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『黒牢城』米澤穂信(KADOKAWA)★Zoom読書会

Zoom読書会 2022.01.22
【テキスト】『黒牢城』米澤穂信KADOKAWA
【参加人数】出席5名、感想提出1名

<推薦者の理由(参加者F)>
『黒牢城』は、「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」のすべてで1位になっており、読んでみようと思った(昨年も、ランキングを網羅していた辻真先『たかが殺人じゃないか』を読んだ)。
作者である米澤穂信は、2014年刊の『満願』で史上初のミステリーランキング3冠に輝いている。『満願』は評価されるだけあって面白かったので、『黒牢城』も手に取った。
『黒牢城』を読んで、直木賞の候補作になるのではと予想し、実際そうなった。この作品と、今村翔吾『塞王の楯』、どちらが選ばれるのかと考えていたが、同時受賞となってよかったと思う。(直木賞を)受賞した二作ともが時代小説というのは珍しい。
宮沢賢治作品やオルダス・ハクスリーすばらしい新世界』のような、長く読み継がれている名作もいいし、肩を張らずに読めるものもいい。とくに、エンタメを好んで書く人にとってお手本になるのではと思い推薦した。

<参加者A>
米澤穂信は『満願』でも直木賞候補になったが、そのときは黒川博行『破門』が選ばれた。『満願』のほうが面白かったと言う人が何人かいて、私もその一人。
◆『黒牢城』も読むのが楽しみだった。荒木村重がどんな人物だったかは謎に包まれている。織田信長に反旗を翻して、有岡城に籠城し、負けが決定的になると皆を残して逃げたことで知られている。有岡城では、幽閉されていた黒田官兵衛が有名だが、荒木村重のイメージは悪い。それをどう覆すのか期待していた。
◆この作品では、荒木村重を人柄のいい武将として書いている。
今までは、源義経織田信長豊臣秀吉徳川家康などはイメージよく描かれ、平清盛明智光秀などは退治されることが多かったが、最近はそういう人物像を覆す作品が多い。
◆村重から人心が離れていく過程が上手く書かれている。
◆物足りなかったのは、村重が信長を裏切った動機がよくわからなかったところ。そこにもう少し筆を割いてほしかった。
私が30歳くらいのときに読んだ遠藤周作『反逆』には、その辺りがもっときっちり書かれていたと思う。

<参加者B>
◆私は「荒木村重が籠城して、黒田官兵衛を幽閉し、最後は逃げ出した」という、本当にざっくりしたことしか知らなかったが(謀反の背景や、北摂の勢力などは知らなかった)、すらすら読めて、とても面白かった。
歴史小説としてよりも、舞台が戦国時代のミステリーとして読んだ。話を聞いて事件を解決する安楽椅子探偵、というような。
官兵衛が、『羊たちの沈黙』のレクター博士のようだと思った。
◆第一章「雪夜灯籠」と第三章「遠雷念仏」が密室トリックになるのだろうか。
◆千代保が関係しているというのは第一章でわかった。火鉢を持ちこんだのが千代保だったので。その中に矢が隠されているのでは考えたが、それはまったく外れだった(あの中は調べたのだろうか?)。
第二章でも、死化粧を施したのは女房衆だったし、誰が首をすり替えたかという謎がスルーされていたので、絶対千代保だろうな、と。
◆よく調べている。鱸(第四章P363)とか……
F:実はけっこう嘘がある。
B:信じてしまうくらい上手く書いてますね。どれが嘘かわからない。
ものすごく歴史に詳しいように感じたが、作者は他に歴史小説を書いてるのか?
F:米澤穂信は、京都アニメーション制作でアニメ化された『氷菓』がデビュー作。これまで歴史小説は書いていない。

<参加者C>
米澤穂信の作品では『さよなら妖精』も読んだ。
◆『黒牢城』は、(時代小説畑とは)“別の畑”の人が書いた時代小説、だろうか。冲方丁が書く時代小説のように。
◆『このミステリーがすごい!』大賞で選ばれた作品には、いまひとつと思うものもあるが、『黒牢城』はよかった。
ミステリーとして読むと、そんなに大した謎は解いていないが、有岡城という舞台を持ってきたのが成功している。
◆文体が気持ちいい。徹底して戦国時代っぽい雰囲気。台詞のキレが素晴らしい。ビシビシ叩きつけるよう。
◆官兵衛を安楽椅子探偵にした時点で勝っている。目先に謎を用意し、凄みのある官兵衛が牢で解くというサイクルの作り込み。ミステリーでなくても、「謎」の管理ができるので自分の作品にも取り入れたい。
◆当時の武士の作法を“それっぽく”書いている。相当研究している。エンタメは、楽して書けないと感じた。
◆それらしい雰囲気が出る文体を磨いて、それらしい雰囲気が出る研究をして、得意ジャンルを2つくらいミックスすれば新しいエンタメ作品ができる。

<参加者D>
◆時代小説を読み慣れなくて、武家の言葉遣いや作法に慣れるのに時間がかかった。
第二章くらいから慣れてきて、戦国時代とか武士とか主従関係とか……進むことしかできないという世界観を受け入れられた。
◆エンタメ作品を読んで、(自分自身の)死生観・宗教観を持ち出すのは間違っているとわかっているが、戦国時代って大変だなと思った。やたら人は死ぬし、血塗られている。自分の奥さんも家臣も信用できない。拠り所は、やはり宗教になるのだろうか。こんなに殺して極楽に行けるのかな。
現代では、「家」や子々孫々栄えることは、大した問題ではない。子どもを作る/作らないも個人の自由。だから戦国時代の「家を継がせる」とか違和感がある。
武士は逃げたり投降したりしているけど奥さんは磔になっている。そういう世界に憤りを覚えた。
そういう読み方は間違っているとわかっている。「ミステリーを取り込んで、史実に忠実に仕上げた」。その力量について話さねばならないが、世界観を好きになれなかった。
◆官兵衛が、村重の恥になるように持っていこうとしている策略はわかるが、いまひとつぴんとこない。村重は官兵衛の策略を見抜いているのに、なぜ乗るのか? 戦国の世の中ではそうするのかもしれないけれど。

<参加者E(提出の感想)>
 ミステリ調の歴史小説という異色作。宗教というものの意義について深く考えさせられた。時代ものを読んだのはほんとうにひさしぶり。司馬遼太郎さんにどっぷりだった十代後半を思い起こしながら読み進める。若いころと同じように夢中になってページを繰った。命というものを日々天秤にかけていた当時の人間たちには敬愛の念。「生き延びる」ということばの意味が現在のそれとは重みも深みもちがうと思う。ほんの些細な判断ミスひとつで、彼らは己のみならず、家族はもちろん臣下や民の命すらことごとく風前にさらしてしまう。であるからこそ、彼らは真剣に思案し真剣に行動する。「まじめ」では決して務まらなかっただろう。当時と現代のライフスタイルを比較することに実際的な意味はとぼしいだろうが、けれどもやはり身がひきしまる。生きるということは本来どういったことだったのか、死とはいったい何だったか。じぶんと呼ばれるものや人生に対してふだんよりも切実に、そして神妙に想いを馳せる。
 そんな、ただでさえ血肉があわ立つ歴史ものにミステリ調を取り入れられてはかなわない。作品世界にじぶんの生き様を重ねつつ、記憶にしずんだ史実をたどたどしく手繰り寄せ、さらには形ながらの「推理」にも頭を使ってしまうからとにかく忙しい読書となった。おかげさまで頭も心も充足だった。この本は、お話として純粋におもしろい。小説はやはり構成とキャラクターだなとつくづく思う。今作のワトソン役は武力もあって華がある。熟練したもの書きの技なのか、作品後半、無辺の密室殺人の段にて、容疑者のひとり、与作を一時語り手に据えるところはおもしろかった。くわえて、そのあたり一連の流れ、【硝煙蔵から出火→警護が強化→無辺が街へ→村重の迷いと茶器への執着の描写→曲者登場→庵に兵を派遣→目につくようになる】といった、細い糸を巧みに絡めてつぎの事件のトリガーとする構成力に胸がふるえる。また、一般的なミステリとちがい、「事件」じゃなくてもひとの命がつぎつぎと消えていく背景は、時代とミステリを掛け合わせた今作ならではの特色じゃないかと感じた。
 それから、この本は「読者の居場所」の大切さを教えてくれた。(もっともミステリの場合はそこが重要なのかもしれないが)お話のはじまりから終わりまで、ぼくはひたすら作者の手のひらに囚われたままだった。たとえば第一章の自念の刺殺は、矢に紐をつけるとか直接刺すとかたいていの読者が考えつきそうなことはちゃんと書いてくれている。ここにちいさな満足を覚えて、読み手はますます没入していくのかなと思う。各「事件」はそれぞれちいさな謎を残したまま幕を閉じるが、その深層を千代保という一本の糸でつなげたラストはとてもきれいだと思う。この場合、一般的なミステリのいわゆる「真犯人」のように作者が巧妙にその動きをひた隠すのでなく、あの女も恐らくどこかで絡んでくるだろうと読み手にうっすらと印象づけておくところが肝なんだろうと思う。
 また、読者の関心を散らすために用意された背景の仕掛けに作者の卓越した技を見た。大前提としての「籠城」、一歩間違えれば即家中もろともの死という恐怖、ひたひた迫る足音のようなこの背景がひややかな緊張感を作中に絶えず演出している。それを強化、あるいは扇動するさまざまな波がまたよかった。来ない援軍と内通者という暗い影。食料の問題。臣下や民のモチベーション。知恵者ゆえの猜疑と孤独。そして官兵衛という不気味な男。彼がここを生き延びることは知っていたが、その思惑そのものをこのお話の本流に据え、題して『黒牢城』とした作者のセンスに心打たれた。冒頭の官兵衛への尊崇や憐れがラストまで引っ張っていくことも見事と思う。語り出しの熱はほんとうに大事なんだと思う。
 もちろん、「信長の逆を為す」ことに拘泥したため、結果的に落城という命運を迎えてしまった村重そのひとも物語として胸にしみる。現代に生きる読者にとって、先の分かっている負け戦、大波に逆らおうとする岩のような村重や有岡城の「もののあわれ」もまた、読者の心を惹きつけるお話の一因であったと思う。ラスト付近、村重がどちらが牢に入っているか分からないと戸惑う場面はものすごく印象深い。
 
 そしてまた、このお話は宗教というものの意義について深く考えさせられる作品だった。作中、キリスト教を含めたいくつかの宗派が登場するが、それらをお話の伏線として絡ませるだけでなく、それそのものの必要性や具体的な発展段階、それから存在証明を読者の胸にひじょうに色濃く訴えかけているように思う。乱世というあまりに不条理な環境の補償機構としての宗教。死後の安寧を夢みさせてくれる心の救い。これらを想うと切なくなる。作中、ところどころに挿入される信長の非道ぶりは「世の不条理」のシンボルとして途方もなく象徴的。第三の主人公、千代保の心的外傷であり、かつ、人生的な「救いと再生」を見出すきっかけとなった「長島の一揆」はあまりにも酷烈すぎるが、しかしまた、そうした見せしめを行わなければ命危うくなってしまう信長の考えも説得力がある。そんな彼も暗殺された。人間五十年、と「敦盛」が耳をかすめる。ひとの世は、よくも悪くもほんとうに儚いと思う。

 細かいところだが、各章がアラビア数字で表されていたことは印象深い。
 さいごに、この本にこのタイミングで触れたことに奇縁を感じた。
 現在の住まいは篠山、お話の舞台である北摂は他の土地よりはなじみがある。けれどもぼくはいつまでもここに住もうと思っていない。恐らく終の住処になるだろうつぎの居住地は和歌山と決めているが、今月はじめ、祖母の三回忌の折に下見のつもりで泊まったホテルは和歌の浦の小雑賀というところだった。雑賀。作中でひそやかな活躍をした名前。そろそろ篠山から出ようと考えていたいまのぼくに、こういった偶然は深く染み入る。アナトール・フランスは「偶然にこそ神が宿る」と言ったそうだが、文学の神さまという存在に思わず頭を下げたくなった。

<参加者F(推薦者)>
◆史実に基づいて書かれているこの作品を、歴史小説として見たらどうだろうか。
*『黒牢城』の荒木村重はあれこれ悩んでいる。視点人物の内面を書くと、内向的で神経質なキャラクターになってしまう(村重を豪放磊落な人物として設定したとしたら内面の描写はできない)。
*村重の視点で書くならば、彼のその後の人生を書かなくてはならない。しかし、なぜ彼が裏切ったのか、生き延びたか、動機が書かれていない。村重視点の限界がそこにある(千代保や官兵衛の視点で村重を描けば、村重のその後は書かなくてもいい)。
*官兵衛を探偵役として設定したので村重視点にしなくてはならなかった。歴史小説としては弱い。
◆第一章は密室殺人。矢を操って人を殺す機械仕立て。場面設定がお誂え向き。春日灯籠が置いてあって、雪が降っていて……現実ではあり得ないが、そう設定しなければ密室は作れない。
(すべては密室を作るための設定だが、小説として読んだとき)もっと簡単に殺せるのに、なぜそこまでしなければならなかったのかがわからない。
そのようにした理由を「神の罰だとしなければならない」という理由付けは巧いが、それなら、千代保や御前衆の五本鑓が結託して口裏を合わせれば、もっと簡単に密室が作れたはず。
歴史小説としては弱い、ミステリーとしては首を傾げる。『このミステリーがすごい!』大賞ではどこが評価されたのか。部分的なエンタメとしての出来が良かったのでは。
D:歴史小説の中にミステリーを取り入れたからでは。
F:そういう作品はたくさんある。物語として良かったのだろう。
D:官兵衛はただ謎を解いていただけでなく、籠城を長引かせていた。どんでん返しで意外性がある。
B:千代保は最初から怪しい。火鉢を持ってきたのは彼女だし、自念の安らかな死を願っていた。
D:でも、自念を死なせている……。
B:千代保は自念を武士らしく死なせてあげたかった。
F:村重の行為は武士にとっては残酷。だから森可兵衛が動いたのだけど、彼が動くなら他の者も動くのでは。
村重が、わざわざ護衛をつけなくてはならない、庭に面した納戸に自念を放り込むのもよくわからない。密室を作るのに都合がいい場所を選んだようで。作者の都合なのだけれど、「神仏の為せる技」みたいに巧くごまかしたな、と。あまり出来の良くない密室。

<フリートーク
【大津を討ったのは本当に村重だったのか?】
D:第二章「花影手柄」で首をすり替えていたのはなぜ?
F:仏が罰を与えていると思わせるため。
D:村重が大津伝十郎長昌を討ったことにしたのは良い判断。高山大慮と鈴木孫六、どちらか一方の手柄にしないためにそういうことにした。
B:城平京『虚構推理』みたいに、(作中の)多数が納得するような結論を導くっていう。
C:殿が手柄を取ることになるのは、逆に説得力がないような気が。
B:他の可能性を排除していって、たぶんこうだった、みたいな。
F:誰も大津の顔を知らないから言いくるめられる。
C:ミステリー作品として考えると、官兵衛がそう言ったので、本当に村重が討ったのだと思う。
D:官兵衛は、家臣にこう言えばうまく収まると教えたのでは。
F:P151、村重が弓を引くときに兜を脱ぐのを読み飛ばしていたが、それが伏線になっている。叙述を見せたかっただけでは。そのためだけの第二章なのかと。
B:官兵衛も村重も、それが真実だと知っていたのか、あるいは落としどころを見つけたのか……。
C:安楽椅子探偵のお約束としては、処世術ではなく真実を与える。「あいつは犯人じゃないけど、犯人にすれば上手く収まる」とか言わない。歴史小説として見れば、官兵衛のような老獪な人はやりそうだけど。

【ミステリー小説として見ると】
C:ミステリーとして見たら、針と糸を使うような機械トリック。目新しいトリックを追求するのは90年代で潰えたのか。
F:出来のいい本格ミステリがあまりないかな。
C:ゼロ年代からコズミックなほう(※清涼院流水に連なる系譜)に行って、キャラ小説に行って、ここに収束した、みたいな。
F:島田荘司占星術殺人事件』。アイデアはいい。ただ、初めて読んだとき「お」と思っても、やはり無理を感じる。
C:そう思うと、要素だけ取り入れて、舞台を追求するのはいいかもしれない。
雷に打たれるのはアリなのか。第四章の書き方なら、鉄砲の玉は村重のフカシかなと思った。実際は見つけていないのに鎌をかけたとも取れる。

【村重の描き方について】
F:謀反人の村重を書くなら視点人物を決めないと。明智光秀にしても松永久秀にしても、なぜ裏切ったのかわからない。本人視点にすると裏切った理由を書かなくてはならなくなる。
A:村重が妻子や家臣を有岡城に残して、茶壺〈寅申〉を持って逃げたのは皆知っている。官兵衛の策略にまんまとはまって出ていったほうが面白かったのではないか。官兵衛の言うことには説得力がある。「〈寅申〉を毛利に渡せば勝てるかも」というところで筆を置いたほうがよかったと思う。籠城していては100%負ける。「もしかしたら勝てるかも」と思っているところから卑怯者の汚名を着たほうが面白い。
F:私はそういうふうに終わったら嫌だと思って読んでいた。村重はこれまでクレバーだったから、策にはまって終わったら嫌だな、と。「毛利を待っている」とあるが、海路を使えば催促の使者を送れるのでは。でも送っているように見えない。だから城内の人たちも不安になる。また、〈寅申〉をもっと早く毛利に渡せばよかったのに、とも思う。
D:使者を送るなら、無辺の代わりはいるのでは。
C:作中では唯一無二の存在として書かれている。
D:無辺の話は弱いと感じた。最初から無辺を殺すつもりだったならわかるが、突発的に殺してしまったというところが。
F:咄嗟にあそこまで用意できるものか。
C:口論で……というのも想像。そこは重要ではない。
F:ミステリー的に面白いのは、〈寅申〉ではなく行李が狙われていたこと。無辺に化けるために行李を使いたかったという引っ掛けが唯一のトリック。
D:先に殺されたのはどちらか、というのも。
C:無辺、無理のあるキャラですよね。
D:この章は伏線もあった。瓦林能登が念仏は唱えられないとか、きちんと書いてある(P231)。
F:そこはあとで書き足せる部分だから辻褄合わせできる箇所。
それより、村重はあそこでなぜ〈寅申〉を使って、毛利に届けないのか不思議に思った。有能な人物として描かれているのに、何もしないで待っているだけになっているので。毛利を繋ぎとめるよう交渉に行かなければ。行けないなら行けない理由を書かねばならない。
A:あのころ茶道が発達していたのは上方だけでは。(〈寅申〉が)交渉の道具として織田に通用しても、毛利には通用しないのでは。Fさん、どうですか?
F:そうかもしれない。私が書くのだったら、「安国寺恵瓊が秀吉と会談するとき、茶の湯を持って帰った」という話を作ってしまうかも。恵瓊はお公家志向じゃないですか。
C:歴史好きとしては毛利が来なかったのに違和感はなかったが、村重は来ると思って謀反を起こしたというふうに書いてもよかった。
F:木津川の戦いで負けたあとなので毛利は来ない。
C:(村重の謀反は)史実的には謎の謀反なんですよね。
F:そのあたりの説明がもうちょっとほしい。
D:村重は、官兵衛の「茶器を持って毛利に行け」と言うのが策略だと見抜いたが、なぜ行ったのか。官兵衛の復讐で策略であると知っていたら行かないのでは。
F:好意的に解釈すれば、「頭の片隅に残っていて、だんだんそういう気になってしまった」。
D:純文ならある。でもエンタメ作品における大きなターニングポイントでそう持っていったら駄目なのでは。
C:「本当にそれが最善の手ではないか? 八割方、名誉を失くして終わるが、もしかしたら……」それを見せたのが官兵衛の老獪さ。
F:官兵衛の戯言なのでは。官兵衛自身も、まさかそれで動くとは思っていなかったかも。私なら、「そんなつもりはなかったのに村重は実際にしてしまった……」と二行くらい書くかな。『黒牢城』は官兵衛の視点で書けばよかったと思う。
D:村重の心は、既に戦場に飛んでいるんですよね(P420)。
A:やはり、策を授けられたところで終わったほうが収まりとしてはよかったのでは。村重より官兵衛が一枚上手だった、という。
F:そうするなら、村重を官兵衛よりも愚かに書かねばならなくなる。
C:村重に有能感があるから面白かった。策とわかってて乗るのがミステリーっぽい。もっとノリノリで吹き込まれていると面白かったと思う。(読者が読んで)村重騙されてるわぁ、みたいな。

【登場してほしかった人物】
D:村重のその後は惨めですよね。
F:茶人として生きて、出家後は道糞と名乗った。
ちなみに、村重の子・岩佐又兵衛は生き延びている。のちに絵師として成功しており、国宝に指定されている「洛中洛外図屏風(舟木本)」などを描いた。その話も書いていたら面白かった。
C:私は、村重の臣・河原林越後守治冬を書いてほしい。有岡城に使者として来た秀吉を「殺したほうがいい」と進言していたことが秀吉本人の耳に入って、その場では許されたが、秀吉が世を平定したあと、探し出されて殺された。(秀吉は)にっこり笑ってプレゼントまで渡していたのに、年を取ってから怒り出すという……。晩年の秀吉のどす黒さがよく出ている逸話。
D:年を取った人にありがち。過去を掘り返して怒るんです。
F:秀吉は若いころには、面白いことをした人は喜んで許してますよね。羽柴秀吉にとっては良かったけれど、太閤秀吉にとっては良くなかった。
A:賤ヶ岳の戦いあたりがターニングポイント。そこからは自分の地位を守ることに躍起になって、猜疑的になっていった。
F:自分の地位は守れても、豊臣家がどうなるかは見越していたと思う。一代限りだと。

【その他、作品に関すること】
C:信長や秀吉を出していないのがいい。城内だけで話が進んでいく。
D:家臣が多くて覚えられない。私が印象に残っているのは郡十右衛門くらいで、あとのほうは覚えていない。
F:そこは覚えなくてもいいと思う。
C:五本鑓はたぶん創作。武将級は史実だけれど、他は舞台装置。召使いのジェームズとかチャールズとか、そういう扱いでいいのでは。
F:雑賀衆鈴木孫六が面白かった。高山右近の父親の大慮やだしの方(作中では千代保)も実在。だしの方が長島一向一揆の現場にいたのは作り話かもしれないけれど。
C:側室の来歴まで残っていないでしょうね。磔になる人って、出てくるの可哀そう。処刑まであと何人、って……。
F:大河ドラマで――『軍師官兵衛』だったかな――尼崎城から七松での磔が見えるシーンがあったが、どこで磔にされても尼崎城からは見えないはず。
尼崎城は、源義経が船を出したことで知られる大物浦の近くにあった。今は小学校になっているけれど。

【武士の時代のどこに魅力を感じるのか?】
D:織田信長って武将の中で一番人気だけど、たくさん人を殺している。他の武将もそう。見当違いかもしれないが、男の人は、殺し合いばかりの武士の生き様のどこに魅力を感じているのか訊いてみたい。
F:私は、男子が戦国のどこに魅力を感じるかより、歴女がどこに魅力を感じるのか訊いてみたい。性別関係なく、人間はそういうものが好きなのでは。
歴史はもう物語になっている。だから、信長の時代は架空の世界。残虐なことをしていても「架空の世界」での出来事なら受け入れやすい。
現代を生きる自分たちの考え方でドラマを作るとおかしくなる。大河ドラマのように、ホームドラマにしてしまうと無理が生じる。ドラマなら観れるけれど、本にしたら読めないと思う。本で読むなら言葉も歴史的言葉遣いにしないと。
D:子どものころの大河ドラマは『黒牢城』のような言葉遣いでしたね。
F:今の大河ドラマは違いますよね。今は等身大で書かなきゃならない。
D:国盗り物語』は知っている。国を広げるには人を殺さなくてはいけない。かなり残酷。そんな時代のどこに惹かれるのか?
C:私は(自分の作品で)虐殺される側も書いたことがある。男には――と限定するのもよくないかもしれないが――征服欲がある。敵を篭絡して奪った女を犯すのを好む本能、自分以外のものを打倒したい本能というか。チンギス・ハンみたいな。
D:古代人は別の集落を滅ぼしていた。私たちはその子孫ですよね。
C:創作物で扱うと、(人物の)残酷な面もさらっと流せる。いい面だけを書ける。臭みを抜こうと思ったら抜ける。明智光秀など戦国武将をいい人に描く風潮もあるが、私はそれを胡散臭く感じている。
魅力は、と訊かれると「人間だから」。武将というシチュエーションで一生懸命生きている姿に惹かれる。
F:たとえば食料として殺すのであれば仕方ない。現代でも牛を殺して食べている。マンモスを追うのは生きるためにしていたこと。
戦国時代は、(生きるためにしている面もあるが)相手を凌ぎたいから戦っている部分がある。名誉や名を残すことを拠り所に戦っていた。名を残すことを第一にする。そのために戦う。
現代では、格闘技などゲームとしてルールが決まっているから、その中で相手より上回れば名誉が得られる(古代では相手が死ぬまで続けていた)。ゲームとして相手を打ち負かす。それで闘争心を満たしている。そういう時代になった。
A:どちらにしろ、強い人に憧れるという部分からスタートしていると思う。小・中学生は、名誉や倫理的にどうとかではなく、謙信と信玄が戦った川中島の戦いや、桶狭間で信長が義元を討ち取った……など、そんな英雄譚を通して興味を持ち始めるはず。
小説を読むと、現代と違う価値観に慣れてくる。今は今、昔は昔。
(創作する上で)厄介なのは幕末とか。政治思想などが現代に直結してくるので迂闊に書けない。戦国時代なら自分の好きなように書けばいいかな、と思う。Cさんの作品のように名もない人が戦に翻弄されるところにスポットを当ててもいいし、英雄を書いてもいいし。
ただ、書いたり読んだりするぶんにはいいけれど、実際に(武将が)やっていることは残酷。頭の中で(現実と物語を)住み分けできていればいのでは。
D:食料があって、豊かであればこういうことはしなかった。俸禄を与えなくては、でも領地では賄えないから、隣の国を攻めて自国を広げたり……。征服欲だけではない。
F:農村では水争いが絶えなかった。この池の水はどちらが取るのか、境目がないから争いになる。小さい子どもがお人形を奪い合うみたいな、そういうところから始まっているのでは。現代は、盗んではいけないとルールで決まっているけれど、ルールがなければ盗みが横行するかも。倫理観で縛ることで今の社会ができているだけ。それ以前は、動物の本能として争いがあったのでは。
D:動物には上下のルールがある。ボス犬、中間犬、部下みたいに。
F:ペットの犬や猫は飼い慣らされているから闘争心はない。
C:戦国時代と江戸時代で生産力は変っていない。武士同士の争いは三幕府とも将軍が捌いていた。室町幕府は力がなく、江戸幕府は長い間、力を持っていた。
F:室町幕府にも、山名氏を滅ぼす(1391年・明徳の乱)など、力がある時代もあった。

 

米澤穂信『黒牢城』はR読書会でもテキストになりました! 読み比べたら、メンバーが変わると、出る意見も変わるんだなとわかって面白いです。