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R読書会/Zoom読書会

『JR上野駅公園口』柳美里(河出文庫)

R読書会@オンライン 2021.05.29
【テキスト】『JR上野駅公園口』柳美里河出文庫
【参加人数】8名

<推薦の理由(参加者G)>
柳美里の作品は、芥川賞を受賞した『家族シネマ』以降触れていなかったが、この作品が全米図書賞を受賞したと聞いて読んで、日本の小説では珍しい構成を面白く感じた。海外の短編の作り方と似ている気がする。
◆鉄道自殺をしたホームレスが自分の来し方を語るという小説。
序盤では、主人公が死んでいるかいないかはっきり書かれていないが、だんだん謎が解けてきて、それが読み進める原動力になった。
◆街を漂っているというふうに持っていく話の作り方が面白い。「漂う」というのは主人公の無念さを表している。
◆主人公が上皇と同じ日に生まれたというのは対比を狙ったものだろうが、やや作り込みすぎと感じた。
◆自分で小説を書いたとき、「使い捨てはよくない」「自然破壊はよくない」という主張を登場人物に叫ばせたが、そうした書き方では伝わらないと指摘され、小説でしかできない書き方とはどんなものか考えた。この作品には直接的な批判は書かれていないが、読んでいて「出稼ぎのため家族と暮らせないのは理不尽だ」「原発とはよくないものだ」という思いが浮かんできて、効果的な作り方・構成がされていると思った。

<参加者A>
◆『家族シネマ』などを読み、問題意識を持った作家だと感じたが、生き様を切り売りするところが苦手になってきて遠ざかっていた。しかし、この作品を読んで「やっぱりすごいな」と思った。刺さってくるものがあり、とても感動した。
◆全米図書賞がどんな賞かわからないが、確かにこの作品には日本の小説にはない凄みがあった。2018年、同賞に選ばれた多和田葉子『献灯使』も面白そうなので読んでみたい。
◆『JR上野駅公園口』は、作者が2006年に「山狩り(行幸啓直前に行われる特別清掃)」の取材をし、そこから練りに練って8年ほどを費やした作品。
オリンピックが象徴になっているが(主人公が出稼ぎに出るきっかけになったり、オリンピックで東北の復興がないがしろになるのではという不安を感じさせたり)、作品が世に出る前に東日本大震災が起こり、コロナ禍が起こり……とても時宜にかなっている。世に出る時期を待っていた小説だ。2006年に山狩りの小説として発表されていたら、ここまで話題にならなかったのではないか。
◆浩一の葬儀の場面からは、ものすごい熱量を感じ、とても印象的。30ページが費やされており、これだけでも一つの作品になりそうだ。
◆主人公が母親から「おめえはつくづく運がねぇどなあ」と言われるのだが、これが作品全体を貫いている。お前のせいじゃない、という母親ならではの優しい言葉であると同時に、自分のせいではないからこそどうしようもない、という残酷な言葉でもある。
◆主人公は、熱心な天皇制の信奉者ではないが、鹿島にいたとき原ノ町駅天皇に手を振ったことを覚えている。
◆シゲちゃんの語りがすごく面白い。語り口は軽いが、シゲちゃんが語ることによって権力の横暴が滲んでくる。
◆主人公がホームに向かっていくとき、死に向かっていくときに見える光景がすごい。孫が優しくしてくれるのを断ち切るところもいい。
◆伝えたいことをどう伝えるか?→技術ではない。柳美里は、実際に南相馬市に移り住み、根を下ろし、現地の人から話を聞いて……主人公になりきって、なりきるだけでなく演じて魂を移している。「柳美里が言わせているのではなく、主人公を演じている」と感じた。
柳美里は演劇をしているだけあって、演劇で使われるような技法がうまい。公園を行き交う人々の会話が差し挟まれるところなど、演劇で、大道具を動かしてるときや幕間に登場人物が話しているところを思わせる。
天皇制の話が組み込まれているので全米図書賞を賞を受賞したのでは。天皇制は、欧米から見て、とてもミステリアスで理解しがたいものなので。
◆前回の読書会で『海炭市叙景』を読んだあと、映画『ノマドランド』『家族を想うとき』を観た。どの作品も貧困が根底にある。『ノマドランド』が「貧困」という価値観から飛び出す力強い映画だが、『JR上野駅公園口』では日本人らしく貧困を受け入れてしまっていると感じた。いずれの作品も、「格差」という全世界が抱える問題をテーマにしている。
柳美里は『石に泳ぐ魚』で、モデルになった女性からプライバシー権及び名誉権侵害を理由に損害賠償、出版差し止めを求める訴えを起こされている。何かに影響を受けて書くときの姿勢について考えさせられた。

<参加者B>
◆序盤、文章は読みやすいが内容は読みにくいと感じた。しかし中盤から終盤にかけては、謎が解けていく面白さがあった。
◆主人公について。ホームレスの生活の描写(コヤでの暮らし、寒さの感じ方など)がリアルだと思った。辛さを受け入れられる逞しさがあり、アンチヒーロー的なものを感じた。
娘や孫もおり、主人公に責はないのに、ホームレスになった理由がいまひとつ納得できない。このような理由でなる人もいるのだろうけど。
◆訛りが良かった。東北弁の語り口が、地の文で説明されていない人柄や性格を表している。
◆書き方について。読み上げられるお経や、薔薇展の描写が差し挟まれる部分に見られる、時が平行しているような書き方が面白い。時間の流れがわかっていい。最後まで読んで、こういう書き方をしている意味がわかった。
◆1回目読んだとき、ラストがよくわからなかった(なんで津波が襲ってくるんだろう、と)。最初のほうを読み返して、8ページに「生きていた……でも、終わった」とあるので、主人公が死んでいるのだとわかり、ラストも理解できるようになった。
2回読んで、ループしているなと思い、ループから抜け出すことができない圧倒的な絶望感を感じた。1回目読んだときは苦手だと思ったが2回目では納得した。
◆大多数の人が抱えているお金のこと、仕事のこと、人間関係のことなど……その根っこの部分がホームレスの目線で書かれている。現実的だからこそ面白く、社会的なテーマを孕んでいる。エンターテインメントではないが、こういう物語は好き。
◆感情的にならず淡々と語りつつ、こんなことはいけないと思わせる書き方がされている。

<参加者C>
◆出稼ぎ、原発など、日本の繁栄の影の部分を引き受ける東北の悲しさが出ている。津波は自然災害だが、原発が絡んでいることによる人災の部分がある。日本の影の部分を引き受ける東北や沖縄について考えた。
◆妻・節子の出産の場面に、貧しさによる時代の遅れが表れている。
◆主人公は大きな悲しみを抱えているが、不幸だったかというとそうではないと想う。出稼ぎから帰れば迎えてくれる温かい家族がいた。両親が死んだあとも、「夫婦水入らずの新婚旅行みたいな生活を送れた」と言われるくらい仲のいい妻がおり、妻が死んでからも、親思いの娘や優しい孫がいた。
主人公は不幸ではなかった。家族を不運に巻き込まないように逃げてきたのでは。悲しみのために上野駅公園に住むようになったのでは。
◆主人公と対照的に、シゲちゃんは失敗の尻ぬぐいを家族に押し付けて逃げてきた。主人公は全部自分が引受けてきたので。
◆この作品に天皇制が絡めてあることがしっくりこなかった。天皇制を結びつけて、それが天皇制の批判に結びつくのだろうか?
山狩りの理不尽さは感じるが、主人公は圧倒的な悲しみのために上野公園へ逃げ込んできたのであって、社会から追いやられ、来ざるをえなくなったわけではないので。
底辺にある人間を天皇制が理不尽に圧迫しているという批判に持っていくなら、選択肢がなくて上野公園に来たという設定でないといけないのでは。
◆小説でしか書けないことを書きたいが社会的に縛りがある。そんな時は、大きな虚構を作ってしまえばいいのではないか。例えば、小川洋子のように、全然違う世界を作り、その中で表現するなど。

<参加者D>
◆いろいろな意見を聞いて、自分がずれているなと感じた。この作品は苦手だなと感じながら読んだ。表現が詩的で入り込めず、悲劇が重なった一人芝居を観ているようだ。主人公がホームレスになる必然性はあったのだろうか(自分で選んでなったという点で)。格差社会や貧困に抗うのではなく、悲しみに漂っているようで腑に落ちなかった。大きなテーマとしてよくできた小説だと思うが、文体や構成は好きではなかった(孫娘が津波で命を落とすことも)。
◆何が評価されて全米図書賞を受賞したのか考えた。天皇制と、戦後の復興を支えた人たちについて正面から書いたことだろうか。
◆私は天皇制について、若い頃は尖った考えをしていたが、今の天皇は国民に寄り添うような人柄なので、これでいいやと思うようになっていた。しかし、この小説を読んで、本当にそれでいいのか考える機会になった。
天皇制について、また、経済成長を支えた名もない労働者について考える切っ掛けになったことに関しては読んでよかったと思う。

<参加者E>
◆最初から主人公は死んでいるのかなと思って読んでいた。一人称にしては視点が俯瞰的だったので。
◆主人公が死んでいるからこそ、孫娘が命を落とした震災を俯瞰的に書くことができた。
◆震災などの事件を直接書くのではなく、一人の人生を丁寧に描き、その中に落とし込む技法が使われている。
◆生活していると、自分と周りの人以外は景色として見てしまいがちだが、すべての人に人生があるのだと、この作品を読んで思った。
◆「山狩り」に、社会の歪みを感じた。解説にあった「ホームレスは天皇の祈りの対象ではない」という趣旨の言葉が圧し掛かってくる。
◆私は、この作品が天皇制への批判であるとは読まなかった(作者の意図とは異なるかもしれないが)。天皇は象徴であり人権もない。守られているが自由はなく、逃げ出すこともできない。ホームレスになることはないが、手放しに恵まれているわけでもないので。
そういう意味で主人公との対になっているが、天皇制への批判ではなく、同じ時代を生きた二人を、一人ずつの人間として並べたように感じた。
◆このテーマの作品に、詩的な表現が多いのは少し納得しかねた。

<参加者F>
◆話題になったときに購入し読んだが、最初は物語に入っていけず、視点もわからず、「遠いな」と感じた。リアリティがなく、淡々としすぎておりぐっとこなかった。柳美里のほかの作品とも違うと思った。
今回、読書会の課題になったことでラストまで読んで、主人公が死んでいることがわかった。8ページに「生きていた時も……」と書かれているので、実は早い段階で明かされている。気づかない人には気づかないようになっている。
◆すでに死んでいる主人公の回想として描かれているので透明感がある(実際はもっとどろどろしていたのかもしれないが)。読み返すと、浩一の死、葬儀の場面が印象的だった。雨が降る描写がとても綺麗。
東日本大震災で孫娘と犬が死んだ場面は死者の視線でなければ書けないので、主人公が死者であることの必然性がある。
◆ホームレス、天皇家、普通の人、3種類の異なる立場の人々が描かれている。主人公は死ぬことで高次元の存在になっており、彼らの会話を聞くことができ、俯瞰的に見ることができる。ホームレスも天皇も同じ、という次元まで来ている。
◆「原発反対」という目線でなく、出稼ぎをせざるをえなかった人の視点で描かれ、さまざまな問題に目を向けさせられる。
◆主人公は誰かを養うためだけに生きてきた人。最後、養う者がいなくなり、生き甲斐を失ったのでホームレスになったのでは。
ホームレスの中にはいろいろな事情の人がおり、主人公もその一人。出稼ぎ労働者だからホームレスになったわけではない。
◆舞台が上野恩賜公園であることに意味がある。そこで暮らす人々は、一般的な「ホームレス」ではない。
天皇家によって下賜されなければ、ホームレスもそこで暮らせなかった。ホームレスでありながら天皇家の恩恵で暮らしているという矛盾。だが、天皇家の公園なので、天皇家の人が訪れるたびに山狩り(ゴミ掃除)がある=ゴミと同じ扱いを受けている。
天皇家の人はホームレスを見ても冷たい視線を向けることはないと思う。しかし、そこを隠してしまうという日本人のいやらしさ。それを『JR上野駅公園口』は暴き出している。
天皇家が来るときだけ隠されるホームレス」……舞台が上野恩賜公園である必然性がこの作品のキモである。
◆ゴミ扱いを受けるということは、人間の尊厳、ここだけを守らなければという部分を踏みにじられている。「ホームレスが可哀そう」という議論ではなく、人間の尊厳を奪われることについて投げかけられている。
上野恩賜公園のホームレスだけでは物語にならないので、東北の出稼ぎ労働者であったり、東日本大震災であったり……出てきた要素を繋いで巧く作ったなと感じた。
◆ホームレスと天皇だけの問題でなく、東日本大震災なども絡めたところが海外でも評価されたのでは。

<参加者G(推薦者)>
◆この小説を最初に読んだとき、構成に衝撃を受けたものの暗くて「これどうだろう」と思った。どうして主人公が天皇と同じ年に生まれた設定にしてあるのか、なぜこの上野公園を舞台に選んだのかわからなかったが、読書会を通じて理解できた。
◆自分で物語を作るとき、書きたいテーマについて調べ、何と何をくっつけられるのか考え、登場人物のバックボーンを考え……筋を作っていくことについて勉強になった。
天皇制を結びつけることについてはしっくりこなかった。

<参加者H>
◆最後、幽霊になってしまった主人公が、出稼ぎ者の人たちの想いと一緒に東北へ帰ったように感じた。出稼ぎ者たちの故郷を想う気持ちが故郷を滅ぼし、主人公の故郷を想う気持ちが孫娘を飲み込んでしまった――そう感じ、ずしっときた。
(以下、通信の不具合によりチャットより)
◆家族のために働いているけど家族のことを何も知らない主人公と、国民のために働いているけど国民のことを何も知らない天皇が見事な対比になってますね。
◆普通の人たちのどうでもいい会話を淡々と点描していくところ面白いですね。

<フリートーク
◆放送中のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』にあった、過去・未来・現在についての台詞を思い出した。
※こちらのサイトに書き起こされています。「過去とか未来とか現在とか」で検索してみてください。
https://drmtxt.com/2021-spring-drama/mameo/post-3100/
◆死者の視点ではあるが、意識の流れ中継だと思った。過去の回想、ラジオのニュース、通行人の会話などが次々と入ってくる。いろいろなことが雑多になっている人間の意識そのものだ。
独特の意識の流れ、上野恩賜公園の平和な日常、震災で孫娘と犬が死んだ場面など、小説でしか書けないし、絶対に映像化できない。
◆ドキュメンタリーのようにいろいろなことを詰めこんでいる。
◆わかりやすく時系列を追うのではなくシャッフルしている。意識の流れ小説に通じる読みにくさ。読み手の耐性を試している小説でもある。
◆主人公と天皇の年齢が同じという設定はやりすぎ感もあるが、同じ時代を生きた読者、あるいは読者の親世代に、主人公を重ねてほしいからではないか。
NHK連続テレビ小説おしん』も昭和天皇と同い年に設定されており、昭和天皇に観ていただきたいのでそのようにしたらしい。この作品も、今上陛下が読んだとき、ご自身や上皇陛下の生き様と重なるのではないだろうか。
柳美里は批判精神の強い作家だと思うが、この作品から天皇制への批判は感じなかった。シゲちゃんが猫に直訴させようと冗談を言っているくだりからは「私たちを見てくれ、観察にきてくれ」という想いが読み取れる。
柳美里在日韓国人であり、天皇制とは少し距離感があるからこそ書けたのでは。
◆貧困や原発など、作者が感じている社会の歪みを考え、辿り着いたのが上野公園のホームレスでは。
◆ホームレスになる必然性が弱いという意見について:逃げざるをえなかった理由があるほうが、わざとらしくなるのでは。
◆映画『ノマドランド』でも、定住したらどうかという勧めを断るシーンがあるが、その気持ちはわかる。強がっているわけでなく、尊厳や、自分らしく生きるという想いがある。
◆死んだ息子の写真が証明写真しかない、というのがずしりとくる。
◆一括りに「ユダヤ人」「ホロコーストにあった人」と言ってしまうより、「一人」を描かれたほうが突きつけられるように、「ホームレス」というより「一人」を描かれたほうが胸に刺さる。
柳美里は「知ってほしい」という強い想いが、書く原動力になっているのでは。ホームレスの中に一歩も二歩も入って話を聞くという信念や執念は強い。
◆普遍性をもたらすために多くのことを考えたのだろう。
◆読者に寄り添ってポピュリズムな小説を書けばいいのに、敢えてそうしていない。
◆好き嫌いが分かれる作品だと思う。
◆構成が綺麗で私はそこに惹かれたが、受け付けないという気持ちもわかる。現実はここまで綺麗なものではないので。
一方的に礼賛するのは問題だが、このような人たちの存在に私たちが気づいていないということを気づかせてくれる作品である。
◆昔は天王寺にもたくさんのホームレスがいたが、今は綺麗な芝生になっている。彼らはどこへ行ったのだろう? どこかに隠されている? 社会の歪みを感じる。
カナダでも、公園に住み着いた人たちがコロナの影響で追い出されたようだが、彼らはどうしたのか? ホームレスとして生きるなら、都会でなければ生きられないはずなのに(田舎には住むところや食べ物はあるが、生活するには自分で何とかしなくてはならない。都会では店の残り物などを手に入れることができる)。

「悪禅師」(『炎環』より)永井路子(文春文庫)

Zoom読書会 2021.05.22
【テキスト】「悪禅師」(『炎環』より)永井路子(文春文庫)
【参加人数】4名

※現代において男性/女性と言い切るのは好ましくないが、男女の社会的役割が分けられていた時代を描いた作品なので、男性/女性と表現する。

<推薦の理由(参加者D)>
鎌倉幕府の創成期を描いた作品なので、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(作・脚本:三谷幸喜)の予習にいいのではと思い推薦した。
永井路子の作品は読みやすく、『姫の戦国』(文春文庫)なども面白かった。『山霧 毛利元就の妻』はいまひとつだと感じたので他のものを読んでほしい。
多くの人に歴史を好きになってもらいたいと思う。

<参加者A>
◆作者は大正14年生まれとのことだが、古さを感じず読みやすかった。
◆「悪禅師」だけでなく、『炎環』すべての作品を読んだ。一番印象に残ったのは「黒雪賦」。義経ものなどで、感じ悪く描かれていることが多い梶原景時だが、この作品では、武家の世を築こうという信念を持った人物として書かれていたので。
◆頼朝、範頼、義経(牛若丸)は有名だが、全成(今若丸)については名前くらいしか知らなかったので興味深く読んだ。
義経が主役の作品は少しだけ読んだり観たりしたが、同じ兄弟でも、頼朝や範頼に比べて、全成はそこまでスポットが当てられていなかったと思う。
◆保子の造形がとてもいい。P61でぞわっとした。史実通りにストーリーを進めつつ、そこにキャラクターを当て嵌めていくのが巧い。
◆阿波局を調べて知ったのだが、『曽我物語』には政子が阿波局から吉夢を買い、頼朝と結ばれたという話があるらしい。物語だから史実ではないし、この作品とは関係ないと思うが、この姉妹の関係は、昔からいろいろ想像されていたのだなと面白く感じた。

<参加者B>
◆普段は純文学のほうに馴染みが深く、歴史小説は苦手なのだが、この作品は人物像が深くて興味深く読んだ。「人」というものが書かれている。
◆「悪禅師」のほか、「いもうと」も読んだ。私はイヤミス(後味が悪く、嫌な気持ちで終わるミステリー作品)も好きなのだが、それよりも面白いと感じた。
◆「悪禅師」「いもうと」以外の作品は、人物の名前を覚えられなかった(聞いたことのある人物ばかりではあるが)。
◆戦に行く際の装束や雰囲気を巧く書いていて、この時代の男性はそこに高揚したのだろうか。謀をして、何騎の馬が来て……というのに高揚するのは理解できるが、首を取るなどの血生臭さが私には受け入れ難い。
◆ずっと大人しくしていた全成が野心を秘めていたように、謀をしながら上り詰めていくのが男性にとっての武家社会なのだろう。
◆「いもうと」について。保子のような人に実際に会ったことがあるので、彼女の性格はイメージしやすかった。根掘り葉掘り聞きだして、他の人に漏らしてしまう、ということを悪気なくできる女性。悪気はないのだが、天性の悪女だと思う。政子のような真っ直ぐな気性の女性には、保子を理解できないだろう。
◆保子も政子も、自分の子供を殺されている。現代の女性なら発狂しそうなほど凄まじい時代だ。
◆保子は「赤ちゃん(=自分の思い通りになる人)」が好きなのだと思う。「赤ちゃん」を命がけで守る。母性の本性はとても怖いものだ。
また、天真爛漫に見えるが、無意識に人を引っかけようとしている。人を陥れようとするとき、男性は頭で考えるが、女性は無意識にする。そうして、歴史を動かしていく。
◆最後は、傀儡となった、倒れそうな政子の後ろで保子が赤ちゃんを抱いている。これは人間劇だ。推薦してもらってよかったと思う。

<参加者C>
◆戦は男の野望、という話が出てきたが、その裏には女の陰謀がある。鍵を握っていたのは女性ではないか。「歴史の中で、まだ注目を浴びていない女性を見つけ、作品に生かせるのでは」と思わせてくれるのは永井路子の作品だ。今までと違った視点の小説を書くヒントがある。
◆名前はわかっているが、あまり知られていない人物を掘り起こすのも面白い。
たとえば……南北朝時代後醍醐天皇を影で支えた阿野廉子阿野全成の子孫だと言われている。南北朝ものを書くときに一言そう書けば、作品に深みが出て、歴史の面白さも伝えられるのではないだろうか。
◆『炎環』の保子について。阿波局の口の軽さが梶原景時の一族が滅びる切っ掛けになったという史実が実際にあり、そこからに読者がイメージしやすい(読者の身近にいるような)登場人物を作ったのだろう。よく知られている史実に、身近にいそうなキャラクターを登場させて……というのが永井路子の物語の作り方。だから読みやすいのだと思う。
:保子の場合は、(身近にいそうな)口の軽い女性。
◆「悪禅師」の主人公・阿野全成は作中であまり動かない、待つタイプの主人公である。主人公として面白くない(妻・保子のほうが面白い)。作者は、そこに彼が脚光を浴びなかった理由を込めたのでは。
たとえば義経は自ら動き、華々しく生きた。家来もおり、それなりに活躍した。
対し、全成は家来もおらず、野心のための準備もせず、何もしなかった。積極性のない人物が成功するわけがない、というアンチテーゼだと読んだ。地味だが、人間の生き様として納得できた。
◆この作品が原作の一つとなっている大河ドラマ草燃える』(1979年)を見直したが、原作に忠実に作られていた。来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と、どちらが面白いか楽しみだ。
◆佐藤雫『言の葉は、残りて』(集英社)も、女性的な繊細な書き方で書かれているので、ぜひ読んでほしい。

<参加者D(推薦者)>
◆「悪禅師」は全成の視点なので、保子を始めとした登場人物の見方がフラットだ(頼朝や義経に対しても)。たとえば、義経は天真爛漫で、自分の正義が、頼朝の正義とベクトルが合っていないということに気が付かず、自らが信じる道を進んでいるのだが、全成から見ると「あほやなあ」という感じなのだろう。
◆全成は保子を通じて頼朝と接点を持っており→黒子になろうと画策し→頼家によってどんでん返しにあう、というプロットがよくできている。
◆頼朝について、地の文で「兄」と呼んだり「頼朝」と呼んだり……心情による使い分けがすごくうまくできている。
◆読むのは3回目くらいだが、結末がわかっていても面白い。
印象的なのは、義経の首を見て、冷静に「自分はあのようにはならない」と思っているのに、どんでん返しで失脚してしまうところ。

<フリートーク
◆保子は、天然を装って企みがあるというキャラクター。読者の身近にいる人を連想させるので、複雑でありながらわかりやすい。小説における人物造形として、「単純でわかりにくい」よりもいい。
◆保子が、政子や日野富子淀殿と違うのは、気の強さが表面に出ていないところ。保子は、いいのか悪いのか、敵も作っていないようで、その実、意図せずして人を陥れているところがある。
日野富子にしても淀殿にしても、すでに出来上がったイメージがあるが、保子の場合は、知っている人が少ないので自由に作れる。作者としては便利。この作品の場合、目立たなくて二番手で、平穏を得ているというキャラクター。
◆現代では、全成のようなタイプの人物は、謀がばれなければ成功するのでは。能力がないほうが、周りに人が集まるので。
◆作品の中から読み取る限り、全成は「この人を立てよう」と周りから思われる人ではなかった。自分自身、何ができるかわからなかったが、準備もせず、最後に突っ走ってしまった。何もせず、なりゆきに任せ、機会を伺っていただけ。
◆現代で言うと……国民からは「あの人?」と思われていた鈴木善幸海部俊樹だが、見えないところできちんと画策する人なので周りからは認められていた。この作品の全成は彼らとは違い、裏で何もせず、顔色ばかり見て失敗する人物として描かれている。
◆女性社会では、顔色を窺う人は結構生き残るかも。スクールカーストでは二番手にいる人が一番安全なので。トップは最下層に落とされる可能性がある。
常盤御前も。彼女は「生きるために身を任せた」というほうが近いかも?
◆男は首を刎ねられるが、女性は失脚しても再起できる。cf:則天武后
◆北条はなぜ将軍にならなかったのか? 北条にも得宗家と分家があり、得宗家から出た執権は強く、分家の執権は弱い。その辺りも考えさせられる。
松井優征『逃げ上手の若君』(『週刊少年ジャンプ』で連載中)は北条時行が主人公でよくできていると思う。
◆イギリス王家と鎌倉の執権は、その徹底ぶりが似ているという話がある。
◆この時代は仏教だが、教えとして「人を殺してはいけない」などはなかったのか? 殺し合いがとても多いが。
鎌倉幕府と武士の関係は、土地を安堵してくれるから従おうか、というような利害関係。赤穂浪士のような主従関係は、鎌倉時代にはありえなかった。

『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)

R読書会@オンライン 2021.04.24
【テキスト】『海炭市叙景佐藤泰志小学館文庫)
【参加人数】6名

<推薦の理由(参加者F)>
佐藤泰志の作品が好きだから推薦した。
佐藤泰志は5度、芥川賞の候補になったが受賞には至らなかった。それが理由かはわからないが、1990年に41歳で自ら命を絶った。
死後、すべての作品が絶版となり時代に埋もれていたが、2007年『佐藤泰志作品集』が刊行されて以降、再評価が進み、いくつかの作品が映画化されるなどしている。
その作家の作品を、みんなで読んでみたいと思い推薦した。

<参加者A>
◆全体的に暗かったので読みづらかった。私は人物が立ち上がらないと読めないのだが、(短編がたくさんあるので)それを何回もしなくてはならないので時間がかかった。読み切ることができず、「大事なこと」の辺りまで読んだ。
◆短編を積み上げることで長編にならないかと思い、自分でも挑戦したことがあるが、一編一編があまりに短いと読者に負担をかけるものだと思った。
◆いろいろな風景、いろいろな人物を描きながら、海炭市という街や“街となり”を描きたかったのかなと感じた。
◆前回のテキスト(『密やかな結晶』小川洋子)は、場所を克明に書くことで物語を立ち上がらせるという作品だったが、『海炭市叙景』は人物を書くことで街を浮かび上がらせる手法だろうか。
◆共感できる登場人物、共感できない登場人物、どちらもいる。一番共感できるのは「まっとうな男」の主人公・寛二。時代に取り残される苛立ちがよくわかる。

<参加者B>
佐藤泰志の作品が原作になっている映画はたくさん観た(『きみの鳥はうたえる』、『オーバー・フェンス』、『そこのみにて光輝く』など)。『海炭市叙景』は、映画と原作がだいぶ離れている。
◆『海炭市叙景』は暗くて気が滅入ったが、好きな短編もいくつかある。ただ暗いだけでなく、その中に明るさを持つ作品がいい。
「この海岸に」。満夫が市営プールに行こうとしているところ、車を買おうとしているところがいい。
「まだ若い廃墟」。死んだ青年(主人公の兄)が、この街で過ごしていこうとしているところが好き。
「一滴のあこがれ」。淳が、夏になったらダイビングをしようとしているところがいい。
「黒い森」や「この日曜日」も好き。
◆海炭市全体を有機的に書けているかというと成功してはいないと思う。モデルである函館市から架空の海炭市と名前を変えるほど街自体はできあがっていないと感じる。
◆前半は繋がっているが、後編は繋がっていない。
◆30年ほど前の、私の学生時代の頃くらいの話だと思うが、男女の関係性など古い感覚を苦手に感じた。男の哀歌のような印象を受ける。

<参加者C>
◆「男の哀歌」という意見を聞いて、確かに主人公の多くが男性だなと思った。
◆孤独を描き出しており面白かった。短編集はすごく好き。海炭市という架空の物悲しい街をいろいろな人の視点で描くことで浮かび上がらせている。あまり繋がりのない短編同士を土地で繋げているという書き方も面白い。
◆救いがないのがとてもリアル。冷淡というか、淡々というか。哀歌的という表現も出たが、鬱屈をうまく書いている。変に救いがないのもリアルで好き。
◆私は短編集を読むとき、面白い作品は◎……とか順位をつけながら読むのだが、『海炭市叙景』では「まっとうな男」が一番好き。ラストで、主人公・寛二が唯一の友達だと思っていた漁師の友達が「なあに、あいつは昔からああだった」というところがいい。
2位は「裸足」。よくわからない不思議な話だが面白い。
3位は「夜の中の夜」。
4位は「衛生的な生活」。暴力的なことは出てこないが、職安にくる求職者は自分と違う存在だと思っている啓介が、職場(職安)の中で、他の職員たちから違う存在だと思われているというところが胸に刺さる。中流階級の痛みがよく出ている。
5位は「この日曜日」。視点が交互。こんな書き方をしてもいいんだと思った。面白かった。
6位は「夢みる力」。ページ数が少ないせいもあるだろうが、競馬好きからすると違和感を感じるところもあった。最後の勝負は外れていてほしい。
◆私も短く暗めな小説を書くが、このような書き方をしても面白いなと思った。人によって好みはあるだろうが。

<参加者D>
◆「まだ若い廃墟」の主人公と兄は、不幸な境遇だと思うが、私小説に見られる湿った語り口ではなく、あっけらかんとした明るさがある(ビールを飲む場面など)。
苦しい中を二人は生きてきたが、数百円のお金がないために兄は死んだ。一生懸命生きてきた二人を死に追いやった海炭市の産業の衰退が描かれている。
◆読んでいて辛くなった。
◆一番面白かったのは「しずかな若者」。この作品の中では珍しく上流階級に属する青年で、他の作品とすこし設定が違う。主人公・龍一は両親の離婚で安定していた生活が変化した青年。海炭市で過ごすのは今年が最後だとわかっているのに女の子と来年の約束をするなど、自暴自棄まではいかないが不安定である。言葉にならないことをよく書いている。ラストの、希望があるかないかわからないところにぞわぞわした。
◆私は小説を書くとき筋を決めて書くが、この作品を作者は考えながら書いたのではと想像した。

<参加者E>
◆丁寧に丁寧に海炭市が積み上げられて、そこに暮らす人々の息遣いが聞こえてきた。
◆連作は好き。この短編集では、一つの作品の人物が別の作品で重要人物になっているということはないのだが、確実にその世界に存在しているなと思わせてくれる。とくに路面電車がところどころに出てくるところにそう感じた。
◆一作目「まだ若い廃墟」が重かったので、こんな感じの話が続くのかと思ったが、市井の人の日常を丁寧に掬った話が多く、この街で生きる人々、人の営みが愛おしくなった。偏屈に見える人、見栄っ張りな人、堅実に働く人、ギャンブルに入れこむ人……それぞれの物語が尊いと思う。
◆希望とか絶望とかじゃなく、本当にリアルな日々の暮らしの一幕という感じがした。
◆大きな事件は起きていないように見える話だが「ここにある半島」「大事なこと」が好き。「大事なこと」は、大事なことってそんなものだよなと、とても腑に落ちた。
◆「裂けた爪」「衛生的生活」で視点が変わるのもいいと思う。本人もわかっていないことが明かされるが、誰をも嫌いにはならなかった。「裂けた爪」に出てくる千恵子には少し腹が立ったが、彼女にも彼女の物語があるのだろうし、想像するのも楽しい。
◆私は解説を後から読むのだが、解説を読んで、各作品のタイトルが詩から取られていると知って、なんとなく納得した。とくに「まだ若い廃墟」は詩的だなと思っていたので。
◆(解説を読んで未完ということも知ったが)消化不良は起こさなかった。
「まだ若い廃墟」で死んで、太陽に晒されている青年の遺体と、「しずかな若者」の、太陽が照らすだろう……が対比だと思えたので、まとまりもよかった。でも、夏と秋も読んでみたかったという気持ちもある。
◆「しずかな若者」は、村上春樹を思い出した。解説を読んで作者と同世代だと知って納得した。

<参加者F(推薦者)>
◆一編一編は短いが、その短い中で変調することがあり小気味いい。
◆「まだ若い廃墟」と「しずかな若者」がいいなと思った。
「まだ若い廃墟」。P18「わたしはこの街が本当はただの瓦礫のように感じたのだ」から本心を出すところがすごくよかった。
「夜の中の夜」。幸郎はユキオと読むのかと思ったが、「サチさん」と呼ばれたところで読み方がわかって面白かった。しかし本名は別にある。それが彼の境遇を表しており、うまいなと思った。
「裂けた爪」。のいいのは、P75「アキラちゃんをかわいいと思っているのだろう」…「それならどうして、奥さんがアキラちゃんをかわいがることができるだろう」…ひっくりかえすのがすごい。鮮やかだと思った。
「衛生的生活」もいい。煙草にこだわり、ベストセラーを読む主人公を、「いったいどんな自尊心だろう」と突き放す姿勢。
◆具体名を出すことで輪郭が明らかになる。曲目を出したり、ロミー・シュナイダーに似ているとあったり、具体的な名前の出し方に意味があるなと思った。
「しずかな青年」に出てくる作家・パヴェージェも自殺している。佐藤泰志はパヴェージェの影響を受けており、(この作品にパヴェージェを出した時点で)ここで終わらせるつもりだったのでは。=未完ではない?
参考 : チェーザレパヴェーゼWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%BC
◆多くの短編から成っているこの作品が「読みにくい」という意見には同感。
佐藤泰志は、等身大の主人公を書くことを貫いていたのに、この『海炭市叙景』だけ、いろいろな人間を描いている。意欲作だから素晴らしいという意見と、意欲作だから不完全燃焼という異なる意見がある。
また、「性別・職業に至るまで様々な人間を、40歳になるかならないかの青年が書くとはすごい想像力だ」と思う人、「書ききれていない。それぞれが浅い」と思う人、どちらもいる。
◆暗いという意見があるがタイトルはいつも明るい。明るい面が内容にも結構ある。作者自身が死への願望が強いからこそ、明るい言葉を使っているのではないだろうか(「そこのみにて光輝く」など)。

<フリートーク
◆パヴェージェとはどんな作家かと思い、調べたら、42歳で亡くなっていることがわかり、刺激されたのかなと思った。
「何も隠してはならないんだ」…わからない。わからないが面白い。不安な感じはあるが、そこまではわからない。
佐藤泰志には「美しい夏」という作品もあり、これもパヴェージェのオマージュである。
佐藤泰志の研究者によると「虹」が一番傑作だそうなので読んでみたい。
村上春樹と似ている部分もある。東京にいたとき、ジャズ喫茶にも通っていたのでは。当時の若者はこんな感じだったのかも。
◆「しずかな若者」の主人公だけセレブで生活感があまりない。ほかの作品の主人公はギリギリの生活を送っているが、希望を失わずに生きている。
◆この作品が書かれたのは、炭鉱が閉鎖したり、国鉄が民営化されたり、地方が衰退していった時代。今の日本も失業率が高く、当時と近いものがあるので共感を呼び、見直されているのでは。
◆「しずかな若者」できれいに終わらせている雰囲気はあるが、この作品は未完。Dさんの「結末を決めず書いているのでは」という意見を聞いて、なるほどと思った。
◆書く上での決まり事は多いと思っていたが(作品の結末を決めていなければならない、面白くなくては、ストーリーを決めなくては……)、この作品は日常のリアルを淡々と書いているだけなのに面白い。
「昂ぶった夜」も、そのまますっと終わる。すごくさらさらしている。終わりが決まっていなくても書いていいんだという勇気をもらえた。
◆リアルをきっちり切り取っていればストーリーなどなくてもいいんだなと思った。私はストーリーを求めるがためにリアリティを犠牲にすることが多いので。ここまでリアルだと面白い。とくに感情がリアルである。
◆渋い小説。ちゃちではない。苦しみながら、心が通い合わなくてすれ違いながら、ギスギスしながら、それでも生きていく、というような。
◆救いがないのが救い。
参考:映画『マグノリアポール・トーマス・アンダーソン監督(1999年アメリカ)。救いはないが、必死に生きている人々が愛おしい。
◆「まっとうな男」。自分の金で飲んでいるんだ:スタンダードどころか法律からも外れているが、それがすごく面白い。面白いが、主人公の怒りがよく理解できる。
自分のお金で食べてきたのに世間にうまく馴染んでいない。世間(を象徴する警官)にやられたときに言い返すのが孤独を浮き立たせている。
◆独特の文体で、登場人物と筆者の距離感が好き。どの作品も、一定の距離をうまくとっている。
私は書いていて登場人物に感情移入をしてしまうが、この淡々とした書き方はどうすればできるのだろう。
◆三人称の小説では、だいたい視点人物に寄り添った語りになると思うが、この作品ではあまり寄り添っていない。
◆外国の短編集のよう。読んでいて気持ちがよかった。
佐藤泰志が高校時代に書いた作品を読んだが、文章がうまく、人物がイキイキと立ち上がっていた。→『海炭市叙景』は朴訥な書き方で、ものすごく文章が上手な作家というわけではないと思ったが、書き方も雰囲気に合わせていたのかも。
あまり多くを説明せず余韻を残す。空白を情景にこめる。美文麗文にまとめるのは嫌だったので無理にゴツゴツとさせたのではないか。
佐藤泰志の小説を初めて読んだが、ほかの作品と『海炭市叙景』は違うのか?→ちょっと異質。こんなに視点を変えてスケッチをしていく作品はほかにない。作者がずっと温めていた構想だった。
◆うまく工夫して書かれている。いい作品を薦めていただいたと思う。

『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』阿部暁子(集英社文庫)

Zoom読書会 2021.04.17
【テキスト】『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』阿部暁子(集英社文庫
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
南北朝時代」というと馴染みがない方が多いはず。たとえば織田信長豊臣秀吉なら、歴史にあまり詳しくない人であっても知っているだろうが、(南北朝時代の)足利尊氏など名前は知っていても馴染みは薄いのではないか。そこで、この作品なら南北朝時代に興味を持ってもらいやすいかと思い推薦した。

<参加者A>
南北朝時代に疎いほうではあるが、読み始めるとさくさく前に進んだ。北朝南朝の人物整理がすっきりしており入りやすかった。いろいろな人物が入れ代わり立ち代わりというのではなく、わかりやすく配置されているので、南北朝時代への入り口としてはいいと思う。
◆キャラクター造形もわかりやすく、シンプルに読みやすい。
◆主人公・透子に主軸を置いて考えると、身内からの情報だけで社会情勢を判断していた彼女が、市井に生きる人々や、権力者の(権力者としての面だけでない)人格を知ることで成長し、帰っていく物語である。=(読者にとって)身近な主人公の成長物語。
ざっくりと言うと教養小説(Bildungsroman:ビルドゥングスロマーン。主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説)に含まれるかもしれない。
◆透子は行宮を出奔するまでは、敵方について「観念的な悪」としか思わず、楠木正儀北朝に帰順した理由もわからなかったが、さまざまな出来事を通して理由を知っていく。
◆芝居やドラマにしても面白そうだ。
◆P138の義満の台詞「知らぬものは知ればいい。恥ずべきことは知らぬことではなく、知ろうとせぬことだ。知らぬおのれを恥じ、知りたいと願うなら、おまえはなかなか見込みがある」…これがこの小説の核心の一部ではないだろうか。

<参加者B>
◆私も南北朝時代には馴染みは薄く、楠木正成足利尊氏あたりの話を『山賊王』(沢田ひろふみ)という漫画で知っていた程度だが、すんなり入っていくことができた。
主人公・透子も世の中のことをあまり知らないという設定なので、読者は透子と同じ目線で登場人物や社会情勢について知っていくことができる。
◆「主人公の成長」というテーマと、「それぞれの正義にどのように落としどころを見つけるか」というようなテーマがあると思う。
◆歴史的事件の裏を書く……という作品が多いが、この作品はそうではなく、歴史には残っていない暗闘を創作して描いている。それだけにどう展開するのか予想できず面白かった。
◆面白かったのだが、(戦闘シーンはあるものの)話し合いで戦いが収まった感があり、少し物足りなくもあった。

<参加者C>
◆室町というと、南朝北朝足利尊氏金閣寺銀閣寺、将軍は十五代まで……くらいしか知らなかったが面白く読めた。
◆力のある書き手だということはわかるが、台詞など、無理やりライトノベルにしているのでは? と思う部分がところどころあった。私は、読んでいてそこがしんどかった。もっと重厚な歴史小説を書ける作者だと思う。
◆家や血筋、血統にこだわる、大変な時代だと感じた。
◆ストーリーは、大きな山場がなく、小さい山場がいくつかあり、ラストへ向かっていく構造。一部が史実で、一部が創作。
◆キャラクターがとても上手く作られているだけに、ステレオタイプであるのがもったいないと思う。
◆面白かったのだが印象には残らなかった。すごく巧いのだが、それゆえに骨組みが見えてしまう(読者をここで引っ張って、ここでドキドキさせて、ここでイライラさせて……という作者の意図がわかってしまう)。

<参加者D>
◆非常に面白い。人物の背景、それにともなう行動原理が納得しやすかった。
◆(『ローマの休日』のように)何も知らないお姫様が、義満たちに会うことで「敵方には敵方の正義がある」ということを知っていくストーリーに説得力があった。
南朝北朝に別れ、それぞれの中でも争いがあり、弱体化したほうが敵方と手を組んで……というように入り乱れた時代だが、その部分を差し引いてもストレートに読めた。
南北朝時代のエントリー小説としていいと思う。ここから興味を持って、『太平記』などを読み始める人もいるかもしれない。
斯波義将のキャラクター造形がウィークポイントではないか。後半で重要な人物になるのだが、登場時の印象が薄かったため、伏線を読み飛ばしてしまったのではという感覚に陥ってしまった。前半でもっと義将のキャラクターを浮かび上がらせたほうが読みやすかったと思う。

<参加者E(推薦者)>
ライトノベルを意識しすぎているという意見があったが、私は逆に、コバルト文庫出身の作者がライトノベル感を控えめにしていると思った。
◆重厚さ、重々しさがない。逆に言うと胃もたれせず、さらっと読める(=読みやすい、馴染みやすい)。歴史小説の一つのアプローチだと思う。
◆はねっかえりのお姫様、俺様な将軍などステレオタイプのキャラクターは、学園ものだとありきたりだが、歴史小説においては斬新。歴史小説というと重厚に書いてしまいがちだが、キャラクターの立て方など、(自分たちが創作する上で)取り入れることができるのでは。最近はキャラクターを重視する傾向にあるので、勉強材料になると思う。
◆歴史的な事実も綿密に調べられていられる。知っている人は「ここまで書かれている」と思うのではないか。ex)左京と右京があり、右京は寂れている……など。
◆透子内親王は架空の人物だと思うが、いろいろ想像できる。一休さんとして知られる一休宗純後小松天皇落胤と伝えられており、母は南朝方の女性であったとも言われている。彼女を北朝へ連れてきたのは楠木正儀では……という読み方もできる(意図されていたのかはわからないが)。
◆新しい作品を書くヒントはないかと読み始めたが、ヒントに溢れた作品だった。
◆参考:室町を書いた作品として『獅子の座―足利義満伝』(平岩弓枝)。観阿弥世阿弥も登場する。
観阿弥と正儀の親戚関係については『華の碑文―世阿弥元清』(杉本苑子)において重厚に書かれている。
観阿弥と正成については、『うつぼ舟Ⅱ 観阿弥と正成』(梅原猛)という本もある。

<フリートーク
観阿弥と正成は、吉川英治も伯父と甥という説をとっており、大河ドラマ太平記』でもその設定が使われている。
◆いわゆる歴史小説よりしつこくなく、すっきりしている。入門編としては良い。
◆作者が「コバルト文庫出身」と聞いて腑に落ちたところがある。コバルトというと少女小説。作者の得意なところを歴史小説に持ち込んだな、と。
何も知らない女性(:転校してきたり、新任の先生だったり……)がちょっとした事件を解決し、成長していくというストーリーが多い。少女の主人公を中心に、(恋愛に限ったことでなく)彼女が社会を知っていく、というような。→その論理を、核を守ったまま書き、歴史小説に生かしている。
◆キャラクターという意味では、前面に出てくるのは透子。何も知らない人物を主人公にする利点がある。
・透子は先入観なく、客観的にものを見ることができ、ある程度の公平性を担保しているため、主人公としてバランスがいい。
南北朝の説明は面倒だが、さらっと読んでいいところは、主人公に「わからない」と言わせれば、そのように読者を誘導できる。
・すべてを見通した主人公も頼もしくていいが、何も知らず右往左往する主人公は感情移入しやすい。
・読者は、彼女と一緒に(作中の)世界を知っていく。ライトノベルや漫画だと、転校生や編入生が学校のルール、情勢を知っていくパターンが多い。ex)『花より男子』(神尾葉子
シリーズものの場合、巻を重ねるごとに重厚感が出てきたりする。
◆キャラクター小説としても巧い。鬼夜叉(世阿弥)についても、「若いとこんなことも言うだろうな」と思わせるし、猿楽師といっても特例的な地位にあるので動かしやすい。
◆唐乃にリアリティがなく引っかかった(栄養状態など)。
上記意見に対し:「貴人に同性のお付きの人がついている」というお約束がある。お付きの人がコミカルな役を担ったり、合いの手を入れたり……。ex)『ドン・キホーテドン・キホーテサンチョ・パンサ、『暴れん坊将軍徳川吉宗と歴代じい、等
その二人の掛け合いからストーリーが始まったりする。
細川頼之斯波義将などの有名人物は、重厚な歴史小説なら書き込まれるが、この作品ではあっさりしている。今回は道具立てだろうか。必要なら続編で書けばいいし、巧く書いているという見方もできる。
細川頼之斯波義将のキャラクターが似ている(似ているように感じた参加者が二名)。両方を一廉の人物として書いてあるのが混同する原因か。
◆四郎(観世四郎)は登場しなくても成り立つが、史実では後に重要な存在である:四郎の子孫によって観世流が現代に伝えられている。続編を作るときにも登場させられる。
◆ほぼすべての主要人物が美形なので、観阿弥の美男子さが際立たない。
:綺麗どころが多いのはコバルト論理? 少女の興味があるもの以外は書かない。
ex)雑誌『女学生の友』(小学館)。コバルト文庫と、直系ではないが文化的な血の繋がりがある。
◆私たちは小説を書くとき、これほど思い切ってキャラクターを作らない。もっとリアルに近づけようとする。しかしライトノベルだと思い切ったキャラクター造形が許される。自分が創作する上で、どこまで参考にできるかな、と思う。
◆伏線を張る楽しみについて。小説を書くとき、後から伏線を入れることがあるが。この作品にも、そういう部分がたくさんあるのでは。分析するのも面白い。
◆山場(ラストの乱闘シーン)に至るまでが長い。全体を見たとき、200ページほど人物説明が続いている(それも面白く読めるが。プロでないと、そこまでもたせられない)。起承転結のうち、転結が圧倒的に短い。
歴史小説というと戦国時代や江戸時代に偏りがちで、室町時代は今まで扱われることが少なかった。学校でも、教える教師自身が興味を持っていないのかすぐ終わってしまう時代だった。創作の穴場では。
◆表紙のイラストについても、「イメージが固定されてしまう」「表紙に惹かれて買った」などの意見が交わされた。一般文芸作品の表紙をイラストにしたり、ライトノベルとして刊行された作品の表紙を(後に)一般文芸作品のようにしたり……というようなことはよく行われている。

『虚構推理』城平京(講談社文庫)

Zoom読書会 2021.03.20
【テキスト】『虚構推理』城平京講談社文庫)
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
この作品を原作とした漫画を読んでアイデアや構成、キャラクターが面白いと感じたので(アニメは未視聴)、原作小説を読んでみたいと思い推薦した。合う・合わないはあるかもしれないが、小説を書く上で勉強になるのではないだろうか。

<参加者A>
ライトノベルに近い推理小説は初めて読んだが、レベルが高く面白かった。いい加減な文章がなく、比喩も的確である。
ライトノベルの構造は決まっており、そこに嵌めこんでいくので量産できると創作の講座で聞いたことがある。
◆おどろおどろしいものを扱っているが、軽快に楽しげに、面白げに進んでいるので夢中で読んだ。
◆主人公・岩永のキャラクターがとても面白い。純文学と違ってキャラクターがはっきりしている(そぐわない行動をしない、予想外のことをしない、必要以上に掘り下げられない)。
◆最初、初版のカバーが鋼人七瀬だとわからなかったが、途中で気づき、イメージしやすくなった。
↓参考(初版のカバー)
https://www.amazon.co.jp/%E8%99%9A%E6%A7%8B%E6%8E%A8%E7%90%86-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%9F%8E%E5%B9%B3-%E4%BA%AC/dp/4062932407
◆いろいろなこの世ならぬ者たちが出てくる。喋り方、キャラが面白かったので、もっとたくさん出してほしかった。
◆面白くてたまらなかったのだが、第五章「鋼人攻略戦準備」からスピード感を失ったと感じた。漫画だと面白いと思うが、小説では読みにくく飛ばし読みした。理詰めでストーリーを組み立てていることの弊害ではないか。
九郎と七瀬が戦っている臨場感と動きを加えながら、スピーディに繋げていけばいいと思った。アクションの描写は一般的である。理詰めが好きな人であれば、なるほどと読めるのだろうか。
◆あやかしに興味がわき、民話を書きたくなった。

<参加者B>
◆作者はどちらかというと漫画やアニメの世界で名の知れた人。作品の半分ほどは漫画原作である。
↓参考(Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%B9%B3%E4%BA%AC
今の30代には、この作者の作品を浴びるようにして育ったという人も多い。Ex)『絶園のテンペスト』、『スパイラル~推理の絆~』etc.
◆作品そのものとしては、ライトノベルという枠組みとして見るとレベルが高い。
◆推理ものとしてライトノベルの文法があるが、それを少し崩している。
「主人公2人が活躍するパターン」はホームズとワトソンの変種であり、「天才的な探偵の少女とサポートの少年が活躍するパターン」は桜庭一樹GOSICK -ゴシック-』や西尾維新作品などにも見られる。
この作品も天才的で異能を持った少女とサポート的な少年に見えるが、探偵役の岩永同様、九郎もあやかし側であり、従来のパターンより転倒させている。
◆全体として転倒した構造が面白い。
◆この作品で目的となっているのは、「事件の解決」ではなく「意味のわからないものに、とりあえず誰かが納得する話を作ること」。真実は重要ではない。SNSに例えるなら、いいねの数、リツイート数を真実とする。それを作る過程を見せるのが、ストーリーテリングとして面白い。
◆常識的な昼の世界と、夜の世界(怪異)があるのを前提としている部分が面白い。話の奥行が生まれる。
◆小説『虚構推理』の英語タイトルはINVENTED INFERENCE(=発明された推理、人為的に作られた推理)。なお、アニメ版の英語タイトルはIn/Spectreという造語になっている。
◆『雨月物語』や、民俗学柳田国男が調べたものなど)を取り入れており、一眼一足など、そのままではアクが強くなりそうなものを、今風のファッションにすることでマイルドにしている。
◆主人公・岩永琴子が「人とあやかしの仲介役になるため生贄になった(=人柱)」という話である。人柱を十字路と同じ形である一つ目一本足にする、という話に取り入れたのが面白い。
◆スピード感に欠けるという意見があったが、第五章から敢えてストーリーを緩めているのかな、と思った。岩永がネットに書き込んだ部分(=ゴシック体の箇所)を読み飛ばしても話がわかるようになっている(というテクニックである)。そうすることで、漫画化、アニメ化の際に膨らませる余地を残している。

<参加者C>
◆面白かった。ライトノベルというより、特殊設定ミステリー(ありえないものを混ぜた上で読者が納得するような構成の作品)の一つとして読んだ。ex)今村昌弘『屍人荘の殺人』
◆従来型のミステリーではなく、いかに納得させて虚構の世界に導いていくか、というストーリー。それなりに推理も楽しめるが、推理小説の従来のかたちではない。
◆前半はきっちり論理的に組み立てられており、読者が疑問を持つであろうことを、ちゃんと説明している。
五章・六章は「ほんとにそうかな」と思うのだが、前半がしっかりしてるので、きっちり書いているのだろうと感じさせる。
◆本格推理は、仕掛けがバラ撒かれた細かい説明がある。Ex)エラリー・クイーン『ローマ帽子の謎』
読者は大変だが、きっちり書いておかねばならない。本格推理は慣れていないと読むのが大変だが、結論がわかってから読み返すと面白い。
◆入院していた従姉の名前が出てこないのは仕掛けで、後から登場するだろうなと思った。「六花」という名前が出てきたとき、ピンとくるかどうかが、この手の仕掛けに慣れているか慣れていないかだろう。
◆地の文が「琴子」ではなく「岩永」なのに違和感があったが(九郎、紗季は名前なので)、それもテクニックだろう。こういうことで読者を振り回してやろう、というような。使ってみたくなるテクニックだ。
◆人魚と件(くだん)の肉を食べて能力を手に入れたという設定は(果たして、そう巧くいくかとは思うが)、民俗学をうまく取り入れている。
◆鋼人七瀬は人々の想像力が作った怪物だという設定だが、ネットのまとめサイトは一本ではないので、いろんなタイプの鋼人七瀬が出てくるのではないかと思うが、都合よく作っているのが逆に面白い。
◆会話のやり取りがよくできており、面白い。笑わせられたり関心したりした。
◆場面によって視点が変わるが、きっちり書かれている。視点人物以外の心情が上手く書けるのだと思った(「なかろうか」をつけて、うまくひっくり返すなど)。
◆楽しめる要素が盛りだくさんである。誰もがそこそこ知っているようなことを取り入れて感心させるような題材の作品だ。

<参加者D>
◆あまり面白いと思わなかった。
◆主人公・岩永琴子のキャラクター(雨が降ったら眠くなる、など)や、九郎との会話、第二章での紗季への視点の切り替えは面白いと思った。
◆岩永と紗季がどう絡むのか、三角関係が青春小説のように非常によく書けている。
◆しかし、鋼人七瀬が出てきて面白くなくなった。最初が面白かっただけに残念だ。寺田が死んだところでクッションが上がり期待したが、自分の中では盛り上がらなかった。

<参加者E>
◆小説先行だが、メディアミックス前提に書かれた作品ではないかと思った。視点の切り替えなど、非常に映像的なので。実際、漫画を先に読んでいたが、まったく違和感がなかった。そのまま漫画のシナリオになりそうだと感じた。
最近の小説はメディアミックスを念頭に入れて書かれていることが多いのではないか(西尾維新貴志祐介の作品にもそのようなところを感じた)。
◆言葉を武器に相手を追い詰めていくところ、ミステリーと怪異を融合させているところは京極夏彦百鬼夜行シリーズを思い出すが、百鬼夜行シリーズが真相を明らかにしていき、言葉で怪異を解体していくのと逆に、こちらは怪異を虚構の真相で説明していく。
◆第五章以降、紗季が岩永の戦術に感嘆しているが、わたしはところどころ納得しかねた。犯人当てのようにわかりやすい決着があるわけではなく、大部分を納得させるというのが目的なので少々もやもやした(一応、「鋼人七瀬の消滅」というゴールはあるものの)。
◆「そんなに上手くいくかな」とは思うが「九郎/立花さんの能力があるし」で逃げられる設定がずるいと感じた(悪い意味ではなく)。
◆発想とスピード感はとても面白い。プロットも綿密で、ものすごく練られていると思った。
◆物語の可能性、危うさ、恐ろしさみたいなものを感じて、ストーリーとしては好き。
◆実在の七瀬かりん(春子)の真相が気になったが、そこを書くと本筋からずれるし、この作品では蛇足になるのだろうなと思う。

<フリートーク
◆メディアミックス前提ではという意見に:映像にしても映えるがゲームにもできる作り。
戦いのシーンを論理的にするなど、『逆転裁判』などを意識した作りである。若い読者は読んだとき、『逆転裁判』が浮かぶのではないだろうか。
最近、「小説の続きはゲームで」ということもあるので、そこを見越しているのかも?
◆分岐を設けて、別のバージョンが出せる作り。
◆だからこそ、小説だけを読んだら物足りないこともあるかもしれない。
メディアミックス向けに余白を作っているので。
たとえば小説では、寺田が殺害されたところは詳しく書かれないが、アニメでは目撃した妖怪の視点で詳しく描かれている。
◆また、作中で出てくる七瀬かりんの曲は実際に作られ、配信されている。
↓参考(公式YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=39bDpBDWDYM
◆キャラクターがメインではあるが、論理の丁々発止が主人公、のようなところはある。
◆小説では読みづらかった五章や六章も、映像化したら場面として映えると思うので、スピード感などは解決できると思った。
◆理不尽な殺され方だが恐怖がない。⇔主人公の岩永がすべて構造を把握している。岩永がわからないことがあればおどろおどろしくなるが、彼女が理屈を知っているので怖くない。紗季や寺田を除いて、主要登場人物のほとんどが闇の世界の住人なので。
◆鋼人七瀬は元・アイドル(=崇め奉られる偶像的な存在)。それと対する岩永も、ある種あやかしのアイドルのようなものである。→アイドルvsアイドル
かたやアイドルのコスチュームで顔がない鋼人七瀬、かたや一眼一足で特徴的かつ絵的に映える。
◆真実はどこまでも闇の中なので、ほかの可能性は残っており、解決が怪しいと言える余地も残っている。また、それゆえに同じ筋書きで展開を変えて出すことも可能である。
◆まったく理詰めではないが、理詰めであるかのように書かれている。虚構が構築される可能性が書かれているだけである。岩永のネットへの書き込み部分(ゴシック体の箇所)だけを読んだらおかしい。
◆名前に数字が入っているのも考察しがいがある。たとえば九郎の「九」を漢字辞典で調べると「行き止まり」や「切断」という意味があり、『生物として究極の行き詰まり』を表しているのかもしれない。
また、鋼人七瀬の「七」にも「切断」という意味がある。
岩永琴子は「十」=十字路に捧げられた生け贄だろうか? 十字路には呪術的な意味合いがあり、十字と同じ形のものを立たせたり、西洋では教会・韓国では祠が建てられていたりする。また、吸血鬼が出ないよう、十字路に灰を撒くことも。→十字路は異界と繋がっているという考え:岩永琴子は境界針であり、だからこそヒロインになりうる
◆鋼人七瀬について:ネット上の無数の意見が一つの声を作って現実を動かしていく恐怖。
フェイクニュースのように、根も葉もないけど、それなりに理屈の通るような話から暴動などが起こり看過できない状況になることの恐怖。
この作品でいう「怪物」とはそういうものであり、だから岩永はそれを止めなければならない。

『密やかな結晶』小川洋子(講談社文庫)

R読書会@オンライン 2021.03.06
【テキスト】『密やかな結晶』小川洋子講談社文庫)
【参加人数】7名(推薦者は欠席)

<参加者A>
◆消滅の設定があやふやで、なかなか入りきれなかった。概念が消えてしまうというのが最後でわかったが、消滅してしまったはずの鳥が出てくるのはなぜ?
ただ、設定があやふやであろうとなかろうと、この作品にとっては大したことではないのだと最後にわかった。
◆読んでいくうち、消滅するということの恐ろしさを感じた。同時に、自分の中に残っているものが大切なのだということも。また、大切ではあるけど無力だということも。
◆「秘密警察」がナチスユダヤ人狩りを彷彿させるものだった。

<参加者B>
◆消滅の設定はあやふやだと思ったが、わりにすっと読めた。設定がしっかりしていたら近未来を描いたディストピア的なSFになりそうだ。
◆設定、世界観が好み。皆がどう読んだか聞きたい。
◆終盤の展開にとても驚いた。全体としては非常に素晴らしい作品だと思う。
◆(コロナ禍の)現代になって読み直されたり注目されたりしている。書かれた時と今で、読まれる意味合いが違ってきているのではないか。

<参加者C>
◆私は政治的なものと受け取らずに「失うこと」について書かれた物語だと思った。ただ、政治的なものから切り離されているんじゃなく、政治的なものも個人的なものも含めて、すべてに繋がる「喪失」の話かな、と。
◆批評性の強いSFになっていないので、人によっていろいろな読み方・解釈ができる。読み手によってテーマだと感じることが違うのでは。
◆消滅したものはなくなっているけれど、心には「空洞」が残っている。
◆体の一部が消滅するくだりで概念が消えたのだと確信したのだが、犬も同じ場所を失っているので混乱した。それとも、概念を失った主人公にそう見えているだけ?
◆解説より先に本文を読んだが(小川洋子氏がアンネ・フランクから影響を受けたと知らなかったが)、R氏の隠し部屋のくだりで、アンネ・フランクが隠れた隠れ家を思い出した。福山市ホロコースト記念館に行ったことがあり、形は違うが雰囲気を想像できた。

<参加者D>
◆初めて小川洋子氏の小説を読んで、透明感のある文章だと思った。語りがよく、とっつきやすい。
◆不思議な世界観。鳥が消えたはずなのに飛んでいる、など。
◆主人公である「わたし」が淡々と現実を受け入れ、話が進む。主要な登場人物は少ないが、R氏が「わたし」の疑問に思っていることを代弁してくれたり、抗おうとしてくれたりしている。
◆「わたし」に共感でき、共感できることが面白い。
◆救いがなく、読了後、何を伝えたいのかと考えた。「つらい境遇があっても淡々と生きてくことの強さ」「不幸なことが降りかかって、苦しみながらも順応し、悲観しながらも生きていけるよ」というメッセージだろうか。
◆「上をみてはいけない。下を見なさい」という言葉を思い出した。

<参加者E>
◆解説を先に読んでしまって、『アンネの日記』や戦争のことなどを投影した作品だと思って読んだ。
なぜ消滅しているのか、誰が、どうしてなど、理由が明かされない。それが、戦争に巻き込まれる理不尽さをよく表している。
◆R氏が外に出ていくラストに未来を感じた。あちこちにR氏のような人がいるのだろう。私たちは記憶を持っているので明るい未来を作っていくことができる。
◆主人公は小説家であり、作中作で消滅のことを書いているが、その作中作と本編の消滅が重複している意味がわからなかった。皆に訊いてみたい。
◆消滅に関連してːたとえば認知症では記憶が消えていくが、感情は最後まで残る。この小説では(消滅したものに対する)感情すらどんどん消えていっており、その書き方がすごくうまいと思った。

<参加者F>
◆消滅の設定が曖昧。一度目に読んだときは消滅のメカニズムがあやふやで腹が立ったが、二読目ではそれを打ち消すくらいの独特の作品世界を感じた。
◆「愛」について語ってるのでは。
【主人公の「わたし」はR氏の世話をし、最終的に自分が消えてR氏が自由になる】⇔【(作中作では)「わたし」が消滅し、先生が残る】と対比されている。「人を独占したい」という気持ちの究極では。
◆どうしても受け入れがたいのは、概念が消滅するのか、物自体が消滅するのか、あやふやなこと。フェリーは残っている。鳥は消えたがニワトリはいないのか? カレンダーがなくなって、(ただ端末はなくなるのではなく)時間の概念そのものまで否定するようになる。果たしてそれはいいのか?
◆物から概念がなくなるのか、概念から物がなくなっていくのか。左脚はあるが、左脚という認識ができなくなる。肉体は概念からなくなる?
最後に声が残ったが、声は臓器がないと生まれない。どうやって声を出している? そのあたりの雑さが耐えられない。
◆記憶・感情がなくなったら空洞すらないのでは。
◆主人公は小説家だが、記憶や言葉をなくして小説を書けるのか? 受け入れがたい。書き続けることは記憶を紐解いて言葉にしていくことだと思う。

<参加者G>
◆半年前、別の読書会でテキストとして取り上げた。するする読んで、ストーリーは印象に残っていない。印象に残っているのは、川に薔薇が流れている場面。ほかの部分は忘れている。こんなにも忘れる小説は珍しい。
ホロコーストなのか、こうやってナチスユダヤ人を追い詰めていったのかと思いながら読んだ。
◆なくなって初めて、その大切さがわかるということがある。
◆最近、この作品が取り上げられることが多いのは影響ではないか。戦争でなくても、ウイルスが蔓延るようになり生活は大きく変わった(映画館に行けなくなるなど)。この小説は普遍性を持っていると思う。
◆設定が曖昧で納得できないというのは一回目に読んだとき思った。フェリーが消滅したはずなのに会話にフェリーが出てくるなど。つまりSFでなく純文学だ。SFでは絶対許されないことが純文学では許される。
◆作中作の主人公が最初に失うのが声、本編で最後に残るのが声。そしてどちらも消えてしまう。そこが最後に集約している。
声は言葉を発するもの。言葉を紡ぐもの。そこが鍵かと一回目読んだときに感じた。

<フリートーク
◆支配と支配される側が逆転している作中作。逆に作りこまれすぎている。
◆作中作も本編も、声を失おうが失わまいが、社会に声は届かない。
◆作者はちゃんとしたリアルな小説というつもりで書いているが、設定の曖昧さや茫洋とした雰囲気で幻想的と言われてしまう。しかし私の好みに合う。
夢のロジックで書かれている。深く心に刺さる、印象に残る夢という感じ。そういうものを小説、文章にしようとしているのが小川洋子という作家だと思った。
◆リアルな人間の生活というより、人間の精神がそれをどう受け止めるかという小説では。
「(執筆の際の)降りてくる」と「夢で見る」は似ている。
◆ロジックで書くのではなく、また、「テーマはこう」「訴えたいのはこれ」ではなく、作者が自分の心の中を開けて、何かを出そうとしている小説ではないか。
◆R氏は彼女にとってのアニムス的な存在(=男性的な原理・側面)。男性的な要素と女性的な要素で人格が出来上がっていく。導いているのがおじいさん。ユング心理学的な解釈が嵌るようになっている。
◆深層心理でロジックに頼らず、湧き上がるものを書いている。それによって気づきがあるのが名作。しかし私はあまり印象に残らなかった。
◆すごく難しい小説。通り一遍の解釈で割り切れないところがたくさんある。アゴタ・クリストフの『悪童日記』の骨を吊り下げるシーンを思い出した:古い自分を捨てて歩んでいくことの象徴であるシーン
◆テキストに関連して小川洋子氏のエッセイ「とにかく散歩いたしましょう」を読み、ものすごくユーモアがある人だと思った。ゆるっとしたエッセイで面白かった。
◆些末なことはすごく辻褄が合っているけれど、土台で辻褄が合わないのが面白いのかもしれない。基本的な構造が揺らいで飛躍するという意味では、小説というかたちはとっているが詩のようだ。

 

★R読書会では、小川洋子さんの他の作品もテキストになりました!

『魯肉飯のさえずり』温又柔(中央公論新社)

Zoom読書会 2021.02.13
【テキスト】『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』温又柔(中央公論新社
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
作者である温又柔は日本語・台湾語・中国語の間を行き来する女性作家である。奥付には「温又柔」とあるが、表紙には「Wen Yourou」と中国語読みの表記が添えてあるのもそのため。国籍は台湾だが三歳から日本で育ち、彼女の作品は日本語で書かれているので分類的には日本文学になる(「外国にルーツがある日本文学」という括りでは柳美里梁石日と同じ)。
ジェンダーの問題など時勢に合った要素もあり、みんなで読んで話し合えればと推薦した。

<参加者A>
◆外国籍の人という前提があったが、日本語の文章が上手く読みやすい。
◆桃嘉の章と、母・雪穂の章があるが、設定が似ているので(夫の家族との関係など)、時間を置いて読んだらどちらの話なのか少々混乱する。
◆日常が丁寧に綴られており、読者に登場人物の履歴が示される。そして、すべての情報が作品のプロットに関連し、読み落とすことができないため、しんどい。
◆読者に必要な情報を与えることは重要だが、長いので読むのが大変だった。
◆「文化の違いでわかりあえない」という話かと思ったが、台湾出身の母と日本人の父は理解し合っているので主題は別にある(桃嘉と聖司の問題など)。
◆桃嘉と雪穂、それぞれの夫とその家族は、表面的に見れば普通に接しているように見え、悪意はあるわけではないので、彼女たちが過敏に見えてしまう(言葉の行き違いは存在するので違和感を感じるのはわかる)。
◆桃嘉と雪穂が違和感を持つのは、日本人である義理の家族(桃嘉は夫も含む)だけ。日本で生まれ育ち、ほぼ日本人と変わらない桃嘉が、台湾人の祖父母や伯母たちには違和感を感じないのが気になった。
◆先の展開がわかってしまう。
◆第五章は不要ではないか。

<参加者B>
◆文章が美しく品格がある。とても日本語を意識していると思う。丁寧に丁寧に書かれている。
私は村上春樹アゴタ・クリストフが好きなのだが、多言語的な感覚で書いているので文章がわかりやすくオリジナリティーがある。文章を綴るときに「他者の視点」が入るからか。クレオール言語、のような。そのことを思い出した。
◆作者の言いたいことが第一章・第二章からはっきりしており、それを言うための伏線が張られている。あることを言いたいがために、ひとつのことを書いている。
聖司は自分が支配できる女性(妻・桃嘉)を選んでいる。→日本と台湾の暗喩? その後、二人が離婚する=台湾が独立したということか。
◆温又柔の小説『真ん中の子どもたち』が第157回芥川賞の候補作になったときに論争があった。選考委員である宮本輝が選評で「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。(中略)他人事を延々と読まされて退屈だった」と述べていた。
確かにこの作品でも自分の主張が多く、台湾人のことを悪く言っていない。
◆桃嘉の周りには(聖司とその周辺以外)善良な人しかでてこない。こんなにいい両親が揃っていたら結婚などできない(見ず知らずの男のところにいきたいと思わない)はずだ。
人間は他人とぶつかって成長していく。過保護な両親のもとでは成長できない。つまり、親が善良すぎて(悩みはあるが)葛藤がない、戦いがない愛情に溢れた家族の中で甘ったるく生きているように感じた。

<参加者C>
◆小説の出来と、面白いと思うかどうかは別だが、出だしを読むのに疲れた。私自身が聖司に重なるところがあり、自分のことを責められてるように感じてしまったので(「こんな細かいことを言わなくてもいいじゃないか」と思った)。
◆しかし、徐々に徐々に面白くなってきた。「聖司以外は善人で、主人公に葛藤がない」という意見もあったが葛藤はあると思う。
◆母(雪穂)は干渉する。娘(桃嘉)は干渉してほしくない。そこがキモとなっており、とてもよかった。
◆桃嘉の祖父は日本への憧れが強い人物として造形されている。私は仕事で台湾を訪れたことが何度かあるが、友好的であり、お互い敬意を表していたと思う。
◆この作品は国と国との話ではなく、ジェンダーの問題や、結婚生活の問題などが主題ではないか。日本人同士が結婚しても夫婦のすれ違いはある(食べ物なども)。
◆娘・桃嘉は離婚を選び、そこから自分を再生しようとする。両親の結婚がとてもうまくいっていることへの憧れがあり、両親の夫婦関係を見て悩んでいるさまがうまく書けていると思った。

<参加者D>
◆二つのことを考えた。
まずアイデンティティの問題。私は日本人で、日本で生まれ育ち、母語も日本語でアイデンティティについて意識したことがない。聖司や義姉のような発言をしてしまいそうだ。差別は悪意あってするものではなく、無意識に根付いたものではないだろうか。
それから夫婦間・親子間における関係性の問題。言葉が通じてもわかりあえない関係(桃嘉と聖司)はあるし、言葉が通じなくてもわかりあえる関係(雪穂と茂吉)もある。
◆聖司が結婚の挨拶に来たとき、桃嘉が緊張し気を遣っていた、というエピソードが気になった。
この作品では聖司だけが悪いような印象を受けそうだが、桃嘉も、言葉が通じるにも関わらず、なかなか彼とぶつかろうとしていなかったので、どちらかが一方的に悪いわけではないと思う。桃嘉は相手と対等な関係を作ろうとしていなかったと感じる。(※フリートークでの意見をお聞きして、そういう主人公造形なのだろうなと思いました。)

<参加者E(推薦者)>
◆「夫婦間の話」「親と子供の話」という軸があり、その中に異文化の話が落とし込まれている。妻と夫、親と子、文化と文化…さまざまな糸が張り巡らされており重層的になっている。
◆温又柔の来歴は、白水社のエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』に書かれているが、ほぼこの小説と同じである。→主人公・桃嘉は作者の自己投影かという部分がある。
◆2021年2月現在、森会長の発言もありタイムリーな感がある。→ジェンダー問題
男性はこう、女性はこう…という話は、桃嘉と聖司の章にも、雪穂と茂吉の章にも出てくる。とくに聖司というキャラクターは物語の中で「男性はこうあらなければならない」を体現しており、聖司本人・聖司の勤め先の人たちもそう思っている(男性が稼ぎ、妻は家にいるものだ、と。あるいは、聖司の勤め先の人たちの「(桃嘉は)可愛い」「(絵を描くのは)かわいい趣味」という発言。女性はそうあってくれという願望がある)。
◆日台ハーフであるという要素→「かわいい」と「外国的なエキゾシズム」が対照的になっている
◆作中、台湾のコミュニティの中で日本女性を賛美する話がある。そして雪穂も、清楚な妻になろう、日本人になろうとする動きがある。日本人の男性より少し下の女性、という意識を持っている。そのような物言いや考え方が桃嘉にも受け継がれており、問題が二世代に渡っている。
また、桃嘉の祖父のように、日本が格上で台湾が少し下という考えが内面化している登場人物もおり、それが複合的な要素を出している。
◆作中の親子関係について。作者世代の文脈で見ると面白い。母・雪穂は、娘が嫁いだ後も「子ども部屋」を残している。作者は1980年生まれであり、氷河期の谷底世代である。受験や就職のときに競争相手が多く、また親から干渉を受ける人が多かった。その中で引きこもりになる人も。就活をやめて婚活をしたり、家事手伝いに逃げたという人も実際にいる。私も同じ世代なので、実際に見てきた生々しい親子関係と重なった。
◆第五章は一見ハッピーエンドに見えるが、ラストの一文を見るとそうとは限らない。自分が生きていく場所を切り拓いていくという希望は見えるが、世代的なことを考えると難しい。
あるいは、桃嘉が母と同じことを繰り返すのでは? という暗雲のような含みがある(ハッピーエンドととってもいいが)。

<フリートーク
◆聖司が浮気をしなければ普通の夫婦の話である。→台湾を抜きにするとつまらなくなるのは全員のコンセンサス
◆作者のエッセイは言葉に関するもので、日本語と台湾語・中国語のやり取りでどうやって生活しているかが綴られている。つまり、自分の身の置きどころを、言葉の面から考察するきらいがある。
◆桃嘉の自立や自覚が描かれていない。
◆雪穂と茂吉は本当にいい両親なのか? 母は過保護、父は物分りがよすぎる。両親が桃嘉に自覚を持たせなかった。
◆桃嘉にとって実家が一概に居心地がいいとは言えないのでは。母は干渉してくるし、桃嘉はそこから逃げたい、独立したいと思っている。しかし就職に失敗し結婚に行き詰まり、親のありがたさ、自分のルーツのありがたさに気付いた。本当に居心地がいいか? といえばそうではない。
◆桃嘉は客観的に見れば恵まれているが、ある種自分の自我を通させてくれない過干渉の家庭で育った。自分がしたことに対し後からフォローが入ったり、ケアというかたちで干渉を受けると安定した自我が確立しづらい。常にケア対象、保護対象であるという意識があり、確立した自我を持たないので他人の評価を過大に、センシティブに感じてしまう。不安定さの小道具のひとつとして台湾、魯肉飯が用意されている。
桃嘉は聖司に認められたと思ったが、実際に結婚すると、親の息苦しさとはまた別の息苦しさに悩まされた。
◆桃嘉は何かを求めており、しかし自分が強くなるために何もしてこなかった。その方法がわからず焦っている。
◆桃嘉も、子どものころは母に反発していたが、中学受験のあとには物分りがよくなっている(→中学生時点で母と同化している)。その間を書いてほしかった。
◆(上の発言を受け)すーっと行ってしまう人間を書こうとしているのでは。私は共感できた。人との距離をとることが難しい桃嘉がやっと歩き出した話だと思う。
◆世代間の違いをもっと書いても良かったのでは。聖司の両親と茂吉の両親は、何十年も離れているのに似ているように感じる。
◆この話は男女が逆だと成立しない(男性は結婚によって就活から逃げられないため)。
◆桃嘉は雪穂と違い、日本語がわかっているにも関わらず自分のいいたいことが言えたいもどかしさはある。一定の人から見るとイライラする造形になっているのは確信的。
◆幼いときに絵が認められているという設定が邪魔になっている。
◆父・茂吉はステレオタイプのキャラクターであり、あまり使われていない。あまり出てこないので父親不在の家庭なのかと思った。
◆温又柔はエッセイが読み物として優秀。言葉の感覚がうまいと思う。小説には慣れきっていない印象。
◆温又柔は三歳から日本にいるので日本語を操っているが収まりがわるいところがある。そのため、日本統治時代の台湾人が日本語で書いた小説に親近感を持っている。