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R読書会/Zoom読書会

『JR上野駅公園口』柳美里(河出文庫)

R読書会@オンライン 2021.05.29
【テキスト】『JR上野駅公園口』柳美里河出文庫
【参加人数】8名

<推薦の理由(参加者G)>
柳美里の作品は、芥川賞を受賞した『家族シネマ』以降触れていなかったが、この作品が全米図書賞を受賞したと聞いて読んで、日本の小説では珍しい構成を面白く感じた。海外の短編の作り方と似ている気がする。
◆鉄道自殺をしたホームレスが自分の来し方を語るという小説。
序盤では、主人公が死んでいるかいないかはっきり書かれていないが、だんだん謎が解けてきて、それが読み進める原動力になった。
◆街を漂っているというふうに持っていく話の作り方が面白い。「漂う」というのは主人公の無念さを表している。
◆主人公が上皇と同じ日に生まれたというのは対比を狙ったものだろうが、やや作り込みすぎと感じた。
◆自分で小説を書いたとき、「使い捨てはよくない」「自然破壊はよくない」という主張を登場人物に叫ばせたが、そうした書き方では伝わらないと指摘され、小説でしかできない書き方とはどんなものか考えた。この作品には直接的な批判は書かれていないが、読んでいて「出稼ぎのため家族と暮らせないのは理不尽だ」「原発とはよくないものだ」という思いが浮かんできて、効果的な作り方・構成がされていると思った。

<参加者A>
◆『家族シネマ』などを読み、問題意識を持った作家だと感じたが、生き様を切り売りするところが苦手になってきて遠ざかっていた。しかし、この作品を読んで「やっぱりすごいな」と思った。刺さってくるものがあり、とても感動した。
◆全米図書賞がどんな賞かわからないが、確かにこの作品には日本の小説にはない凄みがあった。2018年、同賞に選ばれた多和田葉子『献灯使』も面白そうなので読んでみたい。
◆『JR上野駅公園口』は、作者が2006年に「山狩り(行幸啓直前に行われる特別清掃)」の取材をし、そこから練りに練って8年ほどを費やした作品。
オリンピックが象徴になっているが(主人公が出稼ぎに出るきっかけになったり、オリンピックで東北の復興がないがしろになるのではという不安を感じさせたり)、作品が世に出る前に東日本大震災が起こり、コロナ禍が起こり……とても時宜にかなっている。世に出る時期を待っていた小説だ。2006年に山狩りの小説として発表されていたら、ここまで話題にならなかったのではないか。
◆浩一の葬儀の場面からは、ものすごい熱量を感じ、とても印象的。30ページが費やされており、これだけでも一つの作品になりそうだ。
◆主人公が母親から「おめえはつくづく運がねぇどなあ」と言われるのだが、これが作品全体を貫いている。お前のせいじゃない、という母親ならではの優しい言葉であると同時に、自分のせいではないからこそどうしようもない、という残酷な言葉でもある。
◆主人公は、熱心な天皇制の信奉者ではないが、鹿島にいたとき原ノ町駅天皇に手を振ったことを覚えている。
◆シゲちゃんの語りがすごく面白い。語り口は軽いが、シゲちゃんが語ることによって権力の横暴が滲んでくる。
◆主人公がホームに向かっていくとき、死に向かっていくときに見える光景がすごい。孫が優しくしてくれるのを断ち切るところもいい。
◆伝えたいことをどう伝えるか?→技術ではない。柳美里は、実際に南相馬市に移り住み、根を下ろし、現地の人から話を聞いて……主人公になりきって、なりきるだけでなく演じて魂を移している。「柳美里が言わせているのではなく、主人公を演じている」と感じた。
柳美里は演劇をしているだけあって、演劇で使われるような技法がうまい。公園を行き交う人々の会話が差し挟まれるところなど、演劇で、大道具を動かしてるときや幕間に登場人物が話しているところを思わせる。
天皇制の話が組み込まれているので全米図書賞を賞を受賞したのでは。天皇制は、欧米から見て、とてもミステリアスで理解しがたいものなので。
◆前回の読書会で『海炭市叙景』を読んだあと、映画『ノマドランド』『家族を想うとき』を観た。どの作品も貧困が根底にある。『ノマドランド』が「貧困」という価値観から飛び出す力強い映画だが、『JR上野駅公園口』では日本人らしく貧困を受け入れてしまっていると感じた。いずれの作品も、「格差」という全世界が抱える問題をテーマにしている。
柳美里は『石に泳ぐ魚』で、モデルになった女性からプライバシー権及び名誉権侵害を理由に損害賠償、出版差し止めを求める訴えを起こされている。何かに影響を受けて書くときの姿勢について考えさせられた。

<参加者B>
◆序盤、文章は読みやすいが内容は読みにくいと感じた。しかし中盤から終盤にかけては、謎が解けていく面白さがあった。
◆主人公について。ホームレスの生活の描写(コヤでの暮らし、寒さの感じ方など)がリアルだと思った。辛さを受け入れられる逞しさがあり、アンチヒーロー的なものを感じた。
娘や孫もおり、主人公に責はないのに、ホームレスになった理由がいまひとつ納得できない。このような理由でなる人もいるのだろうけど。
◆訛りが良かった。東北弁の語り口が、地の文で説明されていない人柄や性格を表している。
◆書き方について。読み上げられるお経や、薔薇展の描写が差し挟まれる部分に見られる、時が平行しているような書き方が面白い。時間の流れがわかっていい。最後まで読んで、こういう書き方をしている意味がわかった。
◆1回目読んだとき、ラストがよくわからなかった(なんで津波が襲ってくるんだろう、と)。最初のほうを読み返して、8ページに「生きていた……でも、終わった」とあるので、主人公が死んでいるのだとわかり、ラストも理解できるようになった。
2回読んで、ループしているなと思い、ループから抜け出すことができない圧倒的な絶望感を感じた。1回目読んだときは苦手だと思ったが2回目では納得した。
◆大多数の人が抱えているお金のこと、仕事のこと、人間関係のことなど……その根っこの部分がホームレスの目線で書かれている。現実的だからこそ面白く、社会的なテーマを孕んでいる。エンターテインメントではないが、こういう物語は好き。
◆感情的にならず淡々と語りつつ、こんなことはいけないと思わせる書き方がされている。

<参加者C>
◆出稼ぎ、原発など、日本の繁栄の影の部分を引き受ける東北の悲しさが出ている。津波は自然災害だが、原発が絡んでいることによる人災の部分がある。日本の影の部分を引き受ける東北や沖縄について考えた。
◆妻・節子の出産の場面に、貧しさによる時代の遅れが表れている。
◆主人公は大きな悲しみを抱えているが、不幸だったかというとそうではないと想う。出稼ぎから帰れば迎えてくれる温かい家族がいた。両親が死んだあとも、「夫婦水入らずの新婚旅行みたいな生活を送れた」と言われるくらい仲のいい妻がおり、妻が死んでからも、親思いの娘や優しい孫がいた。
主人公は不幸ではなかった。家族を不運に巻き込まないように逃げてきたのでは。悲しみのために上野駅公園に住むようになったのでは。
◆主人公と対照的に、シゲちゃんは失敗の尻ぬぐいを家族に押し付けて逃げてきた。主人公は全部自分が引受けてきたので。
◆この作品に天皇制が絡めてあることがしっくりこなかった。天皇制を結びつけて、それが天皇制の批判に結びつくのだろうか?
山狩りの理不尽さは感じるが、主人公は圧倒的な悲しみのために上野公園へ逃げ込んできたのであって、社会から追いやられ、来ざるをえなくなったわけではないので。
底辺にある人間を天皇制が理不尽に圧迫しているという批判に持っていくなら、選択肢がなくて上野公園に来たという設定でないといけないのでは。
◆小説でしか書けないことを書きたいが社会的に縛りがある。そんな時は、大きな虚構を作ってしまえばいいのではないか。例えば、小川洋子のように、全然違う世界を作り、その中で表現するなど。

<参加者D>
◆いろいろな意見を聞いて、自分がずれているなと感じた。この作品は苦手だなと感じながら読んだ。表現が詩的で入り込めず、悲劇が重なった一人芝居を観ているようだ。主人公がホームレスになる必然性はあったのだろうか(自分で選んでなったという点で)。格差社会や貧困に抗うのではなく、悲しみに漂っているようで腑に落ちなかった。大きなテーマとしてよくできた小説だと思うが、文体や構成は好きではなかった(孫娘が津波で命を落とすことも)。
◆何が評価されて全米図書賞を受賞したのか考えた。天皇制と、戦後の復興を支えた人たちについて正面から書いたことだろうか。
◆私は天皇制について、若い頃は尖った考えをしていたが、今の天皇は国民に寄り添うような人柄なので、これでいいやと思うようになっていた。しかし、この小説を読んで、本当にそれでいいのか考える機会になった。
天皇制について、また、経済成長を支えた名もない労働者について考える切っ掛けになったことに関しては読んでよかったと思う。

<参加者E>
◆最初から主人公は死んでいるのかなと思って読んでいた。一人称にしては視点が俯瞰的だったので。
◆主人公が死んでいるからこそ、孫娘が命を落とした震災を俯瞰的に書くことができた。
◆震災などの事件を直接書くのではなく、一人の人生を丁寧に描き、その中に落とし込む技法が使われている。
◆生活していると、自分と周りの人以外は景色として見てしまいがちだが、すべての人に人生があるのだと、この作品を読んで思った。
◆「山狩り」に、社会の歪みを感じた。解説にあった「ホームレスは天皇の祈りの対象ではない」という趣旨の言葉が圧し掛かってくる。
◆私は、この作品が天皇制への批判であるとは読まなかった(作者の意図とは異なるかもしれないが)。天皇は象徴であり人権もない。守られているが自由はなく、逃げ出すこともできない。ホームレスになることはないが、手放しに恵まれているわけでもないので。
そういう意味で主人公との対になっているが、天皇制への批判ではなく、同じ時代を生きた二人を、一人ずつの人間として並べたように感じた。
◆このテーマの作品に、詩的な表現が多いのは少し納得しかねた。

<参加者F>
◆話題になったときに購入し読んだが、最初は物語に入っていけず、視点もわからず、「遠いな」と感じた。リアリティがなく、淡々としすぎておりぐっとこなかった。柳美里のほかの作品とも違うと思った。
今回、読書会の課題になったことでラストまで読んで、主人公が死んでいることがわかった。8ページに「生きていた時も……」と書かれているので、実は早い段階で明かされている。気づかない人には気づかないようになっている。
◆すでに死んでいる主人公の回想として描かれているので透明感がある(実際はもっとどろどろしていたのかもしれないが)。読み返すと、浩一の死、葬儀の場面が印象的だった。雨が降る描写がとても綺麗。
東日本大震災で孫娘と犬が死んだ場面は死者の視線でなければ書けないので、主人公が死者であることの必然性がある。
◆ホームレス、天皇家、普通の人、3種類の異なる立場の人々が描かれている。主人公は死ぬことで高次元の存在になっており、彼らの会話を聞くことができ、俯瞰的に見ることができる。ホームレスも天皇も同じ、という次元まで来ている。
◆「原発反対」という目線でなく、出稼ぎをせざるをえなかった人の視点で描かれ、さまざまな問題に目を向けさせられる。
◆主人公は誰かを養うためだけに生きてきた人。最後、養う者がいなくなり、生き甲斐を失ったのでホームレスになったのでは。
ホームレスの中にはいろいろな事情の人がおり、主人公もその一人。出稼ぎ労働者だからホームレスになったわけではない。
◆舞台が上野恩賜公園であることに意味がある。そこで暮らす人々は、一般的な「ホームレス」ではない。
天皇家によって下賜されなければ、ホームレスもそこで暮らせなかった。ホームレスでありながら天皇家の恩恵で暮らしているという矛盾。だが、天皇家の公園なので、天皇家の人が訪れるたびに山狩り(ゴミ掃除)がある=ゴミと同じ扱いを受けている。
天皇家の人はホームレスを見ても冷たい視線を向けることはないと思う。しかし、そこを隠してしまうという日本人のいやらしさ。それを『JR上野駅公園口』は暴き出している。
天皇家が来るときだけ隠されるホームレス」……舞台が上野恩賜公園である必然性がこの作品のキモである。
◆ゴミ扱いを受けるということは、人間の尊厳、ここだけを守らなければという部分を踏みにじられている。「ホームレスが可哀そう」という議論ではなく、人間の尊厳を奪われることについて投げかけられている。
上野恩賜公園のホームレスだけでは物語にならないので、東北の出稼ぎ労働者であったり、東日本大震災であったり……出てきた要素を繋いで巧く作ったなと感じた。
◆ホームレスと天皇だけの問題でなく、東日本大震災なども絡めたところが海外でも評価されたのでは。

<参加者G(推薦者)>
◆この小説を最初に読んだとき、構成に衝撃を受けたものの暗くて「これどうだろう」と思った。どうして主人公が天皇と同じ年に生まれた設定にしてあるのか、なぜこの上野公園を舞台に選んだのかわからなかったが、読書会を通じて理解できた。
◆自分で物語を作るとき、書きたいテーマについて調べ、何と何をくっつけられるのか考え、登場人物のバックボーンを考え……筋を作っていくことについて勉強になった。
天皇制を結びつけることについてはしっくりこなかった。

<参加者H>
◆最後、幽霊になってしまった主人公が、出稼ぎ者の人たちの想いと一緒に東北へ帰ったように感じた。出稼ぎ者たちの故郷を想う気持ちが故郷を滅ぼし、主人公の故郷を想う気持ちが孫娘を飲み込んでしまった――そう感じ、ずしっときた。
(以下、通信の不具合によりチャットより)
◆家族のために働いているけど家族のことを何も知らない主人公と、国民のために働いているけど国民のことを何も知らない天皇が見事な対比になってますね。
◆普通の人たちのどうでもいい会話を淡々と点描していくところ面白いですね。

<フリートーク
◆放送中のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』にあった、過去・未来・現在についての台詞を思い出した。
※こちらのサイトに書き起こされています。「過去とか未来とか現在とか」で検索してみてください。
https://drmtxt.com/2021-spring-drama/mameo/post-3100/
◆死者の視点ではあるが、意識の流れ中継だと思った。過去の回想、ラジオのニュース、通行人の会話などが次々と入ってくる。いろいろなことが雑多になっている人間の意識そのものだ。
独特の意識の流れ、上野恩賜公園の平和な日常、震災で孫娘と犬が死んだ場面など、小説でしか書けないし、絶対に映像化できない。
◆ドキュメンタリーのようにいろいろなことを詰めこんでいる。
◆わかりやすく時系列を追うのではなくシャッフルしている。意識の流れ小説に通じる読みにくさ。読み手の耐性を試している小説でもある。
◆主人公と天皇の年齢が同じという設定はやりすぎ感もあるが、同じ時代を生きた読者、あるいは読者の親世代に、主人公を重ねてほしいからではないか。
NHK連続テレビ小説おしん』も昭和天皇と同い年に設定されており、昭和天皇に観ていただきたいのでそのようにしたらしい。この作品も、今上陛下が読んだとき、ご自身や上皇陛下の生き様と重なるのではないだろうか。
柳美里は批判精神の強い作家だと思うが、この作品から天皇制への批判は感じなかった。シゲちゃんが猫に直訴させようと冗談を言っているくだりからは「私たちを見てくれ、観察にきてくれ」という想いが読み取れる。
柳美里在日韓国人であり、天皇制とは少し距離感があるからこそ書けたのでは。
◆貧困や原発など、作者が感じている社会の歪みを考え、辿り着いたのが上野公園のホームレスでは。
◆ホームレスになる必然性が弱いという意見について:逃げざるをえなかった理由があるほうが、わざとらしくなるのでは。
◆映画『ノマドランド』でも、定住したらどうかという勧めを断るシーンがあるが、その気持ちはわかる。強がっているわけでなく、尊厳や、自分らしく生きるという想いがある。
◆死んだ息子の写真が証明写真しかない、というのがずしりとくる。
◆一括りに「ユダヤ人」「ホロコーストにあった人」と言ってしまうより、「一人」を描かれたほうが突きつけられるように、「ホームレス」というより「一人」を描かれたほうが胸に刺さる。
柳美里は「知ってほしい」という強い想いが、書く原動力になっているのでは。ホームレスの中に一歩も二歩も入って話を聞くという信念や執念は強い。
◆普遍性をもたらすために多くのことを考えたのだろう。
◆読者に寄り添ってポピュリズムな小説を書けばいいのに、敢えてそうしていない。
◆好き嫌いが分かれる作品だと思う。
◆構成が綺麗で私はそこに惹かれたが、受け付けないという気持ちもわかる。現実はここまで綺麗なものではないので。
一方的に礼賛するのは問題だが、このような人たちの存在に私たちが気づいていないということを気づかせてくれる作品である。
◆昔は天王寺にもたくさんのホームレスがいたが、今は綺麗な芝生になっている。彼らはどこへ行ったのだろう? どこかに隠されている? 社会の歪みを感じる。
カナダでも、公園に住み着いた人たちがコロナの影響で追い出されたようだが、彼らはどうしたのか? ホームレスとして生きるなら、都会でなければ生きられないはずなのに(田舎には住むところや食べ物はあるが、生活するには自分で何とかしなくてはならない。都会では店の残り物などを手に入れることができる)。