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R読書会/Zoom読書会

『海炭市叙景』佐藤泰志(小学館文庫)

R読書会@オンライン 2021.04.24
【テキスト】『海炭市叙景佐藤泰志小学館文庫)
【参加人数】6名

<推薦の理由(参加者F)>
佐藤泰志の作品が好きだから推薦した。
佐藤泰志は5度、芥川賞の候補になったが受賞には至らなかった。それが理由かはわからないが、1990年に41歳で自ら命を絶った。
死後、すべての作品が絶版となり時代に埋もれていたが、2007年『佐藤泰志作品集』が刊行されて以降、再評価が進み、いくつかの作品が映画化されるなどしている。
その作家の作品を、みんなで読んでみたいと思い推薦した。

<参加者A>
◆全体的に暗かったので読みづらかった。私は人物が立ち上がらないと読めないのだが、(短編がたくさんあるので)それを何回もしなくてはならないので時間がかかった。読み切ることができず、「大事なこと」の辺りまで読んだ。
◆短編を積み上げることで長編にならないかと思い、自分でも挑戦したことがあるが、一編一編があまりに短いと読者に負担をかけるものだと思った。
◆いろいろな風景、いろいろな人物を描きながら、海炭市という街や“街となり”を描きたかったのかなと感じた。
◆前回のテキスト(『密やかな結晶』小川洋子)は、場所を克明に書くことで物語を立ち上がらせるという作品だったが、『海炭市叙景』は人物を書くことで街を浮かび上がらせる手法だろうか。
◆共感できる登場人物、共感できない登場人物、どちらもいる。一番共感できるのは「まっとうな男」の主人公・寛二。時代に取り残される苛立ちがよくわかる。

<参加者B>
佐藤泰志の作品が原作になっている映画はたくさん観た(『きみの鳥はうたえる』、『オーバー・フェンス』、『そこのみにて光輝く』など)。『海炭市叙景』は、映画と原作がだいぶ離れている。
◆『海炭市叙景』は暗くて気が滅入ったが、好きな短編もいくつかある。ただ暗いだけでなく、その中に明るさを持つ作品がいい。
「この海岸に」。満夫が市営プールに行こうとしているところ、車を買おうとしているところがいい。
「まだ若い廃墟」。死んだ青年(主人公の兄)が、この街で過ごしていこうとしているところが好き。
「一滴のあこがれ」。淳が、夏になったらダイビングをしようとしているところがいい。
「黒い森」や「この日曜日」も好き。
◆海炭市全体を有機的に書けているかというと成功してはいないと思う。モデルである函館市から架空の海炭市と名前を変えるほど街自体はできあがっていないと感じる。
◆前半は繋がっているが、後編は繋がっていない。
◆30年ほど前の、私の学生時代の頃くらいの話だと思うが、男女の関係性など古い感覚を苦手に感じた。男の哀歌のような印象を受ける。

<参加者C>
◆「男の哀歌」という意見を聞いて、確かに主人公の多くが男性だなと思った。
◆孤独を描き出しており面白かった。短編集はすごく好き。海炭市という架空の物悲しい街をいろいろな人の視点で描くことで浮かび上がらせている。あまり繋がりのない短編同士を土地で繋げているという書き方も面白い。
◆救いがないのがとてもリアル。冷淡というか、淡々というか。哀歌的という表現も出たが、鬱屈をうまく書いている。変に救いがないのもリアルで好き。
◆私は短編集を読むとき、面白い作品は◎……とか順位をつけながら読むのだが、『海炭市叙景』では「まっとうな男」が一番好き。ラストで、主人公・寛二が唯一の友達だと思っていた漁師の友達が「なあに、あいつは昔からああだった」というところがいい。
2位は「裸足」。よくわからない不思議な話だが面白い。
3位は「夜の中の夜」。
4位は「衛生的な生活」。暴力的なことは出てこないが、職安にくる求職者は自分と違う存在だと思っている啓介が、職場(職安)の中で、他の職員たちから違う存在だと思われているというところが胸に刺さる。中流階級の痛みがよく出ている。
5位は「この日曜日」。視点が交互。こんな書き方をしてもいいんだと思った。面白かった。
6位は「夢みる力」。ページ数が少ないせいもあるだろうが、競馬好きからすると違和感を感じるところもあった。最後の勝負は外れていてほしい。
◆私も短く暗めな小説を書くが、このような書き方をしても面白いなと思った。人によって好みはあるだろうが。

<参加者D>
◆「まだ若い廃墟」の主人公と兄は、不幸な境遇だと思うが、私小説に見られる湿った語り口ではなく、あっけらかんとした明るさがある(ビールを飲む場面など)。
苦しい中を二人は生きてきたが、数百円のお金がないために兄は死んだ。一生懸命生きてきた二人を死に追いやった海炭市の産業の衰退が描かれている。
◆読んでいて辛くなった。
◆一番面白かったのは「しずかな若者」。この作品の中では珍しく上流階級に属する青年で、他の作品とすこし設定が違う。主人公・龍一は両親の離婚で安定していた生活が変化した青年。海炭市で過ごすのは今年が最後だとわかっているのに女の子と来年の約束をするなど、自暴自棄まではいかないが不安定である。言葉にならないことをよく書いている。ラストの、希望があるかないかわからないところにぞわぞわした。
◆私は小説を書くとき筋を決めて書くが、この作品を作者は考えながら書いたのではと想像した。

<参加者E>
◆丁寧に丁寧に海炭市が積み上げられて、そこに暮らす人々の息遣いが聞こえてきた。
◆連作は好き。この短編集では、一つの作品の人物が別の作品で重要人物になっているということはないのだが、確実にその世界に存在しているなと思わせてくれる。とくに路面電車がところどころに出てくるところにそう感じた。
◆一作目「まだ若い廃墟」が重かったので、こんな感じの話が続くのかと思ったが、市井の人の日常を丁寧に掬った話が多く、この街で生きる人々、人の営みが愛おしくなった。偏屈に見える人、見栄っ張りな人、堅実に働く人、ギャンブルに入れこむ人……それぞれの物語が尊いと思う。
◆希望とか絶望とかじゃなく、本当にリアルな日々の暮らしの一幕という感じがした。
◆大きな事件は起きていないように見える話だが「ここにある半島」「大事なこと」が好き。「大事なこと」は、大事なことってそんなものだよなと、とても腑に落ちた。
◆「裂けた爪」「衛生的生活」で視点が変わるのもいいと思う。本人もわかっていないことが明かされるが、誰をも嫌いにはならなかった。「裂けた爪」に出てくる千恵子には少し腹が立ったが、彼女にも彼女の物語があるのだろうし、想像するのも楽しい。
◆私は解説を後から読むのだが、解説を読んで、各作品のタイトルが詩から取られていると知って、なんとなく納得した。とくに「まだ若い廃墟」は詩的だなと思っていたので。
◆(解説を読んで未完ということも知ったが)消化不良は起こさなかった。
「まだ若い廃墟」で死んで、太陽に晒されている青年の遺体と、「しずかな若者」の、太陽が照らすだろう……が対比だと思えたので、まとまりもよかった。でも、夏と秋も読んでみたかったという気持ちもある。
◆「しずかな若者」は、村上春樹を思い出した。解説を読んで作者と同世代だと知って納得した。

<参加者F(推薦者)>
◆一編一編は短いが、その短い中で変調することがあり小気味いい。
◆「まだ若い廃墟」と「しずかな若者」がいいなと思った。
「まだ若い廃墟」。P18「わたしはこの街が本当はただの瓦礫のように感じたのだ」から本心を出すところがすごくよかった。
「夜の中の夜」。幸郎はユキオと読むのかと思ったが、「サチさん」と呼ばれたところで読み方がわかって面白かった。しかし本名は別にある。それが彼の境遇を表しており、うまいなと思った。
「裂けた爪」。のいいのは、P75「アキラちゃんをかわいいと思っているのだろう」…「それならどうして、奥さんがアキラちゃんをかわいがることができるだろう」…ひっくりかえすのがすごい。鮮やかだと思った。
「衛生的生活」もいい。煙草にこだわり、ベストセラーを読む主人公を、「いったいどんな自尊心だろう」と突き放す姿勢。
◆具体名を出すことで輪郭が明らかになる。曲目を出したり、ロミー・シュナイダーに似ているとあったり、具体的な名前の出し方に意味があるなと思った。
「しずかな青年」に出てくる作家・パヴェージェも自殺している。佐藤泰志はパヴェージェの影響を受けており、(この作品にパヴェージェを出した時点で)ここで終わらせるつもりだったのでは。=未完ではない?
参考 : チェーザレパヴェーゼWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%BC
◆多くの短編から成っているこの作品が「読みにくい」という意見には同感。
佐藤泰志は、等身大の主人公を書くことを貫いていたのに、この『海炭市叙景』だけ、いろいろな人間を描いている。意欲作だから素晴らしいという意見と、意欲作だから不完全燃焼という異なる意見がある。
また、「性別・職業に至るまで様々な人間を、40歳になるかならないかの青年が書くとはすごい想像力だ」と思う人、「書ききれていない。それぞれが浅い」と思う人、どちらもいる。
◆暗いという意見があるがタイトルはいつも明るい。明るい面が内容にも結構ある。作者自身が死への願望が強いからこそ、明るい言葉を使っているのではないだろうか(「そこのみにて光輝く」など)。

<フリートーク
◆パヴェージェとはどんな作家かと思い、調べたら、42歳で亡くなっていることがわかり、刺激されたのかなと思った。
「何も隠してはならないんだ」…わからない。わからないが面白い。不安な感じはあるが、そこまではわからない。
佐藤泰志には「美しい夏」という作品もあり、これもパヴェージェのオマージュである。
佐藤泰志の研究者によると「虹」が一番傑作だそうなので読んでみたい。
村上春樹と似ている部分もある。東京にいたとき、ジャズ喫茶にも通っていたのでは。当時の若者はこんな感じだったのかも。
◆「しずかな若者」の主人公だけセレブで生活感があまりない。ほかの作品の主人公はギリギリの生活を送っているが、希望を失わずに生きている。
◆この作品が書かれたのは、炭鉱が閉鎖したり、国鉄が民営化されたり、地方が衰退していった時代。今の日本も失業率が高く、当時と近いものがあるので共感を呼び、見直されているのでは。
◆「しずかな若者」できれいに終わらせている雰囲気はあるが、この作品は未完。Dさんの「結末を決めず書いているのでは」という意見を聞いて、なるほどと思った。
◆書く上での決まり事は多いと思っていたが(作品の結末を決めていなければならない、面白くなくては、ストーリーを決めなくては……)、この作品は日常のリアルを淡々と書いているだけなのに面白い。
「昂ぶった夜」も、そのまますっと終わる。すごくさらさらしている。終わりが決まっていなくても書いていいんだという勇気をもらえた。
◆リアルをきっちり切り取っていればストーリーなどなくてもいいんだなと思った。私はストーリーを求めるがためにリアリティを犠牲にすることが多いので。ここまでリアルだと面白い。とくに感情がリアルである。
◆渋い小説。ちゃちではない。苦しみながら、心が通い合わなくてすれ違いながら、ギスギスしながら、それでも生きていく、というような。
◆救いがないのが救い。
参考:映画『マグノリアポール・トーマス・アンダーソン監督(1999年アメリカ)。救いはないが、必死に生きている人々が愛おしい。
◆「まっとうな男」。自分の金で飲んでいるんだ:スタンダードどころか法律からも外れているが、それがすごく面白い。面白いが、主人公の怒りがよく理解できる。
自分のお金で食べてきたのに世間にうまく馴染んでいない。世間(を象徴する警官)にやられたときに言い返すのが孤独を浮き立たせている。
◆独特の文体で、登場人物と筆者の距離感が好き。どの作品も、一定の距離をうまくとっている。
私は書いていて登場人物に感情移入をしてしまうが、この淡々とした書き方はどうすればできるのだろう。
◆三人称の小説では、だいたい視点人物に寄り添った語りになると思うが、この作品ではあまり寄り添っていない。
◆外国の短編集のよう。読んでいて気持ちがよかった。
佐藤泰志が高校時代に書いた作品を読んだが、文章がうまく、人物がイキイキと立ち上がっていた。→『海炭市叙景』は朴訥な書き方で、ものすごく文章が上手な作家というわけではないと思ったが、書き方も雰囲気に合わせていたのかも。
あまり多くを説明せず余韻を残す。空白を情景にこめる。美文麗文にまとめるのは嫌だったので無理にゴツゴツとさせたのではないか。
佐藤泰志の小説を初めて読んだが、ほかの作品と『海炭市叙景』は違うのか?→ちょっと異質。こんなに視点を変えてスケッチをしていく作品はほかにない。作者がずっと温めていた構想だった。
◆うまく工夫して書かれている。いい作品を薦めていただいたと思う。

『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』阿部暁子(集英社文庫)

Zoom読書会 2021.04.17
【テキスト】『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』阿部暁子(集英社文庫
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
南北朝時代」というと馴染みがない方が多いはず。たとえば織田信長豊臣秀吉なら、歴史にあまり詳しくない人であっても知っているだろうが、(南北朝時代の)足利尊氏など名前は知っていても馴染みは薄いのではないか。そこで、この作品なら南北朝時代に興味を持ってもらいやすいかと思い推薦した。

<参加者A>
南北朝時代に疎いほうではあるが、読み始めるとさくさく前に進んだ。北朝南朝の人物整理がすっきりしており入りやすかった。いろいろな人物が入れ代わり立ち代わりというのではなく、わかりやすく配置されているので、南北朝時代への入り口としてはいいと思う。
◆キャラクター造形もわかりやすく、シンプルに読みやすい。
◆主人公・透子に主軸を置いて考えると、身内からの情報だけで社会情勢を判断していた彼女が、市井に生きる人々や、権力者の(権力者としての面だけでない)人格を知ることで成長し、帰っていく物語である。=(読者にとって)身近な主人公の成長物語。
ざっくりと言うと教養小説(Bildungsroman:ビルドゥングスロマーン。主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説)に含まれるかもしれない。
◆透子は行宮を出奔するまでは、敵方について「観念的な悪」としか思わず、楠木正儀北朝に帰順した理由もわからなかったが、さまざまな出来事を通して理由を知っていく。
◆芝居やドラマにしても面白そうだ。
◆P138の義満の台詞「知らぬものは知ればいい。恥ずべきことは知らぬことではなく、知ろうとせぬことだ。知らぬおのれを恥じ、知りたいと願うなら、おまえはなかなか見込みがある」…これがこの小説の核心の一部ではないだろうか。

<参加者B>
◆私も南北朝時代には馴染みは薄く、楠木正成足利尊氏あたりの話を『山賊王』(沢田ひろふみ)という漫画で知っていた程度だが、すんなり入っていくことができた。
主人公・透子も世の中のことをあまり知らないという設定なので、読者は透子と同じ目線で登場人物や社会情勢について知っていくことができる。
◆「主人公の成長」というテーマと、「それぞれの正義にどのように落としどころを見つけるか」というようなテーマがあると思う。
◆歴史的事件の裏を書く……という作品が多いが、この作品はそうではなく、歴史には残っていない暗闘を創作して描いている。それだけにどう展開するのか予想できず面白かった。
◆面白かったのだが、(戦闘シーンはあるものの)話し合いで戦いが収まった感があり、少し物足りなくもあった。

<参加者C>
◆室町というと、南朝北朝足利尊氏金閣寺銀閣寺、将軍は十五代まで……くらいしか知らなかったが面白く読めた。
◆力のある書き手だということはわかるが、台詞など、無理やりライトノベルにしているのでは? と思う部分がところどころあった。私は、読んでいてそこがしんどかった。もっと重厚な歴史小説を書ける作者だと思う。
◆家や血筋、血統にこだわる、大変な時代だと感じた。
◆ストーリーは、大きな山場がなく、小さい山場がいくつかあり、ラストへ向かっていく構造。一部が史実で、一部が創作。
◆キャラクターがとても上手く作られているだけに、ステレオタイプであるのがもったいないと思う。
◆面白かったのだが印象には残らなかった。すごく巧いのだが、それゆえに骨組みが見えてしまう(読者をここで引っ張って、ここでドキドキさせて、ここでイライラさせて……という作者の意図がわかってしまう)。

<参加者D>
◆非常に面白い。人物の背景、それにともなう行動原理が納得しやすかった。
◆(『ローマの休日』のように)何も知らないお姫様が、義満たちに会うことで「敵方には敵方の正義がある」ということを知っていくストーリーに説得力があった。
南朝北朝に別れ、それぞれの中でも争いがあり、弱体化したほうが敵方と手を組んで……というように入り乱れた時代だが、その部分を差し引いてもストレートに読めた。
南北朝時代のエントリー小説としていいと思う。ここから興味を持って、『太平記』などを読み始める人もいるかもしれない。
斯波義将のキャラクター造形がウィークポイントではないか。後半で重要な人物になるのだが、登場時の印象が薄かったため、伏線を読み飛ばしてしまったのではという感覚に陥ってしまった。前半でもっと義将のキャラクターを浮かび上がらせたほうが読みやすかったと思う。

<参加者E(推薦者)>
ライトノベルを意識しすぎているという意見があったが、私は逆に、コバルト文庫出身の作者がライトノベル感を控えめにしていると思った。
◆重厚さ、重々しさがない。逆に言うと胃もたれせず、さらっと読める(=読みやすい、馴染みやすい)。歴史小説の一つのアプローチだと思う。
◆はねっかえりのお姫様、俺様な将軍などステレオタイプのキャラクターは、学園ものだとありきたりだが、歴史小説においては斬新。歴史小説というと重厚に書いてしまいがちだが、キャラクターの立て方など、(自分たちが創作する上で)取り入れることができるのでは。最近はキャラクターを重視する傾向にあるので、勉強材料になると思う。
◆歴史的な事実も綿密に調べられていられる。知っている人は「ここまで書かれている」と思うのではないか。ex)左京と右京があり、右京は寂れている……など。
◆透子内親王は架空の人物だと思うが、いろいろ想像できる。一休さんとして知られる一休宗純後小松天皇落胤と伝えられており、母は南朝方の女性であったとも言われている。彼女を北朝へ連れてきたのは楠木正儀では……という読み方もできる(意図されていたのかはわからないが)。
◆新しい作品を書くヒントはないかと読み始めたが、ヒントに溢れた作品だった。
◆参考:室町を書いた作品として『獅子の座―足利義満伝』(平岩弓枝)。観阿弥世阿弥も登場する。
観阿弥と正儀の親戚関係については『華の碑文―世阿弥元清』(杉本苑子)において重厚に書かれている。
観阿弥と正成については、『うつぼ舟Ⅱ 観阿弥と正成』(梅原猛)という本もある。

<フリートーク
観阿弥と正成は、吉川英治も伯父と甥という説をとっており、大河ドラマ太平記』でもその設定が使われている。
◆いわゆる歴史小説よりしつこくなく、すっきりしている。入門編としては良い。
◆作者が「コバルト文庫出身」と聞いて腑に落ちたところがある。コバルトというと少女小説。作者の得意なところを歴史小説に持ち込んだな、と。
何も知らない女性(:転校してきたり、新任の先生だったり……)がちょっとした事件を解決し、成長していくというストーリーが多い。少女の主人公を中心に、(恋愛に限ったことでなく)彼女が社会を知っていく、というような。→その論理を、核を守ったまま書き、歴史小説に生かしている。
◆キャラクターという意味では、前面に出てくるのは透子。何も知らない人物を主人公にする利点がある。
・透子は先入観なく、客観的にものを見ることができ、ある程度の公平性を担保しているため、主人公としてバランスがいい。
南北朝の説明は面倒だが、さらっと読んでいいところは、主人公に「わからない」と言わせれば、そのように読者を誘導できる。
・すべてを見通した主人公も頼もしくていいが、何も知らず右往左往する主人公は感情移入しやすい。
・読者は、彼女と一緒に(作中の)世界を知っていく。ライトノベルや漫画だと、転校生や編入生が学校のルール、情勢を知っていくパターンが多い。ex)『花より男子』(神尾葉子
シリーズものの場合、巻を重ねるごとに重厚感が出てきたりする。
◆キャラクター小説としても巧い。鬼夜叉(世阿弥)についても、「若いとこんなことも言うだろうな」と思わせるし、猿楽師といっても特例的な地位にあるので動かしやすい。
◆唐乃にリアリティがなく引っかかった(栄養状態など)。
上記意見に対し:「貴人に同性のお付きの人がついている」というお約束がある。お付きの人がコミカルな役を担ったり、合いの手を入れたり……。ex)『ドン・キホーテドン・キホーテサンチョ・パンサ、『暴れん坊将軍徳川吉宗と歴代じい、等
その二人の掛け合いからストーリーが始まったりする。
細川頼之斯波義将などの有名人物は、重厚な歴史小説なら書き込まれるが、この作品ではあっさりしている。今回は道具立てだろうか。必要なら続編で書けばいいし、巧く書いているという見方もできる。
細川頼之斯波義将のキャラクターが似ている(似ているように感じた参加者が二名)。両方を一廉の人物として書いてあるのが混同する原因か。
◆四郎(観世四郎)は登場しなくても成り立つが、史実では後に重要な存在である:四郎の子孫によって観世流が現代に伝えられている。続編を作るときにも登場させられる。
◆ほぼすべての主要人物が美形なので、観阿弥の美男子さが際立たない。
:綺麗どころが多いのはコバルト論理? 少女の興味があるもの以外は書かない。
ex)雑誌『女学生の友』(小学館)。コバルト文庫と、直系ではないが文化的な血の繋がりがある。
◆私たちは小説を書くとき、これほど思い切ってキャラクターを作らない。もっとリアルに近づけようとする。しかしライトノベルだと思い切ったキャラクター造形が許される。自分が創作する上で、どこまで参考にできるかな、と思う。
◆伏線を張る楽しみについて。小説を書くとき、後から伏線を入れることがあるが。この作品にも、そういう部分がたくさんあるのでは。分析するのも面白い。
◆山場(ラストの乱闘シーン)に至るまでが長い。全体を見たとき、200ページほど人物説明が続いている(それも面白く読めるが。プロでないと、そこまでもたせられない)。起承転結のうち、転結が圧倒的に短い。
歴史小説というと戦国時代や江戸時代に偏りがちで、室町時代は今まで扱われることが少なかった。学校でも、教える教師自身が興味を持っていないのかすぐ終わってしまう時代だった。創作の穴場では。
◆表紙のイラストについても、「イメージが固定されてしまう」「表紙に惹かれて買った」などの意見が交わされた。一般文芸作品の表紙をイラストにしたり、ライトノベルとして刊行された作品の表紙を(後に)一般文芸作品のようにしたり……というようなことはよく行われている。

『虚構推理』城平京(講談社文庫)

Zoom読書会 2021.03.20
【テキスト】『虚構推理』城平京講談社文庫)
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
この作品を原作とした漫画を読んでアイデアや構成、キャラクターが面白いと感じたので(アニメは未視聴)、原作小説を読んでみたいと思い推薦した。合う・合わないはあるかもしれないが、小説を書く上で勉強になるのではないだろうか。

<参加者A>
ライトノベルに近い推理小説は初めて読んだが、レベルが高く面白かった。いい加減な文章がなく、比喩も的確である。
ライトノベルの構造は決まっており、そこに嵌めこんでいくので量産できると創作の講座で聞いたことがある。
◆おどろおどろしいものを扱っているが、軽快に楽しげに、面白げに進んでいるので夢中で読んだ。
◆主人公・岩永のキャラクターがとても面白い。純文学と違ってキャラクターがはっきりしている(そぐわない行動をしない、予想外のことをしない、必要以上に掘り下げられない)。
◆最初、初版のカバーが鋼人七瀬だとわからなかったが、途中で気づき、イメージしやすくなった。
↓参考(初版のカバー)
https://www.amazon.co.jp/%E8%99%9A%E6%A7%8B%E6%8E%A8%E7%90%86-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%9F%8E%E5%B9%B3-%E4%BA%AC/dp/4062932407
◆いろいろなこの世ならぬ者たちが出てくる。喋り方、キャラが面白かったので、もっとたくさん出してほしかった。
◆面白くてたまらなかったのだが、第五章「鋼人攻略戦準備」からスピード感を失ったと感じた。漫画だと面白いと思うが、小説では読みにくく飛ばし読みした。理詰めでストーリーを組み立てていることの弊害ではないか。
九郎と七瀬が戦っている臨場感と動きを加えながら、スピーディに繋げていけばいいと思った。アクションの描写は一般的である。理詰めが好きな人であれば、なるほどと読めるのだろうか。
◆あやかしに興味がわき、民話を書きたくなった。

<参加者B>
◆作者はどちらかというと漫画やアニメの世界で名の知れた人。作品の半分ほどは漫画原作である。
↓参考(Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%B9%B3%E4%BA%AC
今の30代には、この作者の作品を浴びるようにして育ったという人も多い。Ex)『絶園のテンペスト』、『スパイラル~推理の絆~』etc.
◆作品そのものとしては、ライトノベルという枠組みとして見るとレベルが高い。
◆推理ものとしてライトノベルの文法があるが、それを少し崩している。
「主人公2人が活躍するパターン」はホームズとワトソンの変種であり、「天才的な探偵の少女とサポートの少年が活躍するパターン」は桜庭一樹GOSICK -ゴシック-』や西尾維新作品などにも見られる。
この作品も天才的で異能を持った少女とサポート的な少年に見えるが、探偵役の岩永同様、九郎もあやかし側であり、従来のパターンより転倒させている。
◆全体として転倒した構造が面白い。
◆この作品で目的となっているのは、「事件の解決」ではなく「意味のわからないものに、とりあえず誰かが納得する話を作ること」。真実は重要ではない。SNSに例えるなら、いいねの数、リツイート数を真実とする。それを作る過程を見せるのが、ストーリーテリングとして面白い。
◆常識的な昼の世界と、夜の世界(怪異)があるのを前提としている部分が面白い。話の奥行が生まれる。
◆小説『虚構推理』の英語タイトルはINVENTED INFERENCE(=発明された推理、人為的に作られた推理)。なお、アニメ版の英語タイトルはIn/Spectreという造語になっている。
◆『雨月物語』や、民俗学柳田国男が調べたものなど)を取り入れており、一眼一足など、そのままではアクが強くなりそうなものを、今風のファッションにすることでマイルドにしている。
◆主人公・岩永琴子が「人とあやかしの仲介役になるため生贄になった(=人柱)」という話である。人柱を十字路と同じ形である一つ目一本足にする、という話に取り入れたのが面白い。
◆スピード感に欠けるという意見があったが、第五章から敢えてストーリーを緩めているのかな、と思った。岩永がネットに書き込んだ部分(=ゴシック体の箇所)を読み飛ばしても話がわかるようになっている(というテクニックである)。そうすることで、漫画化、アニメ化の際に膨らませる余地を残している。

<参加者C>
◆面白かった。ライトノベルというより、特殊設定ミステリー(ありえないものを混ぜた上で読者が納得するような構成の作品)の一つとして読んだ。ex)今村昌弘『屍人荘の殺人』
◆従来型のミステリーではなく、いかに納得させて虚構の世界に導いていくか、というストーリー。それなりに推理も楽しめるが、推理小説の従来のかたちではない。
◆前半はきっちり論理的に組み立てられており、読者が疑問を持つであろうことを、ちゃんと説明している。
五章・六章は「ほんとにそうかな」と思うのだが、前半がしっかりしてるので、きっちり書いているのだろうと感じさせる。
◆本格推理は、仕掛けがバラ撒かれた細かい説明がある。Ex)エラリー・クイーン『ローマ帽子の謎』
読者は大変だが、きっちり書いておかねばならない。本格推理は慣れていないと読むのが大変だが、結論がわかってから読み返すと面白い。
◆入院していた従姉の名前が出てこないのは仕掛けで、後から登場するだろうなと思った。「六花」という名前が出てきたとき、ピンとくるかどうかが、この手の仕掛けに慣れているか慣れていないかだろう。
◆地の文が「琴子」ではなく「岩永」なのに違和感があったが(九郎、紗季は名前なので)、それもテクニックだろう。こういうことで読者を振り回してやろう、というような。使ってみたくなるテクニックだ。
◆人魚と件(くだん)の肉を食べて能力を手に入れたという設定は(果たして、そう巧くいくかとは思うが)、民俗学をうまく取り入れている。
◆鋼人七瀬は人々の想像力が作った怪物だという設定だが、ネットのまとめサイトは一本ではないので、いろんなタイプの鋼人七瀬が出てくるのではないかと思うが、都合よく作っているのが逆に面白い。
◆会話のやり取りがよくできており、面白い。笑わせられたり関心したりした。
◆場面によって視点が変わるが、きっちり書かれている。視点人物以外の心情が上手く書けるのだと思った(「なかろうか」をつけて、うまくひっくり返すなど)。
◆楽しめる要素が盛りだくさんである。誰もがそこそこ知っているようなことを取り入れて感心させるような題材の作品だ。

<参加者D>
◆あまり面白いと思わなかった。
◆主人公・岩永琴子のキャラクター(雨が降ったら眠くなる、など)や、九郎との会話、第二章での紗季への視点の切り替えは面白いと思った。
◆岩永と紗季がどう絡むのか、三角関係が青春小説のように非常によく書けている。
◆しかし、鋼人七瀬が出てきて面白くなくなった。最初が面白かっただけに残念だ。寺田が死んだところでクッションが上がり期待したが、自分の中では盛り上がらなかった。

<参加者E>
◆小説先行だが、メディアミックス前提に書かれた作品ではないかと思った。視点の切り替えなど、非常に映像的なので。実際、漫画を先に読んでいたが、まったく違和感がなかった。そのまま漫画のシナリオになりそうだと感じた。
最近の小説はメディアミックスを念頭に入れて書かれていることが多いのではないか(西尾維新貴志祐介の作品にもそのようなところを感じた)。
◆言葉を武器に相手を追い詰めていくところ、ミステリーと怪異を融合させているところは京極夏彦百鬼夜行シリーズを思い出すが、百鬼夜行シリーズが真相を明らかにしていき、言葉で怪異を解体していくのと逆に、こちらは怪異を虚構の真相で説明していく。
◆第五章以降、紗季が岩永の戦術に感嘆しているが、わたしはところどころ納得しかねた。犯人当てのようにわかりやすい決着があるわけではなく、大部分を納得させるというのが目的なので少々もやもやした(一応、「鋼人七瀬の消滅」というゴールはあるものの)。
◆「そんなに上手くいくかな」とは思うが「九郎/立花さんの能力があるし」で逃げられる設定がずるいと感じた(悪い意味ではなく)。
◆発想とスピード感はとても面白い。プロットも綿密で、ものすごく練られていると思った。
◆物語の可能性、危うさ、恐ろしさみたいなものを感じて、ストーリーとしては好き。
◆実在の七瀬かりん(春子)の真相が気になったが、そこを書くと本筋からずれるし、この作品では蛇足になるのだろうなと思う。

<フリートーク
◆メディアミックス前提ではという意見に:映像にしても映えるがゲームにもできる作り。
戦いのシーンを論理的にするなど、『逆転裁判』などを意識した作りである。若い読者は読んだとき、『逆転裁判』が浮かぶのではないだろうか。
最近、「小説の続きはゲームで」ということもあるので、そこを見越しているのかも?
◆分岐を設けて、別のバージョンが出せる作り。
◆だからこそ、小説だけを読んだら物足りないこともあるかもしれない。
メディアミックス向けに余白を作っているので。
たとえば小説では、寺田が殺害されたところは詳しく書かれないが、アニメでは目撃した妖怪の視点で詳しく描かれている。
◆また、作中で出てくる七瀬かりんの曲は実際に作られ、配信されている。
↓参考(公式YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=39bDpBDWDYM
◆キャラクターがメインではあるが、論理の丁々発止が主人公、のようなところはある。
◆小説では読みづらかった五章や六章も、映像化したら場面として映えると思うので、スピード感などは解決できると思った。
◆理不尽な殺され方だが恐怖がない。⇔主人公の岩永がすべて構造を把握している。岩永がわからないことがあればおどろおどろしくなるが、彼女が理屈を知っているので怖くない。紗季や寺田を除いて、主要登場人物のほとんどが闇の世界の住人なので。
◆鋼人七瀬は元・アイドル(=崇め奉られる偶像的な存在)。それと対する岩永も、ある種あやかしのアイドルのようなものである。→アイドルvsアイドル
かたやアイドルのコスチュームで顔がない鋼人七瀬、かたや一眼一足で特徴的かつ絵的に映える。
◆真実はどこまでも闇の中なので、ほかの可能性は残っており、解決が怪しいと言える余地も残っている。また、それゆえに同じ筋書きで展開を変えて出すことも可能である。
◆まったく理詰めではないが、理詰めであるかのように書かれている。虚構が構築される可能性が書かれているだけである。岩永のネットへの書き込み部分(ゴシック体の箇所)だけを読んだらおかしい。
◆名前に数字が入っているのも考察しがいがある。たとえば九郎の「九」を漢字辞典で調べると「行き止まり」や「切断」という意味があり、『生物として究極の行き詰まり』を表しているのかもしれない。
また、鋼人七瀬の「七」にも「切断」という意味がある。
岩永琴子は「十」=十字路に捧げられた生け贄だろうか? 十字路には呪術的な意味合いがあり、十字と同じ形のものを立たせたり、西洋では教会・韓国では祠が建てられていたりする。また、吸血鬼が出ないよう、十字路に灰を撒くことも。→十字路は異界と繋がっているという考え:岩永琴子は境界針であり、だからこそヒロインになりうる
◆鋼人七瀬について:ネット上の無数の意見が一つの声を作って現実を動かしていく恐怖。
フェイクニュースのように、根も葉もないけど、それなりに理屈の通るような話から暴動などが起こり看過できない状況になることの恐怖。
この作品でいう「怪物」とはそういうものであり、だから岩永はそれを止めなければならない。

『密やかな結晶』小川洋子(講談社文庫)

R読書会@オンライン 2021.03.06
【テキスト】『密やかな結晶』小川洋子講談社文庫)
【参加人数】7名(推薦者は欠席)

<参加者A>
◆消滅の設定があやふやで、なかなか入りきれなかった。概念が消えてしまうというのが最後でわかったが、消滅してしまったはずの鳥が出てくるのはなぜ?
ただ、設定があやふやであろうとなかろうと、この作品にとっては大したことではないのだと最後にわかった。
◆読んでいくうち、消滅するということの恐ろしさを感じた。同時に、自分の中に残っているものが大切なのだということも。また、大切ではあるけど無力だということも。
◆「秘密警察」がナチスユダヤ人狩りを彷彿させるものだった。

<参加者B>
◆消滅の設定はあやふやだと思ったが、わりにすっと読めた。設定がしっかりしていたら近未来を描いたディストピア的なSFになりそうだ。
◆設定、世界観が好み。皆がどう読んだか聞きたい。
◆終盤の展開にとても驚いた。全体としては非常に素晴らしい作品だと思う。
◆(コロナ禍の)現代になって読み直されたり注目されたりしている。書かれた時と今で、読まれる意味合いが違ってきているのではないか。

<参加者C>
◆私は政治的なものと受け取らずに「失うこと」について書かれた物語だと思った。ただ、政治的なものから切り離されているんじゃなく、政治的なものも個人的なものも含めて、すべてに繋がる「喪失」の話かな、と。
◆批評性の強いSFになっていないので、人によっていろいろな読み方・解釈ができる。読み手によってテーマだと感じることが違うのでは。
◆消滅したものはなくなっているけれど、心には「空洞」が残っている。
◆体の一部が消滅するくだりで概念が消えたのだと確信したのだが、犬も同じ場所を失っているので混乱した。それとも、概念を失った主人公にそう見えているだけ?
◆解説より先に本文を読んだが(小川洋子氏がアンネ・フランクから影響を受けたと知らなかったが)、R氏の隠し部屋のくだりで、アンネ・フランクが隠れた隠れ家を思い出した。福山市ホロコースト記念館に行ったことがあり、形は違うが雰囲気を想像できた。

<参加者D>
◆初めて小川洋子氏の小説を読んで、透明感のある文章だと思った。語りがよく、とっつきやすい。
◆不思議な世界観。鳥が消えたはずなのに飛んでいる、など。
◆主人公である「わたし」が淡々と現実を受け入れ、話が進む。主要な登場人物は少ないが、R氏が「わたし」の疑問に思っていることを代弁してくれたり、抗おうとしてくれたりしている。
◆「わたし」に共感でき、共感できることが面白い。
◆救いがなく、読了後、何を伝えたいのかと考えた。「つらい境遇があっても淡々と生きてくことの強さ」「不幸なことが降りかかって、苦しみながらも順応し、悲観しながらも生きていけるよ」というメッセージだろうか。
◆「上をみてはいけない。下を見なさい」という言葉を思い出した。

<参加者E>
◆解説を先に読んでしまって、『アンネの日記』や戦争のことなどを投影した作品だと思って読んだ。
なぜ消滅しているのか、誰が、どうしてなど、理由が明かされない。それが、戦争に巻き込まれる理不尽さをよく表している。
◆R氏が外に出ていくラストに未来を感じた。あちこちにR氏のような人がいるのだろう。私たちは記憶を持っているので明るい未来を作っていくことができる。
◆主人公は小説家であり、作中作で消滅のことを書いているが、その作中作と本編の消滅が重複している意味がわからなかった。皆に訊いてみたい。
◆消滅に関連してːたとえば認知症では記憶が消えていくが、感情は最後まで残る。この小説では(消滅したものに対する)感情すらどんどん消えていっており、その書き方がすごくうまいと思った。

<参加者F>
◆消滅の設定が曖昧。一度目に読んだときは消滅のメカニズムがあやふやで腹が立ったが、二読目ではそれを打ち消すくらいの独特の作品世界を感じた。
◆「愛」について語ってるのでは。
【主人公の「わたし」はR氏の世話をし、最終的に自分が消えてR氏が自由になる】⇔【(作中作では)「わたし」が消滅し、先生が残る】と対比されている。「人を独占したい」という気持ちの究極では。
◆どうしても受け入れがたいのは、概念が消滅するのか、物自体が消滅するのか、あやふやなこと。フェリーは残っている。鳥は消えたがニワトリはいないのか? カレンダーがなくなって、(ただ端末はなくなるのではなく)時間の概念そのものまで否定するようになる。果たしてそれはいいのか?
◆物から概念がなくなるのか、概念から物がなくなっていくのか。左脚はあるが、左脚という認識ができなくなる。肉体は概念からなくなる?
最後に声が残ったが、声は臓器がないと生まれない。どうやって声を出している? そのあたりの雑さが耐えられない。
◆記憶・感情がなくなったら空洞すらないのでは。
◆主人公は小説家だが、記憶や言葉をなくして小説を書けるのか? 受け入れがたい。書き続けることは記憶を紐解いて言葉にしていくことだと思う。

<参加者G>
◆半年前、別の読書会でテキストとして取り上げた。するする読んで、ストーリーは印象に残っていない。印象に残っているのは、川に薔薇が流れている場面。ほかの部分は忘れている。こんなにも忘れる小説は珍しい。
ホロコーストなのか、こうやってナチスユダヤ人を追い詰めていったのかと思いながら読んだ。
◆なくなって初めて、その大切さがわかるということがある。
◆最近、この作品が取り上げられることが多いのは影響ではないか。戦争でなくても、ウイルスが蔓延るようになり生活は大きく変わった(映画館に行けなくなるなど)。この小説は普遍性を持っていると思う。
◆設定が曖昧で納得できないというのは一回目に読んだとき思った。フェリーが消滅したはずなのに会話にフェリーが出てくるなど。つまりSFでなく純文学だ。SFでは絶対許されないことが純文学では許される。
◆作中作の主人公が最初に失うのが声、本編で最後に残るのが声。そしてどちらも消えてしまう。そこが最後に集約している。
声は言葉を発するもの。言葉を紡ぐもの。そこが鍵かと一回目読んだときに感じた。

<フリートーク
◆支配と支配される側が逆転している作中作。逆に作りこまれすぎている。
◆作中作も本編も、声を失おうが失わまいが、社会に声は届かない。
◆作者はちゃんとしたリアルな小説というつもりで書いているが、設定の曖昧さや茫洋とした雰囲気で幻想的と言われてしまう。しかし私の好みに合う。
夢のロジックで書かれている。深く心に刺さる、印象に残る夢という感じ。そういうものを小説、文章にしようとしているのが小川洋子という作家だと思った。
◆リアルな人間の生活というより、人間の精神がそれをどう受け止めるかという小説では。
「(執筆の際の)降りてくる」と「夢で見る」は似ている。
◆ロジックで書くのではなく、また、「テーマはこう」「訴えたいのはこれ」ではなく、作者が自分の心の中を開けて、何かを出そうとしている小説ではないか。
◆R氏は彼女にとってのアニムス的な存在(=男性的な原理・側面)。男性的な要素と女性的な要素で人格が出来上がっていく。導いているのがおじいさん。ユング心理学的な解釈が嵌るようになっている。
◆深層心理でロジックに頼らず、湧き上がるものを書いている。それによって気づきがあるのが名作。しかし私はあまり印象に残らなかった。
◆すごく難しい小説。通り一遍の解釈で割り切れないところがたくさんある。アゴタ・クリストフの『悪童日記』の骨を吊り下げるシーンを思い出した:古い自分を捨てて歩んでいくことの象徴であるシーン
◆テキストに関連して小川洋子氏のエッセイ「とにかく散歩いたしましょう」を読み、ものすごくユーモアがある人だと思った。ゆるっとしたエッセイで面白かった。
◆些末なことはすごく辻褄が合っているけれど、土台で辻褄が合わないのが面白いのかもしれない。基本的な構造が揺らいで飛躍するという意味では、小説というかたちはとっているが詩のようだ。

『魯肉飯のさえずり』温又柔(中央公論新社)

Zoom読書会 2021.02.13
【テキスト】『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』温又柔(中央公論新社
【参加人数】5名

<推薦の理由(参加者E)>
作者である温又柔は日本語・台湾語・中国語の間を行き来する女性作家である。奥付には「温又柔」とあるが、表紙には「Wen Yourou」と中国語読みの表記が添えてあるのもそのため。国籍は台湾だが三歳から日本で育ち、彼女の作品は日本語で書かれているので分類的には日本文学になる(「外国にルーツがある日本文学」という括りでは柳美里梁石日と同じ)。
ジェンダーの問題など時勢に合った要素もあり、みんなで読んで話し合えればと推薦した。

<参加者A>
◆外国籍の人という前提があったが、日本語の文章が上手く読みやすい。
◆桃嘉の章と、母・雪穂の章があるが、設定が似ているので(夫の家族との関係など)、時間を置いて読んだらどちらの話なのか少々混乱する。
◆日常が丁寧に綴られており、読者に登場人物の履歴が示される。そして、すべての情報が作品のプロットに関連し、読み落とすことができないため、しんどい。
◆読者に必要な情報を与えることは重要だが、長いので読むのが大変だった。
◆「文化の違いでわかりあえない」という話かと思ったが、台湾出身の母と日本人の父は理解し合っているので主題は別にある(桃嘉と聖司の問題など)。
◆桃嘉と雪穂、それぞれの夫とその家族は、表面的に見れば普通に接しているように見え、悪意はあるわけではないので、彼女たちが過敏に見えてしまう(言葉の行き違いは存在するので違和感を感じるのはわかる)。
◆桃嘉と雪穂が違和感を持つのは、日本人である義理の家族(桃嘉は夫も含む)だけ。日本で生まれ育ち、ほぼ日本人と変わらない桃嘉が、台湾人の祖父母や伯母たちには違和感を感じないのが気になった。
◆先の展開がわかってしまう。
◆第五章は不要ではないか。

<参加者B>
◆文章が美しく品格がある。とても日本語を意識していると思う。丁寧に丁寧に書かれている。
私は村上春樹アゴタ・クリストフが好きなのだが、多言語的な感覚で書いているので文章がわかりやすくオリジナリティーがある。文章を綴るときに「他者の視点」が入るからか。クレオール言語、のような。そのことを思い出した。
◆作者の言いたいことが第一章・第二章からはっきりしており、それを言うための伏線が張られている。あることを言いたいがために、ひとつのことを書いている。
聖司は自分が支配できる女性(妻・桃嘉)を選んでいる。→日本と台湾の暗喩? その後、二人が離婚する=台湾が独立したということか。
◆温又柔の小説『真ん中の子どもたち』が第157回芥川賞の候補作になったときに論争があった。選考委員である宮本輝が選評で「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。(中略)他人事を延々と読まされて退屈だった」と述べていた。
確かにこの作品でも自分の主張が多く、台湾人のことを悪く言っていない。
◆桃嘉の周りには(聖司とその周辺以外)善良な人しかでてこない。こんなにいい両親が揃っていたら結婚などできない(見ず知らずの男のところにいきたいと思わない)はずだ。
人間は他人とぶつかって成長していく。過保護な両親のもとでは成長できない。つまり、親が善良すぎて(悩みはあるが)葛藤がない、戦いがない愛情に溢れた家族の中で甘ったるく生きているように感じた。

<参加者C>
◆小説の出来と、面白いと思うかどうかは別だが、出だしを読むのに疲れた。私自身が聖司に重なるところがあり、自分のことを責められてるように感じてしまったので(「こんな細かいことを言わなくてもいいじゃないか」と思った)。
◆しかし、徐々に徐々に面白くなってきた。「聖司以外は善人で、主人公に葛藤がない」という意見もあったが葛藤はあると思う。
◆母(雪穂)は干渉する。娘(桃嘉)は干渉してほしくない。そこがキモとなっており、とてもよかった。
◆桃嘉の祖父は日本への憧れが強い人物として造形されている。私は仕事で台湾を訪れたことが何度かあるが、友好的であり、お互い敬意を表していたと思う。
◆この作品は国と国との話ではなく、ジェンダーの問題や、結婚生活の問題などが主題ではないか。日本人同士が結婚しても夫婦のすれ違いはある(食べ物なども)。
◆娘・桃嘉は離婚を選び、そこから自分を再生しようとする。両親の結婚がとてもうまくいっていることへの憧れがあり、両親の夫婦関係を見て悩んでいるさまがうまく書けていると思った。

<参加者D>
◆二つのことを考えた。
まずアイデンティティの問題。私は日本人で、日本で生まれ育ち、母語も日本語でアイデンティティについて意識したことがない。聖司や義姉のような発言をしてしまいそうだ。差別は悪意あってするものではなく、無意識に根付いたものではないだろうか。
それから夫婦間・親子間における関係性の問題。言葉が通じてもわかりあえない関係(桃嘉と聖司)はあるし、言葉が通じなくてもわかりあえる関係(雪穂と茂吉)もある。
◆聖司が結婚の挨拶に来たとき、桃嘉が緊張し気を遣っていた、というエピソードが気になった。
この作品では聖司だけが悪いような印象を受けそうだが、桃嘉も、言葉が通じるにも関わらず、なかなか彼とぶつかろうとしていなかったので、どちらかが一方的に悪いわけではないと思う。桃嘉は相手と対等な関係を作ろうとしていなかったと感じる。(※フリートークでの意見をお聞きして、そういう主人公造形なのだろうなと思いました。)

<参加者E(推薦者)>
◆「夫婦間の話」「親と子供の話」という軸があり、その中に異文化の話が落とし込まれている。妻と夫、親と子、文化と文化…さまざまな糸が張り巡らされており重層的になっている。
◆温又柔の来歴は、白水社のエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』に書かれているが、ほぼこの小説と同じである。→主人公・桃嘉は作者の自己投影かという部分がある。
◆2021年2月現在、森会長の発言もありタイムリーな感がある。→ジェンダー問題
男性はこう、女性はこう…という話は、桃嘉と聖司の章にも、雪穂と茂吉の章にも出てくる。とくに聖司というキャラクターは物語の中で「男性はこうあらなければならない」を体現しており、聖司本人・聖司の勤め先の人たちもそう思っている(男性が稼ぎ、妻は家にいるものだ、と。あるいは、聖司の勤め先の人たちの「(桃嘉は)可愛い」「(絵を描くのは)かわいい趣味」という発言。女性はそうあってくれという願望がある)。
◆日台ハーフであるという要素→「かわいい」と「外国的なエキゾシズム」が対照的になっている
◆作中、台湾のコミュニティの中で日本女性を賛美する話がある。そして雪穂も、清楚な妻になろう、日本人になろうとする動きがある。日本人の男性より少し下の女性、という意識を持っている。そのような物言いや考え方が桃嘉にも受け継がれており、問題が二世代に渡っている。
また、桃嘉の祖父のように、日本が格上で台湾が少し下という考えが内面化している登場人物もおり、それが複合的な要素を出している。
◆作中の親子関係について。作者世代の文脈で見ると面白い。母・雪穂は、娘が嫁いだ後も「子ども部屋」を残している。作者は1980年生まれであり、氷河期の谷底世代である。受験や就職のときに競争相手が多く、また親から干渉を受ける人が多かった。その中で引きこもりになる人も。就活をやめて婚活をしたり、家事手伝いに逃げたという人も実際にいる。私も同じ世代なので、実際に見てきた生々しい親子関係と重なった。
◆第五章は一見ハッピーエンドに見えるが、ラストの一文を見るとそうとは限らない。自分が生きていく場所を切り拓いていくという希望は見えるが、世代的なことを考えると難しい。
あるいは、桃嘉が母と同じことを繰り返すのでは? という暗雲のような含みがある(ハッピーエンドととってもいいが)。

<フリートーク
◆聖司が浮気をしなければ普通の夫婦の話である。→台湾を抜きにするとつまらなくなるのは全員のコンセンサス
◆作者のエッセイは言葉に関するもので、日本語と台湾語・中国語のやり取りでどうやって生活しているかが綴られている。つまり、自分の身の置きどころを、言葉の面から考察するきらいがある。
◆桃嘉の自立や自覚が描かれていない。
◆雪穂と茂吉は本当にいい両親なのか? 母は過保護、父は物分りがよすぎる。両親が桃嘉に自覚を持たせなかった。
◆桃嘉にとって実家が一概に居心地がいいとは言えないのでは。母は干渉してくるし、桃嘉はそこから逃げたい、独立したいと思っている。しかし就職に失敗し結婚に行き詰まり、親のありがたさ、自分のルーツのありがたさに気付いた。本当に居心地がいいか? といえばそうではない。
◆桃嘉は客観的に見れば恵まれているが、ある種自分の自我を通させてくれない過干渉の家庭で育った。自分がしたことに対し後からフォローが入ったり、ケアというかたちで干渉を受けると安定した自我が確立しづらい。常にケア対象、保護対象であるという意識があり、確立した自我を持たないので他人の評価を過大に、センシティブに感じてしまう。不安定さの小道具のひとつとして台湾、魯肉飯が用意されている。
桃嘉は聖司に認められたと思ったが、実際に結婚すると、親の息苦しさとはまた別の息苦しさに悩まされた。
◆桃嘉は何かを求めており、しかし自分が強くなるために何もしてこなかった。その方法がわからず焦っている。
◆桃嘉も、子どものころは母に反発していたが、中学受験のあとには物分りがよくなっている(→中学生時点で母と同化している)。その間を書いてほしかった。
◆(上の発言を受け)すーっと行ってしまう人間を書こうとしているのでは。私は共感できた。人との距離をとることが難しい桃嘉がやっと歩き出した話だと思う。
◆世代間の違いをもっと書いても良かったのでは。聖司の両親と茂吉の両親は、何十年も離れているのに似ているように感じる。
◆この話は男女が逆だと成立しない(男性は結婚によって就活から逃げられないため)。
◆桃嘉は雪穂と違い、日本語がわかっているにも関わらず自分のいいたいことが言えたいもどかしさはある。一定の人から見るとイライラする造形になっているのは確信的。
◆幼いときに絵が認められているという設定が邪魔になっている。
◆父・茂吉はステレオタイプのキャラクターであり、あまり使われていない。あまり出てこないので父親不在の家庭なのかと思った。
◆温又柔はエッセイが読み物として優秀。言葉の感覚がうまいと思う。小説には慣れきっていない印象。
◆温又柔は三歳から日本にいるので日本語を操っているが収まりがわるいところがある。そのため、日本統治時代の台湾人が日本語で書いた小説に親近感を持っている。

『ニキ』夏木志朋(ポプラ社)

Zoom読書会 2021.01.09
【テキスト】『ニキ』夏木志朋(ポプラ社
【参加人数】4名

<参加者A(推薦者)>
◆ネット上で評判がよかったので気になっていた。いじめ、異分子、生きづらさ、マイノリティはよくあるテーマだが、それをどう表現しているのか知りたかったので未読ながら推薦した。
◆起承転結、それぞれの部分がよくできている。導入部だけ読んでも面白い(万引きのシーンがとてもよく出来ている。また、「なぜ二木の秘密を知っているのか?」などの謎もある)。ほか、新人賞に応募しようと小説を書いている箇所を単独で取り上げても面白い。読者を飽きさせない設定である。
◆構成面でも非常に工夫されている。Ex)ラストのどんでん返しに、主人公が応募した新人賞の結果が関わってくるため書かれていない。P.114~の独白がいちばん大事な部分に組み込まれている。
◆小説ではなく、音楽など違うジャンルを扱ったほうが深みが出るのでは。小説だと作者に近づきすぎるので。
◆押し付けの比喩がなく、ちゃんと物語と関連性がある比喩を使っている。過剰な比喩になっていないのがよい。
◆小説を書く人間にとっては、二木が小説についてあれこれ言うところが身につまされた。

<参加者B>
◆途中まで非常によかった。最後のほうでバタバタ畳んでしまったという印象を受けた。
◆主人公と二木の駆け引きが面白かった。主人公のほうが切り札を持っているにも関わらず、二木がイニシアティブを取ってしまう→主人公がイライラする、という心理描写が巧みである。また、委員長が煙草を吸うシーンなど、読者が思い描いていた人物像から外すところも良かった。
◆しかし終盤、吉田の行動が行き過ぎだと感じた。ここまで過激な人間が多数派になれるものだろうか。
◆テーマだと感じたのは「付和雷同をどのように考えるか」。私は二木のキャラクターがすごく好きで、アイデンティティーを守るために周りと協調しながら、かつ主張を表に出しているというのが、彼の個性に合っていると思った。

<参加者C>
◆自意識過剰な主人公の視点で書かれている。地の文に書かれている主人公以外の人物の心情は主人公の想像であり、私からすると違うと、実際の心情は違うんだろうなと思う箇所もある。思春期特有の自意識がとてもリアル。本当に中二病だと、中二病は書けない(文章を書くには客観性が必要)と思い知らされた。
◆別の読書会で『コンビニ人間』(村田沙耶香)を扱った後で、偶然生きづらさを扱う作品が続いた。そういう作品が受け入れられる土壌があるのかなと思う。私は浮いてしまう側と「普通」に迎合している側、どちらの立場もわかるので複雑な気持ちになる。
◆作中の小説を書く描写にあるように、「編み物のように」綿密にプロットが立てられていると感じた。たとえば、序盤に主人公が万引きをしたことが、終盤の展開で活かされるなど。
◆他の方の発言を受けて:私も過剰な比喩がないので読み進めやすかった。
◆余談:帯が目を引くが、読むと「帯と違う」と思ってしまう(帯の内容は間違いではないし、実は核心だが)。帯だけ読んだときには『悪の教典』のような話か? と思った。

<参加者D>
◆まったく前情報なしで読んだ(電子書籍で購入したので帯もついていなかった)。率直に言ってかなり面白かった。
◆小説についての話もあるが、私は小説をまったく書かないので、その立場からの感想になる。
◆学校の描写は身につまされた。中高生のスクールカーストについてよく研究してあると思った。とくに、主人公がクラスに溶け込む訓練(流行りの曲を聴く、など)をしているシーンが刺さった。私も仲間内で本当にやっていたことがあるので(ここまでのコンテンツは大多数に受け入れられるが、ここからは受け入れられない…という感じの)。
学校内ではピラミッドがあり、青春というものを享受するには、中間層であることを維持する努力が必要である。中間層を外れると最下層に落ちてしまう。上に行けない者が上に行こうとすると領空侵犯で最下層に落とされてしまう。
スクールカーストを俯瞰的な目で見ることができる人の視点はエンターテイメント性に富んでいた。
主人公と二木が対になっているが二人はよく似ている。同類であるため、同じ極が反発しあるように嫌悪しあう。憧れ半分、憎しみ半分のバランスがとれている。
また、委員長の存在で、カーストとはローカル的で実は脆いものだということも描かれている。
◆凝った比喩は少なく、色に関する比喩に力点が置かれていた。主人公が持つ共感覚を表すもので技巧的な工夫を感じる。ex)緑色は秩序、あるいは嫉妬の象徴?
◆結論はもやっとしていたが、小社会でのもやもやを経験して社会へ出ていく、ということだろうか。

 <フリートーク
◆帯に書いてあるのはありきたりのパターンなので帯通りの内容でなくてよかった。
◆前情報がないほうが先入観なく読めるかも。
◆“えぐさ”がない。
スクールカーストの下層は、問題がある層、名前を出していい層である。→最下層の存在があるから中間層が安定できる。時代の空気を経験した者としてはリアルに感じた。
この作品は常にそれぞれが役割を演じているスクールカーストの裏で、先生と最下層の生徒が丁々発止しているのが面白い。
◆主人公は「アスペ」とレッテルを貼られているが、その主人公も二木に「ロリコン=悪」というレッテル貼りをしている。しかし、「委員長」が煙草を吸っていることからもわかるように、レッテルを剥がすと皆たいしたことはない、というのが面白さのひとつ。
◆閉塞感を扱う作品は山のようにあるが、その中からどうやって抜けるか?:
吉田の立場は、えげつないことをし続けなければならないので実はしんどい。しかし、主人公はそれを眺めていられる、ある意味安全圏にいる。→単に閉塞感を書いた作品ではない。
それが、閉塞感を書いただけの作品との差ではないか。
スクールカーストの描写や、ラストの描写はとてもよかった。→「N」が手に入った媚び猫が鳴くところ:主人公と二木が一体化することによって正常化されるという比喩
◆なぜ「N」が抜けているのか、なぜ二木がニューバランスを履いているのか、気づくと面白い。

『コンビニ人間』村田沙耶香(文春文庫)

R読書会@オンライン 2021.01.03
【テキスト】『コンビニ人間村田沙耶香(文春文庫)

◆タイトルが挑発的。底辺的な労働に就いている人間の話を想像させるが、それをどんどん裏切っていくストーリーだ。
◆主人公が「普通」から逸脱しているという設定だが、「普通」とはなにか、「治す」とはなにかという根源的な意味について考えさせられる。
◆コロナ前にこの作品を読んだときは「人間は画一的に押し込められるのだな」と思っていた程度だったが、コロナ後は、人を監視したり、非難したりするということが、とても深刻な問題だと感じられるようになった。
◆白羽が、コンビニでの仕事や従業員を馬鹿にしていることは現代的でシンボリックである。読書会のメンバーが、白羽についてどう考えたか聞いてみたい。
◆皆がどういう風にこの作品を読んだか聞いてみたい。ユーモアがある面白い作品ととったか、とても怖い作品ととったか。私はとても怖い作品だと思った。登場人物は一様におかしい。もっともおかしいのは主人公と白羽だが、主人公から見ると普通の人たちもおかしい。本当の意味でまともな人は一人も出てこない。
◆私も怖い作品だなと思った。「スタンダード」とは何かと問いかけている作品。現在、世界はコロナの中で何が「スタンダード」なのかを探り合っている状態だ。
村田沙耶香が好きでいろいろ読んでおり、感覚が特異で変わった作品を書く作家だと思う。例えば『地球星人』という作品は、文章自体は普通だけどぶっとんでいる。
コンビニ人間』も文体は普通で、読み始めたときは普通の小説だと感じるが、読み進めると、どんどんヘンテコになっていく。
村田沙耶香の作品は「普通とはなにか」がテーマとなっている。主人公が反抗的な態度をとったり自己主張したりする小説も多いが、『コンビニ人間』の主人公は「普通」になろうとそれなりに頑張っているのがキモ。「自分」が周りに溶けているとも思えるが個性がないわけでもなく、アンチヒーローのようさえ感じる。
◆コンビニの美しい描写(「光る箱」「病院のガラス」という表現など)の感性がすごいなと思った。
◆「異様性」と「普通」が地続きになっている作品。
◆普通とはなにか? →自分と違うこと。
たとえば結婚している人は結婚していない人を、子どもがいる人は子どもがいない人を「普通」と思わないことがあるように、「普通」とはとても感情的な基準である。
◆いろんな人の話し方やファッションを真似して、うまく周りに溶け込んでいると本人は思っているが、実は綻びが出ているというのがよく書けている(服の趣味が別人のようになったり、自分以外の人が飲み会をしているのを後で知ったり、など)。白羽は周りが見えている。
◆自分の中にも、主人公や白羽、周りの人のようなところはある。読んだ人が「自分のことだ」と思う作品。だからこそこの作品がいろいろな人に支持され、24ヵ国語に翻訳されるのだと思う。
◆24ヵ国語に翻訳されることについて:日本独特の感覚かと思ったが、そうでもないのだろうか。
◆『コンビニ人間』とコロナ時代によせて:個性が消えることによって得しているのは権力者側である。マスコミも一辺倒の報道をするので統治しやすくなっている。どこかで抵抗し続けなくてはならないと思う。
◆主人公はコンビニとは別の「ノーマル」からの管理に対して嫌悪を抱いている。しかしコンビニは「管理」そのもの。人間とは別の、もっとも管理された、無機質なコンビニという世界に同化することによって希望を抱いているのが本当に救いなのか?
◆レッテル貼りで縛ってくる世間(作中では妹、同級生、ほかの従業員など)に対し、人間性を度外視して「行動」で縛るコンビニは、主人公にとって安心する場所なのだろう。
◆筆者は、家族やムラ社会の価値を認めながらも、それを押し付けることにも抵抗している。
◆P52「なんか宗教みたいっすね」~「そうですよ」からわかるように、これはコンビニに身を捧げたシスターの話である。
◆主人公には性嫌悪的なところもある。性をカジュアルに、娯楽として消費するものへの対比が描かれている。
◆人格とか性別だけでなく機能だけで測られたい主人公の話。現代社会はそこへ向かいつつもあるが、それは怖いと私は思う。
フェミニズムと本能主義の対比も描かれている。一歩進むと、差別の構造みたいなものも表れている。