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『東京都同情塔』九段理江(新潮文庫)

Zoom読書会 2026.05.30
【テキスト】『東京都同情塔』九段理江(新潮文庫)
【参加人数】出席4名
※今回はLINE通話を利用しました。

<推薦の理由(参加者A)>
たまたま安い本が見つかったので読んでみようかと思って買った。
芥川賞受賞作だが、皆さんどう思われましたか? (Zoom読書会はエンタメ作品を取り上げることが多いので)私たちが日ごろ読んでいる作品とは毛色が違いますよね。
面倒くさい作品だから、手こずった感じがしなくもない。読書会で皆さんの読み方を確認したい。

<参加者B>
◆こんなに不愉快にさせられる地の文と、牧名沙羅のキャラクター造形は秀逸の一言。すごく人間味を感じる。
終盤にあった「プライドの高い秘密主義者のように」という表現は、牧名沙羅がメタ認知をしながらも、ひた隠しにしていた一面を露骨に描いている。
自分を客観視しているようで、自身が欲望を向ける拓人という存在に対し、「年上のキャリアを積んだ女性」という立場を固持しようとしているさまは、本音と建前の坩堝にどっぷりと嵌った一人の人間を描いていて興味深い。沙羅は消費をしていながら、消費快楽を拒んでいる。
◆東上拓人は「ぐちゃぐちゃした喋りをニコニコ聞いてくれる自慢の彼ピ」を、恐らく意図的に描いた存在。牧名沙羅の大人ぶった幼稚さ、未熟さに付き合ってくれる受容体として描かれている。だから彼が汚い言葉を使ったときに沙羅は動揺している。やたら建築と言葉と本音にこだわっている彼女が「汚い言葉に汚れた彼」に動揺してしまっている。
◆幸福=不愉快にならないことと定義するのであれば、この地の文は徹底的に洗練され、簡潔でわかりやすい文章に慣れた人間に対する挑発と挑戦として書いたのではないかと感じる。
◆マックス・クラインという自称レイシストすら、この小説においてはアンチ側を宥めるためのバッファとして、小太りで体臭が酷いオッサンに建前と本音を代弁させている。アダムに知恵の実を食べるよう唆した蛇(サタンの暗喩)の再来のようだった。
沙羅とマックスの対比は、「清濁を上手く取り込もうと実践している」という考えと、「清濁飲み込んだ情動を発言せずにはいられない」という行動の、面倒くさい相克を描いているように感じた。
◆「建前と本音が分かれていること」がそんなに悪なのだろうか、と感じた。建前を使うのは、程度の差こそあれ万国共通ではないか。日本人に限った話じゃない。建前を使うのは、そもそも余計なトラブルを減らすため。たいていの人間が社会的家畜を能動的かつ主体的に選び、社会やコミュニティに所属したがる習性がある以上、感情すべてを言語として表現するとは限らない。本来人間は、本音をなかなか明かさない。本音を明かしたときに得られるメリットはあまり多くなく、リスキーさが勝る。
◆牧名沙羅は、反骨精神はあれどパンクロックは歌えない。どこまでも普通の感性を持った普遍的な人間に感じる。だからこそ、自身の欲望を素直に発露できない人間特有の回りくどい自己承認欲求を感じさせる台詞、地の文に苛立つ。本当に人物描写が上手いと思わされた。
◆建築、言語、AI、他者に共通するレトリックやルックスをフラクタルとして170ページ前後にまとめ上げたのは本当に秀逸だと感じた。

<参加者C>
◆まだ整理しきれていないが、テーマは言葉についてなのかな。お互い、勝手に意味を改善して意味不明になる。言葉の意味が奪われるという展開は『1984』(ジョージ・オーウェル/角川文庫、他)でも扱われているが、『1984』では作中世界の会話は嚙み合っている。今作では言葉の意味が通じなくなってしまう未来が描かれていてユニークだと感じた。検閲が行き過ぎた結果、よくわからなくなる。
◆喋り続けている牧名からは躁鬱のような印象を受ける――今は躁鬱も違う名称なんでしたっけ。
◆建築というのも文学として面白いテーマ。ナチスの建築家であるアルベルト・シュペーアの廃墟価値の理論などを思い出したが、建築についての素養がないのでピンとこなかった。地元で巨大な建築物といえば廃墟になった元デパートくらいしかないので(笑)。
◆予見性がありそうで全然違う未来を描いている。
ザハ案の新国立競技場が建った東京に、もうひとつトンチキな建築物を作ってしまう。ユートピアに見えるディストピアだが、今の現実に比べると優しいとすら思ってしまう。ディストピアに見えるディストピアに向かいつつある現在からすると、むやみにナイーブで「幸せな悩みですね」と言いたくなる。
◆文章がいい。ところどころ切れ味のいいテキストが出てきて、そのカッコよさを見習いたい。
純文学はライターズライトで、書き手が書き手に向けて書くものだと聞いたことがある。「私はこんなに斬新に書けるんだぞ」というように、自分の技巧を、他の書き手に向けて示すみたいな(私の解釈なので、まったくの誤解かもしれないが)。
◆文学で女性が主人公である場合、レイプを経験しているという設定が多いと感じる。社会がそういうかたちをしているから、そういう要素として表れるのだろうか?

<参加者D>
◆偶然、別の読書会で最新の芥川賞(第174回)受賞作を読んでいたんですが、受賞した2作のうち1作の作者は建築士だった。そちらは家が語り手で『東京都同情塔』とはまったく違う話なんですが、家がエロティックに書かれていた。建築物って性的なものを内包しているのかな。私も地元が掘っ建て小屋っぽい駅しかないような場所なので、建築に対する素養はないんだけど(笑)。
◆私は一番最初のザハ案が結構いいと思ったので(費用などを考えない場合)、ザハ案の新国立競技場が建てられた世界という設定は面白かった。
◆言葉を使って組み立てていく――建築物は小説のメタファーなのかな? 自分のためにしか書かない、とか。
◆『東京都同情塔』というタイトルが韻を踏んでいて心地いい。作者はラップが好きなのか、本文も歯切れよく韻を踏んでいたりして小気味よかった。
◆解説でも触れられていたけれど、牧名はマキナ(機械)ですよね。デウス・エクス・マキナとかのマキナ。言葉にこだわった作品だと思うので、なぜ主人公をマキナと名付けたのか気になった。
◆高いところはあまり好きではないので、「かわいそう」とか同情されてまで住みたくない……と思ったけど、ライブラリーでまったりできるのはちょっといいなとも思ってしまった。
◆印象に残ったのは、塔内で拓人が携帯を取り出して通話しているとき、周りは非難の視線を送るものの、それを止める言葉が出てこないという場面。一見優しい言葉しか言えないということは、何かを批判する言葉まで奪われてしまうんだと思った。

<Aさん(推薦者)>
◆皆さん深く読んでおられますね。
◆面倒くさい書き方と見るか、Cさんのようにカッコいいと見るかで印象が違ってくるかもしれない。こういう書き方をする純文学が多いなと感じる。純文学とそれ以外を色分けする何かか、そうでないかはわからないが。
何を書いてあるかはだいたいわかるが、こんな言い方しなくてもいいのではと感じた。このような言い方をすることで何かが浮き彫りになるのか考えてみたいと思ったが、そこまでは読み込めていない。
◆建築とは違うところにテーマがあると感じたので、基本的に建物の話はどうでもいいのではないか。アンビルドとされていた、出来上がった建物。一つの場面設定として使っただけで。その割には、丹念に資料を読み込んで、興味を持って書いたとある。でも意味がわからなかった。
東京都同情塔のような刑務所の成り立ちが説明されていない。マサキ・セトの論文だけでは弱い。その辺りの前提が陳腐。つまり、作者は建築物について言いたいわけじゃなく、別のことを言いたいということ。
やはりテーマは「言葉」か。言葉というものは変遷して、変わってきている。
古代では一対一とか、身の周りの人との会話とか人間同士の付き合いに用いられた。やがて文字ができて、自分たちのサークルと違う人たちと対話できるようになり、ついに未来へ向かって語るようになった。
文字などで言葉が残ると、行き違いのようなことが起こる。今は差別用語とされる言葉でも、数十年前は日常的に使われており、現代の感覚で昔の文章を読むと「酷い」と感じる人がいる。
そしてSNSが出てきて、言葉の取り違えによる諍いが起こるようになり、さらにAIという人間でないものが言葉を使い始める。その中で言葉とどう向き合えばいいのか?
現代は、一つの言葉にいろいろな意味を詰め込みすぎている。社会の進展によって増加した事象に比べ、言葉の数が少なすぎる。昔の人は言葉が増えることをバベルの塔と言ったが、それとは反対の意味で意思疎通できなくなっている。言葉がなければ生活できないが頼りすぎるといけない――そういう想いがあるんだろうなぁ。
◆私はそちらに関心がいきすぎて、建築の話は別の次元かな。主人公がシンパシータワートーキョーに引っ掛かっているところで思い出したのが「高輪ゲートウェイ駅」。その駅名は、都民から募集したもののうち130位だった。そうしたものが出来上がってしまったときの違和感。そのような、作者の言葉に対する違和感が集約されているのかな。
そんなことを考えながら読んだ。

<フリートーク>
【作中の街・建築が象徴するもの】
D:街づくりに関する騒動と言えば、私はホームレスを追い出して作られた綺麗な施設のことを思い出した。街づくりはどこか歪になるんですかね?
A:「高輪ゲートウェイ駅」という駅名には、がっかりした。新しい時代を切り拓くという意味があるのかもしれないが。
私がいいと思ったのは3位だった「芝浜駅」。落語の「芝浜」あるじゃないですか。「芝浜駅」だったら賛成するのに、って思ってた。
作者にも、私のそういう感覚と共通するものがあったんじゃないだろうか。
D:ビッグ・ブラザー出てきましたね。『1984年』の。ディストピアを意識してるんですかね?
C:普通に読んだらディストピアっぽい雰囲気を感じるけど、それを書こうとしたのかな? (現実の)時代のほうが追い抜いてディストピアになっていない。今、その検閲者は息してますか? 剝き出しの罵倒が蔓延っている。より直截的に、気に入らない者に対し「死ね」と言う社会。検閲者は死んだ。そういう部分は、作中でも触れられているけれど(主人公も「死ね」と言われている)。非対称ですよね。ある種の人は検閲を受けて、ある種の人は検閲を受けず人に「死ね」と言っている。
D:「炎上覚悟で言いますが、凶悪犯は全員死刑にするべきだと思うんですよね」みたいな人は、炎上しないと思って書いてますよね。
C:そのくらいでは燃えないし。
A:そういう隠れ蓑はずるいよな(笑)。ペンネームも隠れ蓑ですよね。
B:罵り言葉、自虐としてはアリじゃないでしょうか? 私はペンネームに自虐として、自分への罵り言葉を入れている。自己批判や客観視をするために。
傷つけちゃいけないというラインが難しいですよね。言わなければならない言葉ならなおさら。強い言葉を無くしたら犯罪にすらも寛容になってしまう。そうすると、新国立競技場と東京都同情塔が調和された世界に行き着くのだろうか? 新国立競技場に合わせなきゃならない――ナンセンスなんじゃないのか、という本音があるのでは。

【シンパシータワートーキョーの背景】
A:牧名沙羅が東京都同情塔を設計したことを悔いている部分があった。その辺りの理由がよくわからない。本当にやりたいことではなかったのではないか。アンビルドで終わるのではと参加したら通ってしまった。その辺り、「アンビルドにはいくらでも理想を入れ込めるが、現実になってしまったら違うよ」という意味もあったのでは。だから、この小説を読むにあたって、(作中の)建物に関しては気にしなくていいかなと思う。
D:コンペでは勝つために言葉を尽くしてましたよね。
A:本当に建てようと思っていたのだろうか? コンペには勝ちたかったけれど、(現実のザハ案のように)アンビルドで終わらせたかったのでは。
犯罪者に寛容な刑務所――理想的な物を作るに至る設計思想があまり書かれていない。世の中に受け入れられていたのか? SFなら作品世界を作り込まないと読者は納得しないが、この作品はこれでいい。作者が断定したなら、読者はそう読まなくてはならない。だから私たちが普段読んでいるような作品とは異質。
面倒くさい語り口なのは牧名沙羅だけじゃなくて拓人もだし、マサキ・セトやマックス・クラインにしてもそう。一本調子で持って回った言い方をしている。全部同じ人間が書いているんじゃないかという文章。エンタメなら書き分けをしなくてはならないところ(純文学だから許されている)。私たちが考えている小説(私たちが普段読んだり書いたりしている小説)と違って、キャラクターや建物はどうでもいいのでは。やはり、作者が言いたいことは「言葉」ではないだろうか。小説に対する違和感を持たせながら読ませる作品。
B:観念的で抽象的。象徴して塔がある、一つひとつがエッセイの補強としてあるような感じ。
A:沙羅の「ザハが提案した新国立競技場は建たなくてはならなかった」という評価のもとになっているのは何だ。ザハ案がどういう意味づけを持って沙羅を捉えていたのか触れられていない。だから建物はどうだっていいんじゃないか。
B:牧名沙羅は「信頼できない語り手」。フェミニズムに触れていたのは、女性であるザハの案が棄却されそうになったことへの反発みたいなものがあるのだろうか。
もったいぶって言いたいことを提示しない。ぼかし続けている(個人的に、読んでいらいらするところ)。たぶん、その辺、ぼかし切る小説なのかな。
A:ぼかし切るというより、どうでもよかったのでは。プロットのない作品だと思う。設定はある。作者が考えた設定はあるが物語に乗せていない。
同情塔に賛成する人がいたわけだから、普通の読み方をしていたらその詳細を知りたくなる。でも、建った事実に対してどうこうと書いていない。私たちが書く作品では、読者に背景を理解させなくてはならないが、この作品ではそういうことには触れていない。だから違う種類の小説。それが純文といえば純文。ずるい書き方。
私たちは作品世界の背景を考えるが、この作品には根拠がない。物語がない。わざわざアンビルドの新国立競技場を作中に建てて、観念的でしかなかった同情塔が建って……なんでやねん(笑)。同情塔に対して反対する人たちはいるが、その勢いの強さが見えなかった。そういうプロットが入っていない。それで、よくこれだけのものを書けたなと感心する。
D:マサキ・セトが襲われた件はどうですか?
A:それがあったか。でも大々的には扱われていない。当然のことのように書かれている。もっと意味のある書き方をしないと伝わらない。

【テーマと書き方について】
D:牧名はマキナ(機械)ですよね。
A:私はマシナリー(機械的)かなと思っていた。
同情塔の根拠であるマサキ・セトの論文の、A子さんに関する箇所が陳腐なのは敢えてか。
また、拓人は、クラインに送る文章はAIに書かせているが、沙羅の伝記は自分で書いている。差を持たせすぎていて陳腐。そういうところが混じっているのが愛嬌があっていい。
結構その辺り気に入っている。こういう書き方をしたくないし書きたいとも思わないが、結構上手い書き方をしている。
C:書いてない部分ありますよね。実際の入居者がどういう暮らしをしているのか、犯罪者側の視点がない。建物として眺める。あくまで建物。意図的に省かれている。雰囲気だけ上手く流用したなという感じ。
A:その辺り、関心ないんでしょうね。拓人に住ませて様子を書くくらいに留めている。
C:現実感がない。囚人に対して最高の待遇を用意する――ないな。
A:読者もこんなことあるはずないと思いながら読んでいる。そういう世界観なんだと書いてしまえばそうなる。理由はともあれ。
C:タワマン文化を下敷きにしてるんですかね? より高いほうがマウントを取れる。一番いいところに囚人を住まわせて、都民に見上げさせている。
A:そういう設定にしないと、(読者の)目に留まらないからかも。この類の小説では、しっかり書いてしまうと綻びが出てしまうので背景はスルーする。
D:寓話的に書いているから細部はぼかしていいのかも。
A:物語にウエイトを置いていない。材料を提供するから考えてください、という作品。そこから、私は「言葉について考えてくれ」というシグナルを受け取った。
D:エンタメ作品だと「面白かった」で終わったりしますね。純文学は「答えは自分で考えなさい」って問いかけだったりする。
A:面白いけどそれだけ、という作品もある。何かを考えて感じることもない。これは逆。中身は全然面白くないけど考えてみたくなる。
D:現実を忘れさせてくれる面白い作品も貴重だと思う。「あー楽しかったー」で忘れることができる作品を書くのも職人技。考えさせる作品と、どっちが優れてるとかはないですよね。私はソファに寝転がってする読書が好き。
A:読者は「(この作品には)何かありそう」と感じると、「これは高級な作品なんだ」と思う。例えばこの作品をわかりやすい文章で書くと成り立つのだろうか? こんな捻くれた言い方しなくてもええやん、って。読んでわからないことないから、そのまま読まされるんだけど。何が頭の中の検閲者やねん、となっていた(笑)。
D:頭の中に検閲者がいる感覚はちょっとわかった(笑)。
C:作中での主要な悪役は検閲者だけど、今や、可哀そうな検閲者に対する死体蹴りみたいになってしまった。現実では検閲者が死んでしまったがゆえに殺伐としてしまった。もっと大切にしてあげたらよかった。実際は、タワーを建てる力も無かった。
そもそも東京都同情塔じゃないといけない理由もよくわからない。ある種の言語感覚に耐えられない、ということなのか? 芥川賞バトル。何にでも「東京」を付けた元都知事へのアンサーというか。
一同:(笑)
A:「東京都同情塔」は、考え抜いた言葉じゃなくて思いついた言葉だと思う。「東京」で区切ってしまうと文節が分かれない。
C:「都」が入らないとだめな理由が明確にあって、作中で説明されていたがついていけない。
A:書きたいものがあって、それでないとだめなのでは。

【作品と新しい技術について】
A:「全体の5%くらいは生成AIの文章をそのまま使っている」というのは受賞会見でカッコよく答えるために言ったのでは。何か理由付けしないと、みたいな。
C:芥川賞、浅薄に話題作りしないとみたいなのあるんですかね。
A:新しい試みをしたら拾い上げよう、みたいなところがある。例えば、黒田夏子『abさんご』は横書き。石原慎太郎『太陽の季節』は現代なら受賞しないと思う。癖がありますよね。柴田翔『されど我らが日々』には何人かの手紙が出てくるけど全部文体が同じ。
C:社会がAIを受容する過程で、こういう小説が出る必要があった。数年経ったら気恥ずかしくなるのではないか。
A:すでに現実との違いが出てきている。最近のAIは質問者に忖度しないし。
C:携帯電話が出てきたとき、携帯電話をモチーフにした小説が出てきて消えていった。AIが出てくる過程において、この小説が必要だった。
A:その前はポケットベルを使っていたなぁ。会社に持たされてて。ポケベルが鳴ったら会社で何かあったという合図だから、電話で折り返していた。
D:私はそのころ小学生だったけど、CさんとBさんは持たれてました?
B:持っていなかった。
C:私も持ってなかった。システムがわからないけどショートメール専用機みたいな感じですかね? 受けるだけでメッセージは電話から送らないといけないのか。
ポケベルがあったのは知っている。古くてレトロなもの。ポケベルは意識することなく無くなったけど、携帯は当たり前になった。いずれAIも受容されて、敢えてAIAI言うこと自体が古臭くなるはず。
A:AIに関する最近のニュースだと、AI「クロード・ミュトス」。人間が見つけられないバグを一瞬で見つけ出す。悪人の手に渡ればシステムが攻撃されると問題になっている。政府とメガバンク以外にはアクセス権を付与しないと言っているが、後追いのシステムが出来たらどうするのか。
C:一般に広がらない限り、小説で書くならChatGPTとかGeminiとかが共通認識になってくるんでしょうけど。
A:『東京都同情塔』で違和感を感じたのは、2030年でもTwitterがあるというところ。若干のフォローはしてあったが。この作品では、作者が「そういう設定だ」と言えば納得しなければならない。
D:TwitterはTwitterだという強い思想が伺えましたね(笑)。
AIについてはどうですか?
A:AIは捏造するからなぁ。間違いはないかと訊いたとき、なかったら間違いを捏造してくる。「ハルシネーションなしで」と書いても、捏造した回答をしてくる。
C:私は今、AIにプロットを食わせて書かせるというのを試している。今のところ、AIは日和った文しか書かない。プロンプトが難しくて手間がかかるし。
九段理江は雑誌の企画で、20万字のプロンプトを入れ4,000字の小説を書かせたそうだが、絶対自分で書いたほうが早い。話題性ですね。
B:今の時代だから通用する。アイデア、構成をAIに頼ることは、これから当たり前になっていくはず。
C:ワープロが出始めのころは「ワープロで小説書きました」みたいなのあったんですかね。話題性を作るという意味で。
B:江戸川乱歩は、エログロ小説を「反戦として書いたのか?」と訊かれたら、あくまでエンタメとして書いた、と言っていた。探偵小説・怪奇小説がメジャーなサブカルチャーだった時代の話。今だったら不朽の金字塔として認知されないのかな。
C:真っ先に飛びつく能力が必要なわけですね。
B:需要がありそうなものをやってみる時代なのかも。小説に限らず。別の媒体が生まれるかもしれないし。
A:どこまで残るかどうか。江戸川乱歩だから残っている。乱歩でないと残らない。
川端康成と並んで文学全集に載っていた横光利一。今は誰も覚えていない。
D:芥川龍之介は読んだことあるけど、直木三十五は読んだことないですね。名前は知っているけど。
A:『南国太平記』面白いですよ。
私は芥川賞、誰がとったかよく覚えていない。関心がないので。
C:この読書会(Zoom読書会)では、直木賞受賞作のほうが登場頻度が高いですね。
A:直木賞作品であれば、東京都同情塔が建てられた背景を丁寧に書くはず。
C:エンタメは誤魔化しが許されないですからね。
A:今回の作品のように感覚的に書かれてしまうと戸惑ってしまう。

【雑談】
D:皆さん、本のジャケ買いします? 電子書籍を導入して思ったんですが、絵が素敵な本は紙で欲しくなるなぁ。
C:私は歴史小説を読むことが多いんですが、歴史小説ってふんわりした表紙じゃないですか? パッケージで読みたくなるジャケしてない(笑)。
A:以前読書会で取り上げた『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』(阿部暁子/集英社文庫)はジャケ買いでした。
D:『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬/ハヤカワ文庫JA)は表紙で「お」と思いました。本を手に取る切っ掛けとして、表紙大事ですね。