読書会LOG

R読書会/Zoom読書会

『猫狩り族の長』麻枝准(講談社)

Zoom読書会 2021.08.28
【テキスト】『猫狩り族の長』麻枝 准(講談社
【参加人数】6名

<推薦者の理由(参加者F)>
作者である麻枝准は、ビデオゲームビジュアルノベルの作家。テキストと同時に流れる音楽の作詞作曲もしているのでミュージシャンという側面も持っている(余談:『鬼滅の刃』の主題歌で有名になったLiSAのメジャーデビュー曲を作ったのも麻枝准)。サブカルチャーの世界でのキャリアが長く、著作もサブカル関連のものが多い。2016年に突発性拡張型心筋症を患い、その後も活動を続けていたが、近年消息が途絶えていた。その間に本作を書いていたようだ。
作者の小説家としてのキャリアはゼロなので、小説を読み慣れた人・書き慣れた人・作者の作品を知らない人の意見を聞いてみたいと思い推薦した。

<参加者A>
◆作者がゲームなどのシナリオライターと聞いたので、その情報に引っ張られて読んだ。
◆2010年に第5回ポプラ社小説大賞を受賞した『KAGEROU』を思い出した。(『KAGEROU』は結構好きな作品)。テーマが似ている。
◆百合(女性同士の関係)や猫など、売れ線要素をきっちりと取り入れている。商業的にしっかりしているなという印象。今後、映画化などがあるのではないか。
◆キャラクター性や掛け合い等はライトノベル的。時椿が天に向かって叫ぶところなど滑っている気がしたが、読み進めていくと気にならなくなった。
◆十郎丸の思考には元ネタ(哲学)がある、と明示しなくてもいいと思った。「十郎丸は中学生みたいなことを考えているのではない」という言い訳をしているように感じる。
◆ラストは手堅く感動性もあるが、唐突でしっくりこない。伏線はあったのか? また、エンターテイメントとしては、もうひとつふたつ何かがあったほうがいいと思う。
プロトコル(約束事、読む上での手がかり・足がかり。たとえば「この物語だと超自然的要素はこのくらい……」というような)が不在。
◆読み終わった結果、ちゃんとしていたと思う。なんとなく好きになる。プロが書いた『KAGEROU』かな、と。『KAGEROU』はテーマ性と作者の筆力が噛み合っていなかった。『猫狩り族の長』を読んで、私の『KAGEROU』に決着がついた。
◆本に付いている帯に書かれていることは余計だと思った。(作品の内容が)作者のことだと引きずられて読み始めてしまうので。

<参加者B>
◆Aさんが「(小ネタが)滑っているとおっしゃったが、私は自分自身が滑ってしまって、どこに読む手掛かりを見出せばいいのかわからなかった。
◆滑っていたが最後で引っかかった。ラストで救われた。すごく深みが出てきた。崖から落ちたあと、長い時間が経って再開して、十郎丸が亡くなる。そのラストが好き。
◆私は純文学小説を書いているが、言いたいことを十書くのではなく一か二だけ書いて、読者に考えさせる。この作品ではすべて言葉で説明しているので、作者が言わせているというのが透けてみえてしまう。読者の考える余地(=行間)がないので、薄く感じた。読者の入る隙がなく、全部「こう読みなさい」と言われている感じがする。
◆読み進めるのがしんどかったが、最後はすかっとした(カタルシスがあった)。
◆たとえばゲームだったら、設定された場所に行って、目的のものをゲットして、今までの主張をそこで述べていく……というように進むのだろう。この作品の、そのような話の持って行き方に、ラノベを受け入れられない自分自身の体質を実感した。作品には、深みとか余韻、読者の入る隙がほしい。
◆十郎丸の言葉遣いが気になる。なぜ棒読みのような男言葉で書かなくてはならなかったのか。

<参加者C>
◆私にとっては読みやすくなかった。作品に入っていけず苦労した。Bさんがおっしゃったように、(作品の中に)私の居場所がなかったし、登場人物の誰にも同調できなかった。また、この一文が余計だというところが結構あった。
◆死と再生を扱った物語。ペシミズム(厭世観悲観主義)は好きだが、マーク・トウェインなどと比べると奥行きがない。
◆説明調。物語ではなくて音楽だと思った。詞でもない。マイクに向かって叫んでいることが文章になっているようだ。
◆本でも絵でも、思っていることをモチーフに表現するが、この作品は直接的すぎて入ってこない。
◆物語ではなく作者個人のカタルシスに重点が置かれている。物語ではなく「作者が思っていること」。愚痴や承認欲求を高いところからユーモアに包んでほしかった。満たされているけれど満たされないって不幸だよね、ということを、外から書いているのだったらいいのだが。
◆普段から作者のほかの作品に触れている人だと入りやすいのかも。作者の過去作を知らない状態で入ると辛いかな。
◆塔神坊(※モデルは東尋坊と思われる)も、風の匂いや海の匂いがしない。作者が今まで音楽で表していた部分は、文章で表現できなかったのかも。
◆ジャズハウスのシーンはむちゃくちゃ好き。その部分は音がした。作者の感性に触れた気がした。
◆ラストも嫌いじゃない。ウィトゲンシュタイン「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」。
◆苦労して読んだし、こんな世界があるんだと勉強になった。

<参加者D>
◆悪くない。結構面白かった。ただし、ラストまで読んでの感想。読書会だから最後まで読むが、そうでないと途中で閉じていたかも。
⇒この作品自体がそのような作りである。ラスト近くまで日常が続き、第八章でまとめ(十郎丸のSNS)が入っている。それまでは、そのためにあると意味はわかるのだが、辿り着くまでにへこたれる読者がいるだろう。損な作りだと感じる。
◆掛け合いが面白い。ネタが多く、よく尽きないなと思う。深刻なことを茶化していたり、皮肉を込めていたり……どのような意図があるのか読者はいろいろ考える。
◆二人の関係がどう変化しているか読み取れたら成功なんだと思う。そこをどう読まれるのかで違ってくるのかな、と。
◆面白いのは、最初にマウントをとっていたのは十郎丸だが最後で主客転倒するところ。
◆ラストで、死んだと思っていた時椿が帰ってくる。戻ってきてよかったと思えるのはいいが、外から見た世界について語っていないのが残念だった。確かに外の世界は想像で書くと馬鹿馬鹿しくなるし難しい。結局、展開の中でうまくごまかされてしまった。小説だからいいのだが、少しもやもやとする。
◆十郎丸が時椿の言葉で言えば美人で非の打ち所がないと書かれているが、喋り方でそのイメージが浮かばなかった。北川景子で読もうとしても和田アキ子になってしまう。ギャップを表そうとしたのだろうが、読者としてはついていけなかった。
◆ジャズの部分は良かった。ただ、「ワルツ・フォー・デビー」のイメージが違う。作者には別のイメージがあったのだろうか。コード進行を読み直してもいいかなと思った。

<参加者E>
◆私はすらすら読めた。
◆登場人物同士の掛け合いに西尾維新を思い出したが、西尾維新よりこなれていないように感じた。
◆読み終えて、終章「NEXT WORLD」のために、すべてのエピソードの積み重ねがあったのかと思った。「NEXT WORLD」は長い前振りがないと成立しない。
◆ジャズのシーンがとても印象に残った。私も音楽が出てくる小説を書いてみたいが、作者と違って経験も知識もないので、しっかり調べ、しっかり聴いてから書かなくてはいけないと思った。
◆P258~、哲学者の名前を挙げていくところがミルクボーイの漫才のパロディになっており面白かった。普通の会話として書かれると、それほど面白くないシーンになりそうだ。
◆十郎丸の話し方などについて、私は気にならなかった。比較的、アニメや漫画、イラスト付きの小説に慣れており、頭の中でキャラクターを想像することができたので。読者が普段触れているカルチャーによって読み方が変わってくるのかもしれない。

<参加者F(推薦者)>
◆ありがとうございます。私が言いたかったことはすべて出たかな。
◆「アニメやゲームならいいけど、一般文芸でこんなことしちゃダメだよ」と思った。
◆作者の過去作に慣れている者からすると「こいつまたやったな」という感想。文章も相変わらずという感じで。内輪ネタを外でやって外したような印象を受ける。
◆総合的には駄作だと感じるが、そんな中にも拾う点はあるいい作品。
◆十郎丸の女性らしからぬ口調に違和感を覚えたという意見があったが、作者の作品にこのような女性は結構登場する(女性はあるが男らしい感じで喋って、狂言回しを務めていたり)。
◆この作品で説明を抑え気味にすると、踏み固めが不十分になってしまうのではと思う。
◆何が言いたいのか、何が重要なのかと考えると、肝は外の世界(=神の世界、神視点)ではないか。Cf)P154~のイルカショーのくだりが外側の世界や存在の話
この世界は誰かが見ているのじゃないかと十郎丸に言わせているが、作者はそのようなところを気にしているのでは。私たちの人生は、(それを認識できないけれど)なにがしかの目によって観察されているという強迫観念。
◆作者の過去作であるゲームにも、そのような展開(外の世界の秘密)がある。長々テキストを読ませておいて「これを読んでいるあなた」というふうな。
外側の世界のあなた(本を手に持っている読者諸氏、コントローラーを握っているプレーヤー諸氏……)=オーディエンスをとても気にしている。
◆哲学者のくだりがあるので(P258~)、哲学かなと読みたくなるけど、「そうじゃない」と読者に意地悪しているような部分がある。
◆「NEXT WORLD」で外側の世界について語らなかったのは、人間の認知機能には限界があるので敢えて語らなかったか。
◆はっとしたのは、Aさんのおっしゃった『KAGEROU』にテーマが似ているという意見。空虚感やスカスカ感など、確かに似たようなところがある。「テーマとして言いたいことはわかるが……」というふうな部分も。

<フリートーク
【「美しい」という表現について】
B:村上春樹の『東京奇譚集』を読んだが、女性を「美しい」という言葉では表現せず、別の描写で読者に美しさ(個性)を感じさせる。
この作品では、十郎丸のことを地の文でやたら「美しい」と書いている。美しさを表現するのに「美しい」という言葉で済ませてはいけないのでは。
D:読者に美しいと感じさせようとしているのではなく、容姿と口調のギャップを出すための設定(=作られたギャップを面白く感じさせる仕掛け)。道具の一つなので具体的な美しさを書く必要はない。
F:あるいは、キャラクター同士が掛け合いをして、読み手に愛着を抱かせるための道具としての「美しさ」。口調や、美しいという設定は、作品の地固めの手段の一つ。また、アイテムであり記号の一つ。そこを、ストーリーの展開の中でだんだんとずらしていく。
ちなみに作者は影響を受けた作家として村上春樹の名前を挙げていた。
A:ゲームシナリオの場合、ビジュアルは描写せず、関係性にフォーカスする(ビジュアルはデザイナーが作るため)。
D:「時椿は十郎丸の美しさに惚れた」。設定としてはそれでいい。もともと作者がいたのは、デザイナーがビジュアルを作るジャンルなので、指示書のような感じで書かれているのかも。
F:「こういう関係性でいきましょう」と指示すればいいジャンルから、すべて一人で行う小説というジャンルに来たので、そういう側面はあると思う。
D:巨人の星』の原作者・梶原一騎も、星飛雄馬が「すごい球を投げる」としか書かない。どんな球かは、作画の川崎のぼるが考える。
F:作者も、美人が変なことをしている……などと書いてキャラクター付けをしていた。小説的方法論とはまた違うのかな。
D:アニメにはお約束があって、ツインテールと書いたら美少女としてデザインしてくれる。それはある種、小説に近い。この作品では、口調からでは美しさが想像できない、というのを作者が楽しんでいるのでは。

【自虐的?】
D:西村賢太苦役列車』は自虐的。それを考えると、この作者は自分を貶めていないなと。
C:プライドの高さは感じる。弱い自分を前に出しておけば安心するというのはある。アリバイ作りというか。物を書くというのはそのようなものという気もするが。
B:太宰治も作品にダメな自分を出しているが、本当はダメとは思っていないし。

【虚無感の描き方/虚無感について】
B:十郎丸の虚無感に関しては本物のような気がした。それを一生懸命、訴えている。
F:作者はこの作品を書く前に病気で生死の境をさまよっている。もともとの鬱屈に、そのようなものも絡んだのでは。
B:何もかも面白くないというのに、すごく共鳴する。そこには共感できた。
D:それをストレートに書いたら面白くないので、茶化したり、合いの手を打たせることでカムフラージュしているんじゃないだろうか。
B:確かにこの内容を普通の口調で喋ったら暗い小説になってしまう。美女の言葉では語れない。
F:この世界は底が抜けていて空虚なものだ、と作中で十郎丸が言っている。なんでも責任を持って自分で決めなくてはならない、とても理不尽な世界で我々は生きており、やがて理不尽に声を上げたくなる。生まれたくて生まれたわけじゃない、と。そこに「あなたは望まれて生まれてきたの」という言葉は空虚に響く。
業界トップになった作者は理不尽さをある程度知っている。自由が真綿で首を絞めるようになる、というのは作者自身の人生観かもしれない。「外の世界」を見れば納得できるかもという想いがあるのかな。
D:神を作ったのは人間。人間はなんのために生きているのかわからない。
F:人間だけ底が抜けていく。

【猫について/表紙について】
D:怪物には一つだけ弱点がある。竜の血を浴びて不死身になったジークフリートの、背中のある部分だけが弱点であるように(※ドイツの英雄叙事詩ニーベルンゲンの歌』より)。十郎丸にとっての弱点は猫。これがないと時椿は十郎丸を追い詰めることができない。
F:猫は、この作品における「親密さ」のアイコン。無条件で可愛い存在。ラストで、十郎丸は猫に好かれない「猫狩り族の長」になり、彼女のもとに時椿が帰ってくる。世界よりも、あなたとどこにいこうか、ということが大切。その場面に猫がいる。
タイトルに使われている割には薄いかなとも思うが。
C:猫は地に足つくためのアイテム、ということか。
B:猫に懐かれない猫屋敷の女王。ビジュアル的にも映える。
猫は、雑貨になっても猫というだけで売れる。猫を出すってずるいなと思う。表紙もすごくいい。
F:確かに表紙は商業的。帯はいらないと思う。売り上げを伸ばすために必要なのだろうが、どうしても帯の内容に引っ張られてしまう。

【主人公の変化について(小説作法)】
B:主人公の成長はあったのか?
F:相手をいかに許容するか、相手といかに向き合うかが変わっているので、それが成長と言うのかもしれない。
D:小説を書き始めたとき、主人公の成長を書けと言われるが、実は小説で大切なのは成長というか「変化」。堕落でもいいし、途中で変化があれば元に戻ってもいい。この小説にも変化がある。成長と言えるかはわからないが。
成長はわかりやすい変化なので初心者向け。
F:屋台骨をちゃんとした上でならウルトラCをしてもいいよ、ということ。基礎ができていないのにウルトラCに挑戦したら大怪我をしてしまうから。
B:私たち団塊の世代には「成長しなくてはならない」という想いが染みついていて。
D:誰が言い出したのだろう。私たちの前の世代にも崩れていく話はいくらでもあるのに。
C:世代ごとの、大きな意味合いでいう反動では。親世代と子ども世代は違う。現代の空虚感のあとは、激しいものに戻っていくのか、さらに空虚になるのか……。

【十郎丸と時椿の関係について】
B:結局、時椿は女性を好きになった?
F:濃いめの友情関係ともとれる。そこは枠組みに嵌めないほうがいいかも。物語の終わり方を考え、二人を女性に設定したのかもしれない。
もともと、作者の作品には、恋愛よりも人間関係全般(人同士の絆や和解など)を扱ったものが多い。恋愛の話かと思ったら兄弟や親子の話になったり。単純な恋愛の話はあまりない。この人が好きなのかな、という匂わせはあるが、それは受け手に委ねられている感じ。
この作品では、「猫」という装置を介在して、ひねくれた人間関係が和解し、継続していく。友情か恋愛か、どう取るかは読み手に委ねられている。
(参考:2000年代中頃以降から「空気系」「日常系」と呼ばれるアニメ作品が多数ある。親密さがフィーチャーされ、ある程度許し合って、和やかに帰結するのがそれ。作者はその世代ではないので、同じというのは言いすぎかもしれないが。)

『孤狼の血』柚木裕子(角川文庫)

R読書会@オンライン 2021.08.21
【テキスト】『孤狼の血』柚木 裕子(角川文庫)
【参加人数】4名

<参加者A>
◆最初のほうは、登場人物や組織を覚えるのが大変で、P5の表を見ながら読んだ。表に名前がある人物は話に大きく関わってくるということがわかるので、読み進める上で助けになった(=名前がない人物は重要ではない)。
◆私は尾谷組に肩入れして読んだ。若頭の一之瀬をはじめ、服役中の組長や構成員も好感を持てるよう造形されている。逆に、敵対組織は瀧井(チャンギン)以外はステレオタイプの悪役。そこに作者の意図を感じる。
◆「孤狼の血」というタイトルや展開、プロローグ(ジッポーを手の中で回す癖は日岡のものなので、「班長と呼ばれた男」は日岡である)などから、大上の死は十章あたりで予想がついたが、興味を失わず読み続けられた。日岡が実はスパイだったという驚きもあったので。私はスパイは署内に他にいるのかと思っており、日岡を疑うことはなかった。
◆大上の死はあっさりしすぎているというか、大上自身が自分の死を予感していたような素振りもあったので、自身の命を賭して大上が仕掛けた罠かとも思ったが、そのあたりは明らかにされなかった。
◆映画では一之瀬を江口洋介、構成員を中村倫也が演じているそうなので観てみたい。

<参加者B>
◆刑事とヤクザを扱ったエンターテイメント小説は初めて読んだ。刑事ドラマはよく観るがそれより迫力があり、作者の力を感じた。純文学とは、また違った熱量のある作品。
◆心理描写を抑えて、ストーリーがわかりやすいよう書かれている。新幹線に乗って富士山を見学する気分で読んだ(=主人公が山上の遺志を継いで同じタイプの刑事になることは既定路線)。

<参加者C>
◆すっきりした作品は紹介してもらわないと読まないので、今回推薦していただいてよかった。
◆先に映画を観た。
◆名前が一致せず、表を見ながら読み進めた。四章くらいまで話に乗れるか不安だったが、いったん物語に入り込んだらびゅんびゅん読めた。
◆展開が読めるエピソードも多かった。「秀一」は大上の死んだ息子の名前だと思うし、大上が14年前に殺人を犯したというのも違うだろうな(そして、そこに晶子が関係しているんだろうな)、というのも予想できる。それでも面白いというのがエンタメの力。肉付きの部分が人を楽しませる。たとえば『水戸黄門』で筋がわかっていても楽しめる、というような、安定した面白さがある。
◆小説を書く人間として読むと、作者の構成力とすごい執念を感じる。緻密なプロットを立てるのは大変だろうが、終盤に伏線を回収するのは面白いだろうなと思う。一瞬の楽しさのために、膨大な労力を費やしているのだろう。
◆(言葉が広島と近い)岡山県人として広島弁に違和感はなかった。広島弁が面白く、作中で使われる必然性がある。
◆各章の冒頭の日誌について。黒塗りが仕掛けになっている。いい意味でいやらしく、最後の最後まで騙された。映画にはなかった。映像では使えない、小説ならではの仕掛けだ。よく考えたと思う。警察官の仕事は現場を取り締まったり、犯人を捕まえたりするより、日誌をつけることが大切なので。(余談:だから警察官は文章がうまくなる。余計な言葉を削ぎ落とし、何時何分……と簡潔に書くから)
日誌をつける日岡の姿勢がよく出ていた。
◆人物造形について。型破りな男と真面目な若者という設定の作品は多い。この作品のラストでは日岡が大上と同じタイプの刑事になるが、映画『トレーニング デイ』でも、「狼を倒せるのは狼だけ=悪を倒すには悪になる必要がある」という信念を持つ先輩刑事と、正義感の強い後輩刑事が登場し、結果、後輩刑事は清濁併せ呑む刑事となる(その背景には、先輩刑事の死がある)。『ゴッドファーザー』でも、ボスの三男であるインテリ青年がラストで豹変して真のボスになる。
日岡の立ち位置に当たる人物が結構インテリなのが共通項。「ワルになろう」と思ってなった人間より、「こんなことでいいのだろうか」と悩みながらなった人間のほうが強いというか。『ゴッドファーザー』でも、跡継ぎの兄は単独で行動し命を落としているし。

<参加者D(推薦者)>
◆構成力、わかりやすく情景を伝える描写のうまさ、情報の出し方など、テクニックの参考になればと読書会に推薦した。
◆私も人の薦めで手に取ったのだが、読み始めたら一気に読めた。
◆展開がわかったという声が多いが、私はすっかり騙された。先がわからないほうが面白いから、敢えて予想せずに読んだというのもある。
プロローグも、時系列で言うと現代なのだが、「どの章に入るんだ?」と思いつつ、ずっと気づかずに読んでいた。実はプロローグとエピローグの間はすべて日岡の回想(過去)。回想の中の若き日岡は、プロローグの日岡ほど広島弁が強く出ていなかったので同一人物だとは思わなかった。
◆人物造形はきっちりされているにも関わらず、日岡の日常は出てこない。これがこの作品の粗かと思って読んでいたが、最後まで読んで納得した。実はスパイなのだから、日常を出せるわけがない。視点人物の日常をなぜ書かないのか……と思ったが、ちゃんと意味がある。見事に騙された。
◆一章~十三章はすべて日岡視点なので、日岡のフィルターがかかっている。日岡視点だと大上はとても賢い男だが、もしかすると本当は抜けているところがあったり、本当に日岡を可愛がっているのでは。
日岡は自分がスパイなので、人に隠された裏の意図があるのではという見方をしている。
日岡視点では用意周到にやっているように描写されている大上も、結果命を落としているし、無鉄砲に突っ込んでいっただけという見方もできる)。

<フリートーク
日岡視点だからフィルターがかかっているという意見について】
C:確かに日岡は大上を偶像化している。本当はそこまですごくないのかも。
D:大上は、日岡を「学士様」と茶化したり、過去には牛の糞まみれになったり……。ヤクザ性を取ったら、普通に気のいいおっちゃんみたいな気がする。

【推し活?】
C:大上は一之瀬に惚れている。
D:大上の、一之瀬への推し活ストーリーなのかな、と。自分の推しをセンター(組長)にしてやるぞ、みたいな。
C:おっさんずラブみたいな。
D:最後は厄介がすぎて消される、みたいな(笑)
(※厄介…ライブ現場において、マナーなどを守らず、他の観客に迷惑をかけたりする人や集団のこと。)
ヤクザの世界をエンタメとして面白く書いたとき、アイドル的な煌めきを見せてしまう部分はある。もちろん現実と混同してはいけないんだけど。
とにかく、大上の推し活がすごい。

【大上の死について】
C:大上が死んだ理由について、皆さんはどう思われたか知りたい。
D:自分の持っているネタで直接対決に臨んだけど交渉がうまくいかなかった、あるいはうまくいったように見せかけられて……
C:一杯食わされたと。
D:薬が混入される酒を飲んだということは、相手と飲んでいたということ。
C:相手は一緒に飲んで油断させて……。大上は甘いといえば甘い。映画でも同じだった。「守孝だけは守る」って乗りこむけれど。
A:私は、大上が他殺に見せかけた自殺をしたか、敢えて殺させたのかと思った。あまりにあっさり死にすぎたので。そして、自分の死を予感しているような節もある。そのあたりに謎が残る。大上が死に至る場面は最後まで描かれなかったし。

【伏線について/作者の顔が見えてしまうことについて】
B:Cさんが「(作者は)伏線を回収するのが楽しかっただろうな」と仰られたことについて。伏線には何種類かあると思う。最初から仕込んでおく伏線、書いている途中であれを使おうと途中で仕込む伏線、本当にあとから仕込む伏線……
C:まずプロットを立てて、情報を小出しにして読者を引っ張る。日誌の一部を黒塗りにしたり、計算ずくも計算ずくで。途中でつけ足すのは小さなことで、大きな伏線は最初から計算しているはず。
純文学に近い文章だと、作者自身が伏線だと気づいていないこともあるかも。敢えて変わった構成にする場合もあるし。
A:私は途中で結構いじる。大きい伏線は最初から考えて書くけど、書きながら「あ、前に出したこれを使おう」とか、全部書いてから伏線を入れて、また書き直したりとか。
あと、書きながら「あ、これ、こんな話だったんだ」と途中で気づくことも……。
B:それ、「降りてきた」と言うんです。(一同笑)
C:自分で伏線がうまくいったと思っていたら(自分の中でピースがはまった感覚があった)、文学学校のチューターに「うまくいったと思っとるやろ」と言われたことがある。そういうときは読んでいて鼻につくから、作者は一歩引いておかなければならない、と。
A:確かにエンタメでも純文学でも、プロの作品は「どや」って感じがしないかも。
C:重い話であっても、いい意味で力が抜けているというか。
D:うーん。宮部みゆきの作品で、ラストで唐突に文学めかした文章が出てきたときは引いた。いいこと言おうとしている、と感じて。私から見ると優れた感じではなかったので。
A:作者の顔が見えると白けるというのはわかる。たとえば、最初から最後まで陶酔しているような話ならいいんだけど、淡々と進んでたのに、いきなり酔った文章が出てきたときとか。司馬遼太郎みたいに、敢えてやっているならいい。
この作品も作者は顔を出さないのがよかった。「本当に女性? ペンネームが女性なだけで男性では?」と思ったくらい。

<その他>
◆C:私は映画を先に観た。映画では、ヒントが小出しなっているから、小説より真相に気づきやすくなっている。
映画は続編が8月20日に公開になった。これは著者の小説をもとにしつつも、小説シリーズとはまた違う、独立した話になっている。
◆C:自分のすべてを託すには、日岡と大上の交流期間が短い感じはする。
 A:日岡が息子と同じ名前だからなのか、大上に見る目があったのか……エンタメのお約束という部分もある。
◆A:エンターテイメントの警察ものやヤクザもの、あと企業ものもそうだと思うが、組織にいる人間なら誰もが感じる息苦しさや軋轢、保身などが描かれていて、かつ、それを痛快に覆すのが面白い。実際はそうはいかないからこそ爽快感がある。

<雑談>
◆B:私は一つのテーマを大事に書くので、うまく書けなかったら3回、4回……と書き直す。最近の作品も、書き直すにあたって、海外の短編小説などを読み、「こうしたら伝わるかな」「(純文学として)面白く読んでもらえるかな」と工夫したのだが、読んでくれた人には伝わらなかった。人の真似ではなく、借り物ではなく、自分が思うとおり書いたほうがいいと思った。裸の自分を見せるように。
 C:確かに純文学は、自分を切り取った「痛み」を感じさせないといけないと思う。
◆C:最近読んだ本では、白水社から刊行されている林奕含(リン・イーハン)著『房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園』がすごかった。

『三月の招待状』角田光代(集英社)

Zoom読書会 2021.07.31
【テキスト】『三月の招待状』角田 光代(集英社
【参加人数】8名


<推薦の理由(参加者H)>
何人かの登場人物のうち、自分が誰に当てはまるかと考えながら読むのが楽しいのではと思い推薦した。誰しもが、(ぴったりとまではいかなくても)登場人物のいずれかと重なる部分があるのではないか。
角田光代は『八日目の蝉』などのようなサスペンス作品も多いが、『三月の招待状』は30代という年代の微妙さを描いた作品として紹介したい。

<参加者A>
◆読みやすかった。登場人物の苦しみなどを一生懸命考えなくていいので楽に読み進められた。それは、最後までさっと流れてしまうことの裏返しでもある。
◆テレビドラマにしたら面白いのでは。群像劇、ドタバタ劇という側面もあるので、それぞれの登場人物に合った俳優を当てはめられそう。
香山リカの解説にあるよう、私も「で、私はね」みたいに話したくなった。
◆35歳は人生の曲がり角ではないかと思う。そういう部分で巧く年齢的なものを取り扱っている。
◆病や貧困、責任、年老いることなど、生きる上で避けて通れないファクターを取り除いて、温かい世界を作っている。そのファクターがなければ、35歳というのはこれからの未来がある年齢。
:登場人物は貧しくなく、自分の子どもや親も作中に出てこない。=人間的な深刻な悩みや嫉妬、どろどろしたものがない。私はそういうものを描いた作品が好きなので、この作品を軽く感じた。
◆そんな中で、遥香の視線が一番大人だと思う。
◆愛情もなく、友情でも繋がっていないし、責任もとっていない。自分たちの温かいシェルターに閉じこもった登場人物たちはこれからどうするのだろう。シェルターが壊れる前の温かい世界の話だ。

<参加者B>
◆比較的自分に近いと思ったのは麻美と遥香だと思った。私も本質ではあまり人とべったり付き合わないので。とはいえ、充留が抱く、過去好きだった人への複雑な気持ちなどは理解できる。
◆私自身は大学時代の友人たちとは会っているほうだと思うが、このように「わちゃわちゃ」した関係ではないので、読んでいて興味深かった。「大学時代、確かにこんな感じのグループあったな」と思うが、現在、彼らの関係がどうなっているかは不明。
◆唯一の部外者である遥香の視点が挟まれているのが効果的だと思った。読者はグループの「わちゃわちゃ」に入れないので、遥香の視点が一番読者に近いかもしれない。
それとは逆に、同じグループにいる宇田男の視点が描かれていないのもいい。読者は他の人物の視点をもとに、宇田男がどんな人物か想像することになるので。
◆グループに溶けこみきれない麻美も比較的読者の視点に近いかもしれない。
◆物語を通して、麻美が一番変化した(一連の出来事を通して大人になった)と感じた。

<参加者C>
角田光代の『源氏物語』を読んでみようと買い揃えており、普段の著者がどんなものを書いているのか参考になり、推薦していただいてありがたかった。
◆小説の作り方が巧い。登場人物の履歴がきっちり設定されている。とくに小説の連載は書き始める前にきっちり決めておかなくてはならないので。その設定をどこで出すかというのも巧かった。
◆読者が、角田光代はどんな履歴書を作ったのか解析して作ってみるのも面白いかも。私自身、再現してみたいと思わせられた。
◆また、構成の面でも勉強になった。
◆作中の離婚式、結婚式、(結婚式での)充留の宇田男へのケジメなど、何かのケリをつけないといけない場面は現実にあるものではなく、小説だからこそ書ける。作り物だから面白いというのはあるが、どこまで読者に納得させていくかが大切だ。その面でもちゃんと納得できるように作られている。
◆群像劇で何人かの視点、語り、モノローグ……どこにポイントを置いて流していくのかと考えたとき、それは充留だと思うのだが、彼女のエピソードはそこまで面白くない。充留だけが仕事で成功し世間で認められているという設定だが、私には彼女の凄さが伝わってこなかった。エピソードとしては麻美や裕美子のほうが面白い。
◆物語のあと、裕美子と正道はよりを戻すのだと思う。
◆麻美がどう決着をつけたのか消化できない。「暇」とは?
◆大学のグループが15年も続くのか? 私の場合30代半ばでの同窓会もなかったので羨ましくもあり、こんな関係はないだろうとも思う。お互いを値踏みしたり嫉妬したり……そういうこともあるのかもしれないが。
◆登場人物たちは大人になれていない。
◆あまりに綺麗に流れているので、グループの中の誰かに子どもや要介護の親がいる設定、誰かが病気になる展開があれば、攪乱要素ができて、また違ったものが書けるのではないか。
◆しょうもない男に見える宇田男は、もっと後ろに下がっていてもいいのでは。過去の栄光を失ってもなお魅力的な人物に描かれていれば、また違ったと思う。
遥香だけが客観的な視点に使われているが、なぜ彼女だけ持ちだしたのか。重春、智が置いてけぼりになっている。

<参加者D>
角田光代をまったく知らなかったので読書会がなければ読まなかった。
◆大学時代の関係が繋がっているのは実際にあるかもしれないが、異次元のものを見てしまったような違和感を覚えた。そういうグループが存在しているとは聞くけれど、私の時代にはなかったので。
私の周囲だと定職についている人のほうが少ない。とくに今回の騒動で失業した人が増えた。結婚式の招待状が来る前に離婚調停が始まっていたりする。
なので、作品の中にバブルの残滓を感じた。そんな高い物を食べるのか、のような。私より少し前の世代のカルチャーだろうか。
:違和感の正体は?⇒子どもが出てこない、親が出てこないのもあるが、非常に狭く閉鎖的な集団という、大学の面子で完結しているところ。
遥香の視点を除けば外部の人間が出てこない。独自の閉塞感があり、それを読む小説なのだろうか。狭い空間で、口には出さないけれど思っていること、しこりを感じること、招待状や結婚式の綺麗事など。
◆面白いのが、離婚式で始まり結婚式で終わるところ。そこに出席する小集団が主人公だと示唆している。それだけだと息が詰まるので遥香視点があるのかも。
遥香が、正道と元妻を含むクラスメイトのことを「正道と、元妻を含む元クラスメイトたちは、おそらく、だれかに嫌われたことも嫌ったこともなく育ったのだろうと遥香は想像する。人との距離を縮めることをなんとも思っていないのだろう。わちゃわちゃと人と関わりながら成長し、そうして大学という場で似た人間をさぐりあて、寄り集まってわちゃわちゃと過ごし、そうして今もなお、わちゃわちゃと関わり合っているのだろう。好きも嫌いも超えたところで。彼らにとって好きはどこまでも肯定で、嫌いは無関心、それだけなのに違いない。」(P178~179)と評するが、ここが肝。
◆大学は4年間、サークルや同じ小集団で固まりがち。メンバーはお互い似たところがあり、コンセンサスのようなものが確立されている。
◆読んでいて、狭いな、息苦しいなと感じた。彼らの口ぶりを見ていると、「彼氏/彼女/夫/妻になったら、(一般的に「そうあらねばならない」とされる)その役目を演じなければならない」と考えており、素直に受け入れ演じている。そして、そのような在り方に違和感を感じるのではなく、それから外れることに劣等感を感じている。
男としての在り方、女としての在り方、結婚などを素直に受け入れているところに、私は違和感を感じるのだが、しかし、そこにこの小説の売りがあるのでは。
「狭いコミュニティでの閉塞感」がテーマだろうか。

<参加者E>
◆読書会より1週間ほど前に読んだのだが、登場人物たちを薄く感じ、印象に残らなかった。登場人物は全員、喜怒哀楽を深めることもない。角田光代は軽い小説ばかりではないと思うので、なぜこんなに軽く書かれているのか気になった。
◆軽いと感じるが、その代わり、嫌味な人も出てこないので読みやすい。だからこそ印象に残らないのかも。
◆登場人物たちは経済的に恵まれており、深い悩みもない。私の周りにはそこまで豊かな人はいない。
◆40代や50代の離婚なら重みがあるが、子どももいない30代の離婚なので、おふざけだと感じる。
◆麻美の失踪後に集まったときも、話し合いより出前をどうするかで盛り上がっており、心配するふりをしている。そんな薄っぺらい人たちでいいのか? たとえば40代・50代の、そんな人物を戯画的に配置するのはいいと思うが。
◆バタバタはあるが、(読者の)傷になるリアリティがない。裕美子と正道、麻美と智も寄りは戻るのだろう。
◆麻美と智の関係が薄い気がする。
遥香視点のパートには、いじめのエピソードなども書かれており現代的。彼女の嘘(正道の離婚前後から掛かってくるという迷惑電話)に効果がなかったのもいい。
◆ドラマにしたらよさそう。放送コードにも引っかからないと思う。
◆私自身は、大学を卒業してから継続的に集まるというのはない。数年前、数人で集まったくらい。また、35~36歳のときはシングルマザーをしながら働いていたので、自分の世界とまったく違う。
◆Cさんが「履歴書を再現したら面白そう」と仰ったが、私もそう思った。

<参加者F>
◆自分だと絶対に読まない作品を読む。これが読書会に求めていたもの。もし自分だけで読んでいたら「合わないな」と思うだけなので。
(なぜ合わないのかというと)謎がなく、殺人など大きな事件も起きない。もし私が作者なら「八月の隕石」とかで東京を吹っ飛ばしていると思う。
◆小説で一番楽しいのは謎だと思うが、この作品に関しては作者がとくに意識しなかったのかもしれない。非常にテクニカルな小説ではある。
◆表層的に読むと、いわゆる「中年の危機」か。30代は老けていても大人になりきれていないという側面もある。
◆私にはまったく刺さらなかったが、刺さる人には刺さるのでは。距離のないコミュニティの中にいる幸せ、学生時代を振り返ったり、学生時代の総括をしていたり……。
居心地のいいコミュニティを維持していること、日常の暇、閉塞感など、どれかに引っかかれば読者は読むのかなと思う。
◆30代になっても大学時代のグループで遊ぶことは私にとっては普通なので、リアリティに欠けるとは思わなかった。
◆2007年の作品だからか、経済的な影が見えない。
遥香視点を挟むことによって外部からの視点を提供しており、読者が共感しやすくなっている。⇒物語の強度を上げている。
◆重春、宇田男、智は視点人物にならない。私が読む小説には男性視点のものが多く、その中で女性は、ふわっとしていて何を考えているかわからないというような描き方がされている。その男性版だろうか。
◆悪人が出てこない。お金にだらしない人は出てくるが困窮しているわけではなく、暴言もなく、読者の幻想を壊すものを巧みに避けている。
◆小道具が印象的。ワインが飲みたくなったし、リーデルのワイングラスがほしくなった。
◆推薦者がHさんだと知って意外だった。

<参加者G>
◆「絆」と「自立」をモチーフにした寓話として読んだ。
「絆」の語源は諸説あるが、いずれもが動物を繋ぎとめる綱を指しており、登場人物たちの関係を思わせる。自立しようともがいているのに、絆に絡めとられて戻ってしまうというようなところが読みどころだ。「一体感」をテーマにした“もやもや感”もよく出ている。
◆私は大学に行っていないので、大学とはこんなものかと想像できて楽しかった。
◆モラトリアム、共同体に浸かったままの登場人物たちに離婚パーティーで刺激が与えられ、変化が訪れる。一応の変化を与えたという意味で『三月の招待状』というタイトルはいい。:招待状が来て、それぞれが変化し、変わろうとする。
◆「こんなのありえないだろう」という部分も、かえっていいと思う。
◆登場人物たちは確かに無責任ではある。経済的には豊かで、2007年という時代を反映していたのだろうか。
◆日本では、精神的に大人にならなくても、成長しなくても、それなりに生きていける。そのぬるま湯感がよく出ている。
◆登場人物たちは、人のことは見えているのに、自分のことは見えていない。人に向けていた視点を自分に向けて、今までの自分を壊すというのは、青春小説というジャンルにぴったりだ(※「大人の青春小説」…表紙裏のあらすじより)。
◆30代はまだ若いので、このわちゃわちゃ感は幸せなことだと信じたい(現実にはありえないとは思うが)。
◆描写がとても面白かった。たとえば、若者がモブとして出てくる場面が多いが(「二月の決断」充留が下北沢を歩く場面など)、登場人物たちと対比されて、読者に小さな刺激を与える。
◆大きなテーマは隙・空白。
角田光代の(角田光代としての)デビュー作『幸福な遊戯』は男女のシェアハウスを描いたもの。「なにやってるんだ」と言われるような人たちからの視点を持つ作家ではないだろうか。

<参加者H(推薦者)>
◆まず読みやすい。私も小説を書いているが、「読みやすい」というのは、私の中では「文章力」。そういう意味では非常に大事。読みやすいというのはよかった。
◆登場人物たちの年齢で、大学の仲間たちと普段会っているという設定は実味がないと正直思う。作中の、大学時代から続くグループを羨ましいと感じる部分もあったが、35歳というと働き盛りで、家庭も持ち始めて、子どももできて……こういうグループから脱落しないでいるのは難しい。
私は60歳になるが、仕事と関係ない友達グループ(趣味も一人ひとりバラバラ)ができたので、「そういうの(登場人物たちのような関係)もあるのかな、自分に置き換えられる部分もあるかな」と思えた。
◆正道と遥香カップルが面白かった。付き合い始めた頃の刺激はなくなって倦怠ムードになっており、正道は、大学時代の仲間と遊んでいるほうが楽しいと感じ、遥香遥香で、正道の大学時代のグループに嫌悪を抱いている。二人のやりとりは非常にリアリティがあった。
◆Gさんの仰った「(章ごとに視点人物が変わり、それぞれが)人のことは見えているのに、自分のことは見えていない」というのを私も感じる。冷静に周りを見つめているのに、自分のことはわかっていない。一番に思い浮かぶのは、充留が、麻美と宇田男が付き合っていると聞いたとき、クールな彼女が不安定になってしまったところ。裕美子の「宇田男はお金がなくて麻美に近づいたのかもしれないよ」という言葉の矛盾(充留のほうが金銭的余裕がある)に気づかない。実際、私自身もそういう部分はあるかもしれないと思う。
◆それぞれの人間のライブのリアリティはあると感じた。

<フリートーク(発言者の敬称略)>
【多視点であることの意味】
D:自分が見えておらず他のことに視点がいくのと同時に、常に(登場人物たちの)視点が構成員(=所属している集団のメンバー)に向いている。自分ではなく手近にいる人に目が行って、マウンティングしたり、コンプレックスを抱いたり。これは均質的な集団、同質的な集団、ホモソーシャル集団に見られることである。
特定の人を見て、「私はもっと頑張っている」「あの人はよくない」というものさしが出来ている。ここにこの作品のしんどさ、違和感がある(⇒そこに風穴を開けるのが遥香である)。
たとえば(一般論として)三角関係の場合、異性の相手ではなく、同性の出方を窺って、自分の出方を考える。だから逆に自分のことが見えなくなる。狭い集団の特徴だ。この作品では三角関係をさらに複雑にしているので、それだけではないが。
「視線」というのは物語の中で重要なガジェットではないか。「集団から出づらいが心地よい」という状況が表れている。
C:自分のことは見えるが他人は見えない。それをクリアするために多視点にしたのだろう。主人公視点にすると作者と主人公の距離が近くなるので。小説を書く上で、一つのテクニックとして使える。

【宇田男の描き方、作中での役割について】
A:(宇田男について)ダメ男に女性は惹かれるもの。
C:宇田男は「ダメ男だけど女性に好かれる理由が読者に理解できる」という描き方にしたほうがよかったのでは。今は落ちぶれているけれど矜持を持っている、とか。
B:充留視点や麻美視点のときに描かれる宇田男は、もっと魅力的に描かれていてもいいかも。たとえばギラギラしてるとか、こんな振る舞いが素敵だ、とか。作中では、顔がいいだけのだらしない男になっている。裕美子視点では、それでいいと思うが。
A:読者がどれだけ脳内補正できるか、ということか。私は宇田男の箇所を脳内補正して読むことができた。
D:宇田男については、彼の内面より、「そういう人物に惹かれる人の存在」が必要なのかなと。「ちょっとぶっ飛んでる人物」「ちょっとエキセントリックな人物」(=この場合は宇田男)を共有しているところで集団の安定が図られている。一人だけふらふらしているから外部に行ってしまうこともある。一種の特異点として使われているのでは。
宇田男は、(物語の上で)都合のいい時に現れて、都合の悪い時には後ろに引っ込んでいるキャラクター。機能的な役割を担っているから紋切型な人物造形になっている。
C:私はやはり宇田男の扱いが軽いのではないかと思う。パターンは必要だけど、宇田男にはもっと(物語の中で)役割があるのでは。
A:女性のほうのダメっぷりを書きたいのかも。麻美は、宇田男と付き合って家出までしたのに結局自立できず。充留も結婚までしてしまって。宇田男に魅力を付加したら、彼女たちのバカさ加減が霞んでしまう。
D:読んでいて登場人物たちのわちゃわちゃに目が行くので、宇田男はオブジェのような役割を担っていると考えられる。

【麻美が辿り着いた結論「暇」について】
A:介護や育児がない登場人物たちは本当に暇だと思う。心に余裕があるからこそ宇田男に心惹かれたりできる。幸せな人は暇。不幸な人たちは忙しい。
F:ボヘミアン的なモラトリアムを感じる。浮世離れ、ヒッピームーブメントというか。地に足がついていない。
E:まさに浮世離れ。お金に困らない、暇な人たちだな、と。彼らが暇っていうのはよくわかって、そこには共感した。私自身が35歳のころは育児中だったので、そんなことはなかったけれど。
A:私も育児をしていたから「こいつらなにやっとるんじゃ」と思う。こういう世界があるのか、と。
D:(登場人物の大学時代についても)私は大学で実習や訓練が多かったから、こういう暇がなかった。
C:「暇」はわかるが、それを麻美の結論にしているのがよくわからない。この物語の締め括りとして相応しいのだろうか。
D:言葉の問題かも。「暇」というより「停滞」「倦怠」といったところでは。
A:簡単な言葉で結論づけてほしくないということか。
C:「暇」でまとめてしまうのが違うかな。そういう方向に持っていってはダメだと思う。そういう図式的なものじゃなくて、もっと読者をもやもやさせてほしい。

【均一性が保たれたグループについて】
A:女子大、ママ友など、均一性が保たれたグループは確かに存在する。そこでは、決められた生き方に疑問を抱かない。
D:そういうグループは、ある程度共有しているものが多いからこそすれ違ったり、劣等感を抱いたり、波乱を呼びやすい。
H:たとえば麻美に子どもができ、ママ友グループなど他のコミュニティに所属していたらまた違う感じになっていたと思う。大学時代から脱却できず、常軌を逸していったのが面白かった。

『スモールワールズ』一穂ミチ(講談社)

R読書会@オンライン 2021.07.10
【テキスト】『スモールワールズ』一穂 ミチ(講談社
【参加人数】6名

<推薦の理由(参加者F)>
一穂ミチは、BL作品をたくさん書いている作家。『このBLがやばい!』に5年連続ランクインしたり、三浦しをんにも評価されていたり、BL好きの中ではとても有名な人。デビュー当時からとても上手く、BL作品の感想サイトでも「一般文芸でも通用する」「BL要素がかえって作品の完成度を下げている」と書かれているのが印象的だった。だから一般文芸に行くのは自然な流れだなと思った。
読んでみて、やはり素晴らしいなと感じたので読書会のテキストとして推薦したのだが、その後、直木賞候補になり、とても驚いた(「本屋大賞候補になるのでは?」という声はあった)。応援していたマイナーなアーティストが紅白に出たときと同じ気持ちです。とても嬉しいのだけど、みんなに知られてしまって悔しい、みたいな(笑)。
BL以外の作品としては『スモールワールズ』のほか、オレンジ文庫集英社ライト文芸レーベル)から出ている『きょうの日はさようなら』もある。こちらは女子高生が主人公の、SFテイストの青春小説なので興味ありましたら是非。

<参加者A>
◆あまり断言的なことを言わないFさんがイチオシだというので驚いて、楽しみに読ませてもらった。
◆一作目「ネオンテトラ」を読んで、こんなものかと思った。最初、入っていけなかったので。だが、読んでいくと「嬉しい」「悲しい」など二分化できない感情が描かれており、自分の単純さが露わになるようだった。中間的なところを漂うような印象の作品。
◆「魔王の帰還」には、「ネオンテトラ」のファジーな気持ちを破壊する強烈なキャラが登場し、無条件に泣かせられた。素晴らしい作品。単純な私には、どストライクだった。年に一度くらい号泣する作品があるのだが、その一度になった(朝倉かすみ「平場の月」、中島京子「小さいおうち」、映画「レッド・ファミリー」なども、その一度だった)。
◆「ピクニック」。「魔王の帰還」からこの作品という並びがすごい。ホラーのような迷宮に入っていく。母性の恐ろしさが描かれていて、恐ろしい物語だと思った。
◆どんどん深みに嵌っていって、問題作「花うた」。すごい構成力。P172、歌を片仮名で表記するところが巧い。結婚するほど入り込むのはやりすぎかなと感じた。
◆「愛を適量」。タイトルに引っかかったが、読んでいくうちにいいなと思った。調味料の適量がわからないのと同じように、愛の適量がわからない主人公。同じく、愛の適量がわからず、女性と上手くいかない佳澄。「愛に適量はあるのか?」という一つの問題を投げかけている。愛は、多く与えすぎたり、逆に少なすぎたりして後悔するものだが、適量だと相手の中に残らず、それは「無関心」と同じなのではないか。
また、女性が男性に変わるという問題も投げかけており、「魔王の帰還」とはまた違う、独特の感動がある。
◆「式日」。後輩が「ネオンテトラ」の笙一だとわかり、びっくりした。
虐待を受けている笙一は、美和との交流を通してネオンテトラを知る。自分を虐待していた父親が一度だけ訪ねてきたとき、笙一は父親を拒み、警察に突き出した。そして、自分が父になったとき、子どもに会えていないという因果。
→そこにネオンテトラを絡めている(ネオンテトラを繁殖させるためには別の水槽に移さなくてはならない)。父親と笙一の関係性もさりげなく入れて、こう来たかと思った。
また、向田邦子を出した意味について。向田邦子をオマージュしているようで、批判もしているのではないか。向田邦子の作品は、「家族間で揉めてもハッピーエンド(=愛があれば理不尽も受け容れる)」というところがあるが、今はそういう時代ではない(昭和の家族像の崩壊)、というふうな。
先輩と後輩のやり取りが、ありきたりでなく秀逸。例えば、バスのボタンを押すくだりなど。

<参加者B>
◆今回、初めて知った作家。ネオンテトラをトイレに流す箇所、笙一の死(「ネオンテトラ」)、金魚を弄ぶような描写(「魔王の帰還」)などから若い人ではないかと思った。齢を重ねると、命を簡単に処理できないので。
岡山県立図書館では9人の予約待ちだったので、ほかの図書館で借りた。
◆可愛い雑貨屋さんのような表紙が魅力的。
◆どの作品も題名の付け方や書き出しの一行がすごくいい。
ex)「ネオンテトラ」冒頭:なぜ、望んでいないたぐいの幸運にはこうもたやすく恵まれるのだろう。etc.
◆描写がすごく上手。「式日」のP263、イヤホンを外したときの世界の書き方が素晴らしい。私はずっとイヤホンをするという生活をしたことはないが、このような感じかなと思った。
◆「ネオンテトラ」。ネオンテトラは発光器官を持っているわけではなく、反射によって光る=自分自身が光るのではなく、周りの光によって輝く。人間とはそのようなものでは(自分一人で輝くのではなく、環境や条件によって輝いて見える)。
◆「ピクニック」が一番好き。ラストまで希和子が病んでいることに気づかなかった。各キャラクターのネーミングもよく考えられている。視点の変化も上手い。
「愛の重み」に支点が置かれている。そのためか、「重さ」に関する描写が多く印象的。新生児の重みであったり(P104)、瑛里子が真希の重さに耐えきれず手を離してしまったり(P139)。愛の重みの罪がよく書けているなと思った。
◆「愛を適量」。タイトルがいい。あまりベタベタしない、柴犬の距離感を思い出した。私も人と距離を空けるほうで、相手がベタベタしてきたら少し離れる。若い頃はもっと激しくて、興味を持たれたら引いてしまう質だったのでよくわかる。
慎悟がバスケ部の顧問をしていたとき、部員に尽くしていたにも関わらず、事故を起こした途端に拒絶されるところ、佳澄が勝手にお金を下ろすところは、読んでいてすっきりした。
とくに佳澄が勝手にお金を下ろすことで、かえって距離が保たれたと感じた。親子の再生の物語か。

<参加者C>
◆連作集の作りが面白いと思った。「ネオンテトラ」「魔王の帰還」「愛を適量」は軽やかなストーリーで読ませる作品。「ピクニック」「花うた」「式日」は暗めでサスペンス的な部分もある。暗めの話と爽やかめの話が交互になっており、読んでいて飽きない。
◆「ネオンテトラ」と「式日」が深く繋がっているのが巧い。連作として工夫されている。
◆章ごとに作者が違うのかなと思うほど、異なる書き方がされている。「ネオンテトラ」は一人称、「魔王の帰還」は鉄二視点、「ピクニック」は死んだ真希による俯瞰、「花うた」は書簡体、といったように。表現方法が違っているから飽きず、また、視点の勉強になるなと思いながら読んだ。
◆圧倒的に一番良いと感じたのが「花うた」。犯罪の被害者遺族と加害者、相対する二人のやり取りが描かれている。手紙はどうしても一方通行になるので誤解を生みやすい。手紙が拙いことから生まれる誤解、誤解が解けて情に繋がっていく…だんだんと理解していく過程が面白い。手紙で苗字が変わるところなどでも手紙が生きていると思った。
最後の秋生の物語は、涙は流さなかったものの泣いた。心を震わせられた作品。
◆二番目に面白いと思ったのは「ピクニック」。単純にストーリーの妙。誰も悪意を持っていないが悲しいストーリー。社会派ミステリーのような要素がある。

<参加者D>
※「ネオンテトラ」「ピクニック」は未読。
◆一作目「ネオンテトラ」に入っていけず、しばらく寝かせていたのだが、六作目「式日」から読んでみると、これが素晴らしかった。そこから遡り、「愛を適量」「花うた」「魔王の帰還」を読んだ。
◆「魔王の帰還」。鉄二と菜々子の関係が青春を感じさせ爽やか。魔王(真央)のキャラはぶっとんでいてアニメ的。魔王が岡山弁で喋るのが印象的で、「うる星やつら」の方言を話すキャラクターを思い出した。
◆読んだ中では「花うた」が一番胸に刺さった。一見美しい愛の物語のようだが、根底にすごい憎しみがある(「愛を適量」にも同じものを感じた。憎んだ父親にいい息子面をする、というふうな)。
これは誉め言葉なのだが、「なんて綺麗な嘘をつくんだ」と思った(小説は嘘なんだけれども)。
深雪は兄を秋生に殺され、秋生を憎んでいるという話だが、兄から一方的な愛を寄せられていたという側面もある。秋生と結婚したのは、兄への復讐でもあるのでは。
小説だから美しく書けるのであって、人生なんて欠けたピースだらけで、こんなふうに花びらみたいに美しく蘇るものではない。こんなファンタジーに書かれたら綺麗な嘘をに憎みたくなる――それくらい、ぐさっときた。

<参加者E>
◆連作短編の総タイトルは、収録作品のうち象徴的な一作のタイトルをつけることが多いが、この連作短編の総タイトルは『スモールワールズ』なのが特徴。
◆ぱっと読んで場面が浮かんでくる印象的な描写が多い。
◆家庭の中、他人が窺い知れない残酷さがある。
◆「ネオンテトラ」「式日」をはじめとして虐待の話が多い。
◆「ピクニック」は虐待ではないが、子育てで追い詰められたとき、何をするかわからない危うさ・怖さが描かれている。家庭という密室だから他人からは全貌がわからない。
◆「花うた」の深雪の兄も明らかに虐待。庇護者であり支配者。いなくなってはじめて、深雪はそのことに気づく。弁護士は、深雪が自分を取り戻すことが必要だと考え、秋生との手紙のやり取りを勧めたのでは。
冒頭の手紙で、深雪と秋生がのちのち家族になること、そして秋生の現在の状態について明かした上で展開する(前者は「向井深雪」という署名から読み取れ、後者は「失礼な振る舞いをしてしまい~」という文章から普通の状態ではないとわかる)。ご都合主義的に展開するのではなく、なんでそうなるのかと読者に思わせ、読ませる原動力になっている。
興味を持ち合い、理解し合って結ばれたのではない。深雪が自分一人で立って、誰かを庇護するようになるまでが主題。とても深いと思ったイチオシの作品。
◆次点は「ピクニック」。地の文で希和子を「母」と呼んでいるので、早い段階で娘視点であることが明かされている。希和子を母と呼べるのは、瑛里子以外には真希しかいない。奇想天外ではなく、ちゃんと布石を打っている。
◆「ネオンテトラ」。子どもができない妻の話かと思ったら、途中から裏切られた。有紗と笙一に子どもを作らせるというありえない設定だが、笙一とのエピソードの積み重ねによって、そうなってもおなしくないと思わせられる。そして「式日」に繋がる。構成が抜群の作品だ。
◆「魔王の帰還」。岡山弁が魔王(真央)のキャラにとても合っている。心温まる作品。
◆「愛を適量」。よかったが、読んでいて時間が経っているため、記憶に残っていない。

<参加者F(推薦者)>
◆六作のうち五作目まで読んで、「ネオンテトラ」にだけ物足りなさを感じていたのだが、「式日」を読んでびっくりした。後輩に子どもがいるとわかった時点では、まだ彼が笙一だとは気づかず、ネオンテトラについて話している場面でやっと気づいた。
語り手の性別を曖昧にしているのは敢えてだろう。笙一に「向田邦子みたい」と言われていたので女性かと思っていたが(トランスジェンダーなのかもしれない)、P288の地の文に「俺たちの断片を、知ってくれ。」とあるので男性だとわかった(ここ以外に、語り手の一人称は出てこない)。P284、後輩が「家族を持ち、家庭をつくる」という可能性に傷ついたというのも、語り手がLGBTであるなら、よりしっくりくると思った。
◆連作の面白さがある。「ネオンテトラ」のラストで道を譲ってくれたトラックドライバーは「魔王の帰還」の真央、「魔王の帰還」で両親が観ているのは「ピクニック」の未希が死んだことを伝えるニュース…というように、少しづつ繋がっている。

<フリートーク
◆作者は何歳なのか。公表されていないが、デビューが2008年なことや、作品の感じからして四十代くらいだろうか?
◆B:「魔王の帰還」の真央が27歳で身長188cmというのは漫画的。もう少し捻ってほしい。
◆B:「花うた」が好評なのは意外だった。私は深雪と秋生に結婚してほしくなかったので。手紙の書き方が幼く、深い物語だと思わなかった。
→E:手紙は秋生に合わせて簡単な単語を使って書いているのでは。
◆F:この作者の作品は王道な作品も人気があるが(この短編集でいうと「魔王の帰還」のような)、歪な人間関係を描いた作品のほうが私は好きで、そちらに関しては評価が真っ二つに分かれている。この短編集でも同じような傾向が見られるのは面白いと思う。
BL作品になるが、『meet,again.』(新書館ディアプラス文庫)、『off you go』 (幻冬舎ルチル文庫)は、登場人物の関係性に賛否が分かれており、私はかなり好き。
◆「式日」。事件がない。単独で読むと純文学っぽい。「ネオンテトラ」と繋がっているのが大きい。
E:先輩は、視点人物であるが謎が多い。施設で育ったと語るが、地の文では言っていない=それが本当かどうかわからない。「愛を適量」の佳澄だったとしてもおかしくない。
B:死んだとか殺されたより、なんとなく人が繋がっていく話が好き。P294、笙一が家に帰れず、学校に辿りついて…机を見るとメモと豆菓子が入っていてぼりぼり食べた、という箇所がいい。人と人が繋がっていく場面。こんな人になりたいと思った。
◆E:すべての作品にブラックさがある。通り一遍ではない。虐待でも、虐待そのものを生々しく書くのではなく、虐待してしまう側への優しさもある。初めはロマンス文学やジュニア小説を書いていた桐野夏生のように、この作者も育っていくのでは。
◆E:男らしさ・女らしさを外した書き方。真央が女性っぽくなかったり、LGBTを匂わせたり…。
◆A:皆さんが、それぞれどの作品を好きになるか予想を立てていたが外れた。
「花うた」の評価が一番高かった。私も、深雪と秋生の結婚がなければ、もっと入れたと思う。
◆エンターテイメントから入った作家のほうが伸びしろがあるのでは。ライトノベルなどストーリーがかっちりしており、力のある作家が多い。また、読者の声を敏感に感じて作品に生かしている。
逆に、純文学は読者の声を気にしない。(どちらがいいという話ではなく)
◆E:連作短編集なので直木賞の受賞は難しいかもしれない。コンパクトにまとまった印象なので。読んで一ヶ月で印象が薄れてしまった。
◆主人公は、どこかが欠けている人のほうが魅力的。そこに共感の線を作っていく。
◆BL出身の作家には、『流浪の月』(東京創元社)で本屋大賞を受賞した凪良ゆうなどがいる。同作者の『滅びの前のシャングリラ』(中央公論新社)も読みやすく面白かった。

<その他、話題に上がった作品>
◆『ファーストラヴ』島本理生文藝春秋)は、『流浪の月』と題材が似ている。
映画『ファーストラヴ』は芳根京子の演技が素晴らしかった。
◆韓国の作家は問題をぼかさず、徹底的に攻める。日本だと回りくどい描写が文学だというような風潮があるが、韓国でははっきりと言う。
『小説版韓国・フェミニズム・日本』チョ・ナムジュ、松田青子、デュナ、西加奈子、ハン・ガン、イ・ラン、小山田浩子高山羽根子、深緑野分、星野智幸河出書房新社
◆『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ(筑摩書房

「何も言う必要がない」(『ディディの傘』より)ファン・ジョンウン、斎藤真理子訳(亜紀書房)

Zoom読書会 2021.06.20
【テキスト】「何も言う必要がない」(『ディディの傘』より)
                ファン・ジョンウン、斎藤真理子訳(亜紀書房
【参加人数】4名


<推薦の理由(参加者A)>
『ディディの傘』は友人の薦めで読んだ。私は海外文学をあまり自発的に手に取ることがない。その国の歴史や宗教など根底にあるものがわからない、登場人物の名前が覚えづらいというのが理由だ。だが、読むと日本文学とはまた違う魅力があり、自分が書く作品に深みを持たせるためにも、折に触れて読んでいきたいと思う。
この作品を読んで、韓国の若い世代は、政治のこと、自分たちのことについて、とても深く考えていると感じた。
日本と同じだと思う部分、(私個人としては)賛同できない部分、それぞれあるけれど、考える姿勢はすごいと思ったし、じきに日本は他のアジアの国々に抜かれるんだろうなという想いも浮かんだ。
わたしが大学生くらいのときは、もしかすると今もそうかもしれないが、政治について真剣に考えたことがなかったと思う。もちろん選挙に行ったり、自分なりに考えたりしていたけれど、本当に危機感があったかというと無かった。韓国や香港、台湾に比べ、「戦争」が遠いものだと感じていたからだろうか?
皆さんとそんなことを話したかったので推薦した。

<参加者B>
◆内容は興味深いが、文章がわかりづらく、全部読むことができなかった。
パートナーが男性か女性かわからない曖昧な書き方がされており、どうして隠す必要があるのかと思った。
◆序盤の、紙や本に対する考察は情緒的で面白かったが、政治や人間関係について、その書き方で読むのはしんどかった。

<参加者B友人>
(※沖縄と韓国の歴史について勉強されていたBさんのご友人が、10分ほど読んで作品を非常に気に入ってくださったそうなので、コメントをいただきました。)
現代韓国を背景にしながら、作者や今を生きる韓国の人が持つさまざまな生き方、感情を表している。とても読みやすい作品で、どんどん読み進めたい。
韓国あるいは韓国人を理解するには、被侵略の歴史、分断された国家、その原因などを考えることから避けて通れない。
大統領が退任すると逮捕されたり、自殺に追いやられたり、また、財閥に対しての国民からの反発がある。
後日しっかり読みたい作品。作者の言いたいこともわからない、一読しての感想です。
ひとつ質問。セウォル号沈没事故のとき、朴槿恵大統領や船長に猛烈な世論があったのは知っているが、セウォル号乗客へのバッシングもあったのか?(「d」を読んでいないので、そちらに書いてあるのかもしれないが)

<参加者C>
◆枠組みとして、「書き手である小説家として」の語りと、「(日常の)私」の語りとで進んでいく。
それともう一つ。「私」という視点は変わらないが、世界や韓国社会を俯瞰した大きな視点がインサートされる。
主人公である「私」とその周囲、パートナー、学校生活・社会生活が書かれると同時に、社会運動や弾劾裁判など個人ではなく個人の集合体である「社会」が描かれ、私はその一員としてこうしていた、という書き方がされている。
どうしてこのような書き方をしたのか? それは、主人公が韓国社会で表に出しづらい性的マイノリティであるから。社会は生活環境に直結するので、マイノリティ(LGBTQに限らず貧困層なども含む)が考える社会への信用度は、マジョリティのそれとはまた異なるものである。一般大衆はそういう動きをしているが、では私はどこにいるのか? ミクロな視点とマクロな視点、マイノリティ的な立場を効果的に表すための構成になっている。
◆男女が曖昧なのはわざと。「私は男である/女である」と断言すると枠組に囚われてしまうので敢えて曖昧にしている。
◆「男女」という分け方だけでなく、ほかの区別も曖昧である。個人と大衆が薄い糸で繋がっているという表現方法。
◆韓国語は男女の区別が日本語に比べて曖昧。日本語話者にとって一瞬で男女を判断するのが難しい。それらも反映しているのかもしれない。
◆文化や作品からの引用が多く見られる。最初にロラン・バルトが引用されていることに意味がある。
ロラン・バルト『作者の死』(1967年):テクストは現在・過去の文化からなる多元的な「織物」である。作者の意図でなく、読者が判断するべきである。)
主人公の「私」は小説家であり、先行する文学作品、文化、サブカルチャー朝鮮半島と絡めて、どう取り入れてるのか。また、「私」はこうして生まれたのではないかという自己探求を綴っている。
◆序盤のタイプライターに関する技術論も面白かった。タイプライターにしても韓国のものなので、私たちがイメージするものとは、また異なってくる。その“近づきづらさ”から、いい意味のバリアを感じる(私たちとは違った視点を持っているのでは、という)。

<参加者A(推薦者)>
「d」
◆事故をそのまま書くのではなく、その場所にはいなかったけれど、同じ時期に喪失を経験した人物の立場から書く方法があるのだと思った。
私は「d」のほうが読むのが大変だった。ddを失ったdの内面的な描写が重く、辛かったので。それと、dとdd、二人の人物像がなかなか立ち上がらなかったので。性別については男女の話だと思っていたので気にならなかった。読み返すと、確かにddが男性でも通るように書かれている(後述するが揺らぎはある)。
◆P56、dとヨ・ソニョが会ったところから面白くなってきた。
◆P59、プレスリーの歌を表現するddの言葉がよかった。初めて「dd」という人物が私の中で立ち上がった。
余談だが、この場面でクッションを抱いたddの仕草を女性的に感じたので、やはり訳者解説にあったように、作者がddの性別について迷っており、女性として書こうとした名残りなのかなと思う。
◆P91「幻滅の反対方向へ向かって飛んでいます。…」私にも脱出の経験がないので考えさせられた。ただ、国から、世代からなど、大きい意味の脱出はないが、日常の細々したことからの脱出はあるのかもしれない。
◆P117「この世でそれ一台だから、ヴィンテージを修理しようとする人たちは、直すとは言わない。生かすと言うんだね。」「軽く見てはいけないよ~それはとても熱いのだから。」
話に入り込んでいけた後半に印象に残る台詞がたくさんあった。

「何も言う必要がない」
◆「d」と異なり、「ソ・スギョン」という人物が早い段階で浮かび上がってきたので読みやすかった。
◆作者はとても本を愛していると感じた。
◆P126。紙、タイプライター、ワープロソフト…使う機械による文章の変化についての考察が面白かった。やはりみんな、こういうことを考えるのだなぁと思った。
◆他にも、線を引きたい箇所がたくさんある。
◆「ⅾ」と同じくこの作品でも、というより、この作品のほうがより強く「脱出の経験」について書かれていると感じた。北朝鮮からの脱出以上に、価値観や固定観念からの脱出、というような。
◆P136、ソ・スギョンを指して「彼」と書いているところで引っかかった。韓国の名前に詳しくないので女性名なのか男性名かもよくわからなかったので。
◆主人公とソ・スギョンが恋人同士であると明言されるまで、恋人同士なのか同志なのか友人なのかわからなかったが、この作品において、人と人の繋がりに名前を求めなくてもいいのかと納得して読んだ。
◆余談:肉体が違うことは、それ相応の差も当然あると思うが、それは心の性別がグラデーションになっていることへの否定ではないと思う。違いを認めた上で多様性も認められるようになってほしい。

<「何も言う必要がない」デスカッション>
◆D:全部読めていないが、結構好きな作品。なんか好き。
◆B:主人公が視力を失っていくというくだりがあるが、作者は本当に目が悪いのではないかと思うほどリアルだった。序盤に紙の話があったが、目が悪いと紙の窪みまで見えるもの。
ものごとを近視眼的に書くとこうなるのかと思った。
◆B:いろいろな要素が散りばめられていて、読み進めるには想像力が必要。
 A:私は友達の話を聞くイメージで読んだ。「こんな本を読んだ」「こんなことがあった」…みたいに。友達のすべてを知っているわけではないが話を聞くことはできる、という感じ。
◆B:近年の芥川賞受賞作や候補作を読んでいても、性別をはっきりさせない作品、距離が淡白な作品が多い。
◆A:私が普段読んでいる作品にも、他の小説・映画・音楽などを登場させている作品はたくさんあるが、あくまでストーリーを進める小道具としてだと感じる。この作品はストーリーと直接関係あるなしに関わらず、多くの引用が出てくるが、しっかり読むと理解が深まるのか?
 C:読むのは後でいいと思う。あくまで必要だから引用しているのであり、有名すぎる作品については引用する意味がきちんと示唆されているので。
例えばニーチェの『道徳の系譜』。キリスト教の道徳は普遍的なものではなくキリスト教のバイアスがかかり、人を縛っているのではということを著している。それを引用することで道徳観念やモラルを崩すためのアイテムとして用いているのでは。
またロラン・バルト『作者の死』は「オリジナリティ」という概念を切り崩す。先行作家の引用を多く用いているこの作品において、ある種、メタ的なアイテムとなっている。また、ロマン・バルトは性的マイノリティであることも象徴的だ。
また、『新世紀エヴァンゲリオン』旧劇場版からの引用は、個人と集合の関係、自己と集団の兼合いを想起させる。※作者であるファン・ジョンウンは1976年生まれで、韓国において日本のサブカルチャーなどが大っぴらに観られるようになった世代。
C:「ⅾ」にも言えることだが、人間関係における「私」と他者の曖昧さ、日本人からすると近いと感じる距離感が韓国的だと感じた。韓国は恋愛や友情とは別に「情(ジョン)」が重視される。同性の友人であっても、日本人の感覚より、もっとウェットに付き合う。
たとえば韓国でタクシーに乗る時は、一人客の場合、助手席に座って運転手と話しながら移動する(新型コロナウイルスの流行で状況は変わったと思うが)。
初対面でも率直に物を言うところがあり、親しくなると兄弟のように親密になる。実の兄弟姉妹でなくても男性間の兄弟呼び・女性間の姉妹呼びなどがある。
「みんなが帰るころには、傘が必要だ」は示唆的。傘がない人には差してあげるというところに距離の近さを感じる。
 B:国によって距離感が違うというのはある。ベトナムも近い。
アメリカやオーストラリアは個人主義だと感じる。他人への警戒心があるからだろうか。アメリカもオーストラリアもフレンドリーだが、それは相手との距離を測っているから(敢えて型にはまった言葉を交わして距離を測っている)。
 C:ヨーロッパでは、自分の話している言葉がわかるかで距離を測る。
京都のぶぶ漬けのような断られる前提の社交辞令もある(「泊まっていって」など)。
 C:韓国の「私」と人との距離の近さは、社会と距離が近いということ。だから社会不正にも敏感。解説に、作者であるファン・ジョンウンは、セウォル号の事故のニュースに接して執筆できなくなったとある。日本人であれば、自国で大きな事故があっても、そこまで衝撃は受けないのではないか。
これは「私」の物語であるが、「社会」の物語でもある。
いろいろなことを引用することで距離の近さを表現している。
「なにも言う必要がない」それはつまり何なのか? 言わなくても察して考える在り方ではないか。韓国は「言う」社会なのに、「敢えて言わない」ということの示唆。“言わないことでこの先、やってみせる”“黙り、敢えて見せない”⇒そこから新しいものを生み出す。

<フリートーク
◆C:韓国の人は感情をストレートに表現するが、相手に対して怒るというのは距離が近いということ。韓国には、感情はある程度出しておかなくてはならないという通念がある。相手に対しはっきり言っても、そこで関係が終わるのではなく続いていく。
◆C:ファン・ジョンウンは韓国の中でも苦労の多い三放世代。貧困(=世間のマイノリティ)に置かれる世代だからこそ、より社会問題に共感するのでは。
※三放世代…2010年以降の韓国における、恋愛・結婚・出産を放棄している若者世代のこと。韓国国内で増大する低賃金かつ不安定なワーキングプアの産物であるとみなされている。/ Wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%94%BE%E4%B8%96%E4%BB%A3 )
「d」で、dが暮らす考試院(コシウォン)は日本で言うネットカフェのようなもので、若年層の貧困を表している。
◆C:最近は紀伊国屋などの大手書店でも韓国文学のコーナーがあり、たくさんの本が並ぶようになった。作家も日本でプロモーション活動をしたり、日本の作家と対談したりしている。
社会的マイノリティを扱う韓国文学は日本に多く入ってきており、映画「パラサイト 半地下の家族」が流行したときには、貧困層について書かれた作品が並ぶようになった。
現在、韓国では日本以上に格差が広がっていて、そのことに共感する目線で作品が量産されている。
 B:韓国の貧富の差は日本より激しい。いい大学に入れるか入れないかで、天と地ほどの差が出てくる。
 C:一度レールを外れると這い上がることが困難な社会。受験という早い段階で選別が始まる。シンガポールはもっと早く、小学校6年生くらいで進路が決まってしまう。
 D:諦めたほうが楽。届きそうだからこそルサンチマンが湧いてくる。
◆B:昔の日本は、今よりも親戚付き合いが濃く、同性同士の友人関係も深かった。だから韓国ドラマの人気があるのでは。
 D:三十年近く前のことだが、韓国の方と知り合ってすぐ手を繋いだことを思い出した。同性愛でなくても距離感がとても近い。また、スペインへ旅行に行った際、一緒に食事に行った韓国の男性にヌナ(お姉さん)と呼ばれていた。
 C:私も学校でヒョン(兄貴)と呼ばれたことがある。
◆B:韓国でも高齢化が進み、教育コストも高い。日本だとセーフティネットがあるが韓国では?
 C:あるけれど、大企業優先の政策が採られている。そのためサムスンなどの企業は成長したのだが。
日本と違い、公然と財閥がある社会だから、庶民は不正や抜け駆けに敏感。一般市民より大企業が優先されているので。
◆B:韓国は「恨(ハン)」の文化だと聞くが。
 C:「恨」というと「恨み」と思いがちだが少し違い、「状況に耐え忍ぶ(そして、そこからやっていこう)」という考え。日本では昔、嫁ぎ先に小刀を持っていき、屈辱的なことがあったら喉をかき切れ――というような価値観があったが、韓国は、自分の膝に小刀を突き立てて耐えろ、と言う。
C:日本との文化の違いは多い。たとえば食事のとき、日本では茶碗を手に持つが、韓国ではそれがマナー違反になる。どちらがいい悪いではなく考え方の違い。
◆B:韓国ではキリスト教の方が多い。
 C:兵役がキリスト教を広めたという側面もある。キリスト教は説教が終わるとお菓子を配る。それは兵役中でも同じで、軍隊生活において貴重な甘い物を求めて改宗する人が増えた。
また、日本に比べて宗教に厳格なので、嫁ぎ先で改宗する女性も多い(日本では結婚したからといって改宗する女性は少ない)。
◆C:参考として:李光洙(イ・グァンス)…日本統治下の朝鮮半島の作家。「朝鮮近代文学の祖」とも言われる。作品の内容は重いが、韓国の夏目漱石という感じだろうか(墓は北朝鮮にあるが)。
李光洙Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%85%89%E6%B4%99

『JR上野駅公園口』柳美里(河出文庫)

R読書会@オンライン 2021.05.29
【テキスト】『JR上野駅公園口』柳 美里(河出文庫
【参加人数】8名

<推薦の理由(参加者G)>
柳美里の作品は、芥川賞を受賞した『家族シネマ』以降触れていなかったが、この作品が全米図書賞を受賞したと聞いて読んで、日本の小説では珍しい構成を面白く感じた。海外の短編の作り方と似ている気がする。
◆鉄道自殺をしたホームレスが自分の来し方を語るという小説。
序盤では、主人公が死んでいるかいないかはっきり書かれていないが、だんだん謎が解けてきて、それが読み進める原動力になった。
◆街を漂っているというふうに持っていく話の作り方が面白い。「漂う」というのは主人公の無念さを表している。
◆主人公が上皇と同じ日に生まれたというのは対比を狙ったものだろうが、やや作り込みすぎと感じた。
◆自分で小説を書いたとき、「使い捨てはよくない」「自然破壊はよくない」という主張を登場人物に叫ばせたが、そうした書き方では伝わらないと指摘され、小説でしかできない書き方とはどんなものか考えた。この作品には直接的な批判は書かれていないが、読んでいて「出稼ぎのため家族と暮らせないのは理不尽だ」「原発とはよくないものだ」という思いが浮かんできて、効果的な作り方・構成がされていると思った。

<参加者A>
◆『家族シネマ』などを読み、問題意識を持った作家だと感じたが、生き様を切り売りするところが苦手になってきて遠ざかっていた。しかし、この作品を読んで「やっぱりすごいな」と思った。刺さってくるものがあり、とても感動した。
◆全米図書賞がどんな賞かわからないが、確かにこの作品には日本の小説にはない凄みがあった。2018年、同賞に選ばれた多和田葉子『献灯使』も面白そうなので読んでみたい。
◆『JR上野駅公園口』は、作者が2006年に「山狩り(行幸啓直前に行われる特別清掃)」の取材をし、そこから練りに練って8年ほどを費やした作品。
オリンピックが象徴になっているが(主人公が出稼ぎに出るきっかけになったり、オリンピックで東北の復興がないがしろになるのではという不安を感じさせたり)、作品が世に出る前に東日本大震災が起こり、コロナ禍が起こり……とても時宜にかなっている。世に出る時期を待っていた小説だ。2006年に山狩りの小説として発表されていたら、ここまで話題にならなかったのではないか。
◆浩一の葬儀の場面からは、ものすごい熱量を感じ、とても印象的。30ページが費やされており、これだけでも一つの作品になりそうだ。
◆主人公が母親から「おめえはつくづく運がねぇどなあ」と言われるのだが、これが作品全体を貫いている。お前のせいじゃない、という母親ならではの優しい言葉であると同時に、自分のせいではないからこそどうしようもない、という残酷な言葉でもある。
◆主人公は、熱心な天皇制の信奉者ではないが、鹿島にいたとき原ノ町駅天皇に手を振ったことを覚えている。
◆シゲちゃんの語りがすごく面白い。語り口は軽いが、シゲちゃんが語ることによって権力の横暴が滲んでくる。
◆主人公がホームに向かっていくとき、死に向かっていくときに見える光景がすごい。孫が優しくしてくれるのを断ち切るところもいい。
◆伝えたいことをどう伝えるか?→技術ではない。柳美里は、実際に南相馬市に移り住み、根を下ろし、現地の人から話を聞いて……主人公になりきって、なりきるだけでなく演じて魂を移している。「柳美里が言わせているのではなく、主人公を演じている」と感じた。
柳美里は演劇をしているだけあって、演劇で使われるような技法がうまい。公園を行き交う人々の会話が差し挟まれるところなど、演劇で、大道具を動かしてるときや幕間に登場人物が話しているところを思わせる。
天皇制の話が組み込まれているので全米図書賞を賞を受賞したのでは。天皇制は、欧米から見て、とてもミステリアスで理解しがたいものなので。
◆前回の読書会で『海炭市叙景』を読んだあと、映画『ノマドランド』『家族を想うとき』を観た。どの作品も貧困が根底にある。『ノマドランド』が「貧困」という価値観から飛び出す力強い映画だが、『JR上野駅公園口』では日本人らしく貧困を受け入れてしまっていると感じた。いずれの作品も、「格差」という全世界が抱える問題をテーマにしている。
柳美里は『石に泳ぐ魚』で、モデルになった女性からプライバシー権及び名誉権侵害を理由に損害賠償、出版差し止めを求める訴えを起こされている。何かに影響を受けて書くときの姿勢について考えさせられた。

<参加者B>
◆序盤、文章は読みやすいが内容は読みにくいと感じた。しかし中盤から終盤にかけては、謎が解けていく面白さがあった。
◆主人公について。ホームレスの生活の描写(コヤでの暮らし、寒さの感じ方など)がリアルだと思った。辛さを受け入れられる逞しさがあり、アンチヒーロー的なものを感じた。
娘や孫もおり、主人公に責はないのに、ホームレスになった理由がいまひとつ納得できない。このような理由でなる人もいるのだろうけど。
◆訛りが良かった。東北弁の語り口が、地の文で説明されていない人柄や性格を表している。
◆書き方について。読み上げられるお経や、薔薇展の描写が差し挟まれる部分に見られる、時が平行しているような書き方が面白い。時間の流れがわかっていい。最後まで読んで、こういう書き方をしている意味がわかった。
◆1回目読んだとき、ラストがよくわからなかった(なんで津波が襲ってくるんだろう、と)。最初のほうを読み返して、8ページに「生きていた……でも、終わった」とあるので、主人公が死んでいるのだとわかり、ラストも理解できるようになった。
2回読んで、ループしているなと思い、ループから抜け出すことができない圧倒的な絶望感を感じた。1回目読んだときは苦手だと思ったが2回目では納得した。
◆大多数の人が抱えているお金のこと、仕事のこと、人間関係のことなど……その根っこの部分がホームレスの目線で書かれている。現実的だからこそ面白く、社会的なテーマを孕んでいる。エンターテインメントではないが、こういう物語は好き。
◆感情的にならず淡々と語りつつ、こんなことはいけないと思わせる書き方がされている。

<参加者C>
◆出稼ぎ、原発など、日本の繁栄の影の部分を引き受ける東北の悲しさが出ている。津波は自然災害だが、原発が絡んでいることによる人災の部分がある。日本の影の部分を引き受ける東北や沖縄について考えた。
◆妻・節子の出産の場面に、貧しさによる時代の遅れが表れている。
◆主人公は大きな悲しみを抱えているが、不幸だったかというとそうではないと想う。出稼ぎから帰れば迎えてくれる温かい家族がいた。両親が死んだあとも、「夫婦水入らずの新婚旅行みたいな生活を送れた」と言われるくらい仲のいい妻がおり、妻が死んでからも、親思いの娘や優しい孫がいた。
主人公は不幸ではなかった。家族を不運に巻き込まないように逃げてきたのでは。悲しみのために上野駅公園に住むようになったのでは。
◆主人公と対照的に、シゲちゃんは失敗の尻ぬぐいを家族に押し付けて逃げてきた。主人公は全部自分が引受けてきたので。
◆この作品に天皇制が絡めてあることがしっくりこなかった。天皇制を結びつけて、それが天皇制の批判に結びつくのだろうか?
山狩りの理不尽さは感じるが、主人公は圧倒的な悲しみのために上野公園へ逃げ込んできたのであって、社会から追いやられ、来ざるをえなくなったわけではないので。
底辺にある人間を天皇制が理不尽に圧迫しているという批判に持っていくなら、選択肢がなくて上野公園に来たという設定でないといけないのでは。
◆小説でしか書けないことを書きたいが社会的に縛りがある。そんな時は、大きな虚構を作ってしまえばいいのではないか。例えば、小川洋子のように、全然違う世界を作り、その中で表現するなど。

<参加者D>
◆いろいろな意見を聞いて、自分がずれているなと感じた。この作品は苦手だなと感じながら読んだ。表現が詩的で入り込めず、悲劇が重なった一人芝居を観ているようだ。主人公がホームレスになる必然性はあったのだろうか(自分で選んでなったという点で)。格差社会や貧困に抗うのではなく、悲しみに漂っているようで腑に落ちなかった。大きなテーマとしてよくできた小説だと思うが、文体や構成は好きではなかった(孫娘が津波で命を落とすことも)。
◆何が評価されて全米図書賞を受賞したのか考えた。天皇制と、戦後の復興を支えた人たちについて正面から書いたことだろうか。
◆私は天皇制について、若い頃は尖った考えをしていたが、今の天皇は国民に寄り添うような人柄なので、これでいいやと思うようになっていた。しかし、この小説を読んで、本当にそれでいいのか考える機会になった。
天皇制について、また、経済成長を支えた名もない労働者について考える切っ掛けになったことに関しては読んでよかったと思う。

<参加者E>
◆最初から主人公は死んでいるのかなと思って読んでいた。一人称にしては視点が俯瞰的だったので。
◆主人公が死んでいるからこそ、孫娘が命を落とした震災を俯瞰的に書くことができた。
◆震災などの事件を直接書くのではなく、一人の人生を丁寧に描き、その中に落とし込む技法が使われている。
◆生活していると、自分と周りの人以外は景色として見てしまいがちだが、すべての人に人生があるのだと、この作品を読んで思った。
◆「山狩り」に、社会の歪みを感じた。解説にあった「ホームレスは天皇の祈りの対象ではない」という趣旨の言葉が圧し掛かってくる。
◆私は、この作品が天皇制への批判であるとは読まなかった(作者の意図とは異なるかもしれないが)。天皇は象徴であり人権もない。守られているが自由はなく、逃げ出すこともできない。ホームレスになることはないが、手放しに恵まれているわけでもないので。
そういう意味で主人公との対になっているが、天皇制への批判ではなく、同じ時代を生きた二人を、一人ずつの人間として並べたように感じた。
◆このテーマの作品に、詩的な表現が多いのは少し納得しかねた。

<参加者F>
◆話題になったときに購入し読んだが、最初は物語に入っていけず、視点もわからず、「遠いな」と感じた。リアリティがなく、淡々としすぎておりぐっとこなかった。柳美里のほかの作品とも違うと思った。
今回、読書会の課題になったことでラストまで読んで、主人公が死んでいることがわかった。8ページに「生きていた時も……」と書かれているので、実は早い段階で明かされている。気づかない人には気づかないようになっている。
◆すでに死んでいる主人公の回想として描かれているので透明感がある(実際はもっとどろどろしていたのかもしれないが)。読み返すと、浩一の死、葬儀の場面が印象的だった。雨が降る描写がとても綺麗。
東日本大震災で孫娘と犬が死んだ場面は死者の視線でなければ書けないので、主人公が死者であることの必然性がある。
◆ホームレス、天皇家、普通の人、3種類の異なる立場の人々が描かれている。主人公は死ぬことで高次元の存在になっており、彼らの会話を聞くことができ、俯瞰的に見ることができる。ホームレスも天皇も同じ、という次元まで来ている。
◆「原発反対」という目線でなく、出稼ぎをせざるをえなかった人の視点で描かれ、さまざまな問題に目を向けさせられる。
◆主人公は誰かを養うためだけに生きてきた人。最後、養う者がいなくなり、生き甲斐を失ったのでホームレスになったのでは。
ホームレスの中にはいろいろな事情の人がおり、主人公もその一人。出稼ぎ労働者だからホームレスになったわけではない。
◆舞台が上野恩賜公園であることに意味がある。そこで暮らす人々は、一般的な「ホームレス」ではない。
天皇家によって下賜されなければ、ホームレスもそこで暮らせなかった。ホームレスでありながら天皇家の恩恵で暮らしているという矛盾。だが、天皇家の公園なので、天皇家の人が訪れるたびに山狩り(ゴミ掃除)がある=ゴミと同じ扱いを受けている。
天皇家の人はホームレスを見ても冷たい視線を向けることはないと思う。しかし、そこを隠してしまうという日本人のいやらしさ。それを『JR上野駅公園口』は暴き出している。
天皇家が来るときだけ隠されるホームレス」……舞台が上野恩賜公園である必然性がこの作品のキモである。
◆ゴミ扱いを受けるということは、人間の尊厳、ここだけを守らなければという部分を踏みにじられている。「ホームレスが可哀そう」という議論ではなく、人間の尊厳を奪われることについて投げかけられている。
上野恩賜公園のホームレスだけでは物語にならないので、東北の出稼ぎ労働者であったり、東日本大震災であったり……出てきた要素を繋いで巧く作ったなと感じた。
◆ホームレスと天皇だけの問題でなく、東日本大震災なども絡めたところが海外でも評価されたのでは。

<参加者G(推薦者)>
◆この小説を最初に読んだとき、構成に衝撃を受けたものの暗くて「これどうだろう」と思った。どうして主人公が天皇と同じ年に生まれた設定にしてあるのか、なぜこの上野公園を舞台に選んだのかわからなかったが、読書会を通じて理解できた。
◆自分で物語を作るとき、書きたいテーマについて調べ、何と何をくっつけられるのか考え、登場人物のバックボーンを考え……筋を作っていくことについて勉強になった。
天皇制を結びつけることについてはしっくりこなかった。

<参加者H>
◆最後、幽霊になってしまった主人公が、出稼ぎ者の人たちの想いと一緒に東北へ帰ったように感じた。出稼ぎ者たちの故郷を想う気持ちが故郷を滅ぼし、主人公の故郷を想う気持ちが孫娘を飲み込んでしまった――そう感じ、ずしっときた。
(以下、通信の不具合によりチャットより)
◆家族のために働いているけど家族のことを何も知らない主人公と、国民のために働いているけど国民のことを何も知らない天皇が見事な対比になってますね。
◆普通の人たちのどうでもいい会話を淡々と点描していくところ面白いですね。

<フリートーク
◆放送中のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』にあった、過去・未来・現在についての台詞を思い出した。
※こちらのサイトに書き起こされています。「過去とか未来とか現在とか」で検索してみてください。
https://drmtxt.com/2021-spring-drama/mameo/post-3100/
◆死者の視点ではあるが、意識の流れ中継だと思った。過去の回想、ラジオのニュース、通行人の会話などが次々と入ってくる。いろいろなことが雑多になっている人間の意識そのものだ。
独特の意識の流れ、上野恩賜公園の平和な日常、震災で孫娘と犬が死んだ場面など、小説でしか書けないし、絶対に映像化できない。
◆ドキュメンタリーのようにいろいろなことを詰めこんでいる。
◆わかりやすく時系列を追うのではなくシャッフルしている。意識の流れ小説に通じる読みにくさ。読み手の耐性を試している小説でもある。
◆主人公と天皇の年齢が同じという設定はやりすぎ感もあるが、同じ時代を生きた読者、あるいは読者の親世代に、主人公を重ねてほしいからではないか。
NHK連続テレビ小説おしん』も昭和天皇と同い年に設定されており、昭和天皇に観ていただきたいのでそのようにしたらしい。この作品も、今上陛下が読んだとき、ご自身や上皇陛下の生き様と重なるのではないだろうか。
柳美里は批判精神の強い作家だと思うが、この作品から天皇制への批判は感じなかった。シゲちゃんが猫に直訴させようと冗談を言っているくだりからは「私たちを見てくれ、観察にきてくれ」という想いが読み取れる。
柳美里在日韓国人であり、天皇制とは少し距離感があるからこそ書けたのでは。
◆貧困や原発など、作者が感じている社会の歪みを考え、辿り着いたのが上野公園のホームレスでは。
◆ホームレスになる必然性が弱いという意見について:逃げざるをえなかった理由があるほうが、わざとらしくなるのでは。
◆映画『ノマドランド』でも、定住したらどうかという勧めを断るシーンがあるが、その気持ちはわかる。強がっているわけでなく、尊厳や、自分らしく生きるという想いがある。
◆死んだ息子の写真が証明写真しかない、というのがずしりとくる。
◆一括りに「ユダヤ人」「ホロコーストにあった人」と言ってしまうより、「一人」を描かれたほうが突きつけられるように、「ホームレス」というより「一人」を描かれたほうが胸に刺さる。
柳美里は「知ってほしい」という強い想いが、書く原動力になっているのでは。ホームレスの中に一歩も二歩も入って話を聞くという信念や執念は強い。
◆普遍性をもたらすために多くのことを考えたのだろう。
◆読者に寄り添ってポピュリズムな小説を書けばいいのに、敢えてそうしていない。
◆好き嫌いが分かれる作品だと思う。
◆構成が綺麗で私はそこに惹かれたが、受け付けないという気持ちもわかる。現実はここまで綺麗なものではないので。
一方的に礼賛するのは問題だが、このような人たちの存在に私たちが気づいていないということを気づかせてくれる作品である。
◆昔は天王寺にもたくさんのホームレスがいたが、今は綺麗な芝生になっている。彼らはどこへ行ったのだろう? どこかに隠されている? 社会の歪みを感じる。
カナダでも、公園に住み着いた人たちがコロナの影響で追い出されたようだが、彼らはどうしたのか? ホームレスとして生きるなら、都会でなければ生きられないはずなのに(田舎には住むところや食べ物はあるが、生活するには自分で何とかしなくてはならない。都会では店の残り物などを手に入れることができる)。

「悪禅師」(『炎環』より)永井路子(文春文庫)

Zoom読書会 2021.05.22
【テキスト】「悪禅師」(『炎環』より)永井 路子(文春文庫)
【参加人数】4名

※現代において男性/女性と言い切るのは好ましくないが、男女の社会的役割が分けられていた時代を描いた作品なので、男性/女性と表現する。

<推薦の理由(参加者D)>
鎌倉幕府の創成期を描いた作品なので、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(作・脚本:三谷幸喜)の予習にいいのではと思い推薦した。
永井路子の作品は読みやすく、『姫の戦国』(文春文庫)なども面白かった。『山霧 毛利元就の妻』はいまひとつだと感じたので他のものを読んでほしい。
多くの人に歴史を好きになってもらいたいと思う。

<参加者A>
◆作者は大正14年生まれとのことだが、古さを感じず読みやすかった。
◆「悪禅師」だけでなく、『炎環』すべての作品を読んだ。一番印象に残ったのは「黒雪賦」。義経ものなどで、感じ悪く描かれていることが多い梶原景時だが、この作品では、武家の世を築こうという信念を持った人物として書かれていたので。
◆頼朝、範頼、義経(牛若丸)は有名だが、全成(今若丸)については名前くらいしか知らなかったので興味深く読んだ。
義経が主役の作品は少しだけ読んだり観たりしたが、同じ兄弟でも、頼朝や範頼に比べて、全成はそこまでスポットが当てられていなかったと思う。
◆保子の造形がとてもいい。P61でぞわっとした。史実通りにストーリーを進めつつ、そこにキャラクターを当て嵌めていくのが巧い。
◆阿波局を調べて知ったのだが、『曽我物語』には政子が阿波局から吉夢を買い、頼朝と結ばれたという話があるらしい。物語だから史実ではないし、この作品とは関係ないと思うが、この姉妹の関係は、昔からいろいろ想像されていたのだなと面白く感じた。

<参加者B>
◆普段は純文学のほうに馴染みが深く、歴史小説は苦手なのだが、この作品は人物像が深くて興味深く読んだ。「人」というものが書かれている。
◆「悪禅師」のほか、「いもうと」も読んだ。私はイヤミス(後味が悪く、嫌な気持ちで終わるミステリー作品)も好きなのだが、それよりも面白いと感じた。
◆「悪禅師」「いもうと」以外の作品は、人物の名前を覚えられなかった(聞いたことのある人物ばかりではあるが)。
◆戦に行く際の装束や雰囲気を巧く書いていて、この時代の男性はそこに高揚したのだろうか。謀をして、何騎の馬が来て……というのに高揚するのは理解できるが、首を取るなどの血生臭さが私には受け入れ難い。
◆ずっと大人しくしていた全成が野心を秘めていたように、謀をしながら上り詰めていくのが男性にとっての武家社会なのだろう。
◆「いもうと」について。保子のような人に実際に会ったことがあるので、彼女の性格はイメージしやすかった。根掘り葉掘り聞きだして、他の人に漏らしてしまう、ということを悪気なくできる女性。悪気はないのだが、天性の悪女だと思う。政子のような真っ直ぐな気性の女性には、保子を理解できないだろう。
◆保子も政子も、自分の子供を殺されている。現代の女性なら発狂しそうなほど凄まじい時代だ。
◆保子は「赤ちゃん(=自分の思い通りになる人)」が好きなのだと思う。「赤ちゃん」を命がけで守る。母性の本性はとても怖いものだ。
また、天真爛漫に見えるが、無意識に人を引っかけようとしている。人を陥れようとするとき、男性は頭で考えるが、女性は無意識にする。そうして、歴史を動かしていく。
◆最後は、傀儡となった、倒れそうな政子の後ろで保子が赤ちゃんを抱いている。これは人間劇だ。推薦してもらってよかったと思う。

<参加者C>
◆戦は男の野望、という話が出てきたが、その裏には女の陰謀がある。鍵を握っていたのは女性ではないか。「歴史の中で、まだ注目を浴びていない女性を見つけ、作品に生かせるのでは」と思わせてくれるのは永井路子の作品だ。今までと違った視点の小説を書くヒントがある。
◆名前はわかっているが、あまり知られていない人物を掘り起こすのも面白い。
たとえば……南北朝時代後醍醐天皇を影で支えた阿野廉子阿野全成の子孫だと言われている。南北朝ものを書くときに一言そう書けば、作品に深みが出て、歴史の面白さも伝えられるのではないだろうか。
◆『炎環』の保子について。阿波局の口の軽さが梶原景時の一族が滅びる切っ掛けになったという史実が実際にあり、そこからに読者がイメージしやすい(読者の身近にいるような)登場人物を作ったのだろう。よく知られている史実に、身近にいそうなキャラクターを登場させて……というのが永井路子の物語の作り方。だから読みやすいのだと思う。
:保子の場合は、(身近にいそうな)口の軽い女性。
◆「悪禅師」の主人公・阿野全成は作中であまり動かない、待つタイプの主人公である。主人公として面白くない(妻・保子のほうが面白い)。作者は、そこに彼が脚光を浴びなかった理由を込めたのでは。
たとえば義経は自ら動き、華々しく生きた。家来もおり、それなりに活躍した。
対し、全成は家来もおらず、野心のための準備もせず、何もしなかった。積極性のない人物が成功するわけがない、というアンチテーゼだと読んだ。地味だが、人間の生き様として納得できた。
◆この作品が原作の一つとなっている大河ドラマ草燃える』(1979年)を見直したが、原作に忠実に作られていた。来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』と、どちらが面白いか楽しみだ。
◆佐藤雫『言の葉は、残りて』(集英社)も、女性的な繊細な書き方で書かれているので、ぜひ読んでほしい。

<参加者D(推薦者)>
◆「悪禅師」は全成の視点なので、保子を始めとした登場人物の見方がフラットだ(頼朝や義経に対しても)。たとえば、義経は天真爛漫で、自分の正義が、頼朝の正義とベクトルが合っていないということに気が付かず、自らが信じる道を進んでいるのだが、全成から見ると「あほやなあ」という感じなのだろう。
◆全成は保子を通じて頼朝と接点を持っており→黒子になろうと画策し→頼家によってどんでん返しにあう、というプロットがよくできている。
◆頼朝について、地の文で「兄」と呼んだり「頼朝」と呼んだり……心情による使い分けがすごくうまくできている。
◆読むのは3回目くらいだが、結末がわかっていても面白い。
印象的なのは、義経の首を見て、冷静に「自分はあのようにはならない」と思っているのに、どんでん返しで失脚してしまうところ。

<フリートーク
◆保子は、天然を装って企みがあるというキャラクター。読者の身近にいる人を連想させるので、複雑でありながらわかりやすい。小説における人物造形として、「単純でわかりにくい」よりもいい。
◆保子が、政子や日野富子淀殿と違うのは、気の強さが表面に出ていないところ。保子は、いいのか悪いのか、敵も作っていないようで、その実、意図せずして人を陥れているところがある。
日野富子にしても淀殿にしても、すでに出来上がったイメージがあるが、保子の場合は、知っている人が少ないので自由に作れる。作者としては便利。この作品の場合、目立たなくて二番手で、平穏を得ているというキャラクター。
◆現代では、全成のようなタイプの人物は、謀がばれなければ成功するのでは。能力がないほうが、周りに人が集まるので。
◆作品の中から読み取る限り、全成は「この人を立てよう」と周りから思われる人ではなかった。自分自身、何ができるかわからなかったが、準備もせず、最後に突っ走ってしまった。何もせず、なりゆきに任せ、機会を伺っていただけ。
◆現代で言うと……国民からは「あの人?」と思われていた鈴木善幸海部俊樹だが、見えないところできちんと画策する人なので周りからは認められていた。この作品の全成は彼らとは違い、裏で何もせず、顔色ばかり見て失敗する人物として描かれている。
◆女性社会では、顔色を窺う人は結構生き残るかも。スクールカーストでは二番手にいる人が一番安全なので。トップは最下層に落とされる可能性がある。
常盤御前も。彼女は「生きるために身を任せた」というほうが近いかも?
◆男は首を刎ねられるが、女性は失脚しても再起できる。cf:則天武后
◆北条はなぜ将軍にならなかったのか? 北条にも得宗家と分家があり、得宗家から出た執権は強く、分家の執権は弱い。その辺りも考えさせられる。
松井優征『逃げ上手の若君』(『週刊少年ジャンプ』で連載中)は北条時行が主人公でよくできていると思う。
◆イギリス王家と鎌倉の執権は、その徹底ぶりが似ているという話がある。
◆この時代は仏教だが、教えとして「人を殺してはいけない」などはなかったのか? 殺し合いがとても多いが。
鎌倉幕府と武士の関係は、土地を安堵してくれるから従おうか、というような利害関係。赤穂浪士のような主従関係は、鎌倉時代にはありえなかった。