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『アヒルと鴨のコインロッカー』伊坂幸太郎(創元推理文庫)

Zoom読書会 2022.09.18
【テキスト】『アヒルと鴨のコインロッカー伊坂幸太郎創元推理文庫
【参加人数】出席7名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者H)>
◆私が推薦したい本のリストがあって、その中から消去法で選んだ。
◆結構前に読んで面白かった作品。私はエンタメ畑の人間なので、手の込んだプロットを見ると、エンタメは楽をして書けないと感じさせられる。同じように物を書いている人に響くのではと推薦させていただいた。

<参加者A>
◆青春テイストが入っているミステリー。そのあたりは王道という感じだが、現在と過去が順番に語られる構成が特徴的。絶対に叙述トリックがあるぞ、と注意して読んだ。
◆現在の「河崎」がドルジだということは、容姿の描写などから早い段階でわかった。二年前の河崎は中性的な美形で、現在の「河崎」は男らしい外見のようなので。ちょっと見え見え感があったのが残念。京極夏彦のある作品を思い出した。
映画で、このトリックをどう描いたのか気になる。
◆河崎ことドルジの動機が琴美の復讐と言うのもなんとなくわかった。私は琴美に死んでほしくなかったけれど、現在のパートにいないので、もういないんだろうな……と辛かった。
◆本物の河崎が死んでいたのは意外だった。アホだけど魅力的なキャラクターだと思う。
◆ラストが椎名の章で終わっており、まとまりがいいのだが、琴美の死ぬ間際のパートで終わっても良かったと思う。私の好みもあるが、ロッカーに神様を閉じ込めるくだりで、「このあとドルジは……」と考えてしまって集中できなかったので。
◆タイトルはいまいちしっくりこない。神様を閉じ込める……みたいなのとか、ボブ・ディランにまつわる何かのほうがよかった気がする。
◆エンタメに振り切っているというより文学の匂いもする。いい悪いではなく。どちらが上とかないと思っているので。
◆いいと感じたのは麗子さんの変化。最近読んだ別の小説で、冒頭で痴漢を見て見ぬふりをした人が、最後のほうで痴漢から女性を助ける展開があって。物語の始まりで人に興味がなかった人は、物語が進むと人に関心を持つようになるんだと思った。

<参加者B>
◆椎名が引っ越してくる場面で、不気味さや重苦しさを感じた。一〇四号室は不吉だから作らない、蜘蛛の姿、米軍が消滅、黒猫、堂々たる裸婦のような桜の木、黒い服のドルジ……。ゴシック(退廃的)なものをイメージさせる描写が多い。新生活への期待より不安が大きいのかな、と思った。
ワインもキリストの血を連想させる。ここで椎名と「河崎」の間に契約が成立したと感じた。
全体として文章に死の気配が漂っていて重い。
◆名前も意図的。椎名は「粃(しいな)=中身のない籾」を、麗子は「幽霊」を連想させる。『陽気なギャングが地球を回す』でもそうだったように、伊坂幸太郎はキャラクターと名前のイメージを合わせている。
◆舞台が東北でありながら、ゴシック的な幽霊や人形、黒などの言葉を多く用いており、軽妙な文体だが重さを感じる。何故かと考えたとき、この作品が刊行された2003年は、(2001年に)アメリ同時多発テロが発生したあとで――バブル崩壊以降からそうだったが――世間が持っていた死の気配や不安が、作者にもあったのではと想像した。
ドルジを造形したのも、「海外に目を向けなければ……でも怖いな」という想い(世界に目を向けなければならない漠然とした不安)の現れかもしれない。だから、見た目は日本人に近いブータン人という設定を選んだのではないか。
外国人と仲良くなっても心の底からは信頼できない……そこに自分の世界と、外の世界の相克があるのかな。

<参加者C>
◆一読して、アメリカ文学の香りがする文体という印象を受けた。伊坂幸太郎クエンティン・タランティーノ監督に影響を受けたと明かしているが、アメリカ文化が好きなんだな、と。
◆面白く読んだ。たとえば椎名と大学の同級生の会話「外人って何か嫌やなあ」という記述。コミュニケーションにおいて、自分のことを理解していない人間は嫌いなのか考えさせられた。
◆おそらくキャラクターありきで作られた作品。批判ではないのだが、キャラクターが凡庸でステレオタイプな気がした。
推理小説やエンターテイメントには詳しくないが、カットバックの技法は見事なのかなと思った。

<参加者D>
◆読後感がすっきりしない。私はハッピーエンドが好きなので(ハッピーエンドじゃないからだめなわけではない。ミステリーだから誰か必ず死ぬ。琴美が死ぬのも、そう持ってくるんだ、と思った)。後味がよくないから粗を探した。
◆なぜこんな構成にしたのか理由がある。小出しにしているということは過去と現在がリンクしているということ。
◆中盤、「現在」で麗子さんが登場したとき、河崎(ドルジ)が「麗子を信じるな」と言った場面で、本物の河崎ではないと思った。
◆「河崎」は河崎ではないと思って読んだが、麗子さんは二年の間に変化していると感じた。
◆Cさんがおっしゃったように、河崎とドルジはキャラが立っているけど他が薄い。椎名はぼんやりとした18歳の男の子としかわからない。作者の狙いかもしれないが、そこがすっきり読めない。
◆258P「男らしくない、じゃなくて、人間らしくない」と言い換えるのがポジティブで面白いシーンだと思った。このあたりが一番面白く、さくさく読めた。結末へ近づくにつれて辛い展開になる。
◆私もタイトルが引っ掛かった。アヒルと鴨はともかく、コインロッカーが取ってつけた感。「風に吹かれて」とか、音楽の名称のほうがしっくりくる。最後にコインロッカー……全体的に読後感がすっきりしない。
◆全体を通して読みやすかった。久しぶりに時間をかけながら読めた。薦めていただいてよかった。

<参加者E>
Kindleの読み上げ機能で読んだ。紙媒体で読むのとだいぶ印象が違うのかなと思った。
◆個人的な話だが、現在、犬の介護をしており忍耐の限界。私は犬も猫も大好きだし、なんで犬の介護しているときに動物虐待の話を読まなあかんねん、と感じたが、辛い部分でも、読み上げてくれるので最後までいけた。
伊坂幸太郎の作品を読むのは『残り全部バケーション』に続いて2作目。私は乾いた文体というかエンタメ的な文体が苦手で、ポエジーを感じられる純文的なものが好き。この作品も最初はパサパサ感じ、苦手だと思って聞いていたが突然目が覚めた。死の気配、河崎=ドルジ、琴美が死ぬ……伏線に気付いていなくて3回くらい聞き直した。そこから面白くなった。人が死ぬ作品は好き(人が死ぬのが好きなのではなく、消えていく寂しさでしっとりしているのがいい)。どんでん返しと読めたし、ドルジは犬をかばって死ぬし、伊坂幸太郎は動物が好きなんだと思った。
◆私が退屈していた部分が全部伏線。それを回収していく。残り三分の一くらいですべて回収され、叙述で騙された爽快さが残る。最後まで読めてよかった。

<参加者F>
◆それなりに面白かった。
伊坂幸太郎については『残り全部バケーション』を読んだとき、仕掛けを張り巡らせる名手だと思った。あちこちに伏線があり、やりすぎの面もあるかも。そういうものだと思えば楽しめる。
◆犬や猫に対して残酷だから読むのが辛い人もいるかな。動物が死ぬのは嫌だが、人が死ぬのはいい……殺人事件を扱うミステリーの場合、人が死ぬのは当然でありゲーム感覚で読めるが、動物が死ぬのは慣れていないから気になる。それが作者の問いかけであり、敢えて逆にしたのでは。切実に感じなければならない死はどちらなのか、面白かった。
◆琴美が手足を切断されて死ぬのではと思わせておいて、そうならなかったのでほっとした。小説の書き手としては上手いのか。
でも、読者をほっとさせず、残酷でも納得いくようにまとめられないものか。車に轢かれるのは悲しくないのか。そのあたりに、もうひと工夫あったほうがいい。
◆舞台は仙台。4年間、仙台で暮らしたことがある私としては、仙台らしさを感じられたほうが嬉しかった。(作品として)特定の都市にフォーカスしないほうがいいのかもしれないが、それならなぜ東京ではなく仙台を選んだのか。
◆現在と過去のスクランブルによる目眩まし。わざと違和感を出しているところがある。書き間違いではなくシグナル。そこを拾いながら読み進めたらベストな読者になるのかな。
◆「二年前」と「現在」をそれぞれ連続して読んだらどんな感じになるのか、時間があればやってみたい。その中にトリックを織り交ぜているのか……作風の参考になるのでは。その辺も含めて面白い仕掛けだった。
◆面白いのは、二年前のドルジと「河崎(=現在のドルジ)」の性格がだいぶ違うこと。「河崎」は皮肉っぽい。2年の間に本物の河崎に仕込まれたのだろうが、そんなに上手くいくのか。プロセスを入れてほしい。
◆椎名が襲撃した書店に戻り、そこで江尻のことを知る。なんでこの場面を入れなくてはならないのか? 後で使うんだろうなと思ったが、伏線を伏線と感じさせないでほしい。もっと必然性を持たせて、スムーズに溶け込ませてほしい。
◆書店を襲撃して広辞苑を奪うのは突飛だが、椎名はなぜ納得したのか。読み手として納得できない。本当の動機以外で、椎名を説得するための仮の理由を作り込んで読ませてほしい。(最後まで読んで)この辺りの違和感が消えたので騙されたと思ったが、このやり取りは頭の片隅に残った。残すために書いたのかも?
伊坂幸太郎ほどの作家であれば、そのあたりを潰してくれたら……

<参加者G(提出の感想)>
 新奇なミステリ。「殺人事件」の起きない推理小説。提示された情報を基に「謎」の解明に努める、というミステリの基本を押さえつつ、文学界にあたらしい風を吹きそそぐ。巧みな構成とオリジナリティゆたかな文章表現もすばらしかった。持って生まれたじぶんのことばで描かなくて、何が「もの書き」か、と強いエールをもらった気になる。
 また、今作は青春小説の色合いを帯びていることもあり、心地のいい浮遊感にいざなわれた。人間ドラマとしても謎解きとしてもおもしろい作品。丁寧でどこか苦笑まじりの伏線と回収は抜け目がなくて心はずんだ。アイテムや情報の使い方がとても巧み。緻密、という表現は似合わないと思う。シンプルにうまい。たのしんでいるなあ、と感じる。アイテム、状況、セリフ、しぐさ、人物それぞれの意思のみならず、作品の前後に付された但し書きまできっちり処理されている。全体として、ことばのパズルという印象。ことばやロジック、認識というものの不可思議さをしみじみ痛感。展開された「状況」から「証拠」を集めて犯人や事件の真相を推理していく一般的なミステリ同様、この物語に散りばめられたかずかずの「謎」もすべて「ことば」によって描かれている。(当然だけど)
 であるから、(a)ミステリとは、作中のことばを集め、論理的に組み合わせ、ひとつの画を見出していくもの⇒(b)複雑で奇々怪々なトリックを用意しなくともミステリになる⇒(c)「死」とはもっとも縁遠い青春の日常を舞台にしても成立するだろう――といった作者のおもわくを想像するのはたのしい。何より、あるひとつの大系(ミステリ)を分解し、その核だけ抽出して新しいかたちで表現しようとするその姿勢には深い感銘。
「殺人事件」は起きないのに、いくつかの「死」が用意されていることは興味深い。殺されなくてもひとは死ぬ。思いもよらぬときに思いもしなかった原因で。「謎とき」の作者は、読者の思惑を裏切るために知恵をしぼっていることと思うが、それは今作も同様。「二年前にあったと思われる事件」「現在進行形で起こっていると思われる事件」「その未来」「タイトルの意味」このうち、読者が容易に察せられる案件は現在の事件だけ。(ドルジが書店を襲った理由は「二年前1」の時点で想像できる)=琴美はすでに死んでいる。であれば、彼女の死因は何だったのか。読者は胸悪くなる予想をしながらその謎を追うことになる。凄惨な予想を裏切られることを期待しながら。
 けれども、読者を待っていたのは事故死だった。(ある意味これも殺人か)目をほじくり出されたり指を一本一本切り落とされる想像に胸を痛めていたが、ほっと安堵。
 同時に、わずかな拍子抜け。ただし作者は、その部分にも巧妙な伏線を張っている。ブータン人の死生観。ひとは死ぬ。世は変わる。世界はつねに移りゆくものだと。いわゆる無常観。(これを補足するためか『徒然草』に触れているところが心にくい)わざわざ殺人が起きなくともひとは死ぬ、ということ。
 琴美も、犯人も、河崎も、そしてドルジも死んでしまう。麗子も椎名もいつか必ず死ぬだろう。ミステリ(に分類されるであろう書物)に無常観をもちこんでくる作者の発想ににやにやしてしまう。「ことば」で描かれた謎も物語もけっきょくフィクション。架空のこと。絵空事。そして、それはこの現世も変わらないことかもしれない。であるから、作品前後に付された但し書きが効いてくる。「この映画(小説)の製作において、動物に危害は加えられていません」圧倒的な皮肉。作中でもこの現実世界でも、日々、どれだけの動物(人間込み)に理不尽や不幸が訪れていることか。大きな目でみれば、「無常」たるこの世の中ではいっさいが空であるから無意味だよ、と解釈できるかもしれないが……。

 あくまでもフィクションとして、琴美の視点で物語を展開していく手法も印象深かった。すでに死んでいるはずの琴美は「いったいどこで語っているのか」。この謎が、もしかしたら彼女は生きているのではないかとの想像をたくましくしていく。しかし実際は死んでいる。また、彼女は死の間際に幻視や未来予知をしてみせる。マジックリアリズム要素。これに仏教観をくわえると、もしかして彼女が語っていたのは「つぎの生」なのかなと考えて愉快になった。(『月の満ち欠け』はいい作品!)ブータン人の伏線が補足している領域はとても深甚。ペット殺しの犯人のひとりが助かった点も印象的。「死」よりも生きることの方が苦であるとの暗示だろうか。死とはもっとも遠いはずの若者たちにあるときとつぜん訪れる死、というコントラストはあざやかでいて寓意が深い。(『死神の精度』はすてき)

 巧みな構成と特異と感じる描写はすてき。作者の文章は自由さとあそび心がゆたかで快い。ミステリやSFではおなじみになっているアフォリズムの強調もたのしかった。「8章」「11章」の現在・過去にとくに顕著になっている書き方の類似性もまたすてき。今回の本で、紹介者のHさんが重視していることが少なくとも3つあると確信。奇抜な構成、個性的な描写、そして謎。かなと。

 キャラクターはそれぞれ魅力的だった。課された役割もはっきりしていてイメージしやすい。どの人物も生き生きと立体的に描かれている。これもまた、パズルのように巧く関連し合っていておもしろかった。冒頭の迷い犬「クロシバ」がラストでたくましく生き残っているところは希望を感じた。かの犬は「ペット殺し」あるいは虐待・放置への作者のささやかな抵抗だったのかもしれない。また、あることば、あるセリフ、ある意思が別の登場人物たちの口を伝ってなんども登場するのはおもしろい。ことばは生き物。いわゆる言霊。ひとは死ぬがことばは残る。想いも残る。こういう風にして、ことばや物語という抽象的なものが古来より脈々と生きつづけてきたのだろうなと想像。無常観の受け入れに、偉人たちは音楽や一体感を諭してくれたが、ことばもまた、なぐさめと思う。

 河崎=ドルジにはおどろいた。思えば引っかかる点はいくつかあった。作者はじつに巧妙だと思う。年上でありながら、初対面の若者に「さん」をつけさせず、敬語を使わせなかったのは、いかに「ロック好きの好青年」でも日本人離れしすぎているように感じていた。また、「二年前」と明らかにちがった面をみせていた彼(女性遍歴の影がない)を、麗子(事件後に変容)との対比によってカモフラージュさせていたのはずるい。河崎=ドルジ、この種明かしは作中でもっとも胸がおどったところ。『ハサミ男』『盤上の敵』『イニシエーション・ラブ』のように、活字ならではのトリック。

 音楽、スポーツ、動物、理不尽と残酷性。伊坂作品は十年ぶりだったが、よく使われるこれらのテーマはなつかしかった。若者の心をつかむ要素に満ちた作品だと感じた。心地いい爽快感と浮遊感。ただ、以前よりも夢中になって読めなくなっていたことも事実だった。それだけぼくが若さを失っているということか。

 タイトルとラストはすばらしい暗喩だと思う。アヒルと鴨はそれぞれ異邦人と邦人を指しているようだが、よく考えれば、ふたりはその町(仙台)にとってどちらもよそもの。さらに、「無常の世」においても通りすがりのひとに過ぎない。鴨においては学生をやめる=町を去る可能性もある。アヒルも鴨も便宜上の「区別」がなされているだけで、どちらもよそもの、異邦人。そんなふたりが「神」と呼ぶ(ようになる)のがボブ・ディラン=日本でもアジアでもない大国のギター弾きであるところがまた秀逸。じぶんの足が目の前の地にしっかりとついていないひとびとが、第三国の歌うたいを神と呼ぶ。
 この部分は現在社会の若者たちの不満と不安をよく象徴しているように思う。すくなくとも自国には、心から尊敬できる対象がいない。真の意味での信仰対象を持っていない。ドルジは日本人と比べて宗教と近い関係にあるが、しかし盲目的に信奉しているとは思えない。ユートピアを夢見る旅人のように、彼らは居場所を失っている。あるいは腹をくくって見据えていない。そんな彼らは、「神」の歌を駅のコインロッカーにとじこめる。(「神様を閉じ込めておけば大丈夫」という理由には胸をうたれた。ドルジの切ない心もようが伝わってくる)駅という場所もすてきな演出。駅とはある場所の代名詞になり得るところ。多くのひとが行き交いながら、しかし定住するもののいない場所。(原則)駅は無常の世の象徴であり、異邦人の内的世界の象徴でもあるように思う。そのコインロッカー=金銭によって得られる一時的なプライベートスペースに神をとじこめる。永遠にうたいつづける神さまを。まさにロックだと思う。「神は死んだ」と言われた現代だからこそ、かっこいい。救いがある。心のよりどころを見失った若者たちの、どうしようもない心の叫び。そのかたち。作中には『徒然草』が引用されたが、同じ無常観でも鴨長明や『平家物語』の方がしっくりくるイメージだった。世ははかない。ひとは移ろう。生きていることは空虚で切ない。であれば、せめて好きな音楽をなぐさめにしよう。そうして、とほうもない大きな流れに身をゆだねよう。世は無常。世は無常……。きびしくもさびしさに満ちた歌声がいつまでもリフレインされている。無常観を背景に、新奇な発想で描かれた、心切ない青春ミステリ。

<参加者H(推薦者)>
◆好きな作品。人が変わっていく。私はメタモルフォーゼ願望があるので、ドルジが河崎らしく振る舞うのが刺さった。
◆「物語に途中参加」というのが、ひねくれていてよかった。椎名の学生生活が結局どうなったのかがわからなくて、「途中参加」らしいと思った。
◆仙台の人々が面白い。100mを12秒で走る和久井さんなど。
◆私は純エンタメとして読んだ。1回目に読んだときはハラハラした。
◆ロッカーに神様を閉じ込めるのが気障だなと思った。バタ臭い90年代を引きずっている、というか。“エモみ”より“トレンディーさ”という感じ。
◆琴美のやっかいさんムーブ。だいたい琴美のせいかな。物語の必要上ではあるけれど。
◆未処理と感じる箇所、違和感を感じる箇所はいくつかあり、「伊坂若いな」と思った(※この作品はデビュー5本目)。
◆映画を観たが結構アンフェア。同じ場面を、役者を変えて2回観させる。ミステリーとして有りなのか、無しなのか……。

<フリートーク
【各キャラクターの造形について】
H:ベストセラーになった作品なので、読書会のテキストになる前に読んでいた人はいらっしゃいますか?(挙手なし)いないですね。そこが気になっていたので。
伊坂幸太郎作品では『陽気なギャングが地球を回す』や『オーデュボンの祈り』に近いかな。
F:私は、伊坂幸太郎作品では『死神の精度』や『重力ピエロ』を読んだ。本棚にあったから読んだはず(笑)。
合いの手みたいな、会話の面白さがある。ドルジも河崎も琴美も麗子も冷めているが、ほかの作品もこんな感じ。伊坂幸太郎らしい。もうちょっとバラエティーはないのかな。みんな似ている。結構うまいこと言うし。(Cさんの仰った)ステレオタイプとはそういうことかな。
C:少し違うかも。もっと感覚的に……
D:記号的でわかりやすい。人物像が複雑に感じなかった。ドルジ以外の人物のバックボーンが不明。
「ドルジが椎名を書店襲撃に誘うか?」と思った。もっと方法があったのでは。琴美と一緒に行動していて彼女が死んだのに、知らない人間を巻き込むだろうか。ドルジにはバックボーンがあるのに、行動にそれを感じない。読み取れる読者もいるだろうが。
私も琴美の迷惑ムーブとか、展開的にそうせざるを得ないと感じる。
F:各々が役割を演じている。冒頭の書店襲撃はドルジが考えたのか、河崎が考えたのかでだいぶ違ってくる。河崎のバックボーンには触れられていないけれど。ドルジは河崎の計画を引き継いだだけだよ、とも説明できる。どっちだと思いますか?
D:私は河崎だと思う。
F:ですよね。河崎に憧れているドルジが計画を引き継いだと考えれば。
D:バックボーンについては、河崎は意外と育ちがいいとありましたね。(※254P「北陸の裕福な家」「子供の頃から剣道だか弓道だかをやらされていたらしい」)
F:琴美の背景もよくわからない。
D:琴美がどういう経緯でペットショップで働いているのか見えなかった。
あと、キャラクターにフルネームがない。年取って人の名前を記憶できなくなってきたから(笑)、フルネームを出してくれないと覚えられない。だから印象が薄いのかも。
E:麗子は色白で美人……。「美人」って書いてある。ステレオタイプ。純文学じゃ(こう書いては)だめ。
F:(この作品で)美人と言い切っているのは、台詞や独白体において。現実の会話で「目が切れ長で……」とは口にしない。地の文では使うなって言いますね。
この作品で「美人」を比喩で表す意味はあまりない。とっつきにくい女、とわかればいい。
E:耳から聞くと、それが台詞かよくわからなくて。機械が単調に読み上げるから(笑)。

【(本物の)河崎の造形について】
C:キャラクターの造形と言えば、(本物の)河崎は容姿が優れているというだけでモテますかね?
E:顔がいいだけではモテない。河崎は女性に、優しい以上のことをしている。犬を返品しに来て麗子さんに殴られた女性客さえフォローして送っていく。マメな男性は、容姿が優れていなくてもモテる。河崎はさらに顔がいいから。
顔がいい男って尽くさないからモテないんだけど。女性でも、親しみやすいほうがモテる。
F:本当に綺麗な男でないと、来る女、来る女、全部靡かない。(容姿が優れていなくても)マメならそこそこモテるけれど。
河崎(の造形)は、それを一つのパターンとしてやっている。現実感はない。作中で与えられた彼の役割。
河崎で印象的なのは、琴美を好きだったということ。セックスはしてないけれど、いつまでも忘れられない。河崎の人間らしさを感じる。「典型的なモテる河崎」と、「(琴美とのやり取りで)素を出した河崎」を、そこで使い分けている。これが物語の中の筋。そこをうまく書けているのか、取ってつけたようになっているのか。読者によるだろうなぁ。
E:そこは人間的ですね。琴美は河崎を嫌っているんだけど、河崎は懐いていく。
F:河崎にとってそんな存在は琴美だけだと思う。他の女は慣れた扱いをしているけれど、河崎が自分自身を出しているのは琴美だけ。すべての女にあの態度だったら、ああはならない。女たらしな面と、本質的な面を書き分けようとしたのでは。
河崎は琴美が好きだったから、ドルジに復讐を提言した。琴美がいなければ、河崎はペット殺しと関連がない。誰のための敵討ちか、わかる。
河崎は琴美を病気に感染させていない。罪悪感もなかった。そのあたりが一貫しているのか、いないのか……。
E:当時でも治療法はありましたもんね。
F:それは作中でも触れられている。河崎が死なないと、ドルジとの入れ替えがきかないから。
E:わりと力技の展開でしたね。
H:河崎、同じ死ぬんだったら、自分で(江尻を)始末すれば後腐れなかったのに。
E:私が感じたパサパサ感は過去を引きずっていないからかな。でも面白かった。
F:登場人物たちはみんな若く、過去がある設定ではない。過去を入れてしまうと、別の展開になってしまい、このような綺麗なトリック小説にはならない。

【タイトルについて】
B:Gさんの感想をお聞きして、なぜこの作品のタイトルが『アヒルと鴨のコインロッカー』なのか、私は非常に納得できた。作中に登場するボブ・ディランの「風に吹かれて」「ライク・ア・ローリング・ストーン」の歌詞を読んだ。「風に吹かれて」は“なぜ相手の立場を理解できないんだ”、「ライク・ア・ローリング・ストーン」は“今は落ちぶれているけれど、どういう気分なのか”という感じの歌詞。
物語の根っこにあるのは、“日本人と外国文化が溶けあったときにどこへ行くのか”。ドルジは河崎になってしまったが、我々日本人はビートルズが流行り出してしまった時点で、文化的に日本人ではなくなった。グローバリズムによる単一化。タイトルにある「アヒル」もそうなのか。椎名が大学を中退するのか、ドルジはどうなるのかわからない。キャラクターに対する問いかけでもあるし嘲笑でもある。
ミステリーというより、(執筆当時の)時代の空気みたいなものを強く感じた。ミステリーなんですけど。うまく言語化できずにいたが、Gさんの感想を聞いて腑に落ちた。
F:水を差すかもしれないが、私は、タイトルは誰が考えたのだろうと思った。たとえば「風に吹かれて」とつけた本が売れるか? と。文学賞の受賞作も、出版時にはタイトルが変わることがある。
E:読者に手に取ってもらわないと、どうしようもないですもんね。
F:「神を閉じ込める」も考えすぎのような。エンディングとして綺麗かな? 私は綺麗とは思えない。
タイトルにボブ・ディランを被せたほうが適切かもしれないけれど、これから読む人にとってはどうでもいいこと。未読の人にとってはインパクトが弱い。
E:小説のタイトルは悩みますね。最近のライトノベルのタイトルはフレーズになっていたりする。
A:読者も、タイトルから内容がわからない作品は手に取らなくなっているとか。
E:前回、読書会で取り上げた『ブロークバック・マウンテン』。私は、タイトルだけだと手に取らないなぁ。あの表紙があるから惹かれるけれど。
A:アメリカといえば、映画『アナと雪の女王』の原題は『Frozen』。日本人はこれだと観そうにないですね。
E:“コインロッカー”っていうのが不吉さを感じさせる。
A:コインロッカーといえば、まず『コインロッカー・ベイビーズ』を思い出す。あと、コインロッカーに入っているものといえば、死体とか身代金とか……
F:日本はタイトルで売ろうとする。『ゼロの焦点』、『点と線』とか、なんとなく不気味で訳がわからないほうがいい。
E:センセーショナルである必要がある。

【その他】
E:面白いと思ったのが、(フィクションで)犬や猫が死ぬのは耐えられないのに、人が死ぬのはなんともない、ということ。人聞きが悪いけれど……。ミステリーなら人が死ぬのは仕方がない。この作品では、交通事故以外で犬や猫が死ぬ描写がないから読めた。
A:犬や猫を飼っている人は、犬や猫が死ぬ映像作品を敬遠すると聞きます。
H:ペット殺しについては、描写ではなく会話で処理されていましたね。映画でも死体は映らなかったと思う。