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R読書会/Zoom読書会

『屍者の帝国』伊藤計劃✕円城塔(河出文庫)

Zoom読書会 2022.03.26
【テキスト】『屍者の帝国伊藤計劃円城塔河出文庫
【参加人数】出席6名、感想提出1名

<推薦の理由(参加者G)>
読書会で推薦する作品となると日本語で読める小説に限られるのだけど、私の本棚に並ぶ日本語の本は絶対紹介できないような下世話なものが多くて(笑)。これは紹介できる数少ない本。ある観点から非常に興味深いと思う。
特異なのは、伊藤計劃が執筆中に亡くなり、円城塔に引き継がれているところ。プロローグだけ伊藤計劃が書いている。
また、二次創作を考える上でも面白い作品。キャラクターがほぼ、有名な海外小説の二次創作なので。『フランケンシュタイン』の後日譚で、シャーロック・ホームズシリーズの前日譚となっている。

<参加者A(提出の感想)>
【全体について】
 たましい、あるいは個の目覚めを主題とした長編。社会的な啓蒙寓話とも呼べるかもしれない。おはなしのキィのひとつに「代入」が用いられるが、読み手は、それによって浮き彫りにされる現代社会をそれぞれの胸のなかで空想し、醸成させて吟味して、やがて個々に物語るようになるかもしれない。伊藤計劃作品は胸を打つアフォリズムがゆたかという印象があるが、己やそれをとりまく世界について、ひとりつれづれと思索しつづけていただろう彼には深い共感と共鳴。とくに若い世代には、いい意味でのウェルテル効果があって欲しいなとひっそり願う。体裁上の物語は諜報員もの。人間存在、自我、神、科学、たましいについての思惟や考察が展開される「静」の部分と、登場人物たちが活発に入り乱れる「動」の部分が交互に波を織り成していく。(もっとも、個人的な印象としては、この作品の「動」には立体性と緊迫感がややとぼしいかなと感じた)陣取りゲーム=グレート・ゲームという世界観背景は、いまの時勢が時勢なだけに強く響いた。

【世界観について】 
 お話の舞台は「歴史上の」「過去」。産業革命によって生まれた新たな技術が全世界に十分に広まったと思われるころと認識。(あくまでも個人観)ただし、お話の舞台はいわゆるところのパラレルワールドの過去であり、ぼくらが存在を認識しているこの世界の史実を描いたものではない。あくまでも、表面上は。こちらの世界では「屍者」と呼ばれる革新的な産業が誕生および普及している。死んだ人間を労働者や機械、兵士あるいは兵器として活用するというなんとも斬新な考え方。「分断」に立脚した西洋合理的思考ここに極まりというところ。これはもはや皮肉ではなく、ひとつの未来予想図だろう。発想と着眼点に深い感銘。いずれにしてもフィクションにちがいないが、お話に登場する主要人物に世界的名著=フィクションの人物やあるいは作者の名まえを用いたところがまずおもしろい。この作品にたびたび使われた表現を借りるなら、フィクションに「上書きされた」フィクションとでも呼べる構造だと思う。荘子の『胡蝶の夢』――夢のなかの夢、みたいな奇妙な浮遊感がここに実現されているのではないかと思う。いくえにも重なり合わさった虚構というのは、それを知覚、認識している自我=読み手の個、つまりぼくという現実にひそやかな揺らぎを与え、それらの境界に浮き彫りにされる普遍性が刺激的な知恵となり、ひとつの未知なる人生観をゆるりゆるりと開拓していってくれる。だから読書はやめられないと思う瞬間。
 当作品の底流となっている主なフィクションは『フランケンシュタイン』と『創世記』だろうかなと思う。どちらも人間存在や神と被造物について描かれた物語として認識。人物としてはハダリー(『未来のイヴ』)とカラマーゾフが圧倒的に印象強い。さりげなくバロウズが出てくるところはいいなと思う。もちろんワトソンという人物を語り手に選ばれたこともおもしろかった。ロンドン大学とか軍医(アフガン戦争)とかもはやかんぜんに同一人物じゃないのかと笑う。パラレルワールドを生きたもうひとりのワトソンなのだろうと思う。屍者フライデーについては分からなかった。(ただ、金曜日がキリストの磔刑日という記録が印象深い……)

【屍者について】
 作品背景を十九世紀末に設定した理由は何だろうと思う。個人的な同時代の印象は産業革命が敷衍したころ。=資本主義社会の朝。(そして現代はそのたそがれと呼ばれている)そうして「我が国」では明治維新から十年後の世界。これらから浮かび上がる時代的イメージは「大規模な変換期」であり、俗にいう「歴史の分かれ道」と呼べる時期じゃないかと思う。あくまでもぼく個人の妄想的な主観だけれど、現代に生きる多くの国民たちは資本主義のどれいであると考えている。目先の欲やきらきら輝くモノのひかりに翻弄されて、朝から晩まで心をころして働くさまはほんとう気の毒。もしも作者が似たような憂いを抱いていたとすれば、作中に登場する「屍者」たちの寓話的意味がぼくにはとても親しく思えた。(さらにまた、明治維新の生き残りの子孫たるおぼっちゃまたちが治める当世という意味でもここにある寓意はおもしろい)
 この物語は「代入」がひとつのキーワードになっていると思うが、「屍者」というXがあらわすものはとても切実でおそろしい。従事者、労働者、作業の手、機械、兵士、兵器、使い捨ての駒、インスタント製品、あるいはシンプルに単位(効率とか税収とか)……。バロウズのことば「指を失ってもできる仕事はいくらでもある」が胸に響く。それか、「単一な意志=屍者、多様な意志=生者」という作中のことばを用いれば、屍者とは子どものように未成熟な存在とも置き換えられるかもしれない。(独我論は子どもの特権)そういう意味で、ラスト、フライデーが自我に目覚めていくさまはぼくにとって希望だった。バベル=混沌の影響で再生される自我――いや、自己、もしくはたましいという構図に人生的な救済と安らぎを感じる。(『幼年期の終わり』に似たあたたかさ。でもやっぱり、ぼくの理想は高度な精神体への昇華です……人間の世の中には何の期待も未練もない)

【主題について】
 おはなしの結末は「たましい」なるものの目覚めだと思うが、全体的なテーマはやっぱり「ことば」なのかなと思う。『虐殺器官』を想起。「人間のたましいは菌株に感染している」という発想はものすごく感銘を受けた。「人間は菌の乗り物」「あるとき猿が感染した」これらは胸がおどる言葉だった。さらにまた、この菌株の部分をⅩとし、個人個人に好きなものを代入すればいいという展開には高揚。巧妙としかいえない。先に分かりやすい「式」を教示しておいて、つぎにその本質を解き明かす。Xにはことばや神、あるいは文化、習慣、「認識」そのものが代入されるが、個人的にこの「式」そのものがとても好き。
 それから、「ことばと物語」に対する作中の言及も胸にしみた。ことばをひとつのエネルギーとした場合、それを伝達する手段が「物語」であり、その上位互換――あるいはその原始形態が「音楽」であるというこの解釈はほんとうによかった。すばらしかった。「理解できるものはすべて物語の形をとる」「人間は物語を物語として理解する」よくも悪くも恐ろしい表現だと思う。けっきょく、語るときも語られるときもそもそもそれを聴いたときも、ぼくらはX――主観――何かしらの恣意的なものから逃れないということか。(伝言ゲームの恐ろしさを思い出す)また、たましいというものが世界のはじまりから存在していたエネルギーであり、またパターンであるとの考え方はものすごく親近感が強かった。これまでに読んできた本が示唆するところと根が同質。世界はきっと波だと思う。Xなるものと人間をつなぐものとしての石――ラピスラズリも詩的ですてき。
 「現実とはⅩのみせる夢」であるとの言及、そして、解析機関の歯車がみる夢というのが「バグ」であり「洗脳」であり「解釈できないもの」であるという作中世界説明から導き出される現実はやっぱり「夢まぼろし」なのかなとひとり納得。けっきょくぼくらは、脳がみせる虚構におどらされているに過ぎない。「ヴィクターの手記」に記されたランダムな文字列に、個々人がおのおのに秘めた知識や文化や経験から「なにか」を読み取り現実的な行動を選択する――、それがつまりひとの世であり歴史なのだと、要するに、ぼくらの世界はどこまでもフィクションに過ぎないというこの心地のいい浮遊感。この種のおはなしに共通したこの無常観はほんとうにたまらない。どれだけ精緻に築き上げられたロジックだって、たったひとかけらのバベルによってあとかたもなく崩れてしまう。あらゆることは影絵――洞窟の中の影絵に過ぎない。虚構である。社会的にも人生観的にも、刺激ある啓蒙に満ちあふれた心弾むおはなしだった。

【その他】
・固定、接続、上書きなど、数記号的なイメージの強い語句を情景描写や文章表現に用いる点は伊藤作品という感じがしてすてき。
・第一部は旅行記のような迫真性があって楽しかった。
・ロンドン塔のロジックオルガンは『さかしま』や『日々の泡』に出てくるカクテルピアノみたいで個人的に好き。
・「全球通信網」それ自体が意志を持つかどうかについての言及はやはり楽しい。アニメ『攻殻機動隊』シリーズ、漫画『EDEN』を想起。
・「好き勝手に書き換えられる脳の時代」=「技術的なエデン」は『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』に出てくる頽廃ぶりがイメージされて切ない。
ハダリー(=理想)が最後にアドラー(鷲、という意味らしい。ユダヤ人に多い名)と改名されたところは印象深い。アドラーは心理学者の彼しか知らない。たしか主な研究テーマは劣等感、権力(エゴとしての)、それから勇気づけ。いろいろ想像してしまう。おもしろい。

<参加者B>
◆「好きだと思う」と指名されるとアレなんですが(笑)。※「Bさん、この作品好きそう」という雑談からの指名
伊藤計劃はそんなに作品を残していないと聞いて、そうなのかと思った。
伊藤計劃虐殺器官』っぽいところがある。アイリーン・アドラー(ハダリー)などは、野﨑まどが書くヒロイン像に近いと感じた。また、スチームパンクと生物学のようなものの融合は、スコット・ウエスターフェルドの〈リヴァイアサン〉三部作を思い出す。
哲学的モチーフ、自己言及、メタ小説……ゼロ年代のオタク好みの詰め合わせかな。(2012年刊行なので)出て10年経って読んだら、こんな時代だったなと思う。
◆荘重なことを語っていたが、全部読むと地に足がついていない。第一部までは地に足が着いており、テクノロジーが描かれて面白かったが、第二部以降は慣れてきた。全体として読んだら消化不良で、こってりしたファーストフードを食べたみたいな印象。
◆ワトソンを主人公とした冒険小説として読むとワトソンが動いていない。肯定的なAさんも、感想で“この作品の「動」には立体性と緊迫感がややとぼしいかなと感じた”と述べられていたが。
◆作り込んでいる熱量をビンビンに感じるのはよかった。

<参加者C>
◆大変難解で苦戦した。月曜から読んでいたが(※読書会が開催されたのは土曜)なかなか読み切れなかった。
円城塔の文章はこんな感じか、と。聞いてはいたが大変だった。話の構成は複雑で、文章も難解で持て余してしまった。話の流れにはついていけるけど、なぜここでこの文章が出てくるのか、という箇所が多い。「グラン・ナポレオン」など、その表記で出てくる前に振り仮名で提示されていたが読み飛ばしていた。読者に対して不親切。
荒唐無稽な話は好きなので、もっとわかりやすく書いてほしかった。作品とは別なところで消化不良。
伊藤計劃の文章はわかりやすかったのに。別の人が書いてくれれば、と思ってしまった。できれば私が書きたかった。
◆菌株が人間の意志を決めてしまうという論理構成。理屈っぽいというか、人間が考えた設定に見えてついていけなかった。
似た設定では、瀬名秀明パラサイト・イヴ』で、細胞の中にミトコンドリアがいてそれが暴れ出す、というのがあったが、これも人間が考えたものに思えた。
◆面白いのは、シャーロック・ホームズシリーズや『カラマーゾフの兄弟』、『風と共に去りぬ』などが出てくるところ。遊びで入れているのか、本質的にかは掴めないが。出典を探すだけでも面白い。たぶん半分くらいしか発見できていないので、もっと時間があれば……。
例:
*ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズの論理オルガン(446P)。ジェヴォンズは、経済理論や論理学で活躍した人物。その事実が上手く作品に取り込まれていた。事情を知らない人だと読み飛ばして埋もれるだろう。
シャーロック・ホームズシリーズを知っている人なら、ワトソンがアフガニスタンから帰ってきたことを知っているので、読んで嬉しいと思う。アイリーン・アドラーも『ボヘミアンスキャンダル』(江戸川乱歩でいうと『黒蜥蜴』みたいな作品)に登場する人物。
ハダリーは『未来のイヴ』に出てくる人造人間。「ハダリーの腕を銃弾が襲い、硬い金属音が高く響いた」(382P)は彼女が人造人間であることの伏線。
◆このような趣向は伊藤計劃円城塔、どちらが考えたのだろう。プロット段階で設定まで決められていたのか? 物語とは別に楽しめた。

<参加者D>
◆私も結構前に手に入れて、読み始めるのも早かったが全然進まず、流し読みでも追いつかなかった。途中から誰が何をやりたい話かわからなかった。
◆個人的には、『ウォーキング・デッド』を観ていてシリーズ3作目で「おもんない」って思って挫折したのに似ている。私は「全員ゾンビになったらええやん」ってなってしまって――同調圧力に弱い日本人だなって自分で思ったんですが(笑)。
この作品でも、屍者に働かせてまで労働力がいるのかって疑問で。自分の価値観との相容れなさがあった。課題だから読んだけど、ますます誰が誰やらわからなくなってしまった。
◆でも『虐殺器官』は面白くて3冊買った。受ける印象の違いは何なんだろう。また『虐殺器官』を読もうと思う。
◆だから『屍者の帝国』に対して感想的なものは全然ない。引用とか、知ってないとあかんよ、とか、本歌取りみたいな楽しみがあるのかな。
C:馬鹿にされてる気がしますよね、お前知らんのか、みたいな……(笑)。伊藤計劃円城塔の違いを感じる。

<参加者E>
◆全部読めなかった。毎日少しずつ読んでいったけど、見たというレベルで読めたとは言えない。
◆プロローグで面白いと思ったが、第二部くらいから「何この蘊蓄本は」となった。自分自身の知識と教養が問われている気がして。ウィキペディアで調べながら読んだ。実在か、どういう時代かわかっていればたまらなく面白いだろうな、と。わかっていなければ上滑りになって、わからなくなる。
ページを捲ろうとする力がダウンして、一所に留まりすぎて、蘊蓄や説明、ニヒリズムに引っかかった部分が多かった。
とにかく心の中の物語を読者に聞かせたいという情熱が、伝えるパワーを削いだのだろうなという感じはする。
◆屍者が戦闘員として使われる。屍者をAIに変えても成立しそう。
◆読む人によってはめちゃくちゃ面白いはず。学問的な素養がある人や、行間を楽しむ人が1ページ1ページを楽しみながら読んでいったなら。
◆私は正直わからなかった。結局、歴史改変になるのか? 興味深い世界観でも、思想を入れると読んでいてブレーキがかかる。私の力が追いつかず、良い読者でなくて申し訳なかった。

<参加者F>
◆面白かった。ラスト、ザ・ワンが一人の女性を蘇らせるために……というところは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』っぽいなと思った。
◆昔ちらっとシャーロック・ホームズシリーズ読んでたり、007シリーズ観てたり、『青天を衝け』観てたり(グラント来日のくだりをイメージしやすかった)、あの辺りの時代が舞台の漫画をいろいろ読んでいたおかげで、なんとかすんなり入っていけました(笑)。
◆あの時代のイギリスってすごくエンタメで馴染みがある。出てこなかったところでは切り裂きジャックとかもあの頃でしたっけ。
ヴィクトリア朝って、ゴシック・アンド・ロリィタとも親和性が高いんですよね。個人的にはすっと世界観に入り込めました。
◆『カラマーゾフの兄弟』とか『フランケンシュタイン』とか『風と共に去りぬ』とか、元ネタを読み込んでおけばもっと楽しかったんだろうなと思う。知らないことはネットで調べながら読んだけど、なくても楽しめるようになっている。
◆いろいろな国で小さい事件を解決……はしていないか、小さい事件に遭遇していくところは面白かったけど、哲学とか思考に話がいくと少ししんどかった。納得がいくような、いかないような。SFはいいけど、思索みたいな話が苦手なので。
◆でも、思索の部分にも、はっとする文章がたくさんあったし、自分とは何かを考えるきっかけにもなったので有意義だった。
◆個人的にクラソートキンが好きすぎたので『カラマーゾフの兄弟』を読みたくなった。読んでおけばクラソートキンの内面をもっと理解できたかもしれないので、そこが悔しい。
E:クラソートキンのどこがいい?
F:めっちゃ格好いい(笑)。
B:アニメでもいい感じのビジュアルですよ(笑)。
G:ちなみにアニメのフライデーは美少年。
E:ビジュアルで見たら絶対面白い。
G:アニメはシャーロック・ホームズシリーズの『緋色の研究』に当たる部分で終わる。あと、ハダリーの腕が撃たれたとき、がっつり金属が見えている。
B:私は先にアニメを観ていて、原作を読むと端折られているところがわかるかなと思ったらそうでもなかった。

<参加者G>
◆2015年のアニメ化に際して興味があり、そこから入った。冒険小説で、エンターテイメントとして優れている。
◆読んだ最初の印象は面白かった。
◆細かいあたりは知っていないと面白くないかといえばそうでもない。私もシャーロック・ホームズシリーズと『フランケンシュタイン』くらいしか知らない。
◆固有名詞のルビは確かにしんどい。ライトノベルでよくあるんですが。
◆普通に日本語を書いたのではなく、翻訳を強く意識して書いた印象。テキストは日本語だけど、(読んでいて)後ろで英語が流れる人を意識している。変な語り口や、唐突に名前が出てくるのはそのため。英語を無理やり訳した文章を円城塔は再現した。
円城塔は結構好き。『道化師の蝶』とか。裏に外国語とか、多言語を透かして読むのを意識して書いている。『屍者の帝国』では、その悪癖が出ているのかな。
ヴィクトリア朝末期の英文は、訳すとこんな感じになる。関係代名詞が1つの文に4つくらいある、みたいな悪文。
◆最後は観念的になるが、そこに一番力を割いたのでは。円城塔伊藤計劃のテーマは「認知と言語」。二人とも言葉や文法にこだわりがある。
私たちはどう世界を認知して語っているのか。私たちが意識や魂と呼ぶのは進化の産物、脳神経・物質的な化学変化の産物。意識を持って喋っている――その裏側にはメタニカルなシステムがあり、人間や尊厳や魂を唯物的な見方で相対化するというテーマがある。
⇒劇中では菌株(strain)いくつかのせめぎ合い
ダイバーシティがなくなり、多様性がなくなるから菌株を説得する。
*立証するためにワトソンが自分をリライトして、魂的なものである菌株を書き換え、感染源であるフライデーも変えてしまう。
私たちの意識、人間を人間たらしめているものを解体していく面白さ。これが売りなのでは。
◆個人的な感想として。なぜこの作品を好きなのかというと、言葉や文法を扱っているものに惹かれるから。人間の脳内、あるいは意識を構築する部分とも言えるものには、普遍的な言語や文章を構成するシステムがある(※米国の言語学者ノーム・チョムスキーなどが提唱している「生成文法」というものを意識しての発言)。[注1]
円城塔入門編と呼べる作品。
◆枝葉を見ていく楽しみもある。どの部分で本家と分岐しているのか。二次創作を前提として書かれているのは、今のゲームの作りに近い。
◆最後のシーンで『緋色の研究』に繋がるところがある。ワトソンが書き換わったあと、フライデーの語りになる。私だけの考えかもしれないが、そこが冒頭(プロローグの1つ手前)の英文と繋がる。大意としては、
「古き友ワトソン。君は何年たってもまるで変わらないな。それでもなお、イングランドには未だ吹かない東風が吹いている。冷たく、厳しいものになるだろう。善良なる我々の多くはその風の前にひとたまりもないだろう。しかし、それでも神の御意志というものだ。清らかでより良く、頑強な大地が、嵐がやむころには広がっているだろうと思う。車のエンジンをかけておいてくれワトソン。出発の時間だ。」[注2]
これがエピローグと繋がっているのでは。私自身、考え中だが。

<フリートーク
【現実世界への「代入」について】
G:屍者の帝国』の「屍者」の下地はロボット。「フランケンシュタイン三原則」も、アイザック・アシモフSF小説に登場する「ロボット三原則」から来ている。
また、「屍者」の発想の大元はゾンビ。植民地では、黒人やネイティブアメリカンを働かせて、死んでも蘇らせて使うという発想があった。
つまりこの作品の「屍者」とは、ゾンビとロボットを組み合わせてヴィクトリア朝に落とし込んだもの。
C:Dさんが「屍者に働かせてまで労働力がいるのか疑問」と仰っていたが、労働力=権力。産業革命では労働力が必要。屍者は、労働力・産業力として搾取される女性や子どもにも置き換えることが可能。この世界ではゾンビ的な屍者になって、グレート・ゲームの駒になっている。だから言葉遊び。
「フライデー」は、『ロビンソン・クルーソー』に出てくる登場人物で、主人公が従僕にするネイティブ・カリビアンの名前。金曜日に出会ったからフライデー。書き換えや読み替えをするのも植民地的。もともとあった言葉を混ぜて別のものにする。
二派に分かれて、いろいろな組織があって、背景には戦争。グレート・ゲームというのは今の時勢にも重なる。ロシアとウクライナに置き換えても充分成り立つ。『屍者の帝国』が書き継がれたり、ちょうどメディアミックスされたりしたのは、オレンジ革命から始まるウクライナ政変の頃だから、そこも重なる。2014年のクリミア併合も。クリミアといえば、『屍者の帝国』でもナイチンゲールの名前が登場したが。

【菌株について】
C:物語としては面白いが、「あたかも菌類が言語を持っていて、人の意思をコントロールするようなある種の怪物である」というところは作り話めいており勿体ない。もうちょっと説得力や辻褄合わせがほしい。『パラサイト・イヴ』を読んだときも思ったのだが、(ミトコンドリアや菌株が)あたかも知性を持ったみたいに反逆しているのに違和感。
G:私は、『ハーモニー』の中で語られる意識の起源や生成の話との繋がりの話と繋がりを感じて好感を持った[注3]。そういうものかもしれないし、違うかもしれない。もやっとしてしまう感じ。
E:魂は菌株ってこと?
G:そうではなくて。
フランケンシュラインは、人間の魂についてある仮説を出す。人間は意識・魂を持っていて、他の動物とは違う。人間の中に微細なウイルス・菌のようなものがあり体を循環する。複数の菌が体を巡ることによって言葉を発するためのシステムを構築する。
⇒屍者はこれがない。菌自体はあるが1種類しかない。その違いは何なのかが、最後のほうでうじゃうじゃ言ってること。
C:人は物事を決めるとき迷う。そんなとき、菌株が議論しているように書いているのかな。
屍者に注入された疑似霊素は1種類。でも生者が持つ菌類は複数あるから迷う、という。
G:マルチタスクとモノタスクの違い。
B:ワトソンはどうなった?
G:それは本人にしかわからない。観測者となったのが同じ菌株を持っているフライデー。個人的にはこの、もやもや感が好き。

【書き方について①】
C:ハダリーがなぜ屍者を操れる? 
G:ハダリーは人為的に作られているから(ヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』)。
C:説明が入っていない。あからさまな説明じゃなくていいから、せめてヒントがあれば。読み返して「そうだったんだな」と納得できるようなものがほしかった。
ハダリーが人造人間であると示されていない。ひと言、「エジソンが作ったアンドロイド」だと書いていたらよかった。私はたまたま『未来のイヴ』のあらすじを知っていたから予測がついたが。
G:説明不足というか、「このキャラクターはここで繋がっている。興味ある人は調べて」というリンクテキストみたいな感じかな。
F:そういえば276Pに「ハダリーの氷のような唇」って書いていた。なんでだろうと思ったけど、今わかりました(笑)。
リンクテキストの件、私はサブカルチャーに触れてたから違和感はないですね。ゲームなんかでは元ネタがあるキャラクターがたくさん出てくるんですが、その元ネタを調べて二次創作をするのが楽しい。衒学的なのにも慣れてる。90年代後半からゼロ年代サブカルはそんな感じだった。
読んで、ただ一人で完結するんじゃなく、「みんなで楽しんでね」ということかも。ネットで考察したり、読書会で話し合ったりして。実際、私も「氷のような唇」の意味を皆さんの話を聞いて気づいた。
G:確かに、そういう読み方は排除できない。サブカルといえば、90年代のライトノベルで、全部の文章にルビを振っているものがあった[注4]。
B:ワードだけ散らしておく、みたいな。セカイ系のにおいがする(「セカイ系」って何にでも通用するマジックワードだという気もするけれど)。ハダリーにとってワトソンは交換可能であるところとか。
F:セカイ系といえば『新世紀エヴァンゲリオン』とか、何と戦っているのかわからない。いろいろ思わせぶりに出てくるけれど。『最終兵器彼女』も、何で戦争しているのかわからない。
C:実際の戦争もそんなものですよ。
E:ジブリ映画の『ハウルの動く城』も何の戦争か説明がなかった。
B:作品では、政治的なことや細かいことを書かず、戦争のヒロイックな部分だけを描くことができる。感動的だったり、悲劇的だったり。

【書き方について②】
C:円城塔のスタイル、英語を透かして読めるというのも試みとしては面白いが、やはり伊藤計劃に書いてほしかった。
E:虐殺器官』や『ハーモニー』が面白かったから余計に。
G:私の感触として、伊藤計劃円城塔、どちらもわかりにくいとは思わない。
C:物語が入り組んでいるのもあるが、この作品は省略も多いから余計にわかりづらい。固有名詞が人名なのか組織名なのか判断がつかないということも。
また、描写の意味がわかるまで間が空く。110P「馬車の中には――わたしは自分が目にしたものを信じられない。」とあるが何を見たかわからず、10ページくらいそのまま。(戦場に似つかわしくない)ハダリーが乗っていた、ということなのだろうが、間に違う話を混ぜられてしまうとわかりづらい。
F:私、それ「巧いなぁ」って思った。
C:「巧いな」って思うのは、自分で小説を書いているから。小説を書いていない読者にとってはどうか。
G:19世紀くらいの小説ってすごく伏線が張られていて、それを模している。
C:読者に対してフレンドリーではない。読者に対するフレンドリーさはリーダビリティとも言える。気づいていない伏線があるかも。見つけられていたら「巧いな」と思うけれど、見つからなかったらアウトではないか。
112P、クラソートキンの「美しいな」という台詞も、何が美しいのかわからない。
B:私はあの場面、いいと思った。クラソートキンは戦場を「美しい」という人物だとわかって。クラソートキンが何を美しいと思ったのか、問題にすることはない。
G:屍者の存在が「美しい」ということかな。
C:短編ならいいんだけど、500Pある作品だと脈絡が浮かんでこないとしんどい。
G:個人的にはそういうもやもやが好き。また読み返せる、って。『屍者の帝国』は今回で5回目。1回で終わらないのがいい。読んでいて、リズムや触覚を脳に感じる。
C:それはいいんだけど、わかりにくいものは1種類にしてほしい。説明不足のわかりにくさ、菌株のわかりにくさ、物語のわかりにくさ、3つのわかりづらさが組み合わさってしまって。
G:その組み合わせが面白い。
E:平行線ですよね。お二人の読書に対する姿勢が違うから。向いている人と向いていない人がいる。
C:納得性のいくものか解析したい人、早くページの先へ進みたい人……
G:解析するのが楽しい人。
B:私は、他人の会話が明瞭でないことも含めてリアルだな、と。自分で書くときはちゃんと繋がるように書くけれど。
F:現実の会話は噛み合ってないですよね。エンタメ作品の会話は論理的になってる。
E:この作品の受け取り方は年代によって違いがありますね。肯定的なのは相対的に若い世代(参加者G、B、F…年齢順)。
F:触れてきたカルチャーの違いですかね。

【他の作品からの引用や、「遊び」について】
B:1ヵ所、明らかにアニメからの引用があった。「下着ではないから恥ずかしくない」(187P、バーナビーの台詞)の元ネタは「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」(アニメ『ストライクウィッチーズ』の販促キャンペーンの名称およびキャッチコピー)。他にもアニメからの引用があるのかな。
G:出版社的なサービス。アニメ化のとき、どの出版社に持っていくか一悶着あった。
C:(『風と共に去りぬ』の)レット・バトラーは登場する意味があったのか。レット・バトラーじゃなくてもいいし、いなくてもいい。
大村益次郎肖像画はおでこが大きい。確かに何かを埋め込んでいるみたいだから使ったと思うのだが、そこを除けば彼もいらないかな。意味ありげに出すんじゃなくて、遊びの部分ははっきりそうだとわかるようにしてほしい。
G:無駄なものや余剰を好んで入れている。名前は出てくるけど意味はない。アララトとかイルミナティとか。私は、本質はどこかと探しながら読む変な遊びも好き。
C:たとえば今の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。遊びが視聴者に伝わってきて笑える。どこが遊びか伝わってきたほうが面白い。エンターテイメント作品はそっちのほうがいいかな。私は、知っていて初めて楽しめる。カラマーゾフが出てきたところで遊びが入っていると気づくべきなのかもしれないけれど。
G:「知らなかったな」と思って楽しむ読み方もある。サブカルチャーの世界の、その種の軽いノリを感じる。遊びが楽しい。ここから先の二次創作の余地を残している。

<注釈(Gさんから頂いた補填資料より)>
[注1]生成文法についてざっくりというと、このような感じ:
人類には、SVO(主語・動詞・目的語)、 SOV (主語・目的語・動詞)、 VSO(動詞・主語・目的語)のようにいくつか語順パターン体系(統語の体系)、そして、表現の体系をもった言語があるが、どのような言語の話者であっても共通して、意味を伝えるための言語の文法体系を生来持っているという説です。
具体的な例:ブロークンな英語(例えば、アフリカの言語が母語だが英語を片言で母語とチャンポンで話すような)しか話せない話者を両親としてもつ子供がいたとして、その子供は両親のブロークンな表現の影響を受けつつも、それなりに体系的に整った文法体系を自分の意識の中に取り込み、相応に洗練された言語を獲得し、解するようになる。
→いわゆる植民地のクレオール語などはこういう経緯で誕生しています。

[注2]「死者の帝国」の警句の英文について
“Good old Watson! You are the one fixed point in a changing age. There’s an east wind all the same, such a wind as never blew on England yet. It will be cold and bitter, and a good many of us may wither before its blast. But it’s God’s own wind none the less, and a cleaner, better, stronger land will lie in the sunshine when the storm has cleared. Start her up, Watson, for it’s time that we were on our way.” 
                                                   
His Last Bow      John H. Watson, M.D. 

まず、比較的一般的に良く知られた訳を記しておきます。これ自体はホームズシリーズの「最後の挨拶」というタイトルからの引用だったと思います。(His Last Bowはそれを指します。)

古き友ワトソン。君は何年たってもまるで変わらないな。それでもなお、イングランドには未だ吹かない東風が吹いている。冷たく、厳しいものになるだろう。善良なる我々の多くはその風の前にひとたまりもないだろう。しかし、それでも神の御意志というものだ。清らかでより良く、頑強な大地が、嵐がやむころには広がっているだろうと思う。車のエンジンをかけておいてくれワトソン。出発の時間だ。

ざっくばらんに言うとこのような感じです。タイトルを検索すれば、もう少し善良な日本語での翻訳はあると思います。ちなみに、最後のHis Last Bow(最後の挨拶)は出典作品タイトル、John H. Watsonは書名、M.D.(Doctor of Medicine)は医学博士の学位の略号です。(これがあると主に内科医の資格を持ってることが示されます。外科医は別の学位、肩書が使われることが多いです。)当時の慣例上、名前のあとに身分や肩書のある人はこのような書き方で記載があります。
詳細は最近出た、次の資料に詳しいです。英国の階級や社交慣例の英語の本で、著者は英文学会の重鎮です。寄宿学校や英国の風俗研究、英文学絡みの著書があります。
新井潤美『英語の階級: 執事は「上流の英語」を話すのか?』講談社 2022年

•個人的に物語の何らかの関係があると思われる点→以下は個人的な見解と英語読解のようなものです。
特に最初の以下の文が意味深なような気がします
You are the one fixed point in a changing age.
普通の訳では、あなたはthe one fixed in a changing age、つまりどんなに時間がたっても変わらない、相変わらずというものですが、英語を分解するとちょっと気になる点もあります。
英語の構造的には
the one 人物の代名詞 あの者
後ろのfixed point in a changing ageは過去分詞の形容詞的な用法でthe one に後ろからかかります。(なので、和訳の時は後ろから解読した方が良いというやつです。)
まずfixed ですが、このfixは固定する、修理する、定着するなどの意があり、過去分詞の形を取ると、受け身の意味が発生して、固定された、定着させられたなどの意味になります。
そしてさらに後方の point in changing age ですが、これは変わり行く時に、時代にという意味となります。(厳密には変わり行く時代のある点)
ここまでを整理すると the one fixed point in a changing age は変わり行く時代の流れの中で固定されたもの、定着させられたものという意味になります。ここから普通は意訳して「あなたは相変わらずですね」「かわらないですね」という意味となりますが、私はこの辺りを英文が気になって、恐らくthe oneは劇中のザ・ワンともかかっていて、それでいてかつ、fixの定着した、固定などの意味を少し汲んで、次のように解してもいいんじゃないかと思っています。
You are the one fixed point in a changing age. 
あなたは流れ行く時代のなかで固定化された(定着させられた)ものだ。
おそらく最後の死者のプログラムのインストールによる書き換えがここに反映するのではないかと思っています。(もちろん、本来の意味とのダブルミーニングです。)

[注3]補足:『ハーモニー』の話の中では、人間の意識は、宗教的、神話的な話とともに定義されがちな概念とは違って、物理的な脳の発展に伴って出来上がって来たという話になっている。ネタバレを避けるためにグレーな書き方をしますが、簡単に言うと、脳内の複数の電気信号や刺激物質の流通が対立、交錯することによって人間が魂や意識と考えるものが成立しているという話です。逆に言うと、複数の信号や物質の錯綜や葛藤、流通が脳内に存在しなくなれば、意識というのは基本的には存在し得ないという話です。これは今回の作品の菌株の多様性が意識を生成するという話と接続性をもっているという形です。

[注4]これにはいくつか候補があるんですが、このとき想定してたのはちょっと古いラノベで次のものになります。厳密には全部ではなくて、キャラクターの台詞でした。それでも量としては膨大でした。
吉田直トリニティ・ブラッド Reborn on the Mars Ⅲ 夜の女皇』(2002年 角川書店
アニメ化もされた作品で、作中でルーマニア語公用語の国に主人公が潜入する話があるのですが、そこで使われる台詞の多くには日本語の台詞にルーマニア語のカタカナ表記が使用されています。出版当時はろくな学習書がなく、専門書や洋書を当たらないと難しいものだったので、表記を見た時は非常に画期的だった印象があります。改めて今見ると、とくに間違いも目立ってないのもすごいところ。
シリーズものなのですが、基本的に専門用語や大事な用語には日本語表記と同時に、何かしらの外国語が当てられていました。ヨーロッパが舞台だったので、場面場面にそった各国語か古典のラテン語だった記憶をしています。
※ちなみにこの作品は未完。途中で作者が急逝したためです。その点ではちょっと伊藤計劃と近いものがあるかもしれません。内容もわりと込み入ったあたりで共通性があったかもしれません。