Zoom読書会 2021.06.20
【テキスト】「何も言う必要がない」(『ディディの傘』より)
ファン・ジョンウン、斎藤真理子訳(亜紀書房)
【参加人数】4名
<推薦の理由(参加者A)>
『ディディの傘』は友人の薦めで読んだ。私は海外文学をあまり自発的に手に取ることがない。その国の歴史や宗教など根底にあるものがわからない、登場人物の名前が覚えづらいというのが理由だ。だが、読むと日本文学とはまた違う魅力があり、自分が書く作品に深みを持たせるためにも、折に触れて読んでいきたいと思う。
この作品を読んで、韓国の若い世代は、政治のこと、自分たちのことについて、とても深く考えていると感じた。
日本と同じだと思う部分、(私個人としては)賛同できない部分、それぞれあるけれど、考える姿勢はすごいと思ったし、じきに日本は他のアジアの国々に抜かれるんだろうなという想いも浮かんだ。
わたしが大学生くらいのときは、もしかすると今もそうかもしれないが、政治について真剣に考えたことがなかったと思う。もちろん選挙に行ったり、自分なりに考えたりしていたけれど、本当に危機感があったかというと無かった。韓国や香港、台湾に比べ、「戦争」が遠いものだと感じていたからだろうか?
皆さんとそんなことを話したかったので推薦した。
<参加者B>
◆内容は興味深いが、文章がわかりづらく、全部読むことができなかった。
パートナーが男性か女性かわからない曖昧な書き方がされており、どうして隠す必要があるのかと思った。
◆序盤の、紙や本に対する考察は情緒的で面白かったが、政治や人間関係について、その書き方で読むのはしんどかった。
<参加者B友人>
(※沖縄と韓国の歴史について勉強されていたBさんのご友人が、10分ほど読んで作品を非常に気に入ってくださったそうなので、コメントをいただきました。)
現代韓国を背景にしながら、作者や今を生きる韓国の人が持つさまざまな生き方、感情を表している。とても読みやすい作品で、どんどん読み進めたい。
韓国あるいは韓国人を理解するには、被侵略の歴史、分断された国家、その原因などを考えることから避けて通れない。
大統領が退任すると逮捕されたり、自殺に追いやられたり、また、財閥に対しての国民からの反発がある。
後日しっかり読みたい作品。作者の言いたいこともわからない、一読しての感想です。
ひとつ質問。セウォル号沈没事故のとき、朴槿恵大統領や船長に猛烈な世論があったのは知っているが、セウォル号乗客へのバッシングもあったのか?(「d」を読んでいないので、そちらに書いてあるのかもしれないが)
<参加者C>
◆枠組みとして、「書き手である小説家として」の語りと、「(日常の)私」の語りとで進んでいく。
それともう一つ。「私」という視点は変わらないが、世界や韓国社会を俯瞰した大きな視点がインサートされる。
主人公である「私」とその周囲、パートナー、学校生活・社会生活が書かれると同時に、社会運動や弾劾裁判など個人ではなく個人の集合体である「社会」が描かれ、私はその一員としてこうしていた、という書き方がされている。
どうしてこのような書き方をしたのか? それは、主人公が韓国社会で表に出しづらい性的マイノリティであるから。社会は生活環境に直結するので、マイノリティ(LGBTQに限らず貧困層なども含む)が考える社会への信用度は、マジョリティのそれとはまた異なるものである。一般大衆はそういう動きをしているが、では私はどこにいるのか? ミクロな視点とマクロな視点、マイノリティ的な立場を効果的に表すための構成になっている。
◆男女が曖昧なのはわざと。「私は男である/女である」と断言すると枠組に囚われてしまうので敢えて曖昧にしている。
◆「男女」という分け方だけでなく、ほかの区別も曖昧である。個人と大衆が薄い糸で繋がっているという表現方法。
◆韓国語は男女の区別が日本語に比べて曖昧。日本語話者にとって一瞬で男女を判断するのが難しい。それらも反映しているのかもしれない。
◆文化や作品からの引用が多く見られる。最初にロラン・バルトが引用されていることに意味がある。
(ロラン・バルト『作者の死』(1967年):テクストは現在・過去の文化からなる多元的な「織物」である。作者の意図でなく、読者が判断するべきである。)
主人公の「私」は小説家であり、先行する文学作品、文化、サブカルチャーを朝鮮半島と絡めて、どう取り入れてるのか。また、「私」はこうして生まれたのではないかという自己探求を綴っている。
◆序盤のタイプライターに関する技術論も面白かった。タイプライターにしても韓国のものなので、私たちがイメージするものとは、また異なってくる。その“近づきづらさ”から、いい意味のバリアを感じる(私たちとは違った視点を持っているのでは、という)。
<参加者A(推薦者)>
「d」
◆事故をそのまま書くのではなく、その場所にはいなかったけれど、同じ時期に喪失を経験した人物の立場から書く方法があるのだと思った。
私は「d」のほうが読むのが大変だった。ddを失ったdの内面的な描写が重く、辛かったので。それと、dとdd、二人の人物像がなかなか立ち上がらなかったので。性別については男女の話だと思っていたので気にならなかった。読み返すと、確かにddが男性でも通るように書かれている(後述するが揺らぎはある)。
◆P56、dとヨ・ソニョが会ったところから面白くなってきた。
◆P59、プレスリーの歌を表現するddの言葉がよかった。初めて「dd」という人物が私の中で立ち上がった。
余談だが、この場面でクッションを抱いたddの仕草を女性的に感じたので、やはり訳者解説にあったように、作者がddの性別について迷っており、女性として書こうとした名残りなのかなと思う。
◆P91「幻滅の反対方向へ向かって飛んでいます。…」私にも脱出の経験がないので考えさせられた。ただ、国から、世代からなど、大きい意味の脱出はないが、日常の細々したことからの脱出はあるのかもしれない。
◆P117「この世でそれ一台だから、ヴィンテージを修理しようとする人たちは、直すとは言わない。生かすと言うんだね。」「軽く見てはいけないよ~それはとても熱いのだから。」
話に入り込んでいけた後半に印象に残る台詞がたくさんあった。
「何も言う必要がない」
◆「d」と異なり、「ソ・スギョン」という人物が早い段階で浮かび上がってきたので読みやすかった。
◆作者はとても本を愛していると感じた。
◆P126。紙、タイプライター、ワープロソフト…使う機械による文章の変化についての考察が面白かった。やはりみんな、こういうことを考えるのだなぁと思った。
◆他にも、線を引きたい箇所がたくさんある。
◆「ⅾ」と同じくこの作品でも、というより、この作品のほうがより強く「脱出の経験」について書かれていると感じた。北朝鮮からの脱出以上に、価値観や固定観念からの脱出、というような。
◆P136、ソ・スギョンを指して「彼」と書いているところで引っかかった。韓国の名前に詳しくないので女性名なのか男性名かもよくわからなかったので。
◆主人公とソ・スギョンが恋人同士であると明言されるまで、恋人同士なのか同志なのか友人なのかわからなかったが、この作品において、人と人の繋がりに名前を求めなくてもいいのかと納得して読んだ。
◆余談:肉体が違うことは、それ相応の差も当然あると思うが、それは心の性別がグラデーションになっていることへの否定ではないと思う。違いを認めた上で多様性も認められるようになってほしい。
<「何も言う必要がない」デスカッション>
◆D:全部読めていないが、結構好きな作品。なんか好き。
◆B:主人公が視力を失っていくというくだりがあるが、作者は本当に目が悪いのではないかと思うほどリアルだった。序盤に紙の話があったが、目が悪いと紙の窪みまで見えるもの。
ものごとを近視眼的に書くとこうなるのかと思った。
◆B:いろいろな要素が散りばめられていて、読み進めるには想像力が必要。
A:私は友達の話を聞くイメージで読んだ。「こんな本を読んだ」「こんなことがあった」…みたいに。友達のすべてを知っているわけではないが話を聞くことはできる、という感じ。
◆B:近年の芥川賞受賞作や候補作を読んでいても、性別をはっきりさせない作品、距離が淡白な作品が多い。
◆A:私が普段読んでいる作品にも、他の小説・映画・音楽などを登場させている作品はたくさんあるが、あくまでストーリーを進める小道具としてだと感じる。この作品はストーリーと直接関係あるなしに関わらず、多くの引用が出てくるが、しっかり読むと理解が深まるのか?
C:読むのは後でいいと思う。あくまで必要だから引用しているのであり、有名すぎる作品については引用する意味がきちんと示唆されているので。
例えばニーチェの『道徳の系譜』。キリスト教の道徳は普遍的なものではなくキリスト教のバイアスがかかり、人を縛っているのではということを著している。それを引用することで道徳観念やモラルを崩すためのアイテムとして用いているのでは。
またロラン・バルト『作者の死』は「オリジナリティ」という概念を切り崩す。先行作家の引用を多く用いているこの作品において、ある種、メタ的なアイテムとなっている。また、ロマン・バルトは性的マイノリティであることも象徴的だ。
また、『新世紀エヴァンゲリオン』旧劇場版からの引用は、個人と集合の関係、自己と集団の兼合いを想起させる。※作者であるファン・ジョンウンは1976年生まれで、韓国において日本のサブカルチャーなどが大っぴらに観られるようになった世代。
◆C:「ⅾ」にも言えることだが、人間関係における「私」と他者の曖昧さ、日本人からすると近いと感じる距離感が韓国的だと感じた。韓国は恋愛や友情とは別に「情(ジョン)」が重視される。同性の友人であっても、日本人の感覚より、もっとウェットに付き合う。
たとえば韓国でタクシーに乗る時は、一人客の場合、助手席に座って運転手と話しながら移動する(新型コロナウイルスの流行で状況は変わったと思うが)。
初対面でも率直に物を言うところがあり、親しくなると兄弟のように親密になる。実の兄弟姉妹でなくても男性間の兄弟呼び・女性間の姉妹呼びなどがある。
「みんなが帰るころには、傘が必要だ」は示唆的。傘がない人には差してあげるというところに距離の近さを感じる。
B:国によって距離感が違うというのはある。ベトナムも近い。
アメリカやオーストラリアは個人主義だと感じる。他人への警戒心があるからだろうか。アメリカもオーストラリアもフレンドリーだが、それは相手との距離を測っているから(敢えて型にはまった言葉を交わして距離を測っている)。
C:ヨーロッパでは、自分の話している言葉がわかるかで距離を測る。
京都のぶぶ漬けのような断られる前提の社交辞令もある(「泊まっていって」など)。
C:韓国の「私」と人との距離の近さは、社会と距離が近いということ。だから社会不正にも敏感。解説に、作者であるファン・ジョンウンは、セウォル号の事故のニュースに接して執筆できなくなったとある。日本人であれば、自国で大きな事故があっても、そこまで衝撃は受けないのではないか。
これは「私」の物語であるが、「社会」の物語でもある。
いろいろなことを引用することで距離の近さを表現している。
「なにも言う必要がない」それはつまり何なのか? 言わなくても察して考える在り方ではないか。韓国は「言う」社会なのに、「敢えて言わない」ということの示唆。“言わないことでこの先、やってみせる”“黙り、敢えて見せない”⇒そこから新しいものを生み出す。
<フリートーク>
◆C:韓国の人は感情をストレートに表現するが、相手に対して怒るというのは距離が近いということ。韓国には、感情はある程度出しておかなくてはならないという通念がある。相手に対しはっきり言っても、そこで関係が終わるのではなく続いていく。
◆C:ファン・ジョンウンは韓国の中でも苦労の多い三放世代。貧困(=世間のマイノリティ)に置かれる世代だからこそ、より社会問題に共感するのでは。
※三放世代…2010年以降の韓国における、恋愛・結婚・出産を放棄している若者世代のこと。韓国国内で増大する低賃金かつ不安定なワーキングプアの産物であるとみなされている。/ Wikipediaより
https:/
「d」で、dが暮らす考試院(コシウォン)は日本で言うネットカフェのようなもので、若年層の貧困を表している。
◆C:最近は紀伊国屋などの大手書店でも韓国文学のコーナーがあり、たくさんの本が並ぶようになった。作家も日本でプロモーション活動をしたり、日本の作家と対談したりしている。
社会的マイノリティを扱う韓国文学は日本に多く入ってきており、映画「パラサイト 半地下の家族」が流行したときには、貧困層について書かれた作品が並ぶようになった。
現在、韓国では日本以上に格差が広がっていて、そのことに共感する目線で作品が量産されている。
B:韓国の貧富の差は日本より激しい。いい大学に入れるか入れないかで、天と地ほどの差が出てくる。
C:一度レールを外れると這い上がることが困難な社会。受験という早い段階で選別が始まる。シンガポールはもっと早く、小学校6年生くらいで進路が決まってしまう。
D:諦めたほうが楽。届きそうだからこそルサンチマンが湧いてくる。
◆B:昔の日本は、今よりも親戚付き合いが濃く、同性同士の友人関係も深かった。だから韓国ドラマの人気があるのでは。
D:三十年近く前のことだが、韓国の方と知り合ってすぐ手を繋いだことを思い出した。同性愛でなくても距離感がとても近い。また、スペインへ旅行に行った際、一緒に食事に行った韓国の男性にヌナ(お姉さん)と呼ばれていた。
C:私も学校でヒョン(兄貴)と呼ばれたことがある。
◆B:韓国でも高齢化が進み、教育コストも高い。日本だとセーフティネットがあるが韓国では?
C:あるけれど、大企業優先の政策が採られている。そのためサムスンなどの企業は成長したのだが。
日本と違い、公然と財閥がある社会だから、庶民は不正や抜け駆けに敏感。一般市民より大企業が優先されているので。
◆B:韓国は「恨(ハン)」の文化だと聞くが。
C:「恨」というと「恨み」と思いがちだが少し違い、「状況に耐え忍ぶ(そして、そこからやっていこう)」という考え。日本では昔、嫁ぎ先に小刀を持っていき、屈辱的なことがあったら喉をかき切れ――というような価値観があったが、韓国は、自分の膝に小刀を突き立てて耐えろ、と言う。
◆C:日本との文化の違いは多い。たとえば食事のとき、日本では茶碗を手に持つが、韓国ではそれがマナー違反になる。どちらがいい悪いではなく考え方の違い。
◆B:韓国ではキリスト教の方が多い。
C:兵役がキリスト教を広めたという側面もある。キリスト教は説教が終わるとお菓子を配る。それは兵役中でも同じで、軍隊生活において貴重な甘い物を求めて改宗する人が増えた。
また、日本に比べて宗教に厳格なので、嫁ぎ先で改宗する女性も多い(日本では結婚したからといって改宗する女性は少ない)。
◆C:参考として:李光洙(イ・グァンス)…日本統治下の朝鮮半島の作家。「朝鮮近代文学の祖」とも言われる。作品の内容は重いが、韓国の夏目漱石という感じだろうか(墓は北朝鮮にあるが)。
李光洙 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%85%89%E6%B4%99