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『供述によるとペレイラは…』アントニオ・タブッキ、須賀敦子訳(白水Uブックス)

Zoom読書会 2022.04.30
【テキスト】『供述によるとペレイラは…』
      アントニオ・タブッキ須賀敦子訳(白水Uブックス
【参加人数】出席5名、推薦の理由・感想提出1名

<推薦の理由(参加者F/事前提出)>
連日連夜、真偽不明の悲愴なニュースに流されて心ふさぐ昨今ですが、それというのも、世の中や人生に対する己の根というか第一義のようなものがいまだ確立できていないために生じるものと個人的に考えています。情報の渦に一喜一憂してしまうのは、けっきょくのところじぶんの足もとが固まっていないから、言い換えれば、生きるための覚悟あるいは肚が決まっていないからなのでしょう。(少なくともものの見方が)
そんなぼくにとって、このペレイラはとても親しみやすい存在です。彼はけっして英雄と呼ばれる人物ではありませんが、しかし彼は己というもの、あるいはたましいと呼ばれるものに殉じてちいさな正義を行動に移しました。ペンという武器で現実世界に一石を投じたのです。ぼくはここに、深く胸を打たれました。(かなしいかな、ぼくはおとなになれない子どもなのです……)
現在のうちの国は、なんとなく室町時代の終わりのような雰囲気が漂っているように感じます。(あくまでただの妄想です。しょせん中卒のぼくには知っている歴史は少ないのです――どなたか詳しいかた、このあたりの考察が欲しいです!)
あまったれのお坊ちゃまたちがやりたい放題やっていると感じられるこのご時世、やつらを肥えさせる税収の人形に成り下がらないための生き方――、いえ、そんな消極的な表現ではなく、いまここにあるちいさな正義に殉じる生き方、たましいに殉じる生き方の一例が、ここに示されているように思いました。前置きからだらだら長くて申し訳ないです。この本に秘められたちいさな火に、ひとりでも多くの方が共鳴してくれたらうれしいなと思います。

<参加者A>
◆字が小さいので不安だったが、すぐに読みやすい文章だとわかり、すらすら読めた。
◆なぜ供述という形を取ったのか、とても興味深かった。例えば、現在形で進んで「ぐずぐずしてはいられなかった。」(ラストから2文目)で終われば希望が見える終わり方になったかもしれないが、敢えて各所に「供述によると」を入れている。つまり、読者には最初からペレイラが捕まることがわかっている。まるで、社会は簡単には変えられないと言われているようだ。だけど、黙っているよりは、捕まったとしても声を上げるほうが希望があるのではと思った。私も仕事で不特定多数の人の目に触れる文章を書く機会があるので、ペレイラに肩入れしながら読んでしまった。
言論の弾圧は、決して近代だけの話ではなく、古代、現代、どの時代にもあるもので、それに抗おうとする人がいるという部分に普遍性を感じた。

<参加者B>
◆良い本を紹介していただいた。タイトルの時点で主人公が供述しているという作りが巧い。最初は中立の立場で読み始めるのだが、主人公に好感を持った瞬間、(読者は)絶望する。(自分の作品でも)その作りを真似したい。作者として、非常に気持ちがいいと思う。
◆社会情勢についても現代に通じると、言おうと思ったら言える。愛国を叫ぶ者たちが国を破壊していく。その中での主人公の孤独。友人も体制寄り。そして若者たちに取り込まれていくところに共感できる。自分のできる範囲で戦う、一人の人間として戦うのが感動的。
◆供述が細かい。鱈を焼くとか、警察の供述でここまで話すだろうか。非常に作り込んでいる。
◆たましいと死の話が結末を示唆している。たましいに従って動き、死については手放しているので、死んでいるようにも読める。
◆最近、別のルートでタブッキを知ったので、シンクロしている感じがする。

<参加者C>
◆タブッキを読めてよかった。放送大学の授業で名前をよく聞いており、ぜひ読んでみたいと思っていた。
◆普通のペレイラの、なんということのない日常から始まる。平易な、でも内容的にはどこか暗くて不安で、死や絶望に繋がる書き方。香草入りのオムレツ、レモネード。とくにキャラが立っているわけでもない。交わっている人も管理人だけ、と孤独。これから何か起こるのではという不安を引っ張っている。
◆最後まで読んだとき、第二次世界大戦の前夜だと感じた。この作品の年代より少し前だけれど、日本でも小林多喜二の拷問死などがあった。愛国主義軍国主義、言論の統制、思想の統制、逆らう者への取り調べ。この作品は、日本の特高警察が共産主義者を捕えて、拷問の末に殺したのに通ずるところがある。
愛国心の名前を借りたら綺麗だが暴力。正義の名のもとに人を合法的に殺していた日本と通底している。
ペレイラが、ロッシが殺されたことを新聞に載せてフランスへ逃げていくドラマチックさ、最後のどんでん返し。書く者として、ドラマチックな展開がすごいと感心した。

<参加者D>
◆大変面白く読めた。政治ドラマは嫌いではないので。映画にしても面白いと思う。『Z』(1969年、アルジェリア/フランス共同制作)とか、そういうテイストの話。
◆独裁社会、監視社会は今でも身近なもの。こういう社会でどう見られているのか。そう読めば、特殊な話ではない。だからといって二番煎じでなく、独特の捉え方がある。
◆物語としてどうなるかは先が読める。ロッシが出てきたところで、実際のラストと近い展開を予想ができたので、素直に読めた。
◆巻き込まれ型の物語。人生を諦めたわけではないが、やるべきことをやり終え、大新聞から小新聞に移ったペレイラが、飛び込んできた若者に巻き込まれる。松本清張が書いたらどうなるのだろう。ストーリーの構造が似ているので。
◆小説の試みとして、これはどうなのかと感じた点が2つ。
*1つは、会話文と地の文が切れ目なく続く書き方。なぜこういう書き方をしたのか考えさせられた。立ち止まりながら行ったり来たりにはなるが、一気に読めて、難しくないのですらすら入る。翻訳が上手で、日本語としてこなれているから綺麗に読めたのかもしれないが、スピーディーで内容に合っている。緊張感を出すために、この文体を作ったのでは。(自分の作品でも)真似をしたくなる。以前、鉤括弧のない作品について、鉤括弧を入れて読むと読みやすくなるので(鉤括弧をなくす)意味がないと指摘したことがあるが、この作品は鉤括弧を入れるとかえって読みにくい。真似しがちな人たちは目先を変えるだけだから読みにくくなる。文章スタイルと作品が一致しなければならない。
*もう1つは、供述スタイル。ペレイラ視点による、一人称的三人称。漠然とした誰かが語っている。違和感なく一人称で読めるが、供述調書のわりに詳しすぎる。警察の誰かの語りとして読んでしまうと具体的すぎて、こんな細かなこと書かないだろう、と思う。オムレツを2つ頼んだ、何時に起きた、レモネードを飲んだ……覚えているはずがないことを書いているのに引っかかった。なぜこういう形式をとったのか、こちらは、いまいちついていけない。文章構造として試みが成功すれば面白いと思うが、違和感があって手が止まってしまった。斬新に読めるので面白いと感じる人はいるだろうが。
スタイルについても考えさせられた、いい作品。

<参加者E>
◆時代に倣って推薦されたテキストだろうか。カルドーソ医師の心理学の理論に、たましいの側面、多重構造、せめぎ合いというような文言があり、そういうところにお惹かれになったのだと思う。推されるコアな部分はこれなのだと納得した。
◆人間の意識に迫ったところが核。
たましいとは同盟のようなもの、エレメントがせめぎ合い個人がある。その中でも、超自我に対して、自我の中でイドとエゴが巡っている。=(真偽は置いておき)複数のもので成り立っている。
それに呼応するようにイベリア半島の内戦、国内外のせめぎ合いが並行している。⇒大きな目線で見て社会と重なっている。
社会がせめぎ合っていると人間は不安になる。こういうときは、安定した昔の権威主義に戻りたがる。世の常みたいなものが読めた。
余談)忘れちゃいけない国際旅団。オーウェルヘミングウェイも参加していた。
◆また、ポルトガルの国民的詩人であるフェルナンド・ペソア。私も好きな作家なのだが、複数のペンネームを使い分け、作品において分裂している。たましいに繋がるのだろうか。なお、フェルナンド・ペソアは、平凡社ライブラリーより詩集が出ている。
◆作中で「郷愁」が何回か出てくる。これはポルトガルを語る上で外せない。郷愁(Saudade)はラテン語のsolitate(孤独)から派生し、過ぎ去ったものを一人懐かしむという意味がある。作中、主人公が住む場所として「サウダージ街」が登場するが、これは郷愁を意図して、そういう名前にしているのだろう。
偉大な過去の作品への想い。追悼記事に見られる、失ったものへの郷愁。純粋な意味でのホームシックではなく、過去を美化してそこに帰ろうとする、懐古主義をモチベーションにした権威主義のリスクなども書いているように思う。
今の混乱した状態を何とかしたいから、昔のように強いリーダーを求める。そんな間違った郷愁に押し流される人々が、若者の死の裏に見え隠れする。
◆ドーデ『最後の授業』がどう絡むかわからないが、重要なファクターである気がしている(動乱の中にある国の状態/心理学によって発生した個人の疑似動乱)。
◆供述調書に意味はなく、リフレインみたいな感じで用いているのだろうか。イタリアや、イベリア半島のスペイン、ポルトガルは、「○○によると……」という表現があると、切れて間に代名詞が入る。そこにサブセンテンスが続く。口承芸術のように、読み上げるのを意識したのでは。意味があるようでないような遊びかな。
◆会話文と地の文が切れ目なく続く書き方は、作中時間の1938年、一部の作家の間で流行っていた。例えばフォークナー。1ページまるまるピリオドがなく、鉤括弧も曖昧。それを模して書いているのでは。

<参加者F(提出の感想)>
(ぼくは読んだ本に感想を書くことを習慣にしていますが、以下の文章はそのとき書いたもののコピーです。だれかの目を意識して書いていないため、ものすごく読みにくい上、じつは尻切れトンボなのですが、どうかご了承いただきたいです。新しく書き直そうという気持ちがなかったわけじゃないのですが、ここはひとつ、繁忙期というキラーワードにあまえさせていただきたいです……)
 ちいさな個人の決意とたたかいを描いた物語。第二次世界大戦前夜、独裁政権下のリスボンが舞台。主人公は小規模の新聞社につとめる記者。容姿・体質・気質ともにおよそ英雄的なイメージとはほど遠い彼が、ある若者たちと出会ったことをきっかけに、ゆるやかな内的変革を遂げていく。
 物語は本編には登場しないだれかの視線で語られている。調書や事件ということばがたびたび使われることから公的な機関の関係者だと思われるが詳細は不明。そもそもその人物がどこの国の所属なのかもまた不明。この「供述」がひとつの魅惑的な謎となって読者にぐんぐんページを繰らせる。このお話の語り手が、願わくばペレイラが亡命をしようとしたフランスのひとであればと思うが、よく考えたらその国はじきにドイツによって占領されてしまうのだから彼にとって救いはないか。ただ、あくまでも形式上には「取り調べ」をしてくれているのだから、彼が拘束されているのは少なくとも法がまだ生きている国なのだと淡い期待を抱いてしまう。
 とにかく、まず、このお話は文章スタイルが抜群によかった。表題でもある「供述によるとペレイラは」を作中なんどもなんども使ってくるこの大胆さと斬新さ。いつだって冷ややかに、いつだって重く切実に読者の胸をなでつけてくるこの語句はまた、語られている作品世界の圧迫感や哀切さをいっそう引き立たせているように思う。すがたなき視点による二重構造によって作品は深みどころか普遍性さえ宿しているのではないかと思う。孤独、ファシズム、監視と圧力、不健康、死とその影、そして夏。作品は絶えず息苦しい閉塞感に支配されていて、ずいぶん胸にこたえてしまうが奇妙なことにページはするするめくられる。図々しくて甘えん坊で視野狭窄で頭の固いロッシにはなかなかもどかしい思いをさせられて、それもまた心をわずらわせられる部分のひとつ。けれども、裏を返せば彼はそれだけ懸命に生きようとしていたのであって、その荒々しいエゴの衝動によって生じた行動――、マルタという女性にも同様に暗示される作品底部のひそかな戦い、若者たちの真摯な熱情と行動に読み手が心を、いや、たましいを刺激されたからなのだろうと思う。管理人や上司には思ったことを口にできるペレイラが、彼らにだけは心とちがう行動を取りつづけるのはもちろん父性のはたらきもあっただろうが、それ以前に、やはりまた、たましいに訴えかけるものがあったからだろう。
 妻の死、葬儀屋だった父、ロッシの死についての論文、まだ存命中の作家たちへの追悼文。あるいはある社会主義者の死。冒頭からすでに「すがたなき死」に満ちた作品世界に胸を打たれる。「目が痛いほどの透明な青さのなか」という本来なら生命力が格段に増すはずの暑い夏、編集室に閉じこもってペレイラはひとり死について考えている。彼はじぶんが所属しているカトリックの教えには心から満足していない。だからといってこれといった哲学もないが、しかし「たましい」の存在は信じている。でもやはり、それを公然と宣言する気持ちはない。そうしたもどかしさ、落ち着かなさが、彼に「まだ生きているものへの追悼文」を思いつかせたのだと考えると、それは「たましい」の声のはたらきだったと、そう考えることができるかもしれない。彼がその後、あくまでもゆるやかでありながら、じぶんの人生をたましいにゆだねていったことを考えるととても示唆が深いと思う。海洋クリニックの医者が話したエゴの話はおもしろかった。多元的なたましいのはたらきによって自然と代わっていくものについては、身をゆだねた方がいいということ。ここに、この作品の普遍性が色濃く出ているのではないかと思う。内なる変革と個人のたたかい。どんなに困難な状況下でも、おのれのたましいの命ずるままに、おのれのしごとをやってのけるというその尊さはいつの時代のどんな人間の心にだって響くものがあると思う。記者である彼はペンをもって戦った。その命を賭した孤独な戦いに共鳴するはやはりここにあるたましいに他ならない。
 じぶんにあまく、だらしなく、いつまでも過去のぬるま湯にひたりきり、できるかぎりひとや世間との衝突をさけ、ひっそりとつつましく生きようと試みつづけ、解説によるところの「弱い現代人」、国にとどまっている理由は「郷愁」と言った彼が、ラスト、強い意思をもってみらいへと脱皮しようとしたすがたはほんとうに感銘が深い。また、文芸面の責任者兼ゆいいつの記者であるペレイラが、しごとのために翻訳していくフランスの小説がまたお話の雰囲気を高めていく。砂糖なしのレモネードや妻の写真と話す時間の減少は、彼のゆるやかな心情変化を外的に表現するものとして巧いと思った。ロッシの死がマルタからの軽率な電話に起因しているであろうとうかがわせることにひとの世の残酷さと切なさをみる。地の文のなかに会話や仕草、思考を織り交ぜる文章表現は「供述」という作品体裁の雰囲気を出すとともに、作風の圧迫感をさらに高める機能を持っているように感じた。現実とは真逆にたいていは「すばらしい」と感じる「夢」については原則的に口をつぐむペレイラのすがたも印象的。……この感想はあきらかにまとまっていない。お話の核心をとらえていないからだ。いまのところは、ただただ圧倒されているだけなのだろう。時間を置いて、もういちど読まねばならないと思う。

<フリートーク
【Fさんの感想によせて】
C:Fさん、読んだら感想書かれてるんですね。すごい。
A:私、読んでいて楽しかった。※当日、Aが読み上げました。
E:私もだけど、ネタバレしても大丈夫なタイプかな。過程が大事で、何が面白いか考えながら読む。だからオチから読んでしまうことも。
A:フーダニットで犯人を知ってから読む、みたいな?
D:伏線がある場合、最後から読んだほうが面白いかも。
E:Fさん、プロット解析とかされてそうですね。

【「供述によると」という書き方について】
C:気になったのは、「供述によると」。鬱陶しいと思ったが、代名詞のあとに文章を続けられるんですね。
E:センテンスを切って、ピリオドを打たずに続けられる。原文で朗読したらいいかも。
D:普通の作品だと「彼は言った」。漠然としていて、語り手について気にならない。「供述によると」だと、語り手を具体的に想像してしまう。リズムのためなら、合いの手は違うものにしたほうがよかったのでは。タイトルになっているので、読者に読ませよう、読者を惹きつけようとしているのか。喜んでついていく人もいるだろうが、強引だと感じる。良し悪しかな。
E:突き放した感じは出る。「ああ言ったらしいで。知らんけど」みたいな引き離し方。警察も信用できないから、妙な突き放しのニュアンスを出している。寄り添っているようで、寄り添っていない変な距離感。
D:「供述によると」で始まる部分だけ抜き出したらどうなるか。警察官の知らないことも混ぜてある。
E:そこではピリオドが切れている。
D:ざっと読んだだけでは区別がつかない。オムレツを2つ頼んだ、など覚えているはずないと思ってしまう。
E:だから「知らんけど」みたいなニュアンスになっている。
D:読み手を撹乱するための文句に思える。
B:ペレイラが嘘をついている可能性もある。ペレイラ主導で反政府活動しているのかもしれないし。
E:後で作られた調書という体ですからね。
ドーデ『最後の授業』は、フランスとドイツの境にあるフランス領アルザス地方の学校が舞台。普仏戦争でフランスが負けたため、フランス語が使えなくなり、学校でのフランス語の授業は最後となってしまう。現実では、アルザス地方で話されているのはフランス語アクセントのあるドイツ語。作品にイデオロギー先行という側面があるのではないか(愛国のための思想主導の小説)。教室全体が本当なのか、どこかで曲げられているかもしれない謎の距離感。(※後述【その他】に関連の話題)
『供述によるとペレイラは…』の追悼記事も、本当のところはわからない。網の目で繋がるのか、時間を置くとわかるようなわからないような気がしてくる。
D:どこが嘘か匂わせないと効果が出ない。ちょっとだけ、わからせるようにしないと。そうすると信用できない語り手になるが、この作品のように完璧に書かれると効果がない。作法として意味がないのでは。
実はペレイラが喋っていると面白い。自分で書いてるとか。
E:その可能性もありますね。

【なぜペレイラはロッシの頼みを断らなかったのか?】
C:「供述によると」とあるが、なぜそうなったかわからない、という文言がたくさんある。ロッシの頼みを断ればいいのにそうしないし、原稿料をポケットマネーから出したりしている。
D:「もしかしたら彼ら(ロッシやマルタ)のほうが正しいんじゃないか」「新聞には載せられないけど、書かれていることは正しいんじゃないか」と感じている。潜在的に情報交換の価値があると思っているのでは。
E:あるいは直感ですね。
D:なぜかわからないけれど巻き込まれるのは必然だったのか。その仕掛けが離れすぎているから読者に伝わるかわからない。伏線と回収は離れすぎないほうがいい。
C:この場合は大丈夫じゃないかな。たましいが出てくるけど。

権威主義と民主主義について】
C:権威主義体制下では領土を広げたい気持ちが起こる?
E:自分の権力を維持するために戦争を行う。絶えず仮想敵を作って、自分の支持を盤石なものにする。もちろん野心もある。何らかの表現で大衆を惹きつけている。
ペレイラは直感的に反目したり離れたり、勘がいい。カトリックから距離を置いている。あの時代、カトリックファシズムと融和主義を取るから。理屈抜きに反体制に惹かれる勘の良さを書いている。
C:でっち上げても仮想敵を作る。そうして高い支持率を得て。
D:民主主義も一緒。
E:民主主義で偽装できるから、なかなか潰れない。
D:権威主義の否定的な面が強調されるけど、感染症を抑えきれるのは権威主義。マイナス面だけじゃない。今、権威主義のプラス面を言うと、独裁者に肩入れするのかと言われるけど、優秀なトップがいれば権威主義でも成り立つ。民主主義でも腐敗するし。
腐るのは誰でも腐る。国民が腐ったら民主主義も腐る。選挙に行かない国民は民主主義を支えているのか?

【予備知識について】
B:詩人のカモンイス、ディスられてましたね。「ここに陸終わり海始まる」。フロイスくらいの時代の人だから歴史小説に絡められそう。
D:文学の知識があれば、もっと面白く、興味深く読めたはず。私は国際旅団とか詳しくないけど、それなりに読める。でも、知ってたらもっと深く読めたかな。
B:ポルトガルでは、作中の1938年からまだサラザール独裁政権が続いて。イベリアの人、大変ですね。
D:歴史小説がわからないと敬遠する人の気持ちがわかった。
E:私も大きいのは知っているが、脇になると理解が適当。
D:作品に埋め込まれている知識は、あとになってわかると「なるほど」となる。
E:フェルナンド・ペソア、お薦めしたい。謎の詩人。学術書の出版社からしか出ていないけど、鞄とかグッズがやたらウケた。
『供述によるとペレイラは…』は、掘り返すところが結構ある。

【作中の食事の描写について】
B:読んでいるとレモネード飲みたくなりますね。実際今、飲んでるんですけど(笑)。
C:葉巻吸ってるのも影響ですか?
B:影響ですね。今日は葉巻とレモネードで。めちゃめちゃ部屋が臭くなる。私は煙草は吸わなくて、3ヵ月に1回ほど葉巻を吸います。
E:私は読書会が終わったらオムレツを作ろうかと。期限が迫ってる卵が4個くらいあって。香草はないのでキャベツで(笑)。
A:作中の食事の描写、すごくいいですよね。食べたくなる……。一緒に食事して、打ち解けてきたみたいな意味があるのかな。
C:小説に食べ物を入れるの、効果的ですよね。確かにレモネードとオムレツが食べたくなる。あれじゃ体も悪くなります。
E:作中の地域に実際に住む人の砂糖の入れ方、すごいですよ。飲み物にゲル状の物体が入ってて、よく見たら砂糖だったっていう(笑)。
後ろ暗いものがあるけれど、日常は続いていく。食べ物、リラックスの方法……緩急のつけ方が巧い。隣の国では内戦をしているけれど、のんきな日常がある。
B:魚の焼き方も供述させるんですかね。独裁政権で無尽蔵なマンパワーがあるなら、微に入り細に入り、調書を作れるのかな。
D:盗聴されていたのかも。それだと作れる。管理人が盗聴していたとか。
B:管理人のおばさん、いいですよね。公然とスパイをしている。あと、ラジオを聴かないと自分が統制下にいるとわからないのがリアル。
D:今も同じ。繰り返している。情報は片側からしか流れてこない。

【その他】
◆(ドーデ『最後の授業』の流れで)
D:『最後の授業』のアルザスは、取ったり取られたりの地方。そこに住む人は、フランスとドイツ、両方の言葉を知っていた。『最後の授業』は子どもにわかりやすくする寓話だろう。
E:全員両方喋れる。フランス語とドイツ語、日常的にどちらもある環境。だから、『最後の授業』のように綺麗にいかない。

◆(作中の食事の描写についての流れで)
E:タブッキはイタリア人。イタリア人は食事にかける時間が長い。コースも延々と……。
A:ちなみにイギリスだと?
E:イギリスはそもそもご飯に味がついていない。フィッシュ・アンド・チップスとか、食べる前に側にソースがあるから。

◆B:ペレイラ、金ありますね。家に電話あるし。
E:ブルジョワジー
B:このリッチな感じ、リアルなのかな。
E:こんな人がいた記録はありますね。
A:極右になるのは貧困層で、豊かな人は政権批判しているイメージ。
E:確かに、困った人につけこんで「(貧しいのは)やつらのせいだ」と言うから、貧困層に支持者が多いけど、こういう層もパトロンになっているから何とも言えない。
戦争が近づいても、空爆が始まるまでは普通に暮らしていた。ある日ドカンときて破綻する感じ。人間は、差し迫ってても同じような生活を続ける。
B:正常性バイアス
E:そう、それです。

◆E:以前、別の読書会でタブッキの『インド夜想曲』を取り上げたが、この作品とだいぶ印象が異なる。何年も前だからバイアスがかかっているけど。ジャンルも違うし。
A:『インド夜想曲』も同じ訳者ですね。
D:翻訳が上手。ものすごく。昔の翻訳だと読めなかった。翻訳権は著者が取る場合と出版社が取る場合があるけど、後書きを見た感じだと著者が取っているのかな。