瞬間後半になる。
前半が森見登美彦の『熱帯』、後半が佐山版の『熱帯』。前半は雰囲気づくり。
◆登場人物の中で切実な動機を持っているのは千代さん。
◆ある種、怪談っぽい。読んだ人のもとにシャハラザードがやってくる。
◆ニューロファンタジー作品(という、検索しても出てこないくらい、ささやかなムーブメントが以前あった)。神経症的な。今までの人生とは縁を切って、自分の頭の中で生きていく。
◆前半は、佐山を巡る人間関係を追って、京都の街を巡る。読書会に向けたファンタジーとして、この作品を推薦した。空気感を味わってもらえたら。
A:この空気感を好きになれるかどうか、ですね。

<参加者E(提出の感想)>
 漂流物語。多くの同モチーフとはちがい、人のみならず「本」が漂流。読後感は心地いい。ラストの印象だけで語るなら、物語のテーマは「失われたものとの再会」だろうと思う。だれかに紹介する場合なら、「最後まで読めない本」の話となるだろうか。
 この作品はジャンル分けが難しいが、SFの色合いが濃く反映されていて、本も人も、時空間だけにとどまらず次元を越えて「漂流」する。いわゆる平行世界の概念が取り入れられている。構成と構造が奇抜なお話。視点も作中時間もころころ変わる。ときにはメタ要素が加わってさらに入り組んだ構図になる。回想のなかで回想がはじまったり、作者・森見自身も含めた主要な語り手たちがひっそりと消えたまま回収されなかったりと、「小説」としてはなかなか特異で自在な構造になっている。
 これをルール違反とみるかユニークとみるかは読み手の裁量しだいだろう。物語としての根本というかテーマがつかめないパートがつづいたり、似たようなモチーフ、そして定型の文章がくり返しでてきたり、語り手がつぎつぎに不在になったり、同じような文章表現(黒々とか冷え冷えとか)が流行りみたいに、一定パートで何度もなんども使われていたり、読者自体が「漂流」する場面展開が多く、息がつかえやすい作品であることは疑いないかなと思う。けれどもけっして、難解な読み物ではないだろう。まるでミステリ作品のように、作中のあちこちには読者に対するヒントというか、作品に接するためのガイドラインのようなものが多く設けられているように思う。
千一夜物語』『ロビンソン・クルーソー』『不思議の国のアリス』『海底二万里』などの名作の名前が幾度も登場するのもそのためだろう。作品の底本を折に触れて強調することで、読者に作品がたどろうとしている「道」を示し、もって迷子――文字の海に漂流しないよう配慮されているのだろう。(佐山が虎に変身する前は、ご丁寧にも『山月記』の名があらわれる)
 とくに『千一夜』の反映といったらすさまじい。作中、この本(「ふたつの意味での『熱帯』という意味で」は「千一夜の異本」であるとはっきり示されているくらい。そうすることで作者はきっと大義名分を手に入れたのだろう。語り手がころころ変わったり、回想から回想に入っても、「偉大な名作」に前例があると明示しておけば、保守的な意見をひそやかに抑制できることになる。(保守的思考者というのは、たいてい前例があればしぶしぶ矛をひっこめるもの)
 物語の冒頭で、作者自身(森見)の言葉として、「書くことがない」となんどもぼやくが、それは、もしかしたら、作者の巧みな誘導術――「新作を書くための」情熱をともされた作品として登場した『千一夜』は、じつのところ、特異で自在な構造を正当化するための戦略だったのかもしれないし、また、ほんとうに心の声だったかもしれない。どちらにしても、この作者はなかなか曲者であると思う。「読む人によって内容が変化する本」と説明される「熱帯」は、メタ視点としてのみならず、森見登美彦が描いた『熱帯』としての定義というか立ち位置の説明だったのかもしれない。

 物語の「舞台」は大きく分けて3つ。ひとつ目は冒頭から池内氏が行方不明になるまでの世界A。つぎに池内氏の手記として語られる佐山の異界。さいごに佐山視点で進行していく世界B。それぞれの世界を読者が読み進めていく熱源はちがうかなと思う。
 Aはシンプルに「謎」が動かしている。「最後まで読めない本の謎」「ころころ変わる視点・消えていく語り手たちの謎」(作者も含めて)、そして、この作品はいったいどこへ向かっているのか、という謎。(紹介者のDさんは「謎」に重きを置いている)
 異界にもやはり謎がはたらいているが、この部分はそれ以前に冒険譚として十分に魅力を持っているから、それ自体が読むための熱源になっていると思う。世界Bを動かしているのは「解題」だろう。読者はようやく、物語の全体像と対面できる。
 AとBは文化レベルや町のつくり、そこに暮らす人物たちの様子から、分岐してさほど間もない平行世界の関係であることがうかがえる。AとBをつないでいるのはもちろん「異界」で、訪れた佐山もまた両方の世界をつなぐものとしての役割を持っている。
 異界は原則として魔法のはたらくファンタジー世界のように描かれているが、自動ドアや冷房、自販機、ロープウェーや近代的なビル群、銭湯の煙突までもが混在したあまりに奇々怪々な世界観を持っていて、その自由さというか独創性、型破りさ、奔放さには心がおどった。異界の人物たちが若がっているのは、それを見ている佐山の視点、つまり「当時」の再現に他ならないからだろうけど、さらに考えを深めると、それは佐山の内的世界、精神世界と呼べるものであり、「それ」が「異界」としていつまでも保存されている作中世界の懐深さにはあたたかい救いがあるように感じた。反面、「浮き沈みする島」「にせものの神羅万象」など、無常観をさそう表現も多く、個人的に強い感銘。
 そこでの体験や心象を記したものが「熱帯」という本であり、佐山とこの一冊の本だけが、AとBを漂流する。
(佐山はどうやら一方向のみの移動にみえるが、本の方はそうであるとは断定できない)(A世界で佐山は「表面上」消えている。しかし本はどちらの世界にも存在している)
 よく、ことばや物語は生き物のようだと譬えられるが、この作品の背景にもそのような考え方が敷かれているのではなかろうか。「けっして終わらない物語」作中のことばを使えば「東洋と西洋の間を往復しながらふくれあがっていく物語空間」という『千一夜』はまさに生き物のように成長あるいは変容していく。この生き物は、少なくともうちの国では「はざま」の存在であるように思われ、そのいわゆる「境界性」が、同じようにあっちこっちと揺れ動く若者の心に同調しやすかったのかなと思う。物語の構造のみならず、構成としてもこの作品は境界的であると思う。「現実」に根をおろした写実的な物語と、「魔王」や「魔女」が登場するファンタジー世界が奇妙なバランスで同居している。しかもそれらはそれぞれ関連している。作者はこれらの温度差に不自然やほころびが生じないよう、慎重そして丹念に伏線を張っているように感じた。はじめに「栄造」が登場したとき、このひとが「魔王」だなと読み手にすぐに悟らせたのは分かりやすい例だと思う。
 また、世界AとB、それから異界の三世界に共通して登場するアイテムの数々も巧妙だった。これはミステリの要素かなと思う。(アイテムの配置と用い方の巧みさは、「異界」の「ノーチラス島」のエピソードが縮図の気がする。佐山の腕、ヤシの木、牛乳瓶と一見つながりのなさそうなアイテムを有効利用)
 まるで聖書の句のように、おなじことばが作中なんども登場する点は個人的におもしろい演出だったが、それらのことばも「アイテム」としてみてみると、ひじょうに巧みな配置と用法だったかと思う。
 表面上は好き勝手にうねって見える物語の波間に、じつは不動の浮きのようなものが用意され、それをたどりつつ、読者はそれぞれ想像力をゆたかに広げることができる。本を読むたのしみのひとつだろう。佐山という男の境界性、中間性もまた読者の胸をひきつける魅力のひとつだろうと思う。彼はおそらく「じぶん」と自覚が限りなくうすいのだろう。現実に足をしっかりとつけている雰囲気がとぼしい。じぶんも含めたあらゆることを客観していて、とくにこれといった執着もなく、じつに危ういバランスで生きている。しかし彼は夢想がゆたかで、即興で自在におはなしを創作する。あきらかにボーダーの特徴を有しているように思う。その特質が、「異界」での彼をさまざまに変容させたのだろう。
 彼は「だれでもない」がゆえに「だれにでも」なることができる。少なくとも異界――、あるいは空想世界では。創作を行うものには欠かせざる素質だと思う。
 物語の構成や構造の奇抜さと同様、この佐山という主人公もまた、創作を志すもの、あるいはモラトリアム期間にあるものにとって、いたく共感できる人物であるかと思う。そんな彼が強い想いで執着したのがカードボックス=魔法、または夢であったことは興味深い。「異界」内でなんどもお目見えした魔術の正体が「想像力」「空想力」であることは人生の深い知恵が暗示されているように思う。(A世界での白石と千代における「サルベージ」もすてき。瞑想的な空想によって既知の幻想をよみがえらせていく、というのはいい)
 よく考えたら、「ある日すがたを消す本」といい、ホウレン堂の「冬のひまわり」や「予言書としてのカードボックス」「図書館での失踪」といい、A世界には魔法の力があちこちにはたらいて興深い。「失われた世界」=若さゆえの魔法や底知れない夢想力を寓意として演出しているようで個人的に好きな点。
 佐山と栄造の関係も示唆的。千代という魅力的な女性を中心にすると、男と父の構図になる。千代を排せば師弟の関係に近くなる。「異界」でいえば、彼らはほとんど同一であり、ふたりだけが「ひみつ」を共有しているところも心惹かれる点。今西という補完的な友人の存在もふくめて、彼ら軸となる人物たちの相関は寓話的に意義が深いように思う。そして、象徴としての月、どの世界でもしずかにかがやく月のひかりは個人的に感銘を受けた。

 情景描写にも胸を打たれた。作者の詩情はすばらしい。凝った装飾は一切使わず、息の止まるような美しい情景をたった数語で描き出す。比喩も巧み。前回のDさん紹介作品同様、今作もまた、水彩のような淡い描写のかずかずに恍惚とした。
 また、京都が深く関係した物語だったことが個人的にとても効いた。あの街はぼくの生まれた場所であり、そしていわゆる修行時代を過ごしたところ。街の雰囲気だけでなく、においや息遣いすら聞こえた気がして快い郷愁にひたれた。京阪線の駅が「祇園四条」になっていて戸惑う。時代を感じた。関西弁が排除されていたのはちょっと悲しかった。
 そういえば、世界AとBにはもうひとり共通した人物が登場する。いうまでもなく、森見登美彦という作者そのひと。(もっとも、B世界では名前だけだが)作者自身のユーモラスであけっぴろげな語りではじまったA世界――作品冒頭と、むこうの世界から漂流してきたであろう一冊の本の作者「森見登美彦」と示すことで幕を下ろすこの物語の構図は、あらためて考えてみるときれい。「未完」というループではなく、「出版」という一歩進んだかたちになって本が登場しているところもまたおもしろい。(作者はよっぽどつかみどころのないひとなのだろう。あるいはそれを売りにしているひとなのだろう)
 このお話は、他でもない作者個人の回想譚と読むことができるのかもしれない。
千一夜物語』の世界を色濃く反映した「異界」のエピソードは、学生時代の、若かりしころの作者がたびたび夢想していたおはなしか、あるいはノートに書き留めていた処女作のようなものだったのかなと、そんなことをふと考えた。佐山は森見そのひとだろう。
「異界の群島や人物」がすべて「佐山の死骸」からつくられたという表現は、その意味ではとても奥が深い。「この世界は夢と同じもので織りなされている」という表現も。そうなると、「創造の魔術」の原点が「思い出す」ことというのは本当に意義深い。また、夢として時間退行していくことでつながっていく「物語」という形式もまた魅力。「つねにここではないどこかを憧れている男」ロビンソン・クルーソーにじぶんをたとえた作者森見の若い日々の気持ちを想像すると胸つまる。彼もまた、ひとりの異邦人だったのだろう。世界AとBでヒロインである千代の雰囲気が変わっているのは(いくら時の経過があったとしても)、ぼくにはとてもおもしろい点だった。
 いずれにせよ、どんなかたちを持った本でも作者でも水のように受け入れてくれる文学のふところの深さがうかがい知れる。そういう意味で、創作を志すものには希望と勇気を与えてくれる作品かなと思う。「何でもないから何でもある」は胸に響く。もっとも、奇抜なことをするためには、それ相応の手はずを整えなければならないという、あまりに冷ややかな警告と手本が示されていることをまず第一に肝に銘じなければならないだろうが。

<フリートーク
【最後まで読んだ/観た、ご褒美】
B:読書会の前、Aさんとやり取りしてたら「読むのが大変」って仰って。私はそのとき、最初のほうしか読んでなかったから意外だった。で、第四章まで読み進めて「なるほど」、と。
結果的には最後まで読んでよかったと感じたが。映画「カメラを止めるな!」(2018年)で30分で席を立った人がいる、という話を思い出した。
A:カメラを止めるな!」の前半部分は稚拙なゾンビ映画ですよね。でも、最後まで観るとご褒美が待っている。途中で脱落する人はいるだろうなぁ。

【後半(第四章以降)について】
D:ネモ君が佐山というのに、後にならないと気づかない。
C:(第三章の続きだと思って)普通に読んだら池内の話だと思う。気づくのはしばらく読んでから。池内が佐山を主人公として書いた手記としても読めるが。
B:徹底的に読者を惑わせてきますよね。
C:(読者が)どの辺りで慣れるか、だと思う。向いてるか向いていないかじゃなくて。慣れるか、途中で放棄してしまうか。謎解きが最後にくると思っている人はがっかりする。(向こうの世界の)白石さんも出てこないし。
D:思いました。最後は森見登美彦がいる読書会に(話が)戻ってくるのかなと。
B:私は後記が始まった時点で諦めた(笑)。
C:普通の小説の書き方ではない。
A:この間、同人誌の内部合評で、額縁小説だけど最初のシーンに戻らない作品を、ラストで最初と繋げたほうがいい、と言ったけど、もっと自由に書いてもいいのかも。
D:森見登美彦だから許された。プロでも新人がやったらボツになる。応募作品の回想の中で回想が始まったら、問答無用で落選させる編集者もいるそう。
C:夢野久作ドグラ・マグラ』とか、なんのこっちゃという話を読んでいかなければならない。でも評価された。苦手な人は苦手。
B:読書会のテキストにしたら、「キチガイ地獄外道祭文」の辺で脱落者続出しそう(笑)。
でも今回の読書会で、私は頭固いなって思いました。
C:大人は理屈で読むじゃないですか。子どもは場面場面で喜ぶ。そういう読み方もあり。ついていく読者があるかどうか。
D:カート・ヴォネガットスローターハウス5』という作品はプロットが飛びまくって最後はぶつ切り。しかも、ちゃんと予告してる。そういう作品もある。
C:上田秋成雨月物語』も雰囲気はいいが、筋を考えると「?」となる。古典だと『今昔物語』もそう。
B:堤中納言物語』の「虫めづる姫君」なんか「続く」で終わってますね。
C:とりかえばや物語』なども自由な発想で書かれ、多くの人が読んでいる。
私たちは現代小説に慣れて、読み方が狭まっているのかもしれない。
D:『熱帯』はバチバチに尖った企画。明瞭な意図で逸脱している。
C:第一章から第三章はネットに公開されており、そこで終わっていた。作者の行き詰まりでは。冒頭、作者の悩みが書いてある。第四章以降は頑張って追加してまとめたのかも。
D:帰ってくるのも再帰的でいいですね。
C:前半と後半の間の、編集者とのやり取りが気になる。
D:第三章までの『熱帯』と、第四章からの『熱帯』は違うもの。
C:第三章までで、普通にエンディングまで持っていくと、普通の小説になってしまう。
A:第三章で行き詰まった説、説得力がある。結論が出ないから毛色の違うものを書いたのでは。
C:第三章までのカードボックスと四章以降のカードボックスも違うものかもしれない。第四章以降は、最初の構想とは違う展開にしたのではないか。
第四章は、口から出まかせみたいで面白かった。まとめに入っていくと「あー」って。

【自由な発想で作品をつくることについて】
B:佐山がたくさんいるってところは『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイを連想した。あと、物語の舞台がイレギュラーな存在のない世界へ移った、というところは漫画『ローゼンメイデン』を思い出す。近年のサブカルでも見られる要素があるから、若い人は受け入れやすかったのかな。
D:ループものでは『カゲロウデイズ』も流行りましたね。
A:私は村上春樹騎士団長殺し』の、小人が絵から出てくるところで無理だったくらいで。『熱帯』の、佐山尚一がいっぱい、というのも受け入れがたい。
C:読み手が試されている。
A:Cさんは論理的に話されていると思いきや、間口が結構広い。ライトノベル的な作品も受け入れられている。
C:以前、読書会で取り上げた阿部暁子『室町繚乱』ライトノベル寄りの作品。登場人物の台詞が現代風で読みやすい。
たとえば台詞で「ござる」とか書いたら面白くない。歴史小説でも、柔らかく普通に書いたらいいのにと思う。ラノベ要素を取り入れると読みやすくなる。
日本史の漫画も、小和田哲男先生など、しっかりした人が監修している。
小説も、従来のパターンから脱却したほうがいい。同人誌で実験的に、自由な発想でやってみるとか。
A:読者層が変わってきていますもんね。