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『魯肉飯のさえずり』温又柔(中央公論新社)

Zoom読書会 2021.02.13
【テキスト】『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』温又柔(中央公論新社
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
作者である温又柔は日本語・台湾語・中国語の間を行き来する女性作家である。奥付には「温又柔」とあるが、表紙には「Wen Yourou」と中国語読みの表記が添えてあるのもそのため。国籍は台湾だが三歳から日本で育ち、彼女の作品は日本語で書かれているので分類的には日本文学になる(「外国にルーツがある日本文学」という括りでは柳美里梁石日と同じ)。
ジェンダーの問題など時勢に合った要素もあり、みんなで読んで話し合えればと推薦した。

<参加者A>
◆外国籍の人という前提があったが、日本語の文章が上手く読みやすい。
◆桃嘉の章と、母・雪穂の章があるが、設定が似ているので(夫の家族との関係など)、時間を置いて読んだらどちらの話なのか少々混乱する。
◆日常が丁寧に綴られており、読者に登場人物の履歴が示される。そして、すべての情報が作品のプロットに関連し、読み落とすことができないため、しんどい。
◆読者に必要な情報を与えることは重要だが、長いので読むのが大変だった。
◆「文化の違いでわかりあえない」という話かと思ったが、台湾出身の母と日本人の父は理解し合っているので主題は別にある(桃嘉と聖司の問題など)。
◆桃嘉と雪穂、それぞれの夫とその家族は、表面的に見れば普通に接しているように見え、悪意はあるわけではないので、彼女たちが過敏に見えてしまう(言葉の行き違いは存在するので違和感を感じるのはわかる)。
◆桃嘉と雪穂が違和感を持つのは、日本人である義理の家族(桃嘉は夫も含む)だけ。日本で生まれ育ち、ほぼ日本人と変わらない桃嘉が、台湾人の祖父母や伯母たちには違和感を感じないのが気になった。
◆先の展開がわかってしまう。
◆第五章は不要ではないか。

<参加者B>
◆文章が美しく品格がある。とても日本語を意識していると思う。丁寧に丁寧に書かれている。
私は村上春樹アゴタ・クリストフが好きなのだが、多言語的な感覚で書いているので文章がわかりやすくオリジナリティーがある。文章を綴るときに「他者の視点」が入るからか。クレオール言語、のような。そのことを思い出した。
◆作者の言いたいことが第一章・第二章からはっきりしており、それを言うための伏線が張られている。あることを言いたいがために、ひとつのことを書いている。
聖司は自分が支配できる女性(妻・桃嘉)を選んでいる。→日本と台湾の暗喩? その後、二人が離婚する=台湾が独立したということか。
◆温又柔の小説『真ん中の子どもたち』が第157回芥川賞の候補作になったときに論争があった。選考委員である宮本輝が選評で「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。(中略)他人事を延々と読まされて退屈だった」と述べていた。
確かにこの作品でも自分の主張が多く、台湾人のことを悪く言っていない。
◆桃嘉の周りには(聖司とその周辺以外)善良な人しかでてこない。こんなにいい両親が揃っていたら結婚などできない(見ず知らずの男のところにいきたいと思わない)はずだ。
人間は他人とぶつかって成長していく。過保護な両親のもとでは成長できない。つまり、親が善良すぎて(悩みはあるが)葛藤がない、戦いがない愛情に溢れた家族の中で甘ったるく生きているように感じた。

<参加者C>
◆小説の出来と、面白いと思うかどうかは別だが、出だしを読むのに疲れた。私自身が聖司に重なるところがあり、自分のことを責められてるように感じてしまったので(「こんな細かいことを言わなくてもいいじゃないか」と思った)。
◆しかし、徐々に徐々に面白くなってきた。「聖司以外は善人で、主人公に葛藤がない」という意見もあったが葛藤はあると思う。
◆母(雪穂)は干渉する。娘(桃嘉)は干渉してほしくない。そこがキモとなっており、とてもよかった。
◆桃嘉の祖父は日本への憧れが強い人物として造形されている。私は仕事で台湾を訪れたことが何度かあるが、友好的であり、お互い敬意を表していたと思う。
◆この作品は国と国との話ではなく、ジェンダーの問題や、結婚生活の問題などが主題ではないか。日本人同士が結婚しても夫婦のすれ違いはある(食べ物なども)。
◆娘・桃嘉は離婚を選び、そこから自分を再生しようとする。両親の結婚がとてもうまくいっていることへの憧れがあり、両親の夫婦関係を見て悩んでいるさまがうまく書けていると思った。

<参加者D>
◆二つのことを考えた。
まずアイデンティティの問題。私は日本人で、日本で生まれ育ち、母語も日本語でアイデンティティについて意識したことがない。聖司や義姉のような発言をしてしまいそうだ。差別は悪意あってするものではなく、無意識に根付いたものではないだろうか。
それから夫婦間・親子間における関係性の問題。言葉が通じてもわかりあえない関係(桃嘉と聖司)はあるし、言葉が通じなくてもわかりあえる関係(雪穂と茂吉)もある。
◆聖司が結婚の挨拶に来たとき、桃嘉が緊張し気を遣っていた、というエピソードが気になった。
この作品では聖司だけが悪いような印象を受けそうだが、桃嘉も、言葉が通じるにも関わらず、なかなか彼とぶつかろうとしていなかったので、どちらかが一方的に悪いわけではないと思う。桃嘉は相手と対等な関係を作ろうとしていなかったと感じる。(※フリートークでの意見をお聞きして、そういう主人公造形なのだろうなと思いました。)

<参加者E(推薦者)>
◆「夫婦間の話」「親と子供の話」という軸があり、その中に異文化の話が落とし込まれている。妻と夫、親と子、文化と文化…さまざまな糸が張り巡らされており重層的になっている。
◆温又柔の来歴は、白水社のエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』に書かれているが、ほぼこの小説と同じである。→主人公・桃嘉は作者の自己投影かという部分がある。
◆2021年2月現在、森会長の発言もありタイムリーな感がある。→ジェンダー問題
男性はこう、女性はこう…という話は、桃嘉と聖司の章にも、雪穂と茂吉の章にも出てくる。とくに聖司というキャラクターは物語の中で「男性はこうあらなければならない」を体現しており、聖司本人・聖司の勤め先の人たちもそう思っている(男性が稼ぎ、妻は家にいるものだ、と。あるいは、聖司の勤め先の人たちの「(桃嘉は)可愛い」「(絵を描くのは)かわいい趣味」という発言。女性はそうあってくれという願望がある)。
◆日台ハーフであるという要素→「かわいい」と「外国的なエキゾシズム」が対照的になっている
◆作中、台湾のコミュニティの中で日本女性を賛美する話がある。そして雪穂も、清楚な妻になろう、日本人になろうとする動きがある。日本人の男性より少し下の女性、という意識を持っている。そのような物言いや考え方が桃嘉にも受け継がれており、問題が二世代に渡っている。
また、桃嘉の祖父のように、日本が格上で台湾が少し下という考えが内面化している登場人物もおり、それが複合的な要素を出している。
◆作中の親子関係について。作者世代の文脈で見ると面白い。母・雪穂は、娘が嫁いだ後も「子ども部屋」を残している。作者は1980年生まれであり、氷河期の谷底世代である。受験や就職のときに競争相手が多く、また親から干渉を受ける人が多かった。その中で引きこもりになる人も。就活をやめて婚活をしたり、家事手伝いに逃げたという人も実際にいる。私も同じ世代なので、実際に見てきた生々しい親子関係と重なった。
◆第五章は一見ハッピーエンドに見えるが、ラストの一文を見るとそうとは限らない。自分が生きていく場所を切り拓いていくという希望は見えるが、世代的なことを考えると難しい。
あるいは、桃嘉が母と同じことを繰り返すのでは? という暗雲のような含みがある(ハッピーエンドととってもいいが)。

<フリートーク
◆聖司が浮気をしなければ普通の夫婦の話である。→台湾を抜きにするとつまらなくなるのは全員のコンセンサス
◆作者のエッセイは言葉に関するもので、日本語と台湾語・中国語のやり取りでどうやって生活しているかが綴られている。つまり、自分の身の置きどころを、言葉の面から考察するきらいがある。
◆桃嘉の自立や自覚が描かれていない。
◆雪穂と茂吉は本当にいい両親なのか? 母は過保護、父は物分りがよすぎる。両親が桃嘉に自覚を持たせなかった。
◆桃嘉にとって実家が一概に居心地がいいとは言えないのでは。母は干渉してくるし、桃嘉はそこから逃げたい、独立したいと思っている。しかし就職に失敗し結婚に行き詰まり、親のありがたさ、自分のルーツのありがたさに気付いた。本当に居心地がいいか? といえばそうではない。
◆桃嘉は客観的に見れば恵まれているが、ある種自分の自我を通させてくれない過干渉の家庭で育った。自分がしたことに対し後からフォローが入ったり、ケアというかたちで干渉を受けると安定した自我が確立しづらい。常にケア対象、保護対象であるという意識があり、確立した自我を持たないので他人の評価を過大に、センシティブに感じてしまう。不安定さの小道具のひとつとして台湾、魯肉飯が用意されている。
桃嘉は聖司に認められたと思ったが、実際に結婚すると、親の息苦しさとはまた別の息苦しさに悩まされた。
◆桃嘉は何かを求めており、しかし自分が強くなるために何もしてこなかった。その方法がわからず焦っている。
◆桃嘉も、子どものころは母に反発していたが、中学受験のあとには物分りがよくなっている(→中学生時点で母と同化している)。その間を書いてほしかった。
◆(上の発言を受け)すーっと行ってしまう人間を書こうとしているのでは。私は共感できた。人との距離をとることが難しい桃嘉がやっと歩き出した話だと思う。
◆世代間の違いをもっと書いても良かったのでは。聖司の両親と茂吉の両親は、何十年も離れているのに似ているように感じる。
◆この話は男女が逆だと成立しない(男性は結婚によって就活から逃げられないため)。
◆桃嘉は雪穂と違い、日本語がわかっているにも関わらず自分のいいたいことが言えたいもどかしさはある。一定の人から見るとイライラする造形になっているのは確信的。
◆幼いときに絵が認められているという設定が邪魔になっている。
◆父・茂吉はステレオタイプのキャラクターであり、あまり使われていない。あまり出てこないので父親不在の家庭なのかと思った。
◆温又柔はエッセイが読み物として優秀。言葉の感覚がうまいと思う。小説には慣れきっていない印象。
◆温又柔は三歳から日本にいるので日本語を操っているが収まりがわるいところがある。そのため、日本統治時代の台湾人が日本語で書いた小説に親近感を持っている。